尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

由比宿と三保の松原ー富士を見に②

2019年12月10日 23時14分17秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 今回の旅行は「温泉以外の旅行」カテゴリーにしたけど、実は泊まった宿は温泉だ。でも草津や伊香保に行くというような「温泉自体が目当て」ではない。目的は「富士山」だけど、富士を見るだけなら冬のいつでもいい。でも今だったのは、もう一つ「桜エビ」があった。別にそんなに大好物でもないのに、日本中でも駿河湾でしか取れない、それも由比(ゆい)港に揚がって、地元には桜エビを食べさせる店がいっぱいある、という話をどこかで聞いて一度行ってみたかったのだ。漁期は4~6、11~12の年2回に制限され、時期にはエビを干すため富士川の河原が真っ赤に染まる。

 時間を検討すると、12時は無理そうだが何とかお昼過ぎには由比には着けそうな感じだ。レンタカーを借り、首都高を抜けて東名道に入る。東名道は久しぶりだが、何とか順調に海老名サービスエリアに着いた。これなら行けると思った途端、リニューアル工事で御殿場まで大渋滞。その間、富士山がすごくよく見えて美しいけど、いくら渋滞中とは言え写真は撮れない。御殿場を越えて流れ始めたが、富士川サービスエリアで13時頃になってしまった。もうここで食べちゃおうかということになって、「富士宮焼きそば」を買って外で食べてしまった。富士山がすごくよく見えて、一番すごかったかもしれない。
   
 写真の1枚目、2枚目は一日目の富士山。3枚目は富士市の工場地帯に向けた。4枚目は2日目の富士川サービスエリアの外の展望台。ここは「ハイウェイオアシス」(高速道のサービスエリアと一般道の「道の駅」の併合施設)の「富士川楽座」になっていて、外に観覧車があった。乗って富士山を見たい気もしたけど、まあパス。外部施設には「戸塚洋二ニュートリノ館」もあったが時間の関係でパス。食べてはしまったが、やはり由比宿を見ていきたいなと思って、カーナビを検索したら「由比港漁業協同組合」が出てきたので指定。後は道案内は任せればいいはずが、ここからカーナビの迷走が始まった。

 富士川に沿って下り、国道1号バイパスに乗る。由比あたりの地名が出てきて港も見える。直売所があったが、カーナビは直進せよと言う。降りろと言っては降りると、今度は進めと言い、一体どこに連れて行く気なんだか。カーナビに従って迷走の挙げ句、もう自分で探すことにして、「由比本陣公園」(下の写真1枚目)に入った。ここには「東海道広重記念館」があるがパス。明治天皇が来た時の「御幸亭」(写真2枚目)も外から見ただけ。お土産やガイドマップを置いてある「交流館」が役に立った。それより真ん前に「正雪紺屋」(しょうせつこうや)がある。江戸幕府に反乱を起こそうとした「由井正雪の乱」の正雪の生家という。今も手ぬぐいなどを売ってるお店だ。(写真の3、4枚目)
   
 由比港で食べるのはもういいやと「薩埵峠」(さったとうげ)を目指すがカーナビに惑わされ降りるべきところを通り過ぎてしまった。もう今日はツイテナイと「三保の松原」を目指すことにした。清水市街を通り過ぎ、これは問題なく到着。「羽衣の松」など人は多いが、そこから富士は見えないのか。海がキレイだが、「三保の松原」世界遺産地区の松並木の中から富士山は見えない。
   
 「羽衣の松」から松並木の散歩道(下の写真3枚目)を15分ぐらい歩くと、景勝の池「鎌が崎」に着く。ここで海辺へ出ると富士山がくっきりと見えてきた。絶景!
  
 翌朝、宿近くの「三保灯台」を見た。日本初の鉄筋コンクリート灯台だとある。
  
 そこから「日本平夢テラス」へ行き、続いて「薩埵峠」へ行ったわけだが、実はその間に一回目に書かなかった「エスパルスドリームプラザ」に寄った。なんだ清水エスパルスの施設かという名前だが、実はここはお土産屋いっぱいの複合娯楽施設。4階には映画館「MOVIX清水」、3階には「ちびまる子ちゃんランド」がある。「清水エスパルス」は、Jリーグ「オリジナル10」の中でただ一つ実業団が母体じゃなかった。エスパルスも「静岡、清水、サッカー」の「パルス」(鼓動)の意味だという。1階のお土産が豊富なうえ、「ラムネ博物館」とか「缶詰市場」とか面白くて飽きない。観光で行ったら絶対寄るべき。

 そして再び由比で降りて、今日こそ桜エビを食べるかと思う。その前に静岡のお土産屋に必ず置いてあって、他では見かけない「ホワイトシップ」印の高級ツナ缶。作っているのは「由比缶詰所」というシンプルな名前の会社だ。直売所があって、土日休業だが隠れた名所だと思う。下の写真のような小さな隠れ家のような地元の人しか知らないような場所だ。これは実は事前に調べていって、わざわざ寄ったがお土産屋より安いと思う。そして「由比桜エビ館」で桜エビかきあげ付きのおそばを食べた。そこはまた鰹節削り工場見学もある。伊豆以西に行ったのは久しぶりで面白いお土産いっぱい。
 
 さて宿泊は「三保園ホテル」という場所で、地域の忘年会がいっぱいで大混雑していた。確かに「源泉掛け流し」の温泉で、それは良かった。だがお風呂は敷石がグラグラするし古い感じ。さらに夕食のビュッフェがとにかく欠品が多く、なかなか追加が出て来ない。後でフロントで苦情を言ってる人がいた。僕もお酒でも飲もうと思ってたんだけど、頼める感じじゃなくて、静岡おでんとカレー(仕方ないから)を食べてさっさと戻った。窓から見ると欧風の部屋がある。後で見ると「スペイン館」とあるが、使ってない感じ。実に謎のホテルだが、これじゃ伊東園に買われてしまいそう。三保の松原に掛け流しの温泉ホテルがあると知ってる人は少ないと思う。残念感が残る宿だなあ。まあお値段では文句を言えないが。
 
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薩埵峠と日本平ー富士を見に①

2019年12月09日 22時53分01秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 12月7日(土)は寒くて震えるような雨が降っていた。8、9は晴れると予報ではなっていたけど、本当だろうか。その両日で旅行する予定なのだ。そうしたらやっぱり8日(日曜日)は素晴らしく晴れ渡った日となった。風もなくて、旅行日和。それも富士山を見に行くというんだから、前日が雨で、かえってキレイになったぐらい。その日は「三保の松原」に泊まって、翌日に日本平薩埵峠に行き由比で食べて帰ってきた。1日目から順番に書くべきだけど、時間の問題もあるので2回に分けて2日目から。
  
 タイトルにもした「薩埵峠」だけど、知らない人は全然読めないだろう。読みは「さった峠」である。山の名前らしいが、元はサンスクリット語で「有情」「衆生」と訳される。または「菩提薩埵」の略とも出てるけど、なんだかよく判らない。ここは昔から「東海道の難所」として有名で、歌川広重「東海道五十三次」の「由比宿」にも描かれた場所で、前から一度来たかった。交通の難所だったため、峠が切り開かれたという。まあ93mほどだが。今は下に東名道、国道1号が通り車が行き交っている。
 
 上の画像最初が広重の浮世絵で、2枚目はスマホで撮影したパノラマ撮影。薩埵峠は行き方が難しい。東海道の由比宿興津宿の間にある峠だが、駅から歩くと判りにくい。車だと興津方面からしか行けなくて、その道は静岡市のホームページに出ている。(事前に調べて置かないと無理。)駐車場に止めて数分歩くと展望台がある。最初の写真の説明板が映っている場所が展望台。途中はミカン畑で「取ると窃盗罪になる」と警告が出ている。帰りは元の道へ戻れと駐車場の係員(?)に指定された。
 
 薩埵峠へ行く前に「日本平」に寄った。実は9日は朝方は富士山に雲が掛かっていた。峠に行く頃に、ようやく雲が晴れたのである。だから朝行った日本平は富士山が中腹以上は見えない。それを承知で行ったのは「日本平夢テラス」へ行きたかったからだ。2018年11月3日に開設された隈研吾設計の施設である。24時間開いている無料施設で、本当は隣に立っているテレビ電波塔がメインらしい。昼間はお店もやっていて、素晴らしい風景を満喫できる。
 
 実際に最初の写真にあるように、富士山は見えなかった。本当は下の説明板にあるような感じで見えるはずなんだけど。ただし、富士山だけでなく、ぐるりと360度展望できて静岡市街、あるいは三保の松原も遠望できる。遠くには南アルプスまでちょっと見える。2階に展望喫茶室があって、煎茶とタルトを頂いている時に少し頂上が晴れてきた。それが2枚目の写真。やっぱり頂上が見えると見えないのは大違い。日本平は昔来て、ロープウェイで久能山東照宮へ行ったけど、全然覚えてない。絶景度抜群の「日本平夢テラス」でお茶するのは、首都圏のカップル・家族連れに今一番オススメのコースだな。クリスマスや正月は大混雑だろうが。
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北関東・花をめぐるバスツァー

2018年04月01日 23時04分56秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 東京ではもう桜も咲き終わって来た感じだが、北関東の方ではちょうど満開。バス旅のパンフを見ていた妻が、自宅そばに集合場所があるツァ-を見つけて、これいいんじゃない? そだねーということで、申し込んだ。他にも日にちがあったが、真ん中の日程にしておけばどこか当たるんじゃないかと思って、値段が少し高かったけど日曜に行くことにした。

 4つの場所を周ったんだけど、一番面白かったお昼過ぎの3番目から。花桃で有名な古河公方公園である。古河(こが)は茨城県の西端で、室町時代後期に、幕府が関東支配のために置いた「鎌倉公方」が分裂した時に、片方の「古河公方」(こがくぼう)が置かれた。そこらへんの歴史は複雑怪奇なので今は省略するが、江戸時代には古河藩主だった土井利勝が桃を領地に植えさせたという。それで1975年開園の公園に桃を植えて名物とした。
   
 ちょうど桜も満開で、バスが駐車場に入るときには桜のトンネルに歓声があがった。でも、中へ入ると赤い桃の花がいっぱい咲いていて、目を奪われる。天気も快晴、人もいっぱい、花見時の賑わいに満ちている。赤い「矢口」という種類が8割を占めるというが、何度見ても不思議なのは「源平」という種類である。白い花の中に、赤い花が交じって咲く。同じ枝どころか、中には同じ花の中に白い花びら、赤い花びらがある。なんでロゼにはならないのか、不思議。
   
