フルートアンサンブルも一回お休みしてしまいました。
アントン ロマコ作 ピュッフェラーリ
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ローマにやってきたピュッフェラーリを観て書いた作品があります。
月2回渡辺橋サロン ド プリンシパル月曜なのですが…。
久しぶりに今週参加しました。
満潮で海から川に流れていました。
もう6時前で真っ暗。
ほぼ練習無しで、今日も初見大会。
ポップスをやりましたが、リズムセクションが結構難しい。
一緒に後打ちのはずが、二人で交互に連打に…。
ハハハ!と笑いながらも先生は「もう死にそうになる!」
先生を殺さないようにしなくちや!
と、思った途端に転調を飛ばしたり…。
次回はいよいよボワモルティエをするそうです。
アントン ロマコ作 ピュッフェラーリ
ピュッフェラーリというのはクリスマスの時期になるとローマにやってきて聖母マリア像の前で演奏したカンパーニャ ロマーナ
カンパーニャ ロマーナの朝の光
ウィリアム スタンレー ヘーゼルスタイン(1861年)
の羊飼いたちのことです。
の羊飼いたちのことです。
古代ローマ時代農業で生計を立てていた土地ですが、マラリアの流行、水利も不足し農地は放棄されました。
19世紀まで牧歌的な景色に大勢の画家が絵の題材にしています。
ビッュフェロ リード付きの笛 オーボエの前身
ザンポーニヤ バグパイプの1種
と、歌を聖母像の前で披露しました。
襟付きロングコートにとんがり帽子
をかぶった老人でビッュフェロを吹く少年を連れて来るのが標準的な姿で、ローマのクリスマス時期の風物詩になっていました。
この絵はアントン ロマコ(1832- 1889年)オーストリア帝国アッガースドルフ生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没
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チェコの高級家具職人の家系に生まれました。
ローマに出て絵画を学びます。
肖像画家としてやっていましたが、当時人気のハンス マカルトに注文が持ち込まれ思うように売れませんでした。
1876年妻に逃げられウィーンに帰ります。
1889年病死とされていますが、自殺説もあります。
筆が速く、正確なデッサン力と筆致で現代ではマカルトよりも評価されています。
エクトル・ベルリオーズ(1803-1869年)フランス帝国ラ・コート=サンタンドレ生まれ、フランス帝国パリ没
ローマにやってきたピュッフェラーリを観て書いた作品があります。
「聖母のための鄙びたセレナーデ」
パイプオルガンで書かれています。