音楽の喜び フルートとともに

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Dragonflyとんぼの歌

2022-05-06 20:07:14 | 名曲
里山の暗い森を行くと




ふわふわと飛んでい

アオモンイトトンボ。
コバルトブルーのきれいな色ですが、飛んでいるのを撮ろうとすると、ふわふわ動いて思うように撮れません。
止まっていると色はよく見えません。
生きているものを撮るのは難しいなぁ。

ニコライ リムスキー=コルサコフ(1844-1908年)ロシア帝国ティフビン生まれ!ロシア帝国リューベンスク没

によって
1897年に「とんぼ」op53は作曲されました。
詩はアレクセイ トルストイ(1817-1875年)で

オーガスト ベルナルドに献呈されています。

ソブラノ、メゾソプラノ、フルート2、クラリネット2.ホルン2、バスーン2、チェレスタの編成で作曲

1871年に独学で学んだにも関わらず、ペテルブルク音楽院の教授に任命され、ナジェージダ プルゴリドと結婚。
正式な音楽教育を受けていなかったので1889年にはパリ万博の指揮やサロンの演奏で海外の客にロシア音楽を紹介、成功します。

この間、独学の隙間を埋めるために学び続けます。
サンクトペテルブルクで1888-1889年にかけてワーグナーの「ニールベングの指環」の上演を見て衝撃を受けます。
その後、亡くなるまでの間に新しいスタイルでオペラを、書き続けます。

「とんぼ」はその頃の歌曲です。



イリス(あやめ)という名の少女

2022-05-05 20:00:24 | 名曲
いつもの里山
イチハツが咲いていました。

池も新緑が濃くなって来ました。
端午の節句に菖蒲を飾るのは剣に似ているせいだとか、勝負とのゴロ合わせとか…。

鎌倉時代、武家のお祭りだったのが一般的に男の節句になったのは江戸時代中期以降だそうです。

イチハツはアヤメの一種です。
アヤメは菖蒲の意味もあります。
学名はイリス。ギリシャ神話の虹の女神です。

オペラ「イリス」は、ピエトロ マスカーニ(1863-1945)イタリア公国リボォルノ生まれ、イタリア公国ローマ没

が1898年ローマで作曲したオペラです。
彼は「カヴァレリア・ルスティカーナ」の作者で27歳の時に歌劇コンクールで劇的な成功を博し、ペーザロのロッシーニ音楽院の院長となりました。
生前他のオペラも大成功していましたが、第二次世界大戦の時にムッソリーニとファシスト党に近づき過ぎたために戦争が終わると、全財産を没収され、ローマのホテルで生涯を閉じました。

歌劇「イリス」は、日本への憧れが大きく、そして情報はあまり無かった時代の日本を舞台にしたオペラです。
台本は、ルイージ イッリカ(1857-1919年)です。




盲目の父に育てられたイリスが、享楽的なお金持ちの男大阪に騙され、女衒の京都(名前)に売り渡されます。

父親には自分の意志で行ったという手紙を書かされて。

憧れていた芝居の中のヨールは、実は大阪で「快楽」というあだ名を持つ。と明かされ、父親と再会するも、騙されたままの彼は娘をなじり、泥を投げつけます。

絶望したイリスは井戸に身を投げます。
瀕死で引き上げられたイリスの身体は、彼女や日本人が信仰している太陽神の恵みで光輝き、天国へと迎え入れられるのでした。

ローマのコンスタンティ劇場でマスカーニ指揮による初演を若きプッチーニが見て、「蝶々夫人」を書くなど影響も少なく無いですが、マスカーニのイリスを含め多くのオペラのほとんどが再演されることなく現在にいたっています。

序曲に合唱が入っています。






言語学者のミュージシャン 

2022-05-04 21:28:39 | 名曲
月曜はサロン ド プリンシパルでフルートアンサンブルでした。


今日は人数が多いです。
神戸から3人、新人1人。
5人で四重奏。
1stを二人でユニゾンで演奏しました。音程を合わせるのが大変でした。

お互いに歩み寄ることが大切と榎田先生に言われて、なんとかあわせられるように。

人数が増えるとそれだけ合わせるのが大変になります。

私は、苦手なジャズやポップスのリズムで必死でした。

「初見でこれぐらい合わせられなくちゃ」と、榎田先生。

集中しすぎて、終わったらお腹すきました。

しかも出たら雨。
傘をわざわざ抜いて来たので走って駅まで行きました。
そんなに降ってなかったから、よかったです。

ルロイ・アンダーソン(1908-1975年)アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ、アメリカ合衆国コネチカット州ウッドベリー没

