音楽の喜び フルートとともに

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調整と無調性

2024-11-15 20:57:00 | 現代
フルートの調子が良くなくて、調整。してもらおうといつもの所に連絡したら、コンサートシーズンで1ヶ月先の予約になりました。

富久田先生にそう言ったら、谷町六丁目駅近くの矢田工房さんを紹介していただきました。

火曜日子育てサロンの後に行ってお見せするとなんと翌日4時には仕上げてくださると言うので

また、電車に乗っていくとキーを全部分解してきれいに全体も拭き上げて置いてくださいました。

全部のオーバーホールに出したような感じ。
しかも、鳴ります。
タンポは6個も破れていて!全て交換していてくださいました。
「半年に1回は見せてください。」って半年に1回は見せていたのになぁ…。

前回よそで5月に調整していただいて11月。半年経ってました。

「タンポが濡れると破れるので、濡らさないように、冬は15分に1回は中を、拭いてください。」
「水は頭部管で止めてください。」とにこにこしながら教えていただきました。

ガンガン吹くので仕方ないと思っていましたが、こまめに中を拭くことでタンポを長持ちさせることができるそうです。
はあ〜!こんなことも知らなかったなんて恥ずかしい。
先生方、そういえばよく拭くなぁ?と思っていました。

しっかり拭いてタンポ長持ちさせようっと。
6個も替えるとさすがにお財布が痛いし…。

楽器の調整が無いと楽器はあっという間にうまく鳴らなくなりますが、
音楽上で調性の破壊は19世紀新しい潮流となって押し寄せました。

無調、無調性(英語: atonality, ドイツ語: Atonalität)とは、調性のない音組織のことです。

無調は単なる調性の否定でなく、
①調的な中心音(特定の主音・終止音)がない、

②和声的な分類体系(トニカ‐サブドミナント‐ドミナント)が働かない。

③全音階的でないといった特色から、旋法性とも分類されます。

西洋音楽の歴史の中で数世紀の時間をかけて築き上げられた「調性」という名の調的な主従・支配関係に基づく音組織を否定し、19世紀末期から20世紀初頭にかけて新たに形成された音組織の概念です。

調性のない音楽のことを無調音楽といいます。

無調に規律と秩序を与えようと創り出されたものに、「移調の限られた旋法」と「十二音技法」があります。

※全音音階は、移調の限られた旋法の一種です。

その一方で、
多調性(複調性・複旋法性)のように、複数の調的・旋法的な音階を同時使用することにより、調的な中心を曖昧にして、伝統的な調性感が働かないように楽曲構成することもあります。

調性感のある音楽は、15世紀後半まで遡ります。

機能和声法(三和音(主和音、和音記号を中心とする和声法)に基づく調性音楽は、17世紀に実践的に形成され、18世紀に理論化されて発達を遂げ、19世紀に様々なかたちで高度に応用されるようになりました。

見方を変えると、19世紀は調体系の変質・崩壊の時期でもあり、エンハーモニック(異名同音)転調と準固有和音・借用和音(他の調の和音を使うこと)・偶成和音の多用(シューベルト、ショパン)、不協和音の解決の遅延または未解決(ワーグナーのトリスタン和音)、旋法(教会旋法・民族旋法)による旋律線と半音階的和声法の結合(ショパン、ロシア五人組、グリーグ、フォーレ)によって、調性の概念が拡張されていきました。

たとえばフレデリック ショパン(1810-1849年)

の《スケルツォ第3番》の導入部のパッセージや《ピアノ・ソナタ第2番》のフィナーレは、「調性の破壊・否定」が意図されたわけではないシェーンベルク にせよ、結果的には調性感がほとんど生じない。伝統的な調性からの逸脱と言われています。

リヒャルト ワーグナー(1813-1883年)

の楽劇『トリスタンとイゾルデ』(1859年)や、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』(1894年)、シェーンベルクの『浄められた夜』(1899年)の場合も、破壊や否定の意図があったわけでなく、何らかの衝動によって豊かな表現の可能性を追究した結果、調性の拡張・簡略化が付随しました。

意図的な調性破壊の試みは、移調の限られた旋法と同じものが用いられたリスト(1811-1886年)

の『調性のないバガテル』(1885年)に始まります。作品は周知されることなく眠っていました。

本格的に調性が崩壊したのは、20世紀初頭、シェーンベルクら新ウィーン楽派の作曲家が出現した時期です。

《室内交響曲 第1番》(1906年)や《弦楽四重奏曲第2番》(1907~8年)がこの例です。

シェーンベルク

の完全な調性の放棄は、連作歌曲集『架空庭園の書』に始まり、『月に憑かれたピエロ』(1912年)においては、無調と歌唱の実験(シュプレッヒシュティンメ)とが結び付けられています。

