音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

ハープと入試説明会

2009-10-21 21:52:33 | Weblog

午前中は、ヘルマンハープとアンサンブルの練習です。

カッチーニのアヴェ マリア
ホフマンの舟歌
ブルグミュラーのアヴァ マリア
モーツアルトのアヴェ ベルム コルプス
トスティのアンコーラ
グルックの妖精の踊り

新しい編曲を確かめながら、演奏します。
まだ、もう少し考えないとならないことがあるけれど、フルートとハープの関係への理解は進んでいます。

そして、ピヨさん手作りのランチを頂き、ぜいたくなひと時を過ごしました。

午後からは、次男の中学で保護者向け入試説明会。
市内の府立普通校2校と、工科高校、私学1校の校長先生が中学に、先生方は行ける学校ではなくて、行きたい学校に行かせてあげてください。と言われましたが、そうありたいものです。

息子の様子を見ると、まだまだ漠然としか考えていないようですが…。
私もこの年齢の時は、ぼうっとしていたし、無理ないことかも。

それにしても、政権交代で、入試システム、お金、クラス数(府下で3200人ほど、府下で生徒数増員だそうです。68クラス増やさないといけないそうです。)など、全て未定だそうで、今日聞いた情報も変るかもしれないそうです。子ども達がより自由に選択でき、生き生き学べるように変るなら、少々の不便も我慢のしがいがあるというものですが、さて、どうなることでしょう?




インフォームドコンセント

2009-10-20 20:49:54 | Weblog

明日から次男は中間テスト。本当に塾でしか勉強しません。今夜は、折れた肋骨を診察しに、病院へ。

「大人だと、2ヶ月は掛かるけれど、子どもだと一ヶ月から、1ヶ月半で治るよ。ほら、もうこんな具合。」
正常な状態を知らない私には、レントゲン写真を見ても、ちょっとだけ、骨が曲がっているように見えるだけです。診察券を入れて、会計まで3時間。2分診察。

マスクをした人がたくさんいて、病気が移りそうな気がする。勉強しないと言っても、テストもあるし、早く休養させた方が良いと思って、早めにいったのだけれど、やっぱり甘くない。

人気があるのかなあ。この病院は曜日によって担当医師が違いますが、かなりムラがあります。
前回次男が鼻を切って、縫ってもらった時には、毎日消毒に行くと、それぞれの先生が違うことをいうので困りました。
ある先生は「お風呂禁止。」別の先生は、「お風呂に入って洗いなさい。そうしないと治りが遅くなる。何で入ってないの?」と言われて、前の先生がと言っても、「そんなこと、聴いてないし、カルテに書いていない。」だって。

『そんなこと言われても、私達二人ともそう聞いたのに、へんじゃない。そっちの連携の悪さを患者の責任にしないでよ。』と思ったけれど、言えなかった。

いのちに関るわけじゃないし、顔の傷を気にするのは私だけで、息子は「傷がかっこいい。」なんて言って、傷口をきれいするテープも真面目に貼らなかったし。

せいぜい行かないようにしているのだけれど、近いからやっぱり行ってしまうことになるのでした。
今回は身構えて行ったら、結構わかりやすい説明をしてくれたので、この医師を選んで曜日限定でいくことにしました。

それでも、この込み具合、診察時間。インフォームドコンセント、患者主体なんて、はるかに遠い。と行く度に思うのでした。


出張「音楽であそぼう!」

2009-10-19 21:10:08 | 音楽で遊ぼう

出張「音楽であそぼう!」
今日は一人で行って、いつも一緒にいる児童会の子ども達としました。

『大丈夫かなぁ?』いつも自由にあそんでもらっている子ども達が、私のプログラムに付き合ってくれるかとっても心配。
一人では、どうしても出来ないことがあるので、K先生にもお願いしなくてはなりません。打ち合わせはせいぜい5分。
勤務の前に、準備をしておいて、保育。いつものおやつの時間に10月生まれの子どもたちの誕生会の中でワークをします。
自分の中でいろいろ役割を変えないといけない。こんな器用なことをしたことはないので、とっても心配でした。狭い一部屋に全員集まって地べたに座るのも心配です。じっと座っていられるかな?

まず、フルートを吹くと知っている子ども達の前で、服の下に隠しておいたリコーダーを取り出し、「みんなこれ知ってる?」
「リコーダー」「そんなん知ってるわ。」
「そう、リコーダー。後で、別の笛も吹くのでどう違うか聴いて下さいね。」
「こぎつね」を吹いたら、みんなきょとんとしてしまった。
「それ、何の曲?」1年生はまだ知らないようです。
吹き終わる前に、4年生の女子が「ええから、はよ、フルートふいてーや!」お、きたきたまずい。ここの子ども達は、いつもこんな感じ。

「はい、はい。吹きますよ。では、これはフルートです。どうかな?さっきとちがうかな?」
モーツアルトのソナタk285の一楽章のほんの抜粋。3分ないです。演奏しだすと、ざわざわしていたのが、すぐに空気が変りました。『聴いてる。聴いてる。』

さすがモーツアルト。しかし、何か起したい子ども達もいます。後5小節のところで、小2女子に楽譜立てをひっくり返されました。
しかし、覚えていたので最後まで何事も無かったように
吹ききったら、「あー!覚えてる!」と異常に受けました。

静かに聴けるようだったら、何曲か吹こうと思っていましたが、この事件で、とりやめ。今日のメインイベントを出します。

「みんなさっきから気になっていると思うけれど、これはメロディベルです。次の曲は、みんながベルで手伝ってください。メロディベルとフルートで演奏します。」
「ベルをやりたい人、手を上げて出てきてください。ふざける人はやめておいてください。」
さっと手を上げたのは、4年生ばかり。そうなると、下の学年の子ども達は遠慮して手をあげません。

「数はたくさんあるから、大丈夫だよ。やりたい人出てきてよ。」
何度か促しましたが、だめ。子ども達の世界も階層社会です。
「今年で最後だから、4年生優先でいきましょうか。」と、指導員の先生も言うので、4年生だけでやることになりました。

「では、まず練習ね。」ベルの持ち方を説明し、3拍子の頭の音だけを順番に指示しながら練習します。4年生の演技なので、いつもうるさい子ども達も、おとなしく待っています。あれ?「れ」の音をする人が足りない。「誰かしませんか?」というと、指導員の先生が一人協力してくれました。
「まだあるよ。他の人もしない?」というと、さっき楽譜立てをひっくりかえした小2女子が、「私、やる。」
「じゃあ、行くよ。立って。」というと、「座ってやる。」「ベルは立ってするのがルールなの。」「座ってやるよ。」「じゃあ、やらなくていい。置いといて。」
不満そうな顔をしていましたが、今度は黙って座って聴いてくれました。

そして、本番はK先生に指示だしをしてもらって、私はフルートを吹きます。

千と千尋の神隠しの「いつも何度でも」ベルのやさしい音と、フルートの音が混ざった途端、またまた、ざわつきかけた空気がガラッとかわりました。4年生も真剣な表情で、2回くりかえし。大拍手。
猛々しかった部屋の空気が優しい空気に。

やっぱり音楽はいいです。いつも、やんちゃで先生達ももてあまし気味の3年のAくん、帰りかけに、「先生、あの曲なんていう曲やったん?」「千と千尋の神隠しと、モーツアルト。気に入った?」
「うん、よかった。」演奏中も、正座して神妙な顔で聴いていました。
一年生の男子「吹いてるとき変な顔やった。」「そうやねん、あんな顔しないとフルートは音ならないんだよ。」「ふーん。」

いつもはさようならして帰ってくるけれど、影響を知ることができてとてもおもしろいです。
私は、なんとか、終えることができてほっとしました。ここで、出来たらほとんどの小学校はOKです…きっと。




 


イベールの二楽章

2009-10-19 00:54:06 | 音楽

朝から、Sさんと合わせ。施設を借りて、練習。いつもの防音ルームと違って、残響が多く、気持ちいい。

イベールのコンチェルトの2楽章を演奏していると、教会の中にいるような気になってきました。
技巧的な一楽章、力強い三楽章と、違ってこの楽章は父を亡くしたイベールが、書いたレクイエムのようです。
peaceful 平和的なとレクチャーされた先生もいました。

人にはいろいろな面があるということを、イベールは教えてくれます。戦争に志願し、何度も戦い、天皇陛下の皇紀2000年祭に来日し、映画音楽をたくさん書き、音楽院で教えた生前に成功した音楽家、精力的で、多忙。