オルガニストの母、郵便局員で趣味でマンドリンやバンジョーを弾いていた父から影響をうけます。

1926年にハーバード大学に入学。対位法や和声学を学びます。ニューイングランド大学にも通います。
1930年ラドクリフ大学で教鞭をとります。
1931年ハーバード大学で言語学の研究員になり
1942年に音楽で自活することを決意するまでゲルマン語、スカンジナビア語を修め、ノルウェー、アイスランド、スウェーデン、デンマーク、オランダ、フランス、イタリア、ドイツ、ポルトガル語の研究をします。

1942年米軍に入隊、スカンジナビア語の情報将校としてペンタゴンで働き、朝鮮戦争でも軍属として働きました。

1946年除隊すると、シンコペーテッド・クロックが大人気になり、ゴールド・ディスク賞を得てビルボード10位まで行きます。

これを皮切りに数々のポップス音楽で人気となります。

言語学者の傍ら、ダンス バンドや、ミュージシャンとして働いていた経歴から大衆音楽に影響を受け、作品はタンゴ、サンバ、ラグタイム、ジャズの影響があります。

シンコペーテッド・クロック1946年に作曲されました。オーケストラ版でなじまれていますが、私たちのアンサンブルでは、フルート編曲版です。



シューベルトの釣り人と魚

2022-05-03 22:52:08 | 名曲
今日は瀬戸大橋を渡って




淡路島に渡って釣り…といっても海洋生物学科を卒業した次男以外はほぼ初心者。

港の前の釣具屋さんでリールと針と餌を買って…ゴカイは無理!
餌をつけてもらって、言われるままに釣り糸をたらして一時間。
何も釣れない。とがっかりしていたら小さな

フグ。
フグは食べられないので帰します。
この辺にいるはず。
と、移動して


釣れました。次男がベラ。


夫がカサゴ。
それから一時間でカサゴ8匹、ベラ5匹。
ただし私は坊主。
もう帰ろうかと言っていたら

私の竿で小さなベラがやっと釣れました。
「もうこれで満足!」と私。
「帰る前に餌を全部使おう。」と夫が言うので、仕方なくもう一度海に竿を入れて一息ついたら、
いきなり強い引き、竿を持っていかれそうになって次男に助けを求めて引き上げたら


30cm超えのコブダイ。
びっくりしました。
小さなオキアミと小魚用の針。
これは釣りハマってしまうかも。

持ち帰って、下処理してくれたのを私が揚げて


オリーブオイルとにんにくとうちの庭のローズマリーで揚げました。
後は、お味噌汁、お刺身であまさず美味しく頂きました。
幸せ!

フランツ シューベルト(1797-1828年)神聖ローマ帝国リヒテンタール生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

の「鱒」op32D550は、1817年20歳の時に作曲されました。
ドイツ リート(ドイツ歌曲)の一つです。
3節からなるシュトローフェンリート(有節歌曲形式)といって今では当たり前ですが、一つの旋律を1番、2番、3番と繰り返す方式で作られています。
3節だけ変化があります。

クリスティアン フリードリヒ ダニエル シューバルト(1739-1791年)神聖ローマ帝国バーゾントハイム生まれ、神聖ローマ帝国シュトゥットガルト没


痛烈な政治批判、王侯批判を繰り返し、投獄されたこともある詩人の詩に曲をつけたものです。

シューベルトは600曲目ものリートを書き、それは詩からイメージした歌曲で、まるでオペラの一シーンのように、ストーリーがあったりドラマティックでベートーヴェンやモーツァルトの歌曲をロマン派へと一歩進めたものでした。

1819年この「鱒」をテーマにピアノ五重奏D667に自ら編曲しました。
こちらの方はシューベルト死後、出版されました。

シューベルトは、シューバルトの詩の最後の節を取り除いて作曲しています。
最後の節は鱒が女性で釣り人は男性で騙されて釣り上げられないように気をつけなさい。という意味になっています。

あまりにも直接的だと思ったのでしょうか?

