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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「維新の会」と右派勢力①-「親学」の問題

2012年06月29日 23時53分33秒 | 政治
 いよいよ「維新の会」の国政進出方針がはっきりしてきた。石原東京都知事、大村愛知県知事、河村名古屋市長などとの連携も強めていく方向だという。今年度の補正予算案も提示されたが、「現役世代の支援」の名の下に高齢者予算を切り詰めるなど、「強い者の視点」で政治を行うことを明確にしている。今週は関西電力の株主総会もあり、毎日のように東京のニュースでも橋下市長の動静が報道されている。今週の「週刊金曜日」もちょうど「笑えへん、橋下維新」という特集を組んでいる。(関西弁にする必要はないと思うけど。)こうして、ローカル政党が国政を視野に入れるとなると、どういう政治勢力と協力していくのか、その政治的指向をきちんと見ることが重要になってくる。


 さて、29日付朝日新聞朝刊に、「『子育てで発達障害予防』、国会議員が勉強会」という記事が載っている。いや、国会でもやっていたのか。これは5月初めに、「大阪維新の会」の市議員団の中で「家庭教育支援条例」を作るという動きが表面化したのと同じ文脈の出来事である。もとは言えば、高橋史朗氏(明星大教授、前埼玉県教委委員長、元「新しい歴史教科書をつくる会」副会長)の主張する「親学」というものから来ている。「親学」というのは、「児童の発達障害は親の愛情の注ぎ方に起因する」という高橋氏の「独自の考え方」に基づくもので、「親学推進協会」という財団法人を作って活動している。それなりの知名度のある応援団もあるので、関心がある人は直接ホームページを見て下さい。「発達障害は親の愛情不足」などという主張は「独自の考え方」と今書いたが、もちろん何の科学的根拠もない。「血液型人間学」などと同じような「疑似科学」である。もちろん、脳科学、児童心理学などの学会で認められたものではなく、専門学会での議論と無関係に勝手に本を何冊も書いているわけである。

 ところが、恐ろしいことに政治家にシンパが多い。右翼政治家の中に共感する人が多く、今年4月には何と「親学推進議員連盟」が国会議員の中に作られていた。「家庭教育支援法」を制定するなどというトンデモ方針を掲げている。会長が安倍晋三、会長代行高木義明(元文科相、民主)、幹事長鈴木寛、事務局長下村博文、顧問鳩山由紀夫、副会長は15名もいるが町村、伊吹、中曽根弘文、羽田雄一郎(国交相)など。メンバーには山口那津男、森義朗、平沼赳夫、渡辺喜美、山谷えり子、義家弘介など、そうそうたるメンバーがそろっている。民主、自民、公明、みんな、たちあがれ日本などから参加する超党派組織で、元首相3人、文科相経験者8人という、けっして疑似科学推進組織だと思って侮れない顔ぶれが集まっている。

 ところでこの「親学推進議員連盟」会長の安倍晋三元首相だが、今年の2月に大阪を訪れ、松井大阪府知事と「教育基本条例」応援の集会に出席した。「~2/26 教育再生民間タウンミ―ティングin大阪 大阪・教育基本条例の問題提起とは!~  安倍元首相と維新・松井大阪知事が“教育で連携確認」という動画が「日本教育再生機構」のサイトに掲載されている。同サイトから少し引用すると、
 「2・26大阪」を境に流れが変わった――。
 2月26日開催の「教育再生民間タウンミ―ティングin大阪」(主催:日本教育再生機構大阪、於:大阪市立こども文化センター)は、テレビやマスコミで「安倍元首相と松井知事が、教育で連携確認」(NHK)、「(安倍元首相が)条例に大筋で賛成」(毎日放送)、「エール交換、保保連立も視野?」(2/27産経新聞)などと詳しく報道されたことから、大きな波紋が広がっています。(中略)「価値観が共有でき、圧倒的多数で(大阪市の)意思表示がされた。市民感覚で結論が出た」(橋下市長、2月28日)。 維新の会と自民党が合意する流れがつくられた「2・26大阪」。

 「大阪維新の会」は昨年来、「君が代起立条例」「教育基本条例」などを提案し、全国的に波紋を呼んだ。それを中央の右派政治家が評価しエールを送って近づいているのである。それを裏で支えているのが、「日本教育再生機構」である。これは「新しい歴史教科書をつくる会」から分裂して、産経新聞の孫会社「育鵬社」から中学の歴史、公民教科書を出しているグル―プである。90年代半ばに結成された「新しい歴史教科書をつくる会」は分裂に分裂を重ねたが、育鵬社グループを中心に政治家と結びつき、昨年の教科書採択では横浜など全国でそれまでにはない数の採択に成功した。「親学」の高橋氏も「つくる会」活動から出てきた人物で、支える人脈も共通性が見られる。

 こうして「旧つくる会系人脈」を媒介として、人脈的にも「思想」的にも、安倍晋三、下村博文など自民党内右派勢力と「維新の会」の共通性が作られつつあるのではないかと思う。
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なぜ「維新」の会なのか?

2012年06月28日 23時30分26秒 | 政治
 大阪維新の会」は、なぜ「維新の会」と称するのだろうか?

 これはホームページを見ても判らない。要するに、「維新」という言葉が「改革イメージの良い語感の言葉」だと使う側が前提にしていて、あらためて「自分たちがなぜ維新の会なのか」を問うことがないのではないかと思う。そこで「維新」という言葉、あるいは政党名の歴史を振り返ってみて、「維新の会」というネーミングの思想性を問題にしてみたいと思う。

 今の与党である「民主党」が「なぜ民主党というのか」もわかりにくいが、本来からすると「自由」「民主」「社会」「共産」などという政党名は、もともとは「思想」を表している自由民主党は、自由主義と民主主義のベストミックスを求めるという意味がある。実際は、1955年に自由党と民主党が合同したんで、党名をくっつけただけといういきさつなんだろうが。社会民主党が西欧流の「社会民主主義」なのかどうか疑問もあるが、とにかく社民党が政治思想から党名を付けているのは間違いない。20世紀から続くシニセ政党の多くは、政治思想を表す党名になっていて、それは「政権についたら、その考え方に基づく社会をめざします」という意味だから、「正しい党名の付け方」だと言えるだろう。

 90年代初頭までは、自由民主党と日本社会党(社会民主党の前名)の対立が日本政治の中心だった。自民党を「保守」とし、社会党や民社党(新進党を経て民主党に合流)、公明党、共産党など、中身はずいぶん違うが、とにかく自民以外の党を「革新」と呼んでいた。(民社や公明は「保守でも革新でもない中道」と自分たちを位置付けることが多かったが。)70年代頃から参議院で自民党の低落が始まると「保革伯仲」と呼ばれ、89年の参議院選ではついに「保革逆転」が起こった。しかし、まさにその頃から「革新」という言葉の中身が失われていった。94年に成立した自民、社会、新党さきがけ3党連立の社会党委員長、村山富市内閣で、社会党は自衛隊や原発などそれまで認めていなかった自民党の政策をほとんど無条件に認めてしまったからである。

 90年代には「政治改革」が叫ばれ、自民でも社会でもない「新」がもてはやされた。92年の参院選で注目され、93年の総選挙後に政権を担うことになる細川護熙氏の結成した政党は、まさに「日本新党」だった。93年に宮沢内閣不信任案に賛成して自民を離党した小沢、羽田グループは「新生党」を名乗り、武村正義、鳩山由紀夫らは「新党さきがけ」を名乗った。英語にすると何といえばいいのか、単なる「ニュー・パーティ」で、何をしたいのかが政党名を見てもわからない。この「無意味性」が、しかし時代の中で「有意味化」した場合もあったのである。小沢、細川らが村山政権に対抗して合同した政党を「新進党」と名付けたのが、「新党ブーム」の絶頂だったろう。この党は96年総選挙敗北後に内部分裂し解体してしまう。以後も郵政反対派の作った「国民新党」とか、最近も民主を離れたグループは大体「新党なんとか」を名乗る。でも、もう「新党」は「新」ではない

 そんなときに西の方から湧き上がった大きな動きが「維新の会」である。が、なんとネーミングでは一番古い。現在は地域政党(ローカル・パーティ)を自称する政党は、ホームページ上で「志士」(支持者のこと)を求めている。発表する政策を坂本龍馬にちなんで「船中八策」と呼んだりするくらいだから、自分たちを「幕末の志士」イメージで見て欲しいのである。では、「維新」という言葉は近代日本でどのように使われてきただろうか。

 「維新」とは元は中国の「詩経」の言葉らしいが、主に幕末以来「改革」の意味で使われてきた。単に「維(こ)れ新たなり」というだけの表現なんだけど。現在は、主に王政復古以後の政治、社会改革をまとめて呼ぶ歴史用語として定着している。日本史の通史シリーズでは、ペリー来航から王政復古までを「幕末」、戊辰戦争から西南戦争あたりまでを「明治維新」という割り振りになっていることが多い。教科書あるいは学習指導要領なんかでは、大体「明治維新と近代国家の形成」などという章名になってることが多い。だから細かいことを言うと、「龍馬は維新を迎えずに死んだ」ということになるかもしれないが、まあ幕末から近代国家へという「神話の時代」を象徴する言葉と言えるだろう。

 ところが、これは同時代的には普通の民衆は使わない「官製用語」だったのである。多くの民衆は、将軍の時代が終わり新しい時代が始まったらしいことを「御一新」と呼んでいた。世直しへの期待が込められた言葉である。それを明治政府が上からの近代化を進める過程で「明治維新」という言葉でとらえ直していったのである。社会の激動を「御一新と呼ぶか、維新と呼ぶか」というのは、明治初期を生きる人々にとって大きな意味がある問題だったのである。大学時代に、故前田愛氏(立教大学教授)の講義で「維新か、御一新か」は、「現代を生きるわれわれにとって、昭和20年8月15日を『終戦』と呼ぶか、『敗戦』と呼ぶかと同じような問題意識」という言葉を聞いて、目が覚めるような思いがしたものである。それ以後、近現代日本の歴史を思い浮かべてみれば、「維新という言葉を使う人」は、「体制派」か「右翼」しかいないという思想史的事実に気づいたのである。

