禅僧が座禅を組むのは、自分の感覚を取り戻すため。
自分の中に問いを出して、楽しんでいないと眠ってしまいます。
赤ちゃんの頃には、みんなしていたことです。
イスラム教では、食事をする時も、沈黙して食べます。
自分の感覚に意識を集中できます。砂漠の民は、厳しい環境におかれていて、病めば、即、死ぬと言う状況でした。自分の感覚を研ぎ澄ましておかなくてはなりません。凄い知恵だと思います。
花粉症で困っている話をしたら、
どうして薬を飲まないのか?
漢方主義、西洋医学主義、自然療法主義みんな大変です。
睡眠が不足しているとずっと言い続けている人がいます。眠れなくても時間までじっと身体を休めて、元気でいれば、それで良いのに、ずっとそう言いながら生きています。それならば、睡眠薬を飲めば良いのにしない。
病いを抱えて愚痴りながら、生きると言うことを選んでいるように思えます。
薬を飲めば、症状が出ない場合の自分の身体の機能がわかります。
一日飲んでやめてみても良いし、
そのことばかり、ずっと考えて生きるくらいなら、薬をのめばいいのに。
主義のある人は、違う見方をいれれば、自分がのっとられるとか、殺されるくらいに思っているかもしれない。
それが本当に命に繋がる場合はほんの少しで、大体は非科学的。
その時だけ、違う方法を取ってみたところで、 それになってしまうわけではない。
日常の生活におけるバランス、多様性ということだと思います。
今日も目からうろこ。
自分の中でグルグル回っているだけでは、気付けないことばかり。
これだから、おもしろい。
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