久しぶりに栗東の長男宅に行きました。
強い風の中に鴨が波間に。
ジャン シベリウス(1865-1957年)
フィンランド大公国ハメ州ハメーンリンナ生まれ、フィンランドウーシマー州ヤルヴェンパー没
の交響曲第3番はアイノラに転居してから書かれています。
ところがシベリウスは暴飲暴食に耽けるようになります。
アイノラの書斎
帰りに琵琶湖を拝みました。
比良山に雪が見えました。
強い風の中に鴨が波間に。
長男に野菜を食べさせ、冷蔵庫に野菜を貯めて帰りました。
ジャン シベリウス(1865-1957年)
フィンランド大公国ハメ州ハメーンリンナ生まれ、フィンランドウーシマー州ヤルヴェンパー没
の交響曲第3番はアイノラに転居してから書かれています。
医師の息子として生まれたシベリウス、3歳で父が亡くなり、母方の祖母の家で育ちます。
叔父がヴァイオリン、叔母がピアノを与え音楽に才能を見せます。
姉のピアノや弟チェロ、シベリウスのヴァイオリンでトリオを演奏したりもしました。
83年18歳にはトリオを作曲しています。
ヘルシンキ大学法学部に入りますが、音楽への興味に気づき、ヘルシンキ音楽院(現シベリウス音楽院)に転入します。
卒業後、ウィーン、ベルリンなどで研鑽を積み「クレルヴォ交響曲」を発表し大成功します。
イタリア、イギリス、フランスで作曲、指揮しています。
1892年アイノ ヤイフェルトと結婚。
カレリアに旅行し、その後の作曲のインスピレーションを得ます。
子どもが生まれ、「フィンランディア」を作曲し、人気が不動になります。
アイノラに家を建て転居します。
ところがシベリウスは暴飲暴食に耽けるようになります。
莫大な金額をシャンパンとロブスターにかけました。
結果アイノは極端な疲労で施設に入所し治療しなくてはいけなくなります。
シベリウスはアイノの入院中に反省し、禁酒を決意します。
そして交響曲第3番の作曲に意識を集中させます。
アイノラの書斎
またこの頃、喉の癌が発覚。
飲酒と、喫煙は命に関わることになりました。
アイノラとも呼ばれるこの交響曲はシベリウスの転機を暗示しています。
歩いてすぐのトゥースラ湖の景色をシベリウスは気に入っていたとか
昔、出張で金沢に向かう際に湖西線の特急から琵琶湖を眺めました。鴨も寒そうですね。
金沢へ向かう途中に琵琶湖!
旅って感じですね。
この日は風が強くて鴨さんも本当に寒そうでした。