訣別

2008年08月06日 | diary


かれこれ、1年ちょっと悩んでいることがある。

どうして1年以上も悩むのよ。
バッカじゃない!即決!即決!と言われそうではあるが……
実際に言われている。

ただ、簡単に即決できることなら、これほど悩むことはない。
それが、長く続いた人間関係のことだから悩んでしまうのだ。

私には、Sさんという親友がいる。
このSさんとは、不思議な縁が重なり
気がつけば知り合ってから、20年以上が経っていた。

去年のこと、Sさんは体調を崩し、その頃から鬱のような症状も見せ始めた。
それはどこからみても、ズバリ更年期そのもの。

いつもの顔ぶれとの楽しいお喋りのはずが、いつしかSさんの体調の悪さと延々と続く身内の愚痴に変化して。
他の友人たちもSさんが好きだから、話を聞いたり相談に乗ったり、励ましたりと…
しかし、今までのSさんらしくもなく、ただ延々と続く愚痴に、私だけでなく周囲の人も不安を感じた。
話題を変える意思を伝えても、また彼女の愚痴に取り込まれ。

婦人科の更年期外来や心療内科を勧めた。

しかし、彼女が叩いた扉は、宗教だった。
何を信じるかは、個人の自由。
しかし、Sさんの人格や話す内容が明らかに変化してくると、彼女の前から友人は1人ずつ去って行った。
私は、その宗教で彼女自身が楽になるのなら、それでも良いと思っていた。

ただ、入信した宗教は以前メディアで問題にもなった、甚だ心配な新興宗教。
カルトのOに、一時入信していたことを告白されたこともあった。
心配する私に、いつでも辞められるから、と彼女は言う。

その頃から、Sさんと会った後は、私はとてつもない疲労感と胃痛や頭痛の体調不良に襲われるのだ。

身体は正直なのだろう。

私の心のどこかで、変わっていくSさんを拒否していたのかもしれない。
そんな自分を「私って何て友達甲斐がないのかしら。今彼女は病気。治るまで待つ寛容な心を持たなくては…」
様々な感情が渦巻いた。

しかし、家のリフォームや忙しさを理由に、Sさんとは会わず
メールで、互いの近況の報告をするくらいで、敢えて距離をおいた。

それが昨日の事、リフォームのお祝いを持ち、Sさんが我が家にやって来たのだ。
以前、Sさんに新築お祝いを贈ったことがあった。
半年振りに会ったSさんと、その時は変わらぬ友情を取り戻せるように思えた。

しかし、身体はやはり正直。
夜中に、酷い胃の痛みで目が覚めた。


人との繋がりを大事に思う私だから、Sさんとの関係を手放すことを怖れ、1年以上も結論を出す事を躊躇していたのかもしれない。

最早、Sさんとの友情の「旬」は、過ぎたのだろう。

身内との関係は、身内こそのしがらみやストレスもあり、避けては通れない。
だからこそ、たまに会う友人たちとは楽しく時を過ごし、それぞれの持つ世界に触れ、次に会うときを楽しみに待つ、そんな心地よさを求めたいのだ。

こんな風に悩み、友人と訣別したことなんて無かった。

もうSさんの事で悩むのはやめ、気分よく別れた昨日のシーンを最後にこの想い、打ち止めとしましょう。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする