音楽の喜び フルートとともに

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トスカニーニへのインタビュー

2009-02-16 23:27:25 | 音楽
BS2で、トスカニーニのインタビュー番組をやっていました。1868年生まれ、1957年に亡くなったこの名指揮者はマスコミが嫌いで、ほとんど、インタビューが残っていないそうです。このインタビューは1955年の大晦日、彼の家で行われました。

彼は、名指揮者、好色、激怒癖、反ナチス、反ムッソリーニ。いろんなエピソードがありますが、それは伝記を読むとして。

ヒトラーから何度も、演奏するように依頼をされたけれど、演奏しなかった。ムッソリーニの死に方をふさわしい。と言っていたこと。

ナチスのために演奏をしているとフルトヴェングラーと大喧嘩をしたこと。

ベートーベンは特別な作曲家だと言っていました。耳が聞こえなくなるという作曲家にとって最悪の困難を乗り越えて音楽を作り続けたこと。「なかなか、良い音楽だったよ。」といった友人を「考えられない!」と言っていたこと。

ミラノスカラ座を長く指揮して、「市民を育てた」と言われたことに対して「聴衆はおろかだった。僕が教育なんて全くできなかった。」「音程が取れて、美しければ、市民は拍手喝さいするものさ」とカラスを酷評したこと。

練習のたびに激怒する彼に楽団員から抗議の手紙が来たこと。それに対して激怒するかと思えば、「良く本当のことを書いてくれた。名前を書く勇気が無かったらしいけれど、書いてあったら心から感謝して抱きしめた。」と

老いで、記憶力が悪くなった時、自ら指揮棒を置いた。

時代が、彼に立場をはっきりさせることを要求したような気がします。明確にしたからこそ、イタリアを捨てて、アメリカに去らなければならなかった。
爆撃でぼろぼろになったスカラ座に戻り、また指揮をし。

音楽をする意味が常に問いかけられ、リアルな現実として彼は、考えざるを得なかった。その事が、より集中力を高め、素晴らしい演奏に繋がり、また人々に必要とされた。安全な位置にいて批判ばかりしているのは、アーティストではない。常に表現を通して、自分の言動を世間に問い、批判を受ける、そういう強い生き方そのものが、偉大なアーティストというものなのかな?と思いました。