夾竹桃は、私にとって特別な花です。これは白い花ですが、特にピンク。我が母校の小学校で、生垣代わりにぐるりを取り囲んでいました。同じように学校を囲んでいた川は野放図な頃で、下水や、工場廃水でガスがぼこぼこ浮かぶ、どすぐろいどぶ川でした。そこで夾竹桃は毎年、濃いピンクの花を一斉に咲かせ、甘い香りをただよわせ、それはけなげで、見事でした。
その頃は、光化学スモッグもひどく、夾竹桃とポプラは、公害に強いと言う理由で、街路樹や、学校に植えられていると聴きました。
もう何十年もたったのに、夾竹桃を見ると、汚くてくさいどぶ川と、小学校がセットで思い浮かんできます。
最近母校を訪れると、校庭そのものと、後、一棟を残して全て様変わり。ぐるりのどぶ川は暗渠になっていたのが、さらに埋められて道路に、夾竹桃は度重なる改築のせいか、数本を残してなくなっていました。校門は堅く閉じられ、高い壁、監視カメラと、監視小屋、守衛さん、そして青パトがありました。私の後輩たちはこういう光景をおもいだすのでしょうね。
学校も時代を映しているようです。
当時は音楽の時間と言えばクラッシックと唱歌。バッハ、ヘンデル、モーツアルトの絵が音楽室には貼ってあり、リコーダーでバッハのメヌエットなんかをデュエットで吹きました。家業のお琴を弾いたり、オルガンを叔父に習ったり、少年少女合唱団に入ったり、音楽クラブに入って木琴を叩いたり。幼児期、児童期、思春期いろいろやりましたが、習ったものは全て、続けませんでした。
唯一つかんだのは、フルートだけ。思えば、リコーダーを吹いたのが楽しかったのと、「かりぼしきり歌」というのが宿題で出て、今でもなぜ6年で?と思うほど、こぶしを音符で拾ったような難しい曲でした。期日の前日まで忘れていて、吹こうとしたら、吹けないので、あせって練習してふけないのにいやだなあ。と思いながら、音楽の授業になったら、ほとんどの人が吹けない。お互いに点数をつけると言う評価の仕方で、いつも満点の優等生のGさんの次によい評価。・・・これが誤解の始まり?
たったそれだけの自信がついた思い出で、高校に入って迷わずブラスバンドにいって、笛=フルートを選んでしまいました。やれば出来るような気がしたんです。
自信っておもしろい。人に何かを教えるって、これにつきるかも。自らやっていける。自分で進む力を引き出す。そのことが大切。音楽教育もそうありたいです。
嫌いな人はごめんなさい。飛ばしてください。いよいよ大きくなってきたあしながばちの巣をやっと駆除しました。空になった蜂の巣夫が刺され、ついに殺虫剤で・・・ごめんなさい。
リムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」と言う曲がありますが、足長蜂は、刺されても大したことはないとは言え、やっぱり怖いです。あの曲は、一匹だけなのかも。集団で来られたらあんな余裕はない。
フルートで吹いている人もいますが、あんまり感じがでません。以前、ユーフォニウムで演奏されたのを聞いたら、野太い音がほんとに熊蜂のようでした。表現に限界は無いし、チャレンジしてこそ幅が広がるというもの、どんどんトライしたい。とは言っても、やっぱり楽器の得意はありますね。
今日は、ヘルマンハープの星のパレットさんと楽譜合わせ。ヘルマンハープ3本とフルート用に作成した楽譜を実際に音を出して確かめました。
頭の中で書いただけで、楽器の音がリアルに浮かぶ人がいますが、私はそうは行きません。しかも音のバランスが難しい。自分の耳元の音ではなく、離れたところにレコーダーを置いて、何度も聴いてみなくてはいけません。
今日やってみていろいろ発見がありました。撥弦なので、フルートとすると、聴こえなくなるということはありませんが、オブリガートが旋律を食ってしまうことが判明。何箇所かまだ検討が必要です。
意外や、フルートの低音をベースに使うのも結構きれい。逆に得意の高音域は、要注意。使いどころを間違えるとうるさくなってしまいます。
バロック時代のヴィオラダガンバのような使い方を発見。残響が課題ですが、弾いた指で消音しながらリズムをとるのがいいみたい。フルートはリーコーダーのように使うので、ヴィブラート無しで中音域以下で演奏します。これは結構いけます。
後は曲によって、もう少し、表現方法をダイナミックに変えてもいいような気がします。特に、リズミカルな曲が課題ですね。どうしても残響が多い。フルートもあまりはきはきした楽器ではないので、相乗効果で冗漫になりがちです。もう少し編曲の工夫が必要かな。
