音楽の喜び フルートとともに

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ソーダ水の頃

2023-10-20 21:01:00 | 古典
木曜朝は塚口のt-raumでハープのレッスンでした。

阪急電車と

近松門左衛門の赤硯を作っていた町。
t-raumの猫さんとは今日も会えず。
ちょっと寂しく…。
やっぱりねこ好きな先生も、「いい気候になってきたから、日向ぼっこしててもいいのにね。」って寂しそう。

レッスン後は梅田のいつものパン屋さんで1人ランチ。

前はなかったソーダ水が。

久しぶりに頼みました。
大学生の頃、叔父が教えている中学校のブラバンの子たちにフルートを教えてと頼まれました。
「お礼に美味しいコーヒーを入れてあげる。」と、音楽準備室のミキサーで豆を挽いてアルコールランプで温めたお湯でコーヒーを入れてくれましたが、「コーヒー苦いからいやや。クリームソーダがいい!」とわがまま。

叔父は駅前の喫茶店でクリームソーダをごちそうしてくれました。
フルートを教えて何かを貰う。初めての経験でした。
大好きな叔父に頼られたのがうれしかった。

炭酸水は炭酸ガスを含む水のことで、ソーダ水、ソーダと言われます。
湧き水や、温泉で産出しミネラルウォーターとして飲料されます。

初めの炭酸水はレモネード(レモンの果汁にはちみつやシロップ、砂糖などで味をつけ冷水で割ったもの。)

に重曹(炭酸水素ナトリウム)を加えたものだそうです。
重曹とレモン果汁に含まれるクエン酸の化学反応で炭酸ガスが発生します。

1769年 ジョゼフ プリーストリー(1733〜1804年)


が、イングランド リーズにある醸造所でビールの大桶の上に、水が入ったボールを吊るしておくと水に二酸化炭素が溶け込むことを発見し、炭酸水を発明しました。

1771年 スウェーデンの化学者トルビョルン ベリマン


も独自に炭酸水を生成する方法を発見します。

マジャル人のイェドリク アーニョシユ(1800〜1895年)
がソーダ水の大量生産を法を発明し、ハンガリーのブダペストに、世界初の炭酸水工場を建設し、ヨーロッパ中に広がりました。

1800年代後期には重曹を用いたソーダサイフォンが家庭にまで普及していました。

1920年代のソーダサイフォン

1889年、日本に定住していたクリフォード ウィルキンソン


が、兵庫県有田郡塩瀬村生瀬(現在の西宮市塩瀬町生瀬)で、天然の炭酸鉱泉を発見し、ウィルキンソンのタンサンとして国内外の27地域で販売し始めました。

ソーダが発見された1769年というと、ハイドンが交響曲第26番をおそらく作曲しただろうと言う年です。
はっきりはしていません。

ヨーゼフ ハイドン(1732-1809年)神聖ローマ帝国下オーストリア大公国生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

のいわゆる「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)期」にあたり、乗り切ってどんどん曲を書いていた時期です。
その頃、仕えていたエステルハージ家では演奏されていず、教会からの依頼で書かれたと言われています。

「受難と哀歌」assio et lamentatioと呼ばれています。

第1楽章アレグロ アッサイ コン スピリートにはグレゴリオ聖歌の受難コラールが使われています。

第2楽章にはグレゴリオ聖歌のエレミヤの哀歌「インピチト ラメンタチオ」哀歌が始まるという旋律が使われています。

第3楽章はメヌエット。カノン方式が使われています。





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