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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

長期戦が避けられなくなったウクライナ戦争

2022年04月29日 22時58分21秒 |  〃  (国際問題)
 ウクライナの戦況を考えると、現在時点では「長期戦が避けられない」ということがはっきりしてきたと思う。ほぼ一ヶ月前に「突然終わる可能性も」を書いた。その後首都キーウ近辺に展開していたロシア軍が撤退し、「突然終わる」可能性が大きくなったかに見えた時もあった。ウクライナ戦争はロシアから見て(反ロシアになった)「ウクライナ懲罰戦争」という側面があって、かつての中国による「ヴェトナム懲罰戦争」のように突然始まって突然終わる可能性が起こりうると考えたのである。

 しかし、それから一ヶ月して、東部戦線、さらに南部戦線と侵攻は続き、ロシア軍がすぐに停戦する可能性はない。5月9日の「戦勝記念日」までに終わるという観測もあったが、現状ではウクライナ側の方で応じる可能性がない。プーチンはブチャの「戦争犯罪」(ウクライナによるねつ造と主張)や黒海艦隊の旗艦「モスクワ」の撃沈などで、引き返すことが出来ない段階に入ったように見える。戦争が始まり犠牲者が出ると、「血の代償」が得られない限り止められなくなっていく。
(4月29日段階の地図)(3月27日段階の地図)
 上記の地図を見比べてみると、確かに北方戦線ではロシア軍が撤退しているが、東部、南部のロシア占領地域は侵攻前に比べて2倍ほどに広がっている。オデッサ(オデーサ)への攻撃も行われていて、このまま南部を占領していくとウクライナが「内陸国」になってしまう可能性さえある。その時はモルドバとも陸続きともなるから、「沿ドニエストル共和国」(モルドバ東部でロシア系住民が「独立」を宣言した地域)への回廊を作るという目標があるのかもしれない。

 そうなると、ウクライナには絶対容認出来ないことになる。もちろん国連安保理常任理事国が隣国の領土を併合するというあってはならない事態で、全く認めがたい。その場合、ウクライナ側にとっては「国土防衛戦争」であり、「解放戦争」を戦う以外に選択肢がない。しかし、ロシアのプーチン政権が退く可能性はないだろう。そうなると、決着はどういうことになるだろう。僕にはその道が想像出来ない。突然プーチンの健康状態悪化で政権が崩壊する…といった事態でも起きない限り、しばらく延々と続くと考えて置いた方が良い。思えば戦争は実は2014年から続いていたのであって、これは1931年に「満州事変」が起こったのと同じような段階。1937年に日中全面戦争が始まったのが現段階なのだから、あと何年も続くと想定されるのである。

 世の中には「今すぐ戦争が終わって欲しい」というように語る人が結構いる。確かにそうなんだけど、ではウクライナが東部や南部をロシアに譲って決着することを望んでいるのか。そうではなくて、ロシアが侵攻以前に(少なくとも今回の侵攻以前に)撤退することが停戦交渉の前提だと考えるのか。ロシアは「実力で獲得した地域」は事実上は自国領土と考えるに決まっているから、交渉も出来ない。資源国ではなかった日本でもあれだけ長期間戦争が出来たんだから、資源国ロシアはさらに耐えられる。ソ連崩壊前後の窮乏期を経験している世代がロシアの実権を握っている。ロシア経済やプーチン政権がすぐに崩壊すると思うのは幻想である。

 そうなると、ロシアに経済制裁をした国々はどこで解除できるだろうか。今まで中国の天安門事件後の「制裁」などを考えると、いつの間にかうやむやになっていくということが多かった。いつまで続けても効果が出ないだけで、自国経済への負荷ばかり多くなる。ロシアへの制裁も似たような面があって、ロシア経済より先に資源をロシアに頼らざるを得ない国々が悲鳴を上げてしまうかもしれない。それを狙ってロシア側もさまざまな策略を使ってくるだろう。いくら何でも、戦争が続いている間は制裁を解除出来ないだろうから、世界経済はその間に完全に「G7」対「BRICS」に分断される可能性が高い。

 かつて17世紀前半に起こったドイツの「30年戦争」のような、ウクライナ30年戦争になってしまう可能性も覚悟しておくべきではないか。この間、ロシア軍はウクライナ各地にミサイル攻撃を行ってきた。その悲惨、恐怖、怨恨は簡単には収まらない。一世代では解消出来ないから、22世紀になっても両国関係はうまく行かない。恐怖の記憶は2500年になっても残るだろう。どうしてそんなことをロシアが始めてしまったのか。ウクライナには国民の怒りが充満しているだろうから、簡単には妥協できない。ロシアに領土を譲るような政治家は、政治家として生き残れないだろう。だから、どういう「解決」がありうるか、部外者のものには想定不可能だ。
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南紀・湯の峰温泉あづまや旅館ー台風直後の「つぼ湯」-日本の温泉⑯

2022年04月27日 22時44分14秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 北から西へと日本各地の温泉を書いてきて、本来ならそろそろ日本海側へ行きたいところだが、実は北陸地方も山陰地方もほとんど行ってない。ちょっとは行ってるが、ここで書くような温泉じゃなかった。そこで前回書いた三重県の榊原温泉から近いんだけど、南紀・熊野の湯の峰温泉を取り上げたいと思う。ここには幾つか宿があるが(現時点で13軒らしい)、「あづまや旅館」に泊まった。日本全体を通してもベスト級の名温泉旅館で、泉質、食事、宿の対応、周辺の雰囲気すべて素晴らしかった。
(「あづまや」のお風呂)
 今まで南紀には3回行っているのだが、湯の峰に行ったのは10数年前のことである。実は榊原温泉へ行ったのと同じ時なんだけど、三重県から奈良県に入って大台ヶ原の方を回っていた。その後で十津川へ行って上湯温泉神湯荘という旅館に泊まった。ここも素晴らしい泉質の温泉だったけど、それより恐ろしいことに台風がその夜に襲ってきたのである。出発した時は影も形もなかった。旅行中に雨の日があっても不思議じゃないが、この時は近畿地方の南にあった低気圧が急発達して台風になって上陸してしまった。そんなに大きくなかったが、やはり雨風は激しい。宿の裏が山になっていて、山崩れでもあったら大変と安眠出来なかった。
(あづまや旅館)
 翌日は熊野古道を歩こうと思っていたのだが、これでは無理である。台風自体は一夜で通り過ぎて台風一過だったけれど、古道探訪は無理だろう。では新宮方面の観光施設(佐藤春夫記念館など)に先に行っておこうかと思ったんだけど、途中でとんでもないニュースが…。熊野川が増水して氾濫したというのである。国道は通行止めになった。行くとこもないから通行止め地点まで行ってみたが、確かに遠くで道が冠水しているのが見えた。これは困ったな、やることが何もない。観光施設みたいな場所もないし、あっても閉まってる。食事するところも開いてない。ようやくうどん屋を見つけて食べたのだが、さてそれからどうする?
(つぼ湯)
 そこでガイドをよく見てたら、なんとあづまやのチェックイン時間は午後1時になっているではないか。ホントにそんなに早く入れるのか。一応電話して確かめたら、その日も1時に宿に入れるという。そこでほとんど1時すぐにチェックインしわけである。そこには加水なし源泉100%、源泉92.5度という湯が適温でお風呂に満ちている。泉質は「含硫黄-ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉」とあるが、とても柔らかくてさっぱりした感じの名湯だった。宿の風呂もいいけれど、湯の峰温泉の名物は川のそばに自噴する岩風呂「つぼ湯」である。何しろ史跡に指定され、そして今では世界遺産になっている。世界唯一の温泉の世界遺産である。
(つぼ湯)
 日本各地で名物の外風呂があれば、時間を作って寄ってきた。長野県の野沢温泉や渋温泉の外湯などである。今度も是非行きたいわけだが、見に行って驚いた。川が完全に増水している。氾濫するまでにはなってないけど、山の中だから恐ろしいほどの急流である。轟音を立てて流れすぎている。「つぼ湯」?、どこにあるのか。入れるとか入れないとかのレベルではない。全く水没しているではないか。そんなことがあるのか。ということで、その日はアウト。翌朝は水も引いていて、つぼ湯は朝からやっていた。では、朝食前に一風呂浴びようか。普段はずごく待ち時間が長いようだが、この時はさすがにすぐに入れた。ま、そういう事情だから、入ったという記憶しかないんだけど。妻はどうせ川の湯が混じっているとかいって行かなかった。

 湯の峰温泉は「小栗判官・照手姫」の伝説の場所である。それって、何だ。僕の世代ではもう通じない話で、読み方も判らないだろう人のために書いておくと、「おぐりはんがん・てるてひめ」である。中世の芸能である「説経節」で知られたという。簡単に言えば、死んだ小栗判官が蘇ったというぐらいの名湯だという話である。それは伝説としても、古代以来の熊野詣でのおりに遙々京からやってきた貴族たちも浸かったと記録にある。熊野本宮もものすごい「パワースポット」で、そんなことに何の関心もない僕でさえ、ここには何かありそうな気がしたぐらい。火山もないのに何でここらに温泉がいっぱいあるのか。いろんな説があるようだが、古い温泉街も趣ある日本有数の名湯だ。
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映画「英雄の証明」ー語り口のうまさ、不思議の国イラン

2022年04月26日 22時25分00秒 |  〃  (新作外国映画)
 黒澤明の映画は長いから、今じゃ一日一本が限界。黒澤を見ている間に新作がどんどん終わっていく。是非見たいと思っていたのが、2021年のカンヌ映画祭パルムドール「チタン」とグランプリ「英雄の証明」である。昨年の一番上が「チタン」ということになるが、いやあ、この映画が「ドライブ・マイ・カー」より上という評価に何故なるのか不思議。生理的に受け付けないタイプの映画で、僕にもそういうのがある。カンヌ「グランプリ」は2作あって、その一つがイランの「英雄の証明」である。

 監督のアスガー・ファルハディ(1972~)は現在のイランで一番国際的に活躍している。カンヌでも常連で、今まで脚本賞や男優賞、女優賞を獲得してきた。イランとアメリカは対立関係にあるが、「別離」と「セールスマン」と2回もアカデミー賞外国語映画賞を受けたのもすごい。ファルハディ監督の映画は、洗練された語り口でテヘランの民衆生活をリアルに描き出すのが特徴である。さまざまな社会問題などには踏み込まず、イラン国内で映画製作を続けているが、それだけにイランの「不思議の国」ぶりを余すところなく伝えている。

