尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

教育の中の「強制」という問題

2013年02月26日 00時54分42秒 |  〃 (教育問題一般)
 教員評価の問題を書いてないんだけど、「体罰」から派生して考えてきたことも長くなってしまったので、今回で一応終わりとしたい。今回ニュースを見ていて、なんだか違和感を持った言葉がある。スポーツ評論家が「このような指導をしていては、自分で考える選手が育たないので、国際的選手を育成できない」みたいなことを言っていた。いつ、単なる学校の教員が「国際的選手の育成」を担うことになったのか?まあ、今回は体育科で起こった問題だから、「単なる学校の教員」というのは間違いなのかもしれないが、その後の処分なんかを見ていても、やはり「単なる一公務員」である。他の教員と同じように、「校長の学校経営方針に従って業績をあげる」というのが最大の仕事とされていたはずである。暴力が過ぎたけれども、指導方針そのものは学校の方針を受けたものだったはずである。

 しかし、この教員は異動方針の年限を超えて、その高校に在籍していたという。これでは特別扱いであって、こういうことがあれば「自分は特に期待されている」「特に部活の成績を上げる必要がある」と思うのは当然だろう。全国でいろいろ体罰問題が明るみに出たが、私立はもちろん、公立でも同じ学校で長く指導を続けていた教員が多いように思う。それが望ましい、それでいいという考えもあるだろうけど、それは他の教員も希望すればずっと同じ学校にいられる場合である。他の教員は6年くらいで替わってしまうのに、ある人だけ「君はこの学校に不可欠だ」となれば、そこには必ず「おごり」が生じるに決まってる。10年以上もいて、その間何回も全国大会に出場した実績があったりすれば、数年で替わる校長などでは何も言えなくなってしまうのではないか。

 ところで僕がずっと気になっているのが、「教師の権力者性」と言う問題である。まさに「暴君」のごとく全部自分で仕切らないと気に入らないような教師も中にはいる。一方、教師は「生徒の支援者」であるからして、「自分は全く権力者などではないし、教師が権力者であってはならない」というような発想をする教師もいるだろう。これは正反対のように見えて、「自分の権力行使に鈍感である」という点で全く同じなのではないかと昔から思ってきた。成績を決めたり、生徒指導を行うのは、「権力行為」に間違いない。ルールに従って、テストの点数でほぼ自動的に成績を付けている場合も多いだろうが、それでもその結果が校長印を押されて上級学校への入学検査に使われるのだから、その成績評価は「権力」として生徒に作用する

 教師は懲戒権を云々する前に、授業を通して成績評価権を持っているので、これが学校を成立させている基盤である。生徒は学校に来ている以上、勝手に授業を抜け出したり、授業中に携帯電話で通話したりしてはいけない。だから生徒の自由は学校で制限されている。授業を受けないで家で寝ているという「選択可能性」は与えられていない。いや、そういう行動を取りたければ取ってもいいし、警察が強制的に学校に連れて行くわけではない。ただ、その間も学校は授業を続けているし、休むだけ自分の評価が低くなり、その結果自分の進路希望が通りにくくなる。上の学校や会社は、休まず元気に通学し成績もよい生徒が好きなわけである。部活動もやっていた方がいい。だから直接的な「暴力性」はないけれども、間接的に社会の影響を受けることで、学校と言う場所の「強制性」が生まれる。(もっとも僕は「いじめ」「体罰」「パワハラ」などにあったら学校に行く必要はないと思っている。それはどんな人にも、あるいは国家にも認められている「自衛権」の発動だろう。)

 このような「学校と言う場所の強制性」を考えて、だから「教育は強制だ」と言ってしまう人もいる。学校は近代国家が作った近代の制度であって、生徒は学校教育を通して、近代人としての身体と知識を身に付ける。江戸時代の武士たちは、そのままでは近代装備の軍隊で使えなかった。一定の時間に登校し、列を作って責任者の話を聞き、一定の団体行動が取れ、教室では一定の時間きちんと座って話を聞いていられるという「近代人の身体」は学校教育で得たものである。これは全員が身に付けておかないとまずいので、当然教員や生徒が意識するかどうかは別にして、長い時間をかけて「強制」されてきたものである。しかし、だからといって「教育の本質は強制だ」という言い方はどんなものだろうか。僕たちはすべてのものごとを全部自分で判断することはできない。「それは常識だ」「それは前提だ」と言う部分は疑わないで、カッコに入れて行動するしかない。「近代の教育制度」と言うものも、僕たちには「前提」であって、一々そこにさかのぼって「なぜ学校教育そのものが必要なのか」などと考えて働いている教師はいない。「学校制度の強制性」は問うまでもない前提であって、その中でどのような人間形成を促していくかということを考えないと生産性がないと思う。

 学校では教科書を使うが、だからどの教科書を使っても、「何らかの強制」になると言われたことがある。中学歴史教科書の問題で、扶桑社(当時)の教科書の採択を批判する運動をしていた時にある人に言われた言葉である。僕にはこれは全く理解できない意見だった。そういうことを言い出したら、すべての教科書を使えない。ダーウィンの進化論を教えてはいけないというキリスト教原理主義者がアメリカには今もいるそうだけど、「様々な意見がある」などと言う言い方では、進化論を教えられなくなる。僕が考えるには、すべてを疑っては生活できないので、初中等教育ではその世界の「通説」を中心に教えるしかないだろうと思う。「強制」と言う言い方をしたいなら、「通説を強制する」と言ってもいい。後で自分なりの考え方が出来て来れば、自分なりの勉強を続けて行けばいいのだと思う。(扶桑社または育鵬社などの教科書は、やはり「通説」と違う記述が多いので、それが一番まずいと思うが、今は詳しくは触れない。)

 こういう風に、近代教育そのものに「強制性」があるし、近代以前の教育(とはつまり「家業」をたたきこむことだが)は完全に「強制」である。というか前近代は職業の自由がない身分社会だから、今僕たちが普通思っている教養教育とか職業教育の必要性そのものがない。教育に「強制性」が存在する以上、教育を担当する教師には「権力者性」が当然ある。だけど、その「権力者性」というのは、どのように発動されるべきものなのだろうか。その場を収めるだけだったら大声で威圧する方が早いという時は当然あるわけだけど、「暴力で支配する」というのが良くないのは、「生徒の選択可能性」を育てないからだ。前回書いたように、「暴力」と言うものは人間の選択可能性を奪っていってしまうものである。だから、学校で暴力を使うと、その場は収まっても、生徒の育成ができないということになる。では、「教師の権力者性」はどういうものだろうか。それは「サッカーの監督」あるいは「映画や演劇の演出」のようなものではないかと思う。選手の選抜、交代に責任は持つけど、自分はプレーしない。自分では舞台に上がらず、あるいは画面に映らず、他の演技者に裏で演技指導をする。中には自分が全面に出てしまう部活顧問、あるいは学級担任、生活指導担当教員なんかがいるもんだけど、教師は裏方で生徒を生き生きと演出することが楽しみであるべきで、その演出のさじ加減に「指導」という「強制性」を生かすということなんだろうと思っている。
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世界の本源的な「暴力」について

2013年02月25日 01時08分23秒 |  〃 (教育問題一般)
 「暴力は何があっても許されない」という言葉を最近聞いた。「体罰」の問題ではない。これはアルジェリアのテロ事件に際して、菅官房長官が言っていた言葉。僕は、「あれ、こんなことを言っていいのかな」とその時に思った。これでは「テロを強行鎮圧したアルジェリア当局への批判」にもなってしまう。第一、自民党は「自衛隊を国防軍にする」と公約に掲げていたのだから、「暴力は何があっても許されない」と言ってしまうのはおかしいはずだ。ところで、この言葉はどうも官房長官のアタマの中では、テロ組織に対してだけ言っていたものらしい。「正しい側」=「政府側」の使う「実力行使」は、「暴力」とは言わないという大前提が脳内にあるわけだと思う。

 ところで、「暴力」というのは「他者の身体や財産に対する物理的に破壊する力」だとウィキペディアに書いてある。さらに最近は「精神的な暴力も暴力と認知されるようになっている」とある。当然のこととして、テロ活動も「暴力」なら、「テロ鎮圧」も「暴力」である。ただし、国家の行使する暴力は法的追及の対象にならない。国家権力の行使そのものである。僕はだから「どっちもどっち」と言いたいのではなく、「暴力の強制力」というものがどういうものかをもっと考えてみたいということだ。人質を取って要求を突き付けるのは、もちろん暴力。ところで、アルジェリア事件の場合は、南隣のマリに対するフランス軍の介入と言う出来事が直接のきっかけとなった。このフランス軍の行動も暴力である。もっともイスラム勢力がマリ北半部をいつの間にか支配しているのも、暴力による支配だろう。マリではないが、ナイジェリアの北部ではイスラム勢力とキリスト教勢力が暴力的にぶつかって、テロ事件が頻発している。(ナイジェリアは世界有数の産油国だし、アフリカの大国だから、この問題は非常に重大な注目が必要である。)

 このようにアルジェリア問題から見えてくるのは、「暴力の連鎖」が続いてしまうという世界の厳しい状況である。ある時代まで、国家権力というものは「むきだしの暴力」で国民を支配してきた。例えば「万葉集」にある山上憶良の「貧窮問答歌」みたいに、暴力的に税を徴収していたわけである。(もっとも「貧窮問答歌」は必ずしも事実そのままではないとされてきているようだが。)マリ北半部を支配している勢力は、選挙によって選ばれたわけではなく、リビア等から流れたといわれるが、武力をもって事実上の独立状態を作ってしまった。こういうものは、国際的には「支配の正当性」があるとは認められないだろう。日本は、選挙によって成立した政権が選挙によって交代したわけで、安倍政権に「正当性」が存在する。前の野田政権のときに「社会保障と税の一体改革」として消費税アップが決まったけれど、政権が交代したとはいえ、国会で通っている以上、その増税にも正当性がある。皆で選挙し、選ばれた議員が国会で決めて税金を集めているのだから、前近代の年貢の時代ではない。

 そうは言っても、いまだって税の徴収には「強制力」がある。脱税すれば犯罪である。払わないと様々に国家権力が追ってきて、滞納してれば「差し押さえ」になってしまう。そういう風に、「強制力」が発生して「自由選択」が不可能になるのが、そうされる側からすれば「暴力」として機能するわけである。国会で決めたから正当性のある税金だけど、「払わないと犯罪になる」という決まりもあるから、そういう「脅し」で払わせているわけだ。だが現代では、その「脅し」と言う強制力が、「むきだしの暴力」によってではなく、「納得と了解」を得る形で進む。我々は、税は必要だし法で決まってる上、脱税と言われるのも困るわけで、税を「自発的に払う」ことの方が多い。だから、現代では民主主義の体制のもとで、ものごとは「納得と了解」を得る形で進むが、その背景にはやはり「暴力」=「選択の不可能性」と言う現実があることが多いのである

 僕たちは様々な自由を保障されているが、特に「経済活動の自由」が根本にある。会社で生産するのも自由だし、消費者が製品を選ぶのも自由である。休日にデパートに出かけるとする。何かを買うも買わぬも自由であるが、お腹はすくので昼か夜を食べることにする。蕎麦でもいいし、パスタでもいいし、カレーにしようか…。こうして僕たちは自由の中で暮らしているように思うわけだけど、でも今蕎麦かパスタかカレーと書いたのは、自分の選択に多いからだが、デパートという設定にしている以上、デパートの上には天ぷら屋とか鰻屋もある。でも、僕は高いからいかない。鰻は好きだけど、ずいぶん食べてない。もちろん車やマンションじゃないから、その気になれば食べられるけど。大体デパートがあるような町だったら、近くにマクドナルドや吉野家もあるはずだし、コンビニなら確実に一つは見つかるだろう。そっちにすれば、ぐっと安くなる。何が言いたいかと言うと、僕らは自由で民主的な社会に暮らしているけれど、そのときの自由と言うものは、「貨幣に支えられた自由」であって、お金がない人がデパートに行っても楽しめない。この「貨幣の偏在という選択不可能性」は、人間にとっては「暴力」として働くということだ。最終的に暮らしが立たないところに追い込まれれば、家を失い「ホームレス」化するし、人とのつながり、社会とのつながりを失ってしまう。そうして健康を失い、生命まで奪われてしまうとなると、もう直接的に生命・財産を奪う暴力というしかない。

 こうしてみると、テロも暴力で、鎮圧も暴力だが、どちらが正しいという以前に、ある国は貧しさから抜け出せないと人々が考え、ある国は豊かな社会に生きているという状況そのものが「暴力」なのではないか。貧しい国の人々が、自国の地下資源が「豊かな社会」の豊かさを増すために使われること自体を、それが正当な商取引であるにもかかわらず「本源的な暴力」だと認識することはないだろうか。僕はそういうことまで考えると、世界は「憎悪と暴力」という「選択不可能性」が広がっているのではないかと認識せざるを得ない。