またみんなで考えよう。困難なほど、燃えますね。なんパターンか考えて、音を出してみて、足したり引いたり、実験、実験。これが終わったらすごい能力とキャパができてそう。ワクワク
今日は柴田孝治郎 竹中裕深 サマーコンサート「爽籟に流れる心とチェロとフルートと」を聴きに行ってきました。
I部は、「ヘンデルのソナタ ト長調 op.1-5」 と「バッハのソナタ ト短調 BWV1020」ですが、堅苦しいと思われがちなプログラムですが、柴田先生はダンスリールネッサンス合奏団で長くヨーロッパを演奏して回られただけあって、歌と踊りの要素が強く出ていて、当時の宮廷音楽であった納得の軽やかでさわやかな解釈で、聴いていても楽しく、癒されました。
野田暉行編曲の「椰子の実」と、「赤とんぼ」はピアノが美しい。複雑なカデンツァ、転調して郷愁の世界を表現していますが、柴田先生の豊かな調性感覚と幅広い表現が本当に夢のように美しい独特の世界感でした。平石さんのピアノとのアンサンブルもよかったです。
柴田先生作曲の「丘照之夏」フルート、チェロ、ピアノ4手の為のファンタジーは、小節線が無く、コード進行も無いという曲ですが、奇をてらったり、深刻になりがちな現代音楽の手法に反して、いかにも先生らしく、さわやかなわかりやすいメロディーが、夏の丘のに吹くさわやかな風の中に浮かび上がってくるような不思議に心地よい音楽でした。
チェロの竹中さんの演奏も、繊細で落ち着いていて、聴きやすかったです。本多さんとのアンサンブルも息があっていてよかったです。ピアソラはあまり聴いていないので、目線が変って楽しかったです。
バッハとピアソラってなかなかあうもんだとおもいました。
お盆休みの終わりに、コンサートに行く。お祭り騒ぎのレジャー、親戚付合いの生々しい人間関係とは、全く違ったゆったりとした、贅沢な時間を過ごすことができて、本当に爽やかな気分で明日からまた動くことが出来そうです。音楽の力って偉大です。
今日は風がなんだか昨日と違うと思ったら、台風が近づいていたんですね。あちこちで大雨を記録していて心配です。明日はこの辺りでも雨かな?
サウンドオブミュージックをヘルマンハープとフルートでやれるように編曲しようと、参考に音源をyou tubeで探していたら、出てくるわ、出てくるわ。舞台、ポップス、クラッシック、ドイツ、スウェーデン、アメリカ、たくさんのヴァージョンが…本当に、この曲は世界中の人々にジャンルを越えて愛されているんですね。
懐メロのように思っていたけれど、今も生きている曲であることを発見・・・て知らなかったのは私だけ?私もうすうすはそうだろうと思っていましたが、いや、これほどとは。
大切に演奏しなければ。
サウンド・オブ・ミュージックはオスカー・ハマースタイン2世作詞、リチャード・ロジャース作曲により1959年に創られたのミュージカルの金字塔です。リチャード・ロジャースはオクラホマ、回転木馬、南太平洋、王様と私などを作曲し、一時代を画しました。
マリア・フォン・トラップの自伝を元に創作されましたが、7人の子どもたちとの楽しい交流、貴族と、孤児の元修道女の家庭教師との結婚。ナチスからの逃亡。など、事実に基づいていることもありますが、経済的に破綻し、「トラップ聖歌隊」と言う名前でアメリカに渡る前からヨーロッパを回ったこと。夫のゲオルグは歌わなかったこともあります。歌は、始めはトラップ聖歌隊と言う名前で賛美歌ばかりを歌っていて、アメリカに渡って興行主にいわれて、他の曲も歌うようになりました。服装を派手に変えるだけでもマリアと子どもたちは抵抗があったそうです。
私が印象に残っているのは、マリアが結婚する時身分違い、年齢違い46歳と20歳なので、城の雇われ人たちから、出来ちゃった婚だと思われていたこと。7人の子どもたちはとてもいい子たちで、優秀だったのに、アメリカに渡って生まれたマリアとゲオルグの実子3人はわがままで困ったとマリアが書いていることなどです。
夫は1947年には亡くなり、その後もマリアは苦労しています。ミュージカルも版権を売り渡してしまい、映画の収入も経済を支えられなかったそうです。自伝と、興行収入でなんとかしのいでいたそうです。
ハリーポッターのローリングもそうですが、子どもを抱えたシングルの母親の力は、時には世界を変えることもあるような気がします。子どもの幸せ、子どもの笑顔が、母親が世界のポジティブな力を信じることを支え、暖かな作品を生み出させ、多くの人に、人を信じることや、前向きに生きることの価値を伝え続けているような気がします。
マリアは1987年に亡くなりましたが、最後はバーモント州ストウに住み、自給自足のつつましい生活を送っていたそうです。派手なことを好まず、子どもたちを愛した彼女らしい生活を送って生涯を終えたと私は思っています。
今日は、暑気払いのランチ&勉強会をしました。部屋を借りて、ピアノの先生をしている友人のSさんに、無理を言ってきてもらい、簡単なお食事を用意して、食べたり、しゃべったり、演奏したり。
今日は、デュエットを中心にSさんの伴奏で、モーツアルトのコシファンテュッテのデュオに始まり、カルメンの間奏曲、バッハの主よ人の望みの喜びよ、滝廉太郎の花、ふるさとを全部デュオで吹きまくりました。
1stと2ndを交代したりして、3時間ほど。ソロで、モーツアルトのアンダンテと、サザンのTSUNAMI。
TSUNAMIは、フルート暦十年になるEさんが私のところに学びに来てまだ半年、フルートを初めた頃、発表会で演奏した曲です。Eさんがその時は難しすぎて演奏できなかった間奏部分も、今回はばっちりと吹ききって、本当に感動しました。
今日のメンバーは、私を入れて4人。
「今更演奏家になるつもりはないんです。」というEさんの本職は看護士さん。忙しい仕事の合間を縫って、いろんな環境の変化にもめげずに通い続けてくれました。三人の子どもさんを育て上げ、お母さんの介護、今年春にはお孫さんも生まれて、人生では、先輩のEさんからいろんなことを学ばせていただいています。
そのEさんのデュエットのお相手、Kさんはライターでその知識の幅広さには、毎回びっくりしてしまいます。日本全国を飛び回り、紀行文や、食について書いておられて、私が知らないことをいつも教えてもらっています。
ピアニストのSさんとも10年少しになりますか。ピアノはもちろん、いろんなお悩み、相談ごとを聴き合いっ子し、CAPの活動の一緒にしています。音楽であそぼう!のパートナーでもあります。私の無理無体、困ったこと何でも受け止めてもらっています。今日も、ピアノをランチ代で演奏してもらった上に、買出しも一緒に行って貰いました。本当にいつもありがとうございます。
最後はフルート三重奏でアイネ クライネ ナハトムジークの2楽章と、ウェルナーの野ばらを演奏しました。トリオも、とてもいい感じになってきました。、このハーモニーは一朝一夕にできたものではなく、年々、段々とつちかってきた今だから出来てきた音だし、やっぱりS先生から学んだ音がします。同門であるから出てきた音だと思います。うまいとか下手はあるかもしれませんが、アンサンブルとして、とても気持ちよかった。そして、こんな私からもしっかりと学び、自分の演奏を育てて行ってくれていること、そのことに感動しました。
今日来られなかった生徒さんたちも、S先生から学んだ一粒の種でもきっと持ち帰ってくれているんだと、信じることが出来た一日でした。本当にみんなに感謝です。
これは日本の森ですが、クラッシック音楽で森といえば、まず、ドイツのシュヴァルツバルト(黒い森)を思い浮かびます。日本の森にズンダラボウや、風の又三郎、龍の小太郎、雪女がいるように、ドイツの森にも小人や、妖精がいます。この黒い森の奥、ドナウ川を舞台にした音楽と言えば水の妖精のお話。「ウンディーネ」があります。
「ウンディーネ」は1811年フーケーの創作ですが、発表されるや、数ヶ国語に翻訳され、画家や作曲家に取り上げられたりしました。ホフマンはオペラをドビュッシーや、ラベルもウンディーネをテーマに曲を書いています。そしてもちろんフルートもピアノとのデュオ、ライネッケの「ウンディーネ」があります。又戯曲はジャン・ジロドゥにより、日本でも「オンディーヌ」と言う発音で、劇団四季により何度も再演されています。
フーケーは音楽16世紀の古い文献を参考にしたそうですが、魂のない水の精 ウンディーネと人間の男との恋。妻となって初めて魂を得ますが、もし妻となった女を男が水の上で罵れば、女は水底の国に帰らなければなりません。そして、その男が他の女と結婚する時、水の娘は再び地にあらわれて、夫を殺すことがさだめられています。
