一昨日の西宮ギター練習会。
のオーボエ協奏曲。
アウロスを持つエウテルペー(ムーサ芸術を司る女神)
ダブルリードで共鳴管が根本から二本に分かれそれぞれ左右の手で操作します。
13-17世紀ルネサンスの木管楽器でダブルリードがついていました。十字軍の兵士が吹いていたと言われています。
オーボエというのは、弦楽器だけだったオーケストラにはじめて入った管楽器です。
がありましたが、現在ではコンセルヴァトワール式が主流になっています。
ヤマハホームページより
ギター川原久美子さんと久米素子フルートで
ブラームス ハンガリー舞曲第5番
ドビュッシー 夢
エルガー 愛の挨拶
ピアソラ リベルタンゴ
を演奏しました。
唇はもう少しですが、音は出ました。
一部の人にはわかったみたい。
やっぱり足元注意ですね。
ごめんなさい。
オーボエ協奏曲の名曲というと、モーツァルト、シュトラウス、マルチェッロがあがってきます。
今日はリヒャルト・シュトラウス(1864-1949年)バイエルン王国ミュンヘン生まれ、バイエルン王国ガルミッシュ・パルテンキルヒェン没
のオーボエ協奏曲。
1945年、バイエルンのガルミッシュ・パルテンキルヒェンの山荘に滞在中、アメリカ軍に従軍していたオーボエ奏者のジョン デ ランシー(1921-2002年)がシュトラウスを訪ねてきました。
ランシーは「あなたの作品にはオーボエの素晴らしいソロが多く出てきますが、オーボエのための協奏曲を書くつもりはないのですか?」と言いました。
シュトラウスは「特にありません。」と答えました。
しかし、ランシーが引き上げ、しばらくたったある日、スイスでオーボエ協奏曲を書き始めました。
1946年2月チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、オーボエ奏者マルセル サイエによって初演されました。
シュトラウスはランシーを独奏者に希望しましたが、彼はすでに除隊し帰国していて曲の完成すら知りませんでした。
その後、アメリカ初演でも演奏できませんでした。ピッツバーグ管弦楽団からフィラデルフィア管弦楽団に移籍したばかりで、第二奏者だったので、演奏家ユニオンの決まりで演奏できなかったのです。
結局1964年、第一奏者が引退した後になって、ようやく演奏することができました。
ギリシャ時代、マルシュアス(サテュロスとも言われる、アポロと音楽を競い敗北したと言われています)
彼はアウロスを吹いていました。
アウロスを持つエウテルペー(ムーサ芸術を司る女神)
ダブルリードで共鳴管が根本から二本に分かれそれぞれ左右の手で操作します。
マルシュアスはアポロに負け、生きたまま身体の皮を剥がれるという罰を受けます。
マルシュアスの血とムーサの涙が小アジアを流れるマルシュアス河になったと神話で伝えられています。
その後屋外で使われていたショーム
13-17世紀ルネサンスの木管楽器でダブルリードがついていました。十字軍の兵士が吹いていたと言われています。
オーボエというのは、弦楽器だけだったオーケストラにはじめて入った管楽器です。
キーが2個〜3個というものでした。
その後改造され、国ごと、地方ごとに独特のキーシステムが使われるようになりました。
大きくはジャーマン式、ウィーン式(ヤマハ製作も)
がありましたが、現在ではコンセルヴァトワール式が主流になっています。
ヤマハホームページより
それは1890年ドイツからパリ音楽院に留学し、ベルリン国立歌劇場オーケストラで長く活躍したオーボエ奏者フリッツ フレミングと
リヒャルト・シュトラウスが姻戚関係にあり、強くコンセルヴァトワール式を奨励したことにあります。
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