 「貨幣の偏在による選択不可能性」と言っても、では「お金があれば何でもできる」のかと考えると、「お金で出来ることは、お金で何とかできることだけ」である。お金をかけて若さを買うことはできるが、老化と死を永遠に防ぐことはできない。そういうことを考えると、「自分が生まれたという事実」「自分の性別や民族」「自分の親」などは、どうやっても変えられない、本質的に選択不可能な事柄である。だから、我々には「完全な自由」などと言うものはなく、ある意味では、「生まれてしまうという暴力」でこの世に誕生した。多くの場合は望まれて生まれるわけで、「世界への祝福」として生を得たのだろうが、子ども本人が選んで生まれることはできない。子どもは自分の親を選べず、自分の家庭環境や才能や容姿なんかを選べない。少しは変えられるけど、根本は変えられない。多くの人は何となく、いつのまにかそういう自分と折り合いをつけ、仕事や家庭を持って自分に自信を持って生きて行くんだろう。でも「まだ何者でもない」青少年の時期だと、自分がそのまま周りの人間の中に放り込まれてしまい、「自分は一体何なのだろう」と思うことがある。そういう時に「自分が生まれたこと自体が間違い」「自分の存在価値はない」などと思い込む。そうすると自殺と言う選択を取ってしまうかもしれない。自分が生まれたこと、自分の家の経済や自分の性格などは変えられないけど、「自殺と言う手段なら、自分の選択可能性を手にできる」と思うこともあるだろう。

 「体罰」や「いじめ」の問題から「暴力」を考えている。今まで関係のないことを書いているように思うかもしれないが、そうではない。学校で「いじめ」で自殺する生徒がいたり、「体罰」に苦しむ生徒がいるのは大問題だが、「いじめ」や「体罰」を無くせばそれだけでいいのか。若い時期には「自分が存在するだけで、辛い」と思っている人もいる。自分の人生には何の楽しいこともなく、「生きているだけで暴力にさらされている」と感じているのではないか。単に「いじめ」「体罰」を無くしましょうと言うキャンペーンに止まるではなく、生徒一人ひとりの「自尊感情」を高める教育を行うことが大切だ。そのためには「生徒の納得と了解」の領域を広げていく試みがなければならない。最大の「暴力」は、生徒の意向を無視して「親と教師で生徒の進路を決めてしまう」という場合だろう。その過程で現実の物理的暴力は振るわれていないとしても、それは生徒に取っては「暴力」として機能してしまう。学校と言う場所は未熟な未成年を集めて成立しているから、様々な問題も起こる。生徒同士、教員と生徒の間の「暴力」も起こるわけだが、生徒は「人間存在としての本源的暴力」にさらされているということを社会の側が認識していることが大切だと思う。
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人間ドックから神保町シアターへ

2013年02月24日 00時14分34秒 | 自分の話&日記
 毎回テーマを決めて小論文みたいなものを書いてるのは大変で、次は「暴力」というもの自体を考えてみたいと思っていますが、その前に日記を。23日は都立高校の入選日だけど、都教委は2月23日が土日に当たろうがこの日が入選(前期入選)と決めてしまったわけです。将来「天皇誕生日」になったらどうするんだか知りませんが。だから空いてたのかどうか、今日は三楽病院で脳ドック。だいぶ前に申し込んだときに、もうこの日しか空いてなかったわけ。で、朝早かったので、昨日はさっさと寝てしまいました。入選日の朝は、文化祭や旅行行事の朝と並んで、一年で一番早起きする日でした。今日は朝から参考書に目を通している中学生と一緒。新御茶ノ水駅で降りて三楽へ。三楽病院は教職員互助会の病院だから、知り合いと会うことも多いけど、さすがに今日は誰にも会わなかったです。

 一度「脳ドック」をやっておきたかったと思っていたのですが、去年は取れなかったので一年来の宿願。父親がくも膜下出血をやってますから、一度ちゃんと調べておきたいなということ。でも、まあ前にMRIは一度やっていて、ベッドに横たわったまま機械の中に入っていき15分ほどじっとしているわけですが、ヘッドフォンで音楽を聞いてれば、それほど気にならない。それより初めての頸動脈エコーや眼底・眼圧の検査の方が「へえ」と思う感じでした。若いときは低血圧気味だったんだけど、さすがに高血圧気味になってきたのが、加齢の証明ですねえ。

 ところで、血液検査のあとで止血バンドをはめて「待合室で待ってるように」と言われて、待ってたわけです。テレビを見ながら。ところで三楽の人間ドック自体が初めてなので(毎年検診があるからと思い、節目検診なども行ったことがない)、後でMRIが終わった後でまた「待合室で待ってるように」と言われた時に「飲み物を飲みながら」と言われて、初めて待合室に無料のドリンクの機械があることに気が付きました。最初に入った時は、腕ばっかり気にしてて部屋を見渡していなかった。あれ、こんな機械があったのか。まあ、そういうもんだと思うけど。

 最後に自己負担金を払った後で、「食事サービス券」をくれました。まあ、そういうものをくれると書いてあるのは知ってたけど、「きっと病院内の食堂かなんかだろう」と思っていたら、外のレストランに使える券でした。だから、そこへ行ったら、大体あとからあとから病院で顔を見たような人がやってきます。ここは美味しかったので名前を書いとくと、「Delifrance」(最初のeは上にアクサンが付いてますけど。)。お茶の水駅を駿台下に向かって歩いて、明治大学へ行く前、近江兄弟社のビルの隣あたりの2階です。ランチプレートしかダメだけど、パスタ、ピラフなどとサラダ、パン、ドリンクバーが付いている。パンは食べ放題だから、ドック終了後すぐに食べ過ぎ、飲み過ぎになってしまいかねないけど、いいんだろうか。何しろ朝抜きでずっと検査していた後なんだから。まあ、この券も負担金の中に入ってるんだろうけど、なんだかお得感がしてしまったのは人間のサガです。

 この御茶ノ水界隈に昔からよく行ってる話は、高野悦子さんの追悼で書いたけど、もっと言えば僕の生誕地がここです。まあ、浜田病院ですけど。これは三楽の近く、駿台予備校の真ん前ですね。今は大きなビルになってるけど、僕が予備校に行ってたころは趣のある古い病院でした。岩波ホールアテネ・フランセがあるので、大学時代以後もずっとこのあたりに来てますけど、今は「神保町シアター」に行くことと、カレー屋さんの多いところと言うイメージ。小沢昭一唄う「ハーモニカブルース」で「明治はハーモニカバンドで有名だったんだ」とありますが、今も駅からずっと楽器店が並んでいます。今はエレキギターがずらり。それから坂の下におりると、古本屋とスポーツ用品店。でも僕には、カレー屋の街と言う思いが強いです。

 今書いてると長くなるから、カレーの話は簡単に。「エチオピア」「マンダラ」「ボンディ」その他その他は置いておいて、僕には「共栄堂スマトラカレー」です。特に美味しいというよりも、他のカレー屋に比べて独自性が際立っていて、しばらく食べてないと時々行きたいなあと思う。さて、今日は眠いのでどうしようかと思いながら、ウチでは「神田やぶを見て来て」と言われていたんだけど、まあそこまでするのもなあと思うし、今朝の新聞に明大リバティタワーでガザの集会があると出てたけど、寝るに決まってるのでパス。結局「神保町シアター」で一本、三隅研二の「千羽鶴秘帖」という雷蔵の時代劇を見て帰りました。これもかなり眠かったけど。三隅監督は大映時代劇を支えた名匠で、眠狂四郎や座頭市のシリーズで知られています。「斬る」という雷蔵時代劇の最高峰とも言える名品を作った人。早く亡くなってしまったけど残念でした。

 今日見た作品は、軽快な娯楽作品で、左幸子が妖艶な役をやってる珍しい映画でした。甲州の金山を鉱山奉行が私物化して、自分の城の関宿城のしゃちほこを純金にしてしまうという設定は、いくらなんでも無理筋。雷蔵は謎の風来坊、実は…と言うやはりカッコいい役柄。前の2週間は田中徳三監督の作品をやっていて、全く見てない映画ばかりなので頑張ってほとんど見ました。ずいぶん重厚な時代劇ばかりで、感銘を受けました。市川雷蔵と勝新太郎、それ以前の長谷川一夫の主演のスケールの大きさがすごい。それと同時に、若い中村玉緒の可憐にして妖艶な魅力というものも若い人に見て欲しい気がします。今のテレビで知ってる姿と比べても、まあ顔かたちは間違いようもないけれど、若い時は素晴らしい魅力だと思います。
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「歴史認識」としての「体罰問題」

2013年02月22日 00時23分58秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 「体罰」と教育の歴史と言うような視点は、数日前の朝日新聞で論じられていた。僕もそれは非常に重要な問題なので、一度書いておきたいと思っていた。さて、今井正監督が1972年に作った「海軍特別年少兵」という映画を見たことがあるだろうか。海軍で特別にまだ14歳の少年兵を受け入れる制度を作った時の、その「年少兵」の物語である。これがほぼ「体罰か、愛の教育か」という展開の話になっている。地井武男が毎日映画コンクール男優賞を受ける名演で、体罰を信条とする工藤上等兵曹と言う役を熱演している。彼は下士官として、兵の教育は「連帯責任」と「体罰」と確信している。そして、その確信をもとに少年を鍛え続ける。その結果、確かに少年との絆も深まるのだが、どうしてもついていけない少年もいる。一方、それを見ている教官の中には、兵と言っても年齢を考えると「愛の教育」がベースになければならないのではないかと工藤の方針に疑問を抱く者もいる。こういう対立の中で、様々なエピソードが起こる。

 この映画を昨年何十年ぶりかで見直し、こういう「教育の映画」だったかと驚いた。しかし、この映画の中では「海軍の兵を育成する」という大方針は前提になっていて、その上で対象の少年兵の年齢がかつてなく若いため、従来の軍隊教育と同じでいいのかという問題があるわけである。工藤が悪役としては描かれていないので、「軍隊内の体罰」を問題視しているわけではない。しかし、この映画だけでなく、様々な映画で判ることは、帝国陸海軍は恐るべき「体罰」が日常化した社会であったということだ。そのことは「真空地帯」などの純文学作品を左翼独立プロで映画化した作品だけでなく、大映の「兵隊やくざ」シリーズなど大衆的な映画シリーズでも印象的である。というか、特に陸軍の内務班が暴力の巣であったことは、誰でも知ってる常識というべきだろう。

 戦前は中高等教育に「軍事教練」が必修化されていた。これは1925年以来のことで、ほぼ昭和の教育の問題と言える。「総力戦」時代となり、やがて兵となる男子には学校時代から訓練を施しておく必要が増したが、それより軍縮条約による師団削減からくる将校のリストラ対策だったのは周知のことだろう。当時の宇垣一成陸相はいわゆる「宇垣軍縮」を進めたが、人員を減らす代わりに、装備の近代化と教練の必修化を勝ち取った。この結果、軍隊流の訓練が教育現場にはびこるようになるんだと思う。さらに戦争の激化とともに教師もどんどん兵隊に送られ、軍隊の暴力的指導を経験した。戦後、兵隊帰りの教員が大量に教壇に復帰したが、そのころは公務員の給料は非常に低かったから、中にはモチベーションの低い人もいた。一方、生徒は戦後の自由な価値観を持って育っているから、教師と生徒の価値観が違う場面が多かった。そういう時に、すぐに「体罰」を行う教師がいたわけである。1950年代、60年代には、そういう軍隊経験者ですぐ体罰に走る教師、というタイプがいたのである。

 僕は学校教育法に「体罰禁止」が明記されているのは、このような軍隊教育との断絶宣言戦前教育の負の遺産を引き継がないという宣言だろうと思っている。そこには「過度の精神主義の否定」も含まれる。運動部の指導に限らず、受験勉強だって「気合い」というハチマキを締めさせたりする人(塾や予備校など)もいるし、学校の行事をすべて「精神鍛錬目的」にしてしまう教師もいる。そういうことも全部含めて、精神主義的指導がどこから来ているのかという「歴史認識」が教師にないと、熱心さのあまり「軍隊流指導」にすぐなってしまう風土があるのである。教師には、教育技術だけでなく、教育史への深い知識も必要なのだと思う。

 また「連帯責任」と言う発想を問い直すことも大事ではないか。部活で試合に負けて主将が殴られるのは、チームの責任を責任者が一身に負うという発想である。そのやり方で、一致団結したチームが頑張るということもありうる。というか、そうやって生徒同士の責任制度、江戸時代の年貢の村請制度のように、生徒同士で助け合う、または生徒同士でお互いに責任をなすり付け合うというシステムを作ってしまえば、教師の指導は非常に楽になる。楽するためではなく、生徒同士で助け合う心を育てる目的でやり始めても、今の生徒には通じない。「足を引っ張る生徒」がいるために班ぐるみ叱られたら、いじめのきっかけにもなりかねない。このような「班活動による生徒の連帯感の育成」という戦後の教育運動の中で培われてきた方法も、再検討がいるのだろうと思う。右も左も、歴史の再認識をしていかなければ、現代教育のアポリア(難問)は解けないまま、眼前に立ち広がるのみと言う時代なんだと思う。
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「心罰」という大問題