湖にすむ老いた漁夫のところに騎士が迷い込んでくるところから、お話が始まりますが、その漁夫が住む土地は美しいにもかかわらず、他に一人として住む者がいなかった。というのは、背後に、鬱蒼とした森を控えているからである。陽の一筋射すことなく、路らしい路の一筋もまたない森はいくつもの恐ろしげなうわさをまといつかせていた。…とあります。その騎士フルトブラントは黒い森のそばの城に住んでいます。森に引き返すのも湖を渡ることもできず、漁夫に一夜の宿を借ります。
そこにすむ養い娘が「ウンディーネ」彼女は漁夫が実子を亡くした翌日、どこからかやってきたのでした。ウンディーネに恋をしたフルトブランとは彼女を城に連れ帰りますが、森の中では純粋に見えた彼女の美点は、城の中、人の世界では無知に見え、もう一人の人間の女ベルダルダとの確執もあり、ついにドナウ川の上で、フルトブラントはウンディーネを罵ってしまいます。ウンディーネは水に帰り、残されたフルトブラントは寂しさに耐え切れず、ベルダルダと結婚することにします。婚礼の日、水を避け続けたにもかかわらず、水柱の中からウンディーネが現れ、騎士は彼女をかき抱き、口づけし息絶えます。
ウンディーネは「あの人を涙で殺しました」と告げ、去ります。
*参照、引用 ウンディーネ M・フーケー 新書館
ドイツの深く暗い森と、ドナウ川の緑の流れはそういうお話を生んだとしても不思議ではありません。
バカな浮気男と、能力のある女。それを社会的に発揮しないで、取り殺す女…を描いたお話としてみれば日本ではお岩さんか安鎮清姫?でも、ドイツのそれはなんて美しいのでしょう。力を持つ女は化けものか妖精という時代のお話です。男と女と見るとこの曲の表現を現代に演奏する時は引っかかってしまう人もいるかもしれません。これは人間のもっている原初の力と、システム化した合理主義とのせめぎあいと考えた方がよいのかもしれません。
閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声
今年はセミが少ならしいですが、やっぱり私の近所ではたくさんのセミの声が聞こえています。この写真はクマゼミですが、芭蕉がこの句を読んだ時、どの種類の蝉の声を聞いたのか、論争になったことがあるそうです。昭和2年、斉藤茂吉がアブラゼミだと言えば、ドイツ文学者の小宮豊隆がニイニイゼミであると主張しました。結局芭蕉が訪れた7月13日。山形市、立石寺辺りで鳴いているセミはニイニイゼミと、多少ヒグラシであることがわかり、茂吉は自説を撤回したと言ういきさつがあるそうです。
しかし、芭蕉は句を舌の上で千回転がして、句を考える人。弟子の曽良がつけていた日記による事実とは違う創作…句を生かすためにいろいろと創作や細工を巡らしていたことがわかっています。
儚い命を思わせる蝉と、岩にしみ入らんばかりの命がけの鳴き声。懸命で、耳を圧するほどのセミの鳴き声そして、それを閑けさと表現している。といえば、やっぱり、アブラゼミかと思うのですが、芭蕉にしてみれば、この句のテーマである命の儚さが伝わることが重要で、蝉の種類はどうでも良かったような気もします。そして日本の夏を体験してきた人なら、ほとんどの人がその声と、生と死がイメージできた。そういうことが大切だったのではないかと思います。
こういう感性は、その土地の自然と強く結びついています。
だからと言って他の土地の人に、そういう感性が無いと言うわけではなく、ヨーロッパは緯度が高いので、虫が日本に比べて少ないですが、命の儚さを暗示する虫はいます。蝉ではなくて蝶だそうです。死に行く騎士のそばに蝶を描いたりしています。蝉と蝶では絶対に違う。その違いはとても大切で絶対に一緒にはなりません。しかし、その違うけれど、心としてはわかるような気がする。私たち日本の音楽ではなく、西洋音楽を学ぶものは、そこの違うけれど、同じというところを、繊細に大胆に追求して行くところが、興味深く、おもしろいのだと思います。
また海にきてしまいました。大鳴門橋のすぐ近くの鳴門海水浴場、今日であったのはピンクの鯛とシマアジ、鯛のことを言うと、みんなに「何で獲らない!」とつっこまれました泳いだ後は吉野川天然温泉で露天風呂と塩サウナパーキングエリアの観覧車、橋も映したけど携帯では無理みたい明石海峡大橋、ぎりぎりかなこれは近影、携帯では限界日帰りで行くにはちょうどいい感じです。徳島は今日から阿波踊り。見ないで帰ってきましたが、祭りの準備があちこちでされていました。阿波踊りのリズムは、ドボルザークのソナチネ4楽章に出てくる付点のリズム。
