今年初の子育てサロンでした。
みんなで福笑いをしました。
みんなで福笑いをしました。
お母さんたちは目隠しをしておかめ ひょっとこを、子どもたちはアンパンマンやドキンちゃんを作って大騒ぎ。
初春から大笑いしました!
リヒャルト・ワーグナー(1813-1883年)ザクセン王国ライプツィヒ生まれ、イタリア王国ヴェネツィア没
警察官で下級官吏の息子として生まれますが、父は生後すぐに亡くなり母はユダヤ人俳優ルードウィヒ ガイヤーと再婚します。
ライプツィヒ大学を中退。
ヴェルツブルクの市立歌劇場の合唱指揮者になりますが、貧困にあえぎます。
1834年マグデブルグのベートマン歌劇場の指揮者になりミンナ プラーナーと出会います。
1836年ミンナと結婚した年、劇場が解散し、ミンナについてケーニヒスブルクに移ります。
ミンナは浮気をして、それを追って
ドレスデン、ラトビアとワーグナーも移ります。
借金もあり、二人でロンドンに密航しました。大荒れになり、
この時の経験が楽劇「さまよえるオランダ人」の原型になったと言われています。
1844年作曲「さまよえるオランダ人」は呪いを受け、乙女の愛を受けなければ永遠に海をさまよわなくてはならない運命の幽霊船の船長が、乙女ゼンダの犠牲によって呪いから開放され、昇天する。というシリアスなロマン派歌劇の名作です。
この曲をベースに作曲したのが
パウル ヒンデミット(1894-1963年)フランクフルト ハーナウ近郊生まれ、フランクフルト アンマイン没
父は職人、母はメード
9歳からヴァイオリンを学び、15歳でホーホ音楽院で奨学金を受け取りながら作曲法と指揮を学びます。
20歳でフランクフルト歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就任。
1915年第一次世界大戦で父が戦死。
1917年徴兵され、連隊軍楽隊員となります。
1918年フランクフルトに帰還。
アマール ヒンデミット弦楽四重奏団
右から二人目
を結成し、ヴィオラ奏者として活動します。
を結成し、ヴィオラ奏者として活動します。
1924年結婚。
そして翌年、
1925年「朝7時に湯治場で、二流のオーケストラによって初見で演奏された《さまよえるオランダ人》序曲」
を書いています。
途中で調性も変わり、ワルトトイフェルの「スケーターズワルツ」まで登場する極上の冗談。わかるかなぁ?
こちらは原曲のワーグナーの「さまよえるオランダ人」序曲
こちらは朝7時に湯治場で二流のオーケストラにより初見で演奏された《さまよえるオランダ人》序曲
二流どころか演奏するのは大変実力がいります。
笑い声が聞こえてきそうです。
今年も頑張りましょう!!
すごいですね。
YouTubeに出ていた 森昌子さんの ものまね10連発で 昌子さんが 浅田美代子さんの微妙な音の外し方まで ほぼ 完璧に まねていたことを 思い出しました。
失礼な コメント お許しください。
今年も頑張る力が湧いてきました!
森昌子さん、上手い人ですね。
ものまね見ていないですが、真似する人の技量以上ないと真似は難しいですね。
おもしろいですね!
さまよえるオランダ人はびわ湖ホールで見たことがあります。2016年3月でした。沼尻竜典の指揮でした。毎年3月にびわ湖ホールでワーグナーのオペラを沼尻竜典の指揮で公演があります。ほぼ毎年行っています。
「さまよえるオランダ人」が真面目で壮大なオペラダカラコソ成り立つ笑いですね!
オペラも聞きにいかれたのですね!