2013年02月21日 00時35分35秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 体罰問題を先に書いてしまいたい。何回か断続的に書いているけど、「『体罰』と『私的制裁』の間」の中で、「体罰」の「体」の方の問題を書くと言ってる。その問題を。「いじめ」でも警察に訴えるということが最近は多いが、警察としても「暴行罪」に認定できる材料がないと、なかなか今のところ難しいようだ。「体罰」は、実は「私的制裁」だと書いてるように、行き過ぎた暴力は刑事責任も問われる場合があるのは当然だ。そういう風に、「暴力」が刑事罰を科されることもあるのは当然なんだけど、そうすると「暴力がなければいいのか」「暴力なきいじめはまだましなのか」などと言われてる気がしてきて、それは違うだろうと思うわけである。

 僕は「体罰」問題を書く中で、「量刑の平等性」という問題提起をしてきた。それが「体罰」であれ、「罰則」である以上は「罪刑法定主義」がいる。体罰であれ、そうでない指導であれ、あの子は軽い、あの子は重いとなれば、誰も学校を信用しなくなる。実際、ほとんどすべての高校でそうだと思うが、「喫煙が見つかれば、原則○日の自宅謹慎」などとあらかじめ決まっているはずである。大体一回目だと3日くらいが多いのではないかと思うが、要するに事前に平等性が確保されている。だから、高校を辞めてもいいと思っているのでなければ、生徒はさっさと反省の態度を示した方がいい。(未成年の喫煙禁止は、国法で決まっている以上、学校で認められるはずがない。)

 ところが、大津市のいじめ問題でも、大阪の「体罰」問題でも、新聞等で見ている程度しか知らないが、「なんで自分が」という問題もあるけれど、もう一つ「この苦しみがいつまで続くのか」というその精神的苦悩が非常に大きいように思うのである。どんなにひどいいじめや暴力であれ、あるいは家庭内のDVやストーカー被害などにせよ、もし今日が確実に最後で以後は絶対ないと確信できるなら、その日に自殺する人はいないのではないかと思う。「許す」とまでは行かないかもしれないが、あえて訴えたりもせず、そのままそっとしておいて欲しいということになるのではないか。もし絶対その日が最後になるのなら。でもDVなんかの場合、一度は反省しもう二度としない、許して欲しいと言いながら、また際限のない暴力が繰り返されるということが多いらしい。こうなると、その暴力そのもの以上に、「いつまで繰り返されるのか」という精神的苦悩がその人を追いつめるだろう。ストーカーの場合なんかもそう。行為そのものは携帯電話に電子メールを送ってくるだけだったりするかもしれないが、それが一日1000通にもなり何カ月も続いたりすれば、精神的に追い詰められてしまう。

 つまり「量刑」の問題で、事前に量刑が示されないので、事実上「終身刑」のように思えてしまう。このような苦しい日々を毎日送るくらいなら、死んでしまいたいという位の苦しみ。もちろん学校なんだから、実際には「終身刑」と言うことはありえない。卒業までで終わりである。だから多くの生徒は、学校でいろいろ嫌なことがあっても、卒業までだからガマンしようという風に思って暮らしている。でも、そこまでがあまりに遠くに思えるほどの苦悩があったということなんだろう。そう言う風に考えて行くと、「体罰」や「いじめ」と言っても、実際は「心の苦しみ」の方が重いのではないかと思う。だから、「体罰」というより「心罰」を問題にする視点が大事なんだと思う。

 どうしてこういう風に言うのかと言うと、「いじめ」「体罰」などと細分化していくのではなく、卒業後の企業での労働条件の問題も含め、行き過ぎた「パワー・ハラスメント」の問題と捉えた方がいいと思っているのである。会社の中で暴力はなくても、お前は仕事ができない、お前は会社にいらない、お前は早く辞めてしまえなどと精神的に追い詰められてしまうことは多い。よく「いじめ」「体罰」で「学校と言う閉鎖的な社会で起きる」などと言う人がいるんだけど、僕はそれはおかしいと思う。「保護者」と言う存在があるだけ、まだ学校は開かれている度合いが広く、実際は「ブラック企業」などと言われる会社の内情の方がずっと不可思議で閉鎖的なのではないか。そういう「リクツが通らない」社会に生徒は出ていかざるを得ない。だから親は「学校では厳しくしつけて欲しい。社会はもっと厳しいんだから」という。これが「体罰」などが容認されてしまう背景にある。だから、学校だけでなく、社会の方も変えていくという視点がないと、学校だけ良くなるということなどありえない

 学校では「いじめ」や「体罰」も確かにあるので、それを問題にしていく必要があるのは言うまでもない。しかし、「暴力はいけない」と言う風にだけ進んでしまうと、「言葉ならいいのか」という勘違いが出てくると問題だなと思う。現実は、子ども同士の間であれ、教師と生徒の間であれ、言葉で傷ついたという経験の方が圧倒的に多いはずだ。教師の場合でも、冗談半分に言い過ぎてしまうことは防ぎようがない部分もあるけど、何もあそこまで言葉で追いつめて行かなくてもいいのではないかという場面に出会うことがある。これは「体罰」より多いし、その後の「被害」は体罰より大きいことが多い。学校の校則は正しいし、校則を破った生徒は間違った行動をしたことになるが、その正邪がはっきりしていて、生徒の側で言い返せないだけ、その気になれば教師は生徒をどこまでも追いつめられる。特に高校は義務教育ではないので、なんで好き好んでこの高校に来たのか、そんなに嫌なら退学すればいいだろうと、どこまでも追及できるのである。リクツでは間違っていないとも言えるのだが、こうして追いつめられてしまう生徒もいるだろうと思う。特に、スポーツ推薦で部活目的で入学した生徒が、やる気を失ったり、怪我したり、レギュラーになれなかったりする時に起こりやすい。部活は課外活動だから、部活を辞めても退学する必要はないわけだが、事実上学校内の居場所を失ってしまうこともあるだろう。

 さて、このように「体罰」あるいは「暴力」と言うようにだけ捉えるのではなく、「教員による生徒に対する精神的な圧迫」として問題化していかないと、また別の問題が起こるのではないか。そして、僕は確信しているのだが、もうすぐ暴力だけでなく、「暴言」も「傷害罪」に問われる時代が来るだろう。例えば、教師の言葉で追いつめられ、「うつ病」となり不登校になってしまったというケース。あるいは会社でのパワハラで、「うつ病」になり自殺してしまったというケース。今までなら、教師が行政上の処分を受けたり、会社が労働法上の責任を問われたりすることはあっただろうが、そこまでである。しかし、「精神的な病を発病させた」ということをもって、「業務上過失傷害罪で刑事告発する」と言うケースが必ず起こってくると思う。今までも重大事案では、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を傷害罪と認定するケースがあった。(女性監禁事件では精神的な後遺症を傷害罪と認定することが最高裁判決で確定している。)そういうことまでも見通して、生徒にも指導し、教員も気をつけて行かないといけない。
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和泉雅子、加藤武、曽根中生のトークショーを聞く

2013年02月17日 23時37分30秒 |  〃  (旧作日本映画)
 土曜日は、昼間に新文芸坐の小沢昭一追悼上映加藤武のトーク。夜にポレポレ東中野へ行って、曽根中生監督のトーク。そして、日曜日に銀座シネパトスの銀座映画特集で、和泉雅子、川本三郎のトーク。なんだか怒涛のシネマトーク漬け。思えば、全部日活映画だ。今日の話から書くと、僕があれだけいっぱい読んでる川本三郎さんも、話を聞くのは初めて。川本さんも和泉雅子さんは初対面だという。あまりの面白さに絶句という感じで、僕も今まで聞いた数あるトークの中でももっとも面白かった
(和泉雅子)
 和泉雅子は、浦山桐郎監督の2作目「非行少女」で知られた。他にも日活青春映画で多くの役を演じたが、後に冒険家、登山家のイメージが強くなった。それも面白いんだけど、銀座生まれで銀座育ち。生粋の「銀座っ子」で、美空ひばりを「美空しばり」と発音する。この「江戸弁」の連発に場内大受け。映画に出るときは「方言矯正」が必要だったというほど。ちゃきちゃきの江戸っ子で、そういう人がいることにビックリ。東劇の5階にストリップ劇場があり、実家の食堂が出前を頼まれると一緒について行った話。その他、戦後の銀座の生き字引と言う感じ。日活には13歳でスカウトされ、高橋英樹、渡哲也らと同期生。いじめのない実に楽しい撮影所だったという。

 今日上映された「二人の銀座」は、今もデュエット曲として知られる。ベンチャーズが銀座を車で見て作った曲に永六輔が歌詞をつけ、先に歌が売れた。越路吹雪が自分には合わないとくれた曲だという。しかし和泉雅子は歌が下手。歌は上手だが「味がない」山内賢と「味しかない」自分が一緒に歌ったことで成功したという話は爆笑。とにかく話がはっきりしてて嫌みがなく、銀座が商人の町で下町だということがよく判る。川本さんも、もっとテレビのワイドショーで使ったらと場内に呼びかけていた。ホント、銀座の新旧を特集するのにピッタリだから、是非「和泉雅子と訪ねる銀座の今昔」という特番をお願い。

 小沢昭一特集も満員。加藤武は麻布中学時代からの自他共に許す「畏友」である。今村昌平監督の「果しなき欲望」という快作で、クセの強い役柄を共演している。当日上映の「大当たり百発百中」「競輪上人行状記」でも共演している。今、小沢昭一著「わた史発掘」(岩波現代文庫)を読んでるんだけど、麻布中学時代の思い出は加藤武と対談している。これはもともと「話の特集」の連載(1976年~77年)だという。その対談を聞いてた若い人が「教練」「禊(みそぎ)」の意味が分からないと言ってる。いやあ、35年前でそうか。僕が中学の頃は、すでに麻布も開成、武蔵と並んで「御三家」と言われる難関私立になっていたけど、戦前は府立に落ちた生徒の行くところだったことがわかる。フランキー境、大西信行なんかも同級。ここで右翼ながらさばけてた国領先生という人が出てきて傑作。
(加藤武)
 思わず本の話をしてるけど、小沢昭一が「軟弱右翼青年」だった頃の話。そういう戦争体験を経て、「日本国」と「日本列島」は違う。「愛列島心」はあるが「愛国心」はないという信条を持つに至る自伝的エッセイの傑作だ。ちなみに解説を麻布出身の川本三郎さんが書いている。加藤さんの話は、もう夢だといいと思いながら葬儀に臨んだ話だけど、声も丈夫でまだまだ元気という感じ。小沢昭一の芸域の広さ、「役者」と「者」と両面を持っていた話。加藤武は、舞台、映画、テレビで活躍してきたけれど、なんといっても「仁義なき戦い」の打本組長が圧倒的な印象だ。歳とるごとに友人が少なくなることが寂しいと思うが、まだまだ活躍して欲しい。

 上映された「競輪上人行状記」は、1963年の西村昭五郎監督の傑作である。前に見て判っているんだけど、細部はほとんど忘れていた。一番勘違いしていたのは、「人類学入門」が関西の話だし、生臭坊主=今東光=河内のイメージが混濁し、なんだか小沢昭一が関西の生臭坊主を演じる話のように思い込んでいた。しかし、これは東京の下町の映画だった。空襲で焼けた本堂の再建を目指す貧乏寺の「葬式坊主」にはなりたくない小沢昭一は、なんと青梅の奥で中学教師をしている。バレーボール部の顧問で、バレーの指導をしてるシーンがある。こんな話だったか。

 しかし、兄が急死し、夏休みに寺に戻っているうちに父親に勝手に辞表を送られ、僧侶になる。兄嫁の南田洋子が好きで、父親に一緒になれと言われて、一度はマジメな僧侶をめざすが、父親も死に、「葬式坊主」を続けながら、本堂再建資金も集めなければ…と言ううちに競輪にはまってしまう。で、いろいろあって、どんどん「堕ちていく」中で解脱は得られるか。場内大爆笑のラストに至るまで、快調に飛ばしていく。直木賞作家で、実際にギャンブル好きで知られた寺内大吉の原作をうまく生かしている。実際の寺内は、浄土宗の宗務総長を経て、増上寺貫主まで務めた人物だから、こういう話は自分の精神的安定のために書いていたのか。

 西村昭五郎は、その後日活青春映画などを何本か撮るがあまりパッとしない。ロマンポルノになって「団地妻」シリーズが大ヒットして、日活の救世主になった。ロマンポルノを一番撮った監督である。団地妻シリーズに主演し、ロマンポルノの女王と呼ばれたのが白川和子だが、1973年に結婚して引退する。記念映画が「実録白川和子 裸の履歴書」で、ポレポレ東中野で上映。曽根中生監督に加えて、途中から白鳥あかねさん(スクリプター、シナリオライター)に話を聞く。
(曽根中生監督)
 曽根監督はシネマヴェーラ渋谷が2010年1月に特集を組んだときは、「行方不明」と言われていた。映画界を去って四半世紀経ち、大震災後の2011年の湯布院映画祭にゲストとして現れた。大分県臼杵市でヒラメの養殖事業に携わっていたという。曽根監督は「嗚呼!花の応援団」シリーズや「博多っ子純情」などでも知られるが、初期ロマンポルノを支えた監督の一人でもあった。最近は映画のトークなどで上京することもあるが、貴重な機会だと思い話を聞いて置きたかった。なんだか東国原某氏のような風貌で、ボツボツと思い出を語る姿は印象的だった。まさに人様々、いろいろな人生を垣間見るような、トークショー三昧だった。
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追悼・高野悦子