 この映画はイランのも「SNSに翻弄される人々」がいると判るけれど、設定が不可解である。不可解なんだけど、そういう世界なんだとファンタジーのように設定を受け入れると、あまりの語り口のうまさに舌を巻く。全く退屈せずに最後まで見てしまうが、一体これは何なんだろう。主人公ラヒム・ソルタニは囚人だが、休暇で数日出獄する。じゃあ、どんな犯罪を犯したのかと思うと、義兄(別れた妻の兄)から借りた金を返せないというだけである。これは日本なら(というか普通の近代法的な社会では)、返す意思なく借りたら詐欺かもしれないが、常識的には民事問題だろう。
(主人公と姉の食事)
 それで刑務所行きも理解を絶するが、休暇中に獄外で金を都合出来て示談に出来れば自由の身になれるというのも理解出来ない。しかし、まあそういう仕組みの社会なのである。そしてラヒムには新しい恋人が出来て、彼女がバス停でバッグを拾ったら金貨が何枚も入っていた。それを返済に充てれば自由になれて結婚出来る。しかし、金貨を換金しようと思ったら、借金分には足りない。そこで借主(元の妻の兄)に接触するが、全額に遠く納得してくれない。やはり金貨は返すしかないと貼り紙をすると、自分のものと訴える女性から電話がある。いや、ここも納得出来ないのは、日本では落とし物を拾ったら交番に届けましょうが常識になっているからだ。イランでは何で個人で落とし主を探すのだろう。

 そこでやむなくラヒムは刑務所に戻るが、所長にその話をしたら、それは偉い、美談だということになって、「正直な囚人」としてマスコミに取り上げられる。テレビに出て、自分が発見したことにして語る。慈善協会に呼ばれて話をすると、英雄だということになってカンパが集まる。しかし…、そこでネット上に疑惑を書き込む人が出て来る。そんな「美談」はホントにあったのか。落とし主を呼んでこいということになるが、電話はタクシーの運転手から借りたもので、連絡先も判らない。個人同士でやっているから、確認書類もないのである。そこで慈善協会には「ホントの拾い主」であるラヒムの恋人を「落とし主」に仕立てて、何とか納得させようと目論んだのだが…。
(チャドルを着る恋人)
 ここらへんの展開もよく判らない。「拾った金貨を落とし主に返した」のは、そのまま自分のものにしてしまうよりいいけれど、当たり前のことをしただけで「美談」なんですか。また落とし主に返すのも、警察が介在すれば本人確認は確実である。一体どうなっているんだかと思うけど、論理的な展開を巧みなカットバックで語っていくので納得させられる。主人公の姉夫婦、吃音の息子、恋人の兄、タクシー運転手、そして全く納得しない貸主(元の義兄)など、周辺の脇役が素晴らしい存在感で描かれる。
(ラヒムの姉)
 「慈善」が重要視されるのも、イスラム社会だからだろう。ムスリムにとって「慈善」は義務である。そしてイスラム法では基本的に刑事、民事の区別がないんだと思う。そこで「死刑」であっても、賠償金を払えば出所出来て、そのために死刑囚に寄付金を募る「慈善」もある。囚人を許して「慈善」を積むことは、来世に自分の利益となって戻って来る。イランはアメリカから「制裁」を課されて、経済的苦境が続いているはずだが、ここで見られる市民生活は案外普通に暮らしている。そんなことも見えてきて興味深い。クローズアップの切り返しに、人物をロングショットで捉えるカットを織り交ぜる編集リズムが上手。ファルハディは確かな名手だが、イラン社会もやっぱり今ひとつ判らないなあと思った次第。
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「七人の侍」、「!」と「?」の超大作ー黒澤明を見る④

2022年04月25日 23時05分20秒 |  〃  (旧作日本映画)
 黒澤明を見るシリーズ4回目(最後)は、いよいよ最長の「問題作」、「七人の侍」(1954)である。見るのは多分4回目だと思う。つい2年前に国立映画アーカイブの三船敏郎生誕100年特集で見たんだけど、その時はコロナ禍でチケットが事前発売の指定席制になっていた。パソコンなら席を選べることをよく知らず、適当に買ったら前の方の席だった。3時間以上ずっと上を向いて首が疲れた記憶しかなくて、もう一度4K版で見たかった。「生きる」と「七人の侍」は僕の若い頃はなかなか上映されなくて、どっちも名画座ではなくロードショーで見た記憶がある。京橋にあったテアトル東京という巨大映画館で見たのが最初だと思う。

 今は日本で「日本映画ベストテン」投票などをすると、「七人の侍」が1位になることが多い。しかし、1954年当時のキネ旬1位は木下恵介監督の「二十四の瞳」だった。2位も木下の「女の園」で、「七人の侍」は3位だった。これはまあ、歴史的な意味合いからいって、僕もこの年の1位は「二十四の瞳」なんじゃないかと思う。ところで、自分は歴史専攻だったから、「七人の侍」には最初から違和感が強かった。この映画は凄いなあと思えるようになったのは割と最近のことで、やっぱり非常に優れていて、面白いのは間違いない。違和感の方は後回しにして、面白さ、凄さの部分から考えたい。
(七人の侍)
 野武士たちに襲われる村があって、村人が「サムライ」を雇って野武士を撃退しようと考える。要するにそれだけの物語だが、襲撃と撃退のシーンが圧倒的である。それは黒澤監督が時間を掛けて撮影したということであり、伝説的なエピソードが多々語り継がれている。まるでどこか実際にある村でロケしたような感じに見えるが、そんな都合の良い村はロケハンで発見出来なかった。全景を見せるシーンもあって、それは伊豆北部の丹那あたりで撮ったというが、後は各地で撮影して一つの村のようにつなげたのである。俳優たちもほとんどが軍隊体験のある世代だけに、「サムライ」の身体性を身にまとっている。今の若い世代が戦争映画や時代劇に出て来るときの身体的違和感を感じないのである。

 「七人の侍」というんだから、もちろん7人いるわけである。7人の主要人物を描き分けるのは大変なはずだが、この映画では実に上手に性格や年齢などが設定されている。若い人だと名前は知らないかもしれないが、知らなくても顔で見分けられるだろう。7人をリクルートする場面が全体の3分の1ぐらいあって、そこが長いという人が時々いる。でも大人になるに連れ、このリクルートしていくところが面白くなってきた。本当はもっともっと見たいぐらいである。最初にリーダーになる勘兵衛志村喬)を口説き落とす。要するに「義を見てせざるは勇なきなり」ということだろう。参謀役、孤高の剣客、陽気な男、昔の部下と集めて、後は慕ってくる若者と、何だかよく判らない「菊千代」(三船敏郎)で7人。この絶妙な組み合わせは、同種の物語の原型となったと言えるだろう。それにしても前作「生きる」に続く、志村喬の存在感の深さ。(澤地久枝による評伝「男ありて」がある。)
(志村喬の勘兵衛)
 ところで中でも非常に重大なのか、三船敏郎演じる「菊千代」である。カギを付けたのは、本名じゃないからで、偽系図を見せて武士だと名乗るが、実は農民出身なのである。それも親を早く戦乱で失った「戦災孤児」だったことが示唆される。言うまでもなく、製作時点では大空襲による戦災孤児を誰もが思い浮かべただろう。その後自力で生き抜いてきて、村へ行ったら(映画内の表現で言えば)、「百姓に対しては侍」「侍に対しては百姓」という「両義的」存在として振る舞う。谷川雁的に言えば「工作者」であり、山口昌男的に言えば「トリックスター」でもある。子どもたちにも懐かれ、村人の物真似をして笑わせる。単に農民と武士の両義性だけでなく、大人と子どもの両義性をも生きている。

 三船敏郎は東宝ニューフェースとして俳優となって人気を得た。世界に知られた大スターだったけど、今では知らない人が結構いる。「酔いどれ天使」「野良犬」では志村喬の下に立っている。「七人の侍」でも志村喬がリーダーだから、その下には違いないが、かなり独自性が強くなっている。次の「生きものの記録」「蜘蛛巣城」では三船がはっきりとした主演で、志村喬が助演。次の「どん底」になると、三船は出ているが志村喬は出ていない。三船敏郎を知った時にはすでに大スターで、「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルをやっていた。寡黙で近づきがたい大スターで、僕も敬遠していた。しかし、後に「東京の恋人」などのコミカルな演技も素晴らしいと知った。晩年に演じた熊井啓監督の「千利休」や「深い河」は素晴らしかった。
(三船敏郎と志村喬)
 「」(素晴らしい)を書いてると終わらないから、そろそろ「」(おかしいな)の方を。今見ると、このような村は中世史の研究の進展により、あり得ないだろう。そもそもこの物語は1587年に設定されているという。これは四方田犬彦『七人の侍』と現代」(岩波新書、2010)に出ているが、今回再読してみた。三船演じる「菊千代」の偽系図を見て、じゃあ菊千代は今13歳なのかとからかわれるシーンがある。「菊千代」は文字が読めないことが示唆されている。この生年から計算すると、1587年になる。すでに豊臣秀吉の関白就任は2年前、全国統一目前だった。それを考えると、野武士たち(映画内では「野伏せ」)も、一方の七人側も、信長・秀吉の統一戦争に敗れた側の武士だったため、志を得ないまま日を送っていたと想定出来る。

 四方田犬彦前掲書では、中世史研究として藤木久志先生の「刀狩」「雑兵たちの戦場」の2冊が挙げられている。わずか2冊だったのか。僕は大学時代に藤木先生の講義を聞いているから、「七人の侍」に違和感があったのである。中世史研究の進展によって新たに得られた知見をもとに、「七人の侍」の武士や農民の描き方をあれこれ批判するのは「ヤボ」だと言われるかもしれない。僕もそう思うが、若い頃はどうしてもそう見えたということである。この映画に出て来る村のあり方は、惣村の実態から相当にかけ離れている。それはまあ良いのだが、全体に「近代から見た近世的な意識」を感じてしまうのである。

 兵農分離以前なのに、農民と武士の身分差を強調するのはその代表。娘しかいない万蔵という農民が、娘が若い侍と恋仲になると、「傷物にされた」と怒る。そんな処女性に拘る中世農民がいるのか。婿を取らなければ祖先祭祀が出来ないんだから、むしろ良い婿を捕まえたと勝四郎木村功)に土着することを迫るのが本当だろう。それより何より、一番大きな問題は「宗教の不在」である。いや、ラストに亡くなった侍の墓所が出て来るわけだが、村の葬送はどうなっているのか。村に神社があるはずだが、どこにあるんだろうか。決戦前にはそこに集まって「一揆を結ぶ」はずだが、そんな様子は全くない。そもそも侍を雇うかどうかも、神に伺いを立てるはずである。何しろ足利6代将軍がくじ引きで選ばれた時代である。くじは神慮ということである。重大事なんだから、村の神社で長老がくじを引くはずだ。要するに近世以後の「世俗的な村」に近いということに違和感を持つわけだ。

