尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『頬に哀しみを刻め』と『黒き荒野の果て』ーS・A・コスビーの犯罪小説①

2024年08月31日 22時05分07秒 | 〃 (ミステリー)
 最近の翻訳ミステリーベストテンでは、イギリスの作家アンソニー・ホロヴィッツが毎年のように上位になる。しかし、この2年ほど「このミステリーがすごい!」のベストワンは違う作家で、ホロヴィッツは2位止まりだった。2024年版(2022年11月から2023年10月に刊行された本が対象)では、アメリカのS・A・コスビーの『頬に哀しみを刻め』が1位だった。誰だと思ったが、その前年にも『黒き荒野の果て』が6位に入選していた。それが初翻訳で、今年になって『すべての罪は血を流す』も出た。いずれも加賀山卓朗訳でハーパーBOOKSから出ている。小さいミステリー文庫なので知らない人も多いと思うが、この作家はすごい。

 アメリカの犯罪小説(クライム・ノヴェル)は面白いけど、お国柄を反映して銃弾が飛び交う暴力描写が凄まじい。そういう世界に耐えられない人もいるだろうから全員におすすめはしないが、この作家の本はチェックしておいてもよい。S・A・コスビー(S・A・Cosby、1973~)はアメリカのミステリー作家には少ない黒人作家なのである。しかもヴァージニア州が舞台になっていて、白人至上主義的な風土が描かれる。大学で文学を専攻しながら、卒業後は警備員、建設作業員、葬儀社のアシスタントなどをしていて、2019年にデビューした。デビュー作は未訳だが、第2作が『黒き荒野の果て』、第3作が『頬に哀しみを刻め』である。
(S・A・コスビー)
 『黒き荒野の果て』も面白かったが、『頬に哀しみを刻め』(Razorblade Tears)はミステリーとしての出来映えも見事だが、それ以上に作品の設定に驚いた。ヴァージニア州で息子を殺された男が二人。警察がなかなか犯人にたどり着けないので、何とか自分たちで犯人を追いつめたいと思った。二人とも今は足を洗っているが元囚人である。そして一人は今は庭園管理会社を経営している黒人男性、もう一人はトレーラーハウスに住んでるアル中の貧乏白人。二人は息子たちの葬儀で初めて出会った。彼らの息子たちは人種を越えて「同性婚」をしたのだが、その生き方を認められず、二人とも結婚式には出なかったのだ。

 二人とも子どもを失って初めて自分たちの間違いに気付いたのである。やっぱり子どもを愛していたのに、息子たちが愛する相手を見つけたときに認めてあげることが出来なかった。白人であれ、黒人であれ、「親の教育の間違い」で息子がゲイになったという周りの目に立ち向かえなかったのだ。だけど、今になって思うと生きてさえいてくれれば、それが一番だったのに。二人は文化の違い、境遇の違い、人種の違いで何度も衝突する。保守的なアメリカ南部で、黒人であること、貧乏白人であること、同性愛者であることのいずれが一番大変なんだろうか。それらは比べる問題ではないことを彼らは今ようやく学んでいく。

 もちろん、それは単純なヘイトクライムではなかった。明らかにプロの犯罪だったし、裏には隠された事情があるらしい。警察には出来ない元犯罪者のやり口で、二人は少しずつ真相に迫っていく。だがその結果多くの大切なものも失うのである。この二人の、普通だったら絶対に出会わないタイプの男たちの組み合わせが良い。ただ息子たちの親というだけの関係だったのに、次第に友情めいたものが芽生えてくる。どうしようもない性差別者で、息子の苦しみに背を向けて生きた二人が、最後の最後に息子に詫びたいと心底後悔する。暴力描写も凄まじいが、やはり親の心情こそが読みどころだと思う。
(ヴァージニア州)
 地図を見れば、何でここがアメリカの「南部」なのか理解出来ない。しかし、南部とは南北戦争時に「南部連合」(アメリカ連合国)に参加した州を意味することが多い。当初は南部連合の首都はヴァージニア州都のリッチモンドに置かれたし、総司令官のリー将軍もヴァージニア州の出身だった。(一方で連邦残留を選択した西部地方が「ウェストヴァージニア州」として離脱した。)小説を読むと、今も街に南部の旗を飾ったりしている描写が出て来る。未だに人種対立も厳しいが、さらに性的マイノリティへの差別も激しいことがわかる。そんな地域で人種を越えた同性婚をしたという二人という設定はものすごく深い意味を持っている。

 『黒き荒野の果て』(Blacktop Wasteland)も出来が良い。こちらは映画化権が売れてるようだが、とても面白い映画になるだろう。何しろものすごい「走り屋」が主人公なのである。犯罪組織の手伝いで運転手をしていた伝説的なドライバーが、足を洗って自動車整備工場を開く。しかし、経営不振で追い込まれ、これが最後と決めて宝石店強盗を企む知り合いを手助けする。そしてそれは成功したのだが、実はその店は絶対に手を出してはいけない店だったのだ。ギャング御用達のマネーロンダリング用の店だったのである。激怒したギャングが追ってくるわけだが、裏切りに次ぐ裏切り、驚くべきカーアクション、知恵比べが続くノンストップアクション小説。ただ面白いと言うだけならこっちかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉県の公立校共学化問題ーどう考えれば良いのか

2024年08月30日 22時30分28秒 |  〃 (教育問題一般)
 埼玉県の県立高校には12校の「男女別学高校」がある。2023年8月に県の第三者機関「男女共同参画苦情処理委員会」から「早期の共学化」を勧告され、1年位内の報告を求められていた。その報告書がまとまり、8月22日に公表された。そこでは「主体的に共学化を推進していく」としながらも具体的なスケジュールは示されず先送りされたという。賛否両論に配慮しつつ、両派ともに不満が残る結論と言うべきだろう。この問題をどう考えるべきなんだろうか。

 まず最初に書いておくが、僕はこの問題は高校の設置者である県教委が決めるべき問題だと思っている。重要な問題ではあるけれど、全国的な基準を作って統一的に進める必要がある問題とは思っていない。ここで書いてみたいのは、埼玉県教委の報告を批判すると趣旨ではなく、問題設定の明確化である。ただし、僕は自分の学校時代も教員としての勤務校も共学しか体験していない。東京ではそれが当たり前であり、共学が自然であると思っている。

 この問題は「共学一般」「別学一般」の価値論ではない。別学に大きな意味があるというなら、すべての高校を別学にすべきだが、そういう意見はないだろう。その反対に「共学じゃなければ絶対ダメ」というのなら、すべての私立高校も共学にしなければおかしい。しかし、法律で別学を禁止するのは誰が見ても行き過ぎだ。私立高校がどっちにするかは学校法人が自ら決めれば良い。問題は税金で運営される「公立高校」だけである。しかも公立高校も全国ほとんどで共学で、今や別学高校はほんの僅かである。
(埼玉県も9割以上が共学)
 全国の別学高校を示す地図を見ると、「男子校」は栃木県=4、群馬県=6、埼玉県=5、鹿児島県=1の計16校、「女子校」は宮城県=1、栃木県=4、群馬県=6、埼玉県=7、千葉県=2、島根県=1、福岡県=2、鹿児島県=3の計23校存在する。東日本に別学が多いのは、「戦後改革」を進めた占領軍の方針に東西差があったからだとよく言われる。どこまで実証されているのかは知らないが、戦前は全部別学で戦後に共学になったのである。別学校が男女同数の県は、基本的に同一地域に「○○高校」と「○○女子高校」があると思ってよい。女子校の数の方が多いのは、「女子教育に特化する意味」が地域に残っているということだろう。
(全国の別学公立校)
 公立高校には単に入学生徒の教育を行うだけではない意味がある。それは「古くから地域に存在する公的施設」という意味である。災害時には避難所になるし、高校スポーツの結果は大きな話題となる。そういう存在だからこそ、中学生に対して人間は出生時の性で二分されるという世界観を示すのは問題だ。現行法では性別変更は20歳を過ぎないと不可能だから、何にせよ中学生は戸籍上の性で高校を受験しなければならない。だが性別違和生徒は、両性がいる高校の方がましではないか。性別違和を訴えて戸籍上は男子なのに女子校を受験できる(またはその逆)という県はないだろう。

 この問題だけでも僕は共学が望ましいと思うのだが、もう一つ疑念を覚えることがある。それは(ほとんどの県で)女子校は「○○女子校」と命名されていることだ。一方で男子校で「○○男子校」と名の付くところはない。歴史上どこにもないだろう。それはもともと歴史の古い高校は「旧制中学」に発していて、男子のみが前提だったからだ。女子教育の振興が求められるようになり、大正期には各地に女子向けの中等教育学校が設置されていくが、それは「○○高等女学校」と名付けられた。教育史の中では、「地名のみの男子校」と「女子が付く女子校」にもともと二分されていたのだ。
(埼玉県立浦和高校)(埼玉県立浦和第一女子高校)
 しかし、今になってはこれは単なる「区別」とはみなせない。明らかな性差別であって、もし公立の別学校を残すというなら、例えば「浦和男子高校」と改名するべきだ。今回在校生や卒業生は「共学反対」の署名運動などを行って強く別学維持を訴えた。だがそれが性差別的意味を含まないというなら、自ら校名に「男子」を入れるという提案をするべきだ。先に見たように全国では公立別学校では女子校の方が多い。それは今回埼玉県で主張されたように、「男子が怖い生徒もいる」「女子のみの方が伸び伸びと勉強できる生徒がいる」という主張が一定の共感を得る現実があるからだろう。

 しかし、それならば歴史の古い、成績的にも地域トップ校に別学が残されている意味がわからない。別学校が残されている地域では、それぞれが地域の男子、女子のトップ校になっている場合が多いだろう。しかし、「男子が怖い」「男子がいない方が能力を発揮できる」という女子は、むしろ中学の成績は中位以下なんじゃないか。(公立中学は全部共学なんだから、中学時代には能力が発揮できていないことになる。)そういう生徒向けに、いわゆる「中堅校」「下位校」にも別学校を増やしていかなければ論旨がかみ合わなくなる。僕は男女別学の方がやりやすいという生徒がいるという主張自体はあり得ることだと思う。

 だけど公立小中学校は全部共学である。それを受けて進学する高校も共学の方が自然だろう。もし別学を望む生徒は別学の私立学校へ進学すればよく、行政は私立高校進学家庭への補助を増やして対応するのが望ましい。僕はそう思うんだけど、どんなものだろうか。ところでこの問題は要するに「卒業生」「在校生」などの直接関わりがある人たちが今までの仕組みの維持を望むから変わらないという面が大きい。その意味でいろいろと問題が提起されても、一向に何も変わらない日本を象徴するような問題とも言える。関係者が「時代の趨勢」を見て取って自ら変わっていけるかどうかという意味で、日本全体を象徴するような問題かも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特殊な宗教施設、「官軍」のための靖国神社ーそもそも靖国神社の問題とは?

