花粉が昨夜からひどいです。
お風呂に入って、布団の周囲を堅く絞ったタオルで拭いて、もう一度髪や枕を拭いてから寝ます。
これだけでもずいぶん違いますが、花粉0%にはできません。朝起きるとやっぱり、鼻水…いやだなぁ。
朝から洗濯して、部屋干し。窓ももちろん閉めっぱなし
運動場へ出たら、鼻水
この季節はつらいなぁ。子ども達は関係なく元気。今日は若い人たちが実習に来て、子ども達もうれしそう。
サッカーをしてもらったり、ドッジボールに入ったり。
こうやっていろいろな世代の人たちに関ってもらうのは良いことだと思います。
子どもと鬼ごっこをしていて、びっくりしたのですが、鬼がかわりません。いつも同じ子が鬼。じゃんけんの時だけ動いて、後は足の遅い子がずっと鬼。力の強い子は、タッチされるとルールを変えます。「今、バリア。」とか、「ここにいる時は、セーフにしよう。」
はじめは、一部の子どものことだけかと思ったのですが、ドッジボールをしても、強い子は当てられても、外にでません。当てられても当てられても、「今のなし」とか言ってでません。
この学校だけの特徴なのか。ちょっとわかりませんが、力の序列が、そのまま、鬼をする回数、ドッジで残る回数と一致します。
私が小さな時は、中学生から、2才児おしめをつけたままの子どもまで、一緒に鬼ごっこした。同じ子がずっと鬼になってもゲームがつまらないので、ハンディをつけたり、年長の子どもと組んだりして遊ぶことが当たり前だった。中学生は大人に見えた。お人形をくれたり、勉強の合間に出てきて絵本を読んだりして、ああいう大人になるんだって、モデルのお兄さん、お姉さんがいました。
お姉さん達も、もう近所の子ども達を見るのは、自分達の責任という感じで、見ていました。誰かが遅れると、助ける。すねたりしないように、さりげなく輪の中に入れる。遊びを楽しむためにいろんな工夫が、子ども達の中から生まれたり、子どもから子どもへと伝えられていました。
また、粗相をすると、年長者が「ちゃんと見てなさい」と、近所の大人に怒られるのが当たり前でした。
どんぐりの背比べが、一番競争が激しいと聞いたことがあります。
同じ年の子ども達が、一同に集められる厳しさがこんなところに出ているのかもしれません。同じ子ばかりが鬼で、いやになってじっとしていると「早く捕まえにこいよ!」と怒られます。力関係があるので、鬼になる子は、断れません。苦しくても、走って追いかけます。ようやく捕まえた途端、「今のは、バリア」とか言われてまた、鬼。鬼はもうずいぶん前から、笑っていませんが、逃げる子達はうれしそうに笑っています。
一緒に入って「ルールを変えるんだったら、つまらないから、鬼ごっこはやらないよ。」とか、「同じ人が鬼ばっかりでつまんない」とか、言いながら、鬼ごっこ本来の楽しさを味わってもらうしかありません。
このことは、文科省の人たちとか、教育委員会の人たちは知らないんじゃないかと思います。
集団でうまく遊べないということは、友達関係、共同作業、共同研究、共同の仕事、共同の勉強、家族集団全てアウトということじゃないのかな?大変な世界がやってくる…いやもう片鱗はあるかも。
それを食い止めるためには、一生懸命遊ぶことが、大切だと思うのだけれど…