それを入れないことで「男女」の駆け引きにとどまらす、

大きな力を持つものが卑怯な罠を仕掛けて、力の無いものを引っ掛ける。 

そのことへのシューベルトの怒りが、普遍的な力を持って訴えて来るような気がするのです。


「鱒」
ドイツ語原詩日本語大意

Die Forelle
In einem Bächlein helle
Da schoß in froher Eil
Die launische Forelle
Vorüber wie ein Pfeil.
Ich stand an dem Gestade
Und sah in süßer Ruh
Des muntern Fischleins Bade
Im klaren Bächlein zu.

Ein Fischer mit der Rute
Wohl an dem Ufer stand,
Und sah's mit kaltem Blute,
Wie sich das Fischlein wand.
So lang dem Wasser Helle,
So dacht ich, nicht gebricht,
So fängt er die Forelle
Mit seiner Angel nicht.

Doch endlich ward dem Diebe
Die Zeit zu lang. Er macht
Das Bächlein tückisch trübe,
Und eh ich es gedacht,
So zuckte seine Rute,
Das Fischlein zappelt dran,
Und ich mit regem Blute
Sah die Betrog'ne an.


明るく澄んだ川で
元気よく身を翻しながら
気まぐれな鱒が
矢のように泳いでいた。
私は岸辺に立って
澄みきった川の中で
鱒たちが活発に泳ぐのを
よい気分で見ていた。

釣竿を手にした一人の釣り人が
岸辺に立って
魚の動き回る様子を
冷たく見ていた。
私は思った
川の水が澄みきっている限り、
釣り人の釣り針に
鱒がかかることはないだろう。

ところがその釣り人はとうとう
しびれを切らして卑怯にも
川をかきまわして濁らせた
私が考える暇もなく、
竿が引き込まれ
その先には鱒が暴れていた
そして私は腹を立てながら
罠に落ちた鱒を見つめていた







病院で流れる曲ボロディン

2022-05-02 21:29:02 | 名曲
母の健診で京都まで行きました。


連休の中日のせいか、血液検査は初めて二桁でした。

本診はやっぱり三桁でしたが、9時から行って11時前で終わりました。
少し血圧が高いだけで良好でした。

くずはモールまで帰ってランチ。

母も
ケーキまで、しっかり食べていました。
つられて私もお腹いっぱい。

病院で聞かれている癒やしのクラシック音楽というと、モーツァルト、バッハ、ベートーヴェンでしめられています。
チャイコフスキーやブラームスなどが入ってきます。

珍しい曲ではボロディンの弦楽四重奏曲第2番

アレクサンドル ポルフェーリヴィチ ボロディン(1833-1887年)
ロシア帝国サンクトペテルブルク生没
グルジア貴族の非嫡出子。
1881年に作曲され1882年に初演されました。

愛を告白してから20年の記念に妻のエカテリーナ ボロディナに捧げられました。

ボロディンは音楽教育を受けたことがなく、化学の学問を修め、ハイデルベルク大学の教授になり、ボロディン反応、アルドール反応を発見するなど有機化学の分野で重要な発見をし、生涯その分野で収入をえています。

自分でも「日曜作曲家」を自称していました。
弦楽四重奏曲は2曲書いていますが、第2番は特に人気が高く、特に第三楽章は、近年ますます人気が高く、単独で演奏されることも多いです。




シベリウス「春の歌」

2022-04-30 21:11:24 | 名曲
この時期の淀川の土手の主役はムラサキツメクサ。




シロツメクサも咲いていましたが、少し。
シロツメクサも外来種ですが、それも最近の外来種のムラサキツメクサに押されています。

ジャン シベリウス(1865- 1957年)フィンランド大公国ハメ州ハメーンリンナ生まれ、フィンランドウーシマー州ヤルヴェンパー


交響詩「春の歌」は1894年29歳の頃作曲されました。
もともとは「管弦楽のための即興曲」ニ長調として作曲されました。

シベリウスは「春の悲しみ」としてヘ長調に移調して出版を試みましたが、出版しないで終わっています。
1902年最後の改定が行われ最終校になりました。

1889年にシベリウスの友人で、指揮者のアルマスがシベリウスを自宅に招待し、妹のアイノ ヤルフェルトを紹介します。
友人で、小説家のユハニ アホが恋心を告白しますが、いい応えを得られませんでした。
それから数年後、シベリウスがアイノと婚約。