2024年08月29日 22時11分47秒 | 政治
 靖国神社と自衛隊の関係が深まっているという問題の危険性を指摘した。ところで「靖国神社」とは何が問題なんだろうか。前にも書いたと思うけど、大分前のことだから自分でもいつ書いたか覚えてない。こういう問題は時々書き直して確認しておく方が良いだろう。僕は靖国神社に行ったことがない。避けているとも言えるけど、東京にある有名な寺社、キリスト教会などもほとんど行ってない。東京タワーなど「観光地」も自分で行ったことがない。東京には歴史的に価値がある寺社建造物が少ないし、いつでも行けるから敢えて行く気にならない。基本的に信仰心がない方なので。
(靖国神社)
 まず憲法の「政教分離」原則。日本国憲法には「第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」という条項がある。
(政教分離条項)
 憲法の条文を常識的に読むならば、大臣が勤務時間中に靖国神社(に限らずあらゆる宗教施設)を参拝するのは憲法違反になると思う。それなのに何故毎年参拝が繰り返されるかというと、「私人」だからと主張するからだ。(最近はそれを言わない人も増えたけど。)この問題に関しては長年の歴史があって、細かな議論がなされてきた。さすがに税金で(お寺で言えば)「御布施(にあたるお金)」を出すのは控えているようだ。神社への往来に公用車を使用するのも僕はアウトだと思うが、多分防衛相は危機対応を理由に公用車で往復したんだと思う。大臣も「私人」としては信仰の自由を持っているから、週休日に出掛けることまでは(法的には)規制出来ないんだろう。だが平日に出掛けるのは「特別公務員」でも本来は控えるべきだ。
 
 この「政教分離」問題だけでも本来は十分だと思うが、靖国神社には歴史的な検討も欠かせない。靖国神社を「戦死者を祀る神社」と簡単に思い込んでいる人がかなりいる。中には「日本人には死ねば神になるという伝統的信仰がある」なんて訳知りのように語る人もいる。ウソでしょ。昨年母親が死んだけど、母親が「神」になったとは思ってないし、誰か祀ってくれるわけでもない。確かに昔から「偉人」を祀る神社はあった。徳川家康は「東照権現」となり各地に東照宮が作られた。明治以後では「明治天皇」「乃木希典」「東郷平八郎」などが死後に神社が作られた。

 これらの人が「偉人」かどうかはともかく、国家的重要人物に違いない。しかし、徳川家康は神になっても、家康に従って関ヶ原で死んだ武士は祀られない。明治天皇が神となっても、明治天皇が宣戦を布告した日清・日露戦争の戦死者は神にならないのが、日本の伝統的神観念だろう。つまり靖国神社というのは、近代になって「発明」された「創られた伝統」なのだ。しかし、時間が経つと「それこそが伝統だ」とみなす人が出て来る。そして本来は特別なイデオロギー的な意味が持つものが「脱色化」される。「教育勅語」などが典型で、現在になって「良いことも書いてある」などと本来の意味を「脱色」して評価する人がいる。

 「戦争で死んだ人」というとき、現代の多くの人は兵士だけでなく、原爆や沖縄戦、空襲などで亡くなった民間人も思い浮かべると思う。引き揚げ途上やサイパン島などで自ら死を選んだ人もたくさんいる。しかし以上の中で兵士以外は靖国には祀られない。それどころか、幕末維新の多くの戦死者の中で薩長軍(官軍)は靖国に合祀されているのに、幕府軍、江戸の彰義隊、会津藩など東北諸藩、五稜郭の「箱館戦争」の死者など(賊軍)は全く合祀されていない。西南戦争の西郷隆盛なども同様である。このような「国民を分断する」神社に参拝して、「平和を祈った」などと言うのは僕には偽善としか思えない。
(上野公園にある彰義隊兵士の墓)
 靖国神社はもともとは1869年に「東京招魂社」として官軍の死者を祀る宗教施設としてつくられたものである。対外戦争がたびたび起こるようになると、狭義の「戦死者」が多くなった。靖国神社の祭神の85%以上が「大東亜戦争」の戦死者になっている。だから人々の意識が「靖国神社は第二次大戦の戦死者を祀る神社」と思い込む人が多くなったのもやむを得ない面はある。しかし、第二次大戦の死者でもすべての人が祀られるわけではない。「敵前逃亡」などで処刑された兵士は祀られない。あくまでも「天皇のための死者のみ」という大原則が貫かれているのである。

 僕はこのような「薩長中心史観」は間違いだと思っている。「官軍」として天皇を担いで新政府をつくり、天皇絶対主義の国家を作った。天皇を「統帥権」を持つ「大元帥」とする大日本帝国憲法を制定した。これは国会による議論を経ずに当時の政府が制定し、結果的に日本国民だけでも300万を超えると言われる死者を出す戦争を始めて敗北した。東日本にゆかりがある人間としては、「賊軍」と決めつけず旧幕府勢力と戦争を避ける方策もあったのではないかと思う。その方が望ましい日本になったのかも知れない。自分は藩閥に対抗し賊軍と呼ばれた人々を貶める神社はおかしいと思っているのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自衛隊と靖国神社、深まる危険な関係ー木原防衛相の参拝、「遊就館」集団参拝

2024年08月27日 22時11分24秒 | 政治
 自民党総裁選に続き、立憲民主党代表選アメリカ大統領選なども書きたいところだが、8月中に「靖国神社」について書いておきたい。靖国問題に関しては折々に書いてきたが、2024年1月27日には『自衛隊幹部の靖国神社集団参拝問題ーこれが「通達違反」じゃないとは!』を書いた。これはタイトル通り、自衛隊幹部が靖国神社を集団で参拝した問題について考えたものである。2024年になって「自衛隊と靖国神社」をめぐる深い関係がたびたび報道されている。しばらく靖国参拝が何で問題なのかという「そもそも論」を書いてないからこの機会に書いておきたい(次回)。(自分にとって「当たり前」のことはスルーすることが多い。)
(8月15日に木原防衛相が参拝)
 毎年夏になると「8月15日に閣僚が靖国神社を参拝」というニュースが流れる。2024年は3閣僚が参拝したそうで、それは高市早苗経済安全保障担当大臣新藤義孝経済再生担当大臣木原稔防衛相の3人である。新藤、高市両氏は今までも大臣として参拝をしてきた。木原稔氏は熊本1区選出の当選5回で、55歳。今回が初入閣なので閣僚としては初参拝になる。茂木派所属だったが、今までも保守的な主張や行動をしてきたようだ。閣僚が何人か参拝したとしても、今までは官房長官、外相、防衛相など外交安保に関わる主要閣僚が参拝したことはなかった。防衛大臣が平気で参拝できる世の中になってしまったのである。

 大日本帝国憲法下の帝国陸海軍と日本国憲法下の自衛隊は、法制的には関係がない別組織である。自衛隊が日本国憲法に違反しているかどうか、その問題には今深入りしない。ただ、長年「自衛隊違憲論」が影響を持ってきたのは事実だから、自衛隊側も旧陸海軍とはタテマエ上は違うフリをしてきたと思う。実際は「日本の再軍備」は旧軍人が中心になって進められたが、それらの事実はあまり公言されてこなかった。戦前の靖国神社は陸海軍が直接管轄していた神社なのは当時の世代は皆がっている事実だ。戦後は「政教分離」を定めた憲法が制定されたのだから、自衛隊幹部は靖国神社と公に関わるのは避けてきたわけだろう。
(最近の自衛隊と靖国神社の関係)
 8月になって、海上自衛隊の幹部が靖国神社の「遊就館」を研修として5月に集団見学していたことも明らかになった。これもちょっと考えられない出来事で、自衛隊が靖国神社とズブズブの関係になりつつあるのが判る。「遊就館」というのは、靖国神社にある「軍事博物館」的な施設で、有名な寺社によくある「宝物館」みたいな場所だ。だから宗教施設ではないけれど、ここを集団で見学するというのは、神社参拝以上のとんでもない出来事である。何しろ遊就館は「大東亜戦争肯定論」を広めるイデオロギー施設なのである。日本の国家方針と違う考え方の施設に公務員を研修で見学させるのは、いうならば「国家反逆行為」に近い。

