尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

防災省設置に賛成するー2026年4月に「防災庁」スタートが現実的

2024年12月16日 22時19分12秒 | 政治

 石破政権がいつまで持つか判らないけど、少数与党のうえ党内基盤も弱く厳しい現実が続いている。僕も「厳しい現実」を書くことが多いと思うが、唯一「石破政権の遺産」になりそうなことがある。それが「防災庁」の設置で、内閣官房に「防災庁設置準備室」が発足し、赤澤経済再生大臣が担当になった。首相と側近だけが関わっていて、石破政権がつぶれたら雲散霧消しそうだが、それではもったいない。日本にとって絶対に必要なことだと思うので、党派を超えて実現に向け動き出して欲しい。

 発足時の石破首相訓示では、「わが国は世界有数の災害発生国で、近年では風水害の頻発化や激甚化がみられるほか、近い将来には首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの発生も懸念される。人命最優先の防災立国を早急に構築することが求められている」と述べた。まさにその通りというしかない現状認識である。「待ったなし」の政策は他にも多いだろうが、それはすでに対応する行政官庁がある。それに対して、現状では「防災担当大臣」が置かれているが、内閣府特命担当大臣に過ぎない。きちんとした部署になっているとは到底言えないのである。ちなみに防災担当大臣は2001年の省庁改編後に置かれているが存在感は薄いだろう。

(防災省の必要性を語る石破茂氏)

 アメリカにはカーター政権時に発足した「アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁」(Federal Emergency Management Agency、略称FEMA)という組織がある。洪水、ハリケーン、原子力災害など幅広く対応するという。2003年にブッシュ政権により国土安全保障省に組み込まれて機動性が薄れてしまったというが、それでも重要な役所だと思う。アメリカは各州の連邦制だが、災害は州を越えて襲ってくる。連邦政府による調整、指揮が必要になってくるのである。

 日本は連邦制ではないけれど、各地方ごとの地形的、歴史的な差異が大きい。南北に長く四方を海に囲まれているという特徴から、災害救援がなかなか難しい。それに今も経済成長が続くアメリカと違って、少子高齢化が著しい日本ではインフラの劣化が進みながら更新も難しい状態が起きている。今後も地震や豪雨災害で鉄道、道路、空港、港などに被害が生じて救援が遅れることが想定される。また避難所態勢も先進諸国に比べて劣悪なまま放置されている。(「TKB48」を知ってますか?」参照。)

(総裁選に出た小林鷹之議員)

 石破首相が自民党総裁選で「防災省設置」を唱えたところ、これに真っ向から反対したのが小林鷹之議員だった。小林氏は「屋上屋を架す」と言ったが、自衛隊があるから災害時に指揮権が混乱するという趣旨だと思う。しかし、自衛隊は「防災行政」を主管しない。それどころか「災害出動」でさえ、本体任務には位置づけられていない。災害が発生したときには、確かに「実力組織」である自衛隊の出動が必要になるだろう。しかし、「平時」には防災に関する業務を行っていない。「屋上屋」というけど、日本の現状はまだ屋根もない、小さな部屋があるだけの段階である。きちんとした大きな部屋と屋根が必須である。

 ところで、ではいつ作るべきか。一気に「防災省」は難しい。まずは「防災庁」からで、それは東日本大震災15年を経た2026年がふさわしいと思う。復興は切りがないけれど、その後も地震災害は各地に起きてしまった。「復興庁」を防災庁に衣替えして、今後も東北復興を担いながら、他の災害対応も出来るように人員を大幅に増強するべきだろう。2026年4月1日から防災庁として発足し、やがては防災省に格上げして気象庁も国土交通省から移管してはどうかと思う。

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「103万円の壁」問題私論ー引き上げには賛成だけど…

2024年12月15日 21時42分31秒 | 政治

 臨時国会の焦点になってる「103万円の壁」という問題。これをどう考えれば良いのだろうか。103万円だけじゃなく、106万円とか130万円とかいろんな「」もあるらしい。いや、壁じゃないという人もいるようだし、税制は複雑でなかなか判らない。年金や健康保険など社会保険になると、もっと複雑かつ利害が入り乱れて、ここで論じるだけの知識もエネルギーもない。「103万」というのは、本人に所得税が発生するだけでなく、扶養控除が認められなくなる基準になっている。「扶養」は子どもだけでなく、主婦(または主夫)、障害者、高齢者などいろいろあるわけだが、今は主に「学生」を取り上げて少し考えてみたい。

(103万円の壁)

 もともと国民民主党の玉木代表が「若者」に焦点を絞っていたためである。テレビでは「もっと働きたいのに、103万円を意識してセーブしている」という若者の声が出ていた。また飲食店経営者から「年末繁忙期に学生が抜けられて困る」という声も出ていた。しかし、他の飲食店オーナーからは、12月に働いた分は来年1月に支払うので「年末繁忙期に抜ける」ことはないという声もあった。もっともアルバイトの場合は月末清算のケースも多いだろうと思うが。

 僕はこの若者の声を聞いたときから、ちょっと違和感があった。「学生の本分は学業」である。もっと働いたら勉強はいつするのか。本来は逆であって、「もっと勉強に集中できるように、アルバイトしなくても大丈夫にして欲しい」というのが学生の要求であるべきじゃないのか。つまり、貸与型奨学金の充実とか、奨学金返済の免除などである。本当に困っている学生は、親の扶養など関係なく働くしかないだろう。特に下宿生の場合、何とか学費は出して貰えても、生活費は十分じゃない場合も多いはず。そういう困窮学生は今回の「103万円の壁」には関係ない。親が扶養できる学生の場合だけの話なのである。

(引き上げをめぐる3党合意)

 この「103万円」という基準は、1995年から変わっていないという。もっとも内容には変化があって、「基礎控除」は2020年まで38万円だった。2021年から48万円である。(2400万円以下の所得の場合。)つまりほぼすべての人の場合、まず収入から48万円が控除される。そして「給与所得控除」が55万円となる。これは2020年以前は65万円だった。結局控除額の合計は変わっていないわけだ。基礎控除は本人の最低限の生活を維持するための金額は所得とは考えないということである。給与所得控除は所得を得るための「必要経費」を(確定申告せずに)ざっくりと算定した金額である。

 この控除額に関しては、「最低賃金の伸び」「物価水準」などを基準にして増額させるべきだと言われている。国民民主党は最低賃金を主張しているが、最低賃金は都道府県ごとに違うので合理性が少ない。最低賃金額の伸び率を基準にするなら、控除額も各地で異なるようにするのか。まあ、それはともかく「交渉用の数字」なんだろう。それより、90年代と現在は何が一番違うだろうか。それは「情報通信費」、まあスマホ代である。95年当時は携帯電話(通話機能だけ)がようやく出始めた頃だった。

 その後、どんどんヴァージョンアップしていって、今は学生にスマホは必需品だろう。それだけでなく、勉強をしっかりするためにはパソコンプリンターも必須である。これは自宅学生の場合は家で共用できるかもしれないが、下宿生の場合学校にあるものを利用するだけじゃ不足で下宿でも使いたいだろう。どっちにせよインターネットの通信代が高額なのである。だけど、今はそれがなくては仕事を探すのも不可能、就職にも勉強にも不可欠である。まさに生きるための「必要経費」である。

 僕が思うには、まずこのネット環境という「客観情勢の変化」が基礎控除、給与所得控除増額の理由になるべきだと思う。これは今や高齢者にも言えることで、スマホやパソコンなくして映画も見に行けない。(人気映画は事前に予約しないと入れない。)マイナ保険証なんて政府は言っているんだから、スマホ代を補助して欲しいぐらいだ。ゲームなどをしてる場合もあるだろうが、とにかくスマホなくしてバイトは不可能だろう。まさに必要経費というしかない。

(様々な壁)

 ところで、勤労学生の場合「勤労学生控除」というのもある。アルバイトの場合、年末調整されることはほとんどないと思うが、確定申告すれば「27万円」の控除がさらに認められる。(所得金額が75万円以下の場合。)この確定申告を学生はきちんとしているだろうか。学生アルバイトの場合、個人経営の飲食店とか知り合いに頼まれた家庭教師なんかも多いと思うけど、コンビニなんかの方が多いだろう。その場合、銀行口座に所得税を抜いた額が振り込まれることが多いはず。ちゃんと「還付申告」するように、大学や専門学校がきちんと呼びかける必要がある。「手取りを増やす」ためにまずやるべきことだ。

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やはり野に置け、石破茂?ー石破首相の「政治献金禁止は違憲」説批判

2024年12月14日 22時33分38秒 | 政治

 2024年10月1日に成立した第1次石破茂政権。取り急ぎ衆議院を解散して、大きく与党議員を減らしながら、辛くも11月13日に第2次石破茂政権が発足した。選挙翌日に『しばらくは石破「少数与党内閣」で、2025衆参同日選挙か?』で書いた通りだが、予想外のこともあった。それは共産党が決選投票で「野田佳彦」と書いたことだが、まあ事細かく論じる必要もないだろう。なお、その他の野党が決選投票でも1回目と同じく自党党首の名を書いたとされるのも不思議。「決選投票」とは1位か2位の名を書く約束だから、どっちも支持しないなら白票を投じるか、棄権するべきだろう。

 その後、政治のあれこれを書いてないから、ここで幾つか書いておきたい。臨時国会が11月28日に開会し、何とか補正予算が衆議院を通過した。まあ「補正予算」というのは、災害対応の臨時費も入っているので通さざるを得ない性格のものだ。ただ近年は景気刺激を強調して「過去最大」などとうたって、結果的に予算を余らせたりしている。立憲民主党が削減を主張したのは理屈にあっている。結果的に国民民主党日本維新の会を賛成に引き込めて、石破政権として思った以上の成果だろう。

(補正予算通過)

 この間、石破首相にはやはり準備不足か、それとも荷が重いのかと思わせるもたつきぶりだった。党内非主流派だった時には歯切れが良かった石破氏も、結局権力の座に座って見れば「ただの自民党首相」だったのか。「手に取るなやはり野に置け蓮華草」という句があるが、石破茂もやはり「野に置け」だったのか。総裁当選から総選挙までは「石破氏を叩いてぶれる」感が強かった。「健康不安」説もあり、いつまで持つのかという不安(心配または期待?)もあったと思う。