2013年02月15日 00時12分47秒 | 追悼
 岩波ホール総支配人高野悦子(たかの・えつこ)さんが9日、大腸がんで死去した。83歳だった。1929年、旧満州生まれ。52年、東宝入社。映画づくりを志して58年にパリ高等映画学院に留学。帰国後、助監督などで現場を経験した後、68年、岩波書店の岩波雄二郎さんが義兄だった縁で、東京・神田神保町に開いた岩波ホールの総支配人に就いた。(朝日新聞)

 岩波ホールで映画上映が定例化したのは、1974年である。僕はその年から通っている。最近こそ行かない映画もあるのだが、74年のサタジット・レイ「大地のうた」3部作から現在上映中の「最初の人間」まで、ほぼすべてに近い映画を見ている。それは興味深い映画を上映するからではなく、(そうだったのは80年代頃までの話)、文化運動としての「エキプ・ド・シネマ」を支援したいという気持ちからである。まあ、家からあまり遠くないということも大きいが、岩波ホールの映画は基本的に全部見ることにしていたのである。(退職後は、主に経済的な理由で、無理してまで見なくてもいいというスタンスに変えたが。)

 「エキプ・ド・シネマ」、つまり「映画の仲間」という会員組織にも、第1期から全部入っている。最初は一緒に始めた東宝東和の川喜多かしこさんの方が著名で、高野悦子さんのことは良く知らなかった。だんだん本を著したり、また東京国際映画祭が始まると「国際女性映画祭」をその中の企画として成功させ、高野さんの存在感が大きくなって行った。ついには「文化功労者」にも選ばれた。最近は「文化」の範囲も広くとらえられるようになり、横綱大鵬が選ばれたり、漫画界から水木しげるが選ばれたりしているが、映画上映運動(に限らず劇場等の支配人)から選ばれるというのは空前絶後のことではないかと思う。

 女性映画祭も僕は毎年のように一本くらいは見ている年が多いが、それより70年代半ばには演劇上演が何回か行われていたことも重要である。(白石加代子の「百物語」シリーズを考えれば、最近もあるわけだが。)「トロイアの女」「バッコスの信女」などは素晴らしかった。しかし、今考えれば舞台が小さいという問題はあっただろう。鈴木忠志が富山県利賀村に行ってしまったことが大きいのだと思うが、岩波ホールの演劇上演が70年代に止まってしまったのは残念なことだと思う。

 今でこそ岩波ホールはほぼ地下鉄神保町駅の真上にあることになる。しかし、74年当時はここは「陸の孤島」に近かった。だんだん都営地下鉄三田線、同新宿線、さらに東京メトロ半蔵門線が開通し、今は3線が乗り入れているが、昔はいずれも出来ていなかったのである。僕の家からは、東武線で北千住へ出て、そこから地下鉄千代田線に乗り換え、新御茶ノ水駅から歩く。これが今でも一番近い。このルートが出来て、家から御茶ノ水一帯が行きやすくなったので、僕は小学生時代から三省堂、書泉、東京堂などの大型書店に行くのを楽しみにしていた。ちょうど岩波ホールの映画上映が始まった時、僕は御茶ノ水に通っていた。浪人で駿台予備校に行っていた時代。だから岩波ホールは行きやすかったけど、最初のインド映画「大河のうた」(サタジット・レイ)単独上映には行ってない。この映画は「大地のうた」の続編にあたるので、前篇を見てないから行きにくかった。続いて三部作まとめての上映があったので、確かそれが最初の岩波ホール体験だと思う。

 岩波ホールの功績は、こういう形のアートシネマの「ミニ・シアター」を日本に根付かせたことにつきる。4時間もするギリシャ映画、アンゲロプロスの「旅芸人の記録」を79年に公開したことなどは、映画に止まらない「文化的事件」とでもいうべきものだった。2作目の「アレクサンダー大王」も岩波ホール。だが、次の「シテール島への船出」は、今はなき「シネヴィヴァン六本木」で上映された。80年代になると、セゾン系映画館が出てきて、さらにシャンテ・シネ、シネマライズ渋谷など、世界の映画祭で受賞したような映画は岩波以外で上映されてしまうようになった。高野悦子と言う人がいて、先駆者の役を務めたのだと思っている。

 初期のプログラムを見ると、ベルイマンレイワイダフェリーニなど著名な巨匠の名前が並んでいる。それらの中で、特筆すべきはヴィスコンティの「家族の肖像」で、今ではヴィスコンティの新作が公開されていなかったのは信じられないのだが、当時は「ベニスに死す」が当たらず敬遠されていたのである。「ルードヴィヒ」「熊座の淡き星影」など未公開の重要作も岩波で公開された。岩波ホールを通してヴィスコンティはブームを呼んで、一般映画館でも上映されるようになった。こうして、70年代の挫折と内向の時代に、世界のアートシネマ上映を通して風穴を開けて行ったのだと思う。

 また、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、東ヨーロッパの映画をたくさん上映したこと女性監督記録映画、他では上映されないような社会派映画、未公開のままだった歴史上の名画などもたくさん上映している。中国映画の「芙蓉鎮」、黒木和雄監督が井上光晴原作を映画化した「TOMORROW 明日」(長崎の原爆投下前日を描く)、今度再公開されるアメリカ映画「八月の鯨」がラインアップに並んでいる1988年頃が、岩波ホールの映画は映画ファンでなくても見ておかなくちゃみたいな感じが一番強かった時代ではなかったか。

 こうして、岩波ホールの映画上映運動が観客を育て、必ず見る観客を作っていったと思う。しかし反面、いかにも「岩波的」というか、多少カラカイ気味に「岩波知識人」と言ったりするのと同じような、「岩波ホール映画」とでも言うような、マジメで世界の情勢や社会問題、女性問題や高齢者問題をお勉強するような映画が多くなって行ったという感じもしていた。だからいつ行っても、若い人が少なくなり(自分も日々若くなくなっていくわけだが)、高齢の女性観客割合が高い映画館になっていた。

 他にもアートシネマをやってくれる映画館が増え、岩波ホールの映画が今一つ面白くなくなっても、僕が岩波ホールに行き続けたのは、岩波ホールが「エキプ・ド・シネマ」という運動であり、先駆者である高野悦子さんに感謝の気持ちを持ちつづけ、個人的な顕彰運動をしていたからである。多分そういう気持ちで、岩波ホールの映画は見ておこうと思っている人も多いと思う。

 岩波ホールで公開された映画で、あまり触れられない映画について最後に書いておきたい。まずは、つい最近訃報が伝えられたポルトガルの映画監督パウル・ローシャである。ポルトガルのヌーヴェルヴァーグと言われる瑞々しい青春映画「青い年」「新しい人生」が60年代に作られ、ヨーロッパでは評価されていた。この2作が80年に岩波で公開されたあと、ローシャは日本で映画を作る。明治時代に来日し、最後は徳島に住んだ文筆家モラエスを映画化した「恋の浮島」である。これは立派な映画だったが、あまり評価されなかったのは残念である。

 もう一人、セネガルの映画監督、ウスマン・センベーヌも忘れられない。ブラックアフリカの映画はほとんど商業公開されない中、「エミタイ」「チェド」「母たちの村」と3作も公開されている。現代アフリカを代表する映画が公開されたことは、非常に重要な功績ではないか。また、トリュフォーの「緑色の部屋」は死者に取りつかれたような人間を描く問題作で、大変美しい映画で大好きなのだが、岩波で公開された後、どのトリュフォー特集でも上映されない。日本映画では村野鐵太郎監督が森敦の原作を映画化した「月山」が素晴らしかった。また、小栗康平監督の「眠る男」も大変な傑作だと思うが、韓国の名優アン・ソンギに眠るだけの男を演じさせて話題になった。このように、なかなか他で上映できない数々の素晴らしい映画を上映したのが岩波ホールだった。

 ちなみに、岩波ホールで公開された映画の製作国を書いて終わりたい。ほとんど見たことがない国の映画が多いのではないか。というか、どこにある国か、判るでしょうかという感じである。
 インド、エジプト、日本、フランス、スウェーデン、ブルガリア、アメリカ、イタリア、ソ連、ハンガリー、コートジボアール、グルジア、ルーマニア、デンマーク、ギリシャ、ポルトガル、ポーランド、ベトナム、セネガル、ドイツ、ユーゴスラヴィア、ニカラグア、トルコ、アルゼンチン、中国、イギリス、インドネシア、コロンビア、韓国、カナダ、キューバ、インドネシア、タイ、オランダ、ボスニア、香港、フィリピン、イラン、イスラエル
 この驚くべき数の多さ。やはり単なる映画館というより、民間の文化交流運動と言うべき仕事をした人だったと言う思いがする。(2022.1.13一部改稿。トリュフォー監督「緑色の部屋」はその後全作品上映などで見られた。岩波ホールは2022年7月で閉館すると1月に発表された。)
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「体罰」なきのみをもって「善し」とはせず

2013年02月14日 00時13分34秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 「体罰」の問題に戻って。この問題も早く書き終わって、本や映画、国際問題などを書きたくなってきたが、「体罰の『体』問題」や「暴力そのものの考察」、「歴史認識としての体罰」「教員の成績評価制度の問題」などと続くと、あと数回は必要。そういうことを書いてるうちに、自分自身の体罰論を書くのが億劫になってくる気がするので、先に書いてしまおうかと思う。

 僕は「体罰」という名の「私的制裁」は、今は「教員は身を守ることが優先の時代」になっている以上、必ず避けるべきだと思っている。早期退職だろうが定年退職だろうが、何十年も勤めれば2000万以上には退職手当が出ることを考えると、家族の顔も頭に浮かべれば、生徒にバカにされようが、部活で負けようが、それがなんだというのか。こういう言い方は批判されるかもしれないが、世の「教師批判」は政治的思惑を持って行われているので、標的にされたら助からない。いじめでも体罰でも、一度問題化してしまったら、管理職は自分が助かるために平気でウソの報告をして、現場教員は切り捨てられる。僕はそのように認識しているので、残念ながら、そこまで考えて「身を守る」必要がある。諸書類の提出、もちろん教員免許の更新等は、部活指導や補習などに優先して処理しておかなければいけない。落とし穴はどこに仕掛けられているか判らない、そういう時代なのである。

 ところで、「体罰」というか、「暴力による生徒指導」を完全に否定できる教員も、正直に言うならばほとんどいないはずである。僕が書いている「私的制裁」が行き過ぎると、「私刑」(リンチ)に近づいてしまう。これは刑法上の傷害罪に他ならず、正当化することは全くできない。しかし、「体罰」的要素を持つ「私的制裁」はありうる。それは「量刑の平等性」が確保されたうえで、「あの先生は忘れ物をしたらゲンコツ一回だ」などとなっている場合である。これは望ましい「良い指導法」ではないと思うが、こういうのはよくあったはずだ。それは「体罰が効果をもたらす現実」があるからである。生徒は内心不満をため込んでいるとは思うが、嫌なことは避けたいから気を付けるという効果はある。(ただそれで効果をあげる生徒は、言葉で注意することで同じ効果が期待できる。)一方、もう一つの類型として、「思わず手を挙げてしまう」というのがある。それは生活指導や部活動で起こりやすい

 結局のところ、教師も生徒も人間なのだから、全くどうしようもない言い逃れやヘリクツを並べ立てる生徒を前にすれば、熱心な先生ほど「怒り心頭に発する」こともあるはずだ。ぼくはそういう現実があることは否定できないので、「一度も体罰をしたことがない」などと自分がいかにも理想的な指導をしてきたかのように語る教員は信用していない。教師は、理想的な教員として、理想的な学校に配置されるわけではない。右も左もよく判らぬ新米教員として、いじめや対教師暴力、暴言のはびこる学校に採用されたとしたら、一番下っ端の教員に何ができるのか。「大学では体罰は禁止と教えられました」と言うのか。あるいは、見て見ぬふりを続けるのか。それとも、体を張って生活指導をしている教員にならって、自分も体罰を始めるのか。それとも「問題生徒」の中にとびこみ、徹底的に話を聞く役を演じるのか。そういう現場を知らずに教員生活を続けていける幸福な教員は別だが、今50代、60代の教員なら、そういう修羅場の時を知ってる人も多いのではないか。今のような少子化時代ではなく、ちょっと前までは「第二次ベビーブーム世代」が学校にあふれ返り、生活指導も進路指導もムチャクチャ大変な時代だった。

 例えば、こういう生徒がいたとする。成績もよくスポーツも得意で、級友の信頼も厚いためクラスの選挙で男子学級委員に選ばれた。ところが「マジメにコツコツ」が苦手で、というか学力も運動神経も抜きん出ているので、塾や少年スポーツしか一生懸命にならず、学校では手を抜いているのである。そこで清掃の時間なんかは、率先してさぼりまくり、女子に大変な役を押し付け、自分は男子を引きつれ、毎日ほうきでチャンバラをしている。だから担任は、毎日注意をしている。学級委員で男子のリーダーが先頭に立って遊ぶので、男はマジメに掃除をしなくなる。女子の不満も爆発寸前である。「先生がちゃんと注意しないから男子がさぼって困る」と訴えてくる。そこで担任はその生徒を「学級委員が先頭に立って掃除をさぼってていいのか。恥かしいと思わないのか」と語気もきつく注意したわけである。そうしたら、その生徒は「みんなサボってるのに、先生は何で僕だけ注意するんですか。僕が学級委員だからですか。それだったら、それは「差別」なんじゃないですか。みんなサボってるんだから、同罪で同じように注意して欲しいと思います。第一、なんで僕たちが掃除しないといけないんですか。僕の親はちゃんと税金を払っているんだから、清掃業者を学校でお願いするべきじゃないですか。生徒が掃除するなんて、そんなの日本だけだと思います」とか何とか言い張るわけである。

 この生徒の気持ちが判らないわけではない。これで掃除まで一生懸命なら優等生すぎるので、あえて女子の嫌われ者になるというのも思春期の行動として自然だろう。勉強も運動もできるのだから、掃除くらい一緒にさぼらないと、男子の中で居場所がなくなるかもしれない。しかし、学級委員が女子に掃除を押し付けているのは良くない。すいませーーんと言って、注意されたらさっさと掃除をして終わりにした方がいい。ヘリクツを言い立てるから、担任も女子の声を受けて引けなくなるわけである。こういう場合、親を呼んで一緒に考えようなんてしても逆効果である。そういう親に限って、「先生はなんで、そうじのことだけで連絡してくるんでしょうか。学校は学習だけしっかりやってくれればいいと思っています。何でも他の生徒も一緒にさぼっていたとか。うちの子だけ特に怒られてると子供は言ってますが、先生の対応はおかしいんじゃないですか」とか言うに決まってる。「うちの子は確かに学習も運動能力も恵まれていると判っています。そういう人間は、生活面でもしっかりしないといけないと、常々「ノブレス・オブリージュ」をしつけているつもりなんですが、行き届かなくて恥ずかしいと思っています」なんて言う親が日本にいるわけない。

 
 こういう場合、ヘタすると教師と生徒でヘリクツ合戦になってしまい、消耗戦が始まってしまう。それくらいなら、ふざけてんじゃねえとゲンコツ一回お見舞いして、それでオシマイにした方がお互いずっとすっきりする場面があるだろうと思う。今の場合は、まあヘリクツに対抗する「体罰」という場合だが、成績もよく顔も可愛い女子が、裏でいじめの張本人だということもある。はっきりした証拠を付きつけても、言い逃れして絶対に認めない。顔もまともにあげず、明らかに反抗的な姿勢を示している。そういう卑劣な行為を止めるためには、担任が悪者になるしかない。お前のやったことは絶対に認めない。一発ビンタして今回は終わりにするから、二度とするんじゃない。いいか。では、歯を食いしばれよ、と声かけて、一発張り手をするということが、良い指導法であるとは思わないが、僕は絶対にないとは言えないと思う。大人が怒ってることを判らせるためには、暴力を使わないと判ってもらえない場面があるのが、日本社会の現実ではないかと思うのである。

 そういうことが一回もない教員人生なら、いいのだろうか。男の教員である程度大変な学校を何校も経験していれば、そういう場面に何回かぶつかったことがあるのではないか。そういう場面を経験しないで済んだ教員は以下のようなことが考えられる。初めから体罰が無理なような女性教員は除く。(女性教員で「体罰」を行う人も結構多いと思うけど。)
①体罰の必要もないくらい生徒の能力が高く、落ち着いている学校の場合。(進学高校を渡り歩いた場合)
②もはや誰も立て直しようがないくらい学校が荒れてしまい、生徒の暴力はあっても、教員側で押さえられないような学校。
③一部の教員の「暴力的指導」に生徒が脅えていて、他の教員はその傘の下で自分は体罰をしないで済んでいる学校。
④学校の性格上、教師が暴力を使ってはならないような生徒が集まっている学校。

 もし、そういう学校でなければ、特に「いじめ」「校内暴力」が多発した80年代の中学を経験したことがある教員ならば、自分が被害者になったことも加害者になったこともある場合が多いと思う。仮に自分が「体罰」をしていなくても、他の教員が暴力を振ったり振るわれたりしたケースを見てしまい、心痛む思いをしたこともあるのではないか。そういう中で「体罰」を行うのは、やはり「熱心な教員」であるということが多いという事実がある。熱心でなければ、そこまで体を張った指導はしない。熱心な教員でなければ、生徒は誰も付いてこない。暴力があっても付いてくる生徒がいるのは、やはり熱心さはあるのである。そうすると、他の教員は、自分はそこまで熱心に指導しているのだろうかと自問自答しないわけにはいかない。個々の教員がバラバラに頑張らさせられれば、中には熱心さが力の指導に頼る場合を生むこともある。それが「暴力のエスカレート」に陥りやすい。

 だから、自分の場合も、暴力的指導を一回もしていないという風には言わない。一回もなかったという教員は忘れてしまったのである。あるいは、そこまで熱心でなかったか、たまたま恵まれた学校ばかりを回ってきた「教員の特権階級」なのである。僕はそう思っている。(「夜回り先生」水谷修さんも、体罰の経験はないとブログに書いて、いや俺は殴られましたよと卒業生から言われたと書いている。)だけど、体罰経験があるということは、そういう大変な時代もあったという証ではあるが、別に誇るべきことではない。もっとうまく指導する力が自分になかったか、自分も未熟で感情的になってしまったかである。反省の材料でしかない。

 そしてやはり、体罰に限らず「力による指導」は、教員集団を引き裂き、生徒の心を遠ざける。一回の体罰だけなら、かえってすっきりした関係になることはありうる。しかし「継続的な暴力」になれば、それを止められない周りの教員も周りの生徒も皆傷を負ってしまう。教員集団の誰もが力の指導をできるわけではないから、力で押さえることが優先の学校では、「生徒が言うことを聞く先生」と「暴力を使わないから生徒が言うことを聞かない先生」に、学校が分断されてしまいやすい。そして、「体罰で生徒を押さえている教員」は、他の教員がだらしなくて強い指導ができないから自分が憎まれ役をやってやってると考えて、周りの教員に不信の念を強める。こうして学校がバラバラになっていくのである。こうなってしまう学校と言うのは、管理職の指導力が不足しているということではないかと思う。

 さて、長くなってしまったが、日本の現実の中で教師は指導して行かなくてはならない。大津市のイジメ事件では、学校や教育委員会が襲われたり非難された。大阪市立桜宮高校では、関係ない生徒が嫌な目に合っていることもあるようだが、この学校のガラスが割られたという事件もあった。学校のガラスに「体罰」を加えたわけである。このようにイジメや体罰が問題化すると、今度はその学校がイジメや体罰の対象になってしまうくらい、日本社会には暴力の根深い衝動があるのである。そういう中で、ただ「体罰をしなかった」というだけで、僕はそれがいい教員である証になるという風には思っていない。人生の中に数回、強い指導をせざるを得ない場面に遭遇することもあるし、そのときの指導のあり方があれで良かったかどうかと悩み続けるという方が自然な教員人生だと思っている。ただ、そういう場面の話ではなく、一般的な指導のあり方を論じるとすれば、やはり生徒が自ら考えて行けるような心の指導を心がけて行かなくてはならない、というしかない。しかし、教員集団が連帯して生徒に一致して「心の指導」をできる学校がどれだけあるだろうか。タテマエではなく、現実の学校現場を考えていくとするなら、「体罰がないというだけで、いい教員だというわけではないだろう」と思っているわけである。

 そして最終的には、加害者であれ被害者であれ、教師が「暴力」に直面した時に、生徒が味方になってくれるかが分かれ目なんだろうと思う。「あれはやり過ぎだ」と他の生徒に思われるか、「あの場面は生徒の方が悪い」とその生徒の友人も「早く先生に謝りなよ」と忠告してくれるか。
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都教委の震災碑文改ざん引用

2013年02月12日 23時29分36秒 |  〃 (歴史・地理)
 1月25日付で、「都教委、関東大震災の朝鮮人虐殺事件を否定」という記事を書いた。この問題について、在日本大韓民国民団(民団)東京地方本部が、2月7日に都教委に抗議文を提出した。その事と別に、最近この問題で非常に驚くべきことを知った。都教委が「引用」したとする「碑文」が間違っているというのである。そのことは、2月2日付で発行された「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」の「会報144号」に掲載された矢野恭子さんの文章で知った。僕はビックリしたのだが、書くのは現物の碑文を確認してからにしたいと思っていた。今日ようやく、墨田区の横網町公園に行って確認できたので、報告しておきたい。

 簡単に経過を振り返っておけば、都教委は日本史を独自に必修化し、「江戸から東京へ」という独自教科書(副読本)を作成した。その必修化、あるいは「江戸から東京へ」という本そのものの問題もあるが、それは一応置いておく。今回都教委はその本の文章をいくつか変更することにして、ホームページで公表した。その中に、史跡紹介のコラムの中で、「(前略)大震災の混乱の中で、数多くの朝鮮人が虐殺されたことを悼み(後略)」と書かれていた部分を、「(前略)碑には、大震災の混乱の中で『朝鮮人の尊い生命が奪われました』と記されている。」と変更するとされたのである。

 これは「地の文」から「虐殺」という言葉を削除し、紛れもない虐殺事件を否定するという意味を持つと考え、ブログの前記記事で批判したわけである。ところで、その時点では碑文の引用という形にした以上、またカギカッコ(「 」)を使用している以上、そこで書かれている文章は碑にあるものをそのまま書いたのだろうと思い込み、確認まではしなかった。いくら都教委とはいえ、まさかカギカッコの中の文章が碑とは異なるとまでは考えなかったのである。

 では、実際の碑文を見てみたい。
 「一九二三年九月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のために六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災五十周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。
 この事件の真実を識ることは不幸な歴史をくりかえさず、民族差別を無くし、人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。
 思想・信条の相違を超えて、この碑の建設に寄せられた日本人の総意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。」
 
 比べてみれば、碑文=「朝鮮人尊い生命奪われました」
            引用=「朝鮮人尊い生命奪われました」
 
 確かに碑文と都教委の引用は「微妙に違っている」のである。「文意は変更していない」と言い逃れするかもしれないが、カギカッコを使っている以上、それは通らない。カギカッコは、中身の文章の評価とは別に、元の文章を引用する時に使うものである。論文でなくても使用法は変わらない。

 これは意図的な「改ざん」ではないだろうか。引用された部分は文章全体から見ればごく一部である。この碑文全体を見れば、朝鮮人が生命を奪われたと言いたいのではなく、それは碑を作る以上自明の前提であって、「あやまった策動と流言蜚語のため」に朝鮮人が生命を奪われたと伝えることが主たる目的であることが明らかだ。つまり、虐殺の起きたきっかけを明示している。この「あやまった策動と流言蜚語」という書き方は、その後の研究の進展からすれば、今では不明瞭すぎるかもしれない。

 でも公的な施設内に建造する時は、配慮を要する場合もある。都教委による引用は、その前段部分を全く削除している。そうすると、「きっかけがあって」「朝鮮人が生命を奪われました」という文章の一番最後の部分だけを取り出すと、文章として「こなれていない」「途中だけ引用した」感じが強くなる。そういう感じをなくすために、わざわざ助詞を改ざんしたのではないかと考えられる。

 これは「間違った引用」である。今回の変更を変えないとしても、カッコ内が正確な引用になるように、訂正する、または訂正文を配布する必要がある。それにとどまらず、誰がこのような引用をしたのか碑文にきちんと当たったのかわざと変更したのかどうしてチェックできなかったのかなどを追及していくべき問題だと思う。

 なお、東京都立横網町公園には「復興慰霊堂」「復興記念館」などがある。ここは関東大震災時に3万8千人が焼死したといわれる陸軍被服廠の跡地で、震災の慰霊施設であると同時に、関連の記念物を公開している。そこに空襲による戦災被害者の慰霊も加わって、両者のための施設になっている。東京大空襲については、別個の平和博物館の建設を求める声がずっとあるが、実現していない。ということで、近代東京の2大惨事である関東大震災と東京大空襲の記憶が同居しているのである。

 ここは「東京の人なら誰でも一度は行っている」「東京の子どもたちは社会科見学で必ず訪れる」場所ではない。全くそういうことはない。多分多くの人は一度も行ったことがないだけでなく、存在も知らないのではないか。自分も授業で紹介したことはあるが、行事等で引率したことはない。ここには被害児童を慰霊する「悲しみの群像」もある。これは東京市の小学校長会が1931年に建造したもので、戦時に金属として回収され戦後に復元された。この「悲しみの群像」建造に当たっては、様々な意見があり紆余曲折したこ。(椎名則明「関東大震災を記憶する」『歴史地理教育』2012年9月号)を参照。)
 
 この公園の場所は総武線、都営地下鉄大江戸線の両国駅北口から5分程度江戸東京博物館国技館安田庭園なども近い。南口には回向院や吉良邸跡もあり、歴史散歩に恰好の場所だ。
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「体罰フィフティー・フィフティー論」の間違い

