すっかり夏の様相の里山。
何をすると言うのでも無いのですが…
いくつか巡回ポイントがあります。
合歓の花
そうそう、ガサガサポイントでメダカとカワエビを発見しましたが…。
咲いているのはハルジオンばかり。
4年にわたってモスクワとパリの間を行きつ戻りつした後の1936年、
プロコフィエフと2人の息子、スヴャトスラフ、オレグ、そして最初の妻リーナ。1936年
の依頼で中央児童劇場
何をすると言うのでも無いのですが…
いくつか巡回ポイントがあります。
合歓の花
そうそう、ガサガサポイントでメダカとカワエビを発見しましたが…。
咲いているのはハルジオンばかり。
セルゲイ プロコフィエフ(1891-1953年)ロシア帝国ソンツオフカ生まれ、ソビエト連邦モスクワ没
4年にわたってモスクワとパリの間を行きつ戻りつした後の1936年、
プロコフィエフはモスクワに居を構えることにしました。
プロコフィエフと2人の息子、スヴャトスラフ、オレグ、そして最初の妻リーナ。1936年
彼の全作品中でももっとも知名度のある『ピーターと狼』が、ナターリャ・サーツ
の依頼で中央児童劇場
モスクワ児童劇場の建物(画像は劇場創設以前、1901年のポストカード
のために作曲されました。
のために作曲されました。
サーツはさらにプロコフィエフに2曲の子ども用歌曲「Sweet Song」と「Chatterbox」を書くよう説得します。
これらに「The Little Pigs」を加えて最終的に『3つの子供の歌』 作品68として作曲、出版しました。
それに加えて作曲されたのが「子どものための音楽」作品65です。
ジェームズ・リールによる解説
「子どもが聴きやすい音楽を作れ」というソ連政府の指示に応えて、セルゲイ・プロコフィエフは1936 年に短く絵画的なピアノ曲集を作曲しました。
「子どものための音楽」作品 65 として出版されたこの作品は大変好評を博し、プロコフィエフは1941 年に 7 曲をオーケストラ化し、「夏の日: 小管弦楽のための子どもの組曲」と名付けました。
プロコフィエフは最終的に、オーケストラ化されたこれらの曲の 3 曲目と 6 曲目を、最後のバレエ作品「石の花」に再利用しました。
この組曲は「モーニング」で始まります。これは、オーケストラの底で静かに響くドスンと震える音に乗せて、ためらいがちに奏でられる繊細な木管楽器の曲です。
イギリス人が「ティップ・アンド・ラン」(アメリカ人は「タグ」と呼びます。=追いかけっこ)
「ティップ・アンド・ラン」は、軽快な木管楽器の音色が奏でるスケルツォです。
「ワルツ」は、かなり決まりきった弦楽器のメロディーで始まり、予期せぬリズムの変化やハーモニーを奏でる完璧なキャンバスとなっています。
「悔い改め」(「後悔」とも訳されます)は、組曲の中で最も長い楽章で、約 3 分です。プロコフィエフは、ピチカートの弦楽器による時折風刺的な伴奏で、この非常に雰囲気のある葬送曲にいくつかのウィンクを加えています。
「行進曲」は、パロディという意味でのみ軍国主義的であり、ビゼーのカルメン の「子どもの行進曲」に似ています。
「夕べ」では、落ち着きのない弦楽器の伴奏に乗せて短い木管楽器のソロが演奏されます。
この楽章には特定のプログラムはありませんが、穏やかに舞う木管楽器のソロはホタルを連想させ、第 2 セクションの静かな 4 音の打楽器のオスティナートは、カエルや夜の虫の穏やかなリズムを思い起こさせます。
「月明かりの草原」は詩的で素朴な音楽シーンです。最も興味深いのは、プロコフィエフがオーケストラのソリスト、特にフルートとホルンの間で主題の断片を渡し、その後、結論が出ないままフェードアウトしていくことです。
うちの実家の庭には小さなネムノキが植えてあって、それは触ると閉じました。
子供の頃、それが嬉しくて何度も触って閉じさせていました。もちろん夜になると閉じます。
触りすぎると良くないって叱られていましたが…。
ネムノキは夜になると、葉を閉じて、朝になると、葉が開くということからネムノキと言う、と六甲高山植物園に行った時、ガイドさんが説明してくれました。専門家のお話は、やっぱり、役に立ちますね。