 まあ、そんなことは問題にせず、メキシコやブラジルのことだと思って楽しめば良いとも言える。実際黒澤の目論見は「西部劇を越える時代劇を作る」ことにあった。実際に、リメイクは西部劇になった。ただし、「七人の侍」を初めて見た頃には、ハリウッド製の特撮を駆使したアクション大作がいっぱい作られていた。比べて見るとカラーで作られたSFやホラー大作の方が面白かったのである。「七人の侍」を楽しむためには、今では映画史的な知識が多少なりとも必要なんじゃないだろうか。七人を演じた俳優たちはどんな人かなどは知っていた方が断然面白い。四方田書で指摘するように、志村喬は死んだと思っていた加東大介と再会したが、小津「秋刀魚の味」でも笠智衆の上官と戦後になって再会する。木村功は大人気スターだったが早く亡くなって、妻が書いた回想記がベストセラーになった。中でも素晴らしいのが寡黙な剣士を演じた宮口精二である。
(宮口精二)
 宮口精二(1913~1985)は戦前から文学座に所属した俳優だが、今では「七人の侍」で一番記憶されるだろう。他にも映画出演は数多く、他の映画では寡黙な剣士ではなくコミカルな役柄も上手である。「あいつと私」では有名美容家の頼りない夫を演じて笑える。「張り込み」では東京から佐賀まで張り込みに行くし、「古都」では京都の呉服問屋の主人で岩下志麻の育て親。「日本のいちばん長い日」では東郷茂徳外相…、などなど50年代、60年代の古い映画を見るとき、宮口精二の名前を楽しみに見るようになった。「七人の侍」を見るまで全然知らなかったが、こういう「助演」で映画を見る楽しみを教えてくれた人でもある。
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「生きる」、今も深き感動を与える傑作ー黒澤明を見る③

2022年04月24日 22時43分55秒 |  〃  (旧作日本映画)
 黒澤明を見るシリーズ3回目は「生きる」である。この順番は今回見直した順で書いてるだけ、単に番組編成の問題。「生きる」は1952年に公開され、キネマ旬報ベストテンで1位になった。キネ旬ベストワンは「酔いどれ天使」「生きる」「赤ひげ」だけである。僕は昔から「生きる」が黒澤映画の中では一番好きで、何回か見ている。今回久しぶりに見直しても、圧倒的な感動に心揺さぶられる名作だと思った。公園のブランコで志村喬が「ゴンドラの唄」を歌うラストは世界映画史上屈指の感動シーンだ。

 黒澤映画にはあまり複雑な筋書きはなくて、ある意味「図式的」に進行するものが多い。だからかつては黒澤には「思想がない」などと批判されていた。「生きる」もストーリーを一言で表せる映画と言えるが、その構成が素晴らしい。黒澤作品はシナリオを共同製作するのが慣例で、この映画は黒澤明橋本忍小國英雄の脚本である。ある役所の小役人がガンになって、自分の人生を振り返る。生きる楽しみが全くなく、ただ「ミイラ」のように生きてきた30年。死を意識して初めて、「何か」を求め始めるのである。そしてクリスマスの東京を巡り歩く。そして最後に「何かを作ること」が大切なんだと気付く。

 そこから映画は主人公渡邊勘治志村喬)の葬儀になる。後半が列席した役所の吏員による回想という構成が独創的なのである。これがすべて時間通りに進行していたら、感動がここまで深くはなっていないと思う。この映画は主人公の市民課長志村喬の鬼気迫る演技に負うところが大きい。だが改めて4K画面で見てみると、演技を支える撮影中井朝一)、美術松山崇)、照明森茂)などの素晴らしい技量に感服した。冒頭に「東宝設立20年記念作品」と出る。東宝争議以後、黒澤は「静かなる決闘」から5本を大映、新東宝、松竹で製作した。久しぶりの東宝映画で、黒澤作品を多く担当するスタッフがそろったのである。

 主人公はガンを宣告されたわけではない。当時は本人に告知しなかった。それでも家族も呼ばないのは当時としてもおかしいのではないか。待合室で同席した患者(渡辺篤)が「軽い胃潰瘍と言われたら胃ガンだよ」などと脅かしていて、診断の場面で「軽い胃潰瘍です」と言われる。脚本の妙だが、これで本人がガンと思い込む。今と違って当時は自覚症状を覚えて診察した段階では、「死刑宣告」に近かったのだろう。そのまま放っておかれるんだから、いくら何でもおかしいけど。しかし、この映画ではナレーションが多用され、観客が「神」の位置にいる。実際に胃がんであることを観客は先に知らされるから、違和感がないのである。観客が何でも知っていて人物の動きを見ているのは、普通は興をそぐと思うが「生きる」ではそれが感動を呼ぶ。

 それは何でだろうか。「人生いかに生きるべきか」という普遍的な問いをとことん問い詰めているからだろう。住民の要望をたらい回しにするお役所仕事、ガンの発病に怯えきった主人公、主人公が苦悩を素直に打ち明けられない親子関係、すべて戯画化が過ぎるように描かれる。だから主人公は30年間無遅刻無欠勤の職場を突然休んで、毎日「どこか」へ出掛ける。たまたま知り合った「無頼派作家」(伊藤雄之助)に連れ回されて夜の町を彷徨う。そして辞表にサインを貰うために自宅まで来た女職員、小田切とよ小田切みき)を連れ回すようになる。この小田切みき(1930~2006)が圧倒的に素晴らしいわけである。戦前から子役だったと言うが、この時は俳優座養成所の一年生で、渡辺美佐子が同期だったとトークで言っていた。安井昌二(「ビルマの竪琴」に主演し、その後新派で活躍)と結婚し、娘が四方晴美だったとは今回調べて知った。
(小田切みきと志村喬)
 この小田切みきから、主人公は「何かを作ること」の大切さに気付かされる。しかし、息子夫婦はそれを若い愛人が出来たのかと思い込む。主人公は市民課長として、揉めている児童公園を作ることを人生最後の仕事にしようと決意する。しかし、それらの経緯はすべてが葬儀の場の回想から、主人公がガンだったことを知っている観客が心の中で作り上げるストーリーである。主人公の決意表明などはどこにも描かれず、回想によっていかに課長が一生懸命だったことが語られるだけである。その語り口が上手いのである。だから観客が自分で「誰にも死期を悟られないようにしながら、ひたすら公園作りを進めた」心の内を察するのである。

 そこで思う。我々は自分の人生で何か「公園を作ったか」ということを。何か「公園を作る」ような人生を自分も送らなければならないと深く思い知らされる。自分の人生の中で自分なりの公園作りを始めるのに遅すぎることはない。ガン治療や公務員のあり方などが全然違ってしまった現在にあっても、なお「人生には何の意味があるのか」という問いは永遠である。この映画では「ゴンドラの唄」が3回ほど流れる。当時のこととして歌の名前も紹介されないが、吉井勇作詞、中山晋平作曲の1915年の歌である。「いのち短し 恋せよ乙女」で始まる歌は、今では「生きる」で使われたことで知られているだろう。心の底から絞り出すような志村喬の歌声を聞くとき、人は自分の人生を思い返して涙なしでは見られない。
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「赤ひげ」、素晴らしき助演女優たちー黒澤明を見る②

2022年04月23日 23時02分46秒 |  〃  (旧作日本映画)
 「隠し砦の三悪人」と一緒に「赤ひげ」も書くつもりだったけど、ちょっと疲れてしまった。こうやって書いてると、事前の予定と違って4回も黒澤明を書くことになってしまうが、まあいいか。「赤ひげ」(1965)は30本になる全黒澤作品のうちで、23作目の作品になる。ここまで順調に作り続けていた黒澤明だが、次は1970年の「どですかでん」、その次はソ連で作った「デルス・ウザーラ」(1975)、さらに「影武者」(1985)、「」(1990)と5年ごとにしか作れない時代になる。

 「赤ひげ」は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を原作にしたヒューマン・ドラマで、1965年に大ヒットした。ヴェネツィア映画祭男優賞(三船敏郎)を獲得し、キネマ旬報ベストワンになった。(ちなみにベストテン2位は市川崑監督の「東京オリンピック」だった。)上映時間が185分もある大作で、これは「七人の侍」の207分に次ぐ長さである。(「影武者」も180分あって、3時間になるのはこの3作。)昔見ているけれど、それ以来だから何十年ぶりにある。時々黒澤特集でやっているけれど、長いから時間が取れなかった。それと僕はこの映画が好きじゃなかったので、あまり見直したいと思わなかった。
(三船敏郎演じる「赤ひげ」先生)
 僕が昔見て好きになれなかったのは、三船敏郎演じる「赤ひげ」があまりにも偉そうで、高圧的に加山雄三に接する威圧感が半端なく、見ている自分まで「」を感じて嫌だったのである。翌1966年のベストワン作品、山本薩夫監督「白い巨塔」も嫌いだった。病院内で医師たちのドロドロした思惑がぶつかり合い、この映画イヤだなあ、何が面白いのと若い時分には思ったのである。しかし、「白い巨塔」を10年ぐらい前に見直したら、やっぱりこれは面白いし優れた映画だなと思った。同じように、「赤ひげ」も今見れば面白いし感動的な映画だった。でも、やはり好きじゃないなと思う。

 三船敏郎は1920年生まれだから(1997年死去)、公開時点で45歳である。えっ、そんな若かったのか。今じゃ40代半ばにこれほど重厚感を与える俳優はいないだろう。見ている自分の方も年を取ってしまい、とっくに赤ひげ先生より年上になっている。ああいう高圧的な先生にも人生で出会ったこともあるが、何とか付き合い方も判ってきた。そして「偉そう」には違いないが、「実際に偉いんだから仕方ない」とも思えるようになった。「偉そう感」には有難みがあって、貧しい病人なら赤ひげが大丈夫と言うだけで安心できるだろう。上に立つ人、例えば教師には時には偉そうにしてみせる演技が必要だというぐらいの知恵も付いた。

