音楽の喜び フルートとともに

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遺作

2024-07-29 21:00:00 | 日本
土曜日は久しぶりにお琴と合わせでした。

母の指令です。

曲は宮城道雄作曲「浜木綿」と「春の海」

尺八の代わりにフルートでということです。

偉い尺八の先生と合わす前に私で練習しておこうというのです。

しかし、私の頂いた五線紙のフルート譜。 間違いがちらほら。
こういう譜面多いです。
専門ではない人が尺八譜を五線譜に移すため、仕方ないのです。
尺八の譜面は、お琴の人は読めません。
尺八の譜面はお琴の人は読めません。
三味線も独自の譜面があります。

お琴の譜面の横に尺八譜が書いてありますが、読める人がいないのでリズムを確認するくらいしかできません。

結局、西洋式の五線譜に書き起こした譜面を見ながらやるしかありません。

ヨーロッパは陸続きで言語人種の違う人々が、交錯し、合奏しなければならないことから、早くから共通の楽譜が開発され、発達しました。

それぞれの家元が流派を守ってきた日本の音楽界とは成り立ちが違います。

早くからそのことに気づき、いろいろな楽器を取り入れた合奏を行った宮城道雄の一番の功績はその家元の壁を破ったことかもしれません。

五線譜の歌とピアノのスコアをにらんで、ほとんどの合わせを訂正に費やし、終わりました。

「春の海」は、初めからたくさん譜面がでているので、ドレミ楽器の「31選」フルートとピアノ合奏用のフルートパート譜で合わせられます。

お琴ソロのハーモニクスに合わせて創作された2小節だけは省かねばなりませんが…。

終わって家を出る時も、みんなで玄関まで来てくださって「暑いから気をつけて」とか服を治してくれたり、子どもをみるような眼差しで見送ってくださいます。

子どもの頃から見知った仲、思春期の頃は遠ざけたく思ったこともありますが、今はひたすら温かく、ありがたいです。

宮城道雄(1894~1956年)兵庫県神戸市生まれ、愛知県刈谷市没
 
白浜、平草原(へいそうげん)にある紀州博物館の前に、宮城道雄の銅像と詩碑が立っています。

そこには宮城道雄の遺作の歌曲「浜木綿(はまゆう)」の詩が書かれています。

紀州の名士・実業家の小竹林二氏と親交があり、たびたび白浜を訪れた宮城道雄は、「浜木綿」と題した白浜をうたう詩を作り、この詩に自ら曲をつけました。

8歳で失明した宮城道雄。
詩には匂いや音や触感や体全体で感じ取った白浜が歌われています。

宮城道雄が詩を作った曲はこの「浜木綿」だけで、他にはありません。

この歌曲の初演は昭和31年(1956)6月4日、白良浜ホールでの「宮城道雄先生詩碑除幕祝賀記念演奏会」です。

この演奏会に先立ち、平草原で詩碑の除幕式が行なわれました。

この公演の20日後、6月25日未明。

公演のため大阪へ向かう途中、宮城道雄は東海道線刈谷駅付近で急行「銀河」
急行銀河
から転落し、その日の午前7時15分、刈谷の病院で死去しました。享年62歳。

「浜木綿」が遺作となり、白良浜ホールでの演奏が最後の公演となりました。
没後15年に、詩碑のそばに宮城道雄の銅像が建てられました。 


「浜木綿」
温泉の匂ひほのぼのと
もとおりきたる鉛山の
これの小径いくめぐり
今平草原にわれはたたずむ
かぐわしき黒潮のいぶき
妙なる浜木綿の花のかおり
うずいして一握の砂を掌に掬べば
思いはかの千畳敷三段壁
はては水や空なる微茫の彼方につらなる
ああ常春のうるわしき楽土よ
時に虚空にあって聡に鳶の笛澄む
朝もよし木の国の白良浜やこれ