 公務員であっても思想信条や信仰の自由はもちろんあるわけだが、それを仕事の中で勝手に表現することは認められない。もちろん「遊就館を批判的に見学した」わけじゃないだろう。公正な解説者を付けて問題点を理解させるというような配慮はなかったに違いない。要するに幹部自衛官に、遊就館に対する問題意識がなく、ここは自分たちの場所だと思っているんだろう。九段の近くには「昭和館」や「しょうけい館」という施設もある。集団で行きたければそっちを見るべきだ。
(靖国神社の新宮司の文章)
 そして4月1日に靖国神社の宮司に元海上自衛隊海将の大塚海夫氏が就任した。崇敬者総代も自衛隊経験者が就任するのが恒例化しつつあるらしく、現在は元陸上幕僚長の火箱芳文氏、その前は元海上幕僚長の古庄幸一氏が就いているという(朝日新聞)。新聞記事によれば火箱氏は「旧軍と自衛隊は歴史的には関係を切ってきたが、旧軍の気持ちを理解できるのは自衛隊だ」と語っている。このように一宗教法人と国家の実力組織が深い関係を持つのは「政教分離」原則に反するだろう。だがそういう問題に留まらず、「何だか恐ろしい」という「新しい戦前」の到来を感じさせるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林鷹之と石破茂、「裏金議員」の扱いが正反対ー自民党総裁選③

2024年08月25日 22時04分54秒 | 政治
 自民党総裁選に出馬の意向を示している10人超の写真を道行く人々に見せて、「誰に期待しますか?」と聞く。そんなことをヴァラエティ番組などでよくやってるが、聞かれた人は「若い人がいい」などと答えている人が結構多い。そんな有権者心理を当て込んでか、最初に正式に出馬の記者会見を開いたのは、当選4回、49歳の小林鷹之氏(衆議院千葉2区、旧二階派)だった。
(出馬を宣言した小林鷹之氏)
 こういう「若手」が立候補するのを見て、「自民党の派閥政治が崩れた」と評価する人がいるんだけど、僕はそれは大間違いだと思っている。自民党の派閥は麻生派を除き「解散」したということになっている。しかし、政治家どうしの実質的つながりは残っていて、それが今回の総裁選の最大のポイントになっている。今回は裏金問題を抱える党内最大の「旧安倍派」からは誰も出馬出来ない。その議員票を誰が取るか、旧安倍派を取り込むため出馬予定者がどんどん「右傾化」している。

 旧安倍派では萩生田光一、西村康稔、下村博文、稲田朋美などが総裁候補と取り沙汰されてきたが、当分出られないうちに「賞味期限切れ」する可能性が高い。そうなるとその次の世代ということになるが、それは福田達夫元総務会長だという声が高い。福田家三代目への「大政奉還」が既定方針だとみなして良い。しかし、福田達夫も今回は出られないから、小林鷹之議員の支持に回っている。小林氏の出馬会見には24人の同席議員が確認されているが、福田氏もその一人。小林氏の推薦議員は各派閥から出ているが、最多は旧安倍派である。つまり小林鷹之氏は今回誰も出られない旧安倍派の代理出馬だと考えても良いのである。

 それを証明するかのように、小林氏は裏金議員でも正式な処分を受けていない人は役職に付けるべきだと主張している。「党で正式に処分をされていない議員にも役職を外されている方たちがいるので、国民の一定の理解を得られた時点で、適材適所の人事を行うということが大切ではないか、という趣旨で申し上げた」というのである。選挙前にこんなことを言う人を「若手代表」ともてはやしているのである。マスコミはきちんと追求する必要がある。
(石破茂氏も出馬を宣言)
 一方で5回目の挑戦となる石破茂氏は裏金議員について「国民の審判を受けるにふさわしい候補者か、党として責任を持つ」と次回選挙での非公認を示唆した発言をしている。非公認となると、比例区で復活当選出来ないから選挙に弱い議員には一大事である。しかし、この発言には大きな反発があったらしく、すぐに「新体制で決めることだ。まだなっていない者が予断を持っていうべきではない」とトーンダウンしている。だが「裏金議員公認問題」を総裁選の大きなテーマに浮上させたのは石破氏の功績だろう。もっとも「こういうことを言うから当選出来ない」と思われているんだろうが。

 自民党総裁選なんだから、誰が出馬しても自民党の政策の枠内で議論が進む。だから自民党を支持していない人には関係ないのだが、大きな政策以外の、自民党のあり方などには相当の違いがあるのだ。僕は別に石破茂氏を支持しているわけじゃないが、テレビなどで「小林氏や小泉氏は若い」「石破氏は5回目の挑戦」などというスタンスで報じている。だが主張内容を見れば、「石破氏は国民目線」「小林氏は党内目線」なんじゃないのか。

 今回は一体何人が立候補出来るのか。これを「派閥がなくなったせい」と考えるのは間違いではないが、一面的な理解だ。ここまで多数が手を挙げている時に、(旧安倍派以外の場合)立候補を模索しない時は「自派が草刈場になる」ことを意味する。それなりの議員は将来のためにも出馬を模索せざるを得ない。もちろん旧岸田派から林芳正官房長官上川陽子外相、旧茂木派から茂木敏充幹事長加藤勝信元官房長官が出馬に意欲を示しているようなことは、以前だったら起こらないだろう。まあ民主党政権下の2012年総裁選で旧町村派から町村信孝、安倍晋三両氏が出たケースもあるけれど。

 今まではトップがまとめて数人に絞る「予備選」が裏で行われていたわけである。今回は派閥が持っていたそういう機能を誰も果たせないから、出たい人が皆手を挙げる。だが当選が全く不可能なら他候補の支持に回って、新体制で要職を狙う方が得策だと思う動きも出て来ると思う。党員票は小泉氏や石破氏に集まると予測されているが、議員票だけでは太刀打ちできない人は、それなりの理由を付けて(現在の職務に専念せざるを得ないなど)撤退していくのではないか。さて、報道を見る限り石破氏は「面倒見が悪い」などと政治家の本質と違う問題で、当選出来ないらしい。公職じゃないからあれこれ言っても仕方ないが、そういう体質の党が「与党」であるということは問題なんじゃないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「悪夢のような」小泉進次郎首相、誕生?ー自民党総裁選②

2024年08月24日 22時13分05秒 | 政治
 2024年自民党総裁選について、今年になってから2回書いている。岸田首相に解散・総選挙に踏み切る力はなく、9月の総裁選までは延命するだろうが再選は無理。そこまでは誰でも予測可能だが、じゃあその後は誰が新総裁になるのか。3月13日の『それで岸田内閣は結局どうなるのかーやはり9月に辞職か?』では上川陽子外相を一番手に予想していた。6月27日の『「石破首相」の可能性はあるかー2024自民党総裁選はどうなるか?』では、これまで議員票が集まらないため当選は無理と考えていた石破茂氏の可能性も出て来たのではないかと書いた。どっちでも小泉進次郎議員のことには触れてない。

 ところがどうやら小泉進次郎元環境大臣が総裁選に出馬すると報道されている。僕が今秋に小泉政権を予想しなかったのは、さすがにそこまで「身の程知らず」とは思わなかったからである。小泉氏は人気も知名度も高いが、まだ環境相しか経験していない。その時もどうも理解できない言動が見られた。河野太郎氏が高圧的で丁寧に説明をしないのと似ているが、小泉進次郎氏には説明するだけの言語能力が不足しているのようなときが多かった。単なる「世襲」を越えた4代目にもなると、こういう人物が出て来るのかと僕なんかは思ってしまう。
(出馬予定の小泉進次郎氏)
 小泉進次郎氏は前回河野太郎氏を支援し、「小石河連合」と呼ばれた。だから、今回もし出馬せず石破氏か河野氏の応援に回っても何の不思議もない。その結果誰が当選したとしても、選挙応援の顔が欲しい次期政権では重要閣僚、または党三役に就任できるのではないか。一方いくら小泉進次郎首相でも次の選挙は厳しいと予想される。そんな「修羅場」はベテランに任せ、問題を起こすことが多かった「安倍チルドレン」を「精選」して、重要閣僚をこなした後で総理の座を目指しても年齢的には全然遅くない。

 僕は自分の常識でそう考えていたわけである。しかし、自分の常識を越えた人たちがやはり自民党にはいるのだ。小泉進次郎氏を「勘違い」させているのは、菅義偉前首相である。菅氏が官房長官あるいは首相だったときの国会答弁、記者会見なども、何だかよくわからないことを言っていた。言ってる内容に賛成、反対という前に、言ってることが理路整然としていないのである。そういう菅氏だからこそ、同じ自民党神奈川県連というだけでなく、小泉進次郎氏とは「似たもの同士」なのかもしれない。
(総裁選出馬を取り沙汰される人々)
 しかし、同じ神奈川と言えば河野太郎氏も神奈川県連所属である。だが前回は支援した河野氏が今も麻生派を脱退しないのが菅氏には不満なんだという。確かにそれは僕もどうかと思うが、麻生副総裁も「派内の河野が出れば推すのが筋」という理由で茂木幹事長の支援要請を断ったらしい。派閥が解散したと言っても、実は皆旧派閥単位で動いている人が多い。そうじゃない人がいると目立つけど、河野氏からすれば「あえて麻生派を脱退する理由がない」ということか。あるいは父親の河野洋平が創設したグループなんだから、自分こそルーツなんだという意識かもしれない。麻生派内にも様々な考えがあって、河野氏以外の支援に回っている人もいるようだが、それでも推薦人確保には派閥も有効と考えているのだろう。

 そのため菅氏は他の候補を求めて、自分に近い小泉進次郎氏を支援するようだ。政策なども菅氏のグループがまとめているらしい。菅氏も小泉氏も「無派閥」だが、「選挙互助会」の派閥なんて小泉進次郎には必要ない。落ちる心配がないから誰かの下で「雑巾掛け」する意味もない。菅氏も「派閥の弊害」を真剣に考えていたら、自民党最大派閥だった「安倍派」の安倍元首相を支えた意味がわからない。僕は菅氏を「無派閥」と見るのは間違いだと考えている。確かに派閥化はしなかったが、菅氏は関係が深い議員と「勉強会」などを組織してきた。事実上「菅派のトップ」と考えた方が正確だと思う。

 総裁選が始まれば、各マスコミでも討論会などが開かれるだろうが、そこで小泉氏が何を語るだろうか。「失言」あるいは「不適切発言」が出て来て急失速する可能性もないではない。だが何とか無難に乗り切れば、党員票を集めて2位には入って来る可能性が高い。そうなると当選可能性が高く、「小泉進次郎政権」誕生の可能性を考えておかないといけない。でもそれって「悪夢のような」(©安倍晋三)ものではないだろうか。ホントに有権者は「セクシー」な小泉進次郎政権を歓迎してしまうんだろうか。

 それとも21世紀に二度目の小泉政権は、カール・マルクスの言う「歴史は繰り返す。 一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)となるのだろうか。父親は「自民党をぶっ壊す」と言って大勝利した。次男のもとで本当に壊れるのかもしれないが、それならそれで歴史的意味があるというべきか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸田首相はなぜ辞めるのか、「現象」ではなく「本質」をー自民党総裁選①

2024年08月23日 22時03分53秒 | 政治
 アメリカ大統領選の民主党副大統領候補になったミネソタ州知事のティム・ウォルズはとても興味深い人物だ。そのことはまた別に書きたいと思うけど、この人は公立高校の社会科教員だった。演説では「公立学校の教師を甘く見るな」と語っていた。全くその通り。専門は地理だというが、社会の様々な問題について生徒に語る機会も多かっただろう。

 日本では9月に与党第一党の自由民主党、野党第一党の立憲民主党でともにトップを選ぶ選挙が予定されている。そして、現職自民党総裁の岸田文雄首相は総裁選に立候補しないと明らかにした。そのこと自体は別に驚くことではなく誰でも判っていたわけだが、表明したのが8月14日だったのにはちょっと驚いた。翌日に「全国戦没者追悼式」を控えているので、その前日にもうすぐ辞めると言うのは(「英霊」や「天皇」に対して)「不敬」にあたるなどと「右翼」が反発するかもしれないじゃないか。
(岸田首相が不出馬表明)
 しかし、自民党は「パンドラの箱」を開けたようになってしまい、そんな懸念をするまでもないようだ。困ったのは「不出馬表明」はお盆休み明けと予想して夏休みを予定していた政治部記者だろう。もしかしたらマスコミへの嫌がらせだったのかもしれない。まあ大部分の社は予定稿を準備していただろうが。そのマスコミは自民党総裁選に予想以上の候補が出そうということで「祭状態」になっている。そしてそれを批判する人もいつものようにいる。

 だけど、自民党総裁選とは「事実上の次期首相選び」なんだから、マスコミ報道が過熱するのも当然だと思う。問題はそこではなく、その報道が「国民が真に知るべきこと」を伝えないことだ。候補者は全員自民党議員なんだから、もともと全国民の平均より右である。その中で競い合うから、「保守度アピール」になりやすい。そこで「全国民」を代表して、「選択的夫婦別姓制度」や「原発」への考え方などを記者こそが鋭く聞かなければいけない。

 その総裁選の行方は次に考えるとして、「岸田首相は何で辞めるのか?」。そんなことは判りきっていると言わず、子どもたちに聞かれたら親や教師は何て答えればよいのか? 恐らくつい「支持率が低い」とか「裏金問題」、「物価高」とか、または「次の選挙が近いから」などと答えるだろう。しかし、それらは「現象」である。マスコミは現象ばかり追いかけるが、大事なのは「本質」である。それこそ教師が生徒に提示するべきものだろう。
(広島で配布された号外)
 じゃあ、その「本質」とは何だろうか。日本の政治制度は日本国憲法によって「議会制民主主義」と決まっている。また「三権分立」の原則で、立法と行政は別になる。総理大臣は国会で指名されるので、支持率が低いとは「次の選挙で党の候補者が減って総理大臣指名選挙で負ける」恐れがある。様々な問題があったとしても、それでも国民の支持率が高い政権なら倒れない。そんなことは当たり前のことだけど、突然聞かれたら、「日本は民主主義の国だから」と答えられるだろうか。
  
 今年は世界のいろいろな国で選挙が行われた。イギリスでは政権交代が起こったし、インドや南アフリカでは政権は変わらないものの予想外に苦戦した。フランスは大統領制だから議会の権限は限定的だが、大統領派の与党が敗北した。韓国も同様である。それぞれ固有の事情があるが、ウクライナ、ガザ以後の世界的な物価高によって、どこの国のトップも厳しい状況にある。

 日本でも今後一年間に衆院選参院選が相次ぐ。支持率が低い首相では困ると自民党議員は考える。それは日本が「普通選挙」を行っているからだ。ロシアの大統領選も今年行われたが、候補者は自由に立候補出来なかった。中国は一党独裁だから、中国共産党大会で選ばれた総書記が国家のトップを兼ねる。国民全員が参加する「普通選挙」は行われない。サウジアラビアでは国会そのものがなく、国王が権力を握っている。(事実上は高齢の国王に代わって皇太子が実権を振るっている。)

 世界には様々な政治制度があるが、「議会制民主主義」は絶対のものだろうか。それは「価値観」の範囲になるので、いろいろな考えがあり得る。国会議員が選挙を気にして政権支持率に一喜一憂するため、人気取りに走ったり長い目で政治を行えなくなる欠陥があるとよく言われる。「独裁」的な国の方が国民の人気を気にせず思い切った政治が出来るという考えは大昔から存在した。だけど、民主主義を取っているからこそ、政治家が国民の声を気にするのである。

 選挙で当選するには知名度の高い候補の方が圧倒的に有利だから、「世襲政治家」が多くなる。自民党総裁選には10人以上が立候補意欲を見せているというが、その中で親や祖父が政治家じゃなかった人は2、3人しかいない。そういうような弊害も出てくるけれど、今のところ「議会制民主主義」以外の政治制度は考えられない。その良い部分を国民が認識していないと制度を生かすことが出来ない。そうなると「民主主義はマイナスが多い」というような意見が出て来る。国民は自民党、立憲民主党のトップがどう選ばれるか、注視する必要がある。と、まずはタテマエから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「生誕百年記念シネアスト安部公房」と岩崎加根子トークショー

2024年08月22日 22時49分02秒 |  〃  (旧作日本映画)
 戦後日本を代表する国際的作家安部公房(あべ・こうぼう)は、2024年が生誕百年に当たる。ノーベル文学賞確実と言われながら、1993年に68歳で急死して以来30年以上が過ぎてしまった。今年は様々な企画もあるようだが、現在シネマヴェーラ渋谷で「生誕百年記念 シネアスト安部公房」という映画特集をやっている。この前高橋惠子浅田美代子のトークを聞きに行ったところだが、今日は俳優座のベテラン女優岩崎加根子のトークショーがあるのでまた行ってきた。
(安部公房)
 安部公房の本名は「きみふさ」と読ませるらしいが、大体皆「こーぼー」と発音していた。戦後文学の中でも独自の異端的な作風だったが、『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』などミステリアスな作品が世界的に評価された。僕は代表的な作品を高校時代に読んでしまい、大きな影響を受けた。主要作を収録した「新潮日本文学」の他に、文庫に入っていた『』『第四間氷期』などSF的作風の作品も面白かった。『箱男』『密会』『方船さくら丸』などは刊行当時にハードカバーで読んでいる。しかし、次第に作品を発表しなくなり気付いたら新聞に訃報が載っていた。

 そんな安部公房が70年代には演劇に熱中していたことは、今ではあまり記憶されていないかもしれない。もともと60年代に主要作品が勅使河原宏監督によって映画化され、安部も脚本に参加している。それらの映画は前に勅使河原監督特集で見たときにまとめて書いた。(『砂の女』は別にそれだけで書いている。)それ以前にラジオドラマやテレビドラマの脚本を書くこともあった。そして50年代末からは新劇に向けて戯曲を書くようになった。そして1973年には、「安部公房スタジオ」を起ち上げた。井川比佐志田中邦衛仲代達矢山口果林などが参加し、堤清二の支援を受けて西武劇場(現PARCO劇場)で上演した。
(岩崎加根子)
 そのきっかけは今日聞いた岩崎加根子(1832~)によると、60年代末に俳優座で『どれい狩り』が上演された時の経験にある。上演はありがたいがどうしても千田是也の演出した世界になってしまう。「意味」をはく奪して肉体のみが演じる世界を演出したいということだろう。そのため紀伊國屋の企画として安部公房演出で『棒になった男』の上演が行われた。この戯曲は「」「時の崖」「棒になった男」の三作品が集まったもので、岩崎加根子は市原悦子とともに「」に出た。鞄に何が入っているか二人で延々と話し続けるような作品だったらしい。聞き手の鳥羽耕司氏によると、これは安部公房の見た夢の戯曲化らしい。
 
 岩崎加根子は独特の安部演出に腰を痛めてしまったが、安部は東京帝大医学部卒(Wikipediaによれば国家試験を受けない条件付きで卒業単位を認定されたという)で東大病院にいた同級生のところに行かされたという。胸に一本注射を打たれたら腰痛が消えたという。安部公房は俳優座との関係が深く、俳優座養成所を桐朋学園短期大学(現・桐朋学園芸術短期大学)に移管するときも安部があっせんしたという。(1966年に桐朋短大に「芸術科(音楽専攻・演劇専攻)」を設置し、俳優座養成所を廃止した。安部公房や千田是也が教員として加わった。)安部公房スタジオに仲代、井川、田中など俳優座出身者が多いのもそれが理由だろう。

