尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ポエム化」する安倍政権-安倍政権のいま②

2014年01月30日 21時41分16秒 |  〃  (安倍政権論)
 現代の日本に「ポエム」が氾濫しているというのは、小田嶋隆(コラムニスト)などが言い出している。NHKの「クローズアップ現代」(1月14日)で取り上げられたので知られるようになった。小田嶋氏は安倍首相の施政方針演説も「ポエム」というキーワードでとらえている。この「ポエム」というのは、どういう意味か。「クローズアップ現代」のHPを見てみよう。
 
 居酒屋、介護士、トラックドライバーなどの業界で、「甲子園」と呼ばれるイベントが人気だ。「夢をあきらめない」「みんなを幸せに」…どれだけ言葉が心を打ったかを競い合う。震災以降、こうしたシンプルで聞き心地のいい言葉の多用が、若い世代のみならず、広告宣伝や企業の研修、そして地方自治体の条例など公共の言葉にも広がっているとして、社会学者や批評家らが「ポエム化」と呼んで分析を試み始めている。共通する特徴は、過剰とも思える優しさ・前向きな感情の強調だ

 なるほど。こういう「ポエム」はブログなんかにも氾濫しているし、お店に貼ってあることも多い。言われてみると、そういうことを平然としている人が多くなっている。そして、そういう目で見れば、安倍政権の発信する言葉も、ほとんど「ポエム」ではないか。昨年末の「靖国参拝」に際して出された首相談話なんかもそれに近い。そこで、その談話を少し書き直して分かち書きしてみたい。ちょっと長くなるけど、それが「恒久平和の誓い」という名のポエムだと判るだろう。新たに付け加えた言葉は一つもない。半分くらいに削っただけである。

 ~ 恒久平和への誓い
 国のために戦い
 尊い命を犠牲にされた御英霊に
 哀悼の誠を捧げ
 尊崇の念を表し
 御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました

 御英霊に対して手を合わせながら
 日本が平和であることのありがたさを
 噛みしめました

 愛する妻や子どもたちの幸せを祈り
 育ててくれた父や母を思いながら
 戦場に倒れたたくさんの方々
 その尊い犠牲の上に
 私たちの平和と繁栄があります

 二度と戦争を起こしてはならない
 戦争犠牲者の方々の御霊を前に
 不戦の誓いを堅持していく決意を
 新たにしてまいりました

 アジアの友人、世界の友人と共に
 世界全体の平和の実現を考える国でありたい
 世界の平和と安定
 そして繁栄のために
 その責任を果たしてまいります

 中国、韓国の人々の気持ちを
 傷つけるつもりは
 全くありません
 中国、韓国に対して敬意を持って
 友好関係を築いていきたいと願っています

 こういう風に「自分の思い」だけを滔々とうたいあげるのは、確かに現代風かもしれない。うっかり情緒的に流されてしまいそう。この問題は戦争認識や憲法認識などが絡み合う「難しい問題」である。まあ、普通に「考える政治家」なら、難しい問題だと認識し、結論は違っても論理で語るのではないか。しかし、安倍首相にあっては情緒的に語るのだが、もしかしたら本人の意識では「論理的」に語っているつもりなのではないか。今度は施政方針演説を見てみたいが、長いので行分けしていられないので、内容ごとにまとめて引用することにする。

 「やればできる
 「不可能だ」と諦める心を打ち捨て/わずかでも「可能性」を信じて/行動を起こす
 一人ひとりが/自信を持って/それぞれの持ち場で頑張ることが/
 世の中を大きく変える大きな力になる

 やれば/できる
 2020年/その先の未来を見据えながら/日本が新しく生まれ変わる

 復興は/新たなモノを創り出し/新たな可能性に挑戦するチャンス
 日本なら/できるはず
 「新たな創造と可能性の地」としての東北を/共に創りあげよう

 経済再生に向けた「チーム・ジャパン」
 みんなで頑張れば/必ず実現できる
 
 あらゆる人が/社会で活躍し/「可能性」を発揮できる/チャンスを創る
 少子高齢化の下でも/日本は力強く/成長できるはず
 全ての女性が/生き方に自信と誇りを持ち/持てる「可能性」を開花させる
 「女性が輝く日本」を/共に創り上げよう
 やれば/できる

 これで三分の一ぐらいなのだが、飽きたのでここで終わる。この後も教育やイノベーション、地方の可能性、観光立国、みな「やれば、できる」と朗々とうたいあげている。そして最後に「積極的平和主義」、「地球儀を俯瞰する視点でのトップ外交」で終わっていく。ヒマな人がいたら完成させてください。
 施政方針演説など読んでみようという人は少ないだろうが、今回のものは極めて重要だと思うので、是非目を通しておく方がいい。新聞では1月25日(土)朝刊に載っているはず。ネット上では、首相官邸のホームページに掲載されている。「第百八十六回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説」を参照。動画でも見られる。

 問題は、こういう「ポエム化」をもたらしたものは何かということである。「美辞麗句」で国民をごまかそうとしているなどと批判しても、恐らくピント外れで終わるだろう。詩のように書いたので長くなったので、今回はここで終わり。その問題への僕の考えはまたということで。
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1月の映画日記

2014年01月29日 23時04分20秒 | 映画 (新作日本映画)
◎1月29日(水)
 ここ数日に見た外国映画6本の短評。
・「幸せの行方」「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」は主演のライアン・ゴズリング特集で、前者は不動産会社の御曹司が抑圧されて育ち、金持ちではないキルステン・ダンストと結婚するものの次第に心の歯車がゆがんで行く。「レベッカ」なんかにはるかに及ばぬ愛のミステリー。実話らしいけど。後者は子どもがいることを知り、銀行強盗でカネを稼ぐ若い男と、その男を射殺した警官の、子どもの世代にまたがる因縁の話。非常に面白い犯罪映画ではないか。キネカ大森。
・「アイム・ソー・エキサイテッド!」はペドロ・アルモドバルの新作だけど、大して面白くない。B級のテイストに戻ったというけど、昔の「バチ当たり修道院の最期」なんかのハチャメチャの面白さがない。いや、飛行機内は大混乱だけど、いくら何でも機内であんなに乱れては。
・「殿方ご免遊ばせ」はフィルムセンターで昔の洋画特集。でも千円も取るのにフィルムの状態が非常に悪い。これは通常の500円にしないといけない。ブリジット・バルドーはちょっと昔過ぎて、「軽蔑」などは見てるけど、娯楽映画は見てない。ミシェル・ボワロンだから期待してはいないけど、やはり面白くない。まあべべはこういう感じだったかと確認。当時はモンローとか今の檀蜜とかのような「お色気スター」だったわけだけど。今は反毛皮運動の旗手。
・「ソウル・ガールズ」。今月見た新作では一番感動した。68年のオーストラリア。アボリジニーの姉妹が歌がうまく、コンクールに出たい。でも白人に差別され認められない。ベトナム戦争慰問のグループを募集していて、それに応募しようとダメ男のピアニストに特訓を頼む。戦場に行くことでしか「解放」されなかった先住民女性の青春。戦場で見たものは…。68年のムード、戦場のベトナムを再現しながら、ソウル音楽の素晴らしさが心を動かす。「合唱映画」というのはいっぱいあるけど、これは出色で、音楽だけでなく、豪州に関心のある人も必見。
・「オンリー・ゴッド」。「ドライブ」のレブン監督がタイで撮ったバイオレンス映画。確かにすごいけど、これは僕にはあまり楽しめない。「オリエンタリズム」ではないか。いくらなんでも警官があんなに殺しまくって、その後カラオケするか。デンマークがああいう風に描かれたら面白くはないだろうと推察するが。でもライアン・ゴズリングは似た役柄が多いなあ。

◎1月23日(木)
 22日にフィルムセンターで「男はつらいよ 紅の花」。結果的に「最後の寅さん」。そうとは思わないから、公開時は見なかった。寅さんが加計呂麻島でリリーと暮らしているところに、泉の結婚式をぶち壊した満男が訪ねていく。その設定だけは前から知ってるけど、これはこれで最後でもいい感じの映画ではないか。浅丘ルリ子は、渥美清の衰弱ぶりを見て、リリーと寅さんを結婚させてあげてと山田洋次に言ったという。だけど、結果的にそうならず良かったのではないか。まだどこかに放浪したまま、最後の最後に阪神大震災後の神戸を応援に行き、それが「寅さんの遺言」になった。とても心に響く終わり方。23日に新文芸坐で「コックファイター」と「恐怖と欲望」。前者は「断絶」のモンテ・ヘルマンが作った闘鶏映画で、軽口を批判されて以後は口をきかないと決めた主人公ウォーレン・オーツがすごい。「デリンジャー」や「ガルシアの首」で忘れられない人だけど、この映画は大コケしたとかで、去年まで公開されなかった。まあコケるでしょうね。撮影がネストール・アルメンドロス。後者はキューブリックのデビュー作だけだけど、本人の意向で封印されていたという。戦争中にはぐれた4人の兵隊が次第に狂気に陥っていく小品で、明らかに才能がうかがわれるが、では面白いかと言えばそうとも言えない。
◎1月20日(月)
 早稲田松竹で「ブリキの太鼓」と「バグダッド・カフェ」の「西ドイツ映画」2本立て。改めて、どちらもものすごい傑作だと思った。「ブリキの太鼓」は3歳で成長を止めたオスカルのナチス時代を描くギュンター・グラスの大長編の映画化。フォルカー・シュレンドルフ監督。カンヌ映画祭大賞、アカデミー外国映画賞、キネ旬外国映画1位という作品は「愛、アムール」までないのではないか。とにかく面白いのである。原作も映画も有名だから、今さら短評は書かないけど、これはどこかで必ず見るべき映画。一方、「バグダッド・カフェ」も何回見ても面白い。奇跡の映画だと思うし、人生を変えるかもしれない映画だと思う。バグダッドと言っても、アメリカの砂漠にある町。91年の湾岸戦争よりもさらに前の映画だから、皆まだバグダッドと聞いても硝煙の匂いを思い起こしたりはしなかった。
◎1月19日(日)
 フィルムセンターで「男はつらいよ」を2本。どっちも見てるけど、見直すと細部を全く忘れていることに気づく。僕にとって、寅さんシリーズは渥美清や周囲の人物、または当時の風景、さらに「日本人の家族論」や「人間論」などを見るというのが長い間の見方だった。今見直すと、このシリーズは「旬の女優」の缶詰で、中期までの映画では「女優を見る楽しみ」が一番大きいのではないか。「葛飾立志扁」では若き桜田淳子が出てたことをすっかり忘れてた。これほど可愛かったかと思いだす。2本目の「寅次郎夕焼け小焼け」は寅さん史上最高のキネ旬2位となった。この作品は、前半が宇野重吉、後半が太地喜和子に分裂していると思っていた。今となると、宇野重吉も太地喜和子ももういないから、見てるだけで懐かしい。後半に出てきて映画を「かっさらう」感じの太地喜和子は本当に素晴らしい。その年の助演女優賞を軒並み取った。太地喜和子の魅力を永遠に伝える映画。「愛」という以上に「正義感」の物語で、「振り込め詐欺」などが頻発する現在の方が身に迫るかもしれない。終わった後でフィルムセンターで拍手が沸いた。
◎1月15日(水)
 フィルムセンターで山田洋次作品を3本連続。昨日も「虹をつかむ男」を見た。今日はその続編1時に「虹をつかむ男 南国奮斗編」、4時に「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」、7時に「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」。最後は小諸ロケなので、行ったばかりで見たいなと思っていた。三田佳子がマドンナで、三田寛子が和歌を詠む早稲田の学生役。さすがに脚本がよくできてる。この頃はもう新作を見てない時期なんだけど、見て良かった。
◎1月13日(月)
 早稲田松竹で、スティーブン・ソダーバーグの2作。「マジック・マイク」はフロリダで男性ストリッパーをしている男たち。「恋するリベラーチェ」は、70年代のラスベガスでショーをしている人気ピアニストの話。ゲイを隠しながら年下の恋人と暮らす様子を大娯楽映画として描く。マイケル・ダグラス、マット・デイモンが素晴らしい。どっちも純粋フィクションと思って見てたけど、後で解説見たらどっちも実話だった。ソダーバーグもいろいろ作ったけど、もう映画監督はしないと言ってる。こういう2本立ては名画座向きで、得した気分になる。
◎1月12日(土)
 フィルムセンターで、山田洋次初期作品「運が良けりゃ」「一発逆転」。どっちも落語がもと、ハナ肇主演で倍賞千恵子が妹という作品。後者は現代に翻案してるけど。前者はアンツル(安藤鶴夫)が監修した本格的古典落語映画で、大船に江戸の長屋の大セットを作ったらしい。熊さん(ハナ)と八つぁん(犬塚弘)を中心にした滑稽譚で、藤田まこと、砂塚秀雄、渥美清らいろいろ出てる。最後が上方由来の大ネタ「らくだ」になるが、ここはおかしいが、後はあまり笑えなかった。後者はあまり上映されない「一発」シリーズの最初で、勘当されたハナが数十年ぶりに帰郷し温泉掘りに熱中する。当たるわけないと思ってるが…というあたりがおかしい。愚兄賢妹という構造が寅さんに引き継がれる。どこでロケしたのだろうか。
◎1月10日(土)
 キネカ大森で「かぐや姫の物語」。見てる間はかなり満足して、高畑勲の最高傑作だと思ったんだけど、一日たったらなんだか忘れつつある。「風たちぬ」とどっちが上か難しいが、キネ旬では「かぐや姫」が4位、「風たちぬ」が7位だった。僕は「太陽の王子ホルスの大冒険」が好きだが、「アルプスの少女ハイジ」を通し、一貫して「文明批判」があるのではないか。「物語のふくらませ部分」の自然描写などは見入ってしまうのだが、ベースの竹取が物語としては初期のシンプルな世界なので、どうしても少し飽きてくる。中世史家の保立道久氏のブログ「かぐや姫の犯した『罪と罰』とは何か」は難しいけど、興味深い。
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1月の読書日記

