久しぶりの里山。
森の中ではウツギ(空木)がたくさん咲いていました。
当時みちのくの玄関口と考えられていた白河の関までやってきます。
一世紀ブリタニア(現イギリス)までローマは勢力をのばします。
しかしケルト人が侵入し、ハドリアヌス帝は城塞を築きます。
1.5キロの間隔で監視所が設置され、6キロ間隔に要塞が設置され
500-1000人のローマ兵が駐留していました。
は、1880年「スコットランド幻想曲」を作曲します。
ジェームズ ジョンソン編集 1787-1803年出版
の599曲からなるスコットランド民謡曲集に取材したものです。
森の中ではウツギ(空木)がたくさん咲いていました。
ウツギは卯月(旧暦4月)に咲くので卯の花とも呼ばれるそうです。
卯の花…これのことか!
と、思ったのは、
芭蕉の弟子河合曾良の書いた句です。
奥の細道、みちのくを目指して旅にでた芭蕉と曾良は、
当時みちのくの玄関口と考えられていた白河の関までやってきます。
卯の花を かざしに関の 晴れ着かな
河合曾良
そこで読まれた句。
「心許なき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」と書いている芭蕉。
ここからは未知の世界。
中世の歌人西行法師に憧れ旅を始めた芭蕉。
衣服をただすかわりに、白い卯の花を摘んで、頭にかざして白河の関を越えようとするのは、藤原清輔の著書「袋草紙」の一節『竹田大夫国行というもの、陸奥に下向の時「白河の関過ぐる日は殊に装束をひきつくろい向かう」と言う。
人、問う「何んらの故か?」答えて曰く「古へ因能法師の『秋風ぞ吹く白河の関』と詠まれた所をば、普段着にては過ぎなん」と。殊勝なる事か。』
と言う故事に因んだものです。
ゼミでは不真面目な生徒でしたが、卯の花と芭蕉たちの映像が目に浮かぶ気がして心に残っていました。しかし、本物の卯の花を知らなかったし、知ろうともしなかった…。
ローマ時代のハドリアヌスの長城。
一世紀ブリタニア(現イギリス)までローマは勢力をのばします。
しかしケルト人が侵入し、ハドリアヌス帝は城塞を築きます。
4-5mの高さ、幅3mの塀が118キロに及びイングランドとスコットランドの間に築かれ、
1.5キロの間隔で監視所が設置され、6キロ間隔に要塞が設置され
500-1000人のローマ兵が駐留していました。
4世紀後半にはローマの支配は及ばなくなりましたが、17世紀まで利用されていました。
マックス ブルッフ(1838-1920年)
プロイセン王国ケルン生まれ、ドイツ王国ベルリン没
は、1880年「スコットランド幻想曲」を作曲します。
ヴァイオリニストのバブロ サラサーテに献呈されましたが、作曲にあたって助言を得たヨーゼフ ヨアヒムによって初演、ブルッフ指揮、リヴァプールフィル協会によるものでした。
「スコットランド音楽博物館」詩人ロバート バーンズ
ジェームズ ジョンソン編集 1787-1803年出版
の599曲からなるスコットランド民謡曲集に取材したものです。
序奏
(1)Thro’ The Wood, Laddie
森を抜けながら若者よ
(2)The Dusty Miller
粉まみれの粉屋
(3)I’m a Doun for Lack O’Johnnie
ジョニーがいなくてがっかり
(4)Scots Wha Hae
さあ、夜が明ける
というスコットランド伝承曲を引用しています。
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