 岩崎は安部公房スタジオには参加していないが、当時の体験者として非常に興味深い出来事を幾つも語った。例えば山口果林が朝ドラ『繭子ひとり』(1971)に選ばれたとき、岩崎に電話してきてNHKテレビに出たら演技がおかしくならないか、反対するべきかと相談したらしい。岩崎も困ってしまって、本人がしっかりしてれば良いんじゃないか、本人の希望次第などと答えたらしい。安部もそうか本人次第かなどと反応したらしい。朝ドラに出ることで知名度が高まるのは間違いない。60年代には樫山文枝日色ともゑ、70年代だと大竹しのぶなどその後舞台で活躍を続けた女優も輩出しているから、確かに本人次第だ。
(『仔象は死んだ』)
 ところで今日上映された『仔象は死んだ』は79年にアメリカで上演され大評判を呼んだ作品の映像化である。1980年に製作されたもので、安部公房が監督、脚本、音楽を担当している。音楽というのは自分でシンセサイザーを演奏しているのである。また美術を安部真知(夫人)を担当している。映画は舞台の記録かと思うと少し違って、カメラが動いて時には劇場外に出ていく。安部公房スタジオは当初は普通に演劇らしい、つまりセリフが意味を持つ不条理劇をやっていたが、次第にパフォーマンスというか「舞踏」のようなものになったという。『仔象は死んだ』にはセリフもあるが、ほぼ意味のつながりがない。一面の大きな白いシーツの下、または上で俳優が床運動みたいに動き回る。これが70年代の「前衛文化」だという感じ。
(『詩人の生涯』)
 その前にアニメ『詩人の生涯』(1974)と『時の崖』(1971)も見た。『詩人の生涯』は安部公房脚本、川本喜八郎演出の切り絵風アニメで、シュールレアリズム的な描写と社会派的テーマが融合した作品。『時の崖』は先に書いた『棒になった男』の中の一編で、井川比佐志の一人芝居と言ってもよい。負けていくボクサーの心象風景をひたすら井川のシャドーボクシングと一人語りで描き出す。安部公房監督作品。映像作品として見た場合は、『仔象は死んだ』も『時の崖』も資料映像的な感じ。

 だけどこれらの作品は70年代文化史に欠かせないピースだと思う。有名作家の中でここまで演劇に関わった人もいないだろう。またある種堤清二を中心にした「セゾン文化」を記録した意味もある。僕は高校生から大学の時期で、安部公房スタジオというのがあるのは知っていたが見たことはない。何だかよく判らないけれど、こういうものに観客が集まっていた時代があった。岩崎加根子は細かいことは忘れたといいながら今も元気で、今秋に『慟哭のリア』の主演公演が控えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『緋の河』、〈カルーセル麻紀〉の子ども時代に迫るー桜木紫乃を読む③

2024年08月21日 22時17分49秒 | 本 (日本文学)
 桜木紫乃を読むシリーズ3回目で最後。今回は主に『緋の河』(2019、新潮文庫)を取り上げるが、その前に読み終わったばかりの『』をちょっと。講談社文庫の桜木作品連続刊行の最後。これは桜木作品には珍しく、釧路ではなく根室を舞台にしている。釧路以上に寒い環境で展開される三姉妹の物語だが、途中であれよあれよと怒濤の展開でヤクザ小説、または政治小説になっていくのでビックリ。非常に面白かったが、冒頭で根室を代表する水産会社の次女がよりによって中学卒業後に芸者になってしまう。

 長女は政界進出をめざす運輸会社の長男に嫁ぎ、次女が花街に行ってしまい、結果的に三女は自分が犠牲になって婿取りをして家を守ると決意する。最初が花街で始まるのでそういう話かと思うと、どんどん変容していくのが面白い。昭和30年代の根室では北方領土をめぐってきな臭い動きが絶えない。そこら辺も面白いが、もし読むなら解説は後にした方がよい。最後の展開がバラされているので。それは別にして、子どもが三人いれば一人は親の期待から外れて生きるものなのだ。

 そのことが実話に基づきフィクション化されているのが、『緋の河』である。これは釧路に生まれたカルーセル麻紀(1942~)の人生にインスパイアされた小説である。刊行当時話題になったので、文庫になったら読みたいと思っていたが2022年に新潮文庫に入ったのに気付いていなかった。今回桜木作品をまとめ読みしようと思って調べたら、とっくに文庫になっていた。文庫で600頁を越える長い小説だが、それでも22歳までしか達せず、その後のことは『孤蝶の城』(2022)という続編があるがまだ読んでない。

 カルーセル麻紀(作中では「カーニバル真子」)は元祖「性転換タレント」である。まだ子どもだった自分は、そういうことが可能なのかと驚いたものだ。その前にテレビ番組によく出ていたが、まだLGBTなんて概念もなく「男だけど女として生きる」という生き方があると示した人である。もっとも世間的にはどこか「怪しい」感じも匂っていたと思う。ともかく1970年代前半にはある程度の年齢の人は全員が知っていたと思う。当時は「ジェンダー・アイデンティティ」なんて考えはなく、世の中には生まれながらの「男」「女」しかないと僕も思っていた。
(カルーセル麻紀)
 そのカルーセル麻紀は釧路に生まれたので、桜木紫乃はぜひ自分で小説に書きたいと思っていたという。戦時中の生まれで出生名が「徹男」と付けられたのは、厳格な父の「米英と徹底的に戦う男」という意味らしい。小説では「秀男」となっているが、幼いときから女児のように思っていた。周りは姉のお下がりを着せられたからで、いずれ「治る」と思っていたようだが、いつまで経っても体は華奢なままだった。自分のことも「あちし」(「わたし」と言えず)と呼ぶ弱々しい「少年」は、学校に上がると格好のいじめの標的である。そのためいつも強いものを見つけて守って貰った。親や教師も本人が弱いからだと思われていた。

 そんな彼は中学では初めて「友人」を見つけた。何とか中学を卒業し高校へ行ったが、そこでは丸刈りが校則で「頭髪検査」があった。演劇部で女性役をするからと何とか目こぼしされていたが、ついに教頭が来て無理やりバリカンで刈られた。それをきっかけに教師に啖呵を叩きつけて退学した。そのまま家出して東京をめざすも無理と判って札幌で下りて、何とかゲイバーにたどり着く。そういう場所があると子ども時代に教えられていたのである。
(カルーセル麻紀の若い頃)
 その後は「ショービジネス」の小説となっていく。札幌から東京へ出て行き、さらに大阪へ行く。その間に多くの男性遍歴もあるが、もともと客商売に向いていた。度胸もあるし、話もうまい。10代にして夜の世界で人気者となる。その後、単にゲイバーでショーをするだけではなく、本格的に舞台に出るチャンスがめぐってくる。しかし、そこでは女優のわがままが目に余る。ついに若輩の真子が啖呵を切る。このように2度の「啖呵」シーンがとても印象的だ。カルーセル麻紀に同じような場面もあったんだろうが、桜木紫乃の小説家としての力量が示されている。
(『霧』)
 『緋の河』は今度テレビに出られるというところで終わっている。その後は続編で。誰にも認められないと思って生きる「秀男」だが、ただ姉だけが味方になってくれる。ずっと親の期待を背負って生きていた姉が、ラスト近くで大きく変わっていく。そこも読みどころだ。性別違和(性同一性障害)の子どもの心理をここまで書き込んだ小説はあまりないと思う。これは「釧路小説」とは言えないが、やはり釧路という町が背景にあって成立している。もっともこの時代、大阪では釧路の位置を知ってる人などほとんどいないのだが。とにかく桜木紫乃の小説は面白いのでお薦め。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ラブレス』『家族じまい』、「家族」の過酷な歴史ー桜木紫乃を読む②

2024年08月20日 22時19分58秒 | 本 (日本文学)
 桜木紫乃の直木賞受賞作『ホテル・ローヤル』(2013)、あるいはその前に書かれたミステリー風の作品『硝子の葦』(2010)には、釧路湿原を望む場所に建つ「ラブホテル」が出て来る。両作品に共通の人物は登場せず独立した作品だが、「ホテル・ローヤル」という名前が共通する。昔『ホテル・ローヤル』を読んだときは、ただフィクションに付けられた架空の名前だと思っていた。しかし、実はこれは作者の実家だった。15歳の時、父親がラブホテル経営に乗りだし、湿原を望む郊外に作ってそこそこ繁盛したらしい。桜木紫乃は仕事の手伝いをしていたというから驚く。

 桜木紫乃は「新官能派」などと呼ばれたらしいが、その小説に出て来る性描写は渇いている。そういう生育をすれば、「愛」や「性」に過大な期待を持てなくなるだろう。道東の寒々しい風景描写の中で、人々は結ばれたり別れたりするが、どこにも湿った思い入れがない。過酷な人生を歩む主人公が多いが、孤独で厳しい人生行路も桜木紫乃の読後感を涼しくさせている。

 小説に出て来る登場人物には思いやりを持って暮らす家族などほとんどなく、天涯孤独な人も多い。普通ならそういう設定は難しいのだが、戦争直後の北海道には開拓農家北方領土からの引揚者が多く、また主産業の炭鉱には全国から労働者が集まった。どこの出身なのかよく判らない謎に満ちた人物が出て来ても、昔の北海道は妙にリアルな環境なのである。