 石破内閣は今日(12月14日)現在75日続いていて、取りあえず羽田孜(64日)、石橋湛山(65日)、宇野宗佑(69日)の短命内閣をいつの間にか越えていた。(なお、帝国憲法時代を含めると、敗戦直後の東久邇宮稔彦王内閣の54日が最短になっている。)「政治改革」法案の行方は見通せないが、何とか来年度予算案をまとめて越年はしそうである。通常国会が1月末には始まるが、本予算は果たして通せるのだろうか。国民民主党や日本維新の会の主張を丸呑みすれば、本予算にも賛成してくれるのかもしれない。だが、今度はそんなに譲歩するなという声が自民党内に挙って、倒閣運動になりかねない。

(企業献金禁止は憲法違反と述べる石破首相)

 そこら辺はまだ見通せないが、最近の石破首相は少し「らしさ」を取り戻して、自分なりの丁寧な説明をし始めたという話である。だがそうなると、今度は「企業献金全面禁止は憲法21条違反」などと言い過ぎ的な答弁を行った。言い過ぎたと思ったか、参議院の質疑で「違反するとまでは申しません。そこは言い方が足りなかった」と修正したものの、やはり憲法論議が必要という認識らしい。これはかつて最高裁で行われた「八幡製鉄所政治献金判決」が頭のあると思われる。

 この訴訟は1960年に八幡製鉄所(現・日本製鉄)の株主だった弁護士が「政治献金は定款を逸脱した商法違反」として損害賠償を求めた株主代表訴訟である。1審は原告勝訴(政治献金は違法)だったが、高裁で原告敗訴に変更され、1970年の最高裁大法廷判決で原告敗訴が確定した。この判決からすでに半世紀以上経っていて、また誰か新たな訴訟を起こす価値があると思っているけど、取りあえずはこの判決が「企業献金は合憲」というお墨付きになっている。

 論点はいろいろあるが、憲法関係に限ってみてみると、「1 会社は自然人同様、納税者たる立場において政治的意見を表明することを禁止する理由はない。」「2 憲法第三章「国民の権利及び義務」は性質上可能な限り内国の法人にも適用すべきであり、政治的行為の自由もまた同様である。」というものらしい。これはWikipediaに出ているものだが、法人たる株式会社が「自然人」と同様に「政治的意見を表明する自由」があるという認定は、まあその通りではあるだろう。

 だけど、70年段階と現代の会社は全く様相を異にしている。大会社はすべて諸外国にも進出して「多国籍企業」になっている。日本の株式市場でも外国人株主による取引の方が多いぐらいである。外国人が政治献金を出来ないのと同様に、外国人持ち株が半数以上を占める企業は政治献金が出来ない。だが国内企業でも経営者は外国人が務める大企業は多いだろう。「自然人」としては参政権を持っていない外国人が、トップとして政治献金を行うのは果たして合憲、合法なのか?

 1970年時点とは日本の会社の実情が全く変わっている。そのことを前提にすれば、企業という法人にも「自然人」と同じように参政権があって、政治献金を認めるべきというのは時代錯誤ではないか。株主にも、従業員にも、消費者にも、日本国民以外の人がいっぱいいる。そういう時代の企業は日本の政治に献金出来なくても当然じゃないか。日本人経営者という「自然人」なら、当然日本国民としての参政権があるから、個人で政治献金すれば良いだけのことじゃないか。

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「資格確認書」があれば、「マイナ保険証」は不要

2024年12月03日 22時32分04秒 | 政治

 2024年12月2日以後をもって、「紙の保険証」が発行されなくなった。政府はいわゆる「マイナ保険証」に統一したいという意向だが、その問題に対する反対意見はこれまで何度も書いてきた。(例えば、『衆院選、マイナ保険証を争点に!ー各党の公約を見る』を10月21日に書いたばかりである。またこの問題を書くのも恐縮だが、やはり書くべきだと思う。テレビニュースで今頃取り上げて、「知ってますか?」と聞くと、知らないという人がいるのである。信じられるか? そしてインタビュアーは「マイナ保険証は持ってますか?」と誘導的質問をする。これだけ騒がれても知らない人がいるのもすごいが、それは若い人だった。

 なるほど、確かに。ちょっと前まで、保険証は家族単位だった。若い頃はほとんど病院に行かないから、全然関心がなかった。まあ若い時も歯医者に定期的に行くべきなんだけど、やはりホントに痛くなるまで行きたくなかった。若くても病気やケガが多い人もいるだろうが、ありがたいことに自分はそうじゃなかった。数年に一度ぐらいインフルエンザになったりしたが、その程度。学生時代は親の扶養で、親の会社の健保組合に入っている人が多いから、当事者意識も湧かないだろう。 

(資格確認書=見本)

 ところでマスコミでは「資格確認書」について、触れてはいるけど不十分。「紙の保険証廃止」というと、そりゃ大変だと思う人が出て来るが、現在の保険証は有効期限まで従来通り使用できて、「その後も資格確認書が自動的に送られてくる」のである。マイナカードなんかなくても大丈夫なのである。マイナカードを持ってても、マイナ保険証の登録をしなくて大丈夫。資格確認書は従来の保険証とほぼ同一で、名前を変えただけである。今までの保険証で特に困ってなかった人は、今後は資格確認書で受診すれば問題ないのである。まあ一部の医療機関、薬局、行政機関などが「マイナ保険証はありますか」などと誘導的に聞いてくるかもしれないけど、「資格確認書でお願いします」と言えばよいだけである。

(マイナ保険証と資格確認書の違い)

 まあ両者には多少の違い(上記)があるわけだが、本質的な不便はない。マイナ保険証は医療費の削減になるなどと言ってるが、それは政府がそう設定して嫌がらせしているから。どんな薬を飲んでいるか医者が判るようになるとか言うが、そもそもそれは薬局で薬剤師がお薬手帳をを見て行うことである。そうじゃないと「医薬分業」の趣旨に反する。今はまだマイナ保険証にしたばかりの人が多いだろうからいいけれど、今後「5年の期限」が来れば大混乱になると思う。5年も経てば、その間に認知症、身体障害などになる人が増えてくるし、配偶者が死んだり子どもが独立して一人暮らしになる高齢者が多くなるはずだ。

(廃業医療機関が増えている)

 ところで、廃業する医療機関が上記のように増えている。開業医の方も高齢化していくので、後継者がいなくて廃業するところが出て来るのはやむを得ない。だが最近増えているのは、マイナ保険証対応の経済的負担に耐えきれず、(一応政府の補助はあるらしいが、それでは到底まかなえず)、もっとやるつもりだったのに廃業に追い込まれた病院があるらしい。少なくともテレビニュースで見た歯科医はそう言っていた。そこにも利用者はたくさん付いていた。罪深いやり口じゃないか。

 今回一番驚いて憤慨したのが、「年寄りをバカにするな」という意見だ。「暗証番号を忘れてしまって病院で混乱する」事態を心配する声に対して、「そんなことを言ったら銀行のカードも使えないじゃないか」、そして「年寄りをバカにするな」と言うのである。自分で何を言ってるか判ってないんだと思うが、つまりマイナ保険証を作る高齢者は「暗証番号を忘れちゃ困る」と思って「銀行のカードと同じにしよう」と思うだろう。そして、中にはそれを紙に書いてマイナカードに貼ったりする。そして、それをいずれの日か、病院や施設の職員が見るのである。銀行のカードと同じ暗証番号を書いたカードを。

 テレビニュースで見たら、マイナ保険証の利用法が判らない高齢者のために、看護師が一人付いていた。スーパーのセルフレジなんかも、人件費を省くために導入したんだろうが、最初は誰かがずっと付いていたもんだ。今度は病人相手なんだから、ずっと誰かが必要なんじゃないだろうか。(セルフレジは勝手に出来るので僕は愛用しているが、病院の場合は弱ったときに行くわけだから、高齢者が一人で対応出来るようになるとは考えにくい。)本末転倒で、政府が考えることは最終的に「現場」にしわ寄せが行くことになっている。今までの保険証で何の不便もなかったのだから、恐らく「他の目的がある」と考えるべきだろう。

 自分の場合は、マイナンバーカード自体を作る気がないから、保険証にも出来るはずがない。マイナカードは便利だという人がいるが、そういう人は利用すれば良い。だけど、普通はコンビニで住民票を取るなんて、一年に一回もないだろう。僕は遺産相続のため、去年はいろんな書類を取ったけど、今年は一回もない。それに「自分の住民票」は取れるけど、「死んだ親の戸籍」なんかマイナカードでは取れないに決まってる。大体どこにあるかも判らない場合だってあるんだから。

 お上がポイントいっぱいあげるからマイナカード作ろうねと言った時点で、僕はどうにもうさんくさくて嫌な気分になった。それでもなかなか増えないから、今度は紙の保険証はなくなりますよと来た。利益誘導の次は脅迫である。じゃあしょうがないねと皆が作ったら、政府のドレイではないか。誰か「利口」な人が何事かの目的を秘めて作ったんだろう。仕方ないねと「ドレイ」が従う。しかし、世の中には利口とドレイ以外に、そんなことは知りませんという「バカ」もいないと困るじゃないか。

 「教員免許更新制」という愚策を「教育がよくなる」と言って導入した結果どうなったか。それをきっかけに教員不足が深刻化し、ついに政府自らが廃止したではないか。こういう愚策には従えないと思った自分にとって、マイナカードを作らないぐらい全然どうってことない。「間違った国策には従わない」というのは、近現代史を学んだ自分にとって譲れない信条である。権利であるとともに、国民の義務でもあると思う。ま、そういうのが少しはいないと。特に誰にもお勧めはしませんが。

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「議員定数削減」より「政権交代」、実は国会議員が少ない日本ー維新考④

2024年10月15日 22時19分48秒 | 政治
 10月15日に衆議院選挙が公示され、27日投開票まで「わずか12日間」の選挙戦が始まった。まあ今秋に衆院選があるだろうことは予測されていたことだが、石破首相誕生から日々の動きが急すぎて、なかなか選挙気分が盛り上がらない。ところで今回の衆院選の「争点」は何だろうか。それは幾つも思い浮かぶわけだが、僕が考えるのではなくテレビで見た街頭インタビューでは、「物価高(経済対策)」「政治とカネ(自民党裏金問題)」と同じぐらい、「国会議員が多すぎる」という声が多かった。

 「問題を起こす議員が多すぎる」というのである。なるほどその通りと思う人も多いだろう。最近でも広瀬めぐみ参議院議員や堀井学衆議院議員が辞職した。「政治資金不記載」で辞めた議員もいるし、柿沢未途衆議院議員や宮澤博行衆議院議員などもいた。スキャンダルがあっても、離党しても解散まで議員を辞めなかった人もいる。今はもう皆忘れているだろうガーシー参議院議員なんて人もいたが、そういうスキャンダル議員のおおよそは自民党所属だった。

 「議員が多すぎる」なんて言う人は、きっと「維新」の支持者なんだろうなと僕は思っている。大阪では「維新」が主導して府議会定数が削減され、議員定数を減らすごとに「維新」が増大してきた。定数を減らせば、支持が多い政党しか当選しないから、結果的に「多数党が増え、少数党が減る」わけである。そんなことは政治に関わっている人には常識だから、「維新」の人々は「身を切る改革」とまさに自分も損をする覚悟のように見せて、実は独裁体制を作ってきたわけでる。
(大阪の定数削減)
 自民党議員がスキャンダルを起こし、そんな議員を税金で支えるのはおかしいと思う。そのため議員定数を減らすと、自民党議員も減るかも知れないが、議会全体に占める自民党議員の占有率は上昇する。これは「選挙」というものの仕組みから、どうしてもそうなるのである。選挙システムを変えても同じである。「小選挙区」はもともと比較第一党しか当選しないから、少数党は当選しにくい。「(いわゆる)中選挙区」(定数3~5程度の選挙区)でも、定数を減らせば最下位で当選したはずの議員が落選する。

 「比例代表」の場合は、比例という特徴から与野党ともに減らすことになる。例えば2022年参院選で「比例区」の定数50人が40人だったとしたら、「自民3、公明1」と与党は4人減になる。一方「れいわ新選組1、立憲民主2、維新2、国民民主1」と野党が6人減となるのである。さらにその際、自民党は19人が16人に減るだけだが、れいわ新選組は2人から1人、国民民主党は3人から2人と少数政党には厳しい結果となる。22年は参政党、社民党、NHK党などは40位以内だったので影響はないが、場合によっては少数党の場合「虎の子の1議席」を失うこともありうる。どういう選挙制度でも議員数を減らせば少数党が大きな影響を受けるのだ。
(G7各国の人口当たり議員数)
 日本の国会議員数は多いと思っている人が多いらしいが、それは全く間違った認識である。そのことは前にも書いたけれど(『日本の国会議員は多いのか?ー日本は人口比で少ない国である』)、大事なことだから何度も書いておきたい。例えば、今年選挙があって政権が交代したイギリス。人口は6868万人ほどであるが、下院定数は650人である。(人口10.5万人に一人の国会議員)。同じく今年選挙があったフランス(大統領制なので、議会の役割は限定的だが)では、人口6830万に対して、国民議会の定数は577人である。(人口11.8万人に一人の国会議員)。それに対して、日本は人口1億2,378万人に対して、衆議院の定数は465人。「人口26.6万人に一人の国会議員」である。つまり、英仏に比べて日本の国会議員数は圧倒的に少ない
(主要国の国会議員数と100万人当たりの議員数)
 恐らくこの「国会議員の少なさ」が、日本で「政治が遠い」というイメージの原因だと思う。数が多くなれば、中には問題を起こす人も出て来る。どんな組織でも同じである。その中で自民党議員に問題行動が多かったのは、単に「数が多い」からだけではない。数が多いということは、当選を続けるために無理を重ねてきた可能性がある。今後も支持を得るために、地方選挙で自派議員が当選出来るように違法な支援をする。また政治資金を出す側に取っても、野党議員ではなく権力側にいる与党議員に接近する必要がある。

 もちろん野党議員にも問題を起こす人はいる。だけど近年自民党議員に問題が多かったのは、2012年以来政権与党にあって、ついこの間までは自民党内の「主流派体制」がこの先しばらくはずっと続くと思われてきたからだ。どんな組織も権力を長く握っていれば腐敗する。中国共産党は日中戦争中は高い規律で知られていた。当時政権を握っていた国民党は外国からの援助を横流しするなど腐敗が多かったと言われる。しかし、中華人民共和国も建国以来75年、長くなれば内部に腐敗が生じてくる。

 中国共産党には今や多くのスキャンダルがあり、突然大臣クラスの政治家が急にいなくなる。そして、その理由も公表されない。国会議員の問題行動を無くすためには、「言論の自由」「報道の自由」がないとダメなのである。そして「議員を減らす」のではなく、時に「政権交代」があるような政治が必要だ。そうなれば、政治家が緊張感を持って活動するようになるだろう。
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「れいわ新選組」への疑念と疑問、「サタン」発言、沖縄1区問題、消費税…

2024年10月13日 22時25分26秒 | 政治
 「維新」を考えるシリーズが途中になっているが、その前に「れいわ新選組」について書いておきたい。基本的にはすべての党に指摘したいことがあるのだが、全部書いてる(時間的)余裕がない。特に「野党の選挙協力はなぜ出来ないのか」は重大な問題だが、その中で「れいわ新選組」は最近際だって「独自路線」を強調している。もちろん独自政党なんだから、どこに候補を立てようが自由である。それにしても…と思うことが多いので、ちょっと指摘しておきたいのである。

 「れいわ新選組」に関しては、 まずそのネーミングが理解出来ない。そのことは前にも書いているので、今回は一番最後に回したい。候補者擁立や公約以前に、どうも不可解に思ったのは9月30日の石破総裁発言に対する山本太郎代表の「コメント」だった。臨時国会は10月1日に召集予定だったので、石破氏は翌日に総理大臣に指名されることが確実だったものの、まだ岸田内閣は総辞職していなかった。その時点で石破氏は「10月9日に衆議院を解散し、27日に投開票を行う」と表明した。憲法7条による解散は憲法上認められるかという問題もあるが、それを認めるとしてもまだ内閣総理大臣ではない石破氏に「衆議院解散権」はなかった。そこで「憲法違反発言」だとする指摘もあるわけだが、いま問題にしたいのはそのことではない。

 山本代表のコメントは「自民党とは詐欺師であり統一教会であり裏金泥棒でありサタンだ」というものだった。およそ公党の代表者が発する言葉とは思えない。自民党が「詐欺師」であり「裏金泥棒」だというのは、(ちょっと品位には欠けるが)反対党による論評の範囲だとみなせる。「統一協会」だというのは理解出来ないが、「統一協会問題を直視していない」という意味に解することは可能。しかし、「サタン」だというのは理解不能だ。「サタン」(悪魔)はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教義に関わる用語であり、日本では一般的な批評用語(あるいは罵倒語)ではない。一神教を信仰していない人には意味がない。このような言葉遣いは、「れいわ新選組」が独自の世界観を持つ組織だということを意味するのかもしれない。

 もう一つ、最近の注目すべき出来事として「沖縄1区の擁立問題」がある。れいわ新選組は10月8日に沖縄1区に久保田みどりを擁立すると発表したが、3日後の11日に「沖縄1区について」という声明を発表して、久保田の立候補を取り下げた。沖縄県では2014年総選挙から続けて3回、野党に加えて翁長、玉城知事を支持する一部保守勢力が共闘する「オール沖縄」体制が続いてきた。2014年は4小選挙区で全勝したが、17年は沖縄4区、21年は沖縄3区、4区で自民党に敗北した。その中で1区では共産党の赤嶺政賢が3回連続して当選してきた。これは全国で唯一、共産党が小選挙区で獲得した議席である。
(沖縄1区に関する声明)
 声明によれば、れいわ新選組は沖縄4区の候補選出をめぐって「オール沖縄」への批判を強めていた。1区=共産、2区=社民、3区=立民(比例当選)は、現職がいるためその議員が継続するが、4区の場合はどうするか。結局前回敗れた立憲民主党金城徹の立候補が決定した。金城は71歳と高齢なので、若手や女性を擁立すべきだとの批判も強く、れいわ新選組は50歳の山川仁の立候補を決めた。僕も「オール沖縄」候補者が高齢男性ばかりだという批判はもっともだと思う。野党支持者が「オール沖縄」を神聖不可侵と考えるのもおかしい。だが、突然の1区擁立が共産党への打撃になるのも明らかで、疑問や反発が出て来るのも予想出来る。

 そういうことをすべて予想したうえでの立候補かと思ったら、3日後には早くも取り下げ。このブレはどうしたものなんだろう。その前日にれいわ新選組は衆院選の立候補者を発表した。比例東京ブロック単独で伊勢崎賢治など注目すべき候補もいる。その中で、埼玉5区で辻村ちひろ(男性)、千葉14区にミサオ・レッドウルフ(女性)の擁立が含まれていて注目された。前者は枝野幸男、後者は野田佳彦の選挙区である。どこに立てるも自由とは言いつつ、これでは「主敵は立憲民主党」と宣言しているようなものだ。自民党「裏金」議員の選挙区にも、有力対立候補がいない選挙区は存在する。自民党有力者にぶつけるのではなく、野党有力者に対抗馬を立てるのは「結果的に自民党を利するもの」だろう。そういう理解で良いのか、きちんと説明すべきだと思う。
(公約)
 公約については僕も共感する部分もあるが、全体的に「おいしすぎる」感が否めない。「消費税廃止」「季節ごとのインフレ給付金」「社会保険料減免」「子ども手当一律3万円」などなど。消費税を廃止した上で、こんなに給付出来るんだろうか。そんな心配(期待)をするまでもなく、れいわ新選組が全員当選しても過半数には遠く及ばず、投票しても給付金など貰えない。いろいろ自公政権の施策を見直して、廃止すべきものを廃止すればお金は出て来るというのかもしれない。だけど、そんなことは夢物語だろう。いつか勢力を増やして政権を獲得したとしても、その時は強大な反対党を意識せざるを得ないのだから。

 ともあれ、そんな遠い将来の夢を見るのはやめて、当面の衆院選をどうするか。いま自民党に批判が集まっているときに、少数勢力はどうするべきか。共産党のような歴史と思想性がある政党はともかく、「れいわ新選組」のような歴史が浅く地方議員も少ない党が、与党に対してではなく他野党に向かってケンカを売っていて良いのだろうか。もちろん立憲民主党側にも問題があるにしても。公約を見れば、明らかに「ポピュリズム政党」と呼ぶしかないと思う。それはもともと「党名」に「れいわ新選組」と名付けた段階で予想出来たことである。「れいわ」にも「新選組」にも、歴史的センスがあれば違和感を覚えると思う。

