友だちが土曜のギター本庄定雄さんとの写真を送ってくれました。
父はルイ フランソワ ベルタン、兄弟たちはフランスの影響力のある新聞社ジャーナル デ デバの編集者でした。
で上演しました。
アレクサンドロ デュマ
1幕の舞台セット
が、彼女に横恋慕したノートルダム寺院の大執事フロロ
がやってきて助け、二人は惹かれ合います。
今日はピアノの坂田さんと、金重さんとトリオの練習をしようと待っていましたが、直前になって金重さんから体調が悪いと連絡が。
大丈夫かなぁ?
心配です。
坂田さんと二人で合せ練習になりました。
二人は子育てサロンのクリスマス会の練習もあったので、ちょうど良かったかも。
いろいろ打合せして
お昼ごはんを食べて、まったりして、また練習。
長いつきあいなので、おしゃべりにも花が咲いて癒やされました。
ルイーズ アンジェリック ベルタン(1805-1887年)フランス エソンヌ県レ ロッシユ生まれ、フランス パリ没
父はルイ フランソワ ベルタン、兄弟たちはフランスの影響力のある新聞社ジャーナル デ デバの編集者でした。
彼女は生まれつき障害があり、半身不随で椅子に座っていました。
家族に励まされてルイーズは音楽を追求しました。
1825年、オペラレッスンをフランソワ ジョセフ フェティスから受け、初めのオペラウォルター スコット卿の「ガイ マネリングまたは占星術師」を、プライベートで発表します。
2年後、2つ目のオペラLe Loup-garouをオペラコミック
で上演しました。
21歳でオペラセミセリアに取り組み始め、父に提案された主題ゲーテの「ファウスト」に基づいてイタリア語の台本を書きます。
これは1831年になって舞台に上がっています。
ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885年)
は彼女のために「ノートルダムのせむし男」のオペラ版をスケッチし、台本を提供し、オペラ「エスメラルダ」が誕生します。
ベルタンはユーゴーが直接コラボレーションした唯一の作曲家です。
1836年オペラの上演
パリオペラ座
が始まると兄のアルマンが政府のオペラ行政とつながりを持っていたために、特権を持っていると非難されます。
が始まると兄のアルマンが政府のオペラ行政とつながりを持っていたために、特権を持っていると非難されます。
7回目の公演中に暴動が起こり、「エスメラルダ」は終了を余儀なくされました。
このオペラを、ステージングとプロデュースで助けたエクトル・ベルリオーズ(1803-1869年)
は一部を書いたのではないか?と告発されましたが、彼は激しくこれを否定しています。
「ベルタンは著名な作曲家であり、音楽家であり現代で最も知的な女性の1人」と。
第一回目の上演でアレクサンドロ デュマ
アレクサンドロ デュマ
を含めた数人が「ベルリオーズによるものだ!」と、叫び声をあげ、7回目の公演では「ベルタンを倒せ!」と叫び始め、幕を下ろせ!と叫び、幕が降りるまでやめなかったそうです。
ベルタンは打ちのめされこれ以上オペラを書くことを拒否します。
1837年フランツ・リストはオーケストラの楽譜をピアノ独奏曲に編曲しました。他にも「マッソルの空気」をピアノ編曲しました。
その後、完全版オペラとしては上演されることはありませんでしたが、リストのバージョンは上演され続けます。
完全な復活は2002年ブザンソンのテアトルオペラでヴィクトル・ユーゴー生誕200年祭。
その後も上演され、CDでもリリースされました。
エスメラルダ あらすじ
1幕の舞台セット
ジプシーの女エスメラルダ
が、彼女に横恋慕したノートルダム寺院の大執事フロロ
養子のカジモドを抱くフロロ
とベル係のカジモドに誘拐されようとします。
第三幕舞台セット
そこにフィーバス
がやってきて助け、二人は惹かれ合います。
群衆はカジモドを責めますが、エスメラルダは彼に同情して水を飲ませます。
一方、フィーバスが酒場で大騒ぎしているとフロロが現れ、喧嘩になりフィーバスは重傷を負います。
フロロの策により、エスメラルダがフィーバス殺害の罪で捉えられます。
彼の恋人になるなら、彼女を解放すると詰め寄りますが、エスメラルダは拒否します。
群衆がエスメラルダの処刑を見に集まってくるとカジモドが彼女の手を引き、大聖堂につれていきます。
そこにフィーバスが生きてやってきて彼女の無罪を証明し、彼女の腕の中で死にます。
ベルタンは他にも多くのジャンルの作曲をしました。
カンタータ12曲、ピアノバラード、室内交響曲5曲、弦楽四重奏曲を数曲、ピアノトリオ、多数の声楽曲。
1842年2巻の詩を書き、アカデミーフランスから賞を受賞しました。