2013年02月12日 00時57分08秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 この間「体罰」に関する議論を見ていて、僕が一番おかしいと思ったのは「体罰フィフティー・フィフティー論」である。これは朝日新聞のスポーツ欄1月30日付の「スポーツと体罰 番外編」という企画の中に書いてあった。「ある高校の球技の監督は練習中に生徒を殴る。一度に数十回殴ったこともある。『生徒たちも一生懸命でないから指導された、と分かってくれている部分が大きい。体罰は一方的だと言われるが、私はフィフティー・フィフティーと思っている。生徒が公にすれば私は職を失うわけです。生徒はそれを分かった上でついてきてくれている。1発で暴行になるのか、10発でも愛のムチだと思ってくれるか、結局は信頼関係」

 これはないだろうと思う。いや、指導力のある教員が暴力を振うが、生徒は信頼してついてくるということはあるだろう。指導される方にも力の差があり、この顧問の指導について行き、自分も評価されるような成績をあげ選手として認められたいと思う生徒はいる。でも、そうでない生徒もいる。強い部活で、それを承知で頑張るつもりで入学してきた生徒でも、ケガしたり人間関係に悩んだりして、なかなか部活に集中できないこともある。実力差もやる気も様々な生徒を「一生懸命でないから」と言って暴力でやる気を出させようという発想は、「教育」とは言えない。

 そういう問題もあるけど、「それを公にすればその先生が職を失うという情報」と「暴力」が、フィフティー・フィフティーで「対等の関係」だと思っているということが間違っている。そんな情報を持たされたら、生徒の心は真っ暗でものすごい負担である。「おれはこれから体罰をするが、おれの指導を信頼できないと思ったら、教育委員会なりマスコミなりにばらして、おれをクビにしてもいいぞ」と思いながらやる「体罰」が、対等の関係のはずがない。これは典型的な「パワハラ」的な発想である。こんなことをされたら、暴力そのものも嫌だろうが、その際の「信頼関係があるからおれのことを密告しないよな」という上からの思い込みの方が生徒に嫌な感じを与えるだろう。

 生徒からすれば「密告」は非常に大きな負担である。校内に信頼できる教員がいればいいが、これほど指導力に思い込みのある教員を注意できる人は、管理職でもそうはいないだろう。うっかり相談して、お前がもっと頑張れと突き放されたら、その学校で居場所がなくなる。では、教育委員会やマスコミに訴えればいいかと言えば、その場合は自分の身をさらして「清水の舞台から飛び降りる」決心が必要だ。精神的負担をおいても、それに取られる時間を考えるだけで、心がなえてくるというのが普通の生徒だろう。顧問の教員にも家族がいるだろうから、自分が「体罰」を公にした結果本当に失職でもしたら、生徒の側も一生心の負担である。強い者(上司など)が「セクハラ」をしてきて、「訴えたければ訴えればいいよ」というのは、パワハラそのものでしょ。セクハラを公にすれば上司も飛ばされる、だから「セクハラはフィフティー・フィフティーだ」と主張するとすれば、どれだけ非常識か判ると思う

 こういうのは、典型的な「冷戦思考」だと思う。双方に「マイナス」があれば、それで「恐怖の均衡」が保たれるだろうという考え方である。貿易や文化交流などでは、今は「wín-wín」(ウィン・ウィン)関係でないといけないだろう。片方が一方的に利益を得るのではなく、両方が勝つという関係である。「教師には暴力があるが、生徒は公にすれば教師を失職させられる」というのでは、「zero-sum」(ゼロ・サム)関係である。これはこれで「対等」かもしれないが、現代の教育では間違っている。

 このような主張は、その指導で傷ついた生徒を思いやることがないからできるものだと思う。学校と言う場で教師が誰をも何ら傷つけずに仕事をすることは不可能だと僕は思っているが、それでも「弱い側」の存在を思うことは大事だ。教師の暴力、パワハラで心に傷を負う生徒はいっぱいいる。特に部活で高校に進学して、途中で挫折した生徒は誰にもケアされず、自分が弱かった、自分が下手だったと思って悩んでいる。高校によっては、退部したら事実上退学せざるを得ないような高校もある。強い部活で教師についてこられた生徒はいいけど、そうでない生徒は必ずいて悩んでいる。教師と言う存在は、「できる生徒」と「できない生徒」では、別のものに見えている。そのことを忘れてはいけない。同窓会なんかで話していると、そういう見え方の違いに気付かされたりする。教員はできる生徒だったことが多いわけで、勉強ができない生徒、運動神経がない生徒、絵や音楽が不得意な生徒の気持ちがなかなか判らない。肝に銘じて置かないと、思わず強者の主張をしてしまい、自分が強者だということにも気づかないでしまう。この「体罰フィフティー・フィフティー論」は典型的な例ではないか。
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「体罰」と「私的制裁」の間

2013年02月10日 23時38分47秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 「体罰」の問題について、「『体罰』の本質は『DV』である」を書いた後、早期退職問題や映画などを書いてて話が途中になっている。この問題について何回か書いてみたい。まず、「学校内で起こった暴力事件を全部、体罰と呼ぶ」という定義で話が進んでいるような気がするのだが、それでいいのだろうか。「暴力」と「体罰」は違うのではないだろうか

 「体罰」という言葉の「」は「身体に対して直接加えられる」という意味である。これも考える問題があると思うのだが、それは次回以後に。「」は「罪に対して償いの意味で課される刑」と一応書いておきたい。刑罰の本質が、応報か教育かという問題は刑事政策上の大問題だが、「体罰」の場合は「応報でもあるが、本人にとっては教育の意味を持つ」ということになるだろう。そうすると、「罪」があることと「刑の平等性」があることが「体罰の前提」であるはずだ。

 戦前の小説や映画なんかを見ると、「授業中に騒ぐ」「宿題をやってこない」「そうじをさぼる」などのルールに反した行為があると、よく「水をいっぱい入れたバケツを持たせて廊下にたたせる」なんてことがあった。こういうのが本来「体罰」というものだろう。大体、授業中だけのつもりが、教師が忘れて放課後ずっと立ちっぱなし…といったドラマが起こることが多い。授業や清掃などで迷惑な行為があると、それは悪いことだという了解が教員と生徒集団の間に存在する。そういう「罪」が犯された場合は、大体「廊下に水バケツで立たせる」罰になる。そういう「量刑の平等性」もまあ承認されていた。その「刑罰」は明示されてはいないが、大体一定の時間に限られている。「しばらく立っとれ」と言われたまま、教師が職員室へ戻ったら他の仕事が入って立たせてる生徒を忘れてしまう。今度は忘れた教員の方に非があある。いやあ、すまんすまんという展開になる。大体の了解として「しばらくしたら教員が戻ってきて、これからはしっかりやれ」と言って解除する運びに決まっているわけだ。そういう「量刑の平等性」を皆が了解していないと「体罰」は機能しない

 よく「イギリスでは体罰が認められている」という人がいる。伊吹衆議院議長もそういう発言をしている。いやイギリスでは禁止されたという話もあるし、一部復活したという話も聞く。アメリカの一部の州でも体罰は容認されているようだ。そういう世界の事情はよく判らないが、はっきりしているのは、それは「正式の体罰」であるということだ。つまり学級担任または教科担任の訴えをもとに、校長が生徒を呼び出し話を聞いて、校長の権限で「ムチ打ち5回」などと決めて校長自身がムチを振う。多分多くの場合、そうなっているのではないかと思う。つまり、「犯罪」のあとに「事情聴取」と「刑罰の言い渡し」がある。これは「刑罰」の最低限のルールだろう。正式の刑事裁判ほど厳格なルールはないけれど、少なくとも保護者には事前連絡され、本人や保護者の言い分は聞く。日本ではそういう意味では、「体罰」は確かにない。「体罰は禁止されている」わけだから、校長が正式に言い渡す「体罰」はありえない。諸外国で「体罰を認めている国もある」などと言っても、教科担任や部活顧問が誰の意見も聞かずに、勝手に暴力を振うことを認めている国はないだろうと思う

 刑事事件の場合で考えてみたい。まず「刃物を持って暴れている男がいる」という通報が警察に入る。警官隊がやってきて、男を取り押さえる。これは「暴力」を振う現行犯を「暴力」で押さえこむわけだが、このとき「銃」や「警棒」が使われたとしても、基本的には合法であり「職務の遂行」である。(不必要だったりやり過ぎな銃の使用だとして、警官が殺人罪等で起訴される例はかなりあるが。)その後、身柄を確保された容疑者を逮捕、勾留して強制的に取り調べる。起訴後も重要事件の場合は裁判終了まで拘置される。これを個人が勝手にやれば「不法監禁」だけど、裁判所が認めた逮捕や勾留、拘置という「国家権力による暴力的監禁」は合法で、普通それを暴力とは言わない。その後、裁判で刑罰が決まり、懲役15年などと決まる。甚だしい場合は死刑である。こうして罪は「体罰」によって償われる。罰金だって払わない場合は拘留されることになるので、結局国家の刑罰は「体罰」なのである。(死刑を存置している日本という国家は、「体罰」を制度化している国である。)

 ところで、以上のような「暴力」によって支えられた法秩序体系を持つ日本(だけでない近代国家)は、システムとしての司法機関が機能している限り、それを国民は「暴力」とは認識しない。しかし、では逮捕時の警官個人が「お前みたいなヤツは、生きて裁判を受ける資格なんてない」と言って射殺してしまったらどうだろう。今度はこの警官の方が犯罪者である。システムの一員として銃の使用を許可されることはあっても、警官が個人の考えで刑罰を執行してはならない。取り調べ時に「いつまで黙ってるんだ」と殴ったり椅子を蹴ったりするのはどうだろうか。これは「拷問」であり、憲法で禁止されている。しかし、戦後もかなり行われてきたし、強圧的、威圧的取り調べは現在でも珍しくない。しかし、明るみに出れば警官の方に非があることになる。警察、検察は否定して、やったやらないの議論になり裁判所は認めないことも多いが、はっきりした証拠で暴力や威圧的取り調べが証明されたら警官の犯罪となる。

 さて、こういう司法システムを見ていくと、今「体罰」と呼ばれているのは、警官が裁判を待たずに勝手に射殺したり、逮捕時にやり過ぎ的に殴る蹴るの暴力を振う場合にあたるのではないか。それは「体罰」ではなくて、「私的制裁」というべきだろう。また取り調べ時に教員の方が激昂して殴りつけるというようなものも「拷問」と捉えることができる。学校に認められた合法的な「懲戒権の発動」だというためには、言い分を十分に聞く事情聴取、校長等の責任者による言い渡しや罰の執行、保護者への連絡と同意などが最低限必要だろう。そして実際、いじめ、ケンカ、喫煙等の事件が起こった時、暴力を使わず事情聴取をして、保護者に連絡の上、謹慎、反省文等の罰を言い渡すことをしている。ところで、それらの場合はいじめや喫煙が校則に違反していることははっきりしている。従って、教師が例えば喫煙している生徒を見つけたら、勝手に殴りつけて終わりにしたりはしない。そういう「個人プレー」はやってはいけない。ちゃんとした指導のルールが決まっていて、生活指導部や学年教員団が事情聴取や保護者連絡を行い、決められた検討を経て校長が罰則を決める。一方、今「体罰」と問題化しているケースのほとんどは、部活の試合でのミス、部活練習中の気合い等、そもそも「罪」ではない、校則上定められていないことを問題にしている。だから、そもそも「体罰」の対象になるはずがない。教員の側の思い込みによる「指導という名の私的制裁」なのである。

 一方、考えておかないといけない問題がある。「体罰も必要な場面もある」という人がいるのは、そうしないと「教室内の秩序が保たれない場合もある」「ケンカしている生徒を分けるため力で引き離す場合はどうか」などと言うのである。常識で考えて、教室を抜け出してさぼろうとする生徒を引きとめて、手や体をつかんで座らせようとする行為が「体罰」のはずがない。今、教師が生徒の身体に触れて強制的に座らせようとすると、「体罰だ」とか(男性教師が女子生徒に行うと)「セクハラだ」などと騒ぎ立てる生徒も多いのではないか。しかし、それは「体罰」ではない。刑事事件で言えば逮捕時の強制にあたり、言ってみれば「公務の執行」である。(「校務執行」と言うべきか。授業妨害は「校務執行妨害」である。)

 小田原の中学で「ハゲと言われて、体罰を振った」というケースがあった。この場合、生徒が集団で教師に(教師に対してだけではないが)「ハゲ」とからかうのは、「暴言」であり「暴力」と言ってもいい。「対教師暴言」は指導の対象であり、本当はそういう正規の指導のルートに乗せるべきだった。でも、教師の側が体罰をしたというけれど、本質は「暴力に対して暴力でやり返した」というものだと思う。教師が暴力でやり返していいのかと言うと、不適切だと思う。でも言われっぱなしでガマンしている必要はない。そういう事例は案外多いと思う。生徒がかげで何を言うのも止められないが、授業妨害になるような行為、また明らかに人権侵害、差別にあたるような言動は許されない。