 「元号」には政治的、イデオロギー的背景があるし、さらに一党が独占して使用すべきものではない。ホームページを見ると「れいわと一緒に」日本を変えようと呼びかけている。これは「元号の政治的利用」だろう。「新選組」も歴史的にどう評価するか明らかにするべきだ。「維新」を主導した薩長勢力と対決したのが「新選組」だから、「維新」と「新選組」が21世紀に再び対決するのも当然か。それにしても歴史が逆行しているようなネーミングに驚いてしまう。
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石破政権波高し、「お友達内閣」に波乱の予感

2024年10月01日 22時07分47秒 | 政治
 10月1日に臨時国会が開かれた。それに先立ち岸田文雄内閣総辞職して、国会で行われた内閣総理大臣指名選挙で、石破茂自民党総裁が第102代総理大臣に選ばれた。石破首相は直ちに組閣に着手し、石破茂内閣が発足した。しかし今回は閣僚、党役員の顔ぶれは日曜日には報道されていた。翌月曜日(9月30日)朝刊に掲載されている閣僚名簿は実際のものと全く同じである。

 総裁選立候補者は内閣には林芳正(官房長官留任)、加藤勝信(財務相)しか入っていない。僕は以前書いたように(「石破首相」の可能性はあるかー2024自民党総裁選はどうなるか?)、この自民党の危機に当たって石破茂が総裁に選ばれる可能性は高くなってきたと思っていた。ただ、総裁選当日に書いたように、高市早苗は経済閣僚に起用されるだろうと思っていた。まあはっきり言えば財務相である。幹事長を任せるわけにはいかないだろう(総選挙を控えて、選挙全体に大きな影響力を持つ役職を「裏金」議員に支持された高市に任せると批判される)が、選挙を前にして「市場向け」の顔がいると思ったのである。
(異例の人事と報道)
 もちろん石破と高市では、めざす基本政策は相当に違うんだろう。しかし、当面来年の参院選までは、衆院選、予算編成、外交日程、通常国会、万博、政治資金規正法再改正と、これだけでも大変である。本格的な石破政権は来年参院選後の内閣改造の後になるはずだ。自民党議員が選挙で落ちてしまっては全員にとって困るはずだから、それまでは「自民党オールスター内閣」が作られると見込んだのである。しかし、現実には高市、小林鷹之は提示ポストを拒否したと伝えられる。僕は小林は若手代表格で選挙遊説の顔として入閣すると踏んでいた。ところが組閣名簿を見ると、若手抜てきも女性抜てきも全くなかったのである。

 ちょっと総裁選各候補の推薦人から誰が閣僚になったのかを見てみたい。林芳正(本人のみ)、小泉進次郎(三原じゅん子)、上川陽子(牧原秀樹)、加藤勝信(本人と阿部俊子)、河野太郎(武藤容治、浅尾慶一郎)、石破茂(赤沢亮正、伊東良孝、岩屋毅、小里泰弘、平将明、村上誠一郎)、高市早苗、小林鷹之、茂木敏充はゼロである。
(石破内閣の顔ぶれ)
 これは非常に偏った顔ぶれである。高市の推薦人は「裏金議員」が多いから難しい。小林の推薦人は「若手」ばかりで、今回は若手が一人もいないので結果的に誰もいなかった。茂木の場合は完全に非主流と処遇されたということだろう。石破政権は、事実上石破を間に挟んだ「岸田=菅」の前、元首相の「ブリッジ共闘」の様相を呈していて、岸田が忌避した茂木は外され、菅内閣の官房長官だった(同じ派閥の)加藤が登用されたのである。しかし、本気で石破を支える人材が(長く非主流を通してきた石破には)ほとんどいなくて、結果的に石破推薦人ばかりが登用された。まあ、安倍内閣時代に不遇だった人が多いのだが。

 今回「総選挙」の日程も10月27日と考えられる最短となった。総裁選中に「熟議」と発言したのにブレた印象を与えていて、野党は一斉に批判している。恐らく石破自身も予想より早いと思ってるはずだが、選挙日程も閣僚人事も思うようにならなかったんだと思う。僅差の勝利で、まだ抜てきするだけの力がなかった。自民党では当選5回以上、つまり民主党政権以前から議員をしていた人が「入閣待機組」とされる。今回初入閣の衆院議員11名は全員当選5回か6回。2012年以後に初当選の、つまり与党しか知らない議員が「若手」となるが、今回は誰もいない。しかも牧原法相は枝野幸男の選挙区で、一度も小選挙区で当選したことがない。小里農水相も立憲民主党議員(野間健)に敗れて比例復活だった。選挙に強くない「待機組」入閣を優先させたのである。

 これは石破の望んだことではなく、今回決選投票で石破支持に回った各陣営の推薦を断れなかったのだろう。その結果、言葉では「適材適所」と言うだろうが、実際には政策に通じていない大臣も生まれたはずだ。だから、予算委員会を開いて各大臣も追求される事態は避けないとならない。何かスキャンダルが明らかになったりすれば、解散出来ないままズルズル行って麻生内閣の二の舞になっては大変。2009年の政権交代が今も深いトラウマとなっているのである。それこそ、早期解散の理由だろう。石破首相が言ってきたことと違うが、党内基盤がないため押し切られたのである。

 高市は結局総務会長の提示を断ったとされる。2012年の時は、安倍総裁、石破幹事長という人事だった。党を二分した選挙後は、「敗れた側は幹事長」という思いもあるんだろう。だが本心では「一兵卒」に戻りたい思いもあったと思う。1月1日の能登半島地震を受けて、高市は「万博を延期すべきだ」と首相に進言した。それは僕もそう思うのだが、高市は万博を所管するわけではない。首相は結局受け入れなかったのだが、高市は首相とのやり取りを勝手に自分のYouTubeチャンネルに載せた。「閣内対立」と言われてもいいなどと言っていたと思う。岸田前首相は政策や推薦人問題以上に、この問題に怒っていて反高市に回ったという話もある。

 高市とすれば大臣を引き受けても、どこかで訣別するべき関係である。安倍首相時代の石破と同じだが、今や主流、非主流が逆転した。そこで石破側も完全に手切れする気になったのか、何と総務大臣に村上誠一郎を起用した。高市は歴代最長の総務大臣経験者で、そのポストに安倍元首相を鋭く批判した村上を起用する。これは高市には絶対に許せないことだろう。「一兵卒で支える」とか言ってるが、これはどうも病に伏す天智天皇の枕元で「病気平癒を祈るため出家する」として吉野に出奔した大海人皇子を思い出させる。何か「大乱の予感」がするのだが。衆院選で自民党が減った場合、1979年の「40日抗争」のように首班指名で大もめすることがあるかもしれない。
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自民党新総裁に石破茂氏ー「大逆転」の党内力学を読む

2024年09月27日 21時41分29秒 | 政治
 2024年9月27日(金)に自民党総裁選が行われ、決選投票で石破茂高市早苗を破って当選した(敬称略)。今日の関東は「警報級の大雨」になると予報されていたので、まあ家で自民党総裁選でも見ようかなと思った。今まで誰が当選するか投票日には予想がつく総裁選が多く、僕もここまで勝者が予想できないのは初めてだ。まあ、自分には投票権がないから見てるだけ。今書かなくてもと思いつつ、大きなニュースではあるので、感想をちょっと。

 今回は9人が立候補したが、報道によれば終盤戦の情勢は「決選投票に残る可能性があるのは3人」だとされていた。それは石破、高市、小泉の3人。そうすると決選投票には「石破・小泉」「石破・高市」「高市・小泉」の3通りの組み合わせがあり得る。石破は議員票は少ないが党員票をかなり集めて、決選には残るだろうと言われていた。そこで「石破・小泉」か「石破・高市」になるが、「石破・小泉」だと麻生副総裁には最悪の組み合わせ。そこで高市が決選に残れるように、第1回投票で麻生派が票を回したと思われる。そのため、高市は議員票で小泉75に続いて、72と事前予想より30人以上多くなり、第1回投票でトップの181票を獲得した。2位石破は154票、3位小泉が136票となった。
(1回目投票結果)
 高市は党員票でも109票と石破の108票を上回ってトップとなった。この結果は予想以上で、党員票の出方も見ると決選も高市有利かと一時は僕も思った。しかし、後知恵になるが「第1回でトップになったことが決選で不利に働いた」と思われる。高市だけ党員にリーフレットを送付して、「金をかけない」総裁選に反していた。そういうルールができる前に送付したという話だが、党員票に少なからぬ影響を与えたという。この「ズルしたもの勝ち」で良いのかという反発が国会議員にあった。また唯一の派閥となった「麻生派」の支持が明確になったことも「派閥の力が働いた」ということで不利になった。

 それと同時に、そもそも高市陣営には「千慮の一失」というべき大問題があった。推薦人20人のうち、13人が「裏金議員」だったことだ。総選挙で野党に攻められるのは確実で、衆院選、参院選を控えた議員心理に大きな影響を与えたのは間違いない。推薦人に今まで問題発言を繰り返してきた杉田水脈(裏金議員の一人)がいるというのも、信じられない。推薦人は選対が決めたので自分は関わっていないと言ってるようだが、そんな意識の議員が選対を仕切っていたこと自体理解不能。他にも支持者がいないわけじゃないだろうに。「裏金」と「派閥」の支持を受けた総理と言われるのは確実で、選挙を控えた議員心理を左右した。
(決選投票の内訳)
 石破の方は「消去法」で選ばれた面もあるだろう。立憲民主党の新代表に野田佳彦元首相が選ばれたことも、石破に有利になった。高市や小泉だと、野田との応酬が心配になる。石破なら、論戦力は負けないだろうと思われた。だが石破は党内に基盤がなく、あまり突出すると昔の三木政権時の「三木降ろし」みたいな、「石破降ろし」が起きるかもしれない。逆に党内に配慮し過ぎて、「政治とカネ」に甘い対応を取ると、これまた支持率が急減するかもしれない。多くの議員が「選挙の顔」として、石破が高市よりマシと判断した。それがどう出るか判らないが、野党に取って小泉や高市より攻めにくいのは確実だ。
 