 公園内には史跡もあって、まず5代古河公方の足利義氏の墓。駐車場の南には古民家が並び(写真は旧中山家)、その隣に「古河公方館跡」がある。まあ、残ってるものは何もないけど、こうして碑は立っている。関東人は関東の戦国時代を知らない。後北条氏が秀吉に滅ぼされ、代わりに家康がやってきて、それ以前はよほど歴史に関心がある人以外には忘れられてしまった。信長や秀吉の合戦には詳しいのに、地元の戦国合戦を知らないのはどうなんだと最近思うようになって関東の歴史を読み始めた。その意味でも面白いところだった。

 次が最後の場所、埼玉県幸手(さって)市の権現堂桜堤。全国的にはまだ知名度が低いかもしれないが、関東では最近上野公園や千鳥ヶ淵並みに知名度が上がってきた。日曜だから混むと思ったけど、ものすごい渋滞で参った。それまでは順調だったのだが、完全に車が止まった。まあ寝てるかと思ってウトウトしたら30分ぐらい眠ったようだ。起きた時、まだバスは100mぐらいしか進んでなかったのでガッカリ。ここは桜並木が素晴らしいが、同時に菜の花が見事。
  
 菜の花を見てると桜がボケてしまうが、桜並木がどこまでも続くのも素晴らしい。桜並木に入ると中には屋台がいっぱい。上野公園をもっと大規模にしたような繁盛ぶりに驚いた。ヤギさんを飼ってるのも面白い。いやあ、これが評判の権現堂桜かと満足できたけど、権現堂はない。
   
 さて、朝にもどってまずは栃木県栃木市の太平山(おおひらさん)。ここはアジサイも有名で大昔に行ったことがある。桜も有名だそうで、駐車場へ登ってゆくときの「桜のトンネル」はちょうど見ごろで素晴らしかった。だけど「車窓見学」で写真はない。駐車場からお土産屋まで歩くと下がよく見える。神社に上がってみるが桜はないじゃないか。桜の満開は道の途中の車窓見学だったのが残念。名物とされるのが団子・焼鳥・卵焼きだそうで、お団子を少し買って帰る。
  
 次は栃木県佐野市の三毳山(みかもやま)公園。カタクリで有名だ。万葉集にも出てくるという山で、なんだか山の中にカタクリ群生地があるのかと思ってた。そうしたら大規模に開発された公園になっていて、道の駅もある。だがカタクリ を見に行くためには、300段ぐらい登る必要がある。案外大変だった。ここは前から知っていて一度行きたかった。でも今日はもうほとんど残ってなかった。カタクリが満開だったら、桜は五分ぐらいだろうから仕方ない。カタクリは昔奥多摩の御前山の山頂で大群生を見たから、まあいいかとしよう。 
  
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館林うどんツァー参加記

2017年05月28日 20時46分07秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 群馬県館林市は、家の墓があるところで小さいころから何度も行っている。最近は「猛暑」の町として関東地方のニュースにはよく出てきて、最近も全国で今年初の猛暑日(35度以上)を記録した。昔から「うどん」の町で知られていて、その館林に麦をめぐる日帰り旅行プランに参加してみた。

 館林のうどん名店としては「館林うどん」があるのだが、最近は「花山うどん」の五代目が頑張って東京に店を出して大繁盛だという。ホームページを見ると、歌舞伎座の真裏あたりで名物の「鬼ひもかわ」を中心に頑張っている。(検索しようと、「はなや」と打ち込んだだけで、「華屋与兵衛」(外食チェーン)や「花やしき」(浅草の遊園地)を超えて、検索予測の1位に出てきたんで驚いた。)

 製粉ミュージアムや正田醤油記念館を先に見たんだけど、その話は後に回して、最初にお昼に食べた3種のうどん。下の写真で上に載ってる、超幅広のうどんが「鬼ひもかわ」である。一度途絶えていた製法を五代目が復活させて、今や麺グランプリなんかで大評判らしい。凄い存在感なんだけど、このあまりの太さは箸で持ちにくい。その下のピンク色の麺は、館林うどんの「さくらうどん」、もう一つ「まるなかうどん」の手打ち。これがとてもうまい。つゆは普通のもりつゆと温かい肉汁。天ぷら付き。

 そのあとで、同じ会場で「うどん打ち」体験と「利き醤油」。うどん打ちと言っても、粉から練っていては間に合わないから、その過程は終わっている。練って寝かせたうどん玉があって、それを打ち粉をまぶしながら薄くなるまで伸ばして、三段に折りたたんで切る。麺が好きなくせに自分で打とうと思わないんだけど、案外面白かった。「利き醤油」というのは、一度にうどんができないから、半分の人は豆腐に各種正田醤油をかけて食べ比べ。カレーとかハーブ、タイ風などの「正油」(と書いてある)もあって、これがおいしい。やってる間は撮ることも忘れているので、写真はなし。

 この日は東武線の特急「りょうもう」に北千住から乗り、館林へ。駅長と館林のゆるキャラ「ぽんちゃん」が出迎え。そのあと、西口真ん前の「製粉ミュージアム」へ。誰でも名前を知ってる日清製粉は、もともと明治にできた「館林製粉」だった。その日清製粉が作った博物館だけど、世界的にも珍しいという。小麦粉から作られたものは毎日のように食べているけど、「」については案外知らない。そういうことを教えてくれるミュージアムである。まあ機械についての細かい説明は今省くけど。
    
 本館にある機械展示も面白いけど、やっぱり見どころは1910年に建てられ事務所として作られてきた「本館」のレトロ感だ。製粉所を開いた正田貞一郎(1870~1961)の肖像もあれば、会社を継いだ三男の正田英三郎夫妻の肖像もある。(今の皇后の父母にあたる。)英三郎の使っていた机といすもあり、椅子に座ることもできる。小さいけど興味深い場所だった。
   
 外へ出ると日本庭園もあって、なかなか奇麗で雰囲気がいい。レトロ感あふれる建物は写真映りがいいので、とてもいい場所だと思う。外の写真を何枚か。
  
そこから歩いて数分、正田醤油の本社と正田記念館がある。記念館は予約すれば平日に見られるというけど、本社はなかなか見られない。記念館はよくある会社の資料館なんだけど、日清製粉の正田家との関係系図が最初に出ている。要するに貞一郎の本家筋にあたるということである。貞一郎は明治初期に正田醤油に勤務して、それまでの大福帳を複式簿記に変更した。その大福帳と最初の簿記が展示されている。両者が置いてあるのは案外珍しいんじゃないか。
 (正田記念館)
 それより面白かったのは本社で、昔の蔵があるからそれを利用しようという一階建ての本社というアイディア。中の開放感あふれるムードにビックリする。醤油を醸造する樽は大胆に切って、商談もできるスペースに。写真の2枚目が本社内部で、3、4枚目が樽スペース。ところで別棟に行くとホールもあり、ギャラリーまであった。そこにはアンディ・ウォーホルを中心にジャスパー・ジョーンズ、サム・フランシス、リキテンシュタイン、ジャクソン・ポロックなんかの絵がかかっていた。ところで、本社に商品がズラッとおいていあるんだけど、その中にタバスコがある。正田醤油と何の関係があるのかと思って聞いてみると、日本での輸入元なんだそうだ。丸亀製麺は正田醤油を使っているという話。
   
 そこからバスに乗って、多々良沼近くの農園へ。いちご狩りをしているところだけど、麦も作っている。今まさに麦秋(ばくしゅう)を迎えている。もう小津の映画の題名でしか接しないような言葉だけど、北関東一帯には麦作地帯が多い。そこへ行って、麦穂摘み体験という趣向である。下の一枚目の写真を拡大して見ると、近くはまだ青いけど、遠くの方が黄色になっている。それは種類が違うからで、向うの黄色いのは大麦で、ビール用。近くのまだ青いのが小麦で、うどん用という話だった。穂を見ても全く違うし、うまく言えないけど、小麦は外へはじけるようで、大麦は平べったく並んでいる。2.3枚目は小麦で、最後が大麦。まあ、よく判らないと思うけど。
   
 これで見学が終わり、最初に戻る。最後の最後に「ぽんぽこ」という物産館で買い物。ここに正田の「カレー正油」があったので買ってみた。これはとてもいいと思う。サラダなんかに掛ければ、それだけで味付けになるし、チャーハンなんかにも合いそう。ネット通販では買えるらしいけど、全国に受けると思うけどなあ。タバスコと一緒に売ればいいのに。ところで、東京は27度というから猛暑を覚悟して行ったら、なんだ涼しいではないか。よくニュースでに出てくる駅前の気温表示板は、夕方には21度だった。昨日作ったうどんは先ほど食べたけど、大変おいしかった。でも一人で打った分を二人でも食べきれない、明日は焼うどんで。銀座の花山うどんにも、今度は行ってみよう。
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ハワイアンズ及び白水阿弥陀堂&塩屋埼灯台

2016年06月02日 00時09分49秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 31日から一泊でスパリゾート・ハワイアンズの「ホテル・ハワイアンズ」に行ってきた。なんで突然ハワイアンズかと思われるだろうが、なんと昨年末の福引の景品である。あんなもの、ホントに当たるのかと思っているだろうが、ホントに当たることがあるのだ。引いたのは僕じゃないけど。家族が引いたのだが、7月初めまでの平日のチケットだから、そろそろ使わないとムダになってしまう。

 実は20年ぐらい前に年末旅行で夫婦で行ったことがある。その時点で小さな子供のいない人には向かないなあと思った。こういう機会でもなければ、また行くこともなかったと思う。前に行った後で、映画「フラガール」が作られ、そして「3・11」があった。そして、今は新しい施設もでき、夕食もビュッフェ方式になっている。(前は大広間で食べたから、その時点ですでに「古い」感じが否めなかった。

