少子高齢化が進む日本で、温泉旅館はどうあるべきか? 会社や学校の団体旅行を中心にしてきた旅館は、今後は苦闘が続くだろう。社員旅行も修学旅行も、今後の伸びが期待できない。これは日本社会全体の問題でもあるだろう。会社中心社会、学校中心社会そのものを変えていく必要がある。
日本の温泉宿は一泊を基本としている。場合によっては2泊する人もいるけど、何か事情がない限りそれ以上同じ宿に泊まることは少ないだろう。大体、仕事をしている間はそんなに休暇を取れないし、定年になったら今度はお金の問題で高い旅館に長く泊まれない。お金もヒマのある人がいたとしても、せっかくの旅行はいろいろと見たいと思って、他の観光地に移動するのが普通だろう。
お金やヒマの問題をクリアーできても、日本旅館ばかり泊まると飽きてしまうという根本的問題がある。刺身やてんぷら、陶板焼きなどが嬉しいのは、続けて2日目ぐらいまでだろう。そういうのがずっと続くとさすがに飽きる。同じ地域を回ると、同じ食材が続くことが多い。ある地域に行ったら毎日鯉こくが出て、また違う地域では馬刺しが出た。南紀の温泉を泊まり歩いたときは、毎日鱧(はも)が出たんだけど、関東では珍しいから最初は「これがハモ?」と嬉しかった。でも、それが続くと、もったいないと思いつつ飽きてくるのである。
こういう宿は今後少なくなっていくと思う。高齢化が進むと、どうしても「高い値段、美味しい料理」というコンセプトの旅館に魅力を感じなくなる。仮にお金があったとしても、もう少しヴォリュームとカロリーの少ない料理が欲しい。どんな旅館でも追加料理はあるから、もっと食べたい人は自分で頼めばいいのである。そうなると、高い値段で美味しい料理を出す旅館は、難しくなっていく。
日本人の人口が減るわけだから、当然その分温泉宿に泊まる人は減る。団塊世代が後期高齢者になって、それでも元気で温泉に入りたいという需要は当面あるだろう。だけど、やがて2030年代頃から温泉に行く人の絶対数がグッと減るはずだ。その分を外国人観光客で埋められるだろうか。僕は日本の温泉宿と日本食は、今後発展していくアジア諸国の中で人気を得られるだろうと思う。一度は泊まってみたいという人が多いのではないか。でも、高額で料理沢山の宿ほど外国人を受け入れにくい。予算面でもそうだけど、接客方式すべてが、日本人客を想定していて、他の要望に応えにくい。イスラム教徒には豚由来の食品を出さない、ベジタリアンにも対応できるというような基準を考えれば判るだろう。今の温泉旅館は予算や予約方法、外国語対応などすべてにおいて、外国人客が利用しにくい。
今でも九州や北海道などでは、台湾や韓国あるいは東南アジアからの観光客が多い。だけど、一般的には団体で利用する以外は難しいだろう。よほどの富裕層が極め付けの高級旅館に泊まることはあるかもしれないが。そういう状況を抜本的に変える必要があると思う。それは単に外国人客対応というにとどまらない。日本社会が「会社単位」(の団体旅行)、「家族単位」(の週末や夏休みの短期旅行)から、「個人単位」の長期滞在型旅行に向いた社会に変わらないといけないということなのである。
そのためには、値段を下げるためにも、また長期に滞在するためにも、「B&B」(ベッドとブレクファスト、宿泊と朝食のみを提供する宿)を多くするしかない。そして実際、そういう宿が少しづつ増えている。ある程度の規模の温泉地なら、旅館の外にもいい食事処があるものである。そうじゃないと昼食を食べるところがなくなる。温泉地でも温泉以外に勤める人もいるわけだから、当然レストランも飲み屋もなくては困る。そういうところでは、外のおいしいレストランに食べに行くのも楽しい。
僕の行ったところでは、愛媛県の道後温泉にあるホテル・パティオ・ドウゴというホテルがある。有名な道後温泉本館の真ん前にある。道後温泉に行って、道後温泉本館に入りにいかない人はいないだろう。それだったら、何も高い旅館に泊まるより便利だろうと思って連泊してみた。近くに道後麦酒館という地ビールレストランがある。ビールも美味しいし、宇和島のじゃこ天など地のものも大変おいしい。こういう旅行が他の温泉地でもできればいいと思うのである。
