音楽の喜び フルートとともに

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愛された作曲家

2023-08-14 21:01:00 | バロック
お盆休みなので、今日は父のお墓参り。
最近仕事場の都合で実家にいる姪も一緒にお参り。
お供えのお下がりを持って母の希望でやぶっちゃの温へ。


行く途中、南山城道の駅で、すももかき氷、ブルーベリーかき氷、抹茶かき氷と抹茶ソフト

テーブルには目玉のついた苔玉。

野菜はほぼ売り切れで、かぼちゃを1つ買って、温泉へ

源泉は35.7度、温めて湯船に提供されています。
1つだけ源泉のままの湯船があります。これが人気。
一度に3人しか入れません。35.7度なのでのぼせないのでいつまでも入れます。
なので10分か15分で交替してと書いてあります。
でも気持ち良くて、ずうっと入っていたくなります。
母と私は、以前父と来たときのことを思い出して仕方ありませんでした。
1000円で予約すれば、介護の必要な人も介護者も一緒にかけ流し温泉の個室のお風呂に入れました。
トイレも洗面所もついていて本当に助かりました。
介護しながら、ゆっくり温泉に入れるなんて父も母もすごく喜んでくれました。
もう無いなんて信じられません。
母は何度も「残念やなぁ。なんでやろ?」と、言っていました。

入る人が少なかったからかな?というと、「宣伝してなかったから、みんな知らんかったから、知ってたらみんなくるよ。」と…まあ、私もネット検索していて見つけたので、利用したい人にはあまり情報が届いて無かったみたいでした。いつも空いていて予約も簡単に取れたから。

アルカンジェロ・コレッリ(1653-1713年)教皇領フジニャーノ生まれ、教皇領ローマ没

1666年14歳でボローニャにやってきました。
ここで、4年間ヴァイオリンと作曲を学びました。
19歳でパリで成功し、22歳でローマのサン ルイジ デイ フランチェイージ教会



で、ヴァイオリン奏者の職に付きます。
26歳の時には指揮をし、評価され、人気になります。
ドイツに移り、1861年バイエルン選帝侯領に務め、器楽曲の作曲者として名を成します。

1685年ローマへ戻り、
スウェーデン女王クリスティーナ


のための公演の指揮をし、ローマ教皇のピエトロ オットポーニ枢機卿(後の教皇アレクサンドル8世)

の寵臣になります。
1689年から1年の間はモデナ公の邸宅に滞在します。
1700年、ヴァイオリンソナタ集を出版します。

1708年、ローマで引退を宣言します。
以後オットポーニ枢機卿の邸宅で暮らし、国王に招かれたりしています。
1713年ローマで亡くなります。

莫大な財産と、ブリューゲル

バベルの塔
コレルリのコレクションではないがブリューゲルの代表作
やプーサン

プーサンの代表作「サビニの女たちの略奪」ルーブル美術館蔵
の136枚の絵画は彼の後援者、友人、召使いに譲りました。
しかし、友人はその財産をコレルリの親戚に返還しました。

コレルリはパンテオンに埋葬されています。
ヴァイオリンコンチェルトDdur op.6No.4