音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

パリ音楽院初フルート課教授

2023-08-23 21:00:00 | 古典
火曜日は長居公園近くでフルート久米素子、ヴァイオリン木村直子先生、ヴィオラ金重美代さん、チェロ木村政雄先生のアンサンブルレッスン。

8月6日にモーツァルトのカルテットDdurを演奏したので、今日からは新しい曲に挑戦です。

勇んで行ったら御堂筋線の長居の手前で金重さんから「雨すごいから気をつけて、スーバーで待ってます。」
地下鉄に入る前の天満橋では全く晴れていたので???
駅の出口の階段に近づくと、みんな外を見て立ち止まっています。
近づいてみるとバケツをひっくり返したようなすごい量の雨。
なんとかおさまってきたので、
ケーキ屋さんまで行ってケーキを買って外に出ると嘘のような晴れ。




ラッキーと歩いているうちにまた降ってきて、
なんとか商店街のアーケードの下までもちました。

金重さんがスーバーから出て私を見つけてくれましたが、雨はますます強くなって今度は、アーケードの終わりで、みんな立ち尽くしていました。

直子先生に連絡して、止むのを待っていましたが、雨が止む気配なし。
30分ほど待っていましたが、自転車の中学生がしびれを切らして出ていってしまいました。たぶんずぶ濡れ。
私達も行こうか、と出ようとしたら、雷がピカッと光って、ほぼ同時にすごい音。
「キャー!」と思わず声が出ました。
しかし、もう待てないとスカートをベルトの所で、3回ほど丸めてたくし上げ出発!

豪雨の中、10分ほど。
ずぶ濡れで着きました。
「すみません。雑巾をお貸し下さい。」スカートや、上着も濡れていましたが、1番まずかったのはスーツケースに入れていた楽譜。
スーツケースのファスナーから雨が染みて、今日からのドヴィエンヌ、4人分6曲の楽譜の上端が濡れてしまいました。

直子先生がドライヤーを持ってきてくださって、みんなで乾かすことからレッスン開始。

今日は初めてなのでドゥヴィエンヌの初見大会。集中しました!
4曲やりました。

帰りは嘘のように晴れていました。

フランソワ ドヴィエンヌ(1759-1803年)フランス王国ジョワンビル生まれ、フランス共和国シヤラントン没

鞍職人の14人兄弟の末子。
地元の聖歌隊で始めの音楽教育を受けました。
1780年にフェリックス ローにフルートを学びました。
ド ロアン枢機卿
1734-1803年ド ロアン枢機卿

の執事に加わります。パリのアンサンブルや楽団でソリストや楽団員としてフルート、ファゴットを演奏しました。
パリオペラ座にも加わっています。
作曲も初め、1792年オペラ レ ヴィジタンティーヌ(Les visitandines修道女)で大成功します。

この頃、庶民の女性と結婚し、5人の子どもを授かります。

フランス防衛軍事楽隊の軍曹で、無料音楽学校の軍楽隊の同僚女子の指導を任されていました。
そのため、1795年革命の後にこの学校がパリ音楽院
1795年建設の校舎
に編成されると、フルート課の教授と学校管理者を任されました。

生徒を教えるドヴィエンヌ

フルート教則本「フルート演奏の理論と実践」Méthode de Flûte Théorique et Pratique,
を1793年を上梓し、これは18世紀後半のフランスの吹奏楽の向上に大きく貢献しました。
また、すでに使われていた4キーのフルートを使わず、1キーのフルートを使い続けていたと言われています。

フリーメーソンの加入者で、300曲に上る器楽曲はほぼ管楽器のものです。

「過労とフランス革命における悲しみ、辛い思いが彼に脳障害を起こさせ狂気に導きここに死去」と新聞記事が出ます。1799年の公演以来、消息が途絶え、4ヶ月精神病院に隔離された後のことでした。

フルートカルテットop11 No.1