水曜日は、5歳児を幼稚園までお迎えに行って1時間ほど預かりました。
幼稚園で作った蝶々。
レオナルド・ダ・ヴィンチによるフライングマシン(オーニソプター)の設計図(1488年頃)
ライトフライヤー号は木製の骨組に羽布張りで、方向転換ができ、ガソリンエンジンを使用していたそうです。
デュモンの飛行機「14ーbis」
アメリカのライト兄弟に遅れること3年、1906年10月23日にエンテ型の動力機「14-bis」号の公開実験で高さ3m、距離約60mを飛行しました。
幼稚園で作った蝶々。
ストローが2本ついていて、吹いたら飛びます。
これが気に入っていて、「作ろう!」と言ってきました。
「いいよ!」
ところが、「ストローが無いよ。」あちこち探してみましたがありません。
「ストローが無くても作れる飛ぶおもちゃってある?」
と聴くと、「ある!飛行機。」
「3角飛行機と4角飛行機。折ってあげる。」
3角に折ってから作るのが3角飛行機、4角に折ってから作るのが4角飛行機。
昔々からある飛行機です。
折り紙で作って飛ばしてみました。
4角飛行機は飛びません。
3角飛行機は飛びます。が、まだまだ飛ぶ飛行機が有りそう。
スマホでみたらたくさん出てきました。
作っでみました。
先折れ飛行機。
3角飛行機より飛びます。
「せーの!」で一緒に飛ばして、どちらが飛ぶか?やってみました。
「次のも!」
ジェット飛行機、これもよく飛びます。先折れ飛行機より飛びます。
輪っか飛行機。
これは全く飛びません。飛ばし方にコツがいるみたい。
結局飛ばせませんでした。
おヘソ飛行機は、A4で折る飛行機ということで、楽譜の反故紙で作りました。これが一番飛びました。
ここで時間。
「今度、続きやろうね!」と言いながら帰っていきました。
レオナルド・ダ・ヴィンチによるフライングマシン(オーニソプター)の設計図(1488年頃)
ライト兄弟が1903年に飛行機を世界で初めて飛ばしました。
ライトフライヤー号は木製の骨組に羽布張りで、方向転換ができ、ガソリンエンジンを使用していたそうです。
ヨーロッパでは、
サントス・デュモン(1873-1932年)ブラジル帝国ミナスジェライス州パルミラ生まれ、ブラジル サン・パウロ州グゥアルジャ没
1901年には半硬式の飛行船6号機で、制限時間内にエッフェル塔の周りをまわる飛行にかけられたドゥーチ賞を獲得。6号機はパリの市民らからは"プティ・サントス"と呼ばれ親しまれました。
1906年10月22日、ヨーロッパで初となる動力機の飛行に成功しました。
デュモンの飛行機「14ーbis」
アメリカのライト兄弟に遅れること3年、1906年10月23日にエンテ型の動力機「14-bis」号の公開実験で高さ3m、距離約60mを飛行しました。
11月12日再び公開で高さ6m、距離220mを飛行し、100m以上の飛行にかけられていたアルシュデック賞(アルクデアコン賞)を獲得しました。
このため暫くの間、デュモンが世界初と思われていた時代がありました。
1910年頃から多発性硬化症を発病し、引退してパリ郊外に家を買って隠遁生活をしていました。
しかし、第一次世界大戦が勃発し、飛行機や飛行船が兵器として使用された事実に失望し、ヨーロッパを去りブラジルに帰りました。
ところが、平和の国と信じて帰ったブラジルでもその飛行機が内戦鎮圧に使用されました。
デュモンは著名人の署名を集め、飛行機を戦争に使用しない提言を行いました。
が、ヴァルガス大統領(1862-1954年)
や国会はこれを黙殺しました。
デュモンはこれに絶望し、この後サンパウロ州グアルジャのホテルでネクタイで首を吊って自殺しました。
当局はデュモンの死因を「心臓発作」と発表しました。
ウィリアム ターナー ウォルトン(1902-1983年)イングランド ランカシャー オールダム生まれ、イタリア イスキア島没
1942年「スピットファイア」前奏曲とフーガ は英名をThe First of the Few(数少ない最初の人)というイギリス映画の音楽として作曲されました。
戦闘機スピットファイアの製作をしたRJ ミッチェルの伝記映画。
それはデュモンが心底嫌った
戦争利用を前提とした飛行機製作を英雄視する内容になっています。
イギリスのスピットファイアとドイツのメッサーシュミットは第二次世界大戦で両国の主力の戦闘機ですね。バトル オブ ブリテンを映画にした"空軍大戦略 1969年制作"にも出ていたと思います。
映画にもいろいろ出ているのですね。