ちょっと前に見た新作映画の話。ホントは昨日書くつもりが、参院選の話が思わず延びてしまった。今日は昔の映画をレイトショーで見るつもりだったけど、強風が吹き荒れていて、疲れも残っていたので、出かける意欲を失ってしまった。
さて。まず「ルーム」。今年のアカデミー賞の主演女優賞映画で、他にも作品、監督、脚色部門でノミネートされた。オスカー映画が続々と公開されているが、そろそろ見ておかいないと。冒頭、若い女性と幼い子供が狭い場所でともに暮らしている。その不自然な様子が動き回るカメラで捉えられている。それは何だというと、知らないで見れば判らないかもしれないが、見ている人は映画の情報を事前に知っているはずである。これは若い女性が誘拐されて閉じ込められている「納屋」で、子どもはそこに閉じ込めている、時々食料などを差し入れる男、つまり誘拐犯の子である。
そこからの母子の生活、子どもの脱出、母の救出というドラマは凄まじいまでの迫力に満ちている。脱出できるのは多くの事前情報で知らされているが、知っていても緊張して見ることになる。だから、ここでも書いておくが、この映画は「脱出」だけを描く映画ではない。「サヴァイヴァーのその後」を描くことで、本当に重要な映画になっている。むしろそっちが映画の醍醐味と言えるだろう。
主演のブリー・ラーソンは、間違いなく一世一代の演技。この人は誰と思ったら、このブログでも紹介した「ショート・ターム」の主演をしていた人である。監督のレニー・エイブラハムソンはアイルランドの人で、この映画もカナダ・アイルランドの合作映画。合衆国のどこかの田舎かと思って見たけど、カナダのトロントで撮影されたという。エマ・ドナヒューという人の原作は日本でも翻訳されているが、原作者自身が脚色している。幼い子供に「世界」をどのように理解させていくか、繊細な情感を見事に描いていて、心の奥深いところを揺さぶられる映画だった。その意味では見ておくべき映画。
だけど、日本でも外国でも、現実に似たような犯罪も発生している。そのことを考えると、なんだか複雑な感じを覚えてしまう。単純にフィクションとして見ることができない。この映画は「犯罪被害者」に寄り添うことで成立しているが、犯罪は「犯人」なくして起きない。映画でも犯人は出てくるが、犯人側の「内面」は判らないし、どういう背景があるか不明である。映画としてはそれでいいと思うが、どうしてこのような犯罪が起きたのか、背後に存在する「闇」の大きさにたじろぐ思いがする。
続いて、タイの映画「光りの墓」(2015、英語題 Cemetery of Splendour)。「ブンミおじさんの森」でカンヌ映画祭パルムドールを取ったアピチャッポン・ウィーラセータクンの新作映画である。日本人には覚えにくい長い名前の監督だが、前に2本見ている。今年初めに特集上映があった時は、時間が取れなくて見逃してしまった。「光りの墓」は5月6日まで渋谷のシアター・イメージフォーラムで。
「ルーム」と違って、物語というほどのストーリイもない映画だけど、好きな人にはものすごく面白いと思う。タイ映画はけっこう日本で上映されていて、僕もエンタメ系の映画をずいぶん見ている。タイは初めて行った外国で、言葉の響きがフランス語のように素晴らしく聞こえる。タイ語の響きを聞きたくて、タイ映画を見にいくこともある。だけど、完全にアート系映像作家であるアピチャッポン・ウィーラセータクンは、訳が分からないという感じがつきまとう。疲れていると寝てしまいそうな映画。
でも「光りの墓」は傑作である。イサーン(タイの東北地方)で軍に謎の眠り病が流行っている。仮設病院では不思議な光を放つ菅を設置して治療している。ボランティアで病院で眠ったままの兵隊につきそう女性ジェンは、眠る男の魂と交信できる不思議な女性ケンと知り合う。そして、二人を中心に不思議な出来事が起こっていくのを映画は静かに見つめていく。死者も生きているような、不思議に満ちたスピリチュアルな世界。だが、それは安らぎに満ちた世界で、決して怖いものではない。死者が生きているように出てくる映画は日本にも多い。去年の映画では「岸辺の旅」「母と暮らせば」などが思い浮かぶ。この映画の世界は、風景も懐かしく、死が決して怖くないもので、あの世に帰っていくというような世界に思える。そういう世界観もあるという風に思えば、これはとても美しい映画だと思う。
イサーン地方は監督の故地でもある。事前に流れる監督のビデオでは「タイは今、軍事政権」とも語っている。タクシン派の基盤でもあるイサーンで、軍人が眠り続けるというのは、タイ社会に対する一種の寓意でもあるらしい。だけど、僕が思い出したのは、小栗康平の「眠る男」である。もうあまり覚えていないけど、「眠る男」では眠り続けるアン・ソンギは決して起きることはない。リアリズムの世界だけど、アピチャッポンの映画では眠る男も起きあがって語る。もっと不思議なんだけど、イサーン地方の風景も心に沁みて、不思議に感じないというのが、そこが面白い。タイ映画では、もうすぐ「すれ違いのダイアリーズ」が公開予定で、こっちも楽しみにしている。タイに限らず、東南アジアの映画が好きで、政治的、経済的なつながりという意味でも、もっと知っておきたいと思う地域である。
さて。まず「ルーム」。今年のアカデミー賞の主演女優賞映画で、他にも作品、監督、脚色部門でノミネートされた。オスカー映画が続々と公開されているが、そろそろ見ておかいないと。冒頭、若い女性と幼い子供が狭い場所でともに暮らしている。その不自然な様子が動き回るカメラで捉えられている。それは何だというと、知らないで見れば判らないかもしれないが、見ている人は映画の情報を事前に知っているはずである。これは若い女性が誘拐されて閉じ込められている「納屋」で、子どもはそこに閉じ込めている、時々食料などを差し入れる男、つまり誘拐犯の子である。
そこからの母子の生活、子どもの脱出、母の救出というドラマは凄まじいまでの迫力に満ちている。脱出できるのは多くの事前情報で知らされているが、知っていても緊張して見ることになる。だから、ここでも書いておくが、この映画は「脱出」だけを描く映画ではない。「サヴァイヴァーのその後」を描くことで、本当に重要な映画になっている。むしろそっちが映画の醍醐味と言えるだろう。
主演のブリー・ラーソンは、間違いなく一世一代の演技。この人は誰と思ったら、このブログでも紹介した「ショート・ターム」の主演をしていた人である。監督のレニー・エイブラハムソンはアイルランドの人で、この映画もカナダ・アイルランドの合作映画。合衆国のどこかの田舎かと思って見たけど、カナダのトロントで撮影されたという。エマ・ドナヒューという人の原作は日本でも翻訳されているが、原作者自身が脚色している。幼い子供に「世界」をどのように理解させていくか、繊細な情感を見事に描いていて、心の奥深いところを揺さぶられる映画だった。その意味では見ておくべき映画。
だけど、日本でも外国でも、現実に似たような犯罪も発生している。そのことを考えると、なんだか複雑な感じを覚えてしまう。単純にフィクションとして見ることができない。この映画は「犯罪被害者」に寄り添うことで成立しているが、犯罪は「犯人」なくして起きない。映画でも犯人は出てくるが、犯人側の「内面」は判らないし、どういう背景があるか不明である。映画としてはそれでいいと思うが、どうしてこのような犯罪が起きたのか、背後に存在する「闇」の大きさにたじろぐ思いがする。
続いて、タイの映画「光りの墓」(2015、英語題 Cemetery of Splendour)。「ブンミおじさんの森」でカンヌ映画祭パルムドールを取ったアピチャッポン・ウィーラセータクンの新作映画である。日本人には覚えにくい長い名前の監督だが、前に2本見ている。今年初めに特集上映があった時は、時間が取れなくて見逃してしまった。「光りの墓」は5月6日まで渋谷のシアター・イメージフォーラムで。
「ルーム」と違って、物語というほどのストーリイもない映画だけど、好きな人にはものすごく面白いと思う。タイ映画はけっこう日本で上映されていて、僕もエンタメ系の映画をずいぶん見ている。タイは初めて行った外国で、言葉の響きがフランス語のように素晴らしく聞こえる。タイ語の響きを聞きたくて、タイ映画を見にいくこともある。だけど、完全にアート系映像作家であるアピチャッポン・ウィーラセータクンは、訳が分からないという感じがつきまとう。疲れていると寝てしまいそうな映画。
でも「光りの墓」は傑作である。イサーン(タイの東北地方)で軍に謎の眠り病が流行っている。仮設病院では不思議な光を放つ菅を設置して治療している。ボランティアで病院で眠ったままの兵隊につきそう女性ジェンは、眠る男の魂と交信できる不思議な女性ケンと知り合う。そして、二人を中心に不思議な出来事が起こっていくのを映画は静かに見つめていく。死者も生きているような、不思議に満ちたスピリチュアルな世界。だが、それは安らぎに満ちた世界で、決して怖いものではない。死者が生きているように出てくる映画は日本にも多い。去年の映画では「岸辺の旅」「母と暮らせば」などが思い浮かぶ。この映画の世界は、風景も懐かしく、死が決して怖くないもので、あの世に帰っていくというような世界に思える。そういう世界観もあるという風に思えば、これはとても美しい映画だと思う。
イサーン地方は監督の故地でもある。事前に流れる監督のビデオでは「タイは今、軍事政権」とも語っている。タクシン派の基盤でもあるイサーンで、軍人が眠り続けるというのは、タイ社会に対する一種の寓意でもあるらしい。だけど、僕が思い出したのは、小栗康平の「眠る男」である。もうあまり覚えていないけど、「眠る男」では眠り続けるアン・ソンギは決して起きることはない。リアリズムの世界だけど、アピチャッポンの映画では眠る男も起きあがって語る。もっと不思議なんだけど、イサーン地方の風景も心に沁みて、不思議に感じないというのが、そこが面白い。タイ映画では、もうすぐ「すれ違いのダイアリーズ」が公開予定で、こっちも楽しみにしている。タイに限らず、東南アジアの映画が好きで、政治的、経済的なつながりという意味でも、もっと知っておきたいと思う地域である。