2014年01月29日 21時19分13秒 | 〃 (さまざまな本)
1月29日(水)
 山田正紀の2001年の超大作「ミステリ・オペラ」(ハヤカワ文庫)。文庫で上下1200頁ある。「満州国」の北の方、ハルピンの奥にあった「宿命城」。「満洲国」に天照大神を祀る建国神社をつくる記念として、その城で「魔笛」の上演と映画撮影を行う計画。ところが謎の殺人事件が相次ぐ。それが現代の事件と絡んで行く。満州国、南京事件、特急あじあ号、満映、モーツァルト、甲骨文字、平行世界、見立て殺人、密室、暗号、消えた機関車、謎の「検閲図書館」…と謎めいた設定の事件の数々に、昭和史の悲劇がもつれにもつれ、現代にも謎が続いて行く。という超大作で、最後は一応密室などについては合理的な解決がもたらされる。しかし、この小説の仕掛けと謎は残り続ける。奇想ミステリーの大傑作で、文章は読みやすい。でも、初めは何が何だか判らない。入れ子構造が何重にもなっていて、どれが主筋か判断できない。過去と現在のつながりもよく見えないけど、最後にはなるほど。小栗虫太郎「黒死館殺人事件」のムードに近いと思うが、昭和史の裏面を描く反軍小説の側面も。ガマン強くて、長い小説を読みたい人は一度はチャレンジを。推理作家協会賞など受賞の名作。

1月25日(土)
 ジェフリー・ディーヴァー「ポーカーレッスン」(文春文庫)はあまりに長いので、面倒になるけど、とても面白い短編集。むろんすべて「どんでん返し」である。「生まれついての悪人」とか表題作の「ポーカー・レッスン」とかは、一度は読むべき名短編だ。僕はミステリーを時々読むのは「だまされない感覚」を育むためには役立つと思う。僕は前の第一短編集「クリスマス・プレゼント」の方が面白かった気がするが、どっちも出来がいい。どうしてこんなに書けるのか、不思議。
 ロバート・ゴダード「隠し絵の囚人」(講談社文庫)。スラスラ読めて、面白い歴史ミステリー。今回はアイルランド問題とピカソの贋作。第二次大戦初期、電撃戦直前にチャーチルはアイルランドにどう対したか。その時期に人生を狂わされた叔父の真相は何か。昔ほど深みはないけど、やはり面白い。
1月16日(木)
 ジェフリー・ディーヴァー「ロードサイド・クロス」(文春文庫)は、例によってどんでん返しに次ぐどんでん返しで、途中で止められなくなる作品。ディーヴァーなんだから、どんでん返しに決まってると思って読むけど、この結末は見通せなかった。でも、これは少し無理があるのでは?
 主人公はキャサリン・ダンスで、「リンカーン・ライム・シリーズ」の応援に出てきた人物だった。ダンスはカリフォルニアの女性捜査官で「キネシクス」の達人。これはボディ・ランゲージを読み取る技術で、だから彼女は「歩く嘘発見器」と呼ばれている。もともとはスピン・オフ(派生)で、人気が出てシリーズ化された2作目。特に今回は「サイバーいじめ」、つまりブログの炎上やSNSでのいじめが、アメリカでも大きな問題になっていて事件の主筋になっている。重要な登場人物が、ネットのロール・プレイング・ゲームにはまっている「オタク的青年」。ミステリーとして面白いんだけど、そこで繰り広げられる議論も興味深いのである。
1月13日(月)
 1月はミステリー系ばかり。いつも年末年始は同じ。たまってるミステリーを読む。ベストテンなどが発表されることもあるけど、寒い夜に読みふけるにはミステリーが向いてる。2011年に大フィーバーした高野和明「ジェノサイド」(角川文庫)。早くも文庫化。期待以上の大傑作で、ものすごく興奮する。謀略小説、情報小説という分野に入るかと思うけど、哲学的SFというのが一番あたっているかも。でもアフリカ(コンゴ)情勢やアメリカの政治構造など、いろいろ関わっている。そういう小説だと、軍事オタク的だったりタカ派的世界観が鼻につく小説も多いけど、この小説は人間に関する深い省察と「人間性」への信頼がベースにある。ジェノサイドを行う種である「人間」より、進化した「超人類」が出てきたらどうなるか。また「何で日本が」という疑問にも、最後に実に説得的な驚くべき真相が待っている。この小説は2005年頃の設定だと思うが、バーンズ政権という名になってるブッシュ政権に対する怒りが思い出されてくる。ほぼブッシュ政権のことと言ってよい。コンゴ情勢や「神の反乱軍」による虐殺も基本的には事実に基づいている。まあ「人間が書けているか」とか言い出すと、まだまだ不足はあるけど、多くの人に是非読んで欲しい現代日本の傑作エンターテインメント
 奥泉光「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」(文春文庫)。素晴らしく面白い。芥川賞作家にして選考委員、現役大学教授が書いてるから、難しいミステリーと思う人もいると思うけど、これは「単なる学園バカミス」である。それも大傑作の。「モーダルな事象」という面白い小説に出てた桑潟准教授(クワコ―)が、この10数年一本も論文を書いてないのに、つぶれそうな東大阪の麗華女子短大(レータン)から何故か千葉県権田市の「たらちね国際大学」に移ってきた。けどここもトンデモ大学で、文芸部の顧問を頼まれたクワコーは、人間的序列で最下位に近く、女子学生に使われながら、学園の謎に挑む。「ホームレス女子大生ジンジン」という超絶的設定がおかしいが、でもこのジンジンが実は名探偵で、解決は論理的なので実はバカミスではなかった。血が流れない「日常の謎」系で、学生の会話がムチャクチャ面白いので、バカミス風に読み進めるということで。それにしても抱腹絶倒。「舟を編む」の先生なら新語の用例が満載で泣いて喜ぶだろう。ダマされたと思って読んでほしい小説。
 その前に読んだのが梓崎優(しざき・ゆう)の「叫びと祈り」(創元文庫)。「柿崎(かきざき)」かと思ったら違う。では「あずさざき」かと思ってたら、「しざき」と読むという。1983年生まれの新鋭の兼業作家。でも、僕はこれはダメだ。超論理やホラーやSFではない。バカミスでもない。あくまでも「論理的な解決」に至る本格だけど、設定が奇抜すぎて超絶世界が楽しめない。
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ありがとう、カツ代さん

2014年01月29日 00時19分53秒 | 追悼
 NHK「きょうの料理」をはじめテレビや著作で家庭料理を伝えてきた料理研究家の小林カツ代(こばやし・かつよ)さんが23日、多臓器不全のため、東京都内で死去した。76歳だった。

 僕は結婚後に小林カツ代さんの名前を知った。わが家には何十冊もの小林カツ代さんの本がある。特に結婚直後に「働く女のための急げや急げ料理集」という本が出て、この本のレシピがいくつも食卓の定番となった。そういう実際的理由もあるけど、僕もこの本をパラパラと読んで、そこにある「日本女性の民衆思想」のようなものに深く共感したし、感銘を受けたのである。

 何も働く女ばかりが料理をするわけでなく、働く男もいれば専業主婦の女もいるわけだけど、そうは言っても働く必要もあり料理をする必要もある人間(それは男女を問わないし、育児に時間を取られる女性も含め)が、簡単にして美味しく、かつ栄養たっぷりの料理をつくる方法を伝授する。凝った料理ではなく、簡単だけど美味しい料理。毎日に本当に必要なのは、「和のこころ」とかどうでもいいから、誰でもすぐに作れるもの。結局女性が作ることが多いのは確かだろうから、「働く女のための」と題されている。これは現代で女性が生きていくうえの基礎的な知恵が詰まった本だと思う。

 その後「楽々ケーキ作り」という本にも感心した。とにかくこれも楽。僕も作りたくなって、僕でも作れた。やっぱりたまにはケーキでも、という「プチ贅沢」というか、「心のゆとり」が欲しいなあという気持ちがすごく納得できた。たまには夫婦で映画でも、たまには夫婦で温泉でも、というのと同じく、誕生日なら買ってくるけど、普段は時々家でケーキでも。だけど、やっぱり近くのスーパーで買える材料で、何時間もオーヴンで焼くんじゃなくて、もっと簡単にできるもの。これも実益を得たけど、同時にそういう考え方にも影響を受けた。

 その後は「なす大好き」「キャベツ大好き」とかの野菜本がいっぱいあって、これらは僕もほとんど読んでない。家で食べてるだけだけど、野菜は大事と言いながら、野菜料理があまり伝わってない(昔はおひたしと煮物だけみたいな時代だったから)。野菜のレシピを伝えていくのは、とても大事なことだと思う。いろいろな社会的活動もしたけど、そこにある「平和」への願いも、全部つながっていたと思う。そして、「簡単」で「誰でも」できて、「美味しい」ということが大事ということを僕は小林カツ代さんに学んだように思う。「一生懸命な人」だけが「難しいこと」をやるんじゃないと評価されない風潮が日本社会にはまだまだある。「簡単」で「美味しい」が「日常」を支える知恵というもんだ。どんな分野でも言えることではないか。

 ピート・シーガーも亡くなった。最近、僕が親しんできた人がどんどん亡くなっている。詩人の吉野弘さんとか。でも小林カツ代さんは、わが家の料理のかなりに影響を与えているので、僕の体の3割くらいはカツ代さんの本で出来てる気がする。そういう意味合いで、実はあまり知らないんだけど、追悼文を書いておきたいと思ったのである。
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「生き急ぐ」安倍外交-安倍内閣のいま①

2014年01月27日 23時49分19秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍首相と安倍内閣について数回ほど簡単に。昨年末の「特定秘密保護法」と靖国参拝を受け、通常国会が始まった段階で、「2014年の安倍内閣」を考えておく。

 まず最初に「外遊問題」。安倍首相は昨年来、今年に入っても外国訪問を繰り返している。もう今年度の予算を使い果たし、予備費を使っているという話である。他にも、東北被災地を初め国内訪問も多い。もちろん、合法的に選出された日本の政治指導者は、東日本大震災の被災地に行かなくてはいけないし、諸外国もたくさん訪問するべきだ。国内政局が不安定なために外国訪問もままならないような政権が続いていたのは、確かに問題だった。日本の首相のサハラ以南のアフリカ訪問は、小泉首相以来8年ぶりである(エチオピア、ガーナ)。

 もっとも安倍首相の1年間の外国訪問は16回だが、実は野田政権の外国訪問も16回と同じなのである。ただ、野田首相はサミットとか国連総会とかAPECとかASEAN首脳会議とか、そういうのに出かけてそのまま会議に出ただけで帰国というのが多い。また安倍政権では当面実現不可能な「日中韓サミット」というのもあった。そういう会議出席ではない外国訪問は、訪問順に韓国、中国、インド、米国しかなかった。これは必要最小限というべきものだろう。また会議出席では会議のニュースの中で諸外国の首脳と一緒にテレビに映るので、印象に残りにくい。それを思うと、「親善を深める」目的の訪問が多い安倍首相は、外国にいっぱい行ってる印象が残るわけである。

 ではどこに行ってるか、紹介しておきたい。
2013年
1月16日-19日 東南アジア(ベトナム、タイ、インドネシア
2月21日-24日 米国
3月30日-31日 モンゴル
4月28日-5月4日 ロシア及び中東諸国(サウジアラビア、アラブ首長国連邦、トルコ
5月24日-26日 ミャンマー
6月15日-20日 G8ロック・アーン・サミット出席及び欧州諸国(ポーランド、アイルランド、英国
7月25日-27日 マレーシア、シンガポール、フィリピン
8月24日-29日 中東・アフリカ諸国(バーレーン、クウェート、ジブチ、カタール)、
9月4日-9日 G20サンクトペテルブルク・サミット及びIOC総会出席(ロシア、アルゼンチン
9月23日-28日 カナダ及び国連総会出席(ニューヨーク)
10月6日-10日 APEC首脳会議等(バリ)及びASEAN関連首脳会議(ブルネイ)出席
10月28日-30日 トルコ
2013年 11月16日-17日 カンボジア,ラオス
2014年
1月9日-15日 オマーン,コートジボワール,モザンビーク,エチオピア
1月21日-23日 ダボス会議出席(スイス)
1月25日-27日 インド

 東南アジア諸国はすべて訪れた。トルコやロシアなど複数訪れた国もある。モンゴル、インドなどを訪れながら、中国、韓国がないのがいかにも不自然。アフリカも近年中国の経済的進出が著しいので、全体的に「対中国包囲外交」的な側面がうかがえるのは否定できない。これはいかにも問題ではないのか。東南アジア諸国と友好を深めること、中国との関係を「戦略的」に思考することは必要だと思うけど、中国に行けないような状況は日本にとっても本人にとっても、望ましいことではないはずだ。

 それと「原発輸出外交」を進めていること。トルコ、ベトナムだけでなく、今回のインド訪問も本来核兵器開発国であるインドと防衛協力を進めることは問題のはずであるが、もはや全く念頭にないのではないか。次回は2月7日のソチ五輪開会式になりそうだ。これも問題山積で、欧米諸外国首脳が軒並み欠席する見通しのところ、安倍首相だけがサミット参加国で出席することになりそうだ。開会式の2月7日は、もともと「北方領土の日」(幕末の日露和親条約締結の日)なんだけど、政府主催の式典に出席した後に、政府専用機で出かけるということだ。時差の関係でそれでも間に合うということなのだろうか。

 欧米諸国首脳が欠席するのは、プーチン政権の強権的体質、特に「同性愛関係の宣伝行為(プロパガンダ)禁止法」に反対の意思を示す目的がある。安倍首相はこの問題を人権問題ととらえられないかもしれないが、これではやはり「日本はロシアと並んで共通の価値観に立ってない国」だと思われてしまうだろう。日本は国会開会中だし、日本で人気が高いフィギュアスケートなどを応援方々、後から行けばいいではないかと思うが。それでも開会式に無理していくのは、「プーチンに恩を着せる」ということだろう。でも、それでロシアが北方領土を返還するということにはならない。「日本は人権を重視しない国」という印象を強めるだけだろう。大体、プーチンとかエルドアン(トルコ首相)とかと何度も会ってるというのも、「選挙で選ばれた政治家で、伝統重視で強権的手法が好きなタイプ」という共通点で意気投合したのではないか。

 そういう風に安倍外交には様々な問題があるのだが、それ以上に最近は「行き過ぎ」感が強まってるという問題がある。ダボス会議から帰って、翌日に国会で施政方針演説を行い、その翌日にはインドに行くなどというのは、どう考えても「張り切り過ぎ」ではないのか。ここまで「元気」で「張り切っている」首相を持つということは、国民として喜ばなくてはいけないのか。でも、やり過ぎは何か大きな穴に近づいている不安感も抱かせる。急ぎ過ぎではないのか。もっと言えば「生き急いでいる」感じがしてしまう。この「生き急ぎ」というのは、もちろん人間の生命のことではなく、「政治的生命の旬の時期」ということである。どんな高支持率を誇る政権でも、だんだん飽きられるし、選挙ではうまくいかないことも起こる。

 だから政治的基盤が強い時期に、どんどん「蒸気機関車に石炭をどんどんくべる」ようにエネルギーを全開させて、自転車操業というか、とにかくやり切るという感じを持つのである。行き着く所は、「いよいよ憲法改正」なのか、それとも「やはり抱える健康不安」なのか。それにしても、源実朝が官位がどんどん上がって行ったことに当時の人々が不安を感じたことを思い出すといっては、不謹慎なたとえに過ぎるだろうか。とにかく、「そこまではやらないだろう」などと思わない方がいいと思っている。次の選挙で何かあれば、「改憲派」は衆議院で3分の2を失うだろう。その前に、公明を引き留めつつ、「維新」「みんな」を引き入れるという策略はもう完成間近ではないか。
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「学校群制度」を、今どう考えるか

2014年01月27日 00時24分58秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 中高一貫校問題の新書を読むと、東京都の高校入試制度だった「学校群制度」についての話がよく出てくる。そこで最後に、この制度に付いて、今どう考えるかを書いておきたい。自分が高校を受けるときは、ちょうどこの制度だった。もうこの制度を直接知る人も少なくなっているが、今の制度に慣れてしまうと、ちょっと信じがたい部分もある。今は大体「都立高凋落の原因」と非難されることが多い。

 都教委は、2014年1月23日に、「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」なるものを発表した。入学者選抜のあり方を多少見直すということである。(細かくなるので、今は紹介しない。)その報告書に東京都の高校入試制度の変遷が書かれている。(16頁~)大きく言うと、以下の5つの時期に分かれるのである。
新制高等学校発足から学区合同選抜制度まで(1947~1951)
学区合同選抜制度(1952~1966)
学校群制度(1967~1981)
グループ選抜制度(1982~1993)
単独選抜制度(1994~) なお、2003年度からは「学区制度」も撤廃されている。

 各制度の詳細を知りたい人は前記報告書などを見て欲しい。こうして見ると、学校群制度以前も、単独選抜ではなかったことが判る。②の「学区合同選抜」と④の「グループ選抜」は、かなり似ている。「単独選抜」になったのは、1994年からだから鈴木俊一知事時代。「単独選抜」が「石原教育行政」の「競争政策」で始まったわけではない。「学区撤廃」は賛否があるが、都内でも特に23区内は地下鉄等の公共交通機関が多く、昔に比べて通学範囲は大きく変わっている。そういう事情を考えると、ある種の合理性はあると思われる。学区撤廃後の大きな混乱は起こっていないと思う。なお、島しょ部の普通科高校だけは、自由に受けることができない。大島海洋国際高校は都民なら誰でも受けられる。また、職業科高校はずっと学区と関係なしにどこでも受けられる。60年代後半以後にたくさん作られた新設普通科高校も、学校群と無関係に単独で受けられた。

 さて、岩波新書「中学受験」では、以前の都立高校がうまく行っていたと奥武則(法政大学教授)という人の主張を引用し、「この都立高校のシステムを崩壊させたのが、当時の東京都教育委員長だった小尾乕雄(1907~2003年没)だった。」(38頁)と書かれている。小尾乕雄(おび・とらお)は後に文教大学を開設する著名な人物だが、「教育委員長」ではない。もちろん「教育長」である。(岩波新書は「教育委員会」という本も出したばかりなのに、こういう間違いがあるのは驚く。教育委員長が教育行政を主導できるように間違うこと自体、教育行政に不案内なのか。)

 河合敦氏の新書では、「世にも奇妙な学校群制度」と題した章があり、「前代未聞の愚策」とされている。さらに「まさに人権の無視だといえる」とまで書かれている。では学校群とはどういう制度か。河合氏の説明を引用すると、「ナンバースクールを含めた複数の周辺校を群(グループ)としてくくり、中学生にはその群を受験させることにしたのである。そして合格者はアトランダムに群内の学校に振り分けられる。つまり、自分が入りたい学校を受験生が個人の意思で選べないのだ。」(15頁)

 ナンバースクールというのは、旧制の東京府立中学および東京府立高等女学校から続く都立高校のことで、特に明治、大正時代に作られたひとケタ台の学校は、長い伝統を誇る「名門校」とされている。簡単に紹介すれば、府立一中が日比谷、以下順番に立川、両国、戸山、小石川、新宿、墨田川、小山台となる。昭和に入って設立された九中が北園、十中が西(以下は省略)。一方、府立高女では、第一が白鷗、以下竹早、駒場、南多摩、富士、三田、小松川、八潮の第八高女までが大正までの設置である。こうして見ると、現在の進学重点校、都立中高一貫校にはナンバースクールが多いことが判る。東京以外の人には、煩雑な説明だったかもしれない。

 中でも日比谷高校1964年の東大合格者数で193名と圧倒的にトップを誇っていた。(岩波新書「中学受験」)2位が西高で156名、続いて戸山101名、新宿96名、次に教育大附属(国立)をはさみ、6位に小石川80名、私立麻布をはさみ、9位に両国64名と、10位以内に都立高校6校が入っていた。それが1977年のランキングでは、10位に西高が52名、13位に青山が41名、15位に富士が40名、17位に戸山が35名と、20位以内まで見ても4校になった。まあ、激減には違いない。それでも西、戸山などは健闘しているが、日比谷はランク外になってしまった。これが「都立高凋落」と言われるものの実態である。
(都立日比谷高校)
 以上のうち、戸山と青山は22群、西と富士は32群と、同じ学校群に所属していた。このように高い進学実績を誇る高校が2校組んだ場合は、それほど「東大合格者数」が落ちなかったのである。日比谷高校は「11群」となり「日比谷、三田、九段」と一緒だった。三つもの高校が同じ学校群になれば、当然(それまでと同じ学力レベルの中学生が受験したとしても)合格レベルが下がることになる。日比谷高校のある第一学区は千代田、港、品川、大田区だから、比較的豊かな階層が多い地域である。そこで、かなりの生徒が都立11群は滑り止めにして、私立高校に進学するという選択をした可能性が高い。その結果、東大合格者数で見る限り、日比谷高校は激減したわけである。

 ところで、これだけみれば、学校群制度は確かに「大愚策」にも思えるが、もちろんそういう制度をつくるには、それなりの事情があったわけである。ここまで日比谷高校が東大合格に近いとなれば、競って日比谷高校に入れたい親が多数出てくる。学区制があるから、先の4区に居住していないと日比谷高校を受けること自体できない。だから、日比谷にわが子を行かせるには、まず「転居」する必要がある。日比谷にもっとも合格者を出す中学は、千代田区立麹町中学校とされていた。そこへ入るには、千代田区立番町小学校から行くことになる。こうして小学生から子どもを「越境通学」させる風潮が蔓延したわけである。先の報告書でも以下のように書かれている。

 「いわゆる有名都立高等学校への過度の集中など、都立高等学校相互間の格差が固定するという課題が生じた。このため、中学校における過度の入試準備教育が行われ、中学校教育に弊害が生じることとなった。また、特定の高等学校に進学するために、小学校段階より越境入学が蔓延するなど、小学校教育にも弊害が生じていた。」

 学校群制度を非難する言説では、これらの事情が全く触れられない。僕はやはり60年代半ばの東京の公教育の実情は改革が必要だったと思う。それが「日比谷高校」の「凋落」を伴うのも仕方ないのではないだろうか。大きな目で見れば、日本の高度成長に伴い、「豊かな階層」が子どもを私立名門校や有名私立大学附属高(附属中)に進学させる風潮は、学校群がなくても生じただろう。だから進学実績が都立優位から私立優位に移ったのは、本質的な問題とは言えないのではないか。
(第2学区の学校群制度)
 問題は「学校群では進学する高校を自分で選べない」ということをどう考えるかである。僕もこれに関しては、自分の受験当時から完全に納得できるものではない。自分が52群を受験したとき、「上野高校、白鷗高校」のどちらかになるか、何の希望も聞かれないことに不満はあった。(自分は、「高校紛争」で定期テスト廃止、自主ゼミ創設など画期的な改革を打ち出した上野高校に行きたかったのである。)その場合、友だちと違う学校に分けられるということが一番大きな問題であって、学校内容はどっちになっても大きな不満はない場合が多いと思う。レベルが同じ程度で通学距離もあまり違わない高校を組み合わせれば、どっちになっても学校振り分けの不満は起こらない。(繰り返すが、友人と別になったということと、希望を全く聞かれないという2点についての不満は残る。)

 河合氏が「人権無視」だというのを読んで、そういう考えがあるかと思い、かなり考えさせられた。学校群制度が「人権無視」だとすれば、当時の生徒は「人権侵害を受けた被害者」である。僕は白鷗高校の生徒会で制服廃止運動は多少行ったけれど、「学校群制度を廃止せよ」という運動は行わなかった。というか、当時誰も自分が「被害者」だとは思っていなかった。子どもは大人が決めた受験制度の中で高校に進学するしかない。それが不満がある制度だったとしても、「そういうものだ」と思うのである。入れば入ったで、新たな友人ができて楽しくやっていく。中学時代の友人は、もともと違う学校群を受けたり、職業高校や私立高校へ行ったりする方が多い。中学を出たら様々な道に進むのは当然。学校群制度で友人とは違う学校になっても、そういう「一般的な別れ」の一種だと理解していたのである。

 群よう子「都立桃耳高校」(新潮文庫)という小説がある。今は古本でしか入手できないようだが、これは学校群時代の高校の様子を伝える面白い本である。そこにも書かれているが、同じ都立と言えど、地域性や伝統の違いで、ある程度気風の違いが出てくる。学校群では自分で希望したわけではなくアトランダムに振り分けるのだから、そういう伝統は消えていくはずである。しかし、各校の気風はやがて「伝染」して行って、なんとなく学校群以前の伝統が残って行ったのである。それが「学校」と「地域」の力と言うべきもので、結局大きな目で見れば、学校群制度は(一部有名校の進学実績を除けば)、都立高校の気風に大きな変化をもたらさなかったのではないだろうか。
 
 ところで、学校群が廃止された後、グループ選抜という制度になった。自分が中学教員になった時(1983年)には、制度が変わっていたので、最初は戸惑った。これは同じ学区を2つ程度の地域グループに分け、そのグループの中で希望校を受けるが、グループ全体で合否判断を行うというものである。だから、グループの最難関校を受けて不合格になっても、グループ全体としては合格することがある。その場合、上位校はすべて希望者多数でふさがっているが、下位校に空きがある場合そこに進学できる。この制度は果たして学校群よりいいのだろうか。僕は教員としてみる限り、改善とは思えなかった。上位校でも合格者が私立高校に回って空きが出ることもある。その場合、中堅校で不合格になった生徒がグループでは合格して、後から空きの出た最上位校に合格することもあった。そういう場合、生徒も教師も非常に苦労したということを聞いている。