1892年に結婚し、1893年には、長女エーヴァが生まれます。
彼女はその後貧しかったシベリウスを支え、家庭菜園をして食費をうかしたりし、6人の子どもたちの教育費を節約して、自宅で子どもを教育し、その後学校に通わせた時には全員優秀な成績でした。

その後、シベリウスの裕福な独身の叔父の遺産でアイノラに移り、1918年のフィンランド内戦、1941年の空爆を家族とともに乗り越え、シベリウスの最後を看取り、1967年97歳で亡くなっています。

そのアイノの言葉

私は彼の隣で生きることができて幸せです。何のためでもなく生きていたわけじゃないと思っています。暮らしがいつも容易いものだったとは言いません - 自分自身の希望を抑え、制御しなければならなかったのです - ですが、私はとても幸せです。自分の人生を祝福しますし、天からの授かりものだと思っています。私にとって夫の音楽は神の言葉です - その源泉は気高く、そしてそんな源泉の近くに生きられることは素晴らしいことなのです。

アイノと結婚して長女が生まれた時期の交響詩「春の歌」です。



謎 エニグマ

2022-04-26 20:59:02 | 名曲
柑橘系の蕾が膨らんで来ました。

名前がわからない旧宅の柑橘。
昨年も美味しく頂いたのですが、今年もわからないままです。

「謎の変奏曲」、「エニグマ変奏曲」op36はエドワード エルガー(1857-1934年)
イングランド ロウアー ブロードヒース生まれ、イングランド ウスター没

からの謎解き挑戦状です。

1898-1899年に渡り作曲され、1899年ロンドン セント ジェームズホールでハンス リヒターにより初演されました。
1889年ヴァイオリンのレッスンを終えて帰宅したエルガーが、家で即興でピアノを弾いていると、

妻のキャロライン アリス

が「その曲が気に入ったのでもう一度。」と頼みました。


それを膨らませて作ったのがエニグマ変奏曲です。


ENIGMAとは、ギリシャ語で「謎」「なぞなぞ」「謎解き」


アリスは「きっと、今までに誰もやらなかったことをやっている」と言っています。

実は変奏部分についての大半は謎解きは終わっています。

しかし、全体を通した大きな隠された主題についてはまだ確たる解決はなく謎のままです。

さて、皆さんはその謎、解けますか?

主題

冒頭、この変奏曲の元となる主題が演奏されます。

第1変奏「C.A.E」

これはエルガーの妻、キャロライン・アリス・エルガー Caroline Alice Elgar の頭文字です。

「彼女の人生は神秘的かつ優雅に私の創作意欲を刺激した。」

第2変奏「H.D.S=P」

これは友人のピアニストのヒュー・デイヴィッド・ステュアート=パウエル(Hew David Stuart-Powell)の頭文字で、エルガーと合奏をしたそうです。彼が演奏前に指慣らしをしている情景をあらわしているそうです。

第3変奏「R.B.T」

アマチュアの俳優、リチャード・バクスター・タウンゼント(Richard Baxter Townsend)の頭文字。パントマイムや声色を変えるのが得意だったそうで「ときどきソプラノに変わる低い声の紳士」がファゴットで表現されています。

第4変奏「W.M.B」

大地主のウィリアム・ミース・ベイカーWilliam Meath Bakerの頭文字。「彼が手に紙切れを持ち、力強くその日の予定を読み上げ、急いで音楽室を去り、不用意に音を立ててドアを閉める様子を描いている。」

第5変奏「R.P.A」

ピアニスト、リチャード・P・アーノルドRichard P. Arnold)の頭文字。父親は著名な詩人で、「独学でピアノを弾くのを大変好んでいた。 難所は弾かないけれども、不思議と真の感情を思い起こさせる音楽だった。彼のまじめな会話は、気まぐれで冗談めいた物言いによって、ひっきりなしに中断される。」

