無憂樹(ムユウジュ)はマメ科インド原産。
インド原産釈迦が生まれたところにあった
釈迦八相図(部分)
は、
学名はSaraca asoca 英名はAshoka
アショカ
インド原産釈迦が生まれたところにあった
と言われています。
インド3大聖樹 無憂樹、菩提樹、沙羅双樹の1種と言われています。
釈迦八相図(部分)
絹本着色 日本・鎌倉時代 13世紀 MOA美術館蔵
出産のため実家に向かう途中、麻耶夫人(まやぶにん)はルンビニの花園で休息する。美しい花を咲かせた無憂樹(むゆうじゅ)の枝に手を伸ばした瞬間、夫人の右脇からシッダ―ルタ王子(釈迦)が生まれます。
ヨーロッパと仏教の関わりは紀元前3世紀、アレクサンドル3世のインド侵攻にまで遡ります。
インドに入植したギリシャ人が当地の仏教と融和し、ヘレニズム文化を開きました。
アレクサンドリアには仏教コミュニティがあったとか。
しかし、中世には一般的に途絶え、また仏教が入ってくるのは1800年代になってからです。
フリードリヒ ニーチェ(1844-1900年)プロイセン王国レッツェン バイ リュッケン生まれ、ドイツ ヴァイマル没
は、
人間は理性的生物でなく、キリスト教的弱者にあっては恨みという負の感情(ルサンチマン)によって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩の原因であり、それを超越した人間が強者であるとしました。
ルサンチマンから開放するものとして仏教を語りました。
「仏教は、老成の人間達にとっての苦悩をあまりにも易々と感受するところの、善良な、温和な、極めて精神化されてしまった種族にとっての宗教である(――ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟してはいない――)。即ち、仏教はこのような人間達を平和と快活とへ連れ戻して精神的なものにおいては摂生を、肉体的なものにおいては或る種の鍛練を施しかえすのである。キリスト教は猛獣を支配しようと願うが、その手段はそれを病弱ならしめることである。」『反キリスト者』
ニーチェは1872年頃はワーグナーに心酔していましたが、徐々に離れて行きました。反ワーグナーになっても生涯「ワーグナーのことを愛している。」と言っていました。
また、ワーグナーの妻コジマに対して「アリアドネ、余は御身を愛す、ディオニュソス」と書き送っていて、ワーグナーを離れた原因ではないかと言われています。
ニーチェは音楽家になろうとしていた時期もあり
「音楽が無ければ人生は誤謬になるに違いない」
「音楽と比較して言葉はすべて恥知らずな性質を持っている」
という言葉を残していて、自分自身でも作曲しています。
驚きました。
西欧キリスト教を背景に持つ他の西洋音楽と変わりないですね?
反キリストをとなえたニーチェでしたが、ずっと彼の内面にはキリストがあったように思えます。
一つ賢くなりました!
果ては、ニーチェかサルトルか?(極端に古いですね、すみません)
そうなのです!
ニーチェは他にも数曲書いていて、動画もあがっています。ぜひ探してみてくださいね。
そうですね。キリストがあったかもしれませんね。
古典派のようにみえて、所々の旋律の変化にロマン派の文脈が取り入れられています。
仏教の捉え方もロマンティックな気がしますね。
とってもおもしろいですね!
他にも数曲書いていて動画もあがっています。よかったら探してくださいね😊
ニーチェかサルトルか?流行りましたね。フフフ😉