 一方、学校群時代は、進学校でも東大合格の縛りが薄まり、それなりに行事や部活、生徒会、あるいは自分の趣味などに時間がさけるので、結構生徒は充実していたのではないか。最難関の日比谷では「生徒のレベルが落ちた」と不満だったというが。今、年長の都立高教員には学校群時代の都立出身者が多いが、大体は「昔の都立は良かった」と思っていると思う。その「昔」は学校群以前の時代のことではなく、学校群時代の都立も捨てたものではなかったと思っているのではないか。どんなもんだろうか。最後に繰り返しになるが、もう一度言っておくと、「学校群制度」を全面的に肯定するものではない。だけど、中学時代の友人と別れるのも、中学卒業というものではないかと思っていたのである。さらに、職業高校や定時制に行くクラスメイトは初めから学校群には関係ない。「学校群=都立凋落」というのも、一面的な見方ではないだろうか。
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「できる子」問題-中高一貫校問題⑦

2014年01月25日 00時27分47秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 「スピンオフ」(派生)と言ってたけど、内容的に続きだなと思うようになったので、中高一貫校問題の7回目として。政治、国際問題などで書きたい問題が多くなってきたけど、調べて書くのが大変なので、まず教育関係の記事を書いてしまうことにする。もともと、僕は中高一貫どころか、小中高一貫の12年教育が理想ではないのかと思っていた。それは学生の頃に、子安美知子「ミュンヘンの小学生」(1975、中公新書)を読んで、「シュタイナー教育」というものを知ったからである。続いて「ミュンヘンの中学生」も出て、またシュタイナー教育に関する本も出している。それらを読むと、「これが理想の教育ではないか」みたいな感想を持ったわけである。

 今、シュタイナー教育については書かないので、知りたい人は自分で調べて欲しい。今では、日本でも「シュタイナー学園」が神奈川県相模原市に作られている。非常に素晴らしい言葉がホームページには載っている。でも、僕は今では、そういう「全人的教育」みたいなものが、「すべての生徒にとっての理想教育」だとは考えていない。時と所を得なければ、人間にとってはどんなところも抑圧の場となりうると思っている。「日本の現実」の中で生きている今の日本の子どもにとっては、「多様な学びのあり方」が用意されていなければならないと思っている。だから、もちろん「シュタイナー学校」もあっていい。でも、それがすべての子どもにふさわしいとは思っていないわけである。

 世の中には「できる子」というものがいる。この場合の「できる」とは、主に学力面で「飛び抜けた才能を持つ」といった意味である。「できる子」には、今の日本の学校はあまり楽しくないだろうと思う。運動や芸術方面で飛び抜けた才能を持つ子どももいる。その場合は、学校空間では割と生きやすい場合が多いだろう。もちろん、「オリンピックでメダルが期待できる」レベルまで優れている中高生だったら、苦労も多いのかもしれない。でも「学年で一番足が速い」程度の運動技能だったら、人生を充実させてくれる場合の方が多いと思う。それは「才能を分け与える」機会が保障されているからである。運動会のクラス対抗リレーなんかに出て、皆の前で才能を披露して、クラスのヒーローとなれる。才能あるものも、社会の中の一員として生きて行かなくてはいけないので、その才能を周りに分け与えていく機会がないと評価されない。自分でも才能を持てあましてしまうことになる。

 でも、学力面で優れた才能を持つ子どもの場合、その才能を分け与える場がなかなかないのである。学力を測る機会はいつでもあるが、例えば定期テストで優秀な成績を取っても、それは「個人的な問題」とされ「個人の努力」として語られるてしまう。本人の意識では別に頑張っていないのである。学年で一番になって、教師から「よく頑張ったな」と言われても、別にそれほど頑張ったわけではないので、困ってしまう。今「できる子」と言ってるのは、そういうタイプの子どものことで、ものすごい努力のすえに成績上位をキープしている人は含まない。そんな「学力が優れている子ども」は現実にいっぱいいるだろう。今は成績を公開する時代ではないし、学力は「自己責任」とされがちな時代なので、クラスで「できる子」が「できない子」を支援するような学習集団作りがうまく行ってる学校も数少ないだろう。だから、「できる子」は学校に居場所がないことになりやすい。

 知的な障がいを持つ生徒に「特別支援教育」があるなら、知的に優れた生徒にも「特別支援教育」が必要なのだろうか。それが私立や公立の「中高一貫校」なのだろうか。私立の名門進学校などの様子を見ると、生徒の能力がもともと優れていて、そのため東大合格者数などが上位となるということでではないか。公立の小中高教師というのは、まあ、勉強が嫌いではならないだろうが、勉強がものすごく出来たという人も少ないと思う。「勉強がものすごくできる」とは、医学部とか東大法学部に合格するという意味で、そこまで行ったら公立校の教師になる人はほとんどいないだろう。私立中堅大学出身の教師も多いけど、そこでも一番優秀なら母校の教授になってるのではないか。学校で教えるのは、単なる学力だけではないから、どの大学で学んだのかなどは現実の教員にはほとんど関係ない。でも、「普通の教員」は自分では「東大に現役でスイスイ合格できるような生徒」ではなかった。生徒の方が上なのである。これでは「教師が生徒を教える」というより、「同じように才能豊かな生徒同士の切磋琢磨の機会を与える」方が生徒の成長に役立つのではないか。

 僕はそのようにも思うので、「できる子向けの中高一貫教育」もありうるだろうと思っている。でも、僕はそのことが書きたいのではない。そこには「2つの問題」があると思っているのである。まず一つは「通学問題」で、小学生時代から「できる子」というのは、頭でっかちで体力が弱い場合も多いと思う。大人に交じって長い通勤列車に乗って通学するというのは、ものすごく苦痛だと思う。地元の学校に行くのに対し、1時間以上早起きしないといけないとかなれば、体力的に持たないのではないか。こう思うのは、自分がまさにそうだったからで、遠足が雨になればいいと思うタイプだったので、長い通学時間をかけて通う気にはならなかった。でも中学受験はしたのである。それは「力試し」がしたかったからで、本心は小学校より圧倒的に近い家から極めて近い地元の中学校に行けばいいと思っていた。友達はいたのだから。

 それでも小学生時代に進学教室などに通う経験をした。面白かったのである。先取り学習も興味深かったし、大学のキャンパスに日曜ごとに通うのも面白かった。(学生運動華やかなりし時代で、「米帝」だの「粉砕」だのという言葉を覚えたのもその場である。)学校では現代史なんか全然教えない時代で、「2・26事件」や「東条英機」を歴史用語として学んだのは、実は小学校6年生の中学受験向け進学教室のことなのである。今思えば、これは親の考えや経済的条件があってのことであるだろう。小学生だから「自我の目覚め」前である。僕は自分が一度、世界の国や歴史的人物が出て来れば、一度で覚えてしまえるので、なんでそんなことができない子がいるのか、まだ判らなかったのである。子どもというのは、自分の尺度でしか見えないという時期があるのだ。

 だから、小学生で中学受験に向け勉強するのが楽しくてならないという場合は、やればいいとも思う。その場合、親は子どもに「高校受験をしなくていい」というプレゼントができるが、逆に「友人と共に高校受験に挑む」という体験を奪うことになる。それさえ判っていれば、後はどっちがいいかは誰にも判らない。ただ、僕はもっと別の問題があるのではないかと思うようになった。それは中学や高校になって、「自我の目覚め」が訪れ、自己の世界観が確立されていく。その時に必要な物は、学校の勉強ではない。それよりも「読書」や「音楽」や「映画」、あるいは「社会参加」の体験ではないか。しかし、中高一貫校に入ってしまうと、学校の学習と通学に時間を取られ過ぎる恐れがある。「こんな本を読んでいるのか」と思われるような本(僕の時代だったら、マルクスやフロイトやドストエフスキー、歎異抄や聖書、三島由紀夫や大江健三郎など、高校生なら普通に読んでいた本だけど、今なら何になるだろう)などに取り組む時間がどこにあるのだろうか。それが心配なのである。地元の中学校にいれば、それほど勉強に頑張らなくても学年トップ級を維持できる場合も多いだろう。それなら、勉強以外に自分の世界を確立できる時間を持てる。そういうこともあると思う。

 ただし、その場合「切磋琢磨経験」は少なくなるので、公立中で「豊かな学び」が保障されなければならない。これが難しいのかもしれない。それは学習面でも「優れた能力を周りに分け与える」体験でなくてはならない。英語劇のリーダーとして活躍するとか、理科の実験や観察をまとめて発表し評価されるとか。あるいはクラスの文化祭でやる演劇で、脚本を書いたり演出をするとか。映画製作でもいい。その場合、クラスには、役者になりたいタイプもいるし、裏方の照明や音響の方を引き受けるタイプもいる。でも、それらは他の人でも可能だけど、脚本を書けるとなると誰にでもできるわけではない、僕が「才能を分け与える」というのはそういう意味で、そう言う体験をできるかどうかで、学校も、本人に人生も変わっていくと思う。
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都知事選の投票率はどうなるか

2014年01月22日 22時03分06秒 |  〃  (選挙)
 いよいよ都知事選の告示日となる。今回の都知事選については、何も書いて来なかったし、終わるまで書く気はない。ただ投票率がどうなるかの観測だけ書いておきたいと思う。その前にちょっと触れておくが、日本の選挙というのは、本当におかしなことばかりである。選挙の告示も済んでないのに、「有力候補」だけ集めて演説会を開こうとする人がいる。参加できない陣営を批判するような論調があるが、それは「事前運動」とどこが違うのか。一方、告示されるとできなくなることがあるので、告示前にしておいて下さいと言う訴えもある。選挙戦が始まる方が選挙運動が不自由になるのである。不思議な公職選挙法である。

 さて前回の都知事選前にも、「都知事選と衆院選-投票率を調べてみる」という記事を書いた。その記事の中に過去の都知事選の投票率を書いておいた。都知事選というのは、前々回までは統一地方選挙の前半(4月の第2日曜)に行われてきた。1947年4月に日本国憲法の地方自治制度に基づき、最初の都道府県知事選挙、および都道府県議会選挙が行われた。以後、任期途中の辞任、死亡などがなければ、今も4年ごとの4月(次回は2015年)に行われるが、もうそういう県は10程度になっている。都道府県議会選挙は、まだ統一地方選挙で行われているところが多いが、東京は1965年に都議会での大規模汚職事件が起き、都議会が解散して臨時に選挙が行われた。(それまで地方議会の解散は法律上できなかったので、国会で特例法が出来て、その後に解散した。)それ以来、都議会選挙の時期がずれてしまい、国政選挙の前哨戦になってしまった。2009年6月の都議選は民主党が圧勝し、夏の政権交代を予告した。一方、昨年6月の都議選では自民党が圧勝し、7月の参院選挙の与党過半数獲得を予告した。

 ということで、近年の都知事選は統一地方選挙で行われてきたが、前回初めて知事の任期途中辞職があり、年末に行われることになった。そこに後から衆議院の解散が行われ、都民にとっては同日選挙になった。衆院選は小選挙区と比例区とあるうえ、最高裁裁判官の国民審査もあるし、そこに都議会の補欠選挙があった地域もあり、あまり選挙が重なるのも困りものである。と言っても、人が一番行く衆議院選挙と重なったこともあり、62.2%いう異常に高い投票率となった。3分の2もないのに「異常に高い」のかというかもしれないが、1975年の美濃部知事三選(対立候補は石原慎太郎)の時の67.29%以来の高投票率だったのである。これは「衆院選に行くついでに都知事選にも投票した」ということである。それまでの都知事選史上最高だった美濃部知事の2期目の361万票を軽く超えて、猪瀬前知事が433万票も取ったのはそういうことである。

 となれば、今回の都知事選の投票率は下がるだろうと予想できる。「脱原発をめぐって熱い論戦が繰り広げられ盛り上がる」などという人がいるかもしれないが、そういうことがあっても、「盛り上がって50パーセントを超えた」というレベルだろうから、前回に比べて10%程度は減ると見ておかないと行けない。昨年の都議選は、なんと43.5%だった。それよりは高いのではないかと思うが、やはり必ず減るだろう。それを予測できるデータもある。

 東京新聞1月13日付に出ている世論調査結果である。その記事は「『投票行く』93%」と一面トップで大見出しが出ている。読んでみると「投票について『必ず行く』と『たぶん行く』と答えた人が合わせて93%に上り、関心の高さを示した。」と書いてある。僕が思うに、これは「そう書いておかないといけない」という記事であって、データ読解が間違っている。なぜなら、前回の調査結果も出ていて、前回は「必ず行く」が66.5%、「たぶん行く」が25.7%で、91.5%が「高い関心」を持っていたからである。で、実際は62、2%。「必ず行く」人も行かないのである。だから「たぶん行く」は行かないということで、新聞社に聞かれると、まあはっきり行かないとは言わないのである。まだこの国では、聞かれれば「選挙は一応行くべきもの」という「空気」があるのである。

 そう考えると、「必ず行く」が、今回は5.9%減少しているという所こそが、この調査の示す一番大事なデータである。「必ず行く」からさらに少し引くと、50%台半ばということになる。近い時期に国政選挙どころか、地方選挙もない、完全に独立した選挙になったこと、一番寒い1月末から2月の選挙戦になったこと、特に都議選が終わってから半年ほどということなどを考え合わせれば、5割を超えるかどうかこそが問題で、盛り上がって5割台半ばと思っている方がいいのではないか。もちろん、それがいいと言う話ではない。

 ところで、昨年の「12月2日現在の選挙人名簿登録者数」は、「10,806,141人」となっている。性別を示すと、男が5,311,546人、女が5,494,595人。
 大まかに言えば、東京の有権者は1千万人である。従って、5割の投票率で500万票、6割になれば600万票となる。さて、その投票結果がどうなるだろう。何となくの予測はあるが、書かないことにする。影響力もないし、当たっても特にうれしくないので、終わってから書く気になれば書く。それにしても、有力候補なる人々はみな高齢男性ばかり。この厳寒期の選挙で、インフルエンザにかかって倒れたりすると、あっという間に陣営が崩壊する恐れもある。動員されても演説をあまり近くで聞かない方がいいかもしれない。まあ、健康に気を付けて下さい。

 東京では、有権者が多すぎて、調べて演説会に行かない限り、選挙カーにあうこともなく、選挙ハガキも来ない。電話も載せてないから来ないし、新聞を取ってない人は広報も入手しにくい。かなり多くの人が、ポスター掲示板しか選挙らしいことがないということになる。東京で1人を選ぶというのは、「砂漠の中で石を見つける」ようなものだと思う。さて、どうなるか。
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「中高一貫」と「定時制」-中高一貫校問題⑥

2014年01月21日 23時36分19秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 中高一貫校問題が大分長くなってきたが、一応直接の問題としては今回で終わり。ただし「スピンオフ」(派生)があるので、若干続けて書くと思う。最後に書いておきたいのは、中高一貫校と夜間定時制課程の問題である。かつて東京のかなり多くの高校で、夜に定時制課程の授業があった。(昼間に学習する高校は全日制課程という。)今、進学指導推進校や中高一貫校には、一つも定時制課程が置かれていない

 もっと言えば、山手線内の都立高校には一つも定時制課程がない。そうなったのは、中高一貫校を(都立大附属高校に加えて)あらたに9校をつくることを打ち出した、2002年の「新たな実施計画」(第三次高校改革。前回の「都立高校の教科書問題」を参照。)で、多くの定時制課程を閉課程すると決められたからである。つまり「中高一貫校大量設置」と「夜間定時制大量閉課程」は、同じ計画で決められた「コインの裏表」である。しかし、そのことの意味は今まで紹介してきた3冊の新書のどこにも書かれていない。そういう問題があるということもほとんど意識されていないと思う。

 僕はこの「新たな実施計画」により、勤務先(夜間定時制)が閉課程となり、出身校が中高一貫となるという、まさにコインが表も裏もぶつかってきた体験をしているので、どうしても「両方の政策を複眼的に検討する」ことが必要だと思い続けてきた。ところで、都立高校改編はその全体を通して「新しいタイプの高校等」をつくることを進めてきた。一次、二次では「単位制高校」「総合学科高校」「昼夜間定時制高校」などが作られている。(都教委が「チャレンジスクール」と呼ぶ僕の最後の勤務校は、この3つがすべて合わさった「三部制総合学科単位制高校」である。一方、そうではない学年制の「総合学科高校」や「進学型単位制高校」などもたくさん作られた。)そして、最後の第三次計画で、中高一貫校や(夜間定時制を統合した)昼夜間定時制高校が大量に設置されたのである。

 中高一貫化が計画された10の高校すべてで、かつて夜間定時制課程が置かれていた。ただ都立大附属高校と白鷗高校では、計画時点で定時制はなくなっていた。しかし、それ以外の高校には皆、夜に学ぶ生徒が通っていたのである。ただし、そのほとんど(南多摩高校などを除き)クラス数が学年で一つしかない「単学級」になっていたと思う。都教委は「新たな実施計画」で、単学級校はすべて他の学校と統合して「昼夜間定時制高校」に再編するとしている。(ちょっと細かくなるが、その統合校を書いておく。小石川高校定時制は、一橋高校。両国高校定時制は、浅草高校。大泉高校定時制は、稔ヶ丘高校。富士、武蔵、三鷹の各校定時制は、荻窪高校。南多摩高校定時制は、八王子拓真高校。北多摩高校定時制は、砂川高校。そして、各校の全日制課程を中高一貫化したわけである。)

 この意味は僕にはまだよくわからないところが多い。同時期の2003年に受検にあたっての学区制が撤廃されている。そのことも併せて考えると、全都規模での「効率化」「集約化」というのがあるとは思う。「出来る子」は「出来る子」で、「問題を抱えた子」は「問題を抱えた子」で、囲い込んで効率的に教育する方が「投資効果」があがるという考えである。まあ多分そういう発想だと思うけれど、それでいいのだろうか。教育の本質面もあるけど、もう一つ理由がある。夜間定時制は「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律」という法律があり、給食の提供が義務付けられている。簡易給食(パンと牛乳とか、弁当の販売とか)の地域もあるかもしれないが、東京は恵まれてきて長い間自校給食を実施してきた。21世紀になって調理校を集約し、他校には冷蔵した給食を配色する方式となったが、それでも調理室を持つ高校がたくさんあったのである。それらの学校は、やがてくる恐れが高い首都直下型地震において、電気、ガスが通じさえすれば、学校に避難している人々に暖かい食事を提供できる拠点となりえたはずである。その多くをなくしてしまったのは残念だと思う。

 それはさておき、都教委は「中高一貫校には、夜間定時制はおけない」と考えている。それは何故か。定時制課程は、本来は経済的に昼間は働いて夜に学ぶと言う「苦学生」のための学校だった。(中高一貫の立川国際中等学校となった北多摩高校は、定時制の立川青年学校から出発している。そのように定時制として発足した学校も多い。)しかし、経済的に豊かになるとともに、多くの生徒が全日制高校に進学できるようになり、夜間定時制課程の生徒は減少していった。その結果、「倍率が一倍に達しない」ため、普通だったら高校に合格できない生徒が多数集まる場となっていた。中学で不登校だった生徒障害を抱えた生徒、日本に来たばかりでまだ日本語が不自由な「ニューカマー」の外国人生徒、かつて高校を中退し(あるいは高校に行けずに)30代以上になって(時には60代で定年を迎えた後で)高校に通う高齢生徒…。中には生活指導面で大変な生徒もいるし、制服などはないから全日制生徒には許されない「自由すぎる服装」で登校する生徒もいる。それがいいかどうかは別問題だけど、「そういう生徒が集う学校がある」という現実はあった。

 それは、どうも都教委的には、「まだ小学校を卒業したばかりで、中高一貫校に来たばかりの生徒には、夜間定時制の生徒と一緒の場で学ばせるのはふさわしくない」と考えたらしいのである。(夜間定時制の学習は、昼間の生徒が帰った後の同じ教室で行う。)その考え方の当否はともかく、そう思うならば、都立大附属高校(中高一貫校としては桜修館中等学校)と白鷗高校(附属中学校)を先行して中高一貫化し、他の学校は定時制課程が終わった後で中高一貫化しればいいではないか。ところが、2006年に小石川高校と両国高校が中高一貫校となった時には、まだ小石川高校定時制課程と両国高校定時制課程は在籍生徒がいた。(それらの学校を統合するとされた一橋高校と浅草高校は、同じく2006年に発足したので、新入生はいなかったけれど、2年~4年の在籍生徒がいたののである。)

 ではどうなったかと言えば、両校の定時制生徒は、入学当初から通った高校に卒業まで通うことを許されず、それぞれの統合先となった一橋高校と浅草高校に通学先を変更させられたのである。(例えば、両国高校だったら、両国高校浅草分校と呼ばれ、名前上は両国高校に卒業まで通ったことになっている。同じことは都立武蔵高校が2008年に中高一貫化された時にも起こった。)最後に中高一貫化された2010年に開校した4つの高校では、そういうことは起こっていない。定時制と中高一貫が同居できない(ということ自体が僕には理解できないが)としたら、定時制生徒が卒業し終わった後で中高一貫校にすればいいではないか。「中高一貫校」は「定時制課程の生徒」を追い出して開校した。これは「人の道に反する」と思うのだが、そのことは忘れずに伝えておきたいと思うのである。
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都立中学の教科書問題-中高一貫校問題⑤

2014年01月20日 00時39分01秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 去年暮れに中高一貫校関連の新書が相次いで出版されたことから、この問題を書き始めたわけである。ところがこの3冊の本すべてに全く書かれていない重大問題が2つある。「教科書問題」と「定時制問題」である。そのことを書いておきたいと思う。まず、不思議なことは、この3冊とも、東京で初めて作られた中高一貫校である白鷗高校の中高一貫1期生の進学実績に多くのページをさいている。しかし、(知ってか知らずか判らないが)、東京都の教育行政全体の中で、この問題を考えていない。

 都教委は20世紀後半から「都立高校改革」を進めてきた。その中身は「都立高校改革推進計画」に詳しくまとめらrている。都立高校の再編は3回に分けて進められてきた。その中で「都立高校の規模と配置の適正化については、平成23 年度までを視野に入れて、平成9年度から平成18 年度までに、統合・改編等に着手するものを計画化」とされている。西暦で書けば、1997年から2006年となる。この中で、都立中高一貫校を10校も作るというのは、2002年秋に発表された「新たな実施計画」(第三次計画)で明らかにされた。ところがそれ以前に発表されていた「第二次実施計画」に、都立大学附属高校を中高一貫校に再編するという計画が入っていたのである。

 その時点では、僕はこの計画はまあいいのかなと思っていたのである。各県で一つぐらい中高一貫校を作るという計画があったから、東京でも一つぐらいあってもいのかなと。(都立大学そのものも再編計画があった。それは大きな反対があったが結局「首都大学東京」になった。都立短大や都立高専も同時に再編された。)ところで、この「第二次計画」が実現しないうちに、つまり中高一貫校を一つ作ってその検証をする前に、それどころか、都立大附属を差し置いて第三次の計画に入った「白鷗高校の中高一貫化」が先行したのである。そして同時に都立高校10校を中高一貫校にするという、その時点でもまた現時点でも他県で実施されていないような計画となった。それも「進学校として知られていた高校」を中高一貫化するというのである。これが私立高校にも影響しないわけがない。私立を管轄するのは都教委ではなく、都知事の直轄である。(全国どこでも、大学以外の私立学校の設置・廃止・変更などの認可は教育委員会ではなく、都道府県知事の権限である。)つまり、石原知事(当時)の意向や了解などがなければ、このような「中高一貫校政策」は実施できないと思われる。

 2004年4月、白鷗高校に「白鴎高等学校附属中学校開設準備室」が設置された。前年の2003年10月23日に、かの「10・23通達」が出された。また2003年夏に、「七生養護学校事件」が起こされ、都教委による性教育の弾圧が進められた。また2003年度から「主幹」制度が導入され、2003年9月に「異動要項の改悪」が行われた。このように、都教委の権力的教育行政がもっとも「猛威」を振るったのが、中高一貫校計画が実施された時期と全く重なっている。であれば、都教委の国家主義的または新自由主義的教育観が、当然中高一貫校大量実施計画にも反映していると考えない方がおかしい。僕にはそう思えるし、当時都教委のもとで働いていたものとして、そのように考えていたのである。

 その懸念は、白鷗高校附属中学校が2005年に発足するに当たり、その前年の夏に使用教科書を「採択」するときに、まざまざと証明された。この時に都教委は「新しい歴史教科をつくる会」の作った扶桑社の教科書を採択したのである。(ちなみに僕は、白鷗高校の卒業生であり、白鷗の名を冠する附属中に扶桑社版歴史教科書を使うことを歴史の教員として認められないと考え、都教委への反対運動を行った。以後も、採択及び採択制度の改善に向け、都教委への運動を継続している。)教科書の採択制度を今ここで詳しく解説する余裕がないが、小中の教科書は「無償」になった時から、教育委員会による「広域採択」となっている。区立中は区教委が採択するが、都立中学は都教委の設置だから、都教委が採択できる。それ以前に、都教委は養護学校の一部に扶桑社を採択していた。(最初の扶桑社版を採択した公立学校は、東京都と愛媛県の養護学校のみだった。)

 以後、続々と開校する都立中学(都立中等教育学校前期課程)の歴史、公民教科書は、すべて扶桑社またはその後継の育鵬社しか採択されていない。他教科は学校ごとに分かれている場合もあるが、歴史と公民はすべて全校一致して同じものである。もちろん「現場の意向」は聞かれていない。都教委が作った調査資料からも、決して扶桑社(育鵬社)が一番すぐれているという結果は出ていない。では何故扶桑社(育鵬社)を採択するのかは、理由を全く明らかにしないので(公的には)判らない。どの教科書にするかを投票すると、なぜか(ほとんどすべての場合で)扶桑社(育鵬社)が全員一致(または一人他社)となる。そこで「扶桑社でいいですね」となって議論なしでオシマイ。だから理由が判らないのである。もっとも、はっきり言えば「理由は判っているとも言える。」扶桑社あるいは育鵬社を支持するような政治的、思想的傾向の人しか、初めから教育委員に任命されていないということである。(そもそも当時の石原知事本人が、「新しい歴史教科書をつくる会」の強力な支持者だった。)

 一番最初の白鷗の採択時は、8月の終りに採択が決定された。(中学教科書は4年ごとの採択時期に、8月までに採択結果を文科省に報告することになっている。)しかし、その翌年の採択からは、すべて7月下旬に採択している。(なお、8月上旬は都教委定例会を開会しないことが恒例となっている。)8月下旬でもいいのに、7月中に採択するのは、全国に東京の採択を知らせるという政治的目的があると言われている。中高一貫校それぞれを見ると、生徒に考えさせる教育を行おうということになっているようだけど、それを都教委が本当に推進するつもりなら、最も不適当な教科書を選び続けている。東京が中高一貫校を大量に作った理由は、少なくとも都教委レベルでは、この教科書問題を考えに入れないと理解できないと僕は思う。
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「できる子」のトリアージ力-中高一貫校問題④

2014年01月18日 23時47分07秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 1995年1月17日、阪神大震災から19年が過ぎた。この年は3月20日に地下鉄サリン事件が起き、首都圏ではそっちの印象の方が強くなってしまった感もあるが、双方あいまって「恐ろしいことが起きた年」であり「忘れがたい悼みの年」だった。東日本大震災に際して僕も参加したFIWC(フレンズ国際ワークキャンプ)は、神戸でもボランティアを行ったので、僕も一日行ってみた思い出がある。(もっとも仕事の都合で、行って帰っただけなんだけど。)

 ところで、阪神大震災を契機に、PTSD(心的外傷後ストレス障害)とか「トリアージ」という言葉が一般に知られるようになった。「トリアージ」には「識別救急」という訳語もあるようだけど、定着しているとは言えない。要するに、戦時あるいは大災害時など傷病者が大量に出る非常事態に、「助かりやすさ」を医療機関が判断して治療や搬送の優先順位を決めることである。この考え方を一般化すれば、「繁忙期に仕事に優先順位をつける」ということで、この能力がないと仕事がうまくいかない。いつも忙しがっては仕事を忘れ混乱しているような人は結構いるもんだ。

 この「トリアージ能力」の育成が、今後の公立中高一貫教育には求められていると「公立中高一貫校」(ちくま新書)に出ている。他にも挙げているので、参考に紹介しておくと、①判断推理力+空間的把握力②集合能力+観察力③図解能力+分析力④異文化を理解する力⑤弱者に暖かい視点を持つ力⑥複数の対立する価値を比較し利益を衡量する力⑦自分の力を他者に伝える作文力

 その⑥が「トリアージ」ということになる。1回目に書いたように、公立中高一貫校では学力検査による入学者選抜が認められていない。そこで「適性検査」を行うわけだが、その検査問題の分析を通じて、著者小林公夫氏が理解したところでは、以上のような能力が求められているというのである。もっとも①②③などは、私立中入試でも必要な学力を問う問題と共通の能力である。しかし、作文などが入ってくる公立では④⑤⑥などを理解し、それを⑦の作文力にまとめていくことが要求される。このあたりを読んで、僕は「異文化を理解する」「弱者に暖かい視点を持つ」というのは、要求されるべき「力」なのだろうかと思ってしまった。⑦の問題は、具体的には群馬県太田市立太田中の出題を紹介しているので、前記新書を参照。

 しかし、公立中高一貫校では「価値を比較し利益を衡量する力」は必要なんだろうか。学習進度が早いうえに、行事や部活動も中学生と高校生がいるとなれば、確かに「何を優先すべきか」が判っていない生徒は中高一貫校では伸びないのかもしれない。しかし、どうにも不思議な感じがしてしまうのである。「弱者に暖かい視点を持つ」「対立する価値を比較し利益を衡量する」、そういう力がある児童ならば、地元の公立中に進学してそこで活躍するべきものではないのか公立中高一貫校の検査問題に、以下のような問題を出してみてはいかがだろうか
 「公立中高一貫校に進めば学力を伸ばせられる面はあるが、一方公立中で学力面でリーダーになる生徒が少なくなるとも言える。公立中高一貫校をつくれば、そこを目指す生徒に向け小学校の教育も大きく影響を受けることになる。そのような対立する価値を比較し、公立中高一貫校を作ることをどう思いますか」「弱者に暖かい視点を持つ」観点を踏まえて、作文にまとめなさい。

 実際に東京ではどのような状況になっているかを数字で確かめてみたい。
 昨年度の東京都公立中学校卒業生は、約9万5千名となっている。5年前は9万名なので、東京では小学生が増えている。(「東京一極集中」の中、都心に近い地域で再開発が進んでいることもあるし、ローンを組んで近県に家を買うことができる層が減少しているのかもしれない。)

 そのうち、都内私立中学に1万5千名ほどが進む。都外に行くのはその1割の1500名。国立に377名。都立中高一貫校に1352名が進んでいる。他に都立の特別支援学校に行く生徒もいるわけだが、結局公立中学に7万7千名強が進む。都内の公立中高一貫校には千代田区立九段中等学校もあるが、区立中なので以上の統計では公立中に入っている。
 都内の公立中高一貫校の募集人員は、九段を入れて、合計1600名となっている。(4クラス、160名募集校が多いが、両国、富士、大泉、武蔵では120名募集となっている。九段が160名募集なので、合計11校で1600名となる。

 一方、応募者数は一般枠の都立計で、10583名となっている。九段は千代田区枠と他区枠が半々だが、他区の80名募集は685名と非常に倍率が高い。実際の受検では、私立に受かっている生徒の欠席が各校で数十名あるので、1万名強に減る。私立進学者1万5千名に加え、都立受検者が1万名ほどいる。つまり、東京では小学校卒業児童の4分の1が、「中学受験」をするのである。これはいくら何でも多すぎないか。私立希望者だけなら公立小が配慮する必要は少ないだろうが、都立の中高一貫校に行きたいという希望がこれほど多ければ、小学校教育そのものが全く変わうのではないか。また、公立中高一貫校に進む生徒は、数では2%にも達しないのだが、他に不合格者が9千名近くいるわけで、地元の中学ですぐに頑張れるのだろうか。これらの数字を見て思うのは、東京の教育事情は全く変えられてしまったのではないかということだ。岩波新書の「中学受験」の最後にその問題が少し書かれているが、まだまだ小中学校の事情は論じられていない。公立中高一貫校の問題は、中高一貫校だけを見ていてはダメで、公立小中への影響を見極め、「比較衡量」するべき問題だと思う。(ところで、数字を見れば、公立中高一貫校には私立小および他県小出身者が結構いるのではないかと思う。)
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映画「虹をつかむ男」シリーズ

2014年01月17日 00時04分22秒 |  〃  (旧作日本映画)
 山田洋次監督の映画「虹をつかむ男」(1996)と「虹をつかむ男 南国奮斗扁」(1997)をフィルムセンターで見た。これは男はつらいよシリーズが、渥美清の死去(1996.8.4)により終了した後に、西田敏行主演で2本作られたシリーズである。山田洋次の作品は非常に多く、ヒットしたり話題になった作品が多い。寅さん以外にも、シリーズと考えていい映画がたくさんある。そんな中で、この「虹をつかむ男」シリーズは公開当時もあまり評価されず、ほとんど忘れられたような感じになっている。僕も公開当時は見逃して、今回初めて見たのである。そこで、このシリーズについて書いておきたいと思う。
(虹をつかむ男)
 もっとも僕もこのシリーズが大傑作だと思ったわけではない。やはりこのシリーズは無理があったと思う。それを考えることで、日本映画、あるいは映画や日本文化全般について、何事かを語っておきたいと思うのである。この映画が作られたきっかけは、「男はつらいよ」が突然終わってしまい、「年末公開」を予定していた松竹の番組が空いてしまったことだろう。「虹をつかむ男」の主演者である西田敏行田中裕子は、作られなかった「男はつらいよ」第49作に出演する予定だったという。

 寅さん映画は、80年代まで基本的に年に2本作られ松竹を支えていた。(山田洋次が他の作品を作るため一本だった年もある。)しかし、90年(第41作)からは年に1本の年末公開となる。その最大の理由は渥美清の体調悪化である。でも山田洋次は50作目までは作ることを目指していて、そのつもりで脚本を練り、役者やロケ地も手配しつつあった。だから、その準備を生かした新作が企画され、そこでは寅さん映画常連が総出演、ラスト近くには渥美清そのものが(もちろんCG映像で)出てきて、画面に「敬愛する渥美清に捧げる」と献辞が出るという渥美清リスペクト映画が作られたのである。

 しかし、この映画は単に渥美清や「男はつらいよ」だけではなく、山田洋次が映画ファンに贈った映画そのものの記憶に捧げられた映画になっている。映画の中で多くの映画に言及され、実際に「引用」されている。西田敏行は四国のつぶれかけた映画館主という設定で、「土曜名画劇場」の名で名画を上映している。最初が「ニュー・シネマ・パラダイス」で、最後が「男はつらいよ」(第1作)である。あまりにも予想通りの選定で、もうちょっとひとひねり欲しいかなと思いつつ、最後に「男はつらいよ」のテーマ曲が流れてくれば、映画ファンなら涙なくして見ることはできない。(なお、「虹をつかむ男」という題名自体も、1950年のダニー・ケイ主演の米映画「虹を掴む男」を踏まえている。)

 なかなか感動的ではあるものの、結局このシリーズが続かなかったのは、西田敏行の設定にある。松竹としても、西田敏行としても、「釣りバカ日誌」が選ばれたということでもある。「釣りバカ」はほぼ年に1作だったから、やろうと思えばもう一本「虹をつかむ男」をシリーズ化できなかったわけではないだろう。でも観客は西田に「釣りバカ」を望んだ。「虹をつかむ男」は西田に仮託された山田洋次の映画愛はよく判るが、ただの風来坊だった寅さんに対して、つぶれかけた映画館主として白銀活男(西田の役名)は金策に頭を悩まし続ける。これは寅さんで言えば、「タコ社長」の役どころである。

 また土曜名画劇場の映画選定会議(というのをファンを集めてやってる)では、「かくも長き不在」(1964年にATGで公開されベストワンになったカンヌ映画祭グランプリ作品)の素晴らしさを、フランス語のセリフで熱く語る。この映画は、戦時下に行方不明となった夫を待ち続ける妻を描く名画で、映画内で未亡人役の(そして白銀が秘かに思いを寄せ続けていた)田中裕子の役柄とシンクロしている。だからストーリイと無縁な趣味的シーンではない。でもそれは西田だから可能な設定で、寅さんが字幕付きの芸術映画を見てフランス語のセリフを覚えることはないだろう。洋画を見る人は、「さしづめインテリだな」と言われてしまうだろう。(現実の渥美清は多くの演劇、映画に接し続けていたが。)

 「白銀活男」という人物は、寅さん+タコ社長+インテリになってしまった。観客は西田敏行に同情もできるし「いい人だな」と思う。だが、寅さんではなかったのである。寅さんは「柴又のとらや」という「帰るところ」を持っている。「とらや」は帝釈天の門前という設定から、つぶれないことが前提になっている。寅さんが帰郷した時に、隣の印刷屋は倒産しているかもしれないが、とらやが閉店し一家離散していたなどと心配する必要はない。一方、白銀の「オデオン座」はつぶれかけているし、現に第2作ではつぶれてしまい島々を映写機を持って巡回している。「寅さん」シリーズは、もう日本人の多くが持てなくなっていた「いつでも帰れる場所」を観客に提示できる映画だった。もうそういう映画は、二度と作れない。

 1980年代末のバブル経済とその後のバブル崩壊で、そんな「いつでも帰れる場所」はほとんどの人が持てなくなった。だから、寅さん映画はウソっぽいし、説教くさいし、後ろ向きの保守的感性に働きかける映画だと当時の僕は思っていた。30作以後頃から、僕は同時代的にはほとんど見ていない。時代の変化を山田洋次が判っていなかったわけではないだろう。「虹をつかむ男」の吉岡秀隆が大学を出ても就職できずに親と衝突して旅に出る。「就職氷河期」を生きる「寅さんの甥」世代では、その方がリアルである。でも甥である満男が伯父の寅さんに恋愛を相談していても不思議はないが、「虹」の西田と吉岡は他人同士だ。映画の構造としては寅さんと同じく「擬制の親子」だとしても、吉岡は去っていくしかない。山田洋次はこのシリーズの後は、しばらく喜劇を作らなくなった。

 そんな時代に、僕らが所属できるところはどこか。それは映画やゲームなどの仮構の世界であり、「趣味」の領域である。だから、「寅さん以後」の西田敏行は釣りバカになったり映画館主になる。「釣りバカ」の西田は釣りしか関心がないように見えても、それでも「会社員」であり、家族もいる。寅さんは、釣りだけしてればいいとしても、「会社員」を全うできるとは思えない。同じところにいることを苦痛に思い、周りの人々に迷惑をかけまいとその会社を去っていくだろう。これは渥美清と西田敏行の差異ではなく、社会が変わってしまったことの反映である。

 西田敏行は、大学へも行き(明大農学部中退)、青年座に所属し、テレビで人気を得た。そういう時代の俳優であり、実力のほどは山田作品でも「学校」で示している。だから「虹」シリーズが続かなかったのは、山田洋次や西田敏行の問題ではなく、もはや「寅さんシリーズ」を生み出す基盤が日本社会になくなっていたということにつきると思う。

 「虹をつかむ男」で「引用」される映画は、ストレートすぎる。「ニュー・シネマ・パラダイス」に始まり、「鞍馬天狗 天狗廻状」「野菊の如き君なりき」「かくも長き不在」「雨に唄えば」「禁じられた遊び」「東京物語」「男はつらいよ」である。続編の「南国奮斗扁」では「雪国」(大庭秀雄)、「風の谷のナウシカ」で、まあ「巡回映画」らしい選定になっている。第1作だって、映画マニアの館主が選ぶという設定だから、問題はないと言えば言える。でも、こんなストレートな選定でいいのだろうか。もう少し大衆的、または逆に思い切ってマニアックな選定をしなくていいのだろうか。セリフの中では、なんと「ベニスに死す」や「8 1/2」を上映したとも語られている。もちろんどんな地方の観客であれ、この2本の映画に接する機会が与えられるべきだ。でも「商業ベース」でペイするのは難しいだろう。
(虹をつかむ男 南国奮斗篇)
 白銀活男は寅さんのように「夢追い人」だし、同じように「失恋常習者」である。だが「寅さん」にあって「白銀」にないものがある。寅さんには気難しさや「柄の悪さ」があり、家族に対して(あるいは疑似家族のタコ社長や源さんに)時々とてもひどいことを言う。でも寅さんは「家族」である以上、離れることができないという設定により、許されることになる。一方、白銀は映画文化を皆に広めたいと頑張っているけれど、周りの人々に切れることは許されない。映画館が行き詰まるなら経営者が責任を取るしかない。家族でない他者は立ち去るしかない。
 
 それはそれとして、非常に面白かった場面田中邦衛が映写技師という設定で、西田、田中、吉岡らで車で巡回する。西田が「若者たち」って曲知ってるかと吉岡に聞き、同名映画の主題歌だと教えて、あの映画の長男のセリフがおかしいと真似する場面。これは映画内で「解説」されないので、若い人には判らないかもしれない「楽屋落ち」。でもおかしい。また第2作では、映写機が故障してしまい「男はつらいよ ハイビスカスの花」を上映できない。西田に歌えと観客が要求し、西田が「バナナボート」を歌いはじめ、小泉今日子も加わり観客総立ちで踊り出すという奇跡的な祝祭シーンがある。これは素晴らしかった。山田洋次は客演のマドンナをいつもとてもチャーミングに撮るが、第1作の田中裕子、第2作の小泉今日子は、どちらも数多い映画出演の中でも、ものすごく魅力的に映っている。

 そして西田敏行の語りや歌は驚くほど魅力的。それはもう有名ではあるけれど、この映画の中の「映画語り」は素晴らしい。マルセ太郎の「スクリーンのない映画館」を西田敏行が引き継ぎ、年に一回でいいからどこかで上演するという企画を是非企画して欲しい。映画に限らず、演劇やテレビドラマでもいいけど、大変に面白くて感動できる舞台になるはず。最後に付け加えるが、第1作でオデオン座となった徳島県の「脇町劇場」はこの映画をきっかけに、取り壊しを免れ公開されるようになったとのこと。映画が現実を変えたのだ。(2020.5.20一部改稿)
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「公立中バイパス」の是非-中高一貫校問題③

2014年01月14日 23時59分34秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 「荒れ」や「いじめ」などの、時には「噂レベル」で地元の公立中が忌避され、できれば私立や公立の中高一貫校に行かせたいという親もいるらしい。今回はその問題を考えてみたい。当たり前だけど、どんな学校でもイジメはあるし、不登校になる生徒もいる。クラス分けや担任を選べない以上、どこでどんな生徒と一緒になるかは誰にもわからない。それを前提にして、果たして中高一貫校に行かせることでクリアーできる問題はあるのかどうかを検討する。

 憲法上、私立学校の設置の自由があると思われるから、高い金を払っても私立学校に行かせたいと親が選択するのは自由である。それが子どもにとっていいか悪いかはまた別問題だけど。先進資本主義国では(あるいは発展途上国の方が激しいかもしれないが)、リッチな階層のためのエリート学校が存在する。親がリッチでも子どもが勉強できるとは限らないから、そういう「出来の悪いお坊ちゃん」向けの私立学校もあるもんだし、「深窓の令嬢」向けの「お嬢様学校」も存在する。良いとか悪いとか議論しても仕方ない。

 そういう私立学校は、子どもに合えばとてもいい場合もあるけど、かなり大変なケースも多いと思う。人間は高い金を払った商品には、あまり文句を言いたくない。「そこそこ」だったら「まあこんなものか」と思いたい。高いホテルやレストランでも、「まあ雰囲気代」と思って何となく納得する。調べて誘って予約した自分の立場を考えて、損したと思いたくない。私立学校の場合も同じで、子どもに友達ができ、進路実績もそれなりならば、「行かせて良かった」と思いたい。施設などはいいから、「公立より良かった」となる。兄や姉がいた時の先生は、公立だと下の子の時にはもう異動している可能性が高い。私立なら、教員の大部分はずっといるから、そういう安心感がはっきりある場合もある。

 でも私立は独自の教育理念や校風があるから、全員ではなくても、合わない生徒は必ずいる。厳しい生活指導や付いていけない学習進度などに加え、他の生徒とトラぶっても学校の対応が納得いかない場合はかなり聞く。(岩波新書「中学受験」にも出てくる。)公立だと「教育委員会に訴える」という手があるが、私立学校の場合、生徒指導に関して教育委員会の管轄下にない。自分が定時制高校(夜間と三部制)で勤務した経験から言えば、私立をリタイアする生徒は、一般の予想以上に多いのではないか。(僕個人で多分100人以上接していると思う。)それらの生徒の場合、何故不登校になったり、中退したかが納得できないケースが多い。私立に行くぐらいだから、成績レベルは高い場合も多い。でも学校と合わなくなり、ものすごく傷ついて公立の定時制にたどりつく。どうして前の私立学校で包容できなかったのか、全く理解できないケースが多い。私立を選択すると、そういう場合もあるということである。

 でも私立に行かせる選択の自由はあるわけだが、税金で作る「公立中高一貫校」をどう考えるかは別の問題である。私立に行かせる親や、子どもがいなかったり結婚していない人も税金を払っている。私立に行かせる経済力や学力がない場合は、地元の公立中に行くことになる。しかし、東京の多くの地区では「学校選択制」を取っている。行かせる中学は親が調べる必要がある。調べていけば、中高一貫校も公立にあるではないかとなり、受けるだけでもさせてみようかとなる。東京では幾つかの区で、都立中高一貫校ができる前から「学校選択制」を実施していた。つまり「競争」信仰を区教委が植え付けてしまった結果、区立中が選ばれずに都立中高一貫校に生徒を奪われることになったのである

 でも「荒れ」や「いじめ」を避けるという意味ではどうなんだろうか。確かに学力レベルからいって、中高一貫校で「授業が荒れる」ということは考えにくい。しかし、授業進度が早くて子どもがうまくついていけないこともありうる。地元の公立中ならクラスで一番なのに、中高一貫校では下から数えた方が早いという「屈辱」を味わう生徒も必ずいる。「鶏頭となるも牛後になるなかれ」(大きな集団の中で使われるよりも、小さな集団であっても長となるほうがよい)という言葉もある。あまり早い時期に「自尊感情」を損なうこともありうる。だが、そういう時期はやがて必ず来るのだから、「高い学力生徒の中で学ぶ」方がいいという考えもある。

 子どもは一人ひとり違い、必ずこれがいいと言う答えは教育にはないと思うけど、そのような「出来る子」特有の問題があるのである。でも、自分の子はいじめが心配だから、私立や公立中高一貫に行かせたいという発想は間違っていると思う。友だちが作りにくいタイプの子は、どこでも難しい。ならば6年間一緒の学校より、家の近くの中学で「小学校時代の友だち」と一緒の方が生きやすいのではないか。生徒間に多少いろいろあっても、「守ってくれる」生徒集団があれば、やっていける。地元中学にいじめがあると言っても、それはそういう学年の問題で、問題は小学校の自分の子どもの学年の雰囲気の方である。学校の対応がどうのと言っても、管理職も他の教員もどんどん転勤するのだから、公立学校は毎年どんどん変わる。小学校時代から活躍してきた学年の生徒なら、中学に行ってもうまく適応して伸びていくはずだ。

 大部分の子どもは地元の中学校に通い、高校受験を経験して、自分の社会的ポジションを獲得する。そこには「矛盾」もたくさんあるけれど、日本の大部分の子どもが通る道を一緒に通ることにより、「悩みを共有する」帰属意識、世代の体験を持つことになる。もちろん中高一貫校なら、6年間変わらぬことにより、強い仲間意識が生まれるだろうし、高校受験がない分を他の活動に使える。どっちがいいかは判断が難しいが、あえて「公立中高一貫校」をたくさん作る意義がどこにあるのか、僕には正直わからないのである。「中高一貫校でしか伸ばせない力」が圧倒的に多いのでなければ、公立中で頑張ればいいのではないか。僕には「公立中高一貫校ができたことにより、経済的に私立に行けないが学力の高い生徒に、同じような教育の機会を与えられるようになった」とかいう言説が信じられないのである。それでは、「公立中に行く生徒は、学力も経済力もない」と決めつけているのと同じではないのか。「出来る子」問題を検討する必要があるが、僕の考えは大体そういうもの。その問題は次回に書くことにする。
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中高一貫校神話の虚実-中高一貫校問題②

2014年01月12日 01時20分48秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 中高一貫校に関する本を見ると、大体同じような「求められる理由」が出てくる。それを「中高一貫校神話」と呼んでおきたい。その実際を考えてみる。僕が感じるのは、結局「中高一貫校」を考えるというのは、「専門性」「バイパス」「平等性」という問題に帰着すると思う。6年間も教育するんだから、各学校は「特にこれ」という魅力ある「専門性」をウリにしている。

 もともと「高校受験が大変だ」という声がずっとあり、「高校全入運動」もあったわけだが、例えばスポーツや芸術、あるいは科学技術などの分野で「グローバルな人材」を育てるためには、途中で高校受験が入るのがジャマだというのである。僕もスポーツや芸術の分野では、そういう指摘も当たっていると思うので、中高一貫(どころか小中高一貫教育)も例外的にはあっていいだろうと思う。また各地で独自の地域密着教育を進めるために地元重視の中高一貫校もありうるのではないかと思う。

 しかし、首都圏で私立、公立の中高一貫校が人気になったのは、わが子の専門性を伸ばしたいというわけではない。「大学入試に有利なはずだ」だというのが最大の理由である。それは「高校受験がない」ので、高校受験に取られる中三の時期に「高校の授業を先取り学習できる」ためである。また、「地元の公立中には荒れやいじめがある」と問題視され、子どもがいじめにあわないために「公立中を避ける」ということである。保護者のホンネは「高校受験」と「地元の公立中」を子どもの人生から「避けて通らせる」ということだと思う。これが「バイパス」である。

 もともと東京では1960年代中期まで、東大合格者数は日比谷高校を頂点とする都立高校で占められていた。それが1960年代後半から、私立中高一貫校に変っていく。具体的な数字は1回目に紹介した岩波新書に出ている。そのきっかけとなったのは「学校群制度」である。その問題は何回か後で別に考えたい。私立中に行かせるには、もちろん経済的に大きな負担がある。そこで以下のような思考の展開があるわけである。
①昔、進学実績では都立高校が一番高かった。
②学校群制度で、都立が凋落し、私立の中高一貫校が躍進した。
③難関大学に合格するには、補習や独自のカリキュラムなどを自由にできる私立の方が有利である。
④私立学校は多額の授業料が必要なので、経済的に恵まれない家庭の生徒は難関校に合格しにくい。
そこで公立の中高一貫校を作り、経済的に恵まれない家庭でも中高一貫教育を受けられるようにした

 そういう理解では、公立中高一貫校は「平等化政策」であって、「リベラル派」こそが大賛成するべきだということになる。都教委の公式な見解は以上のようなものだと思う。少なくとも管理職レベルの人は、議論すると皆そんなことを言ってたと思う。しかし、この問題は別の考え方をすることも可能であると思う。座標軸のX軸に家庭の経済状況を、Y軸に子どもの学力を置くとする。そうすると、両方ともに高い第一象限にいる生徒だけが、従来は私立中高一貫教育を受けられた。ところが、公立中高一貫校ができ、X軸では真ん中近くの家庭(最貧困家庭では、いくら公立でも無理だろう)でも中高一貫校に行ける。それは「平等化」ではなく、「Y軸を基準にした場合の上下の差異の拡大」であり、「一種の学力不平等の拡大政策」であるとも言えるからである。

 そもそも、先の思考展開には大きな問題点が潜んでいる。それは私立難関高が独自のカリキュラムで進学実績を挙げると言うのなら、逆に言えば公立高の場合、自分で予備校や塾、家庭教師などで受験準備をしないと合格できないと言うのなら、それは「大学入試制度がおかしい」はずではないのか。それを問わずに、現行大学入試を前提に議論していいのか。また経済力による不平等を問題視するなら、義務教育段階では私立学校を認めるべきではないという考えもありうる。今はそれらの問題は置くとして、先の思考展開を前提にするから、白鷗の中高一貫一期生が東大に5名合格すると「白鷗ショック」になるのである。やはり保護者を中心に、「世間の目」は高校に進学実績を求めているのである