第6変奏「Ysobel(イソベル)」

エルガーのヴィオラの弟子イザベル・フィットンIsabel Fittonの愛称で、「モルヴァーンの淑女。彼女はヴィオラを習っていた。 最初の小節の、この変奏を通じて用いられているフレーズが、移弦の“練習曲”であることに気づくだろう。 それは、初心者にとっては難しい練習である。哀愁漂う、時に神秘的なこの変奏は、このフレーズにもとづいて形作られている」

第7変奏「Troyte(トロイト)」

建築家のアーサー・トロイト・グリフィスの名前。エルガーにピアノを習っていたそうですが、なかなか上達せず苦労したようです。

「モルヴァーンの有名な建築家。この変奏は荒々しい印象だが、これは冗談である。 不器用にピアノを弾こうとする彼の姿からは、打楽器と低弦の無骨なリズムが実に連想された。 その後、ピアノの先生(E.E.)による、混沌から秩序のようなものを作り上げようとする試みが、強いリズムによって描かれる。 そして、最後の絶望したような「バタン」という音は、その努力が無駄になったことを示している。」

第8変奏「W.N」

地元のフィルハーモニー協会の事務員、ウィニフレッド・ノーベリーWinifred Norburの頭文字。淑女ののんびりした穏やかな彼女の一家の曲調をあらわしているそうです。

第9変奏「Nimrod(ニムロッド)」

「Nimrod(ニムロッド)」は楽譜出版社ノヴェロの編集者でエルガーの親友だったアウグスト・イェーガーAugust Jaegerのあだ名旧約聖書の狩りの名手ニムロデ。

「夕方の散歩をしながら、Jaegerは「緩徐楽章に関して、全盛期のベートーヴェンに匹敵する者はいないだろう」と言った。 私はその意見に心から賛成していた。 この変奏の最初の小節が、ピアノソナタ第8番『悲愴』の緩徐楽章を暗示するように作曲されていることに気づくだろう。 Jaegerは長年の親友であり、私や他の多くの音楽家たちにとっての大切な助言者であるとともに、厳しい批評家であった。 Jaegerと同じ立場に立った人はいても、Jaegerに匹敵する人はいなかったのだ。」

第10変奏「Dorabella(ドラベッラ)」

第4変奏で登場したウィリアム・ベイカー(第4変奏)の姪ドーラ・ペニーDora Pennyの愛称、エルガーが大変可愛がったそうです。

「間奏曲。この別名は、モーツァルトの“Cosi fan tutte”から採用されたものだ。 この楽章は、妖精のような軽さをもった踊りを連想させる。 はじめはヴィオラ、のちにフルートによって演奏される中間部の息の長いフレーズは重要である。」

第11変奏「G.R.S」

オルガン奏者のジョージ・ロバートソン・シンクレアGeorge Robertson Sinclairのことです。

この変奏は彼の人柄を表現したものではなく、「彼が飼っていたあの有名な大きなブルドッグのダンが川に落ちて、陸に上がれる場所を探してバタバタと進み、陸に上がって喜んで吠えという出来事から連想された。 G.R.S.は「この光景を音楽にしてくれ」と言った。」

第12変奏「B.G.N」

チェロ奏者でエルガーの室内楽仲間のベイジル・G・ネヴィンソンBasil G. Nevinsoの頭文字。アマチュアのチェロ奏者で科学への造詣が深かった。
尊敬する友人への追悼曲。

第13変奏「***」

この13変奏だけが文字が伏せられていて「謎」のままとなっています。
曲中にメンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」と言う曲からの引用があることから、エルガーから旅立ち、別れた女性ではないかとの推測があります。その中にはかつてのエルガーの婚約者で、ニュージーランドに移民したヘレン・ウィーヴァーの名前も挙がっています。

第14変奏「E.D.U」

終曲「エドゥー」はアリス夫人がエルガーを呼ぶときの愛称です。
第一主題と第九主題が現れます


お菓子のお家

2022-04-22 18:28:00 | 名曲
昨日弘法市に行った後のランチ。

お茄子と生麩の田楽定食。
京都って、感じが味わえて税込み980円。安くて美味しかった。
生麩好きです。
Gさんは

ポン酢唐揚げ定食。
これで普通。
びっくり鶏のフライ定食にしたら、とんでもない量だったらしいです。
京都は学生さんが多いからかな?
お腹いっぱいです。

エンゲルベルト フンパーディンク(1854-1921年)プロイセン王国ジークベルク生まれ、ドイツ国ノイシュトレーイツ没


の歌劇「ヘンゼルとグレーテル」はお腹いっぱい食べられない家族の中で起こった物語でした。

グリム童話をもとに、台本はフンパーディンクの妹のアーデルハイト ヴェッテ。
1891-1892年の間にフランクフルトで作曲され、1893年ヴァイマルで初演されました。




貧しいほうき職人の家族。
二人のこども
ヘンゼルとグレーテルが留守番をしています。
言いつけに背いて仕事をしない二人。
そこに帰ってきた母親のゲートルードは怒ってお仕置きをしようとしますが、誤って一家の唯一のミルク壺を割ってしまいます。

食料が無くなったのでゲートルードは2人に森にいちごを探しに行かせます。

しばらくすると父ペーターが食料を持って帰ります。ゲートルードは機嫌をなおしますが、森は危ないと語り、慌てて二人は子どもたちを探しに行きます。

ヘンゼルとグレーテルは、森で眠りの妖精に魔法をかけられて眠ります。

露の精に目を覚まされると、魔女が作ったお菓子の家が現れます。

喜んで美味しいお菓子を食べていると、中から魔女が出てきて捕まります。

食べられそうになりますが、機転をきかせて魔女を退治します。
すると、他にも捕らえられていた子どもたちが出てきます。

2人は両親と再会します。

仕事をさぼってお留守番するヘンゼルとグレーテルのシーン





森の小鳥

2022-04-19 16:27:37 | 名曲
森の中は山桜が満開でした。



里山で遊ぶのに
いい季節がやって来ました。
小鳥も鳴いていました。
春の小鳥の声

春の小鳥の声

YouTube


フランツ ドップラー(1821-1883年)


の「森の小鳥」op31は
フルート1本と4本のホルンと足踏みオルガンという珍しい編成です。

オーストリア=ハンガリー帝国時代

弟のカールとフルートデュオで世界中を演奏して周りました。

ウィーン音楽院

で、1864-1867年の間でフルート科の教授を務めました。


春の交響楽

2022-04-16 20:56:16 | 名曲
昨夜は夫が出張。息子飲み会で、昼間ハープの練習の後、梅田で阪急百貨店によりました。
スイーツ売り場は盛況でした。
1人で楽しもうと思っていたのに
やっぱり息子の分も思わず買ってしまいました。



チェリーと抹茶。おいしかった~。
今日はこもって楽譜作り。
7つのスペインの歌をフルート譜に。
5月の本番に使いますが、気づいたら後ひと月でした。
まずい!
歌をちょっと器楽風に変えます。

今日は少し肌寒かったけれど、陽射しはすっかり春の陽射し。

ロベルト アレクサンダー シューマン(1810-1856年)

ザクセン王国ツヴィッカウ生まれ、プロイセン王国エンデニヒ没

の交響楽第一番 変ロ長調 作品38は「春」という標題がつけられていました。

楽章ごとにシューマン自身によって標題もつけられていました。
  • 第1楽章 - 春の始まり
  • 第2楽章 - 夕べ
  • 第3楽章 - 楽しい遊び
  • 第4楽章 - たけなわの春
1841年に作曲され、メンデルスゾーン指揮


ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団によってザクセン王フリードリヒ アウグスト2世


に献呈されました。

初演の時にバルブなしのトランペットとホルンが使われ、倍音しかでないので管の中に手を突っ込んで半音を出すストップ奏法をしなくてはいけないことが分かりました。
ストップ奏法は音程の調整が難しく、シューマンはそのため曲の音の方を変更したそうです。
今もそのまま。
ちなみに勧めたのはメンデルスゾーン。
シューマンは当初「春の交響楽」と呼んでいたそうです。
1840年にクララ ヴィークと結婚し、


人生の春とも言える時期でした。