私はお祭り大好き。コンサートもお祭りのようなものかもしれません。私はこう見えて祭り好き。小学生のころは、子ども会の盆踊りは最後までおどって、ヨーヨーとか、アイスキャンデーをもらいました。大学生の頃は、友達に頼んで、地元民でもないのに、だんじりを曳きに3年も通いました。だんじりはオルフの「カルミナ・ブラーナ」か、ストラビンスキーの「春の祭典」って感じですが。お祭りに行くと、人の力を感じます。お祭りの間は争いも中止し、仕事も中断。全て棚の上にあげて、協力してお祭りを楽しむことが一番の優先事項になります。音楽もそのために使われます。
しかし現代の世界のお祭りオリンピックの開会式でプーチン氏があの美しい花火を見ながら、戦争をしていたなんて、誰が想像したでしょう?祭りをしながら戦う。主催国は少数民族を弾圧をする。この理念との乖離を世界中が赦す社会は、私にはもう絶望的に病んでいるとしか思えない。国連が有効に動くといいのですが…。
立葵はピンクの花もきれいです。暑い夏も涼やかに咲いています。
今日はゴーヤを頂いて、料理をしました。子どもたちは「苦い、苦い。」と言って食べないので、苦味抜きの方法をネットでいろいろ検索して作ってみました。塩をして30分、水にさらして20分。その上、茹でてそれから炒めました。ソーメンとゴーヤ、ニラと豚ミンチでソーメンチャンプル私風。
下の息子はやっぱりゴーヤを一つ一つ取り除いて、で、「苦いから飲み込む」と言って半分くらいはがんばって食べました。上の息子は、沖縄産唐辛子油をドバッとかけて「かけ過ぎた~」と言いながらぺろりと食べました。苦味抜き4分の1 成功
音楽にも苦味が聞いているものがあります。この苦味を味わうか、避けるかで、ずいぶん音楽ライフが違ってきます。
不協和音は音楽の苦味と言えるでしょう。ドビュッシー、フォーレ近代作曲家の音楽ではその苦味が色彩をより豊かなものにしています。
サンカンのソナタになると、和音だけでなく、フラッタータンギングを使ったり、変拍子を使ったり、苦味感は一層増します。そのおかげか苦味の後の、甘みというべき、メロディーが別世界の音楽のように美しく感じられます。
イベールのフルートコンチェルトの一楽章はプチプチイボイボのゴーヤのような、苦みばしった力技の後、二楽章の澄み切った美しくも悲しいメロディーが、本当に生きてきます。
一度、味わってしまうと、それ無しではすまされないほど。叩けよさらば、得られん。ぜひ、挑戦してみてください。
普段、私はかぼちゃが植物で、土の上になっていることを、忘れています。
若いかぼちゃはつやつやなんだか、めでたい。こういう光景をみせてもらうと、かぼちゃを食べられるのがうれしいです。根っこがつながった感じがします。
フルート演奏の根っこは私たちの心と体。
心は体がどうであれ、生き生きしたり、沈んだりするものですが、やっぱり何らかの影響は与え合っています。
私はスポーツらしいことはしないし、野球のことはあまり詳しくないのですが、イチロー選手のことはよくレッスンで使わせてもらっています。
どうかというと、イチロー選手はバッターボックスに立った時、必ず地面にしっかりと根付かせるように、足の裏を地面にこすり付けるようにグイッグイッと動かします。足はしっかりと立ち、上半身は柔軟。
これをフルートを吹く時に、同じようにやってみるように提案します。すると、どの人も例外なく、音が全く変ります。
音に根っこが生える…とでも言うのでしょうか。
大地に根を張ることの大切さを、生徒さんの演奏によって、いつも目の当たりにします。
この前のレッスンの時、Kさんがイルカは人と同じくらい頭がいいけれど、手が使えない体なので、それ以上発達できなかった。と言う話をしてくれました。
人間は手があるので、物をつかみ、使い、作る事ができ、文明を生み出した。ということだそうです。
確かに体の形状は私たちにいろいろな制約や、枠を与えています。
でも、そればっかりではないと言うことも言っておかないといけないと思います。
人間の体は不完全で弱い。厚い毛皮もないし、鋭い爪も、発達した牙、すばやく動ける足も無い。
それを補うためにいろいろな発達をしなければ生き残れなかったと言う側面もあると思います。
困難な枠はそれを突破したい。音楽をやりたい、表現したいと言う心、乗り越えることが大切なのではなく、チャレンジし、立ち向かい、誰かに伝えたいという心を持つことが人として完璧で美しいのだと思います。また、音楽とかフルートとか言う枠を超えた共感はそこにあるのだと思います。