(ホテル・パティオ・ドウゴ)
ところで、そういう共同浴場もいいけど、今後は小さなお風呂がたくさんある旅館も欲しい。外国人客はどうしても肌を見せるのを嫌がることが考えられる。それに日本人だって、高齢化していけば、男女別の大浴場ではなく、家族で介護できる風呂が欲しいはずだ。障がいや病気を抱えた人も大浴場には行きにくいだろう。「家族風呂」といえば、カップルで利用できるといった宣伝が多いけど、今でも介護などで利用している人は多いと思う。それに「家族」風呂というけど、一人で利用したっていいはずでである。(もちろん部屋の風呂が温泉になってればそれでいいわけだが。)
「B&B」の宿ばかりではなくて、宿泊を止めて、立ち寄り入浴と食事に特化した宿もあってよい。食事も今までのように宿ごとに作っていては、やがて人手が確保できなくなる。だから、ある宿が食事を作ること専門になればいいのである。宿泊用のスペースを外部のレストランに開放することも可能になる。今まで食事を作ってきた部門を独立させて、美味しい懐石料理専門店にしたらいい。同時にその宿にマクドナルドや日高屋があってもいいではないか。安く食べたい人はそっちを利用すればいい。ある宿には回転寿司があり、他の宿にはステーキ屋がある。自由に選べればいいと思う。そんな中に「ハラル料理専門店」(ムスリム対応の店)があれば、その温泉にイスラム圏の客も行くだろう。
こうして個人単位で長期滞在できる宿が増えていけば、高齢者だけでなく若者や外国人の長期利用が増えていくと思う。それが新たな需要を生む。何日も滞在するようになれば、文化施設やスポーツ施設がもっと必要になる。新しい動きも出てくる。しかし、僕が言いたいのは、ただ温泉の問題ではない。要するに日本社会を個人単位に行動できるように変えていく必要があるということである。そういう社会は、高齢者や障がい者にやさしい社会であり、外国人を受け入れやすい社会である。そういう風に変えていかないと日本は持たない。僕が言いたいのは、そういう風に日本社会をデザインしていく中で、温泉旅館も考える必要があるということである。日本は大胆に変わっていかざるを得ない。温泉旅館こそ、その最先端になれるだろう。
日本の温泉宿は一泊を基本としている。場合によっては2泊する人もいるけど、何か事情がない限りそれ以上同じ宿に泊まることは少ないだろう。大体、仕事をしている間はそんなに休暇を取れないし、定年になったら今度はお金の問題で高い旅館に長く泊まれない。お金もヒマのある人がいたとしても、せっかくの旅行はいろいろと見たいと思って、他の観光地に移動するのが普通だろう。
お金やヒマの問題をクリアーできても、日本旅館ばかり泊まると飽きてしまうという根本的問題がある。刺身やてんぷら、陶板焼きなどが嬉しいのは、続けて2日目ぐらいまでだろう。そういうのがずっと続くとさすがに飽きる。同じ地域を回ると、同じ食材が続くことが多い。ある地域に行ったら毎日鯉こくが出て、また違う地域では馬刺しが出た。南紀の温泉を泊まり歩いたときは、毎日鱧(はも)が出たんだけど、関東では珍しいから最初は「これがハモ?」と嬉しかった。でも、それが続くと、もったいないと思いつつ飽きてくるのである。
こういう宿は今後少なくなっていくと思う。高齢化が進むと、どうしても「高い値段、美味しい料理」というコンセプトの旅館に魅力を感じなくなる。仮にお金があったとしても、もう少しヴォリュームとカロリーの少ない料理が欲しい。どんな旅館でも追加料理はあるから、もっと食べたい人は自分で頼めばいいのである。そうなると、高い値段で美味しい料理を出す旅館は、難しくなっていく。
日本人の人口が減るわけだから、当然その分温泉宿に泊まる人は減る。団塊世代が後期高齢者になって、それでも元気で温泉に入りたいという需要は当面あるだろう。だけど、やがて2030年代頃から温泉に行く人の絶対数がグッと減るはずだ。その分を外国人観光客で埋められるだろうか。僕は日本の温泉宿と日本食は、今後発展していくアジア諸国の中で人気を得られるだろうと思う。一度は泊まってみたいという人が多いのではないか。でも、高額で料理沢山の宿ほど外国人を受け入れにくい。予算面でもそうだけど、接客方式すべてが、日本人客を想定していて、他の要望に応えにくい。イスラム教徒には豚由来の食品を出さない、ベジタリアンにも対応できるというような基準を考えれば判るだろう。今の温泉旅館は予算や予約方法、外国語対応などすべてにおいて、外国人客が利用しにくい。
