1年ぶり、昨年植えたデュモルフォセカ、オクトオスペルマム、ムーンライト。鉢を変えて、肥料をやり、毎日水をやっていたら、今年も無事咲きました。5度以下ぐらいだと、花びらがとじます。暖かくなると開きます。今は開いている時間が少ないです。
寒いといいこともあって、長い間咲きます。寒さにも暑さにも強い品種です。
「声を一つに」というドキュメンタリーを見ました。
2009年フランス人の音楽プロデューサーがイスラエルとパレスチナの音楽家を集め、フランスでコンサートツアーを行いました。その時の密着ドキュメントです。
元ロックシンガーで、プロデューサーのロッシは、紛争地の音楽家を連れて何度もコンサートを行っています。
サラエボでも、クロアチア人、ボスニア人、クロアチア人によるコンサートを企画して行います。
しかし、その時の合唱団の人たちは紛争に巻き込まれみんな死んでしまった。と、ロッシは嘆きます。
そして今度は、イスラエルとパレスチナ。
クラッシック奏者、民族音楽家、流行歌手グループ、教会の合唱団、少年、少女合唱団。いろいろなジャンルの音楽家に何度も足を運び、説得します。
「感情に訴え掛ける音楽は、紛争にある人々に平和を考えるきっかけを与えることができる。」と。
「あと何年たったら、戦争は終わるのでしょう?何十年、何百年。もういい加減にして欲しい。」
と、参加を決めた人もいます。
流行歌手グループのふたりは「イスラエル人である私がアラビア語で歌い、パレスチナ人の彼が、ヘブライ語で歌う。お互いに歩み寄る。これが平和。」と、活動している人もいます。
アラブの民族音楽を演奏している人が、壁の向こうから聞こえてくる教会の音楽に、「僕は、政治には関心はない、関心があるのは音楽のことだ。彼らの音楽は、美しい。彼らは天才だよ。」
しかし、ホテルや練習場でいろいろな混乱が起こります。
「僕らはガザを出る自由はない。好きなところに旅行する自由もない。だから、ホテルにも泊まったことがない。まずそこからなんだ。」とパレスチナ人がいうと、「僕らは、イスラエルで、高等教育を受け、何か国語を話し、年に何回か国外に旅行する。そんな僕たちと、彼らが一緒に旅行するんだうまくいくわけがない。」といいます。
「君たちはミサイルで狙うんだ。」というと、「バスが目の前で爆破されるのをみたわ。」と言い返す。
「歌いながら彼らは指をブイの形に立てた、パレスチナ人が、石を投げてきて、あたった時にするポーズだ。すごく嫌な気持ちになった。勝利を歌い、挑発しているんだよ。」
しかし、その度に、ロッシは「僕らは、政治の話をしに来たんではないんだ。音楽を演奏に来たんだ。」と話しかけます。
ツアーの間にだんだん演奏家たちの気持ちに変化が起きます。
「イスラエルの女性が、頭にファルカをかぶって歌い、パレズチナの男性が胸に手をあてて、彼女に寄り添って歌う。これが、平和、お互いに歩み寄るんだ。ファルカはパレスチナの闘争の証だという人がいるけれど、それがどうしたと言うんだ。アラブの人はみんな被っているじゃないか。そんな細かいことを気にしていてはいけない。」とイスラエルの演奏家。
「僕たちはアラビア語を学ぶべきだよ。学校でやっても話せない。隣人はみんなアラビア語を話すんだから。」
「僕は初め怖かった。今は怖くない。」「はじめは相手のことがわからなかったかけれど、今はわかるから怖くなくなった。」少年がいいます。
コンサートツアーが終わると、「今は別れたくない。次はこの子といつ会えるかわからないから。」
「僕が生きているうちは、平和を見ることはできない。僕の子どもも見れるかどうかわからない。残念だよ。」
涙ながらに分かれた、2ヶ月後。
イスラエルのロケット弾により、パレスチナのメンバーの一人が亡くなった。
「ショックだった。いいやつだった。今までもロケット弾のことは何度も聞いてきた、でも、今は彼の顔がわかる。一緒に話をし、食事もとった。いいやつだったよ。」
音楽ってなんだろう?私は無力であると座っていていいのだろうか?
何のために音楽をするのだろう?日本は戦時下にはいないけれど、平和な時こそ、平和の質を問うことが必要なのではないだろうか?
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