現代の日本に「ポエム」が氾濫しているというのは、小田嶋隆(コラムニスト)などが言い出している。NHKの「クローズアップ現代」(1月14日)で取り上げられたので知られるようになった。小田嶋氏は安倍首相の施政方針演説も「ポエム」というキーワードでとらえている。この「ポエム」というのは、どういう意味か。「クローズアップ現代」のHPを見てみよう。
居酒屋、介護士、トラックドライバーなどの業界で、「甲子園」と呼ばれるイベントが人気だ。「夢をあきらめない」「みんなを幸せに」…どれだけ言葉が心を打ったかを競い合う。震災以降、こうしたシンプルで聞き心地のいい言葉の多用が、若い世代のみならず、広告宣伝や企業の研修、そして地方自治体の条例など公共の言葉にも広がっているとして、社会学者や批評家らが「ポエム化」と呼んで分析を試み始めている。共通する特徴は、過剰とも思える優しさ・前向きな感情の強調だ。
なるほど。こういう「ポエム」はブログなんかにも氾濫しているし、お店に貼ってあることも多い。言われてみると、そういうことを平然としている人が多くなっている。そして、そういう目で見れば、安倍政権の発信する言葉も、ほとんど「ポエム」ではないか。昨年末の「靖国参拝」に際して出された首相談話なんかもそれに近い。そこで、その談話を少し書き直して分かち書きしてみたい。ちょっと長くなるけど、それが「恒久平和の誓い」という名のポエムだと判るだろう。新たに付け加えた言葉は一つもない。半分くらいに削っただけである。
~ 恒久平和への誓い ~
国のために戦い
尊い命を犠牲にされた御英霊に
哀悼の誠を捧げ
尊崇の念を表し
御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました
御英霊に対して手を合わせながら
日本が平和であることのありがたさを
噛みしめました
愛する妻や子どもたちの幸せを祈り
育ててくれた父や母を思いながら
戦場に倒れたたくさんの方々
その尊い犠牲の上に
私たちの平和と繁栄があります
二度と戦争を起こしてはならない
戦争犠牲者の方々の御霊を前に
不戦の誓いを堅持していく決意を
新たにしてまいりました
アジアの友人、世界の友人と共に
世界全体の平和の実現を考える国でありたい
世界の平和と安定
そして繁栄のために
その責任を果たしてまいります
中国、韓国の人々の気持ちを
傷つけるつもりは
全くありません
中国、韓国に対して敬意を持って
友好関係を築いていきたいと願っています
こういう風に「自分の思い」だけを滔々とうたいあげるのは、確かに現代風かもしれない。うっかり情緒的に流されてしまいそう。この問題は戦争認識や憲法認識などが絡み合う「難しい問題」である。まあ、普通に「考える政治家」なら、難しい問題だと認識し、結論は違っても論理で語るのではないか。しかし、安倍首相にあっては情緒的に語るのだが、もしかしたら本人の意識では「論理的」に語っているつもりなのではないか。今度は施政方針演説を見てみたいが、長いので行分けしていられないので、内容ごとにまとめて引用することにする。
「やればできる」
「不可能だ」と諦める心を打ち捨て/わずかでも「可能性」を信じて/行動を起こす
一人ひとりが/自信を持って/それぞれの持ち場で頑張ることが/
世の中を大きく変える大きな力になる
やれば/できる
2020年/その先の未来を見据えながら/日本が新しく生まれ変わる
復興は/新たなモノを創り出し/新たな可能性に挑戦するチャンス
日本なら/できるはず
「新たな創造と可能性の地」としての東北を/共に創りあげよう
経済再生に向けた「チーム・ジャパン」
みんなで頑張れば/必ず実現できる
あらゆる人が/社会で活躍し/「可能性」を発揮できる/チャンスを創る
少子高齢化の下でも/日本は力強く/成長できるはず
全ての女性が/生き方に自信と誇りを持ち/持てる「可能性」を開花させる
「女性が輝く日本」を/共に創り上げよう
やれば/できる
これで三分の一ぐらいなのだが、飽きたのでここで終わる。この後も教育やイノベーション、地方の可能性、観光立国、みな「やれば、できる」と朗々とうたいあげている。そして最後に「積極的平和主義」、「地球儀を俯瞰する視点でのトップ外交」で終わっていく。ヒマな人がいたら完成させてください。
施政方針演説など読んでみようという人は少ないだろうが、今回のものは極めて重要だと思うので、是非目を通しておく方がいい。新聞では1月25日(土)朝刊に載っているはず。ネット上では、首相官邸のホームページに掲載されている。「第百八十六回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説」を参照。動画でも見られる。