 各地から無料送迎バスが出ていて、それも便利である。東京の各地(及び横浜、埼玉、千葉、仙台)なんとホテルまで無料で行ってくれるんだから、すごい太っ腹。今回はそれを利用。朝10時に出て、13時には着いてしまう。もうチェックインできて、部屋にも入れる。そして、13時30分からはお昼のフランダンスショー。まあ、一回ぐらい見てみないとと思って、これに行った。まあ、いいんじゃないですか。そして、しばらく休んで、お風呂。案外「温泉力」を見逃しているが、源泉かけ流しの硫黄泉で、ハワイアンズというか「いわき湯本温泉」の底力である。さらに「江戸情話 与市」なるギネスに載った世界最大の露天風呂ができた。これが確かに素晴らしい。写真が撮れないのが残念。フラガールの「追っかけ」もいるらしいけど、ホテル内で一切写真は撮らなかったので、載せられない。

 夕食が早くて、17時半から19時というので大変。後で夜のダンスショーがあるからか。朝も夜もビュッフェ形式だけど、こういうのも飽きた(慣れた)感もあり、何でもかんでも取ってきて過食を悔いるという愚はだんだん犯さなくなってきたと思う。それもこれも、今はサラダがかなり出ているようになったから。昔は千切りキャベツやプチトマトぐらいしか出てなかったけど、今は生野菜の他に様々なサラダやドレッシングが並ぶようになった。それをいっぱい取ってきて、最初に食べるというやり方、これは「試してガッテン」お勧めのやり方だが、これが効果的なんじゃないかと思う。

 夜はバレーボール(男子の五輪世界最終予選)を見てたら眠くなってしまってショーには行かず。風呂も部屋で入るが、部屋のお風呂も温泉で気持ちいい。さて、一応水着は持って行ったんだけど、まあもうプールもいいだろうと思って、翌日はホテルと提携したレンタカーを借りて周辺観光。まず、国宝の白水阿弥陀堂。東北地方に国宝建築物は少ない。(他は平泉の中尊寺金色堂、松島の瑞巌寺、羽黒山五重塔ともう一つ仙台の大崎八幡神社。)前にも訪ねたのだが、その時は冬休みで見られなかった。今回はまずそこを見た。阿弥陀堂の前に広がる浄土庭園が素晴らしく、実に気持ちがいい。
    
 これは1160年に建てられたもので、奥州藤原氏の清衡の娘がこの地の岩城大夫則道に嫁ぎ、夫亡き後に建てたものである。都では平清盛が勢力を持ち始める時期に、遠い東北で浄土信仰の素晴らしいお堂が作られたのである。「白水」は「平泉」の「泉」を上下に分解したもの。
   
 池泉式の美しい庭園は阿弥陀堂の前に広がっているが、阿弥陀堂を遠くに見通す2枚の写真を。判らないと思うけど、拡大すれば向こうにお堂が見える。緑濃い季節には対岸からはよく見えない。なお、モミジがいっぱいあったから、秋はさぞすごいことだと思う。亀や鯉もいっぱいいたけれど、鳥の写真を撮ったので。前者はくちばしが黄色いので、マガモ。小さなカルガモをいじめて追い回していた。後者はカワウだと思う。(ウミウとの区別が難しい。)ホテルの部屋ではホトトギスの声も聞こえたし、まあものすごく珍しい鳥でもないけれど、やはり自然に恵まれている。

 そこから、塩屋埼灯台へ行く。ここも前に来たけど、すっかり忘れている。灯台は大好き。世界の端にたって、人々に道しるべを指し示している。孤独だが、偉大な存在。だから、日本中のあっちこっちの灯台に行っている。近くに行くと、つい寄りたくなってしまう。
   
 晴れてたから素晴らしいな。海と空と灯台。なんだけど、灯台までの道を上るのがかなり大変。そして、そこからさらに灯台本体に登れる。200円。まあ行くかと103段のらせん階段を延々と登る。ところが、風が強すぎて、せっかく登ったのに外に出られない。いや、出ている人もいるから、わが夫婦がそういう高いところが苦手なんである。それにしても風が強かった。

 ここは木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾年月」のモデル夫妻がいた灯台で、登り口に碑が立っている。作詞作曲は木下忠司で、今フィルムセンターで生誕百年記念特集をやっている。僕はこの映画を何十年も前に見たが、再見はしていない。そして、ここにも東日本大震災の被害があった。灯台は高いからそこまで津波は来ないけど、揺れでずいぶん壊れたことが、資料室にある写真で判る。ちょっと載せておく。最後に映画の碑の写真。ついでにてっぺんで撮った写真も。
   
 それから小名浜でお昼を食べて、何とかギリギリで戻る。帰りに早く着いたらホテルでお土産を買おうと思ってたら、時間がなくなってしまった。
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恵山ドライブ-函館旅行④

2015年10月14日 00時15分51秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 3日目はレンタカーで恵山にドライブ。今回はなぜか同じホテルが三連泊で取れなかったので、荷物運びもあって車を借りることにして、郊外へ。9月末には爆弾低気圧が来て、帰った後には台風の影響で大風が吹いた。その合間に晴れ上がった日が続き、ドライブ日和である。北海道の南に突き出た半島は「渡島(おしま)半島」というが、さらにその半島の南西を松前半島、南東を亀田半島と言っている。恵山(えさん)は、その亀田半島の最先端にある火山で道立自然公園になっている。恵山岬と尻屋崎(下北半島)を結ぶ線が、津軽海峡と太平洋を分ける線だと言う。津軽海峡は日本海に属することになっていて、恵山はちょうど太平洋と日本海を分ける山と言える。

 温泉もあって一度は行ってみたいところだったんだけど、旅行ガイドに出ていない。何でかなあ、どんなところかなあと思い、行ってみることにした。最初に立待岬に寄ってから、海沿いの道をひたすら東へ真っ直ぐ進む。とても気持ちのいいドライブ。車も少ない。最初に目指すのは「道の駅 なとわ・えさん」である。「なとわ」って、何?アイヌ語かなと思うと、なんと「あなたとわたし」を意味するこの地方の方言だとあった。ここには昆布や海苔のお土産がいっぱいあって、そのことはまた後で触れる。

 突端の恵山岬に行くには、山を越してはいけない。山を大回りしないといけないが、とりあえずは山をひたすら登る。つつじ公園や温泉旅館を通り越し、「火口原駐車場」まで車で入れる。もう硫黄臭でいっぱい。今回は登る気で来てないからちょっと散歩するぐらいだが、「賽の河原」に噴気が上がっている様子がよく見える。よく晴れていて気持ちがいい。登り1時間ほどの618mの低山である。だけど、海風の影響と火山活動により、低山ながら高山植物が見られ、独特な植生をしている。
  
 初夏の頃にはツツジが咲き誇るというので、一度登ってみたい山だ。この程度の高度なら、これからでも登れると思う。反対側を見ると湿原風の草原が広がり、海向山(かいこうざん)に向かうコースもある。こっちもいい感じ。道にはフンがいっぱい。これはエゾシカかな。
 
 途中に旅館が二つある。恵山温泉旅館と石田旅館。どっちも掛け流しの恵山温泉に入れるはずなんだけど、なんだか人がいないし、案内もない。どうも平日の立ち寄り湯は夕方かららしい。そう言えば、昔90年代によく北海道に行ってた頃「恵山モンテローザ」というホテルがあったけど、それはどうなってるんだろうなあ。と思いつつ、帰ってから検索してみたら、そのホテルこそ「バブル遺産」として有名な「廃墟」になってると言う。そう言えば、来る途中で巨大な「黄金観音」を見たんだけど、何だろうと思いながら通り過ぎてしまった。それも、そのホテル開発の一環だったのかと思う。今度来たら、是非「廃墟探検」もしてみたいな。さて、山を越える道路はないので、来た道を戻って西回りの国道へ。海へ出たら、ひたすら先を目指す。「ホテル恵風(けいぶ)」で立ち寄り湯と昼食。
 
 温泉は「とどぽっくる」という施設が出来ていて、広いんだけどお昼で誰もいない。けっこう食事客はいたんだけど。ジャグジーやサウナもあって、中は塩素臭がするけど、高温湯と露天風呂が源泉のままだという。でも、高温は入れません。露天風呂は良かった。(今ホームページで見ると、すべて掛け流し・循環併用で、宿泊者専用浴場のみ掛け流しとある。)ところで、源泉は二つあって、恵山岬温泉と水無温泉と書いてある。この「水無温泉」は、岬の先にある「水無海浜温泉」と同じ。これは温泉好きには有名なところで、一日に数時間しか入れない、海の中にある温泉である。そういうところは屋久島の平内海中温泉や式根島(伊豆諸島)の地鉈温泉と同じ。僕はどこも入ってないけど、今回の「水無海浜温泉」もちょうど適する時間帯が朝4時から7時という時期だから、入れない。もう海水になっていて、温泉ではなく海水浴になってしまう。下の写真の石で囲んだところで、上に脱衣所がある。
  
 小さなかわいい灯台があって、中には入れないけど、これもとてもいい。ここが恵山岬とある。灯台資料館もあったけど、入らなかった。
  
 さて、恵山のあたりは昔は恵山町だった。2004年12月に広域合併して函館市になっているので、今回は函館市しか行ってない。函館から見て恵山の裏にあたる水無海浜温泉のあたりは、合併までは「椴法華村」だった。読み方は「とどほっけ」。難読の地名である。この地域は津軽海峡の暖流と太平洋の還流が混じり合う海域で、その恵みが素晴らしい昆布を生むという。そこで採れた昆布が「おとひめこんぶ」という昆布で、北海道プラザなんかに売ってるから家でも食べていた。でも、昆布と言えば日高とか利尻だから、「椴法華」なんていう謎めいた地名も北の方にある感じがする。だけど、実は函館市だったとは。こうして、道の駅に昆布や海苔がいっぱいあった理由が判る。他に物産館みたいなところもなく、そこで買うのがいい。帰り道はその椴法華の地帯を通り過ぎていく。昆布採りの寒村のような地帯がずっと続いていた。そこを通りすぎ、隣の旧南茅部町に入り、道の駅で休むと、そこに「縄文文化交流センター」がある。道の駅の名前も「縄文ロマン 南かやべ」という。ここに北海道唯一の国宝があるのである。それが中空土偶で、中空というのは中が空いているという意味。ヒスイなども出土しているが、それはもちろん糸魚川産で、縄文時代には津軽海峡を越えた濃密な交流があった。

*なお、恵山は常時観測対象の活火山で、噴火の恐れが皆無ではない。御嶽山のように噴火することもありうると函館市のホームページに出ている。だから、あまり宣伝しないのかもしれない。
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五島軒とカール・レイモン-函館旅行③