 また前記の思考展開を前提にする以上、都立は進学重点校も中高一貫校も二度と私立中高一貫校の上になることはできない。「日比谷」も「小石川」も、「御三家」(開成、麻布、武蔵)や「女子御三家」(桜蔭、女子学院、雙葉)を抜けないのである。どうしてかというと、公立中高一貫校は授業料が無料だからである。公立高も高所得層は授業料がかかるようになるとは言っても、私立に比べれば安い。学力が高く、経済力もあれば、子どもを私立に行かせられる。それは「優れた教育」をカネで買うだけに止まらず、「経済的に恵まれた家庭の友達」を子どもに与えるということにもなる。親もPTA活動などを通して、大企業の役員、高級官僚、医者、弁護士などのネットワークを得られるという利点がある。だから、公立中高一貫校は設立趣旨からして、「私立名門」の滑り止めになる運命にある。実際、私立中受験開始日の2月1日に合わせるのではなく、当初より3日に適性検査を実施している。
 
 長くなってきたが、進学実績問題は今回まとめて書いておきたい。さて「白鷗ショック」により、「公立中高一貫校が高い進学実績を挙げたことが証明された」と思い込んでる向きもあるようだが、果たしてそれは正しいのだろうか。その問題は河合敦氏の著書の182頁以下に書かれている。中高一貫校よりも、進学重点校のほうがずっと東大合格者が多いのである。進学実績を東大合格者数だけで測るのが適当とは言えないが、今はその数で見ることにする。現役、浪人合わせた数で、経年変化を見ると面倒なので、昨年(2013年)のものだけを見る。
中高一貫校 白鷗(5) 小石川(5) 両国(5) 桜修館(6)
進学重点校 日比谷(29) 西(34) 戸山(10) 八王子東(9) 青山(1) 立川(5) 国立(22)
 
 東京には他に進学指導推進校など、進学指導を推進する学校を指定する制度があるが、「一番上」が「進学重点校」、特に最初に指定された4校ということになっている。ただ、進学重点校には浪人が多い。また生徒数が多い。桜修館は生徒募集数160名中、現役で4名が東大合格である。(2.5%)一方、西高は募集316人中、現役で18名である。(5.7%)それでも、一番多い両校を比べれば、倍の差がある。毎年の合格者数には、たまたまの偶然性がつきまとうが、これで見る限り、「都立から東大に行く」ことを希望する生徒は、中高一貫校に行くより進学重点校に行く方が、ずっといいのではないか。

 それ何故だろうか。データが少ないが、今の段階でいくつかの仮説を立てることはできる。
仮説1 結論は時期尚早
 今のところ、中高一貫校はまだ全校の進学実績が出そろっていない。日比谷や西、八王子東や国立、立川と通学区域が競合する武蔵、富士、大泉学園、三鷹、立川国際、南多摩の進学実績を見ないと、決定的判断は下せない。また、東大合格者は発表されるが、不合格者や事前に志望を落とした生徒数は出てこない。また、理系はともかく、文系では必ずしも東大が優位ではない分野もある。教授の専攻などを考え、地方国立や私立を目指す生徒も多いはずで、「現役で難関国立、難関私立に合格する生徒が全生徒に占める割合」は将来的には、進学重点校、中高一貫校で、ほぼ同じに収れんしていく可能性もありうる。
 
仮説2 東京の中高一貫は失敗
 中高一貫校は進学指導面に関しては、必ずしもうまくいかないのではないか。それは進学重点校の方が、進学向け教員公募などで進学向けの布陣が整っていたり、予算が恵まれていることもある。中高一貫校は教員が中学、高校と受け持つ特性上、教材研究が大変。中学1年生から高校3年生までいるので、行事指導や部活指導も大変。その上、適性検査に加え、併設型では高校の入学検査もあり、多忙にならざるを得ない。そこで中高一貫というのに、異動希望が多くなることになる。そもそも生徒が6年いるのに、教員の異動年限が最長で原則6年と都教委でしている以上、学年進行で2回卒業生を出す担任は皆無となる。経験が蓄積されない。中高一貫に限り、教員は15年、20年といられるようにすればいいはずだが、そうなると教員集団の方が、数年しか在籍しない校長より力を持ってしまう。「現場の力を削ぐ」ことを何よりの最大目標とする都教委が中高一貫校を設置したのは、もともと無理があったのである。

仮説3 中高一貫は成功
 逆に、この結果を「成功」と考えることも可能である。何故ならば、中高一貫校は小学6年生を対象に適性検査で入学者を選んでいて、その教育目標からしても、ある程度多様な生徒を育てることを目指している場合が多い。東大合格者だけでは、日比谷、西に負けるかもしれないが、自分の適性や学力水準を同じ集団の中で6年間で考えているわけで、合格者数ではなく、「現役での納得進路実現者割合」と言った数値で測れば、中高一貫の方が高いのかもしれない。つまり、GDPではなく、ブータンのように「国民幸福度」みたいな別の指標を用いるべきというのが、従来の学校と違う中高一貫校の評価には必要なのではないか。

仮説4 所詮、学校は無関係
 学校の指導がそれほど進学実績に関係するのだろうか。学校群の時も、要するに「高学力層」が私立に流れたということで、「東大に合格できる生徒」は大体どの学校を出ても合格するのである。都立中高一貫ができるということで、一部高学力層が受けるようになったけど、それらの生徒は私立に行っても、また公立中から都立進学重点校に行っても、東大に合格できたのである。

 以上のような仮説は、生徒実態に合わせて少しづつ合っているところがあるのではないかと思っているが、僕が思うにはもっと本質的な中高一貫教育そのものの持つ問題もあるのではないか。

仮説5 中高一貫そのものが大学受験に向かない
 そうは言っても、私立中高一貫校は高い進学実績を誇っているではないかというかもしれない。しかしそれは「仮説4」で言う高学力層の話であると考える。一番高い層は今は私立名門に行くのであり、それらの生徒は成層圏を突き抜け宇宙空間を飛んでいるので、今は関係ない。その下の「高学力層の二番手以下」の場合である。それらの生徒を小学6年生でリクルートしても、必ずしも大学受験に向かない生徒も多いのではないか。小学生ではまだ(特に男子は)自我の目覚めを迎えていない。思春期が遅い場合もある。それらの生徒が中学3年を迎え、「高校受験」という壁とぶつかり格闘する。そこで「成長」があり、大学受験向けに頑張れる層が進学重点校に合格するのではないか。「高校受験」がない中高一貫校の生徒では、大学受験まで6年間ある。そこで大きく伸びるべき「高校受験期」に「中だるみ」が生じうる。親が高校受験をバイパスさせたいと願った思いが、実は逆効果に働く場合もあるのではないか。

 と以上、様々に考えたので長くなってしまったが、結局「中高一貫校だから大学進学に有利」とはほとんどの生徒の場合、どうも言えないのではないかというのが、僕の中間的なまとめである。
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中高一貫校問題①3冊の本

2014年01月09日 23時38分30秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 年末に「中高一貫校」に関する新書が相次いで刊行された。3冊ある。新書は数多いが、このように同じようなテーマで刊行が続くのも珍しい。ちょうど中学受験(2月1日から)が始まる時期である。このテーマをもとに、現在の学校教育が抱える問題を少し考えておきたい。自分にとって、生徒としても教員としても関わりがあるテーマなので、語りにくい部分もあるのだが。まず最初は書評から。さて、その3冊の本とは以下の通り。
河合敦都立中高一貫校10校の真実」(幻冬舎新書、2013.11.30刊)
小林公夫公立中高一貫校」(ちくま新書、2013.12.10刊)
横田増生中学受験」(岩波新書、2013.12.20刊) 

 まず最初に書いておくことがある。それは③の岩波新書の冒頭にビックリすることが書いてあるのである。著者の横田氏がある「教育ジャーナリスト」に取材を申し込んだところ、受ける条件として「書籍全体のゲラをチェックして、コメントがどのような文脈で引用されているかを確認してから、コメントの使用を許可する」と言われたというのである。著者は「潜入ルポ アマゾン・ドット・コム」(朝日文庫)や「ユニクロ帝国の光と影」(文春文庫)という著書があり、もし同じ条件を付けられていたら、この2冊の本は全く内容が違ったのではないかというのである。ところが、このような条件は教育本にはありがちらしいのである。私立中高一貫校に関する本や雑誌記事などは、そのような「書かれる側でチェック済みの広告みたいなもの」である可能性が相当あるらしい。これは、わが子に良かれと本を探す親にとっては大きな落とし穴があるということだ。危ない、危ない。

 さて、中高一貫校とはそもそも何か。私立では昔から系列の大学に直結した中学や高校が人気を得てきた。また「教育の一貫性」をウリに難関大学に高い進学実績を残す「名門私立」も各地にある。一方、公立では(当然のことながら)義務教育である中学と、義務教育を外れる高校の一貫校は作ることが出来なかった。しかし、1998年の学校教育法改正により、公立の中高一貫教育が可能になり、宮崎県の五ヶ瀬中等教育学校が1999年に発足した。もともと全寮制の「県立五ヶ瀬中学」「県立五ヶ瀬高校」があり、独自の教育理念で教育を行ってきた。それを合併したもので、自然の中で少人数教育を行い、「わらじを作れる東大生」を育てるといった目標を掲げていた。(ホームページを見ると、過去に5人の東大合格者がいるが、最近5年にはいないようである。)このような学校が出来たということは、当時の教育関係者にビッグニュースとして受け止められたと記憶する。

 しかし、本当に公立中高一貫校が話題に上るようになったのは、2002年に都教委が都立高校10校を一挙に中高一貫校に再編成するという方針を打ち出してからである。2005年に第一陣として都立白鷗高校附属中学校が設立され、以後10校が続々と誕生し、2011年には白鷗高校の中高一貫一期生が卒業し、東大に5名が合格したために「白鷗ショック」とか「白鷗サプライズ」と呼ばれた。このあたりのことは次回以後に詳しく書くとして、これ以後特に全国的に公立中高一貫校への関心が高まってきたわけである。(なお、中高一貫教育には、3タイプあることになっている。しかし単に中高で「連携」を行うだけでは「中高一貫」とは言えない。中学段階で生徒を募集した以後は生徒を入れない「中等教育学校」型と、併設の「附属中学校」を作り、高校段階でも附属中とは別に高校入試を行う「併設型」が主に中高一貫校と言える。白鷗高校は「併設型」である。)

 公立中高一貫校では「適性検査」を行う。つまり「学力検査」は行わない。(行えない。)それは教育関係者にはほとんど自明のことだが、一般にはまだ驚かれることらしい。その是非は別として、一体どんな「検査」が行われているのか。その問題に答えるのが、②の「公立中高一貫校」という本である。ちゃんと問題を見た人は少ないだろうから、へえ、こういう問題が出るんだという面白さがこの本にはある。だけど、それでは「受検ガイド」である。この本は実際に受検指導に当たっている著者が、親子にインタビューした様子などを載せた本で、最終章が「親の力で、子どもを中高一貫校に合格させる」となっている。つまり客観的に中高一貫校を分析する本ではなく、「どういう親子が合格するか」という、新書としては異色の内容となっている。公立中高一貫校は「新しいブランドの誕生」と言われ、良いものであるというのが前提になっている本だと思う。一方、ご丁寧にも全国の各中高一貫校の問題分析が載せられているが、肝心の東京都では12月19日付で、「平成27年度から適性検査問題を共同作成する」と変わってしまった。まあ、直近の検査には関係ないけれど。

 どうしてそうなったかは、詳細は知らないけれど、①の河合著を読めば、「現場教員があまりにも大変である」ということにつきるのではないか。河合敦氏は昨年度まで白鷗高校で教えていた人で、昨年3月で退職した。もともと「歴史作家」として多くの著書を持ち、テレビ出演も多いので、歴史バラエティ番組などでご存じの人も多いだろう。著者は毎年学級担任をし、進路指導に尽力してきたことがこの本で判る。しかし、ついに「二足のわらじ」は不可能となったのである。そういう河合氏が、実際に中高一貫校教員として体験したことを書いた本が①である。恐らくこういう本は、以後書かれないのではないか。非常に貴重な本だと思う。そこで考えたことはいろいろあるのだが、「教員の平均在勤期間が3・3年という現実」「力量のある教員から敬遠される中高一貫校」という驚くべき実態が語られている。また併設型の白鷗では、中学からの生徒と高校からの生徒では、同じクラスにはできない(中学段階の学習進度が違う)という様子も書かれている。

 一方、私立中高一貫校に詳しいのが③の岩波新書。特に20世紀後半に東京に吹き荒れた私立「お受験」ブームや塾の事情などが興味深い。小学生の進学塾の老舗、四谷大塚は今では東進ハイスクールの傘下にあるという。2006年に合併されたということで、「予備校によるM&Aの先陣を切った」というから、さすが「今でしょ」の林修先生のいる予備校である。一方、杉並区立和田中の「夜スぺ」で話題となったSAPIXは、2009年と2010年に代ゼミに買収されたという。(中高部と小学部が別々に買収されたということらしい。)また「私立中高一貫校は“夢の楽園”なのか」と問題を投げかけ、最後の章は「教育格差の現場を歩く」となっている。一般書としては③をまず読まないといけない。しかし、この3著はある意味で「合わせ鏡」となっていて、「そういう本が求められている」という意味で併読する方が面白い。特に首都圏の教員、保護者は読んでみる価値があるだろう。では僕の意見は?それは次回以後に。3冊の本を載せておくので、帯の文を読むと、それぞれのスタンスがある程度わかるだろう。
  
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