NHKで「死の国の旋律」 -アウシュビッツと音楽家たち-を見ました。
重く苦しく、暗い番組でしたが、今も戦争がこの世界から絶えることはなく、何かのきっかけで私達も加担するかもしれません。目をそむけてはいけないことだと思います。
第二次大戦の中、アウシュビッツの強制収容所のオーケストラ演奏していた人たちの証言のドキュメンタリーです。2003年に放送されたものの再放送だそうです。
収容所で、つらい労働に従事されていた人たちを迎える音楽や、ガス室に送られる人の前で演奏して、安心させ、騒ぎを起させ無いために演奏していました。
また、強制労働を免除されるために、オーケストラに入りたがったり、楽器の弾けない肉親を賄賂を贈ったりして、一員にしてもらったりしていました。
「こんな所で、音楽なんて誰が聴きたいと思うんだ」と同じ収容者からはなじられ、戦後も収容者の互助会にも入れてもらえませんでした。そのため、戦後何十年も自分を恥じ、罪悪感に苦しんだり、当時の音楽を聞くと気を失いまともな職につくことも出来なかった人もいます。
孤立して、二度と楽器を演奏できなくなった人もいます。
ある女性の証言です。
友達のマンドリン奏者の女性の兄から手紙がきました。
「ぼくは両親にぼくの出来ることをした。」
彼はガス室へ送られる人たちを世話して、安心させる仕事をさせられていた。
「両親はぼくを見てほっとした顔をしていたようだった。」
それを聞いた彼女は、「兄さんが会いたがっている。」と有刺鉄線に身を投げて自殺しようとした。私は、彼女を平手打ちにして、壁に打ちつけた、なんとか彼女に正気に戻ってほしかった。そして「私達がしている事だって同じなのよ!」と思わず叫びました。
私はオーケストラを辞めたいとゲーリングに言いにいきました。すると彼は「どうしたいんだ。強制労働か、オーケストラかどちらか選ぶんだ。」と言いました。私は強制労働は選べませんでした。私がいつ死ぬかわかりませんが、撃ち殺されるという突然の死ではなく、緩慢な死になるだろうと思いました。
「あの時から人間でいることの意味がわからなくなった。」
戦後60年を過ぎて、やっと振り返ることが出来るようになった女性の話です。
「あの地獄のような所にも究極の善意のようなものが、確実にありました。ユダヤ人の助産士で、ナチスは生まれた赤ん坊を、水に沈めて殺すように命じました。彼女は断固として拒否して、生きられないその子ども達を暖めるために、長い階段を重たいお湯を持って何度ものぼっていきました。信じられないことです。」
つらい番組でした。私は、機会が与えられれば、強制労働や、見捨てられた子どもと共にいる助産士ではなく、特別待遇のオーケストラ要員を選ぶ自分を知っています。
「究極の善意」を目の当たりにしながら、戦後60年を引きこもり、人生を罪悪感の中で無為に送ってしまった彼女の地獄を哀れみ、同意してしまう自分もいます。
「哀れみは有害です。それは、その人が人生で必要なことをやりとげる力が無いとほのめかすことになるからです。哀れみは伝染して、その人を自分を哀れまさせ、自分がかわいそうだと思い込んでやがては投げ出してしまう。」ドン・ディンクメイヤー ゲーリー・マッケイ
「罪悪感の本当の目的は、行いを改める責任をさけることなのです。つまり罪悪感を抱くと言う方法を選ぶことで、その「罪」に対する償いはしてしまったと考えるのです。」
「最悪感とは、実際には持っていない誠実さのことである」ルドルフ・ドレイカース
彼女は、戦後60年を経て、傷の中から立ち上がり、部屋から出て、TVで証言する道を選びました。この勇気を称え、学びたい思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます