かれこれ、1年ちょっと悩んでいることがある。
どうして1年以上も悩むのよ。
バッカじゃない!即決!即決!と言われそうではあるが……
実際に言われている。
ただ、簡単に即決できることなら、これほど悩むことはない。
それが、長く続いた人間関係のことだから悩んでしまうのだ。
私には、Sさんという親友がいる。
このSさんとは、不思議な縁が重なり
気がつけば知り合ってから、20年以上が経っていた。
去年のこと、Sさんは体調を崩し、その頃から鬱のような症状も見せ始めた。
それはどこからみても、ズバリ更年期そのもの。
いつもの顔ぶれとの楽しいお喋りのはずが、いつしかSさんの体調の悪さと延々と続く身内の愚痴に変化して。
他の友人たちもSさんが好きだから、話を聞いたり相談に乗ったり、励ましたりと…
しかし、今までのSさんらしくもなく、ただ延々と続く愚痴に、私だけでなく周囲の人も不安を感じた。
話題を変える意思を伝えても、また彼女の愚痴に取り込まれ。
婦人科の更年期外来や心療内科を勧めた。
しかし、彼女が叩いた扉は、宗教だった。
何を信じるかは、個人の自由。
しかし、Sさんの人格や話す内容が明らかに変化してくると、彼女の前から友人は1人ずつ去って行った。
私は、その宗教で彼女自身が楽になるのなら、それでも良いと思っていた。
ただ、入信した宗教は以前メディアで問題にもなった、甚だ心配な新興宗教。
カルトのOに、一時入信していたことを告白されたこともあった。
心配する私に、いつでも辞められるから、と彼女は言う。
その頃から、Sさんと会った後は、私はとてつもない疲労感と胃痛や頭痛の体調不良に襲われるのだ。
身体は正直なのだろう。
私の心のどこかで、変わっていくSさんを拒否していたのかもしれない。
そんな自分を「私って何て友達甲斐がないのかしら。今彼女は病気。治るまで待つ寛容な心を持たなくては…」
様々な感情が渦巻いた。
しかし、家のリフォームや忙しさを理由に、Sさんとは会わず
メールで、互いの近況の報告をするくらいで、敢えて距離をおいた。
それが昨日の事、リフォームのお祝いを持ち、Sさんが我が家にやって来たのだ。
以前、Sさんに新築お祝いを贈ったことがあった。
半年振りに会ったSさんと、その時は変わらぬ友情を取り戻せるように思えた。
しかし、身体はやはり正直。
夜中に、酷い胃の痛みで目が覚めた。
人との繋がりを大事に思う私だから、Sさんとの関係を手放すことを怖れ、1年以上も結論を出す事を躊躇していたのかもしれない。
最早、Sさんとの友情の「旬」は、過ぎたのだろう。
身内との関係は、身内こそのしがらみやストレスもあり、避けては通れない。
だからこそ、たまに会う友人たちとは楽しく時を過ごし、それぞれの持つ世界に触れ、次に会うときを楽しみに待つ、そんな心地よさを求めたいのだ。
こんな風に悩み、友人と訣別したことなんて無かった。
もうSさんの事で悩むのはやめ、気分よく別れた昨日のシーンを最後にこの想い、打ち止めとしましょう。