 しかし、偉大な師匠と成長する弟子という基本的な物語の構造は、やはり僕は好きではない。加山雄三演じる若き医師、保本登は長崎に遊学して帰ってみたら、御殿医の娘だった婚約者は他の男に嫁いでいた。気がふさいでやる気もないのを見て、小石川養生所を訪ねて見ろと言われる。来てみたら、責任者の新出去定(赤ひげ)からここで働くことように申し渡され、全く不服である。お目見え医になれるつもりで江戸に戻ったら、貧民の相手とは話が違いすぎる。という始まりだが、展開は見なくても予想できる。それにこの決め方はやはり良くない。「自己決定権」を全く無視している。保本だって、すぐに将軍や大名を見る前に「初任者研修」がいるんだと説明されれば納得出来ただろう。
(加山雄三と二木てるみ)
 しかし、保本をめぐる何人もの助演女優陣が素晴らしいのである。まず「狂女」の香川京子がすごくて、そのお付き女中の団令子もなかなか良い。松竹から桑野みゆきが悲しい運命の女を演じ、娼家の主人杉村春子はいつものように強烈。極めつけがそこで病気になったところを赤ひげと保本に助けられた「おとよ」(二木てるみ)である。この悲しい運命の少女を凄い目をして演じている。子役として「警察日記」などで活躍し、16歳で出演した「赤ひげ」でブルーリボン賞助演女優賞を獲得した。1949年生まれで、テレビで活躍していたのも知らない世代が多くなっただろう。もう70歳を越えているが、永遠に「赤ひげ」で語られるだろう。
(内藤洋子の「まさえ」)
 婚約者の裏切りにあって、女性を信じられなくなった保本だが、次第次第に多くの不幸な人々と魂の接触をしていくうちに、心も開かれてくる。そして何度も訪れて協力してくれる、かつての婚約者の妹である「まさえ」との縁談を受け入れることになった。その内祝言の席で、保本は自分と一緒になると、貧しい生涯を送ることになるがそれでも良いかと問う。もはや御殿医ではなく、小石川で働き続ける気持ちになっている。そのまさえを清楚に演じているのが内藤洋子。1970年に二十歳で結婚して芸能界を引退したので、今では知らない人も多いだろう。喜多嶋舞の母である。テレビの「氷点」の陽子で人気を得た他、60年代後半の東宝青春映画を支えた女優の一人だった。この前恩地日出夫監督「あこがれ」を再見したが、とても良かった。
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「隠し砦の三悪人」、三船敏郎のアクションの凄さー黒澤明を見る①

2022年04月22日 22時55分59秒 |  〃  (旧作日本映画)
 池袋の新文芸坐が2ヶ月半の休館を経て、先週からリニューアルオープンした。4Kレーザー上映可能な設備を名画座として初めて導入したという。よく「4Kデジタル修復版 当館は2K上映になります」なんて、ロードショー館でも書いてある。それを考えると、新文芸坐はすごい。前の文芸坐(地下にあった文芸地下)から合わせて数えれば、多分一番行ってる映画館だろう。そしてオープン記念に「4Kで蘇る黒澤明」というと特集上映をやっている。全部じゃないけど、少し見に行ってみよう。
(黒澤明監督)
 黒澤明(1910~1998)はもちろん全部の映画を見ている。何本かは2回、3回と見ているのだが、それはずいぶん昔のことだ。デジタル修復版を見てるのは、大映で作った「羅生門」ぐらいである。主に黒澤作品を製作した東宝は、なかなかデジタル版を作らなかった。最近TOHOシネマズの「午前10時の映画祭」の上映作品に黒澤映画が入るようになったが、まだ見てなかった。

 僕の若い頃は黒澤明は日本で一番有名で優れた映画監督だと思われていた。今は小津安二郎の方が上という評価ではないかと思う。黒澤明は何しろ「羅生門」で初めてヴェネツィア映画祭グランプリを獲得して、世界に日本映画を知らしめた。「荒野の七人」や「荒野の用心棒」など外国でリメイクされることもあった。そんな日本映画は当時は他になかった。一方の小津は70年代になるまで外国には紹介されず、外国人には理解されない(だろう)日本ローカルの巨匠という扱いだったのである。

 黒澤明は時代劇も多く、戦時中のデビュー作「姿三四郎」以来、アクション映画が多かった。だから外国でも理解されやすかったという面はあるだろう。しかし、今になっては代表作の多くが「モノクロ映画の時代劇」というのは、若い人にはつらいかもしれない。今では特撮を駆使した大々的なアクション映画がいっぱいあって、昔っぽい感じがしてしまう。僕もしばらく見てない映画が多いが、今4Kで見直すとどんな感想を持つだろうか。実は僕は黒澤明は確かに凄いとは思うけれど、あまり好きな映画監督ではない。その理由はおいおい書いていくけど、まずは1958年の「隠し砦の三悪人」から。

 「隠し砦の三悪人」は初めてシネマスコープで製作された大作時代劇で、そのワイドスクリーンの使い方の素晴らしさは見事だ。ベルリン映画祭監督賞、国際映画批評家連盟賞を獲得し、キネマ旬報ベストテンで2位になった。メッセージ性、社会性を訴える映画ではなく、純然たる娯楽大作。その意味で「用心棒」「椿三十郎」に続く映画だけど、僕はこの映画が一番面白いと昔見た時に思ったものだ。ジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」に大きな影響を与えたことでも非常に有名だ。

 見るのは多分3回目だが、2回目に見た時は疲れていて集中できなかった。記憶にあったほど、面白くないように感じたのである。今回見ても、冒頭部分、敗残の農民千秋実藤原鎌足が戦地を彷徨うシーンが長すぎると思った。話を知っていれば、早く姫を連れて「敵中突破」してくれと思う。もう正体を知っているので、先が見たいと思う。「三悪人」という題名もどうかと思う。全然悪人じゃないので。それより当時の時代劇にありがちなことだが、戦国時代としてどうなのよという突っ込みどころが多い。結局、この映画はあえて敵国に紛れ込んで、味方のいる隣国に逃げ込もうというアイディアに尽きるのである。

 そこで敵中に入ると、凄いシーンがいっぱいある。特に有名なのが、三船敏郎が馬に乗ったまま敵を切り伏せる場面。一気に撮影したアクションの素晴らしさに驚く。また敵側の知人、藤田進と槍で一騎打ちする場面の壮絶なアクションもうならされる。「山名の火祭り」のシーンも素晴らしい。三船敏郎と姫が「秋月」で、敵が「山名」である。秋月は敗れるが、重臣と姫が隠し砦に潜んでいる。軍資金は金を薪の中に仕込んである。いかに敵の領地を突破していくか。この素晴らしいアイディアの脚本は、菊島隆三小国英雄橋本忍黒澤明がクレジットされている。

 娯楽アクション大作だから、特に気にせず見てしまうが、戦国時代史としてみるならば、納得できない点も多い。一番問題なのは、秋月には一人娘しかいなくて、先代が男のように育てたというところ。姫は新人の上原美佐が演じたが、まあそんなに上手くなくても良い役だから、セリフなどは良いとする。しかし、上原美佐本人は1937年生まれで、すでに20歳を超えている。戦国時代とすれば、もう政略結婚の婚期を逃しつつある。味方の陣営もあるんだから、そこから養子を取って早く結婚させて若君をもうけて貰わないと跡継ぎがなくなるではないか。まあ妙齢の姫君を連れて逃げるというのが、面白いということだろう。

 金塊に「秋月」の三日月マークがついているのも変だけど、こんなに資金があるなら何故もっと鉄砲などを整備しなかったのかも謎。今頃持って逃げているが、不思議である。その他、筋書きではいろいろ不思議があるが、それもこれも細かいことを言わなければ、話を面白くするために作られているわけである。戦国時代を舞台にした黒澤映画は「七人の侍」「蜘蛛巣城」や「影武者」「」がある。いずれも戦国時代は「舞台」として選ばれただけで、あまり歴史的に合っているかは気にしないのがいい。

 今になると、その壮大なアクションによって記憶される伝説的映画ということになる。4K修復版は、もしかしたら公開当時より綺麗なんじゃないかと思うようなクリアーな画面だった。
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二重基準問題をどう考えるかーウクライナ戦争余波②

2022年04月19日 22時47分14秒 |  〃  (国際問題)
 ウクライナ戦争をめぐっては、いろんな問題で「二重基準」(ダブル・スタンダード)という批判がある。「二重基準」があるとして、それは批判されることが多いが、果たして批判すべきものなのかということを含めて、ちょっと考えてみたい。「国際的な問題」と「国内的な問題」があるが、基本は同じである。その代表的なものは「ウクライナ難民の扱い」だろう。EU諸国、特に東欧諸国はシリア難民をめぐって、露骨に来るなと言わんばかりの対応を繰り返していた。
(ポーランドのウクライナ難民)
 それが今回は周辺諸国はどんどん受け入れているし、大きな支援態勢がある。全然違うじゃないかという声は当然上がってくるだろう。もっともそれでも難民は出来るだけ受け入れるなと右派政治家は言っているようだが。僕はこれはやむを得ないというか、当然だろうなと思っている。周辺諸国にとっては、まさに隣国の問題であり、自国もロシアの脅威にさらされているという思いがある。ポーランドは同じスラブ系民族で、クルコフ「ウクライナ日記」を読んでいたら、ポーランド語はある程度理解出来ると書いてあった。スロバキアもスラブ系だし、モルドバはルーマニア系だけど国土の一部がロシア系「人民共和国」になっている共通性がある。文化的共通性もあるが、それ以上に他人事ではないという危機感がある。

 そのような背景がある以上、ウクライナからの避難者を多数受け入れるのは、まさに当然だろう。さらにソ連崩壊後、経済困難が続くウクライナからは多くの人々が国外に働きに出た。そのため親族がヨーロッパ各地にいる場合が多く、ポーランド等の一次避難国を経て、それらの最終目的地に向かう場合も多いという。だから、国境付近に大量の難民が集結して、医療も行き届かず人道危機が起きるという事態までは起こっていない。首都キーウ付近からロシア軍が撤退したという状況変化を受けて、帰国(一時帰国)している人も多いらしい。つまり、文化的背景が異なる移民が突然大量にやってきて定住する事態とは少し違うのである。

 このウクライナ難民受け入れ問題は、むしろ日本において「二重基準」というべきだろう。難民そのものをほとんど受け入れない日本が、今回に限って受け入れを表明している。ここで書かなかったが「牛久」という映画が上映されている。入管収容所(東日本入国管理センター)の実態を撮影して、被収容者の声を記録している。その様子を見る限り、日本政府は「批判されるべき二重基準」になっていると思う。国家政策だから「法の下の平等」に反することはおかしい。ウクライナ難民を受け入れるのはいいけれど、同じような事情にあるミャンマーなどの希望者こそ受け入れる必要がある。しかし、まあ遠いウクライナからはそんなに来ないだろうが、近くのアジア諸国はいっぱい来るかもしれないから困るというのが本音だろう。
(映画「牛久」から)
 「二重基準」だからダメという風にすべて一般化することは出来ない。民間でやってること、映画に学生料金やシニア料金があることは、理由ある経営方針というもんだろう。ドラッグストア「ぱぱす」では、60歳以上のシニアカード持参者には15,16.17の3日間に一回10%割引をしている。自分も毎月利用しているんだけど、大変有り難い「二重基準」である。これが許されるのは、公的機関の法に基づく方針ではないことと、やがてすべての人がシニア割引を利用できるという二つの条件があるからだ。 