シェーンベルクの始めた実験は、その弟子アルバン ベルク(1885-1935年)


のオペラ『ヴォツェック』(1922年)や、 
アントン ウェーベルン(1883-1945年)

の一連の器楽曲や歌曲においても受け継がれます(この3人をまとめて「新ウィーン楽派」と呼ばれています)。

シェーンベルク以外にも、アレクサンドル スクリャービン(1872-1915年)
の後期のピアノソナタ群における神秘和音の使用、クロード ドビュッシー(1862-1919年)


の『帆』(前奏曲集第1巻)における全音音階の使用など、1900年代初頭には、広い意味では無調ともいえる試みがいくつか見られます。

ベラ バルトーク(1881-1945年)

は一時期、ストラヴィンスキーの原始主義音楽とシェーンベルクの無調音楽の両方に影響を受けて、尖鋭的な音楽語法を取っていました(バレエ音楽『中国の不思議な役人』など)。

シェーンベルクが無調に到達すると、「アトーナル」(atonal[e])という言葉が盛んにその説明に使われるようになりましたが、シェーンベルクはこの言葉に、額面通りの「無調」という意 味だけでなく、「没音楽」という揶揄する含みがあることを知っていました。

このためシェーンベルクは、より即物的な「不協和音の解放」という表現を好みました。
「“無調”音楽でなく、無調“音楽”を」とも語っています。

ドイツ語で Atonalität と atonale Musik はほとんど同義ですが、後者の言い方はシェーンベルクの発想をよりいっそう尊重したものとなっています。

アーノルド シェーンベルク(1874-1951年)オーストリアハンガリー帝国ウィーン生まれ、アメリカ合衆国ロサンゼルス没

シェーンベルク(1906年)リヒャルト・ゲルストル作

《室内交響曲 第1番》
1906年に書かれました。
15人の奏者による編成で、管楽器が弦楽器の数を倍も上回ります。
これは当時の常識では考えられないほどに斬新でした。

全奏では非常に鋭い音色になるのが特徴的です。

初演時は非難の嵐でしたが、聴衆の中には新しい響きを評価する者も少なからずいて、居合わせたマーラーなどは毅然とした態度で拍手を続け、野次を飛ばす人をたしなめるあまり、喧嘩になりかけたほどでした。

もっとも、マーラーは「曲のよさはわからないが、おそらくシェーンベルクが正しいだろう」とこの帰途に妻アルマに感想を述べています。

初演は1907年2月8日にウィーンで、ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団のメンバーと、ロゼー弦楽四重奏団によって行われました。





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4 コメント

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Unknown (m-fluteangel16)
2024-11-17 00:51:33
馬骨さん、ありがとうございます✨
ヨーロッパに住んでいらっしゃるのですね。
クラシックの背景が身近に感じられていいですね。
私のブログで…恐縮です。あくまで入門編とお考えくださいね。
調性と調整、単なるダジャレです。申し訳ない🙏
マーラーの言葉、私もちょっと共感しています。でも嫌な感じでもない。情緒に訴えるというより、混沌としているようで難しい数式を解いていくような、明晰さに爽快感も感じています。
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Unknown (m-fluteangel16)
2024-11-17 00:44:30
@takan32 さん、そうなのです。楽器屋さんなので買った人には安く引き受けてくれるので、いつも一杯です。
返信する
大変勉強になります… (馬骨)
2024-11-16 04:31:38
ヨーロッパに住んでいながら、クラッシック音楽無教養を自覚する日々、しかしどうしていいのか解らない(ほぼ手遅れ)状態ながら、貴女の丁寧な調査を解りやすく読ませてくれる音楽ブログは必読であると思って拝読しています。それにしても今日のタイトル『調整と無調性』とは、『言葉フェチ』の私にはちょっと聞き捨てなぬ言葉群で、いつも以上に真剣に読み、動画で無調“音楽”を聞き、『曲のよさはわからないが、シェーンベルクが正しいだろう…』といったマーラーの言葉に妙に共感を覚え、クラッシック音楽にもこのような表現があることを知りました。今後ともよろしくお願いします。無骨より
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フルート調整 (takan32)
2024-11-15 10:59:32
久米さんへ、私のブログにいいね!をありがとうございます。
調整の依頼で1か月待ち---って、いろんな人から調整の依頼が数多く入っているんですね。
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