 桜木紫乃が初めて大きく評価されたのは長編小説『ラブレス』(2011、新潮文庫)だった。直木賞や吉川英治文学新人賞の候補になるとともに、島清(しませ)恋愛文学賞を受賞した。女性どうしのいとこの話から始まって、その親たちの姉妹の長い人生が語られていく。道東の開拓農家に生まれた極貧の姉妹は全く異なった人生を歩む。姉は途中で旅芸人に一座に飛び込み、妹は地元で理容師になる道を選ぶ。ちなみに桜木紫乃の父親はホテル経営の前には床屋をしていて、作品に床屋が出て来ることも多い。

 さらに驚くべきは姉妹の母親の苦難で、くだらない男どもに翻弄されながら戦後を生きてきた。姉百合江が握りしめていた謎の位牌とは何か。今は阿寒湖や川湯温泉の方まで合併して釧路市になっているが、そのような釧路近郊も描きながら壮大な家族の戦後史が語られる。謎を追うミステリー的な部分もあるが、まずは姉妹を通して描き出される過酷な戦後民衆史に言葉をのむ。1970年の山田洋次監督の映画『家族』では閉山した炭鉱から新天地を求めて、長崎から道東まではるばると旅をする家族が描かれた。70年頃まではそういう「幻想」があったわけだが、現実は過酷だった。非常に見事な代表作の一つだと思う。

 もう一つ、『家族じまい』(2020、集英社文庫)は中央公論文芸賞を受賞した作品。釧路に住む老夫婦には二人の娘があるが、一人は札幌近郊、もう一人は函館と実家から遠くに住んでいる。そして横暴だった父が元気で、母の方がボケて来ているらしい。そんな家族をめぐるアレコレが語られる。長女は父と距離を置いて生きてきたが、その生き方に批判的だった妹は二世代住宅を建てて父母と同居しても良いらしい。しかし、実現した「理想の暮らし」に父親が黙って従っていられるか。

 「横暴な父」あるいは「無理解な父」というのも桜木作品の定番的設定である。現実に床屋をやめてラブホテル経営を始めるような、「家族巻き込み型」の山師的父親だったらしい。そして1970年代ぐらいまでは、そうそう理解ある父親なんていなかったのも確かだろう。特に女性の場合、大学進学を認めないとか、結婚相手を自由に選べないなどよくある話だった。それでも北の大地の極貧の父親たちの横暴は迫力が違う。そんな家族の中で生き抜いた女性も大変だった。

 「家族」への幻想など飛び散ってもおかしくない。そんな冷徹な世界を行きている女性の小説は、何も釧路が舞台だからというだけでなく、読んでいて夏の猛暑も少しは涼しくなるというものだ。他にも多くの作品があるわけだが、ハードボイルド的な『ブルース』『ブルースRed』、第一作品集『氷平線』なども釧路や周辺を舞台にしながら、どこか渇いた人間たちが出て来る。本質的に「冷涼」なのが桜木作品の特徴だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼・高石ともやー「フォークソング」の原点を歌い続けた人

2024年08月19日 22時32分09秒 | 追悼
 「フォークシンガー」の高石ともやさんが亡くなった。8月17日死去、82歳。スマホのニュースで見て驚いた。もちろん82歳の男性が亡くなっても驚くようなニュースじゃない。しかし、僕は2023年12月に行われた「年忘れコンサート」に行っていた。そこでは声量など特に衰えを感じさせなかった。この年忘れコンサートに僕は40年以上毎年夫婦で行っている。2022年だけは母親が入院中で危ないと言われていたので、チケットは持っていたが行けなかった。そのまま終わりだと嫌だなと思ってたら、2023年に行けた。そして元気なら2024年もあるのかなと思っていた。

 「高石ともや」という名前は、昔は受験期になると「受験生ブルース」がラジオで流れていたから覚えたんだと思う。大学に入ったらそこは高石ともやの卒業した大学で、当時はクリスマス行事で高石ともやとザ・ナターシャセブンのコンサートが行われていた。まあ、そういうことで同窓生なんだと知ったわけである。その後、いろいろ経緯があるのだが、妻もファンだということで東京で毎年末にあるコンサートに行くようになった。当初は有楽町の読売ホールでやってたが、その後亀戸のカメリアホールに変わった。時間も昔は平日の夜だったが、次第に土曜日の昼間になった。仕事をしてたときも、何とか都合を付けて毎年行ってきた。
(CD「高石友也ベストコレクション」)
 年忘れコンサートには、ある時期まで著名なゲストが出ていた。谷川俊太郎永六輔灰谷健次郎などは特に思い出にある。新内の岡本文弥もそこで聞いた。同じ「フォークシンガー」と言われる中川五郎遠藤賢司などもゲストで来たことがある。コンサートでは毎年のように歌われる「」「私の子どもたちへ」「想い出の赤いヤッケ」など定番の名曲も良いけれど、それ以上に一年を振り返る歌やトークが楽しみだった。東日本大震災の後で、被災地に行って感じたこと、それが心に響く。社会の移り変わり、世界の問題、著名人の訃報…いちいち感じ方に共感出来るのである。
(75歳でホノルルマラソン連続完走40年の日。2016年12月。)
 本当に凄いと思うのは、毎年12月上旬に行われるホノルルマラソンに参加していたことだ。走り終えて、戻ってすぐにコンサート。本当に丈夫そうで、80歳を超えても声量はしっかりしていた。ある時期からマラソンを始めて、市民ランナーとして有名になった。日本初のトライアスロン大会で優勝しているので、単なる「市民ランナー」を越えているし、「君はランナー」という曲も作っている。多くのマラソン大会に招かれ、走るとともに歌ってきた。有森裕子の言葉で知られる「自分をほめてあげたい」はもともと高石ともやさんの言葉だった。そして妻に先立たれてから10年以上も元気で活動を続けたのは本当にすごいと思う。
(CD「陽気に行こう」107ソングブックCD版)
 思い出はいっぱいあるが、少し音楽的に振り返っておきたい。高石ともや(当初は「高石友也」と表記していた)は「関西フォークの旗手」と呼ばれた。もともとは1941年12月9日(日米開戦翌日)に北海道雨竜町で生まれた。本名は「尻石」だから、これで歌手活動は出来ない。大学で東京に出たが、歌手活動は関西で始めた。その経過はなかなか波瀾万丈なのだが、ここでは省略する。「フォークソング」は要するに「民謡」だが、60年代にはアメリカのジョーン・バエズなどの「反戦フォーク」のイメージが強い。日本でも反戦集会などで歌う人が出てきて、その走りが高石友也岡林友康だった。
(CD「高石ともやのファミリー・フォーク12曲集」)
 ここで興味深いのは、高石友也の名前を使って「高石音楽事務所」が作られ、高石友也も岡林信康もそこに所属したのである。岡林が作って二人で歌った「友よ」は60年代の抵抗歌として金字塔だと思う。またザ・フォーク・クルセダーズや高田渡、五つの赤い風船など皆ここに所属して音楽活動を行ったのである。しかし、70年代になると高石ともやはアメリカに「フォークの原点」を求めて旅立つ。ピート・シーガーなどに学びつつ、さらにブルーグラスなどアメリカの「草の根」の音楽に触れて帰国した。そして福井県名田庄村(現おおい町)に住み、ザ・ナターシャー・セブンを結成した。(グループ名は住んでいた村から。)

 そしてアメリカの歌を原語でコピーするのではなく、きちんと日本語訳を付け日本の歌として歌ったのである。また日本の民謡も歌うなど、独特の歌作りを行った。107曲をレコードにした「107ソングブック」は高く評価され、1979年の日本レコード大賞企画賞を受賞した。しかし、1980年に木田高介(元ジャックス)が脱退、直後に事故死、1982年にはマネージャーの榊原詩朗がホテル・ニュージャパンの火事で亡くなる。それらをきっかけにしてグループ活動が難しくなっていった。以後はほぼ高石ともやはソロで活動する。普通の意味での歌手と言うより、ランナーや市民活動の中で歌い続けるスタイルを一貫させてきた。

 僕には歌手という以上に、個人的思い出がいっぱいあって語りきれない。授業で紹介した歌もあるし、辛いときに口ずさんでいる歌もある。何を書いて良いのかわからないが、取りあえず訃報を聞いて書いた次第。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

涼しくなれる釧路小説ー桜木紫乃を読む①

2024年08月18日 21時50分36秒 | 本 (日本文学)
 東京はほぼ毎日猛暑日が続いている。台風が接近した8月16日(金)だけは別だが、他の日は35度に届かなくてもそれに近い。もういい加減猛暑には飽きてしまって、マジメ系テーマを書く気が失せている。そこで最近読んでる桜木紫乃(1965~、さくらぎ・しの)の本について数回書きたい。何しろ読むだけで涼しくなれる小説なのである。桜木紫乃は北海道釧路(くしろ)市に生まれ育ち、作品の舞台も主に釧路である。今は同じ北海道でも札幌に近い江別市居住というが、釧路を舞台にした『ホテル・ローヤル』(2013)で、同年に直木賞を受けた。その後も釧路で展開する小説を書き続け、釧路市の観光大使にもなっている。
(桜木紫乃)
 釧路と言えば夏でも涼しい土地柄で知られる。今年の最高気温を調べてみたら、8月10日に29.1度になっているが30度越えは一日もない。ここ3日間では、16日が23.3度、17日が20.8度、18日が21度になっている。この気候を生かして近年は釧路に夏長期滞在する旅行プランが人気だ。何で涼しいかというと、寒流(親潮)の影響が大きい。また夏は海から吹く風で「海霧」が発生する。昔釧路に行った時、帰りの飛行機が濃霧で欠航したことがある。もっとも釧路でも年に何日かは30度近くになるが、道東地方では宿に冷房がないことが多くて困る。(下に釧路の地図を示しておく。)
(釧路の位置)
 今回読んでみたのは、講談社文庫が4ヶ月連続で桜木紫乃の旧作を文庫化しているのがきっかけ。僕も知らなかった釧路を舞台にしたミステリーが刊行された。「北海道警釧路方面本部」シリーズだそうである。もっとも2作しかないけれど、どちらも女性刑事の苦闘を描くことが共通する。第一作『凍原』(2009)の帯には「女が刑事として生きるには、あまりにも冷たい街」と出ている。人間関係の希薄さもあるが、この「冷たい街」とは現実に冷涼な日々が続くことを指している。
(『凍原』)
 第二作『氷の轍』(2016)もそうだが、まず題名が寒々しい。そして内容も同じく寒いのである。出張で札幌や青森県の八戸まで出掛けるシーンがあるが、気候が違って暑いという描写が印象的。それに対して事件現場である釧路は、釧路湿原や海の描写も多い。それらが事件そのものや刑事、事件関係者の設定に不可欠になっている。そして読んでいていかにも冷涼な街の様子が浮かび上がり、こっちの気分も涼しくなる。漁業と炭鉱の町だった釧路は、戦後になっても外からやって来た人が多く、生まれ育ちもよく判らない人が有力者になっている。そんな特質がミステリーに向いている。
(『氷の轍』)
 「犯人当て」としてはどっちもちょっと薄味かもしれないが、寒々しい風景描写が心に残る小説である。出来映えからすると短編集『起終点(ターミナル)駅』(2012)が心に残った。表題作は篠原哲雄監督によって映画化され、2015年に公開された。その映画は遅れて見て、なかなか面白かった。佐藤浩市、尾野真千子、本田翼などが出ていて、やはり釧路が舞台。元裁判官の佐藤浩市は今は釧路で官選の刑事事件しかやらない弁護士になっている。そうなった理由は何故か。そこに本田翼演じる女性の覚醒剤事件を担当することになって…。本田翼がなかなか良くて忘れがたい。今回原作を読んでみたら映画はほぼ原作と同じだった。
(『起終点駅』)
 文庫の帯には「始まりも終わりも、みなひとり」とある。当たり前と言えば当たり前なんだけど、桜木紫乃の登場人物は皆孤独で道東の荒涼たる風景に似合う人ばかり。新聞記者を主人公にした「海鳥の行方」「たたかいにやぶれて咲けよ」も見事。『ホテル・ローヤル』も連作短編集だったが、桜木紫乃は基本的に短編向きかも。忘れがたき風景や人間関係を点描することが特徴である。もちろん直木賞作家なんだから、エンタメ系のすぐ読める小説である。しかし、それらの小説はほぼ釧路周辺で展開する孤独な人間の道行なのである。読んでると気持ちも涼しくなるが、それは高原の避暑地の涼しさとは違う。夏も荒涼たる道東の涼しさなのである。なお、釧路で鶏の唐揚げを「ザンギ」と呼ぶと映画を見て初めて知った。原作でも主人公がザンギを作っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スポーツウォッシング」をどう考えるかーパリ五輪③

2024年08月16日 22時20分16秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京は毎日猛暑が続くが、今日は久しぶりに30度に届かなかった。台風7号の接近によるものだが、週初めから週末は台風に警戒と言われ、東京・名古屋間の新幹線が計画運休するなどした。そこで今週は昨日まで猛暑の中を頑張って出掛けて、今日は休むことにした。ところが自宅周辺は雨風ともに大したことなく(というかほとんど雨も降らず)、何だという感じの一日だった。

 もう一回パリ五輪関係の記事を書いておきたい。今度は「スポーツウォッシング」(sportswashing)についてである。僕はこの言葉を今回初めて聞いたのだが、Wikipediaに項目があって2015年にアゼルバイジャンで行われたヨーロッパ選手権の時に初めて使われたという。ヨーロッパ選手権というのは「アジア大会」のヨーロッパ版で、そういうのがあるわけだ。

 日本では2023年11月に集英社新書から西村章スポーツウォッシング なぜ<勇気と感動>は利用されるのか』という本が出ていることが判った。西村章氏(1964~)は主に二輪ロードレースを取材してきたスポーツジャーナリストで、2010年に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞、2011年に第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞したと出ている。
(『スポーツウォッシング』)
 僕はその本を知らなかったが、内容を簡単に紹介すると、「「為政者に都合の悪い政治や社会の歪みをスポーツを利用して覆い隠す行為」として、2020東京オリンピックの頃から日本でも注目され始めたスポーツウォッシング。スポーツはなぜ”悪事の洗濯”に利用されるのか。その歴史やメカニズムをひもとき、識者への取材を通して考察したところ、スポーツに対する我々の認識が類型的で旧態依然としていることが原因の一端だと見えてきた。洪水のように連日報じられるスポーツニュース。我々は知らないうちに”洗濯”の渦の中に巻き込まれている!」と書かれている。

 オリンピックやサッカーのワールドカップはあまりにも巨大な商業的イヴェントとなり、参加国のナショナリズム高揚のための仕組みになっているという批判はこれまでにもあった。競技数が増えすぎてオリンピックを開催できる国は限られて来ている。昔開催したことがあるストックホルムやヘルシンキ、アムステルダムなどではもはや難しい。アジア、アフリカの国々でも開催可能な都市は幾つもないだろう。そういう議論は前からあったと思うが、「悪事の洗濯」というのは新しい視点かなと思う。

 そもそもオリンピックは「アマチュア選手の祭典」として始まったわけだが、今は完全にプロ選手の争いになっている。もともと五輪競技だったサッカーなどはともかく、ゴルフやテニスなどプロ競技として確固たる存在感のある競技まで実施されるようになった。もっと大きな大会を転戦している選手たちにとって、オリンピックはどの程度の重みがあるのだろうか。(男子サッカーの場合、五輪では「23歳以下」という条件を付けている。)プロリーグがない競技でも、プロとなって活動してる選手が多くなった。
(スポーツウォッシングによって毀損されるもの)
 そうなると選手や競技団体も自分たちの生活がかかっている。政府は補助金を出して選手強化を図り、選手たちは「結果」を求められる。その結果(メダル)を獲得することで、国民は選手たちを「英雄」としてもてはやし、メディアも選手たちの動向を詳しく報道する。そのため、本来追求されるべき物事がなかったことにされる。東京やパリでもそういう部分がいっぱいあったが、北京の夏冬の五輪、あるいはソチ冬季五輪2018年のワールドカップロシア大会などはまさに「スポーツウォッシング」だった。

 そのことは忘れないようにしないといけないと思う。だが「スポーツウォッシング」だから「オリンピックは見ない」、「ナショナリズム高揚の装置」だから「ワールドカップは見ない」とまで言うと、僕はちょっとどうかなと思う。オリンピックほど巨大ではないかもしれないが、およそあらゆるスポーツ大会には似たような側面がある。プロ野球や高校野球も見ないのだろうか。それは単にスポーツ観戦に関心がないというだけなのではないのか。

 スポーツ以外の音楽、映画などでも巨大な市場が形成されている。これらの分野では作者の政治的主張を盛り込んだ作品も存在しているが、それはアート市場の片隅で許容されるだけだ。主にヒットしているものは(特に日本では)「現実逃避」的なものが多い。そして、そういう「大衆娯楽」的なものを一切拒否して生きることは不可能である。8月はマジメに戦争を考えるべき時で、戦争ドキュメント番組は見ても良いけど、他のテレビ番組は見ちゃいけないなんてことになったら、それこそ「戦前と同じ」である。

 僕はオリンピックを(見られる時間にやってる限りにおいて)見たけれど、それは他の番組より面白いからだ。世界最高レベルの選手の争いがナマでやってるんだから、面白くないはずがない。日本では団体球技の人気が高いが、サッカー、バレーボール、バスケットボールなど誰でも学校でやったことがある。卓球やバドミントンも同様だろう。ルールは少しずつ変わっていくが、基本は不変。これらの競技が全世界で行われているのは、要するに面白いのである。

 オリンピックは地上波テレビ放送で見た人が多いらしい。インターネットですべての競技が見られたが、ただスイッチを入れれば良いテレビの方が便利だ。そして付けるとアナウンサーや解説者が絶叫してたりしてうるさい。日本のスポーツ中継は概して騒音レベルである。だけど、僕は聞いてないから良いのである。コマーシャルと同様に耳が自動的にシャットアウトしてしまう。

 「スポーツウォッシング」という概念は、他分野にも応用出来る。例えば「万博」もウォッシング装置だろう。重要な考え方だが、オリンピックや他のスポーツ中継を面白いと思う人は、見れば良い。好きなものを見る自由は手放せない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアの五輪復帰には時間が必要、ロシア「排除」は二重基準かーパリ五輪②

2024年08月14日 22時40分04秒 | 社会(世の中の出来事)
 パリ五輪では、「AIN」(中立国)という選手がいた。「個人資格の中立選手」として、ロシアとベラルーシからドーピングなどの条件をクリアーした選手が出場出来る仕組みである。15人出場してメダルは5個獲得したが、国別ランキングには登場しない。(獲得種目は金=トランポリン男子、銀=トランポリン女子、ローイング・男子シングルスカル、テニス女子ダブルス、銅=重量挙げ男子108キロ級。)出場選手が少なかったのは、ロシア国内で「参加するな」的な心理的圧力があったためだろう。具体的なことは判らないが、事実上プーチン政権や「特別軍事作戦」を支持するかどうかの「踏み絵」になったと思われる。ロシア国内ではテレビ放映もなかったとのことで、五輪の存在は消された。