 こういう風に、今「体罰」と言われる行為の多くは「私的制裁」で、明るみに出れば教員側の非になるしかない、非合法な暴力である場合が多い。でも、実力で「校務の執行」を行う場合や「暴言に対抗する場合」などは、(それがいいか悪いかの問題とは別に)「体罰」というのが不適当な場合も多い。
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両神と長瀞への旅行

2013年02月09日 00時55分16秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 埼玉県の奥の方、国民宿舎両神に一泊旅行。安いプランがあったからだけど、埼玉は行ってないところが多く、長瀞のロウバイも咲き始めているし、ちょっと歩きたいなと思った。朝遅くなってしまい、関越道で事故渋滞もあって、一日目はほとんど行っただけ。でも、たどりついた国民宿舎の両神温泉はとても良かった。アルカリ性の「美人の湯」で、ツルツルの肌になる湯。埼玉には珍しく、露天は掛け流し。大浴場も循環とはいえ塩素臭はなく、入るとあふれるほどの湯が出ている。大きさも広めでいい。食事も満足で、今はご飯とサラダがバイキングという宿が多いが、ここもそれ。基本の鍋なんかも美味しくて、ご飯2種の他に蕎麦やおでんなんかもある。部屋もきれいで、入湯税込8000円。まあ、それはお年玉プランで、もう終わりだけど。自治体が経営している公共の宿は安いけど満足できないというのは昔の話で、今は大変充実している。


 近くの山に福寿草やロウバイが咲くところがあるが、一日目に駐車場まで行ったが、けっこう歩くのと寒くて咲いてない感じだったので、今回はパス。氷柱なんかも売りにしてるけど、寒いから止める。8日は風が強く寒い日だった。長瀞に行き、宝登山神社にまず行く。ここはミシュランで埼玉初の一つ星を得たというところ。「ほどさん」はヤマトタケル伝説で「火止山」なんだという。宝に登ると書いて、今はロープウェイもあってにぎやかな観光地。神社は東照宮を小さくまとめたような趣で、きれいにいろいろあるので確かに外国人受けしそうだ。まとまってる感じは悪くない。
  

 最初は宝登山に登る気もあったけど、雪の影響が残ってるのと風が強いので、登りはロープウェイで行き、下りだけ歩くことにする。これは正解で、雪が解けた道が続き、登山靴をはいて行ったけどものすごく汚れてしまった。ロウバイ園は二つあり、東は一分咲きだけど、西園は五分咲き。香りも高い花なので、気持ちいい。少し行くと頂上で、その先に奥宮。ここの狛犬はどう見てもオオカミ。秩父はオオカミの伝説が残るところだけど、そういう影響かな。後は延々と寒い道を下る。まあ多少寒くても歩く方がいいとも思うけど、温泉効果が飛んでしまった感も。
  

 長瀞は東京では有名な観光地で、遠足なんかでもよく行くところだが、個人的にも仕事でも一度も行ったことがなかった。これは珍しいかもしれない。宝登山から下りてきて駅に行く途中に、「旧新井家住宅」がある。郷土資料館についている。重要文化財に指定されている江戸時代中期の民家である。郷土資料館みたいなところはよく行くけど、ここは200円だから寄ってみることをおススメする。この「新井家住宅」の屋根が面白いのである。石がたくさん乗っている。これは栗の木の板を張りつめた屋根の重石なのである。この一風変わった屋根は一見の価値がある。
 

 長瀞は荒川の流れが静かになったところ(それを瀞(とろ)というらしい)ということで、岩が川辺に広がっている岩畳が名所となる。知識としては知ってたけど、行くのは初めて。
 

 埼玉では秩父の方が観光地だけど、大きな温泉がない。越生の梅林や黒山三滝、高麗のあたりなど有名なハイキングの名所にはけっこう行ってるけど、近すぎて日帰りになってしまう。学生時代に秩父の夜祭を皆で見に行った時も夜遅く帰ってきた。日本百名山の両神山に登った時に、今は泊れない両神山荘に泊ったのと、旧石器研究者「ゴッドハンド」F某にダマされて「秩父原人」の現地報告会に行ったときに温泉に前泊した位である。この旧石器ねつ造事件は、日本の考古学、歴史学に深い傷を残したが、僕もまさかそういうことをする研究者がいるとは思わず、すっかり信じ込んでしまった。まあ、新聞もテレビもトップで「秩父で50万年前の旧石器発見」とうたっていたので、僕が信じるのも当たり前と言えば当たり前だが。秩父と言えば、他に明治の秩父事件がある。僕も学生時代には結構読んでいたのだが、今は細かい部分は忘れている。今回宿に行く途中に、秩父事件を描いた映画「草の乱」で使われた井上伝蔵の家(の復元セット)があった。資料館にもなっていたけど、遅かったので見なかった。僕は自分の家に近い足尾鉱毒事件の場所はずいぶん行っているけど、秩父事件の現地調査はしたことがない。もう一回ちゃんと行ってみたい。

 もう一つ、数年前に「日本百名城」が選ばれているのだが、埼玉では最近小説、映画で有名になった忍城(=おし城=「のぼうの城」)ではなく、川越城と鉢形城が選ばれている。この「鉢形城」はほとんどの人が知らないか、知っててもまだ行ってないのではないか。ここは関東によくあるけど、「江戸時代にはない城」である。大体日本の城は天守閣が有名で、なかった天守を「再建」してしまうところもあるくらいである。それは支配者として領主が安定的な支配を確立した時代の話で、本当の戦国時代には天守はない。実際に戦っていたわけだし、山城が多いのは当然。関東では、後北条氏の支配する城がたくさんあり、それは秀吉に滅ぼされ、家康に棄てられ、棄てられなかった所は幕末に薩長軍に攻められという歴史をたどる。鉢形城も後北条氏の重要な城で、とにかく大きいが、遺構以外はほとんどない。埼玉県寄居町で、関越道を花園インターで降りて10分程度。今は歴史館が立っている。そこを拠点に歩くといいんだけど、昔の城の範囲に線路が通っているくらい。でも「100名城」の一つなんだから、是非一度は行くといいです。もっとも、今回は何しろ風が寒くて、僕も城跡を歩く気にならなかった。それも今後の課題。
 
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藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」再見

2013年02月07日 00時31分52秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターの「日活100年の青春」特集で、「八月の濡れた砂」(1971、藤田敏八監督)を何十年ぶりかで見た。この映画は「日活最後の青春映画」である。日活ロマンポルノが事実上日活青春映画を受け継いだけど、プログラム・ピクチャーとして連綿と作られてきた日活青春映画は、この映画(と蔵原惟二監督の「不良少女魔子」)で終わる。経営が悪化していた大映と共同で作っていた「ダイニチ映配」配給で、映画の冒頭に「ダイニチ」のロゴが出る。何度か見てるはずだが、全く記憶にない。

 この映画は70年代には大学などでよく自主上映されていた。銀座にあった名画座の並木座でもよくやっていた。TBSラジオの深夜放送、「パック・イン・ミュージック」の林美雄アナがこの映画を推奨しまくり、石川セリの主題歌もよく掛けていた。石川セリはこの番組で井上陽水と出会った。僕は高校生の時に銀座並木座で見たと思う。並木座は、僕が黒澤や小津や成瀬を初めて見た場所である。「八月の濡れた砂」を見に行ったときに、「今日は石川セリさんの挨拶と歌があります」という回にぶつかったこともあった。70年代の伝説的な青春映画として、3回か4回は見ている。

 最近は劇場でやる機会がないので、見たのは何十年ぶり。この映画の生命力が今も残っているかどうか心配である。今ではPC的に問題ありのマッチョ映画ではないかと心配して見た。主役の二人、広瀬昌助とテレサ野田の幼い技量不足は感じるものの、その稚拙さは稚拙な青春の象徴にも見える。「ヨットとバイク(車)とお嬢様」という日活アクションの基本構造に則った優れた青春ドラマになっていた。全シーン太陽がまぶしいような記憶があったが、もちろんそんなことはない。夜のバーのシーンもあるから当然なんだけど、朝霧が立ち込めるようなシーン、雨の降るシーンなんかも結構多かった。湘南の夏の陽光しか出てこないドラマではなかった。やはり映画は「光と影」で、暗い夜の陰謀があってこそ、初めて陽光の下での反逆が意味を持つわけである。

 この映画が「レイプをめぐる暴力のドラマ」である意味は、今では伝わりにくいかもしれない。71年当時は、言語に対する肉体の復権が叫ばれていた。その文脈で「性の解放」も唱えられていたけど、日常の中ではまだまだ性はオープンではなかった。「純潔」は意味は持たなくなり、「処女性」への男のこだわりも少なくなりつつあったが、現実の生活の中で性が解放されていたわけではなかった。日活青春映画では、当然「性と暴力」が大きな意味を持っていたが、女は愛を語るが性的な描写は少ない。60年代末期の「日活ニューアクション」でも、暴力による反逆は描かれるが直接の性描写は少ない。この映画でも直接のレイプシーンはない。男と女が「暴力」を介して出会うという象徴として、「レイプされた美少女」をめぐるドラマが進行するのである。

 主要な登場人物は4人。主人公の高校生西本清(広瀬昌助)と校長をなぐって退学した同級生の友人野上健一郎。野上は村野武範で、唯一その後も俳優として活躍している。性体験もあるようで、年は同じながら退学して一段大人という扱いである。冒頭はこの野上が高校の校庭に現れ、サッカーボールを蹴るシーン。そのボールがガラスにあたって割れる。そうなんだ、あの頃は学校のガラスがよく割れた。今ではサッカーや野球の球が当たった位では割れないガラスになっているが。

 翌朝、清がバイクで湘南海岸を走っていると、自動車が来て数人の男が女の子を砂浜に落とす。服はボロボロで、いかにもレイプされたらしい。彼女は服を脱ぎ裸になって、海に入る。そのシーンを遠くから見ていた清は、その瞬間に彼女に恋してしまう。清はその少女早苗(テレサ野田)を姉夫婦が営む海の家に連れてきて、姉の家から女性の服を持ってくる。が、戻ってみると早苗はいない。昼になって少女の姉が清が妹に暴行したと思い込み、警察に行くと連れ出す。こうしてこの4人が登場する。

 野上の母が付き合う男は渡辺文雄、端役で原田芳雄、地井武男、山谷初男なんかも出ているが、基本は若者2人とマジメな同級生男女カップル、そして避暑地の別荘に来ている早苗と姉である。清は早苗が好きなんだけど、レイプされたことにこだわりを捨てきれず、なかなか素直になれない。姉は避暑地の地元の「不良青年」と妹が付き合うのを面白く思わない。野上は母が再婚しようとしている男が気にいらず、常にいらだっていて、マジメカップルをからかい続ける。そして野上の母と男は健一郎へのサービスとしてヨットに誘うが、健一郎は清と早苗を誘い、姉も付いてくる。カモメを撃つと言って猟銃を持ち出していて、銃を突き付けて母と男を下船させ、若い男女4人の危険なクルーズが始まる。

 ヨット内に何故か赤いペンキがあり、つまずいて流れ出す。男二人と早苗は船内を赤く塗りつぶし始める。赤いヨットの室内、緊迫した人間関係、海と太陽。この描写がこたえられない魅力で、青春映画の魅力全開である。赤く塗りつぶされたヨットの中は、「胎内回帰願望」とでも言うべきか。シナリオの大和屋竺の趣向だろうか。こうして、ヨットの上の暴力とセックスという極限のドラマが繰り広げられ、映画はそこで終わる。日活青春映画の始まりと言える、中平康監督「狂った果実」(1954)は石原裕次郎がスターとなる湘南ヨット映画だった。「八月の濡れた砂」はまさに日活への挽歌のようにヨットを空中から撮影するシーンで終わる。それは映画ファンには有名なことで、感慨深いシーンである。

 渡辺武信「日活アクションの華麗なる世界」から引用しておく。「藤田敏八は遊戯を内部から崩壊させることによって、結局は存在に抗しきれない遊戯の限界をあえて示したのかもしれない。しかしそこには同時に、力の限り遊戯した若者たち、つまり良く戦った者たちへの共感が色濃く流れている。石川セリの唄う主題歌のけだるく抒情的な旋律は遊戯者への美しい鎮魂を奏でているかのようだ。」「『八月の濡れた砂』は存在論的遊戯の切実さを青春の一過性と巧みに重ね合わせつつ、主人公たちにとっても、ぼくたちにとっても、かけがえのない一つの夏の感触を見事に定着した。」

 この映画は71年のベストテン10位に選出された。日活青春映画唯一のランクインである。こうして日活アクションは終焉を迎えたはずだったが、低予算のロマンポルノの中に精神が生き延びていく。藤田敏八(1932~1997)はそれまでも「非行少年 陽の出の叫び」(67)、「非行少年 若者の砦」(70)、あるいは野良猫ロックシリーズの2本などを撮っていた。それらは今見ても新鮮は青春映画になっていてる。ロマンポルノを藤田監督も撮ることになり、「八月はエロスの香り」(72)が作られた。いかにも「八月の濡れた砂」的な題名に誘われて、僕はこの映画を見に行って失望した記憶がある。
(藤田敏八監督)
 その後、73年に東宝で撮った「赤い鳥、逃げた?」のけだるいムードが好きだし、74年に秋吉久美子をスターにした「赤ちょうちん」「」「バージンブルース」など、この頃一番たくさん見ていた監督だった。その後も「帰らざる日々」(78)、「リボルバー」(88)などがある。「リボルバー」が最後になった。むしろ晩年は俳優として活躍、鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」の名演が思い出に残る。忘れられない青春映画の監督であり、懐かしい思い出の監督だ。
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ワーカーズコープの可能性-映画「ワーカーズ」

