国際刑事裁判所(ICC=International Criminal Court)が重大な危機に直面している。2024年11月に、ICCはガザ地区の戦闘をめぐってイスラエルのネタニヤフ首相らに戦争犯罪などの疑いで逮捕状を発行した。ハマス指導者の責任も追求しているし、ウクライナをめぐってロシアのプーチン大統領への逮捕状も発行している。しかし、当事国ではない(ICC非加盟国の)アメリカ議会がネタニヤフへの逮捕状に関して反発して、米下院がICCへの制裁法案を1月10日に可決したのである。まだ上院が残っているが、「史上最もイスラエル寄り」を自負するトランプ大統領の就任が近い。新議会は上下両院とも共和党が過半数を獲得しているから、いずれ制裁法案が成立する可能性は高いと覚悟する必要があると思われる。
「国際刑事裁判所」は1998年の国際刑事裁判所ローマ規程に基づき、2002年に設置された国際裁判所である。「個人の国際犯罪」を裁く裁判所で、125か国が参加してオランダのハーグに置かれている。同じくハーグに「国際司法裁判所」(International Court of Justice)もあって、混同する人が多い。こちらは国連の機関で、「国どうし」の争いを担当する。一方の「国際海事裁判所」は国連機関ではなく独立した裁判所で、個人の犯罪を対象としている。
ただし、その対象は「戦争犯罪」「集団殺害犯罪」「人道犯罪」などで、普通に警察が捜査している詐欺、麻薬取引、マネーロンダリングなどは扱わない。それらも国家を越えた犯罪が行われているが、それは国際的な捜査協力で対応可能である。一方、政治指導者が関わっている「戦争犯罪」では、指導者が裁かれずに終わることが多かった。それを許さないという国際的な枠組がICCなのである。そして、2008年にはスーダンのバシル大統領に逮捕状が出された。また2011年にはコートジボワールのバクボ前大統領が実際に拘束された。(2019年に無罪となった。)その他リビア、リベリア、コンゴなども追求されている。
この段階ではアフリカ諸国が捜査対象になることが多かったので、「先進国」も反発しなかった。人道的な新しい試みとして評価する人も多かったが、スーダンのバシル大統領への逮捕状は執行できないままになった。(2019年に失脚し、スーダン国内で裁かれたがICCへの身柄移送は拒否された。)ICCには米、中、ロなど大国が参加せず、実際に中国ではバシル大統領が2015年に訪中した時に歓迎した。ICCは国際警察などの下部機関を持たないので、逮捕状を発行しても実質的効力がないのである。
2022年にロシアがウクライナ侵攻を開始し、戦争犯罪、人道犯罪が指摘された。ICCは捜査を開始し、2023年3月にプーチン大統領の逮捕状を発行した。その後ショイグ前国防相やゲラシモフ参謀総長らへの逮捕状も出ている。プーチン大統領はICC加盟国を訪問すれば逮捕されるはずだが、その後訪問したモンゴルは身柄を拘束しないと約束した。一方、ロシアはICCの赤根所長やカーン検察官に逮捕状を出した。赤根氏のインタビュー(1.1付東京新聞掲載)によると、ロシアはICCにサイバー攻撃を行ったり、スパイをインターンとして送り込もうとした(オランダ政府が拘束)したという。
プーチン大統領を追求している段階では、アメリカはICC加盟国ではないのにICCを称賛したという。しかし、2024年11月にイスラエルのネタニヤフ首相らに逮捕状を発行したら、アメリカの対応は一変した。そして、議会はICCへの制裁法案を検討しているわけである。これはロシアによる制裁とは比べものにならないほど深刻な事態である。ロシアが逮捕状を出しても、ロシアに行かなければ関係ないし、ロシアに財産を凍結されてもロシア内に財産を持ってる人なんかあまりいないだろう。
一方、アメリカの場合、直接アメリカと関係を持たなくても、日本で生きている限り何らかの形で「アメリカ」と縁がある。一番大きいのは、我々の生命線は「銀行」だということだ。給与や年金の振込み、公共料金やクレジットカードなどの引き落としなど、誰でも銀行を使っているだろう。そして、日本の金融機関(だけではなく主要会社)は皆アメリカに支店などを置いている。経済の基盤が「ドル」なんだから、アメリカと無縁で生きていくことは出来ないのである。
そしてアメリカの制裁は多くの場合、アメリカ国内での財産凍結や取引禁止に止まらない。アメリカに行けないだけなら大したことはないが、「アメリカで取引している銀行」もICCと取引していると「二次制裁」を受ける可能性がある。従って、アメリカ企業だけでなく、いわゆる「西側企業」すべてと取引出来なくなる恐れがあるのだ。そうなると、職員への給与支払いも不可能になる。つまり、日本で「反社」認定されたと同様のケースになっちゃうのである。
実際にアフガニスタンでのケースをめぐって、2020年にトランプ大統領命令で、ICCの捜査官と部下に米企業との取引禁止処分がなされたことがあるという。その時はオランダ当局の協力によって、オランダのある銀行だけが取引を続けてくれたという。そういう事態が今度はICCという組織全体に起きる可能性がある。まさに「ICC存亡の危機」である。
日本は赤根智子所長を出している。もともとは元は検事で、2018年に最高検検事兼国際司法協力担当大使から、ICC裁判官に就任した。日本人3人目で、いずれも女性である。2024年3月から所長を務めている。そのこともあるが、日本は「東アジアにおける法の支配」を外交的に主張してきた。今になって「法の支配」を無視することは出来ない。そもそも米中ロなど、ICCに入っていない国が国連安保理常任理事国として「拒否権」を持って好き勝手している事態がおかしい。ここで日本は徹底してICCを擁護しないといけない。(なお、昨年のノーベル平和賞はICCと被団協の共同受賞が望ましかったと思う。)