 明治維新が天皇制国家を作りだし、作られた近代国家が産業革命と対外戦争の中で矛盾を大きくしていく。となると、「もう一回の維新」「真の維新」が常に訴えられた。それを言うのは、いつも右翼である。「大正維新」も「昭和維新」も右翼のスローガンだった。(左翼には「革命」という便利な言葉があったから、日本の伝統が染みついた「維新」を使う必要がなかった。)今でも右翼勢力は「草莽」(そうもう)とか「志士」という言葉が大好きである。だから、付けたときには本人たちはあまり意識してなかったのかもしれないと思うが、「維新の会」というネーミング自体に「上からの右翼的社会再編をめざす」という大方針を僕は感じてしまうのである。(ついでに触れておくと、韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が憲法を停止して軍部独裁を強化した時に、その体制を「維新体制」と呼んだことも忘れられない現代史である。)
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「大阪都構想」への疑問②

2012年06月27日 23時01分53秒 | 政治
 大阪関係の問題もしばらく書き続けてきたが、もう数回。消費税問題や原発問題などを書かないのかと思われるかもしれないが、僕は野田内閣について書くことにもうあまり関心がないのである。政局的なこともいちいち書いていても仕方ないと思うし。で、世の気分は自民もダメ、民主もダメだった、となると期待は「維新の会」しかないではないかなどと本気で思ってる人が結構いるらしい。でもどう考えても、僕には「維新の会」の方がずっと危ないとしか思えないのである

 昨日は「大阪都」というものへの疑問を書いてみたが、住民にとっては政令指定都市の方が便利なんじゃないかということにつきる。大阪府知事にとっては、大阪市と堺市と二つの巨大政令指定都市があるとジャマな感じを持つのかもしれないが。

 では、東京も政令指定都市制度にすればいいのではないかというと、実は僕はそう思ってるんだけど、実現は難しいと判断している。「東京特別区」は大きすぎるのである。データを見てみると、東京都全体で人口は1320万だから、日本の1割以上が東京都に集中している。その中で、23区には898万人、68%が集中しているのである。面積をみれば、都全体の28.4%となっている。面積で3割弱のところに、人口7割弱が住んでいるのである。一方、大阪市は人口267万人、大阪府全体では886万人だから、大阪市の割合はほぼ30%である。面積をみると、全大阪府の11.7%である。東京都の中で「特別区部」が占めている位置と、大阪府の中で大阪市が占めている位置が大分違うのが判るだろう。(なお、堺市は、人口で9.5%、面積で7.9%。)

 こうなっているのは歴史的ないきさつがある。東京の区制は早くも1878年(明治11年)に、最初の15区が指定されている。このとき区になったのは江戸時代の町奉行支配下の土地で、宮城(皇居)を中心にして、麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川の15区である。戦後に合併して、現在の区名には残っていないので、東京の人にももう忘れられている歴史だろう。新宿も渋谷も当初は区部ではなく、郡部だったのである。ところが1923年の関東大震災で区部は大きな被害を受け、郊外(郡部)に移転する施設が多かった。(東京の寺院は震災で移転したところが大変多い。)

 一方、震災を機に大阪に移住した産業や人もいた。もともと戦前は大阪が「東洋のマンチェスター」と呼ばれて、アジア最大の工業都市だったのである。大阪が1925年に東成、西成を市部に加えたこともあり、この時点では人口で大阪が東京を抜き、日本最大の都市になったのである。しかし、東京市は震災10年を前に、1932年(昭和7年)に周辺の郡部を20区に整備し、35区からなる「大東京」を実現して逆転する。この時点では、というか、僕の小学生のころまでそうなんだけど、このときに区になった周辺地域と言っても、ほとんど田園地帯である。駅の周りは田んぼや畑というのが、周辺の区部だったのである。その地域が住宅地域になっていくのは、1960年代、70年代のことである。「大東京」は当初から、「市としては広すぎる」という区域だったのだと思う。だから、1943年に、戦時中ということで、ほとんど議論もなく、東京市が廃止されて、市の権限が東京府に一元化されることになる。それが「東京都」で、もともと住民のためではなく、中央政府の都合で作られた制度なのである。

 「二重行政」というが、東京都を見ていれば、各区で競って施設を作るから、都全体で見れば結構ムダが多いのではないかと思う。東京は首都だから、国立競技場、国立劇場、国立美術館(3つある)、国立博物館などがある。その上、東京都体育館、東京都芸術劇場、東京都美術館、江戸東京博物館などを東京都で持っている。その上、劇場で言えば、世田谷、杉並、豊島、足立などが区の関わる施設を持っていて、区民だけが割引を受けられたり、優先予約できたりする。美術館も世田谷、板橋、練馬、目黒、渋谷などに区立美術館がある。郷土歴史館などはもっと多くの区が持っているだろう。市を解体して「特別区」にすれば、特別区ごとにアイデンティティを求めて、施設建設を競うことになる。競っていろいろできればいいじゃないかと思うと、それぞれの施設が結構区内の不便なところにあったりして(それは各区で取得できる土地が限られていたり、不便な地域の振興策だったりするんだろう)、行きにくいのである。

 その上、区民優先で他区民だと使いにく施設も多い。都立日比谷図書館という便利な施設があったけれど、千代田区に移管され(耐震対策が済んで)、昨年秋に再開されたが、千代田区立だから区民の方が使いやすい図書館になってしまった。(他区民も利用できることはできるんだが。)「特別区」に住んでいる人は、区を超えて行動することが多いが、他区の会議室やスポーツ設備は利用できないことが多く、不便を強いられている。別に不便でいいというんなら、大阪も特別区になればいいと思うけど、なったら不便なものだったと後悔するんじゃないかと思う。
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「大阪都構想」への疑問①

2012年06月26日 23時28分10秒 | 政治
 続いて「大阪都構想」への疑問点である。東京から見ていて、この「大阪都」というのは、なんだか錯覚に基づいた「壮大な誤解」なのではないかと感じてしまう。大阪は西日本の中心だから、東京が大災害に見舞われても大丈夫なように、機動的に動ける態勢を作っておくことは大切である。近年は、日本内部の東京一極集中、中国経済の成長などで、阪神地域の経済的地位が落ちてきていると言われる。だから、大阪の経済発展のためにいろいろと考えて見るのはいいと思うけど、東京に経済が集中するのは、別に「東京都」制度があるからではないだろう。単に「首都」だからではないかと思う。

 まず、今言われている「大阪都構想」というのはどういうものだろうか。「政令指定都市である大阪市・堺市と大阪市周辺の市を廃止して特別区とし、特別区となった旧市の行政機能や財源を「大阪都」に移譲・統合する」ということらしい。「大阪府と大阪市の二重行政の解消」ということが目的としてよく言われる。具体的な区の数は、大阪市を8程度、堺市を3つ程度、豊中、吹田、門真、東大阪など周りの市も組み込んで、20区程度にするという案もある。はっきり言えば、大阪市と堺市の解体である。

 都道府県の立場から見れば、「政令指定都市に取られていた権限を、都制度で都道府県に取り戻せる」ということになる。それが「二重行政の解消」ということなのだろうか。住民に一番身近な基礎自治体の権限が大きい方がいいんではないだろうか。大阪市民にとっては、よりによって、政令指定都市の市民から、特別区の区民に「身を落とす」ことが改革なんだろうかと僕は疑問を持つのである。
 
 道州制のところでも書いたけれど、日本の政治制度はどこに住んでいても、国、都道府県、基礎自治体の三段階になっている。だから、議員選挙は、国会議員、都道府県議会議員、市町村(区)議会議員の三つが行われている。国政は議院内閣制だけど、地方自治は直接首長を選ぶ選挙だから、都道府県知事と市町村(区)長の選挙も行われている。(なんと、1975年まで東京特別区の区長は選挙で選ぶことができなかったんだけど。)「東京都」も「大阪府」も「大阪都」も、地方自治の大きな仕組みはみな同じ。ただ、都道府県と基礎自治体の大きさと権限が変わってくるだけである。

 基礎自治体の中で、一番権限が大きいのは「政令指定都市」である。具体的には細かい話になるから書かないが、政令指定都市になると、都道府県から権限を委譲されて普通の市以上の権限を持つことになる。2012年に熊本が指定されて、全国に20ある。一方、基礎自治体の中で一番権限が小さいのが「東京特別区」である。一応、近年では「市並み」になってきたものの、普通の市が持っている権限でも都に握られたままになっていることもある。「特別区長会」が組織されていて、都に対しずっと権限の委譲を主張してきている。具体的には細かい話になるので省くが、東京都民はもう慣らされてしまって、「区の権限拡大」などという問題を忘れている人が多いと思う。戦時中に「中央集権」を進める目的で、ドサクサまぎれに「東京市」を廃止され、以来「東京市というものがあった」ということさえ忘れている。

 東京では、周辺「区」に住んではいても、仕事や娯楽、ショッピングは都心の中心部に行くということが多い。だから「基礎自治体」ではあるけれど、区への帰属意識があまりなく、区長選挙や区議会選挙にも無関心な人がけっこう多い。(もっとも大都市部では国政選挙の投票率も高くないけど。)そういう状況を考えると、大阪市議会と堺市議会を解体して、10いくつかの区議会を新設して、より地方自治意識が向上するんだろうか。現在の議員数は、大阪は86、堺は52で、合計138。大阪、堺市域だけで、10以上の区を作るんだから、新設の区議会議員の合計が138を超えるのは間違いない。ちなみに東京23区議会には、911人の区議会議員がいる。人口により25人から50人の議員数になっている。東京の特別区は、戦後すぐから議会があったけど、政令指定都市の区は行政だけで議会はないから、特別区にすると議会場から始めて施設も仕組み作りも全部新しくやらなければならない。その上で、それまでは「大阪全体の未来を考える」という選挙だったのが、「特別区だけの選挙」になるわけで、投票率なんかで苦労するんじゃないか。区議会議員が増えただけ、というのが「大阪都」の未来でなければいいんだけど。
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「道州制」への疑問

2012年06月25日 21時30分39秒 | 政治
 地方自治の制度論は難しくて判らない点も多いけど、少し考えてみたい。「大阪維新の会」では、「大阪都」を実現した後で、「道州制」を目指すと考えているらしい。「大阪都」論は長くなるので、まず「道州制」への疑問から。「道州制」という考えはかなり前からいろいろと出されてきている。日本の地方行政改革のアイディアであり、中央集権国家のあり方を地方重視に変えていこうという趣旨から来ている。人によっては「廃県置州」とまで言う人もいるが、大体は「県は廃止せず、数県の地方連合体をつくって、国家の権限を委譲する」というあたりの考えではないか。北海道はそのままで、後はいくつかの州にまとめるという考えが多いので、「道州制」ということになる。

 これに対する僕の疑問はいろいろあるが、
行政改革をしたつもりで、かえって複雑な行政「焼け太り」になる
 日本全国、どこでも「三重構造」になっている。まず「日本国」というものがあり、国家的な法制度の共通性を維持している。たとえば、日本全国どこへ行っても消費税率は同じである。(江戸時代のように、各藩ごとに年貢率が違うということはない。)
 一方、住民票を取るのは地元の「基礎自治体」。これは市町村と東京特別区を指す。小中学校を設置したり、福祉や選挙など身近な行政の大部分を担っている。「国」と「基礎自治体」の間に、「都道府県」があるが、その上に「州」をおけば、広域行政の名のもと、「四重行政」を作るだけでないのか。もちろん、国も都道府県も大胆にスリム化するというだろうけど、世の中そう簡単にいくのか。

沖縄県にメリットがあるのか?
 道州制で国のあり方を変えると意気込む人もいるが、そういう人も「国の仕事は外交と防衛だけでいい」と言ってるから、最低「外交、防衛を担当する国」があるわけである。先週沖縄県の仲井間知事が「オスプレイ配備反対」を訴えて外務省と防衛省を訪れていた。だから、沖縄県にとって、「道州制」が何のメリットもなく、道州制実現以後も東京に出てこなければならないのは間違いない。その上、「九州州」にも配慮しなければならない。かえって二度手間ではないか。

「州庁所在地」はどこに?-「人口の少ない県」にメリットはあるのか?
 さて、州がおかれることになったら、「州庁」をどこかにおかなくてはならない。僕が思うに、常識をもってすれば、「東北州」の州庁は仙台に、「中国州」の州庁は広島に置かれることだろう。まかり間違っても、東北州庁が秋田に、中国州庁が鳥取に、置かれたりするとは思えない。では、鳥取県に何かメリットはあるのか。東京事務所に加えて、広島の州庁にも人をさからなければならなくなるだけではないのか。
 では、「関西州」の州庁はどこにおかれるのか?「当然、大阪だ」と思ってるから、大阪維新の会は道州制賛成なのではないか。大体、東京、大阪、名古屋など、規模が大きく財政も豊かな町が、国の権限を寄こせという傾向が強い。もし、大阪維新の会が純粋に制度改革を望んでいるというなら、「関西州実現のあかつきには、州庁は日本最古の都があった奈良がふさわしい」くらいのことを言うなら、大阪の権力増大が目的ではないと判るのだが。

「都道府県連合」ではダメなのか?
 今回の大飯原発再稼働問題で、近畿地方の各知事がつくる「関西広域連合」なる集まりが実質的に大きな力を持っていた。各県、各知事ごとに考え方に違いもあったようだが、これが「関西州」ができていたら、「州知事」一人の意向が大きくなっていたわけである。でも、それでいいのだろうか。県という組織がなくならない以上、県の責任を負った知事が集まって広域的な議論を行えばいいのではないのか。県の上に州をおいて、選挙で州知事を選ぶ方が民主的だとは思えない。今、「広域連合」というものができているなら、道州制なんていらないのではないか。

日本の中で、福祉や教育の差が広がっていいのか?
 ところで、「道州制」の前に議論すべきは、「格差の拡大」であると思う。一番極端な「国は外交、防衛だけ」にしてしまったら、「福祉や教育は各地方で基準を定める」ということになる。しかし、東京から大阪、神戸までの「太平洋ベルト地帯」はいいかもしれないけれど、財源のない地方では福祉や教育の水準を下げるしかなくなる。同じ国だというのに、「税の所得再分配」効果が不平等になっていいのだろうか。

 などと思って、僕には道州制に疑問が多い。要するに、「強いものの議論」だと思っているのである。「制度いじり」をしているヒマがあったら、政策の具体論をして欲しい、と僕はいつも思っている。制度いじりをああだ、こうだとやっても、「官僚制度が複雑化するだけだ」と思うのである。それは「大阪都」構想にも言えることである。
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大阪「入れ墨問題」の本質

2012年06月19日 14時08分53秒 | 政治
 こんな時期外れに39度を出して寝込んでしまった。と思ったら今度は台風である。ニュースや新聞をちゃんと見ないうちにも、世の中は動いている。さて、ようやく「入れ墨問題」について書く元気が出てきた。というか、「入れ墨問題」自体がなかったんでは、と書いたばかりだけど、それでも「今回の入れ墨問題の語られ方」はちゃんと考えて見る必要があると思う。

 昔、英語やなんかの授業で「5W1H」というのを聞いただろうと思う。問題を考えるときの基本というのは、いつも変わらずそれですね。で、「いつ」「なぜ」が報道ではよく判らない。報道は「処分もされてない」という形で2月頃にあるようだけど、大阪以外の人の多くは「入れ墨全員調査をやる」という破天荒な決定を聞いたからだと思う。また「なぜ」が出てこないのは、先に書いた「入れ墨威嚇事件そのものがなかったのでは」ということと関係がある。それはともかく、

①Where 大阪の公立児童福祉施設で
②Who  職員(公務員)が
③How  入れ墨を見せびらかすことにより
④What  施設の児童をおどした

 では、以上の中で、何が一番問題なんだろうか?「公務員が入れ墨をしていたこと」だろうか?じゃあ、「大阪では私立の福祉施設で、職員が入れ墨をして入所者を脅してもいい」が「公立の施設では、脅しに使わなくても、入れ墨をしているだけでもいけない」ということになってしまわないか。それで正しいのか。

 もちろん、それでいいという考えもあるだろう。私立施設でも入所者への脅しがあってはいけないが、私立の場合「評判が落ちる」ことで「入所者が減り」、「改善される」か「自然淘汰されてつぶれる」と考えるわけである。完全な市場絶対主義の立場である。

 しかし、僕にとっては(多分多くの人にとっても)、「施設内で職員による威嚇事件があった」(まあ、あったということで)、ということが一番のポイントだと考える。公務員じゃなくて私立の施設で起こっても問題だし(施設の設置や入所は、市場原理で決まるわけではなく、都道府県や市町村が関与するわけだし)、公務員が入れ墨をしていいかは別にして、「入れ墨は手段」だと初めから報道されている。手段に過ぎないものを誇大に取り上げ、それ自体が大問題だというやり方は論点をずらす際の基本テクニックである。今回も実に見事な手際だと、批判は批判ながら感心もしてしまう。

 職員が入所者を脅すというのは、つまり施設職員という上からの立場を利用して、弱いものにあたるということだから、つまり「パワハラ」(パワー・ハラスメント)である。当初、報道された事態の本質は「パワハラ」なのである。だから、対策を取るというなら、「パワハラ防止に向けた研修」を行うといった方向しかありえない。しかし、それは市長にとって大変困った展開だっただろう。なぜなら、「パワハラの例示」の中には、「公開叱責(多数の面前での叱責)」「感情を丸出しにする上司」「給料泥棒呼ばわりする」「退職勧奨や脅し」などいったものが含まれるからである。何だ、橋下市長自身がやってることじゃないですか、ということになってしまう。だから、問題を「公務員が入れ墨をしていいのか」とすり替え、「入れ墨をしたいなら公務員を辞めてください」と、まさに「パワハラにはパワハラ」で応酬しているのである。

 入れ墨問題について、その本質に関してはそう考えているけれど、では入れ墨調査や「公務員は入れ墨をしていいのか」問題はどう考えればいいのだろうか。それは次回。
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映画「サニー 永遠の仲間たち」

2012年06月16日 23時21分06秒 |  〃  (新作外国映画)
 韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」。これは「感涙必死の女子会映画」だった。1986年の韓国で、女子高の7人組「サニー」の仲間たちがいた。「永遠の友情」を誓って卒業したものの、その後会う機会がなかった。最近、イム・ナミ(画家を目指していたが、今は主婦として夫と高校生の一人娘と暮らしている)の母親が入院して面会に行くと、かつて「サニー」のリーダーだったハ・チュナが末期ガンで入院しているではないか。彼女の最後の願いは、あの頃のメンバーにもう一回会いたいということだった。イム・ナミは母校を訪ね、かつての担任に会うと、最近保険の勧誘に来たメンバー、キム・チャンミを教えてもらう。二人が中心になって、残りの5人を探していくと…。