 他にもう一つ、重大な問題として、アメリカもイスラエルに関しては拒否権を使うじゃないかということがある。被害者側、例えばガザの住民からすれば納得できないに違いない。中東全体でむしろ反アメリカ感情を増大させているのではないか。確かに国連安保理決議で決められた第3次中東戦争(1967年)でイスラエルが占領したヨルダン川西岸地区からの撤退決議は実施されていない。イスラエルは自国の領土化を進めているし、シリアのゴラン高原は自国に編入してしまった。これはロシアのクリミア編入と同じである。僕も何とかしなければいけないと思うけれど、これを「二重基準」という論理で批判出来るかは疑問だ。要するにアメリカもロシアも「国益最優先」という同じ一つの基準で判断をしているだけだからだ。

 いや、国連安保理なんだから、国益ではなく、国連憲章に基づいて判断するべきものである。本来はそういうことになるが、国連大使は政治任命であって出身国政府を代表している。どうも大国が国益優先で判断するのは止めようがない。ところで、もし大国の判断を左右できるとすれば、それぞれの国の国民世論が止めるしかないだろう。それは取りあえずは理想論だけど。問題はそれが理想論だからではなく、やはりウクライナ戦争より、シリアやミャンマーの事態の方が関心が薄く、さらにイエメン内戦はもっと知られず、アフリカのコンゴスーダンなどの事情はもっと知られていない。

 我々の側の無関心という問題がある。イエメン内戦はこの間ラマダン期間の停戦に同意したと伝えられたが、なかなか実際は守られていないらしい。報道がほとんどないのが実態である。さらに僕が思っているのは、今までにロシアにはひどいこと、おかしなことがいっぱいあった。チェチェンでは非道な弾圧が行われたし、ジャーナリストや野党政治家の不可解な死亡、襲撃が多すぎた。それがプーチン政権によるものと解明されているわけではない。しかし、どうも恐ろしいことがいっぱいあった。

 しかし、安倍元首相が何度もプーチン大統領と会談を重ねていた時期に、ロシアの人権問題を理由に抗議した人がどれだけいただろうか。それはロシアの国内事情であって、後にこれほど非道な戦争を始めるとは思っていなかったとはいえ、やはりプーチンの危険性を見過ごしたと言えるのではないか。トランプの動向に(あるいは習近平や金正恩の動向に)関心を持ったようには、プーチンに注意を払わなかった。このブログでは何度かロシアの人権状況を書いたけれど、それは十分ではなかった。自分の認識にこそ「二重基準」があったと言うべきだろう。
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今こそロシア文学を!ーウクライナ戦争余波①

2022年04月18日 23時10分14秒 | 〃 (外国文学)
 ウクライナ戦争のスピンオフを幾つか。日本だけでもないようだが、ロシア料理店に嫌がらせするとか、「ロシア」と名の付くものを攻撃する風潮がある。東京の恵比寿駅ではロシア語の案内表示に「不快」などという声があって、消したり戻したりする騒動があった。なんで恵比寿駅にあるのかというと、JR駅としてはロシア大使館に近く、東京五輪を控えてロシア語の案内を付けたという話。結局「復活」したらしいが、いつも使う駅ではないから現状は知らない。ロシア語は「キリル文字」で表記されるが、ウクライナもキリル文字である。ウクライナからの避難民にも役立つと思うけど。

 もう一ヶ月近く前になるが、北海道の札幌大学で開催予定だったロシア文学展が延期されたというニュースがあった。いやあ、さすが「敵性語」などと呼んで英語を禁止した過去の「伝統」を受け継いでいる。僕はこのニュースを聞いて、いつの時代もバカはいるもんだと思った。何故ならば、「ロシア的なるもの」を今こそ知らなければならないからだ。知的好奇心があれば、今こそロシア文学を読んでみようと思わなければならない。
(ロシア文学展の延期というニュース)
 日本で普通に生きていれば、アメリカ文化(映画やポピュラー音楽など)や中国文化(主に古典の「三国志」や「論語」など)には比較的接している。日本の地理的位置は変わらないんだから、日本をはさむ巨大な隣人であるアメリカと中国は、関心を持っていなければいけない。政治的動向なども重要で、アメリカ大統領選や中国共産党大会などのニュースは日本でも大きく報道される。しかし、その裏にある歴史、文化などを知る努力をしなければいけない。

 朝鮮半島や東南アジアも重要だが、最近は韓国のドラマだけでなく、東南アジア諸国のドラマも知られてきたらしい。台湾も含めて、日本の食文化に与える影響も大きい。そういうところから親近感を持っている人も多いだろう。ところで、目を北に転じると、北海道の向こうにはロシアがある。いや、そこは本来はロシアではない。ウラジオストクなどの「沿海州」は清国から奪い取ったものだった。千島やサハリン(樺太)も本来のロシア領ではない。しかし、ともかく現状ではすぐそばにロシア人がいるのは間違いない。しかし、自分も含めて「ロシアのことはあまり知らない」という人が多いのではないだろうか。

 僕が一番勉強したのは、ソ連時代末期のゴルバチョフ時代。「ペレストロイカ」(改革)が進んで、自由化が進んだ一方、連邦内で民族紛争が噴出した。一体その原因はどこにあるのかと疑問に思って、随分関連書を読んだ。授業に役立つとかではなく、自分の好奇心の問題である。その頃にロシア文学もかなり読んだ。古典的な小説がすごく面白いのである。プーシキンとか、レールモントフ「現代の英雄」とか、こんなに面白かったのかと思った。やはり政治の本ばかりではなく、その国の文化に接しなければ理解が難しい。しかし、現代ロシアの映画や音楽などはあまり紹介されず、どうも遠い感じが抜けない。

 だけど、古典を読めば良いのではないかと思う。かつて反体制作家のソルジェニーツィンが、ソ連の帝国秩序は解体すべきだと述べたことがあった。その時はそんなことが実現する可能性はないと思っていた。しかし、そんな反体制作家でも、ソ連を「ロシア、ウクライナ、ベラルーシ」の「スラブ連合」にして、ムスリム国家やコーカサスは放棄しちゃえという意見だった。つまり、ウクライナと別国家になるという発想は反体制側にも存在しなかったのかもしれない。

 そうなると、ますます18世紀から19世紀の帝政ロシアで成立した「大国ロシア人」意識を考えないといけない。「プーチンのロシアはソ連だ」などという人も多いが、どう見てもむしろ「帝政ロシア」だろう。レフ・トルストイにはコーカサス戦争を描く作品がかなりあるが、それを読むとやはりロシア人意識、あるいは反イスラム教という感じが抜けないように思った記憶がある。トルストイドストエフスキーは世界文学の頂点だから、単にロシアを知るという関心で読むべき本ではない。だけど、間違いなくロシアという風土から生まれたものには違いない。長すぎて読まずに来た作品が多いから、今こそ読んでみる時期が来たかと思う。
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「大統領の最後の恋」ークルコフを読む③

2022年04月17日 22時38分34秒 | 〃 (外国文学)
 ウクライナの作家、アンドレイ・クルコフを読むシリーズの3回目は「大統領の最後の恋」(2004)である。この本は書店では品切れ中で、2800円で出た本がAmazonでは6449円もしている。近所の図書館にあったので、借りて読むことにしたが、現物を見たら一瞬ためらいが起こった。前田和泉訳で2006年に翻訳が出たが、なんとエピローグまで631頁もある、途方もなく長くて分厚い本だった。持ち歩くにも重たい本で、読み終わるまでに10日間も掛かってしまった。

 この本は長いからではなく、その類のない構成によって、実に読みにくい本になっている。長く掛かったというが、それは一冊の本を読んだと思うからで、実質的には「三冊の本」と同様の本なのである。しかも、それを並行して読んだと同じ。全編は216もの小さなエピソードに分かれていて、つまり一つのエピソード辺り3頁ほど。掌編集みたいな構成なのだが、それもある1人の人物の①「青年期」(1975~1992)、②「壮年期」(2002~2005)、③「中高年期」(2011~2016)をバラバラに語るのである。

 最初に書いたように、この本の原著は2004年に刊行された。つまり、中高年期の③というのは主人公セルゲイ・ブーニンの近未来を書いているのだ。バラバラというのは、①②③がそれぞれ交互に書かれていて、読む方はソ連時代の話を2頁ぐらい読むと、次のエピソードでは大統領になっている。その次には21世紀初頭に起こった悲しい出来事が語られる。どの時期もなかなか波瀾万丈なんだけど、すぐにぶつ切りになって違う話になるから、どうも物語に入り込めなくて一気読み出来ない。

 こういう風にバラバラの断片を示す語り方は、イタリアのイタロ・カルヴィーノなどにもあるが、クルコフのように近未来まで書いたのは見たことがない。随分手の込んだ構成を考えたものである。何のためにこんなことをしたのか。それはウクライナの現実は、このように語るしかないということだろう。福沢諭吉はかつて維新前後に生きることを「一身にして二世を経る」と言ったが、ソ連解体によって青年期と中年期が分かれる世代にとって、人生はバラバラの断片としてしか表現出来ないのかもしれない。

 主人公セルゲイ(セリョージャ)は大学も行かずブラブラしている女好きの青年だったが、だから軍隊には行かされる。父は早く亡くなり、母と双子の弟ジーマがいる。母はよくソ連時代の映画などに出て来る、母一人で子どもを育てた「肝っ玉おっ母」だが、弟は精神を病んでいる。そのため一家は弟を病院に入れるが、入れたら経費もかかるし面会に行く必要もある。しかし、実は本人にも病気の因子は隠れていて、何と近未来の大統領時代には心臓移植手術を受けることになる。ところが心臓提供者の妻が「夫の心臓と常に一緒にいられること」を条件にしたため、大統領公邸の隣の部屋に提供者の妻が住んでいる。