2015年10月13日 00時03分08秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 どこで食べるか。一泊2食付の旅館泊だと考える必要がない。でも、街中のホテルの食事なしプランだから、食べに行かないといけない。それが魅力なんだけど。一度は行ってみたいなあというレストランは昔からあった。有名な洋食レストランの「五島軒」である。カレーのレトルトがスーパーなんかにも置いてある。スイーツ&デリカショップの案内映像に「五島軒と言えばカレー屋だと思っている人もいるでしょうが…」と自分で言っていた。函館に「レストラン雪河亭」があるのはガイドなどに出ている。どんなところだろう。フランス料理中心で、ドレスコードがあったりしたら困るけど…、ホームページを見ると千円以下のカレーメニューも出てるから大丈夫なんだろう。

 まあ、考えていても始まらない。場所はホテルからも近く、市電の「十字街」停留所からロープウェイ乗り場に向って坂道を少し登ったところ。すぐ判る。入りにくい雰囲気ではない。観光客だけでなく、地元の家族連れが気軽に食べに来ているようだった。カレーで有名という意味でも、新宿中村屋みたいな気取らない町のレストランという感じである。ということで、入ってみると結構いい雰囲気のテーブルに案内された。「函館エゾシカカレー」1200円というのがホームページに出てたから、そこらへんにしようかと思っていたのだが、ついついホームページに出ていない「伝承のロシア料理セット」2200円を頼んでしまった。とっても美味しそうだったので。
   
 まずはボルシチ。これが絶妙の味だった。とても美味しい。付いているのは「ピロシキ」だけど、揚げてない普通のパンに肉のミンチが入っている。ピロシキというのは「ロシア風揚げパン」だと思い込んでいたが、こういうのもあるのか。次は「サーモンとキノコのクリーム煮」(肉か魚か選べる)。サラダはビーツ。デザートに出たのは「クワード」というロシアケーキで、これがまた良かった。これにロシアンティー(イチゴジャムを入れる紅茶。コーヒーも選べる)が出て終わり。いや、思った以上の満足。

 明治初期に、埼玉出身の若山惣太郎と五島列島出身の五島英吉のふたりが、函館で出会ってパンや洋食の店を出した。明治19年にフランス帰りのシェフを雇ってフランス料理店とした。130年以上続いている。五島英吉という人は、本名が宗近治と言う五島藩の武士で、五稜郭で戦って敗れハリストス正教会に匿われたとある。「五島軒」というのは、長崎の五島列島から来ていたとは知らなかった。中興の祖と言われるのが、二代目の若山徳次郎で、帝国ホテルで修業の後、二代目を継いで終生厨房にたった。フランス料理やカレーを大正期に完成させたのも若山徳次郎である。というようなことは、「五島軒歴史散歩」という紙に書いてある。机に敷いてあって、読みながら待つのである。

 ここは奥が深く、レストランは新しいが、隣接して昔の建物が建っている。国登録の有形文化財で、昭和9年の函館大火で焼けた後、翌年に建て直したものだと言う。設計は亀井勝次郎で、この人は文芸評論家の亀井勝一郎の弟。古い建物に入っていくと、売店やメモリアルホール「蘆火野」(あしびの)があり、さらに2階があって個室利用ができるようで、様々なグループが使っていた。「蘆火野」というのは、作家船山馨(ふなやま・かおる)の作品で、五島軒が出てくるという。映像化、舞台化もされたと言うが、今では船山馨という名前も知らないだろう。この売店ではカレーのレトルト以上に、各種のケーキ、デザート類が多い。これも中村屋と同じで、まず美味しいお菓子屋さんである。とても良かったので、次の日もロープウェイから降りた後、また行ってしまった。手ごろなカレーでもと思いつつ、つい「明治の洋食&カレーセット」を頼んでしまった。まあ、これは普通かな。
   
 もう一つ、ぜひ行きたかったのが、「函館カール・レイモン」。これはソーセージやハムの店で、ドイツ人のカール・レイモンが大正時代に来日し、故郷の味を日本に伝えた。元町のロープウェイ乗り場やカトリック教会なんかに近く、もう20数年前に函館に行ったときにガイドを見て食べに行った。ものすごく美味しかったので、北海道のアンテナショップなんかにあると時々買って来る。だから、是非また行きたいなあと思って、今回も2日目に行ってみた。ホットドッグソーセージ盛り合わせしかないから、本格的な食事の場所ではないが、一度は食べたい場所。
 
 ところで、食べて帰ってしまうお客が多いようだったけど、是非2階の「カール・レイモン歴史展示館」も見ていくべきだ。カール・レイモンさんは、1894年に今のチェコのカルルスバードで生まれ、食肉加工を学び、ヨーロッパ各地やアメリカで修業した。帰国途中に日本に立ち寄り、旅館の娘だった勝田コウさんと愛し合い、国際結婚を認められずに、示し合わせて上海に駆け落ち。生家に戻って店を出すが、1924年に函館に戻って正式に結婚、函館駅前にハム店を出した。これだけで波乱万丈なんだけど、その後も満洲に行ったり、戦時中は工場を没収されたり…。戦後になって製造を再開し、添加物の少ない本物の味を日本に伝え、ドイツ政府や日本政府からも勲章を得た。1987年に死去したが、晩年は世界平和や欧州統合を願い、EUの旗をデザインしたという。死後の2004年に、チェコのカルロビバリ市の名誉賞を「欧州統合」への功労で受賞した。動物好きで、子どものために自宅裏に動物園まで作ってしまい、ライオンを飼ったり、晩年もカラスにエサやりしていた。すごい人がいたもんだと改めて感心してしまったです。じっくりと世界平和を願って味わいたいソーセージ。店の前に銅像あり。
  
 多くの人には「海鮮丼」が目当てかもしれない。僕はイクラやウニが苦手なので、まあ市場に食べに行かなくてもいいかなと思う。でも、好きな人にはたまらないような各種どんぶりがズラッとそろっている。ホテルの朝食でも海鮮丼を作れるところがあり、函館グランドホテルは1600円するけど、一日は「海鮮勝手丼」を作って食べた。イクラ、イカソーメン、まぐろ、サーモン、ねぎとろなんかがあった。もちろん、パンや普通のご飯もあるし、各種の惣菜もあるから、まあそのぐらいの値段分はある。でも、毎日ではお金もボリュームも大変なので、3日目は真前のコンビニで買って粗食デイとした。他にも、函館人の「ソウルフード」だというハンバーガーチェーン(だけど、カレーやパスタも出すらしい」「ラッキーピエロ」というのもあった。全くガイドには出ていないが、そういう地元では誰でも知っているところがあるわけだ。「函館塩ラーメン」というのも最近は有名らしいし、「函館ビール館」もある。また行って、いろいろ食べたいなあ。
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ロマンと哀愁-函館旅行②

2015年10月12日 00時01分45秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 函館の旅、2日目。函館は主要な観光地を路面電車(市電)で回れる。そのレトロな感じが好ましい。市電の一日乗車券(600円)は3回乗れば元が取れる。ホテルで朝食を食べて、まずは駅前の朝市へ。話には聞いていたが、中国人観光客でいっぱいで、顔で判別できないから、店側では軒並み中国人と見て声を掛けてくる。非常に広いので、回るだけでも大変だけど、海産物のお土産をいくつか買った。名物の海鮮丼も、さまざまな店がズラッと並んでいて壮観。

 そこから、市電で「五稜郭公園」に行く。駅や港の方ではなく、五稜郭一帯が一番の繁華街だった。地元の人々の歓楽街で、デパートや飲食店が立ち並んでいた。「五稜郭タワー」の入場券が旅行にセットされたので一応行ったけど、今回はタワーに上っただけ。20数年前に来たときに、五稜郭の中も歩いている。中にいても形は判らず、タワーで上から見ないと形は実感できない。以前は、函館と言えば戊申戦争終結の地という印象が自分にはあった。そして、榎本武揚らの旧幕軍にもシンパシーがあった。今も、函館では土方歳三らの「男のロマン」を観光資源にしている気がする。だけど、僕はもうそれほど入れ込めない。勝つ可能性など皆無だったのだから。(写真最後は朝市)
   
 函館は長いこと北海道最大の都市だった。調べてみると、1940年に札幌に抜かれて2位となった。60年代初期に旭川に抜かれて、その後は道内3位となっている。(1922年に道内で6市が誕生し、他に小樽、室蘭、釧路が市制を敷いた。)昔は北海道に来る人は、必ず函館を経由していた訳だから、栄えていたわけである。だから、「北海道初の○○」といったものが多い。「近代化遺産」の宝庫である。大体、港町はモダンな近代化遺産が残されていることが多いが、北海道の港町はその後の経済的苦境もあって、さびれた風情も漂わせている。函館は最初の開港地であり、啄木など多くの文学者が寄留した町で、モダニズムを基調としながら、今では港町の哀愁を感じさせる町でもある。

 五稜郭公園の脇に六花亭が店を出しているので、ここで休んでホットケーキを食べる。さすがに美味しいんだけど、季節ものの栗きんとんが案外期待外れだった。いったんホテルへ帰って、夕方以降の服装に変えて再度出かける。カール・レーモンで食べた話は次回に回して、元町公園あたりを散策。何と言っても重要文化財の「旧函館区公会堂」が壮大なレトロモダンですごい。大火後の1910年に建てられた。「ハイカラ衣装館」があって、ドレスアップした西洋のお姫様のような女性が闊歩している。
    
 外も素晴らしいが、2回の大広間にはちょっと呆れた。階段を上っていくと、ベルサイユかエルミタージュかというと、いくら何でも大げさだけど、広々とした空間が広がる。こんなものを作って、舞踏会でもしたんだろうか。バルコニーからの港の景観も素晴らしい。まあ、壮大ともキッチュとも感じるけど、これほどの洋館は見たことがない。不思議な所である。
    
 函館の坂道は素晴らしい。傾斜の先に海があり、物語や映画の舞台にしたくなる。夜景もいいけど、うまく取れなかった。ちょうどナナカマドが見頃だった。市電に乗って終点の「函館どっく前」まで行く。函館山の夜景まで時間があるので、函館市街地のはずれにある「外国人墓地」の方まで歩いてみる。停留所から少し行くと、もう町はずれの感じが漂う。西部劇の舞台かなんかみたいな感じ。高龍寺というお寺もあって、文化財もあるようだったけど、小さな虫が飛び交っていて、蚊ではないから刺しては来ないようだったけど、とても近づく気がしない。ずっと坂を上ると、海に面した墓地が現れてきた。
    
 非常にいい感じではあるけど、やはり墓地なんだから、異国に眠る外国人の境涯を想像して、ロマンと哀愁に浸ることになる。ここまで来るのは大変だけど(坂道を相当登る)、来てみてよかった。夕陽を見られるカフェもあったけど、その休みたい気分のお金をタクシーに回して、ロープウェイ乗り場へ向かうことにした。翌日は車を借りて郊外へ行ったけど、その前にちょうど外国人墓地と反対側の「立待岬」に行ってみた。途中に啄木一族の墓があるが、うまく停まれない。ここも突端という感じがいいんだけど、案外北上半島や津軽半島が目の前にあるんだなあと感じた。海がきれい。
  
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やっぱりステキな函館の夜景-函館旅行①

2015年10月10日 23時55分48秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 10月4日から7日にかけて、北海道の旅行券を利用して超格安の函館旅行に行ってきた。その時の記録を数回にわたって書いておきたい。北海道は10年以上行ってないけど、1990年代には毎年のように行っていた時期がある。夏休みを利用した山や秘湯の旅なので、かなり長い。全部で10回以上は行っているので、住んでた地域は除いて、一番宿泊した都道府県かもしれない。だけど、車で山奥に行っちゃうことが多くて、街は案外行ってない。そんなに行ってるのに、未だ札幌時計台を見てない。

 函館は、1988年に少し行っている。この年は大雪山の黒岳からトムラウシを縦走するテント泊5日の山行の後で、洞爺湖温泉と湯の川温泉(函館)に泊って帰った。この時は疲れすぎていて、旅館から函館夜景見学バスが出ていたけどパスしてしまった。その後、下北半島の大間からフェリーで函館に行った年もあるけど、その時は函館を通過して大沼に2泊した。だから、函館の街とその周辺は、一度はきちんと行きたいところとしてずっとリストアップしてあった。

 羽田出発は13時40分で、到着は15時。やはり安いツァ-だけのことはある。シャトルバスの終点の函館グランドホテルに着くのは、もう夕方である。食事は付いていないので、外へ行かないといけない。では、地図を見ながら坂道を上り下り、ホテルは元町地区に近いので、教会のライトアップが見えてくる。その前に、東本願寺の大伽藍があるが、こっちはライトアップしていない。まずはカトリック元町教会。異国風のステキなムードがあって、坂の下には港を望む夜景が見える。やはり函館。
 
 少し行くと、函館ハリストス正教会。ロシア風の様式で、ニコライ堂を思わせるが、裏へ回るとニコライさんの聖像も置かれている。上を見上げると、函館山の頂上が見える。ライトアップはまだ続くのだが、結構寒くて、おなかも空いてきたので、ここらで引き上げて五島軒に食べに行った。
  
 食事の話は別に書くことにして、町を歩くと、十字街に面白い建物がある。「函館市地域交流まちづくりセンター」とあるけど、これは何だと思うと、昔の呉服屋なんだと言う。函館のパンフがいっぱい置いてあるので、寄り道する価値がある。まるで銀座4丁目の和光みたいな建物が残っているのがすごい。ホテルへの帰り道は勘違いして逆方向に行ってしまい、金森レンガ倉庫の夜景を見に行った。夜の町を市電が走る。路面電車が走っている町はいいなあと思わせる風情がある。
  
 さて、次の日は市電一日乗車券を買って市内観光。その話も別に書くことにして、夕方から函館山ロープウェイに乗って夜景見学へ。夜になると混んで場所も取れないという話なので、少し早く行ったのである。ちょうど中国の国慶節の休日にあたり、全国で中国人観光客が多いという話はニュースでいっぱいやっていた。でも函館まで来るのかなあと思っていたら、函館山の半分は中国人だった。朝市も中国人でいっぱいなので、いやあ、すごいもんだと思った。早く行ったのはいいけど、やっぱり寒くなってお土産売り場などで時間をつぶしていたら、もはや中国人団体客で身動き取れない感じだった。そこでロープウェイ頂上駅の左側に陣取ることにした。そこは明るいうちはロープがジャマなんだけど、まあ全景を見渡せる。最初はまだ明るいうちの写真から。
   
 この頃は大体5時半ころ。東京より早く暗くなるだろうからと、この頃から見ていた。確かに両側に海が広がる情景の素晴らしさ。眼下には教会のライトアップ、遠くには五稜郭タワーが見える。上の4枚目の写真には、ロープウェイがまだ全部見えている。5時半を過ぎると、少し暗くなってくる。最後は6時頃で、もう大体暗いと言っていい。でも、まだ普通の民家が暗い時間帯だけど、帰りのロープウェイも混みそうだし、寒くなってきたからもういいかなあと降りてしまった。大したカメラではないから、あまりきれいな写真ではないけど、ほんの30分くらいであっという間に暗くなる感じは判ってもらえるかと思う。確かに見応えがある夜景で、一度は見に行くべき日本の名所なのかなと思った。
    
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日塩もみじラインをゆく

2014年11月05日 00時22分55秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 からだのあちこちが温泉を欲している気がしていたけど、トリュフォー映画祭に行ってたので時間が作れなかった。ようやく出かけてきたのは、「大正村 幸の湯温泉」というところで、値段は安くてお湯がとてもいい。栃木県の北の方、塩原と那須の中間、板室温泉に行く途中に35年ぐらい前に出来た温泉である。もひとつ、このあたりに秋に行くときは、「日塩もみじライン」を通ると、ハズレがなくて素晴らしい紅葉を見られる。紅葉は僕の大好きな日光が有名だけど、あまりにも渋滞がすごくて、混雑していて宿も取りにくい。塩原・那須方面もおススメである。

 最後の方に載せると、見るときに流されがちだから、2日目に見た紅葉の写真を最初に載せておきたい。日塩もじじラインと言うのは、鬼怒川温泉の奥から奥塩原・新湯温泉に通じている有料道路である。一番高い所に「ハンター・マウンテン」、略してハンタマというスキー場があって、夏はユリを見るリフト、秋は紅葉を見るゴンドラが出る。道路の高低差が数百メートルあるので、どこかが紅葉に最適なことが多い。今回はハンタマは寒そうで、(値段も高いし)乗らなかった。そこで食べなかったので、しばらく行った白滝の峠の茶屋で食べたが、そのあたりの紅葉が今の見ごろ。
   
 今の最初の写真のように両側が紅葉という場所はあまりないけど、黄色く映える中を進む道は多い。塩原に出るところに有名な紅葉スポットがあるが、うまく停められなかった。素晴らしいところは多いけど、運転中に撮るわけにも行かないし、前後に車がいることが多く、路肩に駐車もままならない。でも、いいのである。写真が目的ではなく、もみじの中をドライブすることが目的なんだから。
   
 鬼怒川に近いあたりに、「太閤おろしの滝」というのがあった。全然聞いたこともない滝で、見ると大したこともないことが多いんだけど、時々停まって歩くようにしないと身体に悪いから、散歩することにする。ところがこれが結構いい滝で、二段に分かれて滝壺が深くえぐられエメラルド色に輝いていた。流れゆく川の流れも黄葉を映して黄色く見える。駐車場から見た周りの山々の姿もキレイだったなあ。行きと帰りに2枚撮ったので、順番に。
   
 宿を出た後で、真っ直ぐに「もみじライン」に向かうのではなく、宿の奥の方に続く道を「深山ダム」「深山園地」という方に行ってみた。まったく聞いたこともない地元しか知らない観光地だと思うけど、この道も紅葉が凄かった。もっとも目的地の園地に着いたら、寒そうで歩く気にならなかった。前日に「沼ッ原湿原」という場所に向かった時も、着いたら寒くて何と雪が舞っていた。山奥の方から「雪の女王」の支配領域が広がりつつあるのである。ところで、山道の途中で展望が広がり、高原の方まで一望できる場所があった。手前の山は(あんまりキレイではないが)黄葉で、空と遠くの高原と近くの山がパッチワークのように区画されている。素晴らしい感じがしたけど、これが写真ではうまく撮れない。近くに合わせると、遠くがボケる。空に合わせると手前が暗い。まあ、とりあえず載せておくけど。
   
 さて、話を戻して最初の日から。まずは西那須野塩原インターで東北道を下り、千本松牧場に行こうと思うとものすごい混雑で駐車も大変そうなので敬遠。祝日なんだから仕方ない。少し飛ばして、「道の駅 明治の森黒磯」でトイレ休憩。ここは重要文化財の旧青木別邸のあるところ。明治時代に外務大臣を務めた青木周蔵である。前にも載せたことがあるが、気持ちいいところなので。その後、板室温泉を過ぎ「乙女の滝」を見る。滝はともかく、その近くの紅葉が良かったので、川と紅葉を。
   
 沼ッ原湿原に向かったが寒くてすぐ戻り、宿に入る。全館畳敷きでハダシで歩ける(よってスリッパがいらない)。ここは何と言っても、源泉掛け流しのお風呂が有名で、立ち寄り客が多いなあ。お湯はいっぱいあるからいいんだけど。最近、プールみたいなところに綱につかまって入るという「綱の湯」ができた。いや、完全に深くてけっこう大変、浮力があるから綱につかまると浮いてしまう。「歩行浴」にも最適で、これは健康に良さそう。写真は撮れなかったので、宿のサイトで。露天風呂が夜と朝の交代で二つ。露天といっても、そこに3つずつ風呂がある。さらに宿泊者専用の「畳敷き風呂」がある。朝から清掃で、8時半から入った露天(つまり前日は女性用だった方)は、豪快な「滝の湯」がウリである。ここまで強い打たせ湯は見たことがないかもしれない。湯量が多すぎて痛い。
    
 宿はちょうど紅葉の時期で、結構キレイ。客も多いようだった。料金は安くて、料理はそれなりだけど、連泊する場合はこのぐらいでいいだろう。朝食の後で外に出てみたら、玄関に近いピラカンサの木に猿軍団が。なんと10頭以上で、子ザルをいる。皆で実を食べまくっている。猿はよくいるけど、こんなとこは見たことないなあ。カメラを持っていなかったので、あとで露天風呂に行くときにまた見てみたら、まだ食べていたんだけど、カメラを上に上げた瞬間にクモの子を散らすように逃げてしまった。何かカメラにトラウマがあるのか。拡大すると少し見えるけど、大した写真にならなかったので載せない。結構広い「談話室」があったり、なかなか面白い宿だった。(写真最後は宿の前の道)
   
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霞ヶ浦周辺ドライブー帆引船と旧土浦中学校本館

2013年09月17日 23時58分26秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 9月14日に霞ヶ浦の帆曳船予科練平和記念館、それに旧土浦中学校本館を見てきたので、その記録。旧土浦中学校本館は現土浦一高にあり、毎月第2土曜に内部を公開している。帆曳船は今は漁業には使われず、観光用に7月21日から10月中旬の土日祝に出ている。従って両方を見たいと思えば、3回しか合う日がない。8月でも良かったが、当日の気温予想が38度だというので、これは出掛ける日ではないと思った。来月に悪天候だと両方は無理となるので、前からこの日に行きたいと準備していた。

 旧土浦中学本館というのは、重要文化財に指定されている非常に素晴らしい建物である。公開日は土浦一高のサイトに出ているが、外部を見るだけでも行く価値があると思う。1904年(明治37年)に竣工されたゴシック風の建物で、長いこと外国人設計と思われていたという。昭和49年に棟札が発見され、駒杵勤治(1878~1919)という人の設計と判った。東大で辰野金吾(東京駅や日銀本館を設計した人)について学んだ人で、卒業後すぐに土浦中学や大田中学を手掛けた。(後者は常陸太田市の太田一高に現存し重要文化財。)若くして亡くなったが、素晴らしい人がいたものである。
   
 中は古いまま保存されていて、資料館もある。中学時代や土浦一高になっても、甲子園出場経験があるようだ。テレビ番組のロケなどにも利用され、昔の学校に趣を伝える貴重な遺産。教室には木の机がいっぱい並んでいる。校長室は上の方の写真を撮ってみた。廊下も教室も昔風だけど、最後の写真の宿直室も懐かしい。
    
 そこから亀城公園近くの蔵通りで昼食を取り、霞ヶ浦へ。「帆曳船」(ほびきせん)は1880年に考案されたという。元は上層のシラウオ獲り、さらに中層のワカサギ獲りに使われたそうだが、60年代半ばにはトロール船に代わられたとある。今井正監督「米」(1958)というベストワンになった映画があるが、そこでも印象的に使われている。「霞ヶ浦の風物詩」だから、現在も観光用で出ていて、それを遊覧船で見に行くのである。何だと言ういう感じだし、実際に漁業してるわけではないから、帆曳船にいる人もヒマそうである。でも、まあ「風物詩」として一度は見たいなあと思っていた。
    
 遊覧船に乗って10分くらい行くと帆曳船が2隻見えてくる。風をはらんでなかなか美しい。観光ポスターだと背景に筑波山が見えるけど、その日は霞んでいたし、第一いい構図になるようには船が停まってはくれない。どんどん帆曳船をグルグル回るだけである。まあシャッターを切れる程度のスピードで。大体の人はカメラ持参だから。いくら載せてもキリがないが、2回回ってくれるわけではないので、どんどん撮って行くしかない。それで13時半ころ出発で14時10分頃には戻っているんだから案外早い。あっという間に行って帰るだけ。海ではないので潮風ではない。島や奇岩があるわけではないので、ホントに帆曳船を見るだけの遊覧。
    
 時間があったら、近くの「予科練平和記念館」に行きたいと思っていた。ここは古市憲寿誰も戦争を襲えてくれなかった」の中で高評価を受けている記念館である。僕が行ってなかった中の一つ。建物がキューブを積み重ねたようで面白いが、中は写真が撮れないので、外観だけ。
  
 「予科練」は「海軍飛行予科練習生」の略だけど、僕も詳しいことはよく判らない。当時の少年兵の訓練は、1942年公開の「ハワイ・マレー沖海戦」に描かれている。この記念館では土門拳の写真などを使いながら、当時の日常的な訓練の様子を再現していく。「七つボタン」にちなんだ7つの展示室で、少年兵の手紙なども多用し心情に寄り添っている。戦争の目的とかそういう大状況に問題を広げず、少年兵の心情にあえて限定しているところが、なかなかうまいというか、心揺さぶられるところ。やっぱりこういうのには弱い。確かに大状況を見ていないという問題はあると思うが。

 予科練と言えば、「若鷲の歌」である。「決戦の大空へ」という映画の主題歌で、西條八十作詞、古関裕而作曲。この超一流の作った歌だから、僕の世代でもなんとなく知ってる人が多いと思う。
 「若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨  今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でかい希望の 雲が湧く」2番以下は略。

 この歌を知ってるから、霞ヶ浦には戦争の思い出がつきまとうが、一方「予科練」は「今日も飛ぶ飛ぶ」だとうっかり僕も思い込んでいた。でも「予科」であり、14~17歳という少年が本物の飛行機を飛ばせるわけがない。自動車の免許だって取れない。グライダー以外では空を飛ぶことはなかったという。でももちろん卒業したら、飛行練習生となり実際に飛行士となって戦死したものも多い。陸軍には同じ時期に「陸軍少年飛行兵」という制度があったという。それはそうだと思ったけど、少年飛行士は「予科練」との印象が圧倒的に強い。霞ヶ浦近辺には飛行機関連の様々な軍事施設があったが、今はどうなのかはよく知らない。阿見町が作った記念館の近くに雄翔館という予科練出身者が作った施設があるが、今回は暑くて疲れてしまい行かなかった。そちらも見て、初めてこの場の理解ができるのではないかとも思ったんだけど。

 霞ヶ浦は車で1時間半程度だから、家から近いけど、案外知らない。琵琶湖や十和田湖なんかの方がよく知ってた。それではいけないかなと今年になって霞ヶ浦近辺に行く機会を作ってる。関東では重文建築が貴重なので、調べていて土浦中学本館を知った。午前中に土浦中学、午後に帆曳船、予科練記念館というのは、バス旅行にあってもいい、なかなかよく出来た日帰り企画だったなと思ったけど、まだ暑い日だった。翌日以後は台風だったので、この日晴れて良かった。土浦はレンコンが日本一で、レンコン入りのツェッペリンカレーという名物がある。ドライブしてると蓮田がいっぱい目についた。
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ネモフィラと黄門様-茨城旅行②

2013年05月25日 00時25分38秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 1日目は確かに六角堂を見たいということだったのだけど、まあそれだけならもう少し後でもいい。今回はできるだけ5月中旬までには茨城に行きたかった。それは「国営ひたち海浜公園」の「見晴らしの丘」に咲き乱れるネモフィラの花を見たかったのである。今では観光スポットとして超有名になりつつあり、テレビや観光案内などでよく出てくるようになった。これは一度知ると見に行かないではいられないような魅力を感じたのである。でも僕の周辺で聞いた限りでは、まだ「ネモフィラ???」という人がかなりいたけど、ここのネモフィラは一度は見る価値がある。

 さて2日目は月曜日だった。観光施設は休みが多い。そこを調べて、海浜公園と水戸黄門の隠居地・西山荘が今の季節は無休であることを見つけた。では2日目はこれで決まり。と思って出かけたんだけど、午前から雨模様で、午後には本降りとなった。それでは海浜公園に行く意味がない。宿へ行く途中で通ったけど、やはり駐車場はガラ空きだった。そして3日目、天気は回復し、とてもいい。では、まあひたち海浜公園に行ってみましょう。ということで、3つある駐車場(有料しかない)のうち海浜口に停めて、10数分歩く。と、もう最盛期ではないんだけど、まあまだ丘一面に咲き誇る花々。これを見たら行きたくならずにいられないと思う。ネモフィラ自体は、和名ルリカラクサという、北米原産のハゼリソウ科の花である。花言葉は「可憐」「清々しい心」「どこでも成功」だとホームページに出てる。
   
 海浜公園はポピーも見ごろになってるというけど、広いので回り切れなかった。当日も平日なのに、だんだん人が多くなってきた。連休には駐車場に入れないくらい人が来るらしい。鉄道とバスでも行ける。丘に登ると海もよく見える。遊園地もあるし、一日中遊べるところ。でも、まあネモフィラを見て少し歩いて出た。時間を戻して、2日目の話。まずは海浜公園の前に常陸太田の西山荘へ。ここは前に職員旅行で行ったけど、全く忘れてる。徳川光圀が隠居した後に住んだところ。お土産屋の「西山の里桃源」を抜けて行かないといけないので、初めは何だという気もしたが、お土産も充実していたし広々した感じが悪くない。出ると池があり大きな鯉がいっぱい泳いでる。少し歩いて入口があり、そこからまたお庭を歩く。なんだか遠いが、門が出てきて茅葺きの家が見えてきて、ムードが出てくる。ここは19世紀初めに一度火事になり再建された。だから光圀時代のものではない。でも古い建物と庭の木々はとても心に残る。やっぱりとてもいいところ。
   
 水戸藩は幕末の内紛で壊滅状態になり、「尊王攘夷」の先駆けとも言えるのに、人材が払底してしまう。その凄絶な様相は山川菊栄「覚書 幕末の水戸藩」に詳しい。(岩波文庫にある。)また吉村昭氏の「桜田門外ノ変」「天狗騒乱」などのすぐれた歴史小説でも印象深く描かれている。御三家のひとつであるのに、尊王思想の中心地となるというのも不思議と言えば不思議だが、「尊王」と「佐幕」は本来は矛盾しない。天皇に征夷大将軍に任命されてこその幕府政治である。それらは結局、光圀の始めた「大日本史」の編纂に原因があると言っていい。バックボーンにある朱子学の伝統が「水戸学」と呼ばれ、その中から幕末に徳川斉昭という傑物というか迷惑とも言える主君が現れる。水戸藩は歴史上この二人のスターがいるので、間違いやすい。梅で有名な日本三名園・水戸偕楽園は斉昭の造園で、東京のど真ん中にある小石川後楽園は光圀の造園である。
 
 だんだん雨になってくるが、常陸太田でもう一つ。遠くないところに重要文化財指定の佐竹寺がある。関ヶ原後の秋田に移され幕末まで続いた佐竹家という大名がある。元は常陸(ひたち)を領した戦国大名で、さらにその元が大田ということである。今はほとんど観光で訪れる人もいないような状態に見受けられたが、なかなか立派な本堂だった。本堂はいろいろ貼りまくり状態。
   
