音楽の喜び フルートとともに

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奏しあい会

2022-12-29 09:15:00 | バロック
今日は「いつもの処」奏しあい会でした。
フルート四重奏でエルガーの「愛の挨拶」を演奏してオープン!
後はバロックからロマン派まで持ち寄りの楽譜で演奏会でした。

私は廣坂さんとクーラウのフルートグランデュオ一楽章。
今川さんのフルートと久米フルート、桶谷さんのギターで「泥棒かささぎ」
宮内さんのピアノ、今川さんのフルートと久米でドップラーの「夢遊病の女」をやりました。

今川さんと金重さんがルネッサンスフルートと木管頭部管フルートでテレマンを演奏されました。

忘年会も兼ねていて、終演後いろいろ美味しいものも食べました。
みなさん「良いお歳をお迎えください。」と別れました。

ゲオルグ フィリップ テレマン(1681-1767年)神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領マクデブルク生まれ、神聖ローマ帝国自由ハンザ都市ハンブルク没

ヴァイオリン、オルガン、ハープシコード、リコーダー、リュートが弾け、特にヴァイオリンとリコーダーについては名手てした。

フランス、イタリア、ポーランドの民俗音楽を取り入れ、舞曲を書き、ドイツ様式、ロココ様式を取り入れています。

父ハインリヒはマルチンルター派のプロテスタントの伝道師でした。

他の教科もよかったが、音楽は長足の進歩で、12歳になるまでに作曲をはじめました。
13歳で母が音楽から引き離そうとツェラーハルトに連れられました。
しかし、テレマンはそこで病気の教師に変わって作曲、指揮を行い、成功します。
20歳でライプツィヒ大学で法学を収め、22歳卒業するとポーランドのゾーラウでプロムニッツ伯爵の宮廷楽長になります。

そこでフランス風を好む伯爵に曲を提供するためにフランス音楽を独学で学び200曲をかいています。

大北方戦争(1700-1721年)で職を辞し、

アイゼナハに移りバッハと知り合い、終生友情を結びました。

1709年結婚しますが、一年で相手が亡くなります。
31歳フランクフルトなど教会と契約します。
カテリーナ教会

パウロ教会

41歳ハンブルクの音楽監督に就任します。

1730年ハンブルク

その後46年間ここで務めます。
1714年マリア カテリーナと結婚しますが、彼女は他の人と付き合っているという噂が絶えず、ギャンブルに熱中して、テレマンに莫大な負債を負わせました。

ハンブルクの商人たちがテレマンを破産から救いました。

商品取引所 1735年ハンブルク

マリアは1736年テレマンの家を出てフランクフルトの修道院でテレマンの死後亡くなりました。

テレマンの息子アンドレアスは1755年に亡くなり、その息子ゲオルグ ミヒャエルを引き取り育てます。
彼は神学者で音楽家になります。

テレマンは1762年頃から目の疾患で視力が低下し、健康も悪化しましたが、1767年呼吸器疾患で亡くなるまで作曲し続けました。

とにかく多作の作曲家です。
フルート協奏曲DdurTWV51 D1






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