今でも九州や北海道などでは、台湾や韓国あるいは東南アジアからの観光客が多い。だけど、一般的には団体で利用する以外は難しいだろう。よほどの富裕層が極め付けの高級旅館に泊まることはあるかもしれないが。そういう状況を抜本的に変える必要があると思う。それは単に外国人客対応というにとどまらない。日本社会が「会社単位」(の団体旅行)、「家族単位」(の週末や夏休みの短期旅行)から、「個人単位」の長期滞在型旅行に向いた社会に変わらないといけないということなのである。
そのためには、値段を下げるためにも、また長期に滞在するためにも、「B&B」(ベッドとブレクファスト、宿泊と朝食のみを提供する宿)を多くするしかない。そして実際、そういう宿が少しづつ増えている。ある程度の規模の温泉地なら、旅館の外にもいい食事処があるものである。そうじゃないと昼食を食べるところがなくなる。温泉地でも温泉以外に勤める人もいるわけだから、当然レストランも飲み屋もなくては困る。そういうところでは、外のおいしいレストランに食べに行くのも楽しい。
僕の行ったところでは、愛媛県の道後温泉にあるホテル・パティオ・ドウゴというホテルがある。有名な道後温泉本館の真ん前にある。道後温泉に行って、道後温泉本館に入りにいかない人はいないだろう。それだったら、何も高い旅館に泊まるより便利だろうと思って連泊してみた。近くに道後麦酒館という地ビールレストランがある。ビールも美味しいし、宇和島のじゃこ天など地のものも大変おいしい。こういう旅行が他の温泉地でもできればいいと思うのである。
(ホテル・パティオ・ドウゴ)
ところで、そういう共同浴場もいいけど、今後は小さなお風呂がたくさんある旅館も欲しい。外国人客はどうしても肌を見せるのを嫌がることが考えられる。それに日本人だって、高齢化していけば、男女別の大浴場ではなく、家族で介護できる風呂が欲しいはずだ。障がいや病気を抱えた人も大浴場には行きにくいだろう。「家族風呂」といえば、カップルで利用できるといった宣伝が多いけど、今でも介護などで利用している人は多いと思う。それに「家族」風呂というけど、一人で利用したっていいはずでである。(もちろん部屋の風呂が温泉になってればそれでいいわけだが。)
「B&B」の宿ばかりではなくて、宿泊を止めて、立ち寄り入浴と食事に特化した宿もあってよい。食事も今までのように宿ごとに作っていては、やがて人手が確保できなくなる。だから、ある宿が食事を作ること専門になればいいのである。宿泊用のスペースを外部のレストランに開放することも可能になる。今まで食事を作ってきた部門を独立させて、美味しい懐石料理専門店にしたらいい。同時にその宿にマクドナルドや日高屋があってもいいではないか。安く食べたい人はそっちを利用すればいい。ある宿には回転寿司があり、他の宿にはステーキ屋がある。自由に選べればいいと思う。そんな中に「ハラル料理専門店」(ムスリム対応の店)があれば、その温泉にイスラム圏の客も行くだろう。
こうして個人単位で長期滞在できる宿が増えていけば、高齢者だけでなく若者や外国人の長期利用が増えていくと思う。それが新たな需要を生む。何日も滞在するようになれば、文化施設やスポーツ施設がもっと必要になる。新しい動きも出てくる。しかし、僕が言いたいのは、ただ温泉の問題ではない。要するに日本社会を個人単位に行動できるように変えていく必要があるということである。そういう社会は、高齢者や障がい者にやさしい社会であり、外国人を受け入れやすい社会である。そういう風に変えていかないと日本は持たない。僕が言いたいのは、そういう風に日本社会をデザインしていく中で、温泉旅館も考える必要があるということである。日本は大胆に変わっていかざるを得ない。温泉旅館こそ、その最先端になれるだろう。