 お昼はガイドにあった近くの蕎麦屋「そば園 佐竹」。東京でもほとんど知られていないが、茨城県に入ると「常陸秋そば」の旗をあちこちで見つける。蕎麦と言えば、長野や栃木の方の印象が強いが、茨城のそばは侮れない。食べてみて、とてもおいしい。どちらかと言えば、コシが強く黒みがかった蕎麦で田舎風という感じだが、とても食べやすい。3日目も水戸の「東園田舎そば」というところに行ったが、ここは安くてうまいそばを出し、ホントに流行ってた。大根そばというのを頼んだら、細切りの大根がそばに交じって絡まってるという不思議な蕎麦だった。これがまた不思議に違和感なく美味しい。茨城は蕎麦の先進地と認識した。

 雨が強くなり、もう宿をめざすしかない。が、途中に東海村があり原子力科学館なるものもあるらしい。わざわざ行く気もないけど、雨で他に行けないなら寄るかと思ったけど見つけられなかった。(今見たら、月曜休みだった。)だんだんトイレも行きたい、疲れもたまる、どこかないのかなあと思ったら、大洗に「かねふくめんたいパーク」があった。全部福岡かと思えば、ここに工場がある。見学もできるし、明太子、明太子を乗せた軍艦巻などを試食できる。明太子を買っても持ち帰れないので買わなかったけど、ここは行く価値あり。

 この日は「いこいの村涸沼」(ひぬま)。この地域で温泉は何かないか調べて見つけた公共の宿。温泉はもちろん循環だけど、涸沼という湖に面し見晴らしがいい。行政上は鹿行地域の鉾田町(ほこた)に入るが、水戸や大洗に近い。この沼はシジミの名産地で、鉾田町はメロン生産日本一。いや知らないことは多い。翌朝のシジミ汁は今までで一番の充実で、なかなか満足した。8000円台で満足。泉質はツルツル系。部屋から見た涸沼の一日目(夕方)と次の朝。
 
 翌日は海浜公園のあと、水戸へ出て弘道館を見て、納豆の展示館も見たけど、暑くなってきたので見学終了。それより霞ヶ浦を回ってドライブ。途中で鹿島灘海浜公園に寄る。ここはもっといたかった。あちこち「道の駅」に寄りながら帰る。物産館を回るのがとても好きで、あちこちに名物があるのが楽しい。今回も(買わなかったけど)「ナマズの照り焼き」なんか見つけた。メロンも夕張が有名だが、日本一のメロン生産地は茨城にあった。こうして回るたびに思うのは、「日本の豊かさ」である。物質的というか生活レベル的にもそうだけど、一方シャッター通りもどこにもある。しかし、そういう物質的豊かさ以上に、行くところ歴史あり、行くところ名産ありという「地域性の豊かさ」を感じるのである。この「多様性」こそが日本社会を支えるものであり、日本の豊かさであると思う。それをなくしてはならないし、またどんなことがあってもなくなることもないだろうと思う。常陸秋そばの美味しさ、涸沼のシジミ、もちろん納豆や梅、それに有名なのはアンコウ、常陸牛、奥久慈シャモなどいろいろな食材がある。温泉は恵まれないけど、「食」と「歴史」で頑張ってほしい。湖や海も素晴らしい。観光地茨城県を再発見した旅行。
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六角堂の再建-茨城旅行①

2013年05月22日 23時37分56秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 茨城県に旅行に行った。僕がよく行くのは山と温泉が主だから、茨城で泊ったことはほとんどない。職員旅行で1回、個人では3回泊っただけ。自分の記録を見てみると、1996年に袋田温泉に行って以来。(この時は翌日に水戸芸術館に行って、ク・ナウカのお芝居を見たんだった。)実に17年ぶり茨城泊である。東京に住む僕でさえそうなんだから、全国から来る人はもっと少ないだろう。全国ブランドの観光地も、水戸偕楽園の梅筑波山袋田の滝くらいではないか。(今はひたち海浜公園が有名になりつつある。)

 茨城に行かないでいた間に、東日本大震災があった。そして岡倉天心が作った六角堂が津波で流出してしまった。昔、近くの五浦観光ホテルに泊まったことがある。その時は年末で多くの施設が閉まっていた。その上六角堂も危険で見られない時代だったような気もする。その六角堂が昨年再建され、賑わっているという。東京スカイツリーなどはほとんど関心がないのだが、こっちの方は見ておきたい。茨城県は死亡・行方不明者が(千葉県と並び)20人以上という犠牲者を出した。(東北3県に比べ2ケタ少なかったけれど。)今もなお公開が中止の施設も多い。自分の車で行く場合、距離の問題で東北まで行くのは大変だが、復興支援の意味も込めて茨城県にそろそろ行ってみたいなと思うようになった。

 日曜朝9時半ころに出て、常磐道に入る。家からは東北道が一番近いが、常磐道も環七、首都高経由で遠くない。空いているのでどんどん進み、お昼過ぎには北茨城へ。海沿いに五浦(いづら)まで行って、まずは六角堂へ。天心記念室を見てから六角堂に近づくが、完全に海沿いの狭いところにあって、全体像はその場では判らない。六角堂を出てから、近くの五浦岬公園まで行かないと全景が撮影できない。まずはその全景写真。六角堂の内部とあわせて。(再建六角堂は作ったばかりだから、まだきれいすぎる感じ。内部にある写真は、秋公開の映画「天心」のポスター。)
 
 この近くは「ジオパーク」に指定されている地質的にも興味深い地域である。その景勝地が天心の気に行ったんだろうけど、もらったチラシに地震前と地震後が出ている。パソコンでないと大きく見えないだろうが掲載しておきたい。(最近行った、長瀞も伊豆もジオパークだった。)
 
 岡倉天心(1863~1913)という人は、フェノロサとともに明治維新後忘れられていた日本美術を守った人である。「日本画」という概念を打ち立て、「日本美術院」を作った。ここに横山大観、菱田春草、下村観山などの弟子が結集し、近代日本画が作られたわけである。つまり、狩野派や浮世絵は「日本画」ではなく、近代になってヨーロッパの油絵が伝わってから作られた「新しい伝統」が「日本画」である。「西洋の衝撃」(ウェスタン・インパクト)があって作られたわけである。岡倉天心は1906年に日本美術院を五浦に移し、しばらくの間ここを拠点に活動した。その時の旧居が残されている。六角堂はそれに先立ち、1905年に自ら設計して建てられた思索のための場で、確かに波の音しか聞こえない素晴らしい場所である。
 
 この六角堂のすぐそばに岡倉天心の墓がある。土饅頭型の小さな古墳のようなお墓である。もっとも東京・豊島区の染井霊園にある墓からの分骨だという。
   
 岡倉天心は非常に面白い人物だと思う。ほとんど英語で教育され、英文で著述した。有名な「茶の本」を読んだのはずいぶん昔で、多分高校生の頃だけど(もちろん翻訳)、とても面白かった。でも、やはり啓蒙というか日本文化紹介という感じがあって、他には読まなかった。大岡信さんに評伝があり、それを読むと晩年にインドの女性詩人と美しい魂の交流があった。タゴール(アジア人初のノーベル文学賞受賞詩人)とも交流が深く、天心という人は詩人の魂を持っていた。それが政治に利用された時代があった。そのことも大切な点である。竹中直人主演で映画化され、今秋公開されるらしいので、岡倉天心は要注目。

 六角堂に来たら、近くの五浦岬公園まで必ず行かないといけない。ここは素晴らしい眺望を楽しめるが、初めに書いたように六角堂は対岸から出ないと全体像が見えない。歩いて10分ほど。歩いて回ると、端の方に犬の銅像がある。何だろうと近づくと「忠犬ジョンの像」とあるが、何をしたのかというと「怜悧な」犬だったけど近所の人に毒を盛られて死んだという話で、どこが忠犬なんだかよく判らない。飼い主には悲劇だけど、飼い主を救ったという話ではないらしい。何だと思い写真は撮らず。像の足元を見ると、マムシグサが一杯咲いていた。

 近くに昔はなかった茨城県立天心記念美術館(1997年開館)が立っている。すごくきれいな美術館で、こんなに大きいとは思わなかった。天心や日本画について多くのことを理解できるので、一度行く意味はあると思う。けれどなんだか大きすぎる感じもしないではない。でも、この美術館のカフェは大変気持ちがいい。そこはおススメ。(美術館の写真は撮らなかった。)そこを出たすぐ近く、平潟港のあたりに「風船爆弾」を飛ばした場所がある。第二次世界大戦末期、日本は風船爆弾なるものを作った。それは実際に気流に乗って米国西岸に着き死亡者も出た。今は平和の碑が立てられている。開発側の情報は、明大生田校舎にある「明治大学平和教育登戸研究所資料館」で知ることができる。(放たれた場所はここだけではなかった。)

 時間がなくなり、行くつもりだった野口雨情記念館などはまたの機会に。行く途中に寄った中郷サービスエリアに野口雨情の詩碑がたくさんあった。「赤い靴」「青い目の人形」「七つの子」「シャボン玉」などを作った童謡詩人である。今日は海沿いの宿ではなく、あえて中へ入って温泉の宿を見つけた。多分ほとんどの人が知らないだろう、常陸太田市の横川温泉と言うところである。茨城だから加熱、循環の湯は仕方ない。延々と里山を行くと三軒の宿がある。かなり大きな中野屋、かやぶきの巴屋、それと山田屋である。インターネットで取れる山田屋にしたけど、他に誰もいなかった。まあ日曜だけど、そこまで空いてるのは初めて。今は燃料費が高騰し、低温の湯の宿は苦しいのではないか。そういう宿も苦しい中頑張っているので、源泉掛け流しもいいけど他の宿も応援しないといけないと思う。お湯は塩素臭もなく、ツルツル系の透明の湯。源泉は硫黄泉。食事はとてもおいしく、8000円台でこれだけ美味しいものを食べられるなら、他の人にもおススメ。
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両神と長瀞への旅行