2013年02月05日 23時49分12秒 | 映画 (新作日本映画)
 東京・東中野駅前のポレポレ東中野でワーカーズ」を見た。墨田区のワーカーズコープ(労働者協同組合)で働く人々を追った記録映画。森康行監督の新作である。森監督は墨田区にある夜間中学を舞台にした「こんばんは」という記録映画の傑作を作った人である。その後、教育学者太田尭氏を描く「かすかな光へ」という映画をつくり、このブログでも紹介したことがある。そういう経緯もあるので森監督の作品は見たいと思うのだが、それ以上にこの作品のテーマに関心があった。
 
 チラシを見ると、「みんなで働く みんなで生きる~あたらしい 働き方 のはなし~」とある。「『小さな共生社会』をつくる新しい働き方 スカイツリーの下で繰り広げられる まちの人々とワーカーズコープの物語」…このコピーですべて尽くされている。「ワーカーズコープ」というのは、COOP=協同組合の一種だけど日本語では「労働者協同組合」と言ったりする。生協や農協、漁協などみな「協同組合」だが、、同業者の組合や消費者の組合が多い。でも労働者が作った協同組合もある。というか、自分で起業し自分を雇うというようなものだから、それを「労働者」と呼ぶのもおかしいのかもしれない。つまり、働く人みんなが「経営者にして労働者」である。株式会社は利潤を株主に配当することが目的だが、「協同組合」は利潤を直接の目的としない。「日本労働者協同組合ワーカーズコープ連合会」のホームページを見ると、「協同労働の協同組合とは、働く人々・市民が、みんなで出資し、民主的に経営し、責任を分かちあって、人と地域に役立つ仕事をおこす協同組合です」と書いてある。

 そういうものがあるという知識は持っていたけど、実際にどういうことをしているのか知らなかった。今の日本には様々な問題があるが、その多くは「働き方の問題」である。僕も日本の学校は「ブラック企業」化しているとよく書いている。「ブラック企業」にはパワハラとか超過勤務などの問題もあるけど、それらは「氷山の一角」である。要するに何のために働いているのか判らない仕事をただ命令でやらざるを得ない働き方の問題である。実際の仕事そのものは、肉体的にきつすぎる時はあっても、仕事の悩みは感じない。仕事を通して社会とつながっている。でも、休日出勤したり報告書、提案書ばかり書かされる、書き直されるといった事が続くと、一体自分は何のために仕事をしてるんだろうと悩んでくる。

 「ワーカーズコープ」では、そういう悩みが原理的にはないはずである。すべての仕事が協同組合でやっていけるかどうかは判らないが、可能な限り「協同組合的な働き方」が広がるといいと思う。そう思ってこの映画も見たけど、とても参考になり考えさせられるが、同時に判らない点もいっぱいある。この映画は東京都墨田区で、児童館や高齢者施設、介護施設などを運営ししているワーカーズコープを描いている。いずれも行政が運営を委託することで成り立っているんだと思う。墨田区の人口は過密で、福祉の「需要」は大きい。財源が厳しくなると、従来なら行政が直接タッチしていたような福祉分野も、「民間委託」にせざるを得なくなる。そんなときに、福祉現場で働く人が、自分たちで起業して受託しているようなものである。自分で自分を雇うので、いろいろなことは自分たちで決められることになる。それは本人にとっては納得がいく働き方だろうが、この仕組みは福祉以外でも可能だろうか。また福祉でも、地方のような人口過疎地域では可能だろうか。東京の「下町」の「スカイツリーの下で」なら成立するだろうけど。

 中に出てきた人で一番心に残ったのは、ある「元中学の体育の先生」。バレー部に熱心で、生活指導に体を張って働いていたが、自分の家庭の問題から自らが「不登校」になってしまう。どうしても学校へ行くことができない精神状態となり、離婚して退職。派遣労働者となって働く中で、「個」を生かせる仕事として「児童館の体育指導員」にめぐり合う。そして「ワーカーズコープ」で生き返るのである。今や高齢者施設の施設長であり、高齢者の健康増進の体操、ウォーキングの指導員として生きがいのある仕事をしている。バレー部で教えた生徒たちは、今でも「ママさんバレー」で指導を続けている。それを見ると、この人が優れた体育教員だったことが判る。学校で失った「生きがい」を「ワーカーズコープ」という働き方の中で見出していくのは感動的だ。この映画は学校の中で悩んでいる多くの教員にとっても参考になることが多いのではないか

 ただ、報酬や代表者の決め方などを含め、描かれていないことも多い。福祉や教育は「全員で話し合って決めていく」ことが求められる職場だ。だから「ワーカーズコープ」でうまく行くかもしれないが、製造業、小売業、または「みんなで作った居酒屋」なんかは成功するだろうか。要するに「自営業」の中小企業と何が違うのか。中小企業の経営者は自分の時間を削って働くしかない。自分で自分を雇っている「ワーカーズコープ」でも、時間外手当のない労働を自らに課さざるを得ないのではないか。製造業なんかでは、例えば倒産した会社を労働者が出資して買い取っても、仕事のスピードを上げる必要性から、会社組織にして社長や専務などといった責任を持った役職を決めた方が早いという場合もあるのではないか。つまり「従業員が株主となる株式会社」と比べて、どっちがいいのだろうか。

 映画の冒頭に、コメディアンの松本ヒロさんが出てくる。松本ヒロは「ザ・ニュースペイパー」から独立してソロ活動をしている。そのため「仕事は不安定だが、言いたいことが言える」という状態で、その辛口ライブは「立川談志が最後に見た芸人」という伝説になっている。集会にもよく呼ばれるので、僕も何回も聞いている。その仕事のあり方は、「ワーカーズコープ」的な部分があると確かに言えるから、この映画では狂言回しの役を務めていて、それが生きている。墨田区は一時住んだこともあり、6年間勤務した場所でもあるけど、こんな試みが進んでいたとはちっとも知らなかった。映画に出てくる風景が何となく懐かしかった。
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教員の連帯を阻害するものは-早期退職補論

2013年02月03日 01時06分10秒 |  〃 (教師論)
 「体罰」問題をきちんと論じるのはけっこう大変なので、今日はこの間の「早期退職」や「いじめ」、あるいは部活動の問題の補論を書いておきたいと思う。

 「早期退職」問題は、マスコミが皆「駆け込み退職」と表現している。この表現には「悪意」が込められている。「駆け込み」と言っても、その日程を決めたのは行政側であって、労働者側は「駆け込んだ」のではなく、労基法で定められた事前の退職申し出を行っている。僕が見た中で「民間では仕事の途中で辞めることは許されない」という人がいたが、そんなバカな話はない。どんな職場であれ、14日前に申し出れば自己都合退職が出来なければならない。それができない職場は「ブラック企業」である。というよりも、僕が不思議なのは、定年退職が2か月後に予定されている人が、その人が抜けたら困る重要なプロジェクトに関わっていたりすることが、民間企業ではあるのだろうか。そんなこと、ないだろう。学校だって、昔は定年を迎える年の教員がクラス担任をしてるなんて考えられなかった。今は皆元気で昔と比較はできないし、「一緒に卒業」を考えて希望して担任に入っている人も多い。でも要するに、教育界の高齢化が背景にあって定年退職者が担任をしてたりする時代になったのである。「担任が途中で辞める」というより、「定年退職する教員が学級担任をしてる」という方が不思議だと思うんだけど、そう思った記者はいないのかな。

 データを紹介しておくと、8県で460人が退職予定だったという。(1.26付)行政職が54人、警察が232人、教職員が177人だという。この問題は教育の問題というより、警察の問題だったのではないか。ところで、朝日新聞では「子より金、信じたくない」という保護者の意見が見出しになっている。何で今さらそんなこと言うかなあ。一つは、これは行政が条例改正という形で決めたことであり、地方議会は住民の代表だから、住民の一員である保護者はこの条例を変えた側である。「退職金を年度内に削減することで財政の負担を減らす」というのは、一つの考えであって、それはそれでありうる考え方である。当然年度内に削減すれば、その時点で退職する教員もいるだろうが、それがあっても財政を優先するというのが、その地方の行政当局の考えである。保護者が批判するならば、その行政の考え方の方でなければおかしい。退職を選んだ教員は、経済原則に則って判断しただけなのだから。

 それでも「授業があるのに、年度内で替わる」ことはどうなのか。それは普通は替わらないほうがいいに決まってる。(普通じゃない教員もいるので一概には言えない。)でもいろいろな事情があって、授業担当者が途中で替わることは多いのである。例えば、こういう事例がある。桜宮高校の話を書いた時に、東京の某高校で入試情報を漏らしたということで校長が解任された話を紹介しておいた。その後任に某高校定時制の副校長が31日付で発令された。そこでその定時制副校長に、某高校主幹教諭が発令された。こうして、年度をあと2カ月残して、生徒を残して「出世」して去って行ってしまったわけである。そういう不祥事ではないと思うが、某中学校の校長も替わり、玉突きで同じようなことが起こっている。「年度内に授業担当者が替わっては大変だ」と真に思っているなら、都教委はこういう人事をしないはずである。特に高校の場合、定時制では校長がいない時間帯がいるから副校長がいないというわけにはいかない。大規模全日制高校で副校長が複数いる学校もあるので、そういう高校で適任者はいなかったのか。しかし、昇任試験に合格していて異動可能な人がいなかったのかもしれない。生徒にとっては迷惑な話である。こういう風に教育委員会の人事自体が授業担当者を途中で引き抜くということが結構あるものだ。今は病休や介護休暇も多いので、授業の教員が途中で替わることは相当に多いことだと思う。

 ところで大津市のいじめ問題の調査委員会報告が発表された。全文を見る機会がないのだが、いじめと認識して心配していた教員もいたが、校内でまとまって各教員の情報が生かされることがなかったようである。ところで、これだけでは、「言ってみれば当たり前」であると僕は思う。この間、文科省を初めとして、各学校では教員の一致団結をなくし、一人ひとりの教員の力を生かすのではなく、管理職や主幹教諭中心の学校運営をすすめてきた。ヒラ教員に何か意見があっても、学校運営の中心になるはずの教員が動かなければ、何も動かない。そういう学校がいい学校だとして「学校改造」に務めてきたのだから、何かきっけがあれば、どこの学校も同じようになってしまうはずである。この教育行政の流れを反転させない限り、いじめであれ体罰であれ、同じようなことが時々起こるはずである。「時々」と書くのは、大きな問題は生徒も関わってくるので、いつでも必ず起こるわけではないからである。

 学校の問題は管理職が中心に運営していく。では普通の教員は何をしていればいいのか。校長の学校運営方針に従って、授業等を充実させる(という作文をして、生徒や保護者のアンケートで高評価を受けられるように努める)ことで、それを校長が評価して成績に反映させ、給料が変わってくる。これで教員は頑張るはずだというので、「子より金」というのは紛れもなく教育行政側の大方針だったわけである。そういう流れで来ているのに、なんで今さら「学校内部で情報が共有されない」とか「子より金」とか言う人がいるのか、全然判らんというのが大方の教員の心のうちだろう。そういう学校を望んできたのは、文科省や教育委員会、というかいまどきありもしない「教員組合の教育支配」なんてものを標的にして教員統制強化を進めてきた極右政治家の方ではないか。

 ところで、部活問題を書いた後で思ったんだけど、本来は専任のコーチを雇うというアメリカのような方が正しいだろうと思う。アメリカの映画や小説では、アメリカンフットボールやバスケットボールの専属指導員というような人が出てくる。アメリカの教員自体が「勤務時間に縛られる」ということがない感じだが、このコーチも時間は縛られてないようだ。でもそれだけで生活できる給与を得ているのではないか。全部の活動にそういう人がいるのは難しいだろう。美術の教員が美術部を見ていて、美術系大学への推薦で大きな権限を持っているというようなこともあるらしい。教員以外の専任指導員がいるのは、学校対抗競技があって、大学スポーツへの推薦もある団体競技に限られていると思う。本当に強化するということなら、地方行政が予算をつけないといけない。でも、予算的に無理だと思うし、低賃金で非正規の指導員を雇うのもなかなか難しい。人間は将来の希望がなければ、意欲を持って働くことはできない。

 僕が思うには、いじめ問題で生徒指導が遅くまでかかる、部活指導で毎日が遅くなるなんて言うのも、限度はあるけれども、昔はそんなに苦に思わなかった。なぜなら長期休業中に「自宅研修」が認められていたからである。何時間が勤務時間だと細かく計算するよりも、夏休みさえ返してくれれば、後の時間やカネは問わず頑張って働くのに、と思っている人も多いのではないだろうか。
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