ギターとチェロを演奏されるKさんが亡くなりました。
西宮ギター練習会で出会いました。
もう何年になるかな?
牧野の聴きあい会を始めた頃にあっちではチェロは弾けないからと
何度か来てくださいました。
歳をとってから始めたからとおっしゃっていましたが、ピアノの名手や、同じチェロの方をお連れくださって
力のこもった演奏をされていました。
ここ数年は私の顔をみるたびに「フルートと合奏してあげるよ。」と声をかけてくださっていたのに雑事に気を取られて果たさずじまい。
本当に残念でした。
でも、昨夜Kさんのことをいろいろ思い返していると、聴き合い会に来られた時に一度だけ持ってこられた楽譜を一緒に演奏したことがありました。
「オブリビオン」フルート、チェロ、ピアノ版
優しい笑顔で、大作では無いけれどいい音でチェロをひびかせて…その時の温かい空気。、楽しかったこと思い出しました。
お通夜に伺ったら、2020年に癌と診断されて手術をして、一度は回復されましたが再発。宣告を受けられました。
しかし、家族と一緒に最後まで過ごされていたこと、好きなことをして、一度も不機嫌になったことがなく、却って奥さまの体調を気遣われていたことなどKさんらしいエピソードを話されました。
私は最後をそんなふうに過ごせるかしら?
お通夜で会った友人たちと飲みながら思い出話をして帰宅しました。
Kさん、楽しく温かい時間をありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
アストール ピアソラ(1921−1992年)アルゼンチン マル・デル・プラタ生まれ、アルゼンチン ブエノスアイレス没
作曲の「オブリビオン」は
1984年のマルコ・ベロッキオ監督の映画『エンリコ四世』の挿入曲として作曲されました。
映画『エンリコ四世』は落馬事故で頭を打ったショックで記憶を失い、自分が皇帝エンリコ四世だと思い込んで古城で暮らす男を主人公にしたストーリー。
もともとは戯曲だったものを映画化した作品です。
マルチェロ・マストロヤンニ主演、音楽をピアソラが担当という豪華な作品でしたが、当時は日本未公開で近年までなかなか映像を見ることができませんでした。
「オブリビオン=忘却」というタイトルが物語るように、甘美なメロディながらどこかはかないこの曲は、狂気と正気が交錯するようです。
「はたして彼は本当に記憶を失っているのか?」
おおむね3・3・2のゆったりとしたミロンガ(アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南部のダンス音楽、4分の2拍子、変則的なシンコペーション、一部はタンゴ)のリズムに乗って演奏されます。
ピアソラとも共演している歌手ミルヴァの歌うフランス語の歌詞のついたバージョンも存在しています。
Astor Piazzolla
J'oublie (Oblivion)
忘却
作詞ディビット マクニクール
1982年
ビロードのシーツが
重たく感じるようになったとき
二人の愛を忘れる
夜更けのバーで聴いたメロディも
頬よせあって踊ったことも
私は忘れる
短い一夜が過ぎ去り
振り返ることなく駅で別れ
そして私は忘れる
忘れる
40代以上になると、だんだん、誰々が亡くなったというのが入ってきますね。
私も6月に同窓会をしたら、あの人、この人は---という話が出てきました。
1958年、ピアソラはそれまでの活動にマンネリを感じ、ブエノスアイレスを出てニューヨークに移住した。しかし、約束された仕事はなく、活動はまったく期待外れだった。経済的に困窮したピアソラは、食べるためにナイトクラブでタンゴダンスショーの伴奏をしていた。
1959年10月、ファン・カルロス・コーペス舞踏団とともにプエルトリコ巡業中、父親ビセンテ(愛称ノニーノ)が故郷で亡くなった知らせを受けた。しかし、ピアソラにはアルゼンチンに帰る旅費がなかった。ニューヨークに戻り、失意のなかで亡き父に捧げて作曲したのが「アディオス・ノニーノ」である。
この曲を聴くと、ピアソラにとって父の死は何よりも衝撃的だったのではないかと思うかもしれません。
衝撃的で激しい曲です。
お別れは誰でもいつかはと思うのですが、やはり寂しいし、なにがしかの悔いは残りますね。
有名な曲ですね。
情報ありがとうございます🙇