 あとはエンターテイメントのお約束に従って映画が進行する。高校時代と現在、現役の女子高生である娘のようすが、描き分けられていく。現在を調べて行くと、夫婦仲に悩んでいたり、作家になるはずが姑との関係で悩んでいたり、ミス・コリアになってるはずが思わぬ不幸が襲っていたり…。でも、どうしても一人だけ見つからない。それが当時からモデルをしていた美女のチョン・スジ。昔に戻ると、そのスジこそはイム・ナミとは不思議な因縁があるのだった。元々全羅道からの転校生だったイム・ナミは、最初はソウルの女子高生に圧倒され、方言をバカにされ、いかにもダサい。それをかばって仲間に入れてくれたのが、リーダーのハ・チュナだったが、何故かスジはナミを仲間に入れるのを喜ばない。何が理由なんだろうか。クラスの別グループに因縁を付けられた時、たまたま居合わせたのは、一人でタバコを吸いに来ていたスジではないか…。

 ということで、昔の場面は全く「スケバン映画」のパロディである。韓国でもこうだったのか。女子のグループの意地悪や敵対心、お昼の食堂(食堂があるのだ)でのやり取り、恋愛へのあこがれ、みな懐かしい音楽とともに楽しく描かれている。違う国で、性別も違うけど、懐かしい。でも反政府デモを前にして、女子高生どうしの乱闘がパロディで描かれる場面などを見ると、「韓国でも民主化運動は歴史になったんだなあ」と感慨深かった。

 これが「86年の韓国」を描いている意味は、簡単に解説しておきたい。韓国では長く軍事独裁政権が続いていた。パク・チョンヒ大統領が1979年に情報部長に暗殺されたあと、80年に「ソウルの春」と呼ばれた時代があったが、チョン・ドゥファン将軍のクーデターで逆戻り。そのような自由なき時代に、イム・ナミの父親は軍事政権から仕事をもらいソウルに出てきた。一方、兄は労働運動に参加し、政権打倒を目指している。1986年6月の学生、市民の大規模な反政府デモにより、ついに政府は大統領直選制(大統領を国民の選挙で直接選ぶ)を実施し、民主化すると約束せざるを得なくなった。そういう、韓国民主化運動の一番の画期が1986年。去年のエジプトのタハリール広場みたいなことが、25年前の韓国で起こっていたわけである。この年は「88」(パルパル=88年ソウル五輪)の2年前だった。だから、韓国人にとって、一番輝いていた「サニー」の時期そのものであり、それがあってこそ韓国で大ヒットしたんだと思う。

 「サニー」というのは、元はドイツのディスコ音楽だということだけど、昔みんなで文化祭で踊ろうと練習していた。ある事件で、それができなくなったままになったが、今回皆で集まって「サニー」を踊ろうという、最後はダンス映画。その文化祭をみても、同じだったり違っていたりする。キリスト教系女子高で制服もないみたい。日本の高校と比べると面白い。でも、やっぱり「学校」という空間の懐かしさが画面いっぱいにあふれてる。じゃあ何で卒業後に会わないのかと思うけど、まあインターネットとか携帯電話がなかった頃はそんなものなんだよね。大学も大変だし。それと韓国では「整形手術」をするかどうかという問題も女性の大問題らしい。娘のようすを見ると、現在の高校も大変。でも、最後はおとぎ話で終わる感じだなあ。

 ということで、韓国の女子高生リユニオン映画で、大人が見れば絶対泣ける。僕は外国でリメイクするのはあんまり賛成ではないんだけど、この映画に関しては、なんだか各国でリメイクしてもいいような…。登場人物たちが、ピンク・レディやキャンディーズを踊るのも見てみたい。日本人向けヴァージョンもどこかで作って。
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大阪の「入れ墨問題」、威嚇はなかった?

2012年06月15日 23時33分39秒 | 政治
 カテゴリーを少し追加して、今まで大阪の情勢について書いたものを「政治(大阪維新の会)」にまとめてみた。今まで「君が代条例」「教育基本条例」などについて書いたことがあるけど、それは「教育」というカテゴリーだったことが多い。都教委に続いて、大阪の教育もとんでもない事態になっているなあ、と東の方から見て考えたことを書いた。しかし、今になってみると、単に教育問題だけではない、「政治運動」になりつつある。「ハシズム」というか、新自由主義というか、極右運動ととらえるか、「日本版ティーパーティ運動」と考えるべきか。まだまだ不定形のモヤモヤとした部分が多く、本人たちも含めて一体自分たちは何をしようとしているのか、わからないところが多いのではないか。

 さて、最近大きな話題になったことに「入れ墨職員問題」がある。大阪市で2月、「児童福祉施設の男性職員が、子どもたちに腕の入れ墨を見せて威嚇していた」という問題が起こった。そもそもどうして問題化したのか、ちょっと調べてみたけれどよく判らなかった。とにかく、その問題を受けて橋下市長は「刺青をしたまま公務員にとどまるのはおかしい」と問題視して、全職員に調査を実施したわけである。

 ところが、この「入れ墨で威嚇」自体がなかったという報道があった。6月9日の朝日新聞(大阪)の記事にあったようで、このブログにある。僕が知ったのは、大阪の教育問題を追及している「教育基本条例NO!」のブログを通して。

 重大な部分を引用してみると、「威嚇の事実、確認できず」とある。
 
 「調査の発端となった児童福祉施設の男性職員のケースはどうだったのか。市は「詳細は不明」としつつ、「公務員になる前の調理師時代の入れ墨ではないか」と説明。調査の過程で「子どもを脅した」とする当初の新聞報道と異なる実態が見えてきたという。市によると、この職員は施設で調理を担当。熱湯が入った大鍋や包丁などが並ぶ調理場で子どもたちがふざけないよう、厳しい口調で注意したという。「入れ墨で威嚇した」という事実は確認できなかった。

 この職員は、危ない職場で子供たちがふざけないように注意しただけで、「入れ墨で威嚇した」ということ自体がなかったというのである。じゃあ、調査だ、答えないのはけしからん、処分だ、などと市長が意気込んでやってきたことは何だったんだろうか。

 そして、この問題は「公務員が入れ墨をしていいのか」という風に報道されているけれど、逆に考えると「一度でも入れ墨をしたことがある人は、公務員試験に合格させてはならないのか」という問題である。この職員の場合、前歴の調理師時代の入れ墨ではないかとのこと。福祉施設の調理員という現場職員に、そういう人が応募してはならないのだろうか。

 だからこそ、解放同盟大阪府連は「重大な人権侵害」と抗議したと記事にある。
 
 被差別出身者が公務員に採用されるに至るまでの経緯をこう説明した。「地区は差別の結果、就職の機会均等が保障されず、不安定な就労実態にあった。安定した仕事もなく貧困のもとにおかれていた」「解放運動の仕事保障運動によって公務員採用の通が開けた」
 大阪府連合会のある幹部は言う。「若いときに粋がって遊び心で入れてしまい、後悔している人が多い。再起を誓い公務員になった人々もいる。(調査は)過去への制裁だ」

 こうしてみると、「公務員が入れ墨をしていいのか」などと短絡的にとらえるような問題ではないことがよくわかる。
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映画「道-白磁の人-」

2012年06月13日 21時57分10秒 | 映画 (新作日本映画)
 浅川巧の生涯を描いた「道-白磁の人-」と言う映画が公開中。なかなかの感動作で、近代日本と朝鮮の歴史を扱っているから、多くの人に見て欲しいなと思って紹介する。


 浅川巧(あさかわ・たくみ 1891~1931)と言っても、まだまだ知らない人が多いと思う。植民地下の朝鮮で、林業試験場に勤務しながら、おとしめられていた朝鮮美術の美にめざめ、陶磁器などの収集、研究をした人。朝鮮語を学び、朝鮮の服を着て、日本の朝鮮統治に批判的な姿勢を表した人でもある。「民藝」の発見者として名高い柳宗悦に協力して、「朝鮮民族美術館」を開くのに力をつくした。柳宗悦は三一独立運動(1919年)に対する日本の弾圧を批判し、当時「朝鮮人を想う」という一文を発表した。そのことは、70年代に広く取り上げられたが、浅川巧のことは1982年に高崎宗治さんの「朝鮮の土になった日本人」で初めて広く知られたと思う。

 浅川巧が朝鮮に渡ったのは、兄の浅川伯教(のりたか 1884-1964)が先に行って教師をしていたからである。朝鮮陶磁器の美も、先に伯教が見出していた。兄弟は協力して収集に力をつくし、その業績は昨年、千葉市美術館で「浅川巧生誕120年記念 浅川伯教・巧兄弟の心と眼―朝鮮時代の美」で紹介された。展覧会は終了しているが、ホームページで見ることができる。実はこの展覧会は僕も行ったのだが、正直言って「焼き物の世界はわからない」という感想だったのでここでは書かなかった。映画は江宮隆之「道-白磁の人」(河出文庫)と言う小説の映画化。

 この映画のかなりの部分は、「林業家としての浅川巧」を描いている。最初に朝鮮の木がない山を見て「ロシアや清国の侵略で、木が切られた」と教えられる。実際に山を歩く中で、「日本が共有地の山を国有地にして切ってしまった」と聞かされる。日本にいたときから根っからの植物好きだった巧は、仕事を通して朝鮮の山を緑にすることを夢見る。どの木が、どうやって発芽して根付くか、辛抱強く実験を重ね、朝鮮に風土にあった植林を実現していく。そうか、浅川巧は「木を植えた男」だったのか。「木を植えた男」というのは、フランスのジャン・ジオノの小説をフレデリック・バックがアニメ化して有名になった。あれは実話ではなく小説なんだけど、浅川巧は実際にいた「木を植えた男」だったのだ。そういうエコロジー映画というのが、この映画の一つの視点。

 一方、植民地の朝鮮で、日本人と朝鮮人は判りあえるかという重いテーマもこの映画にはある。今は韓国も民主化され、韓流ブームが起きる時代になったわけだけど、80年代頃までは韓国に関心を持つ日本人にとって「判りあえるか」という問いが常にあった。「韓国は面白い」などと言った接近法は、なんだか批判されるような風潮があった。それは日本と朝鮮(韓国)というより、「支配する(した)もの」と「支配される(された)もの」は判りあえるか、という問題である。浅川巧も、この映画の中で、支配者である日本人は朝鮮を理解することはできない、と問われる。しかし、巧は支配される側の言語を学び、支配される側の服装を身にまとう。「できることをする抵抗」か、「良心的日本人のポーズ」か。しかし、住んでいる土地の「現地人の言葉」を理解しようとするのは、本来は好奇心のある人間にとって自然なことである。「人間にとって自然な好奇心や同情心」を普通に発揮しただけのことなのだと思う。

 でも、それは「支配-被支配」の網の目の中に生きている植民地の日本人にとって、「おかしな生き方」だった。だから、浅川巧は「支配者の世界から降りて行った人生」を生き、「あっち側にいっちゃった人」になったわけである。同時代的には「変人」である。この、「同時代の人からは変人と思われる生き方」というのが大事なのだと思う。これは、植民地時代の朝鮮だけの話ではない。会社でも学校でも、どんな世界でも、「少数派として生きる」とはどういうことか、という話なのである。ただし、「こっち側の世界を出ていく」のはいいけど、「あっち側でも受け入れられない」で、思いが宙に浮いてしまうこともありうる。巧の場合はどうだったろうか。いろいろな見方はあると思うけど、とりあえずそれは映画で確認を。

 僕は浅川兄弟の強い所は、「美」に対する自分の見方を信じていたことが大きいと思う。「文化」こそが民族友好の基礎になるもので、美しい白磁の壺を作った朝鮮の美への敬愛を失うことがなかったから、その立つところが揺るがなかったのだと思う。

 高橋伴明監督が手堅く演出している。日韓で撮影されている。吉沢悠、ペ・スビン主演。柳宗悦役は塩谷瞬、チョイ役で市川亀治郎(今はもう猿之助)も出ている。母親役を手塚理美がやっていて、朝鮮人への偏見を持つ年長の日本人をうまく演じている。一方、独立運動に加わる朝鮮人も出てきて、その複眼的な世界がなかなかよく出来てる。浅川巧がちょうど満州事変直前になくなるので、皇民化運動の激しい頃は出てこないが、「併合」4年目から三一独立運動、関東大震災など当時の歴史の流れも判るようにできている。
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「死刑の抑止力」という問題

2012年06月12日 23時12分22秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 前に「死刑制度をめぐる小論」というのを2回書いた。死刑執行が小川前法相によって3月末に行われたことを受けて、世界の情勢や世論調査の理解について書いた。死刑制度についてその後も時々書いてきたが、大きな論点についてはあまり書いていない。僕も重い問題をそんなに書きたいわけじゃなくて、映画の話題などを書いていたい。だけど今日は、「死刑の抑止力」という問題について、書いておきたいなと思った。大阪で起こった「通り魔事件」、またしても「自殺したいけどできなくて、人を殺して死刑になりたいと思った」などと供述しているらしい。こういう、ふざけたというか、了解不能な言葉を最近何回聞いたことだろう。このように「死刑制度があるから殺人事件を起こした」と言っている犯人が何人もいると言うのに、法務省からは今でも「死刑には一般的な抑止力がある」と言った言葉が聞かれる。死刑存置論者は一体どう考えているのだろうか。

 「死刑の抑止力」は、重大犯罪に関しては「ない」というのが、犯罪学なんかでは世界的にほぼ共通の理解ではないかと思う。だからかどうか、今さら専門家はあまり語らない。でも、一般市民の中では「死刑があるから凶悪犯罪を少なくできる」と思っている人は多いと思う。だから専門家にもきちんとデータを集めて答えを出してほしい。

 もし、死刑に重大犯罪の抑止力があるなら、1980年にフランスではミッテラン政権成立で死刑が廃止された後で、犯罪が急増しているはずである。あるいは、汚職事件でも死刑になってきた中国は、世界で一番腐敗が少ない国になるはずである。(最近死刑適用事件をしぼる刑法改正があったようだけど。)また何よりも一番はっきりするのは、アメリカである。アメリカでは州ごとに死刑があったりなかったりするから、死刑がある州と死刑がない州で犯罪発生率が違うかどうか、比べてみればわかるはずである。2002年に首都ワシントン近郊で、「DCスナイパー」事件と呼ばれた無差別銃撃事件が起き、10人が殺害された。黒人の元陸軍スナイパー、ジョン・アレン・ムハンマドと養子の少年が逮捕され、いろいろと衝撃を与えたという事件があった。犯行が各州にまたがっていて、どこで裁くか議論があったが、結局ヴァージニア州で死刑となり、2009年11月に執行されている。首都ワシントン特別区は死刑を廃止していたので、死刑に犯罪抑止力があるというなら、なぜこの犯人は特別区の中だけで犯行を犯さなかったのだろうか。

 「フツーの人」にとって、ひったくりや振り込め詐欺の被害者になることはあっても、日常生活のなかで加害者になることはほとんどない。一番犯しやすい法律違反は道路交通法違反だから、罰則が厳しくなった飲酒運転は絶対しないよう心掛けているだろう。一方、取り締まりがないならスピード違反なんか、今よりもっとたくさん起こるに違いない。だから交通違反レヴェルの問題なら、確かに「罰則強化が法律違反の抑止力になる」ことはあるんだと思う。でも、殺人レヴェルの犯罪は、他人が見てないならやっちゃおうというような犯罪ではない。よほどカッとなっても、「心の中の道徳の歯止め」みたいなものがあるし、家族や仕事を失うことを考えれば、重大犯罪を犯すことはできない。つまり、「家族」や「仕事」があれば、である。「失っては困るもの」を持ってるか、どうか

 今度の事件の犯人は、報道によれば幼いころに母親を亡くし、その後父も店が倒産、現在は死亡、兄弟はバラバラであるという。中学卒業後、暴走族に入り、成人後は暴力団にも入っていたというが、覚せい剤で服役して、5月末に出所したばかりだという。典型的な「恵まれない家庭環境」に育った「粗暴な不良」だった感じである。従来なら、出所後にヤクザ業界周辺で吸収されたのではないかと思うが、もう規制強化と不況でそれもかなわなくなっているのか、それとも本人の性格か。刑務所で知り合った知人を訪ねて大阪へ行ったということである。本人に問題があるとはいえ、「どこにも居場所がない」境遇である。「無銭飲食」程度で刑務所に逆戻りする道を選ばず、2人殺害で「死刑願望」というはた迷惑になったのは、本人の今までの粗暴な生き方が出てしまったと考える。だから、本人に問題があるのは当然なんだけど、それでも「日本社会における、いったん落ちこぼれてしまった後の居場所のなさ」も明らかである。

 いかに非道な「通り魔」でも、被害者一人なら死刑になるとは限らない。(犯情が悪質なら死刑の可能性もあるが。)「通り魔」は悪質なので、「成人被告が二人を殺害」なら、まず間違いなく(現在の判例状況では)死刑。無差別とはいえ、やたらと車やナイフで襲いまくるのではなく、明確に二人殺害で三人目がない点、死刑目的なら「合理的」である。こういう犯罪が多発するところを見ると、死刑に犯罪抑止力があるどころか、「犯罪誘発力」があるとも言えるではないか。

 死刑制度と言うのは、「国家が個人の生命を奪う」ということだから、「やり直しを完全に認めない」ということである。それは「国家の理念」としてはどうなんだろうというのが、死刑はない方がいいだろうと思う一番の理由。もちろん現実の一人ひとりの犯罪者の中には、「今の状態では社会に戻すのは難しいのではないか」というケースがあると思う。だから「仮釈放のない無期懲役(終身刑)」という刑罰を置いておくことも必要なのかなと思う。(時間がたったら、「仮釈放のある無期刑」への恩赦請願ができるのはもちろんである。)一度死刑を「期間限定停止」してみて、それでもこういう事件がおこるかどうか、「社会実験」してみてはどうかと思ったりする。
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映画「ブラック・サンデー」

2012年06月11日 20時40分23秒 |  〃  (旧作外国映画)
 「ブラック・サンデー」という映画を見たので紹介。これは「午前十時の映画祭」の一本である。今年で3年目、昔の名画を午前10時から上映するという企画だけど、10時始まりではなかなか行けるものではない。そこで複数回上映を行っているところがいくつかあり、特に東京・日比谷のTOHOシネマズみゆき座、大阪のTOHOシネマズ梅田では、終日上映をしている。もっとも一週間替わりだから、注意していないといつのまにか終わっていることになる。(「ブラック・サンデー」はみゆき座で、今週金曜まで。一日4回上映。他の劇場での上映は別の日程。)

 さて、「午前十時の映画祭」のキャッチコピーは「何度見てもすごい50本」だけど、この「ブラック・サンデー」だけは、このコピーが当てはまらない。実は「未公開作品」なのである。だからこのラインナップが発表されたときから、僕は是非見たいものだと思ってきた。「未公開」というより、正確には「公開中止」である。1977年夏の公開直前に「爆破予告電話」があって、公開が中止されたのである。この映画はパレスティナ・ゲリラのテロ組織「黒い九月」がアメリカでテロ攻撃を行うという筋立てなので、政治が絡んではいる。当時は75年のクアラルンプール事件、77年9月にはダッカ事件など、日本赤軍による大使館占拠やハイジャック事件が起きていた頃なので、映画会社は万一を恐れて公開を中止してしまったのだ。しかし、国内で反対運動があったわけでもなく、映画も単なる娯楽作品なんだから、「イタズラ電話」なのではないかと僕は当時から思っている。「すごく面白い」「よく出来たエンターテインメント」という評判は、試写会などを通して聞こえて来ていた。だから、まあ見てみたいなと思っていたけど、見られなくなったのでずっと残念に思ってきた。

 ところで、この映画の原作はこれが第一作目のトマス・ハリス。これがまた伝説である。名前を見てもミステリーファンじゃないと判らないかもしれないが、製作当時は無名の新人作家で、原作者には全然興行価値はなかったのである。1940年生まれのトマス・ハリス、作家としてたった5つの作品しか発表していない。次の作品は「レッド・ドラゴン」だが、そこで創造したキャラクターがハンニバル・レクターなのである。次の大傑作「羊たちの沈黙」が大評判になり映画としても大成功した。以後「ハンニバル」「ハンニバル・ライジング」とハンニバルシリーズを書いてきた。ということで、あのトマス・ハリスのただ一つのハンニバル以外の作品、という価値が出てきたわけである。(原作は新潮文庫で刊行され、一時なくなったが現在は復刊されている。)

 映画の主役は、ロバート・ショー、ブルース・ダーンという、まあ主演大スターではない。だから新人作家の映画化で、そんな超大作として期待されて作られたわけではない。パレスティナ・ゲリラとヴェトナム帰還兵(捕虜になった経験があり祖国に不満がある)が結びつくという発想もムチャ。イスラエル側の責任者(モサド?)が、女につい情けを掛けてしまう冒頭も不自然。全く無理な筋立てなんだけど、スーパーボウル(アメリカンフットボールの最高峰を決める決勝戦で、アメリカ最大のスポーツイヴェント)を襲撃するという(どうやって?)という、とてつもない発想が見せる。終盤はかなり手に汗握る盛り上がりとなる。テロを扱った政治的サスペンスのアクション映画として、まずは見応えあり。(ただ、当時は「パニック映画」とよく呼ばれていたが、後に作られる「ダイ・ハード」「スピード」「タイタニック」などをすでに知っている我々としては、多少展開が遅かったり、対応に疑問を感じたりするところもある。2001.9.11でアメリカは大きく変わってしまったわけで、昔はこんな遅い対応だったのかという感じもある。イスラエル側の対応も、「ミュンヘン」なんかを見てしまうと…。)

 監督はジョン・フランケンハイマー(1930~2002)。60年代アメリカでは、アーサー・ペン(「俺たちに明日はない」)やマイク・ニコルズ(「卒業」)などとともに若手監督として期待されていた。「終身犯」「影なき狙撃者」「五月の七日間」など、政治的背景のあるサスペンス・アクションによく起用され得意としていた。75年には「フレンチ・コネクション2」を監督している。代表作はマラマッド原作の「フィクサー」(1968)。後にイタリアの「赤い旅団」を描く「イヤー・オブ・ザ・ガン」も作っている。手慣れたアクション描写で飽きさせない手腕は、職人監督の技である。

 「黒い九月」は、当時を知ってる人には耳慣れた実在のテロ組織で、ミュンヘン五輪のイスラエル選手団襲撃事件で有名。名前は1970年のヨルダン内戦から付けられている。当時ヨルダン内にあったPLOやPFLPの活動が過激化して、ヨルダンのフセイン国王の統制が及ばなくなり、ヨルダン政府は1970年9月に大弾圧に踏み切った。多くのメンバーが殺されたPLOの主流派ファタハの秘密組織が「黒い九月」で、名前でわかるようにイスラエルだけでなく、アラブ内の親米保守派のヨルダンやサウジの王政も襲撃対象とした。ヨルダンにいられなくなったPLOはベイルートに移動し、イスラエルの侵攻作戦でチュニジアのチュニスにさらに移動することになる。そういう実在の有名テロ組織だけど、この映画(原作)では「名前を使われた」と言った程度の存在で、リアリティはあんまりない感じ。
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死刑のない国の話-ノルウェイとモンゴル

2012年06月10日 22時36分49秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 ワールドカップのアジア最終予選もあるけど、ヨーロッパ選手権(EURO2012)も始まっている。19日まで毎日4グループに分かれたリーグ戦をやっているが、テレビはWOWOWなので、見れないで残念。ヨーロッパでは、スペイン金融不安も深刻化して、公的支援をあおぐことになった。ギリシャ、アイルランド、ポルトガルに続くもので、これがまさに「PIGS」になってしまった。ギリシャ再選挙も迫ってきて、たかが「球蹴り」にうつつを抜かしていていいのかと思わないでもないけど。でも、開催国がポーランドとウクライナというんだから、東欧革命、ソ連崩壊から20年たって、そういうことが可能になったのである。

 さて、ちょっと旧聞になるけど、ノルウェイの水泳選手、昨年の世界選手権男子100m平泳ぎで金メダルを取ったダーレオーエンが4月30日にアメリカで高地訓練中に急死するということがあった。ロンドン五輪でも北島康介の最大のライバルになるのは間違いなく、ノルウェイに五輪初の水泳金メダルをもたらすことが期待されていた。ところで、去年上海の世界水泳で金メダルを取る直前に、ノルウェイでは排外的な極右青年による爆弾、銃撃テロ事件が起こっていた。爆弾で8人、銃撃で69人が死亡し、合わせて77人。ノルウェイで第2次世界大戦(ナチスドイツの侵略を受けた)以後の、最大の悲劇である。金メダルを取った時、ダーレオーエンはメダルを母国の人々に捧げ、「僕たちは団結している必要がある」と語った。スポーツがこのように悲しみの中にある母国の人々を励ます力になるということは、われわれ日本人も「なでしこジャパン」の活躍によってよく判っていた時期だったから、彼の言葉は心に残ったのである。

 さて、その犯人の1979年生まれの青年は、精神鑑定を経て責任能力ありとして今年3月に起訴、4月から裁判が始まっているが、全く反省の様子を示していないということが時々新聞の片隅に載っている。ちなみに、この犯人は移民に寛容なノルウェイの政策に反感を持ち、「多文化主義に批判的な日本と韓国」を賛美していたらしい。では、この犯人は(冤罪可能性はないので)責任能力が認められたとして、一体どの程度の刑罰になるのだろうか。もちろんノルウェイに死刑はない。それどころか、(仮釈放のない)「終身刑」や(仮釈放可能性のある)「無期懲役」もないのである。最高刑は「禁錮21年」というのだから、これには僕もちょっとビックリした。

 調べてみると、「無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ」というホームページを作っている人があり、その中に「各国の刑罰体系」という一覧表が掲載されている。確かにノルウェイは最長21年である。その表を見てみると、死刑を廃止したヨーロッパ諸国でも、仮釈放のない無期刑、仮釈放のある無期刑をおく国がほとんどである。全部なくて有期刑だけの国には、ポルトガル(25年)、セルビア(40年)、キルギス(30年)、スペインとメキシコは「無制限」とあるが、「収容上限40年」とある。ブラジルは似ているが「収容上限30年」。刑罰上限が無制限だということは、被害者が多いと「100年」なんて言い渡しもできるのか、よくわからない。収容上限があるんだったら、事実上最高刑は40年ということではないのか。

 ノルウェイは人口500万人にも満たない北欧の寒い国で、日本とは社会の様子は大分違うだろう。社会は安定して、犯罪発生率も低いだろう。この国の「寛刑政策」は最近日本でも森達也氏などが触れていて、僕も読んだけど、今は詳しく覚えていない。ノルウェイではさすがに「死刑復活」とまではいかなくても、「終身刑」を作れと言う議論は出ているようである。今後どうなるかは判らないが、「法の不遡及の原則」から今回の事件では適用できないはずである。僕も「最高刑21年」というのは、「軽すぎる」のではないかと思う。死刑の問題とは別で、刑罰には「応報」的側面を全くむしはできないから、その社会である程度「長い期間の拘束」と思う最高刑がいるだろう。もちろん「21年」は実際に刑罰を受ける身には長いだろうが、高齢化、晩婚化が進んでいる日本では、例えば22歳で犯した犯罪で満期を務めて43歳で出所。昔は「青春のすべてを監獄に奪われた」という感じで、もうすぐ初老に近づくイメージだけど、今は40過ぎまでブラブラしていたなんて、まあ確かに少し遅い感じもあるけど、そんな珍しくない。男の結婚なんかだったら全然不思議ではない。社会がそういう風になってしまっている。

 ちなみに、僕は死刑廃止論者だけど、「無期刑廃止論者」ではない。そういう主張をしても通る可能性がゼロだと思うけど、そうではなくて「犯罪の程度がとてもひどく、社会から隔離しておく必要がある人間」がいないとは思えないのである。「やり直しができる社会」を目指すべきだと思うけど、「どんな犯罪者も社会に復帰できるはずである」とまで言い切ることは出来ないと思う。

 ところで、世界で死刑廃止(または死刑はあるものの軍法会議のみ、及び死刑の執行がずっと停止している国)の国は、ヨーロッパやラテンアメリカの国が多い。東アジァから西アジア一帯の地域はほとんど死刑がある国になっている。その理由は何か、さまざまな考え方があると思うけど、ここでは触れないことにする。その中で、3月13日にモンゴルが死刑廃止条約に加入した。アムネスティが「死刑統計2011」を世界一斉に発表した際、日本での記者会見には駐日モンゴル大使が同席した。他にも以前からカンボジアやスリランカが死刑廃止国であるのは、「仏教と死刑廃止」というテーマを考えるべきだということを示している。モンゴルと言ったら、チンギス・ハンと羊と大相撲の力士くらいしか思い出さないと思うけど、アジアでも死刑を廃止するという「先進国」でもあるのだ。
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レイ・ブラッドベリを哀悼する

2012年06月07日 22時00分20秒 | 追悼
 レイ・ブラッドベリが亡くなった。(1920~2012)6月6日のことである。91歳。もう90を過ぎていたんだから、やむを得ないと思うんだけど、悲しい。新作が出るわけではなかったけれど、古い短編が新しく本になったりして最近までよく邦訳も出ていた。僕のもっとも愛する作家と言ってもいいし、読書の楽しみを教えてくれた人の一人である。

 一応ジャンルとしては「SF作家」ということになっていて、「SFの叙情詩人」とよく言われてきた。特に異論があるわけではないし、一代の大傑作と言えば「火星年代記」で、地球人が火星に移住したり、火星人が出てきたりする本なんだから、まあSFという括られ方をするのも当然だろう。でも、この作品を読んでる人は納得してくれるだろうけど、普通の意味での「空想科学小説」の面白さではなくて、人間の哀愁やノスタルジア(郷愁)が心に沁みる幻想小説と言うべき作品だ。特に、ポーを下敷きにした「第二のアッシャー邸」なんか、その滅びの哀愁の深さで忘れられない。

 僕が大人の本を自覚的に読み始めたのは中学1年の夏のことで、突然「自我の目覚め」みたいなものに襲われた。以後、小説を読んでもう一人の別の人生に触れなくては生きられなくなって、現在に至っている。その時最初に読んだ本のタイプは、学校で勧められたタイプ(当時は旺文社文庫なんか学校で紹介された)で芥川とか。続いて、当時文庫本で出ていた日本、世界の小説を買ってみて自分で発見した作家。カミュとか大江健三郎とか。そして、最後が父親の持ってた大量のミステリーとSFである。エドガー・ライス・バローズの火星シリーズ(最近、「ジョン・カーター」として映画化された)なんか熱中して読んだけれど、そんな中で僕に決定的とも言える影響を与えたのが、レイ・ブラッドベリJ・G・バラードだったのである。父親は創元SF文庫を見境なく買っていただけだと思うけど、僕は中学生の時からJ・G・バラードに夢中だったのである。

 ということで、あのいつになっても少年の日のときめくような憧れと悲しみを忘れなかった不思議な世界が僕の心の中に沁みわたっていったのである。特に好きなのが、短編集「10月はたそがれの国」とか長編の「何かが道をやってくる」(いずれも創元文庫)。最近は10月になっても暑かったりするけど、それでも秋風が吹きすさぶ季節になると「10月はたそがれの国」(原題は「The October Country」)という言葉をつぶやいたりする。もちろん「火星年代記」(ハヤカワ文庫)は素晴らしいけど、本が読めなくなった世界を扱う「華氏451度」(紙が燃え上がる音頭だという)は、今読むとそれほどでもないかもしれない。社会批判の反ユートピア小説や映画はたくさんあるので、それを比較すると図抜けた傑作とまでは言えないのではないか。だから、「初めてのブラッドベリ」は、まず短編集から始める方がいいと思う。(「太陽の黄金の林檎」「刺青の男」なんかの初期のものがいいと思う。)(「華氏451度」は、マイケル・ムーアの反ブッシュ映画「華氏911」の題名に引用されて、改めて注目された。トリュフォーがイギリスで映画化したが、その後日本では上映されていない。どこかでやってくれないかな。)

 チェコにカレル・ゼマン(1910~1989)というアニメーション作家がいて、少年の夢、宇宙感覚、恐竜など、共通の趣が感じられると思う。日本の作家で言えば、宮沢賢治とか稲垣足穂なんかに近い部分があるが、ちょっと違うかな。フェリーニの映画にあるサーカスものなんかのムードもちょっと近い。夏の終わりに、避暑地にあった遊園地で、もうガランとした寂しい中を、家と学校を抜け出してきた少年が、見世物小屋に忍び込む。その時の憧れと恐怖、初めて感じた哀愁と垣間見た大人の世界の秘密。なんていう感じが、僕の感じるブラッドベリの世界かな。

 ブラッドベリの書いたミステリがあって、3作シリーズになっている。「死ぬ時はひとりぼっち」という邦題だけど、原題の「Death is a Lonely Business」というのが妙に心惹かれた。昔サンケイ文庫で出た後、近年になって文芸春秋からやけに高い本として出た。「黄泉からの旅人」「さよなら、コンスタンス」の3冊シリーズで、そんなに厚い本でもないのに、合わせると1万円位する。けれど、これは買ってしまったし、大満足だった。やっぱり通常のミステリーではない。それと、吸血鬼ものをまとめて年代記にしてしまった「塵よりよみがえり」(河出文庫)も出来がいいと思う。哀愁系が多いけど、「たんぽぽのお酒」みたいな明るい作風のものもある。僕も昔「たんぽぽ酒」を作ってみたいと挑んだ年があったけど、失敗した。

 あんまり作品が多いので、僕もまだ全部を読んでいない。何冊か楽しみに残してあるとも言えるし、ジョン・ヒューストン監督の「白鯨」(メルヴィル)映画化に脚本家として加わった時の回想なんか、高くて買う気にならない本もある。とにかくブラッドベリを読まない人生は、つまらないと思う。僕に大人の本の世界の、悲しみと幻想を教えてくれた人だった。
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「東電OL殺人事件」、再審開始決定!

2012年06月07日 18時50分04秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 6月7日、東京高裁(刑事4部)で、いわゆる「東電OL殺人事件」の再審請求が認められた。ゴビンダ・プラサド・マイナリさんの「刑の執行停止」の決定もあり、検察が申し立てた執行停止への異議申し立ては退けられた。まさに劇的な展開となった。

 結審したのは5月23日、決定が6月7日に出ることが裁判所から通知されたのは31日。一週間前である。この素早さに、開始決定が出ると思いつつも、棄却ではないかとの恐れも否定できなかった。裁判に関しては、名張事件がそうであったように、裁判所がどのような「ヘリクツ」で棄却するか、安心できるものではない。とにかく、この歴史的な日を目撃したいと東京高裁前に出かけて行った。

 決定書交付は午前10時。10分くらい前には、もう支援会ののぼりが道の両側に立ち並び、マスコミのカメラ台でいっぱいである。ネパールからこの日のために飛んできた妻と2人の娘さんがマスコミの取材を受けている。(再審請求は、公開の法廷で行われるものではないので、公開法廷での判決言い渡しのようなものはない。時間になったら、決定書を請求人や弁護人に渡すだけである。裁判所は門の中にスペースはあるんだけど、中で待つことを認めない。著名事件の判決、決定の時は、いつも裁判所前の道路をふさぐように、マスコミと支援者の集団ができる。裁判所の人が「道をあけてください」と叫んでいるが、敷地の中で待たせるようにすればいいだけではないかと思うけど。)
 
 午前10時を過ぎる。もう決定が通知されたはずである。弁護士が垂れ幕を持って報告に来るはずである。少しすると、支援会の車のスピーカーから、今弁護士が現れました、再審開始です、と報告がある。沿道の支援者から大きな拍手が起きた。
  
 家族のインタビュー、ネパールで待つ母と兄に携帯電話で知らせる。「冤罪仲間」の足利事件の菅家さん、布川事件の桜井さん、杉山さんもかけつけ、あいさつを述べた。
 家族、関係者も含め、垂れ幕の後ろで記念撮影の様子は、よく見えない位置からだけど。

 今回の決定は、「刑事裁判の常識的な原則」を守った決定として評価できる。「常識」「原則」は守るのが当然のもので、本来それだけで評価するというのはおかしい。でも、原則を踏み外し、非常識な推論を重ねて、検察側の主張を無理やりに認めたような裁判はいっぱいあるのが現実である。

 「被害者体内から採取された精液」と「現場にあった体毛」のDNA型が一致した。それはマイナリさんのものではない。その第3者(仮に「X」とする)の犯行であると考えるのが、最も自然である。今回の決定もそう判断している。検察側は「被害者は現場以外でXと性交し、身体に付いた体毛が現場に落ちた可能性がある」と主張して、この新DNA鑑定の証拠価値を否定した。検察側の主張は、リクツとしてはその通りである。だから、この精液と体毛の一致だけを「証拠」としてXが裁かれているのなら、「疑わしきは被告人の利益に」で、Xに無罪判決を言い渡すべきだろう。でも裁かれたのは、Xではなく別人だった。そのマイナリさんも被害者と性交渉があったことは認めている。現場から見つかった、少し前のものと思われる「コンドームに入った精液」から、マイナリさんのDNA型が出ている。現場の鍵はマイナリさんが持っていた(その後返却して、返却の時期をめぐって争いがある)のは事実だから、マイナリさんも全く無関係なのに疑われたわけではない。

 様々な冤罪事件があるが、全く関係がないのに「この地域で悪いやつをたたけ」と軒並み別件で取り調べて自白を強要するというような事件もある。一方、関係者の中で、警察が「思い込み」で容疑者を決めつけ、捜査が後戻りできないまま裁判まで至るというタイプもある。この事件は後者で、マイナリさんも重要参考人であるのは確かだが、「直接証拠」がどこにもない。全然逃げてないし、状況証拠にも有利な点がある。被害者の体内に別人の精液があれば、その別人Xを特定し取り調べるまで、マイナリさんを起訴できないはずだ。そんなあやうい事件だから、一審東京地裁は無罪だったけど、ほとんど審理しないまま、高裁で逆転有罪判決が出た。その段階で、今回の新鑑定があれば、有罪判決は書けなかったはずだ。だから、再審開始は、常識的な判断で、全く当然のことだと思う。

 ところで不思議なのは、どうして「被害者の体内の精液」のDNA鑑定が、事件当時(97年)に実施されなかったのかということだ。量的に少ないという事情もあるらしいが、全く理解できない。被害者は当日2時間前にまた別の知人と性交渉をしており、その別人はアリバイがあるという。その別人の精液と即断して、重きを置かなかったのではという観測もあるらしい。でも、間違ったDNA鑑定があった足利事件は1990年。鑑定しない方が不思議である。今回も、新鑑定が出てから、検察側は今まで出していなかった服装など様々な証拠を開示して、いっぱいDNA鑑定を行った。時間引き伸ばしで、全くアンフェアである。それらの新鑑定からも、全くマイナリさんのDNAは検出されず、かえってXと同型のものもあった。

 この事件については、被害者が不特定多数と性交渉を行うという行動があったことが知られている。生活のために売春するのではないので、「娼婦」と呼ぶわけにはいかない。この「特異な行動」がいろいろ関心を呼んだのは確かで、多くの小説やノンフィクションの材料となった。だから、警察も被害者の行動を丹念に追うことが難しく、「手近」なところに容疑者を求めてしまったと思う。しかし、捜査ミスは明らかだろう。

 一方、この事件名もどうかなと思う。「あの東電OL事件」でネパール人が起訴されたという話で、そのまま事件名になってしまった。支援会(無実のゴビンダさんを支える会)が「東電OL殺人事件」と呼んでいるので、一応今回はそう書いたが、新聞は「東電社員殺害」「東電女性殺害」などと言う書き方もしている。しかし本来勤務会社は関係ないし、「東電社員」という言葉はあるが「東電女性」というのもおかしいだろう。被害者が襲われた場所が事件につく場合もあるけど(帝銀事件、大森勧銀事件、日産サニー事件など)、多いのは地名か被告名だろう。被告名もホントはあんまりよくないと思う。「渋谷円山町事件」というのはどうか。

 一方、マイナリさんは「不法滞在」状態だったので、一審もその点は有罪判決で確定している。(懲役1年で執行猶予つき)。だから釈放されても、すぐに「シャバ」に出られず、入管に収容されて「強制退去」となる。それでは「再審」はどうなるのか、など全く初めてのケースである。そもそも外国人が再審を申し立てるなどと言うことは想定していなかっただろう。さて、請求人不在のまま、検察側は異議申し立てを続けていくのだろうか。
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スマイリー三部作を読む-ジョン・ル・カレを読む①

2012年06月07日 00時32分04秒 | 〃 (外国文学)
 スパイ小説が昔から好きだけど、スパイ小説の最高峰、ジョン・ル・カレをちゃんと読んでいなかった。ハヤカワ文庫で出た文庫本はずっと買ってて、その数20冊位にもなる。昔「寒い国から帰ってきたスパイ」など初期の3冊を読んで、それなりに面白かった。しかし、さすがに「寒い国」は古い感じがしたし、展開が途中で読めた。順番では次が「鏡の国の戦争」と「ドイツの小さな町」になるが、これが厚くて中身も手ごわそうなので中断してしまった。今回、そこから始めて、「ティンカー、テイラー・ソルジャー、スパイ」「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」のいわゆる「スマイリー三部作」と「リトル・ドラマ―・ガール」まで読んだ。2冊本もあるので、文庫本計9冊になる。いや、大変だった。忘れないうちに、今までの分を書いておきたい。
 (ジョン・ル・カレ)
 今回読んだのは「ティンカー、テイラー・ソルジャー、スパイ」が「裏切りのサーカス」として映画化されたからだ。見る前に読まないと気が済まない。「裏切りのサーカス」については、難しいという意見もあるようだ。世界地理やスパイ小説に知識がない人には、確かにちょっと難しいかも。でも、あの難物の原作をよくここまでまとめあげた、とても出来のいいスパイ映画である。数年前の「ナイロビの蜂」も良かったけど、純粋なスパイ映画としてはこちらの方が成功していると思う。

 原作からは少し改変がなされている。発端となる事件が、チェコからハンガリーへ、また香港からイスタンブールへ変えられている。チェコと香港はかなり本質的な部分だと思うけど、まあ香港ロケができないのだろう。ラストも少し違っていて、なるほどと僕は感心した。日本題名にある「サーカス」は、英国情報局のあるロンドンの地名で、情報局の通称である。英国情報局は小説ではよく「MI6」と出てくる。サマセット・モーム、グレアム・グリーン、イアン・フレミング(007シリーズの原作者)などの有名作家が、実際に所属していたことでも知られている。ジョン・ル・カレもその一人である。でも32歳の時に「寒い国…」が世界的ベストセラーになって作家に専念した。変わった名前だが、もちろんペンネームで、本名はデイヴィッド・ジョン・ムア・コーンウェルという英国人である。

 英国情報機関史上最悪の事件は、言うまでもなく、かの有名な「キム・フィルビー事件」である。MI6長官候補とまで言われた通称キム・フィルビー(ハロルド・エイドリアン・ラッセル・フィルビー)が、実は戦前以来長きにわたってソ連のスパイであったという事実が明るみに出たのが、1963年の1月である。50年代以来何回か疑惑が取りざたされ、本省は一時的に罷免されたが、その後新聞記者としてベイルートに赴任していた。本人はソ連のスパイであることを認めた後、ソ連船で亡命してしまった。ソ連では厚遇され、たびたび勲章をもらい、1980年には最高のレーニン賞を授与され、ソ連崩壊前の1988年に死んでいる。1990年にはソ連で切手にもなっている
 (キム・フィルビーの手紙)
 キム・フィルビーだけでなく、「ケンブリッジ5人組」と呼ばれる二重スパイ集団が存在した。みな知識階級出身で、30年代のナチス躍進と世界恐慌の中で育ち、イギリスの階級社会に絶望してマルクス主義に未来を見た。大学時代にソ連の諜報員にリクルートされたと言われているが、カネや女がらみではなく、ソ連の諜報員になることを名誉なことと考え率先して受け入れた。第二次世界大戦では、41年の独ソ戦以後は英ソは同盟国になったからバレずに活躍できた。冷戦時代にはソ連諜報員の亡命阻止や英米の情報をソ連に伝えるなどの「実害」があったと言われる。

 そういう深刻な「二重スパイ」が現実にイギリスに存在したという有名な事実を知ってないと、本や映画が判らない。金で買われたチンピラ・スパイがいたって「体制の危機」ではないが、知識階級の「幹部候補」が自覚的な二重スパイを何十年も務めていたとなると、これは「イギリス的価値観の崩壊の危機」である。この事件がモデルになって、グレアム・グリーンの「ヒューマン・ファクター」やル・カレの「ティンカー、テイラー、ソルジャ-、スパイ」が書かれたわけである。いずれもスパイ小説史上の最高傑作と評価されるような傑作である。(ついでに言うと、逢坂剛のイベリアシリーズというのがあって、敵役的存在としてキム・フィルビーが実名で登場してくる。面白いシリーズ。)

 キム・フィルビー事件がモデルだと知っていても、どう小説化(映画化)されているかはわからない。要するに「誰かが二重スパイであるが、誰かは判らない」というのが、話の前提になる。そこで囲碁や将棋のように(というかチェスですね)、先を読んで一手一手布石を打って行って、スパイを追い込みあぶりだそうという作戦が展開される。標的は4人で「ティンカー」(鋳掛屋)、「テイラー」(仕立て屋)、「ソルジャー」(兵隊)、「プアマン」(貧民)とマザーグースにちなむコードネームが付けられる。知っている可能性があるハンガリーの将軍が亡命したいという情報を得て、情報員をハンガリーに派遣するが、情報が漏れていたのか銃撃され、からくも帰国した事件が数年前。

 これで情報部がガタガタになっている。それから数年、イスタンブールで亡命希望者のソ連人が上層部に黙殺されるというケースが起こった。誰かがスパイで情報を握りつぶしてソ連に流したのではないか、という話。とにかく展開は、目で見るチェス、みたいな知的遊戯の世界で、007やフォーサイスなんかのスパイものとは全く違う。主導するのは、この間情報部を干されていたジョージ・スマイリー。ソ連の「カーラ」という恐るべき宿敵と渡り合う。誰がスパイなのか、そのサスペンスで盛り上げていく手腕は見事である。

 ル・カレの原作は映画以上に大変で、「バナナの皮に滑って転んだ」というような話をするために、バナナ農園の建設から話を始めるみたいな感じの小説である。話が全然進まないし、半分読んでも事件の構図がわからない。そのうちに人物が判らなくなる。どの小説もそんな感じで、スマイリー三部作はまだ展開が早い方だろう。その点、映画は人物のイメージが一致するので、やっぱりわかりやすい。だんだん読み進んで行くと、それまでの布石が生きて来て、なるほどこのような物語であり、人生がここにあったという感慨を持つことになる。スパイ小説の純文学である。大変だけど、大変さを味わってみたい人は、知的な挑戦として読んでみてはどうだろう。欧米では「知識人の読み物」として必須アイテムなんだから。

 「スクールボーイ閣下」は、ベトナム戦争終結時の香港を舞台にした話で、スマイリーも香港に出張してくる。大長編だけど、70年代半ばの時代色が強い。時代に殉じたあるスパイの「純愛」ものと言うべき話。「スマイリーと仲間たち」は、最後の決着編だけど、この展開はどうなんだろうか。人間には皆弱みがあるものではあるけれど、と思わないでもない。それにしても、この3冊、今もハヤカワ文庫で出てるけれども、とにかく手ごわい。でも、特に「ティンカー、…」は大傑作に間違いない。
(2018.11.12 写真を入れ一部改稿。その後読んでないので②はまだない。)
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