2013年02月09日 00時55分16秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 埼玉県の奥の方、国民宿舎両神に一泊旅行。安いプランがあったからだけど、埼玉は行ってないところが多く、長瀞のロウバイも咲き始めているし、ちょっと歩きたいなと思った。朝遅くなってしまい、関越道で事故渋滞もあって、一日目はほとんど行っただけ。でも、たどりついた国民宿舎の両神温泉はとても良かった。アルカリ性の「美人の湯」で、ツルツルの肌になる湯。埼玉には珍しく、露天は掛け流し。大浴場も循環とはいえ塩素臭はなく、入るとあふれるほどの湯が出ている。大きさも広めでいい。食事も満足で、今はご飯とサラダがバイキングという宿が多いが、ここもそれ。基本の鍋なんかも美味しくて、ご飯2種の他に蕎麦やおでんなんかもある。部屋もきれいで、入湯税込8000円。まあ、それはお年玉プランで、もう終わりだけど。自治体が経営している公共の宿は安いけど満足できないというのは昔の話で、今は大変充実している。


 近くの山に福寿草やロウバイが咲くところがあるが、一日目に駐車場まで行ったが、けっこう歩くのと寒くて咲いてない感じだったので、今回はパス。氷柱なんかも売りにしてるけど、寒いから止める。8日は風が強く寒い日だった。長瀞に行き、宝登山神社にまず行く。ここはミシュランで埼玉初の一つ星を得たというところ。「ほどさん」はヤマトタケル伝説で「火止山」なんだという。宝に登ると書いて、今はロープウェイもあってにぎやかな観光地。神社は東照宮を小さくまとめたような趣で、きれいにいろいろあるので確かに外国人受けしそうだ。まとまってる感じは悪くない。
  

 最初は宝登山に登る気もあったけど、雪の影響が残ってるのと風が強いので、登りはロープウェイで行き、下りだけ歩くことにする。これは正解で、雪が解けた道が続き、登山靴をはいて行ったけどものすごく汚れてしまった。ロウバイ園は二つあり、東は一分咲きだけど、西園は五分咲き。香りも高い花なので、気持ちいい。少し行くと頂上で、その先に奥宮。ここの狛犬はどう見てもオオカミ。秩父はオオカミの伝説が残るところだけど、そういう影響かな。後は延々と寒い道を下る。まあ多少寒くても歩く方がいいとも思うけど、温泉効果が飛んでしまった感も。
  

 長瀞は東京では有名な観光地で、遠足なんかでもよく行くところだが、個人的にも仕事でも一度も行ったことがなかった。これは珍しいかもしれない。宝登山から下りてきて駅に行く途中に、「旧新井家住宅」がある。郷土資料館についている。重要文化財に指定されている江戸時代中期の民家である。郷土資料館みたいなところはよく行くけど、ここは200円だから寄ってみることをおススメする。この「新井家住宅」の屋根が面白いのである。石がたくさん乗っている。これは栗の木の板を張りつめた屋根の重石なのである。この一風変わった屋根は一見の価値がある。
 

 長瀞は荒川の流れが静かになったところ(それを瀞(とろ)というらしい)ということで、岩が川辺に広がっている岩畳が名所となる。知識としては知ってたけど、行くのは初めて。
 

 埼玉では秩父の方が観光地だけど、大きな温泉がない。越生の梅林や黒山三滝、高麗のあたりなど有名なハイキングの名所にはけっこう行ってるけど、近すぎて日帰りになってしまう。学生時代に秩父の夜祭を皆で見に行った時も夜遅く帰ってきた。日本百名山の両神山に登った時に、今は泊れない両神山荘に泊ったのと、旧石器研究者「ゴッドハンド」F某にダマされて「秩父原人」の現地報告会に行ったときに温泉に前泊した位である。この旧石器ねつ造事件は、日本の考古学、歴史学に深い傷を残したが、僕もまさかそういうことをする研究者がいるとは思わず、すっかり信じ込んでしまった。まあ、新聞もテレビもトップで「秩父で50万年前の旧石器発見」とうたっていたので、僕が信じるのも当たり前と言えば当たり前だが。秩父と言えば、他に明治の秩父事件がある。僕も学生時代には結構読んでいたのだが、今は細かい部分は忘れている。今回宿に行く途中に、秩父事件を描いた映画「草の乱」で使われた井上伝蔵の家(の復元セット)があった。資料館にもなっていたけど、遅かったので見なかった。僕は自分の家に近い足尾鉱毒事件の場所はずいぶん行っているけど、秩父事件の現地調査はしたことがない。もう一回ちゃんと行ってみたい。

 もう一つ、数年前に「日本百名城」が選ばれているのだが、埼玉では最近小説、映画で有名になった忍城(=おし城=「のぼうの城」)ではなく、川越城と鉢形城が選ばれている。この「鉢形城」はほとんどの人が知らないか、知っててもまだ行ってないのではないか。ここは関東によくあるけど、「江戸時代にはない城」である。大体日本の城は天守閣が有名で、なかった天守を「再建」してしまうところもあるくらいである。それは支配者として領主が安定的な支配を確立した時代の話で、本当の戦国時代には天守はない。実際に戦っていたわけだし、山城が多いのは当然。関東では、後北条氏の支配する城がたくさんあり、それは秀吉に滅ぼされ、家康に棄てられ、棄てられなかった所は幕末に薩長軍に攻められという歴史をたどる。鉢形城も後北条氏の重要な城で、とにかく大きいが、遺構以外はほとんどない。埼玉県寄居町で、関越道を花園インターで降りて10分程度。今は歴史館が立っている。そこを拠点に歩くといいんだけど、昔の城の範囲に線路が通っているくらい。でも「100名城」の一つなんだから、是非一度は行くといいです。もっとも、今回は何しろ風が寒くて、僕も城跡を歩く気にならなかった。それも今後の課題。
 
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小嶋屋総本店の蕎麦-新潟旅行①

2012年10月20日 23時56分03秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 19日から20日に越後湯沢に旅行。旅行記の中に食の話を入れてしまうと、印象が薄れるから今回は別立てで。前にも書いたけど、前の家が更地になってマンションを建築中。そのうえ、近隣一帯の水道工事もあって、家の前にはトラックが停まったり、掘り返したり。昼になると車を出せないような日々が続いている。そこで早めに車を出さないといけない。だから8時前には家を出た。山に当日登るようなときは、5時、6時に家を出ることもあったけど、最近は9時、10時に出ればいいやという時が多かった。

 東北道、北関東道(反対車線が事故渋滞で延々とつながっていたけど)、関越道と順調に走り、予定より早く関東を抜ける。そこで思い切って十日町まで足を延ばし、小嶋屋総本店を再訪することにした。ここは3年前に一度行っている。

 小嶋屋というのは、東京でもスーパーで売っていることがある。「ふのりつなぎ」を最大の特徴とする、四角い紙の包装をしている乾麺を見たことがある人もいるだろう。新潟駅ビルにも入っている。これが昔から好きだった。のど越しが素晴らしい。コシと歯ごたえが抜群。乾麺で食べる蕎麦では一番だと思ってる。妻の出身が新潟市で、よく行く機会があったから昔から知っているという事情。ところが、新潟駅に入っているのは、よくみると「株式会社長岡小嶋屋」。今日越後湯沢駅に行ったけれど、そこに入っているのは十日町に本社がある「株式会社小嶋屋」。それと別に「株式会社小嶋屋総本店」というのがあるのだった。のれん分けで、似た名前があちこちにあるというのは、文明堂や吉兆なんかと同じ。もともとは、「総本店」が本家で、二代目の兄弟が、十日町と長岡で別会社を興したということらしい。

 そして、その「株式会社小嶋屋総本店」は、十日町中屋敷というところに、それこそ「総本店」という店を出している。いや、そのことを知ったのは割と最近のことなんだけど、これは行かなくてはいけないということで、3年前に「大地の芸術祭」を見に行ったときに食べに行った。本当は今年も「大地の芸術祭」の年だったけど、夏は暑くて宿も高いから敬遠してしまった。ということで、また食べに行けるとは思わなかった。やはり旅行は早く出るほうがいい。

 どこと説明するのは難しいけど、「千年の湯」という立ち寄り湯のそばなので、そこを目指す。目印は水車。落ち着いた大きな構えの店構え。駐車場も広いけど、かなり埋まっている。
 

 頼んだのは「天ざる」。新潟でよくある「へぎそば」もあるし、季節の松茸ごはんセットなんかもあったけど、普通に天ざるを。待つ間に「ごまをする」。ゴマとすり鉢があって、ゴマをすってお待ちくださいとのこと。蕎麦が来ると、これには本わさびが付いている。これもする。食べる前にいろいろ仕事がある。でも、わさびを自分でするのは、蕎麦を食べるまでに心を高揚させる一番の方法だ。蕎麦は二段重ねのへぎそばに海苔がかかる。ここのそばは、つなぎに「ふのり」(布乃利と当て字を使う)を使っている。これは海藻だが、もとは織物の意図の糊付けで魚沼地方で使われてきたものだという。

 雪ありてこの水あり
  人ありてこの技あり
   織ありてこのそばあり

 とチラシでうたっている。それだけの言葉に負けない、おいしさである。

 最近「蕎麦打ち」ブームなどと言って、「もりそば」しかないような店が結構ある。手打ち、10割そばで、おししいけど、「もり」と言わずに「せいろ」と書いてある。脱サラ店主がそばのうんちくを語りだしそうな、ジャズが流れてるような店。おいしいけど、たかが蕎麦屋なのに、高級すしやかフレンチかというような「権威」がどうもね…という店もある。僕は「蕎麦道系」の店と言っている。もう「道」の域に入っているのではないか。伝説的な椎名町の「」に僕は行ってるし、そういう店も嫌いではない。(あの甲州長坂の清春白樺美術館隣にある「翁」の移転前の店。)でも、「種物」も欲しい。「やぶ」だって、「砂場」だって、天ぷらなどの種物があるではないか。神田やぶの「天だね」など、絶品中の絶品である。何もカレーやカツ丼がなくてもいいとは思うけど、ある程度いろいろな種類が欲しいし、ご飯ものもおいしいのがあっても悪くない。小嶋屋総本店の魚沼産新米コシヒカリを使ったご飯ものも実に美味しそうだったけど。

 乾麺を売ってて、首都圏ではそれで知られているようなところで、本店で食べられるような店。それは蕎麦では小嶋屋総本店。うどんでは、秋田湯沢市稲庭町の「七代目佐藤養助本店」(稲庭うどん)。これにつきるのではないか。麺好きなら一度は訪れたいところだと思う。 
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