問題は、こういう「ポエム化」をもたらしたものは何かということである。「美辞麗句」で国民をごまかそうとしているなどと批判しても、恐らくピント外れで終わるだろう。詩のように書いたので長くなったので、今回はここで終わり。その問題への僕の考えはまたということで。
居酒屋、介護士、トラックドライバーなどの業界で、「甲子園」と呼ばれるイベントが人気だ。「夢をあきらめない」「みんなを幸せに」…どれだけ言葉が心を打ったかを競い合う。震災以降、こうしたシンプルで聞き心地のいい言葉の多用が、若い世代のみならず、広告宣伝や企業の研修、そして地方自治体の条例など公共の言葉にも広がっているとして、社会学者や批評家らが「ポエム化」と呼んで分析を試み始めている。共通する特徴は、過剰とも思える優しさ・前向きな感情の強調だ。
なるほど。こういう「ポエム」はブログなんかにも氾濫しているし、お店に貼ってあることも多い。言われてみると、そういうことを平然としている人が多くなっている。そして、そういう目で見れば、安倍政権の発信する言葉も、ほとんど「ポエム」ではないか。昨年末の「靖国参拝」に際して出された首相談話なんかもそれに近い。そこで、その談話を少し書き直して分かち書きしてみたい。ちょっと長くなるけど、それが「恒久平和の誓い」という名のポエムだと判るだろう。新たに付け加えた言葉は一つもない。半分くらいに削っただけである。
~ 恒久平和への誓い ~
国のために戦い
尊い命を犠牲にされた御英霊に
哀悼の誠を捧げ
尊崇の念を表し
御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました
御英霊に対して手を合わせながら
日本が平和であることのありがたさを
噛みしめました
愛する妻や子どもたちの幸せを祈り
育ててくれた父や母を思いながら
戦場に倒れたたくさんの方々
その尊い犠牲の上に
私たちの平和と繁栄があります
二度と戦争を起こしてはならない
戦争犠牲者の方々の御霊を前に
不戦の誓いを堅持していく決意を
新たにしてまいりました
アジアの友人、世界の友人と共に
世界全体の平和の実現を考える国でありたい
世界の平和と安定
そして繁栄のために
その責任を果たしてまいります
中国、韓国の人々の気持ちを
傷つけるつもりは
全くありません
中国、韓国に対して敬意を持って
友好関係を築いていきたいと願っています
こういう風に「自分の思い」だけを滔々とうたいあげるのは、確かに現代風かもしれない。うっかり情緒的に流されてしまいそう。この問題は戦争認識や憲法認識などが絡み合う「難しい問題」である。まあ、普通に「考える政治家」なら、難しい問題だと認識し、結論は違っても論理で語るのではないか。しかし、安倍首相にあっては情緒的に語るのだが、もしかしたら本人の意識では「論理的」に語っているつもりなのではないか。今度は施政方針演説を見てみたいが、長いので行分けしていられないので、内容ごとにまとめて引用することにする。
「やればできる」
「不可能だ」と諦める心を打ち捨て/わずかでも「可能性」を信じて/行動を起こす
一人ひとりが/自信を持って/それぞれの持ち場で頑張ることが/
世の中を大きく変える大きな力になる
やれば/できる
2020年/その先の未来を見据えながら/日本が新しく生まれ変わる
復興は/新たなモノを創り出し/新たな可能性に挑戦するチャンス
日本なら/できるはず
「新たな創造と可能性の地」としての東北を/共に創りあげよう
経済再生に向けた「チーム・ジャパン」
みんなで頑張れば/必ず実現できる
あらゆる人が/社会で活躍し/「可能性」を発揮できる/チャンスを創る
少子高齢化の下でも/日本は力強く/成長できるはず
全ての女性が/生き方に自信と誇りを持ち/持てる「可能性」を開花させる
「女性が輝く日本」を/共に創り上げよう
やれば/できる
これで三分の一ぐらいなのだが、飽きたのでここで終わる。この後も教育やイノベーション、地方の可能性、観光立国、みな「やれば、できる」と朗々とうたいあげている。そして最後に「積極的平和主義」、「地球儀を俯瞰する視点でのトップ外交」で終わっていく。ヒマな人がいたら完成させてください。
施政方針演説など読んでみようという人は少ないだろうが、今回のものは極めて重要だと思うので、是非目を通しておく方がいい。新聞では1月25日(土)朝刊に載っているはず。ネット上では、首相官邸のホームページに掲載されている。「第百八十六回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説」を参照。動画でも見られる。
問題は、こういう「ポエム化」をもたらしたものは何かということである。「美辞麗句」で国民をごまかそうとしているなどと批判しても、恐らくピント外れで終わるだろう。詩のように書いたので長くなったので、今回はここで終わり。その問題への僕の考えはまたということで。