お久しぶり、TさんとGさんと看板作り。
ほとんど、完成!
同じ作家さんのテキストで、モチーフを使っても、全く違った印象のものが出来上がるのがおもしろいところです。次は、仕上げのニス塗りと、金具付けです。
3人は、子どもを同じ幼稚園に通わせていた縁がありますが、話していると全員引越し組で、寝屋川市内に住んでいた時期があり、その後、枚方に移り住んだという共通点があることを発見。
上品?に取り作っていても、子どもの頃、どろんこの田んぼを裸足で駆け回って遊んだ口です。
「土手に穴を掘って、シートかけて秘密基地を作った?」
「あるある。その後ね、高度成長期で、あちこち工事してたでしょ。工事現場の資材置き場で遊んだわ。角材にぶら下がって、ブランコとか、板をおいて滑り台とか、遊園地を作ったり。」
「こわ~!今やったら危ないって怒られるよね。」
「ざりがに釣りして、背わたを食べたわ。」
「えー!食べたん?それはせんかったわ。」
「文化住宅の物干しから屋根に登って、家の屋根を飛び越えて探偵ごっことかした?」
「それは、せんかった。」
「塀に昇って、柿とって食べたりしたわ。」
「それはあるわ~。」
「引っ越した時は、寝屋川の橋の上から、川底のサワガニが見えたし、土手にホタルがいたりしたんだよ。」
「帽子のなかに入れて、光らないかのぞいたりしたわ。」
「でも、すぐに汚くなって、ドブ川になったわ。ガスがボコボコでて・・・。」
「今は、その頃より綺麗になった?」
「うん、ドブ川からは、随分きれいにもどったけどね。」
懐かしい話になりました。私は大阪市内から、大気汚染に追われて、4歳で寝屋川に引越し。
その時のカルチャーショック。
都会から、田舎にきたショック。冷たいアスファルトの世界から、核家族が進んだ希薄な人間関係から、濃密な人間関係と、豊かな自然に出会い、また失われていくのを経験しました。
それから、まだ自然が残っている枚方に。
考えると、美しい水がドブ川になったのは、ほんの数年。2年程の間のことです。
それから、戻ったものもあるけれど、二度と戻らないものもあります。
汚いからと塞がれ、暗渠に流れる川のことを私たちは覚えています。
文化は、塞がれたり、失われた大地につながる感覚の中にあるのだろうと私は思います。
そのことを覚えている仲間に会えてよかった。
ひさしぶりに元気が出ました。
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