 当初は小泉が大量の党員票を取ると思われていたが、その後「失速」したと報じられた。しかし、もともと「小泉が党員票を大量に獲得するだろう」というのが幻想だったのではないか。若い世代に小泉支持が高いと言われたが、若い世代に自民党員なんていないだろう。もちろん少しはいるだろうが、自民党員・党友の平均年齢は相当高いと予想できる。議員との関係で党員になってる人は、議員の意向に従う。それに長年党員を続けている人は、相当に「保守的」だろう。選択的夫婦別姓制度など小泉が掲げる「改革」「決着」なんか支持されなかった。それはそれで困ったことだが。

 ということで、「若手」は退けられた。そうなるだろうことを予測できずに小泉を担ぎ出した菅前首相も感覚がズレていた。まあ決選では石破に入れたようで、辛くも存在感を残したが。一方、麻生副総裁は高市に賭けて失敗し、政治感覚のズレを露呈した。今後どう処遇されるか不明だが、事実上「失権」し、総選挙では引退する可能性もある。もう84歳なんだから潮時だろう。そういうことで、二階も含めて、長老世代が権力を失う可能性がある。そうでなければ、石破が当選するなどあり得なかっただろう。

 だが子飼い議員も少なく、今後の人事、国会、総選挙はなかなか大変だと思う。高市早苗をどう処遇するか。高市が決選に残って、敗れたというだけで円相場が4円以上動いた。何も処遇しないわけには行かないだろう。外相は危ないから、経済関係閣僚か。幹事長官房長官も難しい。小泉進次郎官房長官はあるかもしれないが、党役員かもしれない。小林鷹之は入閣するだろうが、他の人の予測は難しい。岸田政権を継承するという対外イメージのため、外相は上川留任か林芳正に戻すかも。まあ、僕が考えても仕方ないが、野党側も協力体制をしっかり作らないと選挙は厳しくなると思う。
(その後思ったのだが、「石破首相」が全国遊説中に官邸を離れられない官房長官に、小泉進次郎を任ずるわけがない。選挙の顔なんだから。今言われているところでは、小泉は選対委員長。官房長官は林芳正留任。幹事長は森山裕総務会長という話。9.28追記)
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「維新」的発想=「中間組織の排除」がもたらすものー「維新」考②

2024年09月25日 22時23分25秒 | 政治
 「維新考」は何回か予定しているが、まずは2回で止めて断続的に続ける予定。今回は7月に刊行された吉弘憲介検証大阪維新の会ー「財政ポピュリズム」の正体』(ちくま新書)を読んで思ったことを書きたい。著者の吉弘氏は財政学、地方財政論が専門の桃山大学経済学部教授。この本では主要政策や支持者の分析を行った後、「維新の会は「小さな政府」か」「「維新は大坂を豊かにした」は本当か」などを実証的に検証している。支持者が必ずしもカジノや万博は支持していない調査結果も示している。そして「小さな政府」を指向しているようなイメージがあるが、案外そうでもない現実が提示されている。

 それらは興味深いのだが、関心がある人は本書で見て貰うとして、この本を読んでなるほどと思ったことを書いてみたい。「維新」は2008年2月に大阪府知事に当選した橋下徹氏が府議会自民党会派と対立を深め、2010年4月に松井一郎氏ら府議6人と「大阪維新の会」を結成して誕生した。それ以来、当初は「橋下・松井」の「2トップ」を売りにしていたわけだが、両者ともに今は政界を引退している。それは「大阪都構想」が二度にわたり大阪市の住民投票で否決されたことがきっかけだった。この意味でも大阪市民が「維新」を完全に信認しているわけじゃないことが判る。
(創設者の橋下徹氏=2012年衆院選)
 一方で、自民党はもちろん、立憲民主党のリーダー層にも長年見てきた顔が多い。公明党や共産党も同様なのに、「維新」だけは結党時のリーダーが引退し、より若い吉村洋文大阪府知事(2014~15に衆議院議員、15~19、大阪市長、19~大阪府知事)が次のリーダーとなった。1975年生まれの吉村氏は2024年現在49歳なのである。こうして、維新には「新しいリーダー」を擁する清新な政党というイメージが生まれたわけである。しかし、「維新」は民主党政権時代に野党の安倍晋三元首相に接近し、やがて安倍政権復活によって「大阪・関西万博」やIR法案(カジノ)に政権の支持を得た。そして最大の大型公共事業とも言える万博を、都構想敗北後の「目玉」にする「古い発想の党」というもう一つの顔がある。

 同時に、主要な政策として「身を切る改革」を掲げて議会の定数削減などを進めて来た。2011年までは109議席だったものが、一挙に88議席に削減、さらに2022年には79議席に削減された。まさに公約を実行してきたかに見えるが、地方の議会選挙は定数1人と複数定数が混合している。2人から1人になった選挙区では維新しか当選しない。共産党や民主党系は複数区の下位じゃないと当選が難しく、定数削減により府議会は「維新」が圧倒的になるわけである。
(松井一郎大阪市長=2022年参院選)
 このような発想のもとには「中間的組織」を敵視する発想があるという。中間的組織には業界団体や職能組織があり、自民党の票田、資金源でもある。そういう組織が票や金と引き換えに「利権」を得てきたと考えるわけである。そこで自民党の政治のあり方に反発する「改革政党」的イメージが生まれる。だが同時に野党を支持する労働組合市民運動も同列の組織として排除される。労働者の「団結権」や一般市民の「表現の自由」を尊重するという発想が浮かばないのである。それらも「行政トップ」が推進する正しい政策を妨害する「抵抗組織」とみなされるわけである。

 恐らく「議会」や「役所」さえ、余計なものに見えているかもしれない。自分たちの正しい政策が途中で妨害されずに住民に直接届けば、それが最も望ましいわけである。これは言ってみれば「政治の産地直送」とでも言うべき発想だ。この間、日本では高齢化、少子化が予想を越えて進行してきた。社会の担い手がどんどん減っていく中で、増税することなく社会を維持し一定の行政サービスを行っていくためには、出来る限り「中間的組織」を排除して、安く仕入れる工夫をするしかない。このような日本を覆う危機への対処が「身を切る改革」なんだろう。そしてそれは一定の支持を得てきた。
(吉村洋文し大阪府知事=2023年統一地方選)
 その結果、「公務員削減」が実行される。市民病院や市営地下鉄の民営化などもあるが、「維新」政権下で正規の公務員が減り、代わりに2008年~2019年までの12年間で、市全体の非常勤職員は1845人から4924人と2.66倍に増えているという。区役所窓口や証明書発行から生活保護の受給相談まで非正規職員が担っているという。これは「団塊の世代」が定年を迎えた後、後任に正規職員を配置しなかったことが多いんだろうと思う。だが「公務員」はその職務内容上、地元自治体(または隣接自治体)に長年居住することが多い。そしてそこで自分の生活を営むとともに、育児や介護に従事してきた。

 そのような地元を支える「消費者」から、身分が安定しない非正規職員に代わる。人件費自体は削減されるだろうが、同時にそれは地元の経済にマイナスになるのである。そして「派遣社員」を公開入札で決めるとなると、東京に本社がある大手人材派遣会社が採用されることが多くなる。つまり、正規職員という安定した地元経済の担い手を減らして、東京一極集中を後押ししてきたわけである。またマジメな大学生、高校生の就職先としての公務員を減らせば、民間企業に行くしかないが、民間では転勤がある。(もちろん公務員にも転勤はあるが、自治体内部に限られる。)そして有能な人材が地元から逃げてしまうのである。

 橋下氏のもとで、かつて文楽協会への補助金停止、大阪市民楽団解散などの措置が問題になった。「文化」への投資をしないとなると、「文化」を求める若い世代はますます東京を目指すしかなくなる。また学校でマジメに勉強して地元の公務員を目指すという進路目標がなくなってしまえば、公立学校の役割も大きく変わってしまう。こうして、「身を切る改革」がかえって大阪を貧窮化してしまうという「合成の誤謬」が起きるわけである。
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2025年大阪・関西万博は「失敗」するのかー「維新」考①

2024年09月24日 21時58分32秒 | 政治
 最近ミステリーや新書を片付けているが、「日本維新の会」関連の新書が出ているので、その紹介。立憲民主党代表選や(27日にある)自民党総裁選のことは前に書いてるから、総選挙前に「維新」について考えたいのである。10年以上、大阪を中心に猛威を振るってきた「維新」だが、最近はちょっと失速気味である。箕面市長選(8月25日)では「大阪維新の会」現職が敗北し、大阪府議補選(摂津市選挙区)では「維新」公認候補が無所属候補に敗れている。

 こういう失速は、一つは「維新」が推薦した兵庫県の斎藤元彦知事(9月19日に県議会が全会一致で不信任案を可決)への対応が影響したと言われる。しかし、その前から支持率が低迷し始めていて、その大きな要因に2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)をめぐる諸問題(開催費用の増大、パビリオン建設が遅れていること、会場の「夢洲」の地盤・交通などの問題、入場料が予想より高くなったことなど)がある。一体どうなっているんだと思うと、8月にちくま新書から松本創編著『大阪・関西万博「失敗」の本質』という本が出たのでさっそく読んでみた。

 もともと関心はないんだけど、「失敗」と明言しているので気になったのである。前書きに、やる前に「失敗」と決めつけて良いかと言われるだろうが、終わった後で書いたら事前に書くべきだと批判されるだろうと書いてある。この本に書いてあることはいちいち紹介しないが、ふーん、こんなになってるんだと思うことが多かった。確かに「不運」もあった。ウクライナやガザの戦争によって、世界的に物価高が進んでしまった。また東京五輪のスキャンダルで電通や博報堂など大手広告代理店が入札禁止になってしまったことも大きかったという。それは確かに「維新」には不運だった。
(万博会場のイメージ)
 だがこの本を読むと、というか多くの人の印象にあるように、そもそも「大阪でまた万博をやる」ということは全く「維新」が言い出したことだった。やるとしても、「夢洲」(ゆめしま)を会場にするというのも、松井一郎氏(2011~19年に大阪府知事、19~23年に大阪市長)が発案して押し通したことが明らか。そもそもここは日本初のカジノが開設される場所だった。コロナで遅れたが、本来は2025年に同時に開場するはずだった。しかし、夢洲という埋め立て地は南側は咲洲(さきしま)、北側は舞洲(まいしま)というどっちも人工島を通ってしか行けない。地下鉄開設は延期になり、橋とトンネルしかない。
(夢洲の地図)
 災害(台風や地震)の時はどうなるんだと心配されるが、まあ僕は行かないから関係ないけど。別に「維新」がやってるから行かないんじゃなく、東京でやっても行かない。そもそも博覧会的なイヴェントに関心がないのである。つくば万博(1985年)も愛知万博(2005年)も行ってない。前回の1970年の大阪万博は行ってるが、それは親と一緒の家族旅行(中学時代)だったので別。その時も大混雑だったという思い出が強い。来年の万博もいろいろあってもそこそこ観客はいるだろう。わざわざ行く気にならない。博覧会に行って様々な体験をするというのも今さら感が強い。
(開会300日前の会場)
 「大阪・関西万博」は2025年4月13日から10月13日まで184日間開催される。もうおよそ半年前になっている。東京では全く話題になっていないと思う。想定来場者数は2800万人というが、これは相当難しいだろう。入場料はいくつか違いがあるようだが、大人3,700-7,500円と当初より高くなった。観光で大阪へ行ってUSJも行きたいとなると両方はきついという人も出て来るんだろう。前回のドバイ万博はコロナ禍で予定より1年遅れの2021年に行われた。大阪も1年遅らせても良かったんじゃないかと思うが、まあ予定通りやるということだ。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、自分が関心がないからかもしれないが全然覚えられない。70年大阪万博は「人類の進歩と調和」だったと今もすぐ言えるんだが。
(ミャクミャク)
 それに「公式キャラクター」ミャクミャクが選定当時(2022年7月18日)から「気持ち悪い」と評判が悪い。僕も気持ち悪いと思うし、これを選定したセンスを疑う。だけど、もうそうしたレベルを超えた段階にある。開催中に大地震が起こり、交通手段がなくなって夢洲に大量の観客が取り残されたり、地盤が液状化してパビリオンも入れなくなってしまったり…。そんなこんなで途中で終わりになってしまうなんて事態が起きなければ、もうそれで良しとするしかない。台風や集中豪雨も心配だが、まあ天気は予報できるが地震はいつ起きるか判らない。せめて「維新」が夢洲以外を会場に選んでいればまだマシだったのである。
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主流派体制の崩壊、菅前首相の復権ー自民党総裁選⑤

2024年09月15日 22時02分12秒 | 政治
 自民党総裁選で候補者が乱立している事情として、「主流派体制の崩壊」が挙げられる。何しろ首相を出している旧岸田派から林芳正上川陽子、幹事長を出している茂木派から茂木敏充加藤勝信と二人も出ている。唯一「派閥」として残っている麻生派からも河野太郎が出ている。「派閥」がない(ということになっている)事情から誰が出ても構わないわけだが、これでは票が分散して負けるだけである。どうしてこうなってしまったんだろうか。(敬称略)
(総裁選立候補者の派閥)
 もともと「主流派」の内実はスカスカだった。岸田首相と茂木幹事長はすきま風が絶えず、それは茂木に次期首相をめざす野心が見え見えだったからだろう。党内では「人望がない」と言われつつも「能力は抜群」と言われる。幹事長は党の要なんだから、本来は首相に代わって裏金問題処理の先頭に立つ立場にある。しかし、安倍派の恨みを買いたくないのか、ほとんどタッチしなかった。今回の総裁選でも突然「防衛増税ゼロ」と言い出して首相は怒っていると報道されている。

 一方、麻生派を率いる麻生副総裁は唯一派閥を残したことで、すっかり「守旧派」イメージになってしまった。もともと岸田首相が相談なく岸田派解散を打ち出したことに怒ったと言われる。しかしそれもおかしな話で、「副総裁」なんだから「党の不祥事」に何の対策も示さない方が理解不能。「麻生派は問題ない」(そうでもないという話も出ているが、一応今回は刑事罰の対象にはなっていない)という認識から来ているんだろうが、党全体の危機にあたって、この無神経な対応はどうなんだろうか。むしろ麻生派を岸田派に続いて解散していたら、ずいぶん違っていたはずだ。
(麻生副総裁と茂木幹事長)
 この事態の遠因を探ると、結局は「安倍長期政権の弊害」に行き着く。安倍政権のナンバー2は麻生副首相だったが、年齢的にも一端首相に就任した経験上も麻生が安倍後を担うことは想定されていなかった。麻生副首相兼財務相は在任中にたびたび「失言」問題があったし、財務省にも様々な問題(セクハラ等)があった。それでも安倍首相は麻生を一切辞めさせなかった。それが何年も続いたわけだから、麻生が「自分は何を言っても大丈夫」と思い込むのも仕方ない。政治家に必須の「危機管理意識」「サバイバル能力」が錆び付くのも当然だった。今回の総裁選は「自業自得」の道を進んでいる。

 安倍首相は2018年に党則上最長の総裁3期目に入っていたので、遅くとも2021年には退任することが決まっていた。従って「後継者をどう育てるか」をはっきりさせる責任があった。しかし、有力候補としては岸田外相(その後政調会長)と菅官房長官、さらに外相、防衛相に抜てきした河野太郎などがいて、それぞれを「分割統治」する感じだった。「安倍派」(当時は細田派)も何人もの有力者が並び立ち、特に誰が抜きん出ているという感じもなかった。急逝後も「集団指導」とするしかなく、無理に後継会長を選べば分裂しただろう。そして安倍後継を決めることなく、派閥自体が解散することになったわけである。

 前々回の2020年総裁選は突然だったこともあり、菅官房長官が後継に名乗りを挙げ、立候補した岸田、石破に大差を付けて1回で当選した。(菅=377、岸田=89、石破=68。)党則上、任期途中の辞任の場合、後継総裁は前任者の本来の任期までとなる。従って、2021年9月に再び総裁選が行われたが、この時は菅首相が再選断念に追い込まれた。支持率が低迷する菅政権に岸田が批判を強め、「党役員は任期一年」と事実上「二階幹事長交代」を打ち出した。菅は内心では岸田に対して面白くない感情を抱いていて、「岸田が自分を追い落とした」と思っているのである。

 結局、2021年総裁選は、岸田文雄河野太郎高市早苗野田聖子が立候補し、第1回投票では岸田(256)、河野(255)、高市(188)、野田(63)。決選投票が行われ、岸田(257)、河野(170)で岸田文雄が当選したわけである。その時は衆参議員票が382票で、党員・党友票が同じ382票に設定された。党員票は河野(169)、岸田(110)と河野優位だったが、決選投票では岸田が当選した。その後の組閣・党人事で、麻生太郎副総裁、甘利明幹事長、官房長官は松野博一(安倍派)、外相には茂木敏充(留任)で、岸田内閣では岸田派、麻生派、茂木派が「主流派」となり、安倍派も実質的に主流派だった。
(小泉進次郎を支援する菅前首相)
 菅前首相にとり、3年前のリベンジが今回の総裁選。小泉進次郎を全面的にバックアップし、岸田政権の主流派を解体させた。横浜の街頭演説で菅も応援演説をしている。しかし、あまり菅が前に出ると「長老支配」が露骨になるので、もう人前では応援しないらしい。同じ神奈川県連で関係の深い小泉とはずっと「無派閥」が共通している。河野太郎が麻生派を抜けなかったので、前回支持した菅も見限ったということだ。経験不足の小泉陣営を菅が支えているようで、「小泉政権誕生なら副首相か副総裁」などと公然と取り沙汰されている。

 この「政治に関心がある人なら誰でも知っている」菅の影響力がプラスになるか、マイナスになるか。事実上「菅派の締め付け」を行っているらしく、明るみに出れば批判が高まるかもしれない。清新イメージの影に長老支配あり。そう思われたら人気に影響するだろうか。僕には判断出来ないが、菅首相は「自助、共助、公助、そして絆」が自分の信条だとあからさまに述べた人物だ。首相就任直後に「学術会議会員任命拒否」をした人である。今も僕は許せない思いを抱いている。菅前首相がバックにいる小泉政権なんて、とんでもないものになるに違いない。(もっとも誰が総裁になっても同じようなものかもしれないが。)
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小泉進次郎の弱点は「若さへのジェラシー」ー自民党総裁選④

2024年09月14日 21時53分17秒 | 政治
 プロ野球ヤクルト・スワローズ青木宣親選手(42)が今シーズン限りで引退すると表明した。日米通算3128本はイチロー、張本、王、野村に次ぐ日本選手第5位である。あっ、そんなに打ってたんだ。現在最年長のプロ野球選手、同じヤクルトの石川雅規投手(44)は来季も現役を続行する意向だという。大体のプロスポーツ選手は長くやっても40代前半ぐらいで「引退」になる。(まあサッカーの三浦知良という人もいるが。)ところで青木、石川両選手の真ん中なのが、自民党総裁選に立候補している小泉進次郎氏(43)だが、政界では「若手」になる。もし総理大臣に就任したら憲政史上最も若い首相である。

 自民党総裁選が9月12日に告示され、9人が立候補した。(出馬を模索していた野田聖子、斎藤健、青山繁晴3氏は推薦人が確保出来なかった。)抽選による届け出順で、高市早苗経済安全保障担当大臣(63)、小林鷹之元経済安全保障担当大臣(49)、林芳正官房長官(63)、小泉進次郎元環境相(43)、上川陽子外務大臣(71)、加藤勝信元官房長官(68)、河野太郎デジタル大臣(61)、石破茂元幹事長(67)、茂木敏充幹事長(68)の9人である。
(日本記者クラブの討論会)
 今回の総裁選は9人という異例の大量立候補になった。その結果、一回目の投票で当選者は出ず、上位2人の決選投票となる。総裁選は議員票367票党員票367票合計734票で争う。常識で考えて、推薦人と本人は投票先が決まってるわけで、20×9+9=189票がもう決定している。これは議員票の約半分である。党員票と言ったって、ある程度はバラけるだろう。議員票の残り半分90を確保し、さらに党員票の半分を獲ったとしても180票。推薦人と合わせて300票にもならないから過半数を獲る人は出ない。小泉氏や石破氏が比較的強いと言われているが、党員票の半分は無理だろう。従って必ず決選投票になるのである。

 さて、自民党は今裏金問題をきっかけに支持率が低下している。今秋にも衆院選、来年7月には参院選があるということで「猫の手も借りたい」気持ちだろう。とにかく「選挙の顔」になる清新で人気のある新総裁を求めている。となると何と言っても小泉進次郎か。実は小泉氏が出馬会見を行ったのが川村記念美術館に行った日なので、ラジオで会見を聞いていた。なかなか威勢が良かったし、「選択的夫婦別姓」「解雇法制」「憲法改正」など「決着」を付けると意気込んでいた。
(決着を掲げる小泉進次郎氏)
 小泉氏の「決着」はその内容の評価はともかく、そういう論点を設定したことで総裁選の論戦を促した役割はあっただろう。そこでやっぱり「小泉が有力か」と言われるわけだが、小泉進次郎にウィークポイントはあるだろうか。必ず決選投票になる以上、小泉氏以外の人が皆反対候補に入れれば敗れることになる。今の予測では上位に入ってきそうな候補は、小泉、石破、高市に加えて、小林、上川あたりまでじゃないかと予想されている。残りの林、加藤、河野、茂木には上位2人に入る可能性はない。

 上位に入ってきそうな石破氏や高市氏も党内では反発が多い方の政治家である。そうなるともう片方が小泉氏だと、多くの人は小泉氏に入れそうな気もする。だけど僕が予測するに、必ずしもそうは言えないんじゃないか。今回小泉氏が新総裁となり、目論み通り衆院選、参院選で自民党が勝つとする。次回の参院選は2028年、衆院議員の任期は2028年まで。次の自民党総裁選は2027年である。よほど大きな失政があれば別だが、支持率が高いままなら小泉再選は堅い。党則上3期9年は出来るとして、そこまでは誰にも予測不能だが、一応今回小泉政権が誕生すると6年間は続くと見た方が良い。

 そうなると、先の候補一覧に年齢を入れておいたが、自ら「最後の戦い」という石破氏だけでなく、上川、茂木、加藤氏などに加え、高市、林氏なども次は厳しい。年齢的に次々回総裁選も出られそうなのは、小林鷹之氏ぐらいではないか。今回これほど多数が立候補した理由には「派閥」の問題もあるが、一番大きいのは「自分が出られるのはこれが最後かも」という思いではないか。総理になれなくても、総裁選に立候補すれば「総理を目指した政治家」の証を歴史に刻むことが出来る。自分だって当選が難しいぐらいは理解してるだろうが、やはり「一度は総理を目指してみたい」のである。

 そのことを考えると、「大幅な若返りを避けたい」という公には言えない理由で、「石破でも良い」「高市でも良い」という人が出て来ないとは言えない。いや、むしろ「イケメン、弁舌爽やか、美人妻」に対するジェラシーは根深いと想定しておく方が良い。そんなバカな、いやしくも国会議員たるもの、国益、党益を最優先に判断するなどと思うわけにはいかない。みな終局的には「自分優先」であって、だから裏金問題なども起きている。もちろん、公的には「小泉氏は国政の最高責任者を担うには経験が不足している」として、「国益のために判断した」という言うだろうが、内心は自分より圧倒的に若い小泉には入れたくない。

 僕はそんなことも考えてしまう。高齢男性のジェラシーは怖いのである。それを避けるには、党員投票で圧勝する必要がある。2012年総裁選では党員投票トップの石破氏を、決選投票で安倍氏が破ったわけである。これは今度は出来ないと思う。大きな批判にさらされている自民党は、党員投票で誰かが大差で1位となった場合、2位候補には「辞退圧力」が掛かるだろう。しかし、党員投票でどれほど獲れるだろう。党員も国会議員の要請でなっている人が多いだろうし、その地方出身議員が出ていればその人に入れるだろう。何でも小泉氏が銀座で演説し5千人が集まったとか。やはり「人気」はあるので、選挙のことを考えれば小泉かと思いつつ、何とか小泉に入れなくて済む「失言」を待っているという自民議員も多いと思う。
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野党は臨時国会で実質審議を要求すべきであるー即時解散論批判

2024年09月13日 21時47分13秒 | 政治
 このブログではあまり(新聞の)「社説」みたいなことは書かないようにしている。読まれない記事の代表だし、時間が経つと書いた意味がなくなる。今までも単にニュースの感想みたいな記事はすぐ読まれなくなった。しかし、今日はそういう「社説」みたいな話。ひと月すれば意味がなくなるのは判っている。僕が書いても政治的な影響がないのももちろん判っている。

 もうすぐあると予想される「衆議院解散」の話である。9月12日に自民党総裁選が告示され、9人が立候補した。27日に新総裁が決まり、その後臨時国会が開かれる。そこで岸田内閣が総辞職して、新しい総理大臣指名選挙が行われる。衆参ともに与党が過半数を占めているので、自民党新総裁が内閣総理大臣に選出される。そこまでの流れは決められた道を進むだけである。
(公明党北側副代表の発言)
 その臨時国会召集日は、10月1日と予想されている。公明党の北側副代表が自民党からそう打診されたと記者会見で明かした。問題はそこからで、その後直ちに衆議院を解散すれば、最短で10月27日も可能になるらしい。誰が新首相になるか未定だが、世論調査では小泉進次郎、石破茂両氏への支持が多く、両氏が軸になると言われている。そして両氏とも早期に衆議院を解散して民意を問うと表明しているのである。まあ、要するに就任当初の人気・期待が消えないうちにやっちゃおうということだろう。

 しかし、そんなにすぐ解散・総選挙をしても、国民には選びようがない。思えば、前回2021年衆院選も岸田氏が新首相になってすぐに解散して行われた選挙だった。その前の2017年衆院選に至っては、9月28日に開いた臨時国会冒頭で安倍晋三首相が衆議院を解散したものだった。当時は森友・加計学園問題などで野党が安倍内閣を批判していて、憲法に基づいて野党が臨時国会を要求したが安倍内閣はずっと国会を開かず、ようやく開いたと思ったら何の審議もせずに解散してしまった。
(早期解散を明言する小泉進次郎氏)
 こういうことを繰り返して、「勝った勝った」と言って何の意味があるんだろう? ちゃんと新首相が「施政方針演説」を行い、代表質問を受ける。また「党首討論」も実施する。そんなタテマエみたいなことを言うより、選挙になればテレビやネットメディア、記者会などが党首討論会を聞くからそれで構わないじゃないか。そう思う人も多いだろうが、やはり国権の最高機関である国会は大切にしなくていけない。そういう場で語られる言葉を国民もきちんと注視するべきだ。

 そして、そんなことより何より「政治資金規正法」の再改正をさっさとやるべきだ。6月に決めたはずの「政治活動費の10年後公開」などを見直すべきだと総裁選立候補者があれこれ言っている。立憲民主党代表選立候補者が軒並み批判しているが、「今頃言うな」である。あまりにもふざけた話だと思わないか。野党は皆与党案は不十分だと言っていた。「維新」なんて、政活費を見直すことで合意したつもりで衆院では与党案に賛成したぐらいだ。しかし、参院段階でも協議が進まず(自民党にやる気が見られず)今度は参院で反対に回った。そんなドタバタ劇があったことを覚えているだろうか。

 自民党新総裁が再改正をすると言うなら、野党はもともとそう言ってるんだから、選挙をする必要がない。与野党で直ちに合意して、政治資金規制法を再改正するべきだ。3週間もあれば出来るだろう。野党はまとまって「臨時国会で政治資金規正法を再改正するべきだ。応じないなら、総理大臣指名選挙に協力しない」と通告すればよい。自民党がそれに応じないとしても、最低限、党首討論を実施させる必要がある。応じないなら、自公だけで首相指名をせよ、野党は欠席すると言うべきだ。

 衆議院を解散して総選挙を実施した場合、憲法の規定で「選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない」(特別国会)と決められている。しかし、今回は自民党の都合で首相が変わるだけである。確かに「辞めると決まっている首相」をいつまで放っておくのは、「国益に反する」かもしれない。だけど、憲法上は臨時国会はいつやってもよく(だから自民党はいつも要求に応じず延ばしてきた)、辞めるはずの岸田内閣がそのままやっていても問題ない。

 「国会できちんと論戦を交わしてから解散せよ」。これは無理な話でもなんでもなく、正論すぎて書くのが恥ずかしいぐらいだ。内閣総理大臣が施政方針演説もせずに選挙をするようなことが当たり前になってはまずい。「コスパ」「タイパ」なんて言葉ばっかり流行って、きちんと議論することが世の中全体に少なくなっている。話し合いをほとんどせずに、「さっさと決めよう」が世の中の当たり前になってはいけない。こんなことを書きたくないんだけど、やはり書いておかねばと思う。
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どう見る?立憲民主党代表選、「野党を育てなかった有権者」の12年

2024年09月05日 21時43分41秒 | 政治
 自民党総裁選と同時期に立憲民主党の代表選が行われる。9月7日告示、23日投開票なので、いずれも自民党に数日先んじている。しかし、報道は自民党総裁選に集中し、立憲民主党代表選は埋没しているという声が絶えない。しかし、自民党の次期総裁は「次期首相」なのに対し、立憲民主党次期代表は「次の次の首相になるかもしれない(可能性が存在する)」という存在に過ぎない。マスコミだけでなく、人々の注目が自民党に集中するのもやむを得ないではないか。

 代表選に関しては、枝野幸男前代表が出馬を表明し、続いて野田佳彦元首相も出馬を表明した。泉健太現代表も続投を目指しているというが、なかなか推薦人20人が集まらない状態と報道されている。他には当選1回の女性議員吉田晴美氏も出馬の意向を表明しており、江田憲司馬淵澄夫氏を推す声もあるが馬淵氏は撤退。西村智奈美代表代行は不出馬を表明した。立憲民主党代表選に出馬するには、国会議員の推薦人20人を集める必要があるが、このハードルは自民党以上に高い。何しろ所属議員が衆参合わせて136人しかいないのに、自民党総裁選と同じ条件なのである。
(出馬を表明する枝野前代表)
 その条件を変えるべきだという声が高いが、まあそれは今後党内で議論すれば良いだろう。今回に関しては、いくら何でも枝野、野田2氏だけでは自民党に比べて見映えしないので、何とか4人ぐらいにはなるのではないか。推薦人確保も危うい泉現代表の再選は厳しいだろうし、一期生の吉田氏は出馬できても当選ラインには遠いだろう。ということで、結局は二人。保守系がまとまりそうな野田氏が優勢枝野氏が対抗という情勢と思われる。小沢一郎氏が野田氏を推すという話で、じゃあ2012年の分裂は何だったのかと思うが、自民党に対抗する以上「政権交代のためなら何でもアリ」かもしれない。

 野田元首相は「昔の名前で出ていますではいけない」と言っていたのに自ら出馬するのは何故だろうか。(この表現に対して、新聞が「1975年の小林旭さんのヒット曲に例えて」と書いてたのをみて、説明がいるのかと感慨があった。)これは自民党で小泉進次郎氏が出馬するのに連動した動きだと思われる。立憲民主党の若手議員はもちろん誰も閣僚経験などないし、党役員さえやっていない。だから「知名度」と「経験」では誰も小泉進次郎首相に対抗出来ない。「」「」の小泉首相には、「老巧」「重厚」イメージの方が有効なのではないかと党内で思われているのだろう。
(出馬を表明する野田佳彦氏)
 ちょっと立憲民主党の立党経緯を振り返ってみたい。2017年総選挙を前に、当時の民進党前原誠司代表が小池百合子都知事らが結党した「希望の党」と合流を決めた。しかし、小池氏は民主党時代の閣僚経験者などを公認せず「排除」した。その時「排除」された人々によって作られたのが立憲民主党である。結党当初の代表を務めて当選したのが枝野幸男氏、無所属で当選したのが野田佳彦氏、希望の党で当選したのが泉健太氏である。その後、無所属を含めて合流の機運が高まったが、合流しなかった人たちが国民民主党に集まり、それ以外で今の立憲民主党に結集した。

 そういう成り立ちだから、内部的にはいくつかの潮流が存在する。代表、幹事長、国対委員長などの要職は民主党政権時代に閣僚経験がある人が就くことが多く、顔ぶれに既視感が強いと批判され続けている。ただ、この問題で立憲民主党を非難出来るとは僕には思えない。2009年の政権交代選挙では、当時の民主党は全国300小選挙区のうち、221で勝利した。(他にも連立を組む社民党が3、国民新党が3、新党日本が1と、新与党で228議席を獲得した。)

 一方、自民党で小選挙区を勝ち抜いたのは、わずか64人に過ぎなかった。それでも西日本では強さを発揮し、安倍晋三、麻生太郎、岸田文雄、石破茂、二階俊博、加藤勝信氏など政権復帰後に要職を務めた人がいる。また神奈川県では全18小選挙区中、自民党はわずか3人しか勝てなかったが、それは菅義偉、河野太郎、小泉進次郎氏だった。つまり、2009年の民主党旋風の中でも勝ち抜いた議員が2012年の政権復帰後の自民党を支えたわけである。

 ところが2012年の総選挙では、民主党が獲得した小選挙区はわずか27議席に激減した。民主党から分裂した日本未来の党(小沢一郎系)が2議席、国民新党1,政権を離脱した社民党1である。それに対し、自民党は小選挙区で237議席も当選したのである。その中には後に「魔の○回生」と呼ばれて任期途中で辞任、さらには逮捕・起訴されたような新人議員が何人もいる。そして民主党で当選したわずか27人の中には、長島昭久細野豪志松本剛明(現総務相)、山口壯氏など今は自民党に所属している人もいる。また玉木雄一郎前原誠司古川元久氏など立憲民主党に合流しなかった人もいる。

 だから2012年に民主党で小選挙区を勝ち抜いた、枝野幸男岡田克也安住敦長妻昭馬淵澄夫氏などがその後の党運営でいつも何らかの役割を担わざるを得なかった。(野田佳彦元首相はその後はしばらく表に出なかったが。)そして、2009年に初当選した多くの若手、女性議員はほとんど2012年に落選し、その後の2014年にも戻って来れなかった人が多い。その結果、生活のために政界を引退せざるを得なかった人が多いだろう。中には当選を続けていれば、今頃はリーダーに相応しい人も出ていたかもしれない。しかし、野党議員を落選させ続けたのは有権者の判断だった。その結果、立憲民主党には「ベテラン」がいて、「若手」もかなり多いが、「中堅」が少ない。(前回衆院選当時、当選7回以上=28人、当選6~4回=22人、当選3~1回=46人。)
(出馬を模索する吉田晴美氏)
 野党第一党のそういう構造を作ったのは有権者の審判だったので、今さら批判してもむなしい。若手議員はかなりいるので、今後は変わっていく可能性があるが、人がいない以上しばらく「ベテラン優位」が避けられない。有権者の側は自分たちの判断が自民党のスキャンダル議員を選び続けてきたことを自覚する必要がある。そのことを前提にして、10月にもあり得る解散・総選挙に臨む以外にないのである。だが…、それにしても「野田佳彦首相の復活」というストーリーに我々は「萌える」ことが可能だろうか。小泉進次郎政権=菅義偉前首相の復活よりはマシと思うしかないのだろうか。政策面は今回は細かく書かないけれど、「保守」に寄ることで「安心」する人もいるんだろうが、何も変わらないなら政権交代の意味もない。
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特殊な宗教施設、「官軍」のための靖国神社ーそもそも靖国神社の問題とは?

2024年08月29日 22時11分47秒 | 政治
 靖国神社と自衛隊の関係が深まっているという問題の危険性を指摘した。ところで「靖国神社」とは何が問題なんだろうか。前にも書いたと思うけど、大分前のことだから自分でもいつ書いたか覚えてない。こういう問題は時々書き直して確認しておく方が良いだろう。僕は靖国神社に行ったことがない。避けているとも言えるけど、東京にある有名な寺社、キリスト教会などもほとんど行ってない。東京タワーなど「観光地」も自分で行ったことがない。東京には歴史的に価値がある寺社建造物が少ないし、いつでも行けるから敢えて行く気にならない。基本的に信仰心がない方なので。
(靖国神社)
 まず憲法の「政教分離」原則。日本国憲法には「第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」という条項がある。
(政教分離条項)
 憲法の条文を常識的に読むならば、大臣が勤務時間中に靖国神社(に限らずあらゆる宗教施設)を参拝するのは憲法違反になると思う。それなのに何故毎年参拝が繰り返されるかというと、「私人」だからと主張するからだ。(最近はそれを言わない人も増えたけど。)この問題に関しては長年の歴史があって、細かな議論がなされてきた。さすがに税金で(お寺で言えば)「御布施(にあたるお金)」を出すのは控えているようだ。神社への往来に公用車を使用するのも僕はアウトだと思うが、多分防衛相は危機対応を理由に公用車で往復したんだと思う。大臣も「私人」としては信仰の自由を持っているから、週休日に出掛けることまでは(法的には)規制出来ないんだろう。だが平日に出掛けるのは「特別公務員」でも本来は控えるべきだ。
 
 この「政教分離」問題だけでも本来は十分だと思うが、靖国神社には歴史的な検討も欠かせない。靖国神社を「戦死者を祀る神社」と簡単に思い込んでいる人がかなりいる。中には「日本人には死ねば神になるという伝統的信仰がある」なんて訳知りのように語る人もいる。ウソでしょ。昨年母親が死んだけど、母親が「神」になったとは思ってないし、誰か祀ってくれるわけでもない。確かに昔から「偉人」を祀る神社はあった。徳川家康は「東照権現」となり各地に東照宮が作られた。明治以後では「明治天皇」「乃木希典」「東郷平八郎」などが死後に神社が作られた。

 これらの人が「偉人」かどうかはともかく、国家的重要人物に違いない。しかし、徳川家康は神になっても、家康に従って関ヶ原で死んだ武士は祀られない。明治天皇が神となっても、明治天皇が宣戦を布告した日清・日露戦争の戦死者は神にならないのが、日本の伝統的神観念だろう。つまり靖国神社というのは、近代になって「発明」された「創られた伝統」なのだ。しかし、時間が経つと「それこそが伝統だ」とみなす人が出て来る。そして本来は特別なイデオロギー的な意味が持つものが「脱色化」される。「教育勅語」などが典型で、現在になって「良いことも書いてある」などと本来の意味を「脱色」して評価する人がいる。

 「戦争で死んだ人」というとき、現代の多くの人は兵士だけでなく、原爆や沖縄戦、空襲などで亡くなった民間人も思い浮かべると思う。引き揚げ途上やサイパン島などで自ら死を選んだ人もたくさんいる。しかし以上の中で兵士以外は靖国には祀られない。それどころか、幕末維新の多くの戦死者の中で薩長軍(官軍)は靖国に合祀されているのに、幕府軍、江戸の彰義隊、会津藩など東北諸藩、五稜郭の「箱館戦争」の死者など(賊軍)は全く合祀されていない。西南戦争の西郷隆盛なども同様である。このような「国民を分断する」神社に参拝して、「平和を祈った」などと言うのは僕には偽善としか思えない。
(上野公園にある彰義隊兵士の墓)
 靖国神社はもともとは1869年に「東京招魂社」として官軍の死者を祀る宗教施設としてつくられたものである。対外戦争がたびたび起こるようになると、狭義の「戦死者」が多くなった。靖国神社の祭神の85%以上が「大東亜戦争」の戦死者になっている。だから人々の意識が「靖国神社は第二次大戦の戦死者を祀る神社」と思い込む人が多くなったのもやむを得ない面はある。しかし、第二次大戦の死者でもすべての人が祀られるわけではない。「敵前逃亡」などで処刑された兵士は祀られない。あくまでも「天皇のための死者のみ」という大原則が貫かれているのである。

 僕はこのような「薩長中心史観」は間違いだと思っている。「官軍」として天皇を担いで新政府をつくり、天皇絶対主義の国家を作った。天皇を「統帥権」を持つ「大元帥」とする大日本帝国憲法を制定した。これは国会による議論を経ずに当時の政府が制定し、結果的に日本国民だけでも300万を超えると言われる死者を出す戦争を始めて敗北した。東日本にゆかりがある人間としては、「賊軍」と決めつけず旧幕府勢力と戦争を避ける方策もあったのではないかと思う。その方が望ましい日本になったのかも知れない。自分は藩閥に対抗し賊軍と呼ばれた人々を貶める神社はおかしいと思っているのである。
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