昨日、発表会の会場。枚方市文化芸術センターの庭でバザールをやっていました。
は、1783年フランスの女性で初めて王立絵画彫刻アカデミーの会員になった人です。
も会員になっています。
マリー アントワネット
ポリニャック夫人
自画像
がいます。
ナポリに定住し、1772年チェチーリア パッリーニと結婚します。
見たかったけれど、今回はコンサートの方が大事。
プログラムの最後の方で知ったお名前が…。終わったら「久米さん?」と声をかけてくださいました。
なんと、大学のマンドリンクラブの先輩でした。
ピアノの先生のお友達で高槻から来てピアノで出演されていたのでした。
5年ごとの記念演奏会にしか会いませんでしたが、LINE交換しました。
いろいろおもしろい出会いがあります。
エリザベート=ルイーズ ヴィジュ=ルブラン(1755-1842年)フランス王国生没
は、1783年フランスの女性で初めて王立絵画彫刻アカデミーの会員になった人です。
同じ日に
アデライド ラピーユ ギラール(1749-1803年)
も会員になっています。
ルブランは画家の娘で10代から職業画家として才能を表し、1776年画家で画商ジャン パブティスト ピエール ルブランと結婚します。
彼女は肖像画を多く描き人気がでます。
王妃のマリー アントワネットに招かれ宮廷に出入りするようになります。
アントワネットは大変喜び、自分の肖像画だけでなく、子どもや王族の肖像画を依頼しました。
また、アカデミーで女性だという理由で入会を拒否されたのをアントワネットの尽力で入会を赦されたとか。
王妃とポリニャック夫人とは身分を超えた友情があり、同じ麦原帽子、シミューズというスタイルでの肖像画を描いています。
マリー アントワネット
ポリニャック夫人
自画像
革命が起き、王族が逮捕されると国外に逃げ、イタリア、オーストリア、ロシアで暮らします。
どこでも人気で王族や金持ちの肖像画を描いています。
1802年に革命政府が転覆し、帰国。ナポレオンの絵を書きますが、後に関係が悪くなり、スイスへ移住します。
王政復古するとルイ18世に迎えられます。
1814年プロイセンの侵攻で家を失います。
その後パリに移り、亡くなるまでそこで過ごします。
肖像画を、多く残したのは、女性には当時壁画など大作の依頼は無かったからだそうです。
彼女の描いた肖像画で音楽家ジョバンニ パイジェッロ(1740-1816年)ナポリ王国ターラント生まれ、ナポリ王国ナポリ没
がいます。
1791年に描かれています。
イエズス会の神学校で美声で知られていました。
ナポリの音楽学校で学んでいる途中から劇場の音楽を作ったりしていました。
ナポリ、ボローニャ、ローマでオペラを発表し、人気が確立します。
ナポリに定住し、1772年チェチーリア パッリーニと結婚します。
1776年から8年間エカチェリーナ2世によばれ、サンクトペテルブルクで過ごします。
「セビリアの理髪師」をこの間発表し、大人気を博します。
彼が亡くなった年にロッシーニが「セビリアの理髪師」を書くまでは…。
1791年にどこでルブランと会ったのかはわかりませんが、
1802年にはナポレオンに溺愛され、5年間パリで仕えています。
ティリュリー宮殿で宮廷楽団を指揮し大金をもらいましたが、失敗。
1803年にナポリに帰国。
ナポレオンの兄に職を得ますが、ナポレオンの没落とともにパイジェッロも没落。
1815年夫人が亡くなると不遇のまま
1816年亡くなります。
とはいえ現代でも彼のオペラは比較的演奏されています。
特にアリア「わが心、うつろなりけり」は、
ベートーヴェン、パガニーニ、シューベルトなどなど変奏多数です。