 いつの間にか②時代には副大臣になっていて、③時代には大統領になっている。ウクライナは国民による直接選挙で大統領を選ぶんだから、主人公は立候補して当選したはずだが、その経緯は最後まで書かれていない。なんでそんなエラい人に出世できたのか、③時代では手術直後ということもあるが、周囲の側近に任せきりである。実に判りやすい文章(名訳)なんだけど、よく判らないところが多すぎる。②時代には弟のジーマをスイスの病院で療養させることになり、そこから人生で一番愛した女性とめぐりあうことになる。副大臣になった経緯もよく判らないが、とにかく家族を外国へ送れるだけの金銭的余裕が出来てきた。

 ①の時代には様々な出会いがあり、公式的な世界と別に未だ宗教に生きている老人と出会う。しかし、次第に社会が崩れていって、ソ連崩壊という事態にいたる。その時代を経て、有力者に接近し有利な道を探るというウクライナ社会を生き抜く力がセルゲイに備わっていく。ただし、彼はおおっぴらに汚職はしない。その分、どこかの党派に所属せずに「孤独」なのだが、逆に利用価値があるとも言える。その結果、政治家に転身したのだろうが、③を見ると陰謀だらけである。ロシアとの複雑怪奇な関係が描かれているが、政敵がロシアに逃亡するのでセルゲイは反ロシア派なのか。心臓移植そのものに陰謀が隠されていたというラスト近くの展開には驚き。(移植された心臓に人工的な装置が埋め込まれ外部からスイッチをオフに出来るらしい。)

 この小説は2004年に刊行され、その年の「オレンジ革命」やユーシェンコ候補(後に大統領)に不可思議な毒物中毒が起こった事態を予告したなどと言われた。しかし、さすがに近未来を描く③の2015年頃になると、食い違いが出て来るのもやむを得ない。ロシアはロマノフ王朝400年式典を挙行しセルゲイも列席するが、その場に金正日も参加しているというのは、実際には2011年に死亡しているのであり得ない。それよりも、大統領が2015年の年末休暇をクリミアで過ごすという設定は、2014年にクリミアのロシア併合が行われたので不可能になった。プーチンの狡猾がクルコフの想像力を上回ってしまった

 ところで「ペンギンの憂鬱」でも「大統領の最後の恋」でも、クルコフの微妙な位置について触れている。ロシア語で著作するクルコフは、ウクライナ民族主義が高まる社会で生きづらくなっていかないかというのである。翻訳が出たのは2004年と2006年である。それから15年以上も経ち、ロシアの侵攻を受けて、今後のクルコフがどう生きていくかは注視していく必要がある。彼自身は妻がイギリス人で、数カ国語に通じるという人だから、ウクライナを離れても生きていける。アパルトヘイトを鋭く批判した南アフリカのノーベル賞作家クッツェーが、アパルトヘイト終了後にANCを批判したと受け取られオーストラリアに移住した事例もある。

 クルコフの著作はいっぱいあるようだが、日本での翻訳は3冊だけ。よって「クルコフを読む」は今回で終わり。一般向け小説の他に、エッセイや評論、児童文学などもあるようだから、さらなる翻訳を望みたい。21世紀のウクライナ社会を知るためには非常に重要ではないか。もちろん純文学なので、社会の現実を直接書いているわけではない。だが、ソ連崩壊から独立後の混乱期を生きる人々の苦悩をこれほど生き生きと表現した作家は他にはいない。まあ「大統領の最後の恋」は読むのが大変過ぎたなあと思うけど。
追記①一番仰天したアイディアを書き忘れた。「近未来」の2015年にロシアのプーチン大統領(実名で登場)は、驚くべき行動に出る。ロシア革命の立役者レーニンを、なんとロシア正教の聖人として認定させるのである。「聖者ウラジーミル」の聖遺物はロシアを通ってウクライナへも巡行するのである。
追記②どうでもいんだけど、昔飼っていた犬が「クル」という名前で、メスだったから「クル子」とよく呼んでいた。図書館のラベルに「クルコ」とあったのには、なんだかホッコリした。(4.18)
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国連総会のロシア非難決議案、世界の状況を分析する

2022年04月16日 22時32分08秒 |  〃  (国際問題)
 ウクライナ戦争に関して、国連は何をしているのか? 国連で実効性のある対応が可能なのは、唯一安全保障理事会だけである。しかし、ロシアは常任理事国として拒否権を有しているから、何も決まらない。これはイスラエルの行動に関しては、アメリカが拒否権を行使するから何も決まらないのと同じである。もっとも安保理が何事かを決議しても、当該国が無視すればそれっきりだが。そのため、今回は国連総会の緊急特別総会が開催された。これは過去に10回開かれているが、新しい総会としては21世紀初になる。(パレスチナ問題では継続して開かれている。)そして3月2日にロシア非難決議案が採択されたわけである。

 もう1ヶ月以上経ってしまったが、各国の判断状況をまとめておきたい。新聞に国ごとの投票行動が報道されたが、国連発表通りにアルファベット順で掲載されているから判りにくい。例えば、アメリカや日本等が共同提案した決議案には96ヶ国が名を連ねている。数で言えば非常に多いが、その筆頭はアフガニスタンである。タリバン政権はアメリカに賛同したのか。そうではなく、ミャンマーの軍事政権とアフガニスタンのタリバン政権は、未だに国際的な承認が得られず、国連代表部の扱いは信認委員会で審議中である。両国とも前政権が任命した代表部が共同提案に加わることを判断したと思われる。
(各国の投票行動状況)
 ロシア非難決議に関する投票行動には5つのカテゴリーがある。
A.賛成(共同提案国)=95ヶ国
B.賛成(共同提案国以外)=45ヶ国
C.反対=5ヶ国
D.棄権=35ヶ国
E.無投票=12ヶ国

 「国連でロシアは孤立していない」と主張する人もいるが、それはやはり強弁と言うべきだろう。まあ「棄権」も多いとは言え、賛成が140ヶ国で、反対は5ヶ国だから、ロシアが多くの国々に非難されたのは間違いない。反対の5ヶ国はロシアベラルーシという当事者を除けば、エリトリアシリア朝鮮民主主義人民共和国である。シリアのアサド政権はロシアの軍事力に完全に依存している。ところで、エリトリアは何で反対なのか。エリトリアは紅海に面したアフリカ北東部の国で、1993年にエチオピアから独立した。長く独立運動を率いたエリトリア人民解放戦線のイサイアス書記長の独裁が続き、「アフリカの北朝鮮」とも言われるという。エリトリアもエチオピア内戦に介入していて、そういう問題も絡んで反対したのではという話。

 反対は極少数だから、問題は「賛成か、棄権か」になる。無投票と棄権は何が違うのか、僕にはよく判らない。棄権は「総会で棄権という意思表示をした」ということで、無投票は何も意思を表明していないということだろうが、違いはあるのだろうか。

 各地域別に見ていくが、まず「東南アジア」(ASEAN)諸国。共同提案国がカンボジア、インドネシア、ミャンマー、シンガポールの4ヶ国、共同提案以外の賛成がブルネイ、フィリピン、マレーシア、タイの4ヶ国、棄権がベトナム、ラオスの2ヶ国。いつもは一番中国寄りのカンボジアが共同提案に加わったが、ベトナム、ラオスは棄権。かつて戦争中にソ連が支援したかどうかの問題か。あるいは中国への配慮か。フィリピン、タイなどが共同提案に何故加わっていないのも疑問がある。

 西アジア・北アフリカのイスラム圏アラブ連盟)。共同提案国が、クウェート、カタールの2ヶ国、共同提案以外の賛成が、バーレーン、コモロ、エジプト、ヨルダン、ジブチ、リビア、レバノン、モーリタニア、オマーン、サウジアラビア、チュニジア、アラブ首長国連邦、イエメンの13ヶ国、棄権がアルジェリア、イラク、スーダンの3ヶ国、無投票がモロッコ、反対がシリア。アラブ圏では圧倒的に「共同提案以外の賛成」が多い。それは恐らくは、イスラエルによるパレスチナ問題に拒否権を行使するアメリカと共同行動は取れないということだと思う。ただし、クウェートはウクライナにかつての自国と同様の事態を見て共同提案に参加したと思われる。他の諸国もほとんどはロシアの主権侵害行為には反対である。
(国連特別総会の様子)
 次に旧ソ連構成諸国共同提案国が、エストニア、ラトビア、リトアニア、ジョージア、モルドバ、ウクライナの6ヶ国、反対がロシア、ベラルーシ、棄権がアゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンの6ヶ国、無投票がトルクメニスタン、ウズベキスタンである。ロシアに対する親疎の関係が投票に反映されている。共同提案国はウクライナ以外でもロシアの圧迫を受けている。しかし、棄権、無投票を加えれば、その方が多い。ソ連構成国ではないが、事実上ソ連の「衛星国」だったモンゴルも棄権している。ロシアと中国にはさまれているモンゴルには賛成という選択肢が採れないのだろう。

 次からは棄権国だけ見る。ラテンアメリカ諸国。棄権したのは、ボリビア、キューバ、エルサルバドル、ニカラグアの4ヶ国、無投票がベネズエラ。なお、地域大国のブラジルは共同提案国以外の賛成だった。この地域は右派政権、左派政権が入り乱れているが、かつてソ連と深い関係があったキューバも反対はしなかった。同じ立場でアメリカに侵攻されたら困るわけで、国家主権最優先という意味では棄権しかないのだろう。

 南アジアではインド、中国への配慮が強く、インド、バングラデシュ、スリランカ、パキスタンが棄権に回っている。ブータンだけが共同提案国以外で賛成した。アフリカ、オセアニアまで見るのは大変なので省略する。まあ国の名前だけ書いてもイメージが湧かない人もいるだろう。その後、UAE(アラブ首長国連邦)は棄権に転じた。安保理議長国だったこともあるだろうが、ロシアの新興財閥層のマネーロンダリング先でもあって、何やら深い関係があるかもしれない。またイエメン内戦との関わりも考えられる。

 棄権国、無投票国の合計47ヶ国というのは、多いのか少ないのか。どういう言い方も可能かと思うが、安保理で制裁が成立しない以上は、インドと中国という世界で一番人口が多い2ヶ国との貿易が残り続ける。ちなみにまだ人口1位は中国だが、差は5千万人ぐらいなので遠からずインドが1位となる。ロシアは原油を割引でインドに提供しているらしい。ロシアは大資源国で、買わざるを得ない国もあるので、かつての日本のように石油資源が得られなくなることはないだろう。
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仏大統領選とウクライナ問題ー各候補の対ロシア姿勢を見る

2022年04月14日 22時49分11秒 |  〃  (国際問題)
 フランス大統領選選挙第1回投票が4月10日に行われた。この選挙に僕はほとんど関心はない。現職のエマニュエル・マクロン大統領(共和国前進=中道)と極右「国民連合」のマリーヌ・ルペンが決戦投票に進むだろうことは、事前の予測通りである。この顔ぶれは前回2017年の決選投票と同じである。前回の決選投票は、マクロン=66.1%ルペン=33.9%と、ほぼダブルスコアでマクロンが圧勝した。しかし、マクロンの5年間には失望することがが多く、今回はもっと僅差になると予想されている。しかし、よほどとんでもない事態でも起きない限り、やはりマクロンが再選されるだろうと思う。ほぼ事前に予測出来る大統領選である。
(マクロンが1位で決選投票進出)
 では、何で仏大統領選のことを書くのか。それは各候補のロシアへの対応の差を考えたいのである。しかし、その前に二つほど別のことを書きたい。マスコミによれば、今回は盛り上がりに欠け、戦後2番目に投票率が低かったというのである。しかし、その投票率は73.69%なのである。2021年に行われた日本の衆議院選挙は、55.93%。調べてみると、日本でも1950年代の衆院選までは、今回のフランス大統領選を上回っていた。その後下がり始め、1967年と1980年を例外として、いつも「73.69」を越えた年がない。1993年以降は70%に届いたことがない。その差はどこにあるんだろうか。

 もう一つ、今回の大統領選には12人の候補者がいた。しかし、日本ではマクロン、ルペンの他には、ジャン=リュック・メランション(不服従のフランス=左派)、エリック・ゼムール(再征服=極右)、ヴァレリー・ペクレス(共和党=中道右派)、アンヌ・イダルゴ(社会党=中同左派)しか報じられない。一体他にはどんな候補が出ていたのだろうか。
(各候補の得票状況)
 では調べてみよう。得票を%で示すと、マクロン=27.8%ルペン=23.1%。最終盤で詰められたと言われていた割には、この差は大きかったと言われている。マクロンはウクライナ戦争回避のため、プーチンとも何度も会い、戦争開始後は欧米諸国の中心となって存在感を示し、一時は支持率が急上昇した。しかし、戦争が長期化するに連れ、でも戦争を防げなかったじゃないかとか、エネルギーや食料の価格上昇への批判が出た。しかし、最後は「ルペンかメランションか」になっては大変だと思った共和党票が流れたのだろう。3位は左派のメランションで22%。今回で3回続けて立候補していて、今回が一番得票が多かった。

 この3人で7割以上の得票になっている。4位は極右のゼムールで7.1%。5位が共和党のペクレスで4.8%。事前調査は9%ぐらいはあったので、恐らくマクロンに半分流れた。6位は「緑の党」のジャドで4.6%。フランスの環境保護政党はドイツに比べて弱小だが、この程度の勢力はある。7位は中道右派の「抵抗!」から出たジャン・ラサールで3.1%。8位が共産党ファビアン・ルーセルで2.3%。かつて大勢力だったフランス共産党はまだあることはある。9位が「立ちあがれフランス」のニコラ・デュポン=エニャンで2.1%。名前で想像出来るように、かつて日本にもあったのと同じ感じの立ち位置。10位が社会党のイダルゴで1.8%。11位は極左「反資本主義新党」で0.8%。12位も極左「労働者の闘争」0.6%。
(主要8候補)
 このように様々な立場の党が出ているので、小選挙区と違ってある程度自分に近い考えの候補もいるだろう。それが投票率にも影響しているんだろうが、それでも決選投票に進出するためには「合同」が必要になる。結果的に今回は3人に絞られていったわけだろう。ところで、今回の大きな争点として、ウクライナ戦争とロシアへの対応があった。主要候補の言動が9日付朝日新聞に載っているので、それを見てみたい。(現職のマクロンは発言に制約があるから省略)

 ルペン=侵攻を非難しつつ、ロシアとは将来「同盟関係になりうる」と発言。
 メランション=ウクライナ侵攻で原発を狙われるリスクが露呈と指摘。脱原発を訴え。
 ペクレス=プーチン氏は「和平に不可欠な対話相手」。
 ゼムール=「フランスを不安定化させる」としてウクライナ難民受け入れに反対。
 イダルゴ=ロシア産天然ガスの禁輸を含めた制裁強化を訴え。

 これを見れば一目瞭然だ。右派が親プーチンで、左派がロシアに厳しい。もともと「国民連合」(旧「国民戦線」)はプーチンとは協力的だったとされる。日本では「左派」「リベラル派」、もしくは「反安倍政権」的な論調を取っていた人に、「ウクライナにも問題があった」「ブチャの虐殺は証明されていない」などと主張する人がかなりいるように思われる。そういう人ほど、日本のマスコミはアメリカ寄りの情報しか流さなくて国際標準から離れているなどというのだが、僕が思うに欧米に関しては「右派が親プーチン」というのははっきりしている。トランプがその代表である。プーチンのロシアは、トランプ、安倍、エルドアンなどが喜ぶ「伝統的価値」一色に染め上げられた強権社会である。左派が批判的なのは当然だろう。
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映画「親愛なる同志たちへ」、ソ連の闇を描く衝撃作

2022年04月13日 23時07分11秒 |  〃  (新作外国映画)
 アンドレイ・コンチャロフスキー監督の「親愛なる同志たちへ」という映画。4月8日公開で、いつもはなかなか新作を見ないのに早速行ってきた。やはりテーマへの強い関心のためである。これは1962年に起きたノヴォチェルカッスクで起きた虐殺事件を再現している。そんな事件を知っているか? 少なくとも僕は全然知らなかった。ソ連現代史の闇というべき事件を衝撃的に描いた作品で、当時を再現した完璧なセットも素晴らしい。まるで同時代のソ連に潜り込んだようなモノクロの映画である。

 コンチャロフスキー(1937~)はソ連映画の伝説的巨匠である。同じ名のアンドレイ・タルコフスキーと共に、60年代初期のソ連映画の新世代を代表する新鋭と言われた。タルコフスキーの短編「ローラーとバイオリン」や第2長編「アンドレイ・ルブリョフ」は二人の共同脚本である。本人も「最初の教師」(1965)で監督に進出したが、2作目の「愛していたが結婚しなかったアーシャ」(1966)は検閲で公開禁止となった。そのため「古典文学」を原作とした「貴族の巣」(1969)や「ワーニャ伯父さん」(1971)を作った。これらは「輸出用」として検閲を通過しやすく、日本でも公開されている。帝政時代の貴族社会の中で生きる知識人の憂愁には、明らかにソ連社会を生きる人々の感情が込められていた。
(コンチャロフスキー監督)
 ソ連時代の作品はその後日本では公開されず、監督はタルコフスキーに先んじてソ連を離れた。黒澤明のシナリオを映画化した「暴走機関車」(1985)をハリウッドで映画化したのは、この人だった。しかし、ハリウッドで低迷している間に実弟のニキータ・ミハルコフが監督として力量を高めて、「黒い瞳」(1987、カンヌ映画祭男優賞)、「ウルガ」(1991、ヴェネツィア映画祭金獅子賞)、「太陽に灼かれて」(1994、アカデミー賞外国語映画賞)と世界で高い評価を受けていた。コンチャロフスキーはソ連崩壊後にロシアに戻って映画を作っていたようだが、日本では全然公開されず、もう僕は名前も忘れいてた。
 
 今回の映画「親愛なる同志たちへ」は84歳の巨匠が渾身の力を振るい、自国の闇に真っ正面から挑んだ勇気ある作品である。ヴェネチア映画祭で審査員特別賞を受賞した。ノヴォチェルカッスクというのは、ロシア南部ロストフ州の工業都市で、歴史的にはコサック自治領の首都だった。ウクライナの東にあたる。ここで1962年にストライキが発生した。物価高、食糧不足、賃金切り下げが相次ぎ、自然発生的にストライキが起こったのである。「労働者の国」で何故ストライキが起きるのか。労働者を指導する前衛政党(ソ連共産党)が「正しい政策」を実施しているのに、それに不満を抱く輩は「外国勢力の煽動」を受けているのだ…。
(党幹部の会議)
 党幹部がそのように判断して、怒れる民衆に正対せず、軍による鎮圧を考えて行く様子が細大漏らさず再現されている。主人公になるのは、共産党市政委員会のメンバーであるリューダである。「大祖国戦争」で看護師を務め、「祖国の英雄」と運命的に出会って娘を産んだ。彼には妻があり、結婚出来ないまま戦死した。戦後を「未婚の母」として18歳の娘スヴェッカを育ててきた。それは党のおかげであると信じ、ストに対しては「全員逮捕せよ」と強硬方針を訴える。しかし、家では老父は実は党を信頼せず、秘かに信仰を持ち続けている。娘も母を批判して、党に意見を言うのは国民の権利だと言う。
(民衆に演説する幹部)
 このリューダの造形が実に見事。党幹部が優遇されるのは当然と特権を意識もしない。朝にスーパーを訪れて、並ばずに裏で特別に贅沢品を貰っている。そんなリューダを演じるのは、ユリヤ・ビソツカヤ。コンチャロフスキー監督の夫人だそうだ。1973年生まれと言うから、随分年の差がある。そして何とノヴォチェルカッスク出身なのである。ソ連崩壊時はまだ10代だったはずだが、当時の党官僚を実にそれらしく演じている。リューダは不倫中だし、父は困ったもんだと思いつつ黙認している。問題は娘で、スターリン批判以後に成長した世代は党への信頼が薄く、心配で仕方ない。

 1962年6月1日、群衆は5千人を超えて党委員会のビルに押し寄せる。中央から派遣された幹部を含め、事実上の軟禁状態に陥る。そして翌2日、街の中心部に集まった約5000人のデモ隊や市民を狙った無差別銃撃事件が発生した。スヴェッカは工場で働いていたから、群衆の中にいるのか。リューダは、スヴェッカの身を案じ、凄まじいパニックが巻き起こった広場を駆けずり回る。スヴェッカはどこにいるのか、銃撃の犠牲者はどうなったか。病院や死体安置所まで駆け回るが、行方が判らない。朝になっても帰らず、どこかに潜んでいるのか、それともすでに死体は"処分"されてしまったのか。何とか町の外まで調べに行って、長らく忠誠を誓ってきた共産党への疑念が生まれるのだった。
(党への疑いが生じるリューダ)
 筋書きだけだとお堅い映画に思うかもしれないが、全く退屈せずに一気見出来る面白さである。それはテーマ性とともに、撮影や編集の技術が圧倒的に素晴らしいのである。モノクロというのは全く気にならない。「ベルファスト」もそうだったが、内容的にあの時代なら色がないというのが自然なのである。白黒フィルムで撮影しているわけじゃなく、デジタル映像でモノクロにしているんだろうから、今後もモノクロ映画が増えていくんじゃないだろうか。

 このような軍、KGB批判の映画が2020年のロシアで作れたのである。それも大々的なセットを作っている。そして米アカデミー賞のロシア代表になった。米アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされるには、各国から一国一本の推薦を受ける必要がある。結局ノミネートはされなかったが、ロシア映画界はこの映画を支持しているのである。ロシアがプーチン一辺倒ではないことが判る。最も実弟のニキータ・ミハルコフは有名なプーチン支持派だけど。

 ところで、この映画を見ていると、どうしても1980年5月の韓国・光州1989年の中国・天安門広場を思い出してしまう。現実を見ることが出来ず、権力者に都合の良い政策が続くということは、日本も含めてどこでも起こった。ソ連だから起きた悲劇ではない。「一党独裁」、そうじゃなくても「一強政治」が続くとき、どこでも似たようなことは起きるだろう。
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「ペンギンの憂鬱」、独立ウクライナの苦しみークルコフを読む②

2022年04月12日 22時13分15秒 | 〃 (外国文学)
 アンドレイ・クルコフ(1961~)の「ペンギンの憂鬱」(1996)を読んだのは、もう2週間ぐらい前になる。いま、もう一冊の長編小説「大統領の最後の恋」を読んでいるけど、あまりにも長大な作品で全然進まない。突然「クルコフを読む②」と書いたけれど、①はこの前書いた「クルコフ「ウクライナ日記」を読むー2014年「マイダン革命」の日々」(2022.3.22)である。その時はクルコフの小説を続けて読もうと思ってなかったが、やはりこの機会に読んでみようと思ったのである。

 「ペンギンの憂鬱」(沼野恭子訳)は新潮社のクレストブックスから2004年に刊行された。「欧米各国で絶大な賞賛と人気を得た長編小説」とあって、日本でも評判になったと記憶する。しかし、帯にはさらに「不条理で物語に満ちた新ロシア文学」とある。これでは「ロシア文学」としか思わない。しかし、クルコフは確かに「ロシア語」で書いているけれど、内容的には「ウクライナ文学」なのである。クルコフがウクライナに住んで、ウクライナ国家に帰属意識を持っているということもあるが、小説の内容そのものが「ソ連崩壊直後のウクライナ」をいかに描くかをテーマにしている。
(アンドレイ・クルコフ)
 これも帯の裏から引用するが、こんな小説である。「恋人にさられた孤独なヴィクトルは、憂鬱症のペンギンと暮らす売れない小説家。生活のために新聞の死亡記事を書く仕事を始めたが、そのうちまだ生きている大物政治家や財界人や軍人たちの「追悼記事」をあらかじめ書いておく仕事を頼まれ、やがてその大物たちが次々と死んでいく。舞台はソ連崩壊後の新生国家ウクライナの首都キエフ。ヴィクトルの身辺にも不穏な影はちらつく。そしてペンギンの運命はー。」

 話は次第にミステリー風になっていくが、もう一つは「世界唯一(?)のペンギン小説」という魅力もある。なんでヴィクトルの家にペンギンがいるかというと、経済的に苦しい動物園が希望者に飼育動物を譲渡したのである。小説が評判になって、ドイツの雑誌「シュピーゲル」がペンギンと一緒の著者写真を撮りに来たという。しかし、もちろんクルコフ家にはペンギンはいなかった。大体いくら、混乱期のウクライナだって、動物園が個人個人の希望者に飼育動物をあげちゃうなんてあり得ない。しかも動物を飼うときに困る排泄物の処理とか発情期の問題が全く出てこない。ただ家でペンギンがおとなしくしているなんて、おかしい。
(コウテイペンギン)
 じゃあ、なんでペンギンなのか。常に団体生活をしているペンギンが、一匹の孤独な生活を強いられて憂鬱症になってしまう。その「憂鬱なペンギン」こそが、「ソ連」が突然解体してしまって、目標を失ってウロウロしているウクライナの象徴なのである。そして、ペンギンのミーシャが確かにとても魅力的。だけど、ヴィクトルがキエフを留守にすることもある。死亡記事の仕事でハリコフに出張するとき、困って警察に電話したら、思いがけず同じように孤独な警官セルゲイと知り合った。
 
 セルゲイと気が合って、時々一緒に冬のドニエプル川にペンギンと散歩したりする。そこに「ペンギンじゃないミーシャ」という謎の人物が現れ、個人的に追悼文を頼んでくる。ヴィクトルの文学的追悼記事は評判が良かったのである。しかし、やがてミーシャは娘のソーニャを置いて姿を消すことになる。ソーニャを世話していると仕事ができないから、セルゲイに相談すると姪のニーナにベビーシッターを頼めるという。こうして、3人と1羽の暮らしが始まってしまったのだが…。

 しかし、書く記事、書く記事、書いた事前死亡記事の相手がどんどん実際に死んでしまうというのは、どう考えても怪しい。せっかく書いたんだから、最初は掲載されて欲しいと思ったけど、あまりに続くと新聞も読まなくなる。そして、仕事の裏にある事情を次第にヴィクトルも推測していく。そのミステリアスな展開がどうなるかというところが読みどころなんだけど、面白いと同時に恐ろしい小説である。「ペンギン」という「登場動物」が最後まで効果的に使われている。そして、ソ連崩壊後の混乱の中で、「マフィア抗争」が相次いだ時代を描ききっている。

 ソ連は「社会主義国家」だから、すべては国営企業である。それが突然崩壊して、私営企業が認められる。しかし、すぐには安定した資本主義的な社会は形成されなかった。ソ連時代に特権的な官僚層が形成されていて、その中の機を見るに敏な人々が情報をうまく得て、国営企業を自己のものにしていった。日本でも明治初期に「藩閥と政商」があり、戦後にも新興企業と政治家の結びつきが見られた。旧ソ連、旧東欧諸国には、同じように政商が現れたのである。最近「オリガルヒ」(新興財閥)という言葉を覚えたが、どこでも彼らの争いが激しく繰り広げられた。そういう社会を背景に、裏社会に巻き込まれた小説家を使ってウクライナを風刺している。出来映えは見事で、一度読んでみる価値がある。ただし、90年代初期の話である。
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(春風亭ぴっかり☆改め)蝶花楼桃花真打昇進披露公演(浅草演芸ホール)

2022年04月11日 22時23分36秒 | 落語(講談・浪曲)
 落語協会の真打昇進披露公演が3月21日の上野鈴本演芸場から始まっている。新宿末廣亭に続いて、今日から浅草演芸ホールである。今まで夜だったのだが、浅草から昼になるので早速見に行った。4人昇進するが、今回は10日間を4人に割り振って、一日一人ずつ披露がある。今日は蝶花楼桃花(ちょうかろう・ももか)で、二つ目時代は「春風亭ぴっかり☆」だった。蝶花楼というのは伝統ある亭号らしく、師匠の春風亭小朝が名付けたもの。小朝は弟子に「春風亭」と違う名を付けるが、「春風」から「蝶花」になって、さらに「桃花」である。まことに春の昇進にふさわしい名前を付けたもんだ。

 ぴっかり☆は落語協会だけでなく、東宝芸能がマネジメントして落語以外でも売れていた。今回の興行でもいろいろな芸能人が花を贈っていて、すでにスター性十分。「のん」が贈った絵が幔幕になっていて、何度目かに披露されたのにはビックリ。幕が4回も変わるのも初めてだ。披露口上の幕が上がると、「カワイイ」の声。入るときに桃花のタオルがプレゼントされ、中入り時にこのタオルを広げてと説明された。口上で顔を上げたら、タオルを見せる。コロナ禍で大声も出せない中、「スター誕生」のムードである。
(のんの絵の幕)
 真打披露公演は口上に出る協会幹部、弟子が昇進する師匠連がそろって出るから、オールスター。いつもはトリを取っているような落語家が続々と出て来る。今回は師匠の春風亭小朝(「荒茶」=戦国大名の茶会のバカ話を立て板に水で演じる)、会長の柳亭市馬(「一目上がり」=掛け軸を八五郎が褒めて失敗する話)、副会長の林家正蔵(「紋三郎稲荷」=駕籠に乗った侍が化け狐に間違えられる)は、いずれも小ネタでサラッとあげる。元会長の鈴々舎馬風になると、いつもと同じく昔話で終わってしまうが、口上では女性落語家をよく真打まで育てたと褒めて、女房では失敗したなどと言うから、小朝、正蔵は悶絶である。

 兄弟子の五明楼玉の輔は子どもが商売にまつわる都々逸を作って親を驚かす。同じく兄弟子の橘家圓太郎は「強情灸」をまるでお灸を据えているような真っ赤な顔で熱演。柳家三三の「釜泥」(石川五右衛門の供養にと泥棒が江戸中のお釜を盗もうとするが…)、古今亭文菊の「浮世床」(髪結いで太閤記を読もうとして全然読めない)も良かったけれど、春風亭一之輔の「人形買い」が圧倒的に面白かった。ネットで調べると、少し展開が違うようだが、そこも含めて勢いが止まらない感じ。他にもいっぱい出ていたが、色物では漫才のロケット団が相変わらず大受け。

 さて、最後に新真打の蝶花楼桃花登場。近年女性の落語家も増えてきて、今日も初めの方で柳亭こみちが民謡好きの大家を歌入りで演じて面白かった。同時昇進の三遊亭律歌より桃花が注目されたのは、やっぱり「ルッキズム」なんだろう。見た目可愛さを越えて大成できるか。「権助提灯」という本妻と妾が旦那を押しつけ逢う様を巧みに演じたが、まだまだ昇進披露以外でトリを取るには力不足か。声で人物を描き分ける力が一之輔や文菊に比べてまだまだかな。そこはまあ、今後の精進次第ということになる。
(同時昇進の4人)
 何でも「桃花笑春風」(とうか しゅんぷうに えむ)という漢詩があるという。小朝のブログに出ていたが、ある人にこの漢詩を教えられたと言う。そこから「桃花」と付けたのかと聞かれたが、事前には知らなかった由。「春の風に誘われて、去年と同じように桃の花が咲きほころんだ様子」を表わすという。まさに春の昇進向けだ。日々大自然は冬から春へと移り変わっていくが、人間世界はそうはいかない。ウクライナの戦争は続き、昨日は見田宗介さんの訃報を書いた。あまり落語を聞きに行く気分ではないのだが、これは2月に前売を買っておいた。ぴあで売ってたが、利用料を加えても当日券よりも少し安いと気付いたのである。今回は他にも柳家風流、林家はな平、三遊亭律歌が同時昇進。国立演芸場に聞きに行こうかなと思ってる。
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