2023年9月1日は、「関東大震災100年」の日である。この日は「防災の日」になっていて、大規模な防災訓練が行われる日である。この由来を知らない人が半分近いという調査結果が載っていた。なるほど、そんなこともあるだろうと思う。
(NHKの特集ページ画像)
東京の多くの学校は、9月1日が2学期の始業式である。自分が学校に通っていた頃は、始業式、大掃除に続いて、ホームルームで通知表を返したり宿題を提出した頃になると、サイレンが鳴り響いた。「地震が発生しました」と放送があって避難訓練になるのが決まりだった。鞄を持ったまま集合して、そのまま下校となったと思う。今じゃ夏休みを短縮したり、始業式後にすぐ授業を始めたりする学校もあるようで、それでは防災の日の由来も知らない子どもが出て来る。
僕の生徒時代から、「東京ではもうすぐ大地震が起きる」とずっと言われてきた。東京で起きたそれ以前の大地震としては、1855年の「安政江戸地震」が知られている。水戸藩の学者、藤田東湖が圧死した地震である。そこから関東大震災まで約70年。同じ時間差で起きると仮定すれば、20世紀末にも大震災が起きる可能性がある。少し早めに起きる場合もあると考えると、70年代後半頃から危険性が増大するというわけである。
それからすでに半世紀近く経ち、まだ東京を再び襲う大地震が起きていない。結局は「相模トラフ」が原因である関東大震災と直下型地震の安政江戸地震では、起きる原因が違っていたということなんだろう。いつでも大地震が起きる可能性は日本中どこでも否定出来ない。しかし、「何年ごと」と決めつけられる問題じゃないんだろう。
(関東大震災震源地)
自分は教員生活のほとんどを東京東部の中学、高校で勤務してきた。そこは関東大震災で多くの犠牲を出した地域である。火事で何万もの人が亡くなり、同時に朝鮮人、中国人の大規模な虐殺事件が起きた地域でもある。授業では関東大震災ばかり教えるわけにはいかない。だが、やはりきちんとした理解をしておかなくてはと考え、今まで「周年」ごとに行われた集会には出来る限り参加してきた。特に70周年、80周年の時は高校に勤務していたから「日本史」や「現代社会」の授業と直結する課題でもあった。
東日本大震災以前だから、若い世代にはもう東京に大地震が起きたという実感がない。その22年後の「東京大空襲」で再度東京が大規模に破壊されたからだ。そっちの記憶もずいぶん薄れているけれど、まだ「戦争」の方が語り継がれている。マスコミでも取り上げられていたし、教師側からしても「戦争」の方が重大なテーマである。
だから、つい関東大震災は「そんなこともあった」程度で済ませてしまいがちだ。当時の子どもたちの作文など直接的な史料をどう生かすかが大事だと思う。僕が忘れられないのは、「魔法の絨毯」というのはこれかと思ったという感想である。地震直後の縦揺れに驚いたのである。ちょうど昼時だったので大火災となったことも教訓。これは今も全国で生きていると思う。大火災で巻き上げられた紙類が焼けて千葉県側に降り注いだ。「黒い雨」は関東大震災でも降ったのである。
その後の「虐殺事件」をどう認識するか。これはなかなか難しい。男は皆兵役の義務があった時代である。日本は日清、日露、第一次世界大戦と10年おきに戦争をしていた。戦場で「活躍」した「勇士」が町のあちこちにいた。かれらは「在郷軍人会」として組織化されていた。「町を守る気概」にあふれた男たちが「殺人を公認された」と思い込んだのである。
当局も「公認」したわけではないだろう。だから、後に刑事裁判にもなっている。だけど、それらは非常に緩やかな刑罰に終わっている。政府もまとまった調査を行わなかった。今に至るも、何度も野党側や弁護士会などから要求されているにもかかわらず、ちゃんとした調査を行わない。調査を行わないから、「記録がない」などと平気で言っている。(当時植民地だった朝鮮は別にしても、独立国だった中華民国民の虐殺事件に関しては記録が残っている。)
インドネシアで1965年に起きた「9・30事件」では、軍・警察ともに民衆が共産党員を多数虐殺したと言われている。記録映画『アクト・オブ・キリング』を見ると、これも殺人を「公認」されたと思った人々が、国を守るための「愛国」行為として実行したのである。悪いことをしたとは全く思っていない。日本で1923年に起きたことも、それと同様のケースと思われる。
結局、外国人も「同じ人間である」という認識は、それまで生きてきた様々の体験の中で人権感覚が養われているかという問題だろう。単に震災時にデマに惑わされないということではなく、日常の生活の中で「いじめ」「差別」などにいかに対処していくかという問題だと思う。
(NHKの特集ページ画像)
東京の多くの学校は、9月1日が2学期の始業式である。自分が学校に通っていた頃は、始業式、大掃除に続いて、ホームルームで通知表を返したり宿題を提出した頃になると、サイレンが鳴り響いた。「地震が発生しました」と放送があって避難訓練になるのが決まりだった。鞄を持ったまま集合して、そのまま下校となったと思う。今じゃ夏休みを短縮したり、始業式後にすぐ授業を始めたりする学校もあるようで、それでは防災の日の由来も知らない子どもが出て来る。
僕の生徒時代から、「東京ではもうすぐ大地震が起きる」とずっと言われてきた。東京で起きたそれ以前の大地震としては、1855年の「安政江戸地震」が知られている。水戸藩の学者、藤田東湖が圧死した地震である。そこから関東大震災まで約70年。同じ時間差で起きると仮定すれば、20世紀末にも大震災が起きる可能性がある。少し早めに起きる場合もあると考えると、70年代後半頃から危険性が増大するというわけである。
それからすでに半世紀近く経ち、まだ東京を再び襲う大地震が起きていない。結局は「相模トラフ」が原因である関東大震災と直下型地震の安政江戸地震では、起きる原因が違っていたということなんだろう。いつでも大地震が起きる可能性は日本中どこでも否定出来ない。しかし、「何年ごと」と決めつけられる問題じゃないんだろう。
(関東大震災震源地)
自分は教員生活のほとんどを東京東部の中学、高校で勤務してきた。そこは関東大震災で多くの犠牲を出した地域である。火事で何万もの人が亡くなり、同時に朝鮮人、中国人の大規模な虐殺事件が起きた地域でもある。授業では関東大震災ばかり教えるわけにはいかない。だが、やはりきちんとした理解をしておかなくてはと考え、今まで「周年」ごとに行われた集会には出来る限り参加してきた。特に70周年、80周年の時は高校に勤務していたから「日本史」や「現代社会」の授業と直結する課題でもあった。
東日本大震災以前だから、若い世代にはもう東京に大地震が起きたという実感がない。その22年後の「東京大空襲」で再度東京が大規模に破壊されたからだ。そっちの記憶もずいぶん薄れているけれど、まだ「戦争」の方が語り継がれている。マスコミでも取り上げられていたし、教師側からしても「戦争」の方が重大なテーマである。
だから、つい関東大震災は「そんなこともあった」程度で済ませてしまいがちだ。当時の子どもたちの作文など直接的な史料をどう生かすかが大事だと思う。僕が忘れられないのは、「魔法の絨毯」というのはこれかと思ったという感想である。地震直後の縦揺れに驚いたのである。ちょうど昼時だったので大火災となったことも教訓。これは今も全国で生きていると思う。大火災で巻き上げられた紙類が焼けて千葉県側に降り注いだ。「黒い雨」は関東大震災でも降ったのである。
その後の「虐殺事件」をどう認識するか。これはなかなか難しい。男は皆兵役の義務があった時代である。日本は日清、日露、第一次世界大戦と10年おきに戦争をしていた。戦場で「活躍」した「勇士」が町のあちこちにいた。かれらは「在郷軍人会」として組織化されていた。「町を守る気概」にあふれた男たちが「殺人を公認された」と思い込んだのである。
当局も「公認」したわけではないだろう。だから、後に刑事裁判にもなっている。だけど、それらは非常に緩やかな刑罰に終わっている。政府もまとまった調査を行わなかった。今に至るも、何度も野党側や弁護士会などから要求されているにもかかわらず、ちゃんとした調査を行わない。調査を行わないから、「記録がない」などと平気で言っている。(当時植民地だった朝鮮は別にしても、独立国だった中華民国民の虐殺事件に関しては記録が残っている。)
インドネシアで1965年に起きた「9・30事件」では、軍・警察ともに民衆が共産党員を多数虐殺したと言われている。記録映画『アクト・オブ・キリング』を見ると、これも殺人を「公認」されたと思った人々が、国を守るための「愛国」行為として実行したのである。悪いことをしたとは全く思っていない。日本で1923年に起きたことも、それと同様のケースと思われる。
結局、外国人も「同じ人間である」という認識は、それまで生きてきた様々の体験の中で人権感覚が養われているかという問題だろう。単に震災時にデマに惑わされないということではなく、日常の生活の中で「いじめ」「差別」などにいかに対処していくかという問題だと思う。