日曜日に栗東に行った時に出会った雲。
こっちは、海の大きな波みたい。
これはくまのプーさんとはちみつ壺?


を建て、移り住みます。

リッカルド ペリの描いたストリンドベリ1905年
小説家、劇作家で「令嬢ジュリー」「死の舞踏」「夢の戯曲」などを書きました。

とは1901年に結婚、娘を1人もうけ、1904年には離婚しています。
ハウルの城が入ってるみたい。

こっちは、海の大きな波みたい。

これはくまのプーさんとはちみつ壺?
想像力、貧困でごめんなさい。
ジャン シベリウス(1865〜1957年
)フィンランド大公国ハメ州 ハメーンリンナ生まれフィンランドウーシマー州ヤルヴェンパー没

シベリウスは、1899年、フィンランディアで大成功し、1904年妻アイノと5人の女の子とヘルシンキ郊外のヤルヴェンパーにアイノラ

を建て、移り住みます。
劇付随音楽「白鳥姫」JS189は
1905年メーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」のヘリシンキ初演を観た主役のハリエット ポッセの夫ストリンドベリが感激して、自作の劇「白鳥姫」にも曲をつけて欲しいとシベリウスに頼みます。
ヨハン アウグスト ストリンドベリ(1849ー1912年)スウェーデン ストックホルム生まれスウェーデン ストックホルム没

リッカルド ペリの描いたストリンドベリ1905年
小説家、劇作家で「令嬢ジュリー」「死の舞踏」「夢の戯曲」などを書きました。
「赤い部屋」で名声を得ましたが、フランスでは1884年に書いた「結婚」では宗教を冒涜するとして国外退去処分になりました。
1877年男爵夫人でもあったシリ フォン ヘッセンと結婚しますが、1891年離婚。
ベルリンに移り、
その年、オーストリアの女流作家フリーダ ウールと結婚しますが2年後離婚。
1894年、パリに移り、自然科学、特に錬金術に没頭します。
1899年にスウェーデンに戻り、スウェーデン史劇などを書きます。
ハリエット ポッセ

とは1901年に結婚、娘を1人もうけ、1904年には離婚しています。
1907年親和劇場を創立、そのための劇を数作書きますが、経営困難のために3年後に閉鎖しています。
「白鳥姫」は隣国の王と結婚させられそうになった白鳥姫には愛し合っている王子がいます。
その二人の愛を義母が妨害する物語です。
その後、組曲にシベリウス自身によって改作されます。
● 劇付随音楽『白鳥姫』 JS189 (1908)
第1幕(はるか彼方からの角笛の合図/静かに鳩よ、わたしの王子様がやってくる/白鳥は過去を飛ぶ)
第2幕(さあ、今ハープを弾きましょう/白い白鳥は過去を飛ぶ/白鳥姫の母/ハープは沈黙し、すぐに新たなメロディを奏でる/他の場所に/継母-花嫁はどこに/金の雲は赤いバラになる)
第3幕(白鳥姫/城の火事/今こそハープを/感謝と賛辞は全ての者を跪かせる)
金の雲は赤いバラになる