音楽の喜び フルートとともに

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暴力

2009-10-11 20:35:50 | 子ども

唐辛子は本当にかわいい赤色です。鉄分が多いと、緑や、赤が濃くなります。唐辛子類には鉄分がたくさん含まれています。肉、魚を食べられなかった息子の鉄分補給にありがたい植物でした。もちろん、食べたのは緑の方です。
茄子と味噌の炒め煮とか、網で焼いただけのとか。

実は、金曜日に児童会に行って怪我をしました。
子どもが投げた乾燥して固くなった泥団子が、右耳と後頭部に直撃。
右耳と首の内出血と裂傷。右耳が腫れて大きくなっています。
すぐに病院に行きCTとレントゲンを撮って、脳内は大丈夫でした。

子どもに危険行為をやめさせられないのは、大人の責任です。
そのことがずっと私の心に重くのしかかっています。
「もうしない。」約束しても約束しても繰り返される暴力行為。
私だけではなく、他の大人、子ども同士。口を利いても利かなくても、腹が立っても立たなくても、楽しくても、楽しくなくても、関係があってもなくても、殴る蹴る。

「ごめん、ごめんやで。もうせーへんから、お父さんには言わんといて。」
「わざとじゃないねん。」
何の苛立ちもなく、おもしろがって、無邪気に、ただ、人が立っているところに向かって団子を投げただけ。「もう絶対せーへんから。」

このような、暴力にどう立ち向かったらいいのだろう?

私達は、彼が4年になると、去っていける。けれど、彼はその自分と一生つきあい続けなくてはならないのです。
心が痛い。


音楽であそぼう!10月

2009-10-10 20:28:15 | 音楽で遊ぼう

今日は寒かったけれど、朝顔はまだ元気。

「音楽であそぼう!」10月。お久しぶりです。
「この曲は何の曲?」フルートとピアノで「あかとんぼ」を演奏しました。
「わかった人?」
「知らない。」
「赤とんぼって知らない?」
「うん。」
「1年生は知らないかも。えっ。5年生になっても習わないの?」
「うん。」
「そうなんだ。」

「秋って聞いたら何を思い出す?」
「食べるものは?」
梨、くり、さんま、なす、りんご、きのこ
「山は?」
紅葉、もみじ
「行事は?」
お祭り、〇〇祭(学校のお祭り)、運動会
「夜になったら聞こえてくるのは?」
こおろぎ、すずむし、まつむし、きりぎりす

「というわけで、今日は、虫の声をベルでやります。」
虫の声の曲も歌もみんな知っています。よかった。

みんなで歌って、それから、虫の声に出てくる虫の写真を見てもらいました。男の子は熱心に見ていたけれど、「虫嫌い。虫なんか見たくない。」と女の子は部屋の隅に行ってしまいました。
無理強いをしないのが「音楽であそぼう」

次にどのベルを誰がするのか、決めてもらいます。今日は一年生の女の子がやりたいベルをとり、年上の子ども達が譲ってくれました。
今日の子ども達は、真剣そのもの。疲れないかとこちらが心配になるくらい。「次にうつろうか?」といっても、何度も何度も出来るまで繰り返し、最後には完璧な虫の声ができました。

後は、音楽室の好きな楽器を使って、虫の声を合奏します。
今日は、リコーダー、木琴、ビブラホーンなど、音階がある楽器を選びました。
「練習時間10分」を、私達が何もしなくても、どんどん練習してくれました。
「時間になったから、合奏しましょう。」と言うと
「待って、もうちょっと練習したい。」今日の子ども達は、本当に練習熱心です。
「わかった。じゃあ、あと2分ね。」
時間、目一杯まで練習した後、合奏しました。もちろん、上出来。

「『音楽で遊ぼう』の時間は後、3分だけど、楽器を変えてやってみる?」というと、「うん。」
と走って、楽器を変えてまた演奏。木琴の人が鉄琴に移ったりだけれど、子どもって枠がわかっていれば、限られた中で、最高のものを出してくれます。

信じられますか?
1年から5年まで、3分で全員楽器を変えて、ちゃんと2回合奏してくれました。今日来た子達は、音楽教室とか、ピアノとか別に行って
ない子ども達です。
これだから、やめられない。子ども達は人間の無限の可能性を信じさせてくれます。


女の加害性

2009-10-09 22:04:56 | 哲学

露草の一種?調べたけれど、わかりませんでした。

テレビを見ていると、NHKのアーカイブス「あの人に会いたい」で随筆家岡部伊都子さんの映像が流れていました。
戦時中恋人を戦地に送った岡部さんが、「死にたくない。」と言う彼に「私だったら、国のために死ねる。」と言ったそうです。その後、戦地で彼は死に、その傷が彼女に女の加害性を気づかせることになったのでした。

一番ドキッとしたのは「女は戦争の被害者のように思っているけれど、違うんです。戦争をとめなかった。万歳といって旗振って戦争に加担したんです。」と言う言葉。

傍観という暴力が、最も目に見えにくく、傷が深い。

傍観は、世界中が加害行為を赦し、世界中が暴力を赦しているという誤った認識を被害者に植え付け、孤立感を植え付け、人を信頼して繋がることを妨げ、二重、三重の2次被害を呼んでしまいます。

暴力の連鎖の構造は、いじめも、性暴力も、虐待も、戦争も驚くほど相似形です。

「あまりにも、知らなかった。深く考えることをしなかった。」という岡部さんはそれから亡くなるまで、この事を見つめ続け、調べ、考え、語り続けられました。







台風一過

2009-10-08 20:53:16 | Weblog

豪雨の後、強風がやってきましたね。昨夜1時過ぎに潮岬を通過して、愛知県へ、大阪は直撃ではなかったものの、古い我が家は、ゴーゴー、バタバタと音がし、物干しの波板やガレージの屋根が飛ばないかと、ドキドキしました。

枚方市内の中学に通う次男は、7時のニュースで解除されなかった警報が8時頃に解除されたので10時から登校。3時間目から授業を受けに行きました。

長男は京都の高校なので、「京都は解除になったから、行って来るわ。」と言うので、「ちょっと待って、台風
のときどうなるか、お手紙は?」「どっか行った。」「電話かけたら?」「いい、行ってくる。」と止めるまもなく登校し…案の定、1時間ほどで帰宅。「『奈良が警報でてるから、今日はお休みやで。』と先生に言われた。」
「だから、人の話をきかなあかんて言ってるでしょ。」
「今日は、ほんまにそう思った。」だって。

中止になった練習の変りに、夜8時からするはずだった「音楽であそぼう」の打合せを午前中に。
Sさんの子育て支援センターも、午前中の行事が台風で中止になったのでした。
おかげでスケジュールに余裕が出来て助かりました。

土曜日はひさしぶりの本格「音楽であそぼう!」です。


台風上陸

2009-10-07 21:20:17 | Weblog
台風上陸。夕方から雨が本降りになってきました。体育祭の予備日で今日は長時間預かります。カッパを着て自転車で児童会まで。子どもは待ってはくれません。体育館の軒下で、泥団子つくりをする子どももいます。中には脱出して、平気で外で遊ぶ子もいて、風邪を引かないかと心配。注意して戻してもすぐ別の子が出てしまいます。
狭いところに入れられて、外に出られないので、イライラして、他の子どもとけんかを始める子どももいます。クールダウンのために、廊下に出たり、休養室を使ったり。そのうち、体調を崩す子がでて、休養室も詰まってしまいました。
おやつのあと、体育館を借りられて、エネルギーを発散。ようやく少し、ほっとしました。

夜、蜉蝣(かげろう)が迷い込んできました。一日のいのち。こんなところでは、子孫を残すこともできません。ベランダから外へ出しましたが、どうしたかな?野生の力は強いと信じよう。

夫は長野に出張。きっと足止め。肋骨を折った息子は、それでも塾通い。塾は好きなようです。長男も同じ塾でしたが、のびのびしながらちゃんと勉強できて、学校を休んでも、塾にいってました。10時終了。豪雨に、お迎えに行ったら、他の人も迎えに来ていました。

明日のヘルマンハープとの合わせは早々と中止。
みなさんも、お気をつけて、被害などでませんように。


第8肋骨

2009-10-06 23:35:36 | 子ども

枚方の対岸、島本町で、CAPの練習。今日の御幸橋は雨。

男性を相手に加害者役をするのは、やっぱり難しいです。
頭ではわかっているのに、体が逃げる、声が小さくなる、語尾が上がる、下から伺う、相手の呼吸に合わせてしまう。歴史的、社会的、個人的な差別の記憶。今はもう殺されるということはないのに、どんなに男っぽい女性でもこの呪縛から逃れることはできません。死ぬまで、うまくはできないかもしれない。それでもあきらめることはできないです。子ども達に希望をつなぐために。

夕方、家に帰って見ると「脇が痛い。」と次男が言うので、病院に行きました。
医師がレントゲンを指差すところを見ると、肋骨の枠が少し膨らんでいます。「枯れ木はポキンと折れるでしょ、若いと、枝は折れずにしなる。骨がそんな状態になってるんですよ。折れてないけどやっぱり骨折。これ、第8肋骨。全治一ヶ月。過激な運動は避けてください。バンドしといたら楽やから、それしといて。」

と、いうわけで、この写真。
「学校でふざけてて、壁にぶつかった。」5日前から、痛い痛いと言っていたのですが、体育祭の練習が続き、本人も筋肉痛だというので、そうかと思っていたら、長引いてこれです。
毎度ながら、驚かされます。決して、クラスで目立って、騒いだりする方ではありませんが、「時々いらんことをして、やってしまう。」らしいです。「もうせんとくわ。」そりゃ、同じ場所ではしませんが、しばらくすると、「なんかむずむずと楽しそうないらんことがしたくなる。」

あ~あ。大事にならんように気をつけてくださいよ。


ヘンデルのラルゴ

2009-10-05 23:15:06 | 名曲
ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル(1685年~1759年)作曲の歌劇「クセルクセス(セルセ)」(1738年)の中で、クセルクセスによって歌われるアリアの一つがラルゴです。
Ombra mai fu
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave più
こんな木陰は今までになかった
どれよりも愛しく、愛らしく
そして優しい

序奏の後、クセルクセスが、歌います。クセルクセスは婚約者がいながら、弟の恋人に恋をして、愛を告白し、振られてもあきらめず、弟が心変わりしたと嘘をいって、自分の方を振り向かせようとしたり、挙句の果てに相手に同意無く、父王を使って、勝手に結婚を認めさせたり。
ついに彼を愛する婚約者が自殺を図るにあたって、ようやく自分の非を悟り、反省して元の鞘におさまり、弟カップルも無事結ばれてめでたしめでたし。

偉い人を間抜けに描いて楽しむ庶民のための歌劇で、ロンドンで初演されましたが、当時はあまり受けませんでした。ラルゴは、木陰などを恋人にたとえて大げさにたたえるクセルクセスの、大らかな間抜けぶりを笑うためのアリアです。テノールもしくは、アルトにより歌われます。

へイ・ジュード-世紀に刻まれた歌-

2009-10-04 19:29:24 | 名曲

ハラビロカマキリを発見。次男が庭に離し、早速撮影会をする夫。

塾の中に迷い込んできたそうです。私は虫を見てそのような気持ちにはなりませんが、息子達は虫を見ていると本当に気持ちがなごむようです。

好きなものや、好きなことって、人を幸せな気持ちにさせますね。
何が好きかは人によってそれぞれ。その違いにこだわるより、「好きなものを見て幸せ」という気持ちを共有したい。

昨夜見た、BS2のドキュメント特集。世紀を刻んだ歌「ヘイ・ジュード」
1968年に発表されたビートルズのこの歌が、ロシアの侵攻の後、チェコスロバキアの歌手マルタ・グビショヴァによってカバーされ、その後、政府によって発売禁止、回収、廃棄処分を受けます。地面に埋めてレコードを守ろうとした人もいますが、それさえ、密告により掘り返されて公衆の面前で割られました。

マルタ自身も歌手活動を禁止され、弾圧を受け、内職で支える貧しい生活。何度も逮捕訊問されるという生活に耐えて20年。
彼女自身もう歌詞さえはっきりとしなくなった1989年。
学生達の集会に呼ばれ、この歌を歌うように請われます。「もう歌詞さえ覚えていない。」というと、学生達は「大丈夫、私達が教えます。私達が何度も歌い覚えていますから。」その年、無血革命により、チェコスロバキアの人々が主権を取り戻した時、30万人の人々が、マルタの歌を聴きに集まったそうです。

ポール・マッカートニーは、この曲をジョン・レノンが離婚したことで、傷ついた
ジュリアン・レノンを励まそうと書いたそうですが、歌詞は女性に向けたラブソングのような形態をとっています。その曲に、マルタはロシア侵攻によって傷つき怖れているチェコの人々を励ますチェコの人々だけにわかる歌詞をつけて歌ったのです。

「ヘイ・ジュード」チェコ語訳より

ねぇ ジュード 涙があなたをどう変えたの
目がヒリヒリ 涙があなたを冷えさせる
私があなたに贈れるものは少ないけど
あなたは 私たちに歌ってくれる
いつもあなたと共にある歌を

ねぇ ジュード 甘いささやきは一見心地いいけど
それだけじゃないのね
「韻」の終わりがあるすべての歌の裏には「陰」があって
私たちに教えてくれる

人生はすばらしい 人生は残酷
でも ジュード 自分の人生を信じなさい
人生は私たちに 傷と痛みを与え
時として傷口に塩をすりこみ 杖が折れるほどたたく
人生は私たちをあやつるけど悲しまないで

ジュード あなたには歌がある
みんながそれを歌うと あなたの目が輝く
そしてあなたが静かに 口ずさむだけで
すべての聴衆はあなたにひきつけられる

あなたはこっちへ、私は向こうへ歩き出す
でも ジュード あなたと遠くはなれても
心はあなたのそばに行ける
今 私はなす術もなく あなたの歌を聴く自分を恥じている
神様私を裁いてください
私はあなたのように歌う勇気がない

ジュード あなたは知っている
口がヒリヒリ 石をかむようなつらさを
あなたの口から きれいに聞こえてくる歌は
不幸の裏にある「真実」を教えてくれる

ララララ ラララララ ・・・


子どもは親を選べない。離婚と言う親の事情の前に、子どもは無力です。
チェコの人々も、強大なソ連軍の武力の前にどうすることもできない無力な思いを味わったことでしょう。できごとの違いはあっても、自分だけではどうにもならないことを前にした人としての苦しみや悲しみ失望、そしてそれに耐える力と勇気を歌った歌であることは確かです。

音楽は、打ちのめされた人々の気持ちに共感し、理屈や違いを越えたつながりを支えました。
他の東欧の国では違った流血の革命が起こったところもありましたが、チェコではビロードの革命といわれた無血の革命が国を動かしました。
私達が、人の悼みや、悲しみに共感し、つながれば、どんなに美しい世界が開かれるか?
そのことをこの曲や、チェコの人々が教えてくれていると思います。


たそがれコンサート

2009-10-03 21:32:24 | コンサート

朝、息子の中学の体育祭。雨のおかげで中止になるかと思ったら、1時間遅れで開始。午前中の競技が二つ午後にまわり、午後からリハに出かける私にはあいにくの、恨めしい雨でした。

午後でかけたのは、たそがれコンサートのためです。寝屋川市立第三中学校のプレ50周年記念コンサートです。収益の一部はブラスバンド部の楽器購入に充てられます。
和太鼓歌舞サークル「どっこい」の演奏、三中50年の歩みプロジェクター上映、私とSさんのフルートとピアノ演奏、そして、三中ブラス部による演奏。約400人のOB、現役のブラス部、保護者の方々があつまりました。

私は三中OBではないですが、生徒のEさんからご紹介いただきました。中秋の名月の今日、中庭で月を見ながらのコンサートを企画されましたが、雨のことや、ピアノのことを考えて体育館でコンサートをした後、月を見ながら中庭でお茶を頂くということになりました。

暗いですが、これがその中庭。打合せの時に伺ったら、三中創立して間も無い時に生徒さんたちに公募を行い、優秀作品を庭にされたそうです。思い入れのある庭だけに、学校全体に潤いと憩いを与えているような暖かい場所です。

リハでピアノを叩いてびっくり。おそらく、50年一度も交換されたことの無いピアノ。しかも、式典用であまり弾かれていない。伺えば、鍵盤が欠けていて、今年、欠けたところを入れ替えたそうです。
象牙の鍵盤がアイボリー、新しく入れた鍵盤がオフホワイト。まだら模様のピアノは初めて見ました。7月に調律をされたということでしたが…絶句。子ども達のため予算はかけられないし、ここまできたらやるしかない。

モーツアルトの弦楽四重奏、k285D-dur一楽章
ゴーベールのマドリガル
ボルンのカルメン幻想曲
野田さん編曲の夕焼け小焼け

30分の演奏時間、小さな子ども連れの方もいたので、飽きるかと思いましたが、ホントに静かに聴いていただいて、本当にありがたかった。

和太鼓の演奏も素晴らしかったし、中学生のブラス、和太鼓に混じっての演奏も楽しかった。学生時代に戻ったような、気がしてわくわくしました。
終演後、中庭でも何度も、帰りの車でも呼び止められて、「よかったです。」といわれたのは、驚きで、どんな苦境でもピアニストと心を一つにして、乗り切れる自信がでてきました。

この場を協力して作った、OB会のみなさん、学校の先生方、太鼓サークルの方々、ブラスバンド部のこどもたち。蝶ネクタイの正装で司会してくださった先生参加してくださったみなさん、Sさんそして自分にも本当に感謝です。
音楽を楽しむ幸せを共有できた一夜でした。



ちょこっとコンサート

2009-10-03 00:10:39 | コンサート

朝から大雨。CAPワークの後、夕方コンサート。おまけに迷って、狭い道をグルグルと車で行きつ、戻りつ30分。余裕を持って出てよかった。

それでも、時間には小さな「ちょこっと」は満員。
サロンコンサートはお客さんとの距離が近いです。演奏して、歌って、ドリンクとお菓子、そして、また演奏して。

メンデルスゾーン「歌の翼に」
野田暉行さん編曲の
「宵待草」
「赤とんぼ」
「りんご追分」
「川の流れのように」
「少年時代」


リハーサルをしていると、樟葉北中ブラスバンド部の生徒達が5.6人通りかかって、聴いてくれました。
演奏が終わるごとに大拍手。
「7時からおいで」とスタッフが誘ってくれましたが、夜は出られないからと、なかなか立ち去りません。
「じゃあ、雨も降っているし、中に入って聴いたら」といっても、遠慮したのか入らずに、傘をさして長い間、たったまま聴いてくれました。地域でやるとこういうことがあって楽しいです。

本番、外は大雨でしたが、中は、暖かなお客さんたちで、一杯。
心配だった電子ピアノは最新型をアンプとともに友人から借りることができ、これが、また、なかなか使えました。
りんご追分はせっかくだから、音をfantasyモードに変えて演奏してみました。これが、なかなか合って評判がよかったです。

ピアノの音質の再現にばかりこだわるのではなく、その楽器の特質を生かすことを考えるというのも、今回発見したことです。

歌の方は、音楽療法家で、ヴォイストレーナーのkさんに来ていただいて、お客さんと、その場で声の練習をした後、歌っていただくというやり方で、身体も活性化するし、声も大きくでる。場も盛り上がる。
元気で、活力あふれるkさんは、本当に素晴らしいトレーナーです。

おかげで、逆に私達の演奏の時は、目を閉じてうなずきながら聴いてくださったり、逆に集中力が増した感じがしました。
「心に染み入るような演奏を、ありがとう。」と言う言葉を頂いて、本当に嬉しかった。
明日は、寝屋川でコンサート。体力温存、もう、寝ます。おやすみなさい。