今日は塚口t-raumでハープのレッスンでした。
三年前ハープを習い出した頃にはなかったマンションが11月3日OPEN。
ホルンガッハと
1月に青山デルフィで金重さんとジムノペディを演奏します。
初めての合わせはボロボロ…主に私が。
阪急で帰りに梅田で1人お粥を食べました。
3時頃だったので、夕飯に負担にならないように軽くと思って、ちょうどよかったです。
がっつりランチには向かないかも。
ハロウィンの音楽というのにいつも入っている「仮面舞踏会」は
アラム ハチャトリアン(1903-1978年)ロシア帝国グルジア ティフリス生まれ、ロシアソビエト連邦共和国モスクワ没
が作曲しました。
彼の音楽はグルジアの民族音楽に影響を受けています。
グルジアは一言では言えないほどいろいろな国の影響を受けています。
紀元前200万年前〜1万年前、グルジアはアフリカ大陸からヨーロッパに人類が移動した最古の痕跡を残す人類化石が発見されています。
紀元前7000〜1000年には、ディアオヒ、コルキス民族が現れ、紀元前9世紀には王朝が存在しました。
紀元前65年ローマ帝国に組み込まれキリスト教国に、363年ササン朝に、395年東ローマ帝国ビザンティン帝国の統治下になります。
500年代ササン朝に764年アラブ支配、975年グルジア建国
1220年モンゴル帝国の属国となります。
1335年モンゴルを放逐しグルジア
翌年ティムールの攻撃でトルコ、モンゴル系イスラム王朝
ティムール帝国の、侵入
ペルシャ軍の侵略
15世紀ー17世紀オスマン帝国他3つに分割
1762年イラン王朝
1783年ロシア帝国
1921年ソビエト連邦スターリンの出身地
1991年ソ連の承認のないまま独立
スターリンはグルジア生まれですが、グルジアはその後ソ連から独立、対立するような政策を取っています。
ハチャトリアンはそのスターリン下の世界に生きました。
ミハイル ユーリエヴィチ レールモントフ(1814-1841年)ロシア帝国モスクワ生まれ、ロシア帝国ピャチゴルスクボッ
の、「仮面舞踏会」がモスクワで上演されるのに合わせて、劇音楽として全14曲が作曲されました。
同年、映画が製作され、1944年金には5曲を選び2管編成の「組曲」に再編成しています。
レールモントフは名門貴族の生まれながら、父が結婚中から不倫をし.3歳の時に母が死に、直後から祖母と父が争い、祖母の元に引き取られます。
莫大な財産、祖母の溺愛で素晴らしい教育を受けて育ちます。
学生時代に父が亡くなります。
「人間と情熱」「奇妙な男」という最後には主人公が死ぬという戯曲を書きます。
民衆の蜂起を主題にした詩を書き、かれの最高傑作になりました。
プーシキンが決闘で死ぬという事件でニコライ一世の側近を弾劾する「詩人の死」という詩を書き、一年間投獄されます。
カフカースに流されるとグルジアの知識人と知り合い独立戦に加わり手柄を立てます。
1838年ペテルブルクに帰還しますがサロンの女主人を巡り決闘をし、再びカフカースに流刑にされます。
モスクワに戻ると、ピャチゴルスクへ移動。プーシキンに次ぐ詩人で社会不適合者というレッテルを貼られてうんざりするも楽しんでいました。
しかし、士官学校の友人ニコライ マルトィノフと口げんかから、決闘することになり、
レールモントフは天に向かって銃を撃ちましたが、マルトィノフは心臓を狙いすまして撃ち、レールモントフは即死しました。
「仮面舞踏会」は、凄腕の賭博師アルベーニンが、賭博で財産を失い、かれに恨みを持つ男に罠にかけられ、妻と命を救った友人の不倫を疑い、ついには妻を毒殺。
死後妻が不倫をしていないことがわかり、打ちのめされ気が狂ってしまう。
というあらすじです。
ハチャトリアンは同じ作曲家のニーナ マカロワと結婚して添い遂げていますが、レールモントフの人生は家庭の不和が影を落としているような気がします。
ちょこちょこおじゃましております。
ハチャトリアンはグルジア出身の方だったのですね。「剣の舞」くらいしか聴いたこと無かったので大変勉強になりました。
また伺います。
ご訪問ありがとうございます。
断捨離、私はなかなかできないので、いつも感心しています。
そうなのです。ハチャトリアンはグルジア生まれですが、生まれたときはソ連でした。
でも、曲想は明らかにグルジア民謡由来ですね。スターリンには退廃音楽と批判され苦悩しました。
国籍ってなんだろう?って思います。
チャイコフスキーもロシアに生まれて自殺未遂するほど辛かったのに、ロシア人だと批判の対象になるなんて…。
またのご訪問楽しみにしています。