 そんな中で、パリ五輪中のエピソードとして「北京冬季五輪のフィギュアスケート団体」のメダル授与式があった。元々は金=ROC銀=アメリカ銅=日本だった。ROCはロシアオリンピック委員会のこと。しかし、ロシアのワリエワ選手のドーピング問題で、金メダルは取り消された。そこで銀と銅が繰り上がることになり、パリで授与式が行われたわけである。日本チームはすでに引退した宇野昌磨はスイスのアイスショーと重なり不参加だったが、他の選手たちがパリに集まった。下の写真は毎日新聞社のサイトにあるものだが、余りに素晴らしいので使わせて貰った。(右から 坂本花織、樋口新葉、鍵山優真、木原龍一、三浦璃来、小松原美里さん、小松原尊=トロカデロ広場で2024年8月7日、玉城達郎撮影)

 ところで、ロシアが「排除」されたのに対し、イスラエルが参加出来たのは「二重基準」だという批判があった。(イスラエルは金=1、銀=5、銅=1の計7個のメダルを獲得。)ウクライナとガザで戦争が続く中で、国連安保理の米ロの対応は「二重基準」と言われても当然だろう。まあ「国益第一」という意味では、どっちも同じ基準というべきかもしれないが。その事は今までも書いてきたが、オリンピックの対応はどう考えるべきだろうか。しかし、そこで考えるべきことは「ロシアは東京五輪にも参加出来なかった」という事実だ。ロシア選手は確かに参加していた。ただし「ROC」として参加が許容されたのである。
(東京五輪ではROCとして入場)
 「二重基準」だと批判する人はそのことに触れない。ロシアは今までも「オリンピック精神に反する」行動が見られ、「ロシア」という国としては参加を認められていなかった。金メダルを獲得してもロシア国旗は掲げられず、国歌の代わりにチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」が流された。そのような経過を考えると、ロシアがウクライナに侵攻したまま通常の対応をすることはIOCとしても当然出来ないだろう。団体競技の予選にロシアの参加は認められず、従って参加資格を得られない。
(ロシアオリンピック委員会の旗)
 一方、イスラエルは当然のこととしてガザ戦争以前に団体競技予選に参加していた。男子サッカーのU21欧州選手権が2023年6月に行われ、イングランドが優勝、スペインが準優勝、イスラエルとウクライナが4強だった。(イスラエルはヨーロッパ協会所属である。)ヨーロッパ出場枠は開催国フランスを除き3か国で、スペイン、イスラエル、ウクライナに与えられた。(イングランドが出てないのは、「五輪加盟国」ではないということか。)このようにすでに獲得していた出場権は、スポーツ界内部の不祥事以外では取り消されないだろう。この参加を取り消さないのは「二重基準」なのか。

 イスラエルがガザでいかに非道なことをしていても、それを言い出せばそもそもはハマスのテロ攻撃をどう考えるべきかと反問されるだろう。ハマス幹部も戦争犯罪を犯したと国際刑事裁判所も認めている。ではパレスチナの参加も認めないのか。パレスチナはメダルには届かなかったものの8人の選手を派遣している。パレスチナの参加は当然だし、イスラエルの参加も選手の権利だと思う。一方、ロシアの選手はドーピング問題が完全解決しない限り、今後も参加は難しい。(ベラルーシの参加は認めるべきだろう。)

 ロシアのドーピングは軍や諜報機関、ひいては政権上層部が関わっていると思われる。世界中のすべての五輪選手は厳しいドーピング検査をクリアーして試合に臨んでいる。検体を国家機関が関わってすり替えてしまうなんてことをするのはロシアだけだろう。(いや、中国でも組織的ドーピングが行われているとアメリカは非難しているが、今のところ公式的には証明されていない。)2028年ロス五輪は米国開催だから、ロシアもアメリカも妥協しにくい。今後の開催国はイタリア(冬)、米国、フランス(冬)、オーストラリア、米国(冬)と「西側」主要国が連続する。ウクライナ戦争がいつ和平に至るか判断が難しいが、戦争が終わっていたとしても、ロシアはすぐには参加出来ないだろう。ロシア選手団の本格復帰までは相当の時間がかかると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タヒチ島と男子リレー予選問題ーパリ五輪①

2024年08月13日 22時55分10秒 | 社会(世の中の出来事)
 パリ五輪第33回夏季オリンピック競技大会)が7月26日~8月11日に行われた。終わってしまえばあっという間で、僕は見たり見なかったり。日本選手は金メダル20個を獲得し、米中に続く第3位となった。しかし、圧倒的にメダルに縁がなかった選手が多いわけだし、メダル数にこだわる気もない。最後にレスリングで大量に金メダルを取り「海外五輪史上最高」と言われるが、僕にはむしろ金メダル確実と言われながら一回戦で敗れた須崎優衣(女子レスリング)に、連覇の難しさを感じて感慨があった。

 足立区出身の女子レスリング68キロ級尾崎野之香は、一回戦をわずか32秒で「10対0」のテクニカルフォール勝ちして圧倒的に強さを印象付けた。しかし、2回戦では得意技を封じられ、キルギスのメーリム・ジュマナザロワに8対6で敗退した。この選手は決勝まで進出して銀メダルだった。その結果、尾崎選手は翌日の敗者復活戦に回ることが出来、勝ち進んで銅メダルを獲得した。須崎選手も結局銅メダルを獲得出来て(それまでの経過はいろいろとあったが)、まあ良かった。

 日本選手の話はいくらも出来るが、若い女子選手の名前が読めないなあと毎回感じる。読めないというか、漢字と合ってない読み方をさせるわけである。昔からそういう生徒は結構いたけれど。女子サッカー選手には、結構「○子」という名前の人が多いのが新鮮な感じ。男子自転車BMXフリースタイルの中村輪夢(りむ)とかセーリングの飯束潮吹(いいづか・しぶき)とか、命名から将来を予測させる名を付ける場合もある。ま、他人が口を挟む問題でもないだろうが。

 ところで、今回のパリ五輪であまり問われなかったことを書いておきたい。一つはサーフィンをタヒチ島で行ったことである。選手村が借り上げた豪華船だったこともあって、そういうのもありじゃない的な報道が多かったと思う。前回銀メダルの五十嵐カノア選手がメダルに届かず、サーフィンの報道は少なかった。しかし、タヒチ島はフランス領ポリネシアという植民地である。独立運動もあって、「国連非独立地域」に指定されている地域である。
(サーフィンの選手村)
 さらに「フランス領ポリネシア」というと、フランスが核実験を行ったムルロア環礁が含まれている。隣接地域と言っても良い。ちょうど8月にやってる五輪なのに、日本のメディアが全くそこに触れないのが不思議だ。フランスは植民地の独立が遅れていて、ニューカレドニアで問題化しているのは周知のこと。世界で今もこれほど植民地を保有している国はない。国内でも植民地主義の清算が遅れている。僕にはタヒチで五輪をやるのは無神経に見える。内陸のパリじゃ出来ないが、東京五輪では千葉県だったようにノルマンディーなど本国で可能な場所はいくらでもあるだろう。(ムルロア環礁はツアモク諸島南部にある。)
 (タヒチの地図)
 もう一つ、陸上男子400メートルリレー(100×4リレー)の予選結果を見て、これは何だと思った。全体的に柔道団体や男子バスケットボールの日本・フランス戦など、これはどうもと思う審判の判断が見られた。しかし、陸上のリレー予選ほど極端な「フランス有利」はないと思う。まず、予選は2組に分かれ、各組上位3チームは順位で決勝に進出する。残り2チームはタイム順で上位2チームが進出する。では、予選の順番を見てみたい。(下線=決勝進出)

 予選A組 ①米国南アフリカ英国日本イタリア⑥オーストラリア⑦ナイジェリア(38秒20)⑧オランダ(38秒48)
 予選B組 ①中国38秒24)②フランス(38秒34)③カナダ④ジャマイカ⑤ドイツ⑥ブラジル⑦リベリア 失格=ガーナ

 ジャマイカにバトンミスがあり、決勝進出出来なかったのは予想外だろう。それにしても、予選B組トップの中国ですら、A組なら8位である。まあ周囲を見て、タイムをセーブしたのかもしれないが。純粋にタイム順で選ぶなら、フランスは9位だから入らなかった。日本はタイムで救われたが、オーストラリア、ナイジェリアはタイムで中国を上回ったのに予選敗退となったのである。
(男子400メートルリレー決勝)
 決勝の結果は、①カナダ(37秒50)②南アフリカ③英国④イタリア⑤日本(37秒78)⑥フランス⑦中国 失格=米国
 何とアメリカが失格してしまい、B組3位だったカナダが優勝という意外すぎる結果になった。それにしても、2~5位は予選A組からだった。アメリカが失格しなければ、当然上位だっただろう。開催国がシードされるのはあり得ることかも知れないが、これはちょっと極端過ぎるのではないか。
 
 400メートルリレーほど極端ではないけれど、1600メートル(400×4)リレーも似たような感じ。
 予選A組 ①ボツワナ英国米国日本(2分59秒48)⑤ザンビア(3分00秒08)⑥ドイツ⑦ポーランド⑧トリニダード・トバゴ
 予選B組 ①フランス(2分59秒53)②ベルギーイタリア④インド⑤ブラジル⑥スペイン⑦南アフリカ 失格=ナイジェリア

 フランスは予選A組4位の日本より遅いタイムなのに、B組1位になったのである。何でこうなるの的な疑問を感じないか。なお、南アフリカは予選最下位なのに、審判判断で決勝進出となった。詳細は知らないが、何か理由があったのだろう。
 結局、決勝はどうなったか?
 ①米国②ボツワナ③英国④ベルギー⑤南アフリカ⑥日本⑦イタリア⑧ザンビア⑨フランス

 何だかこの組分けには、フランスへの「忖度」を感じずにいられない。どうも不可解だし、フランスってこういうことをするんだとつい思ってしまうんだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする