書く

2008年08月29日 | my favorite things
昨日は、月1回の「小説」の日だった。
市内で1番高い(高いのは価格ではなく地上31階)喫茶室で、書いた文章を読んで頂き、先生から講評を受けるのだ。

下界を見下ろすと、見る見るうちに霧が出て雲上人になった気分。
雨も降り出し、何もかもが見えなくなった。

書き始めてかれこれ10年。
今は、同年齢のTさんと2人でのんびりと、ほとんど無料報酬に近い謝礼で文芸評論家の先生に読んでいただいている。
呆け防止に書いているの、と人には言う。
けれど、この「書く」という行為自体が、ややこしい世代にいる私たちのカタルシスになっているのは確かだ。

子供の頃は日替わりで色々なものになりたかった。
バレリーナとか、お花屋さん、食べ物屋さんとか、10代になるとイラストレーター、デザイナーそして小説家だった。

作文が特別上手いと言うわけではなかったけれど、絵を描いたりするのと同じように話を作るのが好きだった。

中学生の頃に、姉の持っていた「悲しみよこんにちは」を読み17,8才の少女が書いたことに衝撃。
今も時々本を開くけれど、女性のもつ様々な感情が、たかが17才の少女の感傷にまみれた好奇心から、掘り起こされていくのに惹かれた。
女性の作家さんで、このF・サガンの小説に触発された人は多かった。
私も触発されたひとり。
日本の周囲の17歳は、みんな幼稚だった。

やっと大人になり、しかし未だに女としての感性も曖昧。
複雑な女性心理を書くのは難しい。

呆け防止、呆け防止。
それでも、ま、良いか。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする