今日は梅田でレッスン。日銀大江橋
図書館
いつも橋の横で立っているビッグイシューのおっちゃんがいない。11月も2ヶ月会わなかったら、病気で調子悪かったらしい。心配していたら、帰りはいらした。「朝、いなかったからしんぱいしたわ。」「朝がつらくてなぁ。10時からたってたわ。」「朝は寒くてつらいね。私もいややわ。」笑顔で売ってくれました。安心しました。
今回はエンヤさんが巻頭ページでした。「音楽が自由に息をして、行きたい方向に進める言語を選ぶ事が何より大切だと思う」と言っていました。母語のゲール語、英語などいろんな言語を選ぶそうです。菫草は日本語で歌われているそうです。フルートには言葉は無いけれど、音楽が自由に息をして行きたい方向に進める。と言う言葉はわかるような気がします。こちらが必死になってがんばってこう吹いてやろうなんて、思っているとなんだか自分もしんどくて、聴いているほうも大変じゃないかと思います。行きたい方向に自由に…今日は、S先生のレッスンでも同じようなことを言われました。
「型にはまることは大切だし、まず型や基準を覚えること、でも、型どうりや枠の中だけで演奏していても、うまくいかないんだよなぁ。〇○さんもきっと聞いてるとわかると思うけれど、そんな演奏家が山ほどいるよ。今年は、ヤゴが、とんぼに変るように、あれ〇〇さんってあんなにうまかったかな?って言われるくらい、変ろうよ。ヤゴって長いあごをもっていて、ずんぐりした形なのに、とんぼになったら丸いあごで無視を食べるんだよ。体は長くなるし羽根で飛ぶんだよ。びっくりするよねぇ。〇○さんも、きっとできるよ。批判されると、とたんにキュッと堅くなって、自信が無くなって、自分の中にはいってしまうけれど、考えるのは後で良いのよ、まずなんでも、食べてみること。食べた後でそれを使わないでいることも、使うこともそれは自由なんだよ。そういう自分を変えることだよ。」
そうなんです、ぎゅっと堅くなって、途端に「これでいいのかな?」と言う演奏になっちゃうんですよ。
「みんな、誰でもそうなんだけどね。先生の中には一回のレッスンで一つしか言わないという人もいるけれど、僕はそうかな?と思う。様子を見てね、受け取れると思うよ。」
先生の話を聴いていると、変れるような気がしてくるから、不思議です。
「一生懸命がんばっていても、自分の音を聴きながら演奏してもだめなんだよ。まわりの力を借りて、それにふっと乗れば良い演奏できるのになぁ」
この辺はまだ、私にはわからない境地です。でも、エンヤさんが言うように、音楽の行きたい方向を感じるというような意味かもしれない、そのためには、楽譜や、前人の演奏、作者の気持ち、聴き手の気持ちなどを意識して自分一人で演奏している気にならないっていうことかもしれないと思ったのでした。
ますます深みにはまっている感じがします。でも、先生と話すと元気とやる気が出てきます。私もなかなか捨てたもんじゃないって。