荒々しく、超絶技巧な力強く猛々しい曲を量産する一方で、この二楽章のような、繊細で、美しい曲をたくさん残しました。

美しい中に、悲しみ、運命、諦観、その先にあるうっすらとみえる希望。
私には、ただ、父への追悼だけでなく、大きな力に翻弄され、戦争の影響を受けずにはいられなかった、この時代の作曲家の思いを凝縮した曲のように思えます。

第二次大戦以降も世界中で戦いは絶えません。

地球規模で見ると、たまたま生まれたところが日本で累が直接及ばないように見えるだけで、私達は今も累々たる屍の前にたたずみ、戦いの影響を受け続けているとも言えると思います。
この現状の中にいることを、認識し、私は人として何度も何度も問う責任があると思います。

戦いを放棄するためにどうしたらいいのか?
再び武器をもたないために何をしたらよいのか?
平和を作るためには何をしたらいいのか?
子ども達を、平和に育てるために何をしたらいいのか?




 





 


20世紀のフルート音楽 CD

2009-10-17 23:19:37 | 音楽

デュランタ・タカラヅカ クマツヅラ科、熱帯アメリカ産の低木。Kさん宅の裏庭に咲いています。

夕方からピアニスト、音楽療法士、声楽家のKさん宅でバーベキュー。Kさんのご主人、ピアノのSさん、地域サロン「ちょこっと」の主宰で、看護士のYさん、ボランティアのNさん、退職教員のSさん、元保育士のFさん、Fさんの娘小4のMさん。そして、私。

一年に一度くらいしか会わない人やら、深い付き合いの人。いろいろです。おしゃべりしながら、食べたり飲んだり、途中で雷がなったので、部屋の中に移動。
それでも、ちっとも収まらなくて、ビールを酌み交わしながら、四方山話。夫婦関係のお話から、旅行の話、教育の話、派遣切り、障害、不景気の話盛り上がって、夜遅くまでお邪魔してしまいました。

工藤重典さんの、20世紀のフルート音楽をネットで手に入れました。ピアノは藤井一興さん。
プーランク、リヴィエ、プロコフィエフ、マルティヌーのソナタ。ジョリヴェのリノスの歌、イベールのピース、マルタンのバラード。2枚組み。
1936年のイベール以降、1957年のプーランクの作品までを集めてあります。

こうやって並べて聴いてみると、1900年代後半は、金属のフルートの音色に魅せられた作曲家たちが、この楽器の可能性をどんどんと切り開いていった時代だったことを、実感します。
そして、戦争の影。
ピアノと、フルートの関係も、変ってきました。ただの伴奏から、対旋律や、独奏、掛け合いなど、アンサンブルの意味が強まってきたような気がします。

演奏は、工藤さんだけでなく、ピアノの藤井さんが良く歌っていて、フルートがこう出たら、ピアノがこう受ける。次はピアノが出るといった、軽やかで、生き生きした演奏で、生のジャズセッションのようにおもしろいです。
                                                                                               


音感を育てよう

2009-10-16 21:47:33 | 音楽

秋と言えば、柿。柿の木、赤とんぼ、夕焼け小焼け。

音の世界は不思議です。
絶対音感を持っている人たちの中には、音に色が見える人がいます。赤、青、紫。
一定ではなく人によって違います。

私は絶対音感はありませんし、相対音感も時々あやしいですが、転調したら、明るい感じとか、ちょっと暗い目、幻想的になったなど、雰囲気が変るというのはわかります。
それとは別に、頭部管を抜いて、チューニングが442hzから外れたまま吹くと、気持ち悪く感じる。この程度の音感はありますが、色まではわかりません。

6歳くらいまでに、始めなければ、音感はつかないと言われる人もいますが、網目は粗いし、進むのはゆっくりですが、私の場合も少しづつ成長はしています。学ぶのに年齢は関係ありません。

音感はピアノで音をとる、再現する。チューナーで、確認しながら曲を吹く。
スケール、アルペジオの練習の他、D-durなら、D-durの曲を集めて、どのような感じがするか?を意識に揚げながら演奏してみる。
D-durのスケールで曲をつくって遊ぶ。簡単な曲を転調して遊んでみる。

大切なのは、どのような感じがするか?と吹きながら、自分に問いかけること。

…これは、音感を育てるためだけではなく、音楽を演奏する時には、いつも、したいことです。


教育が無い

2009-10-15 22:00:07 | 子ども

この時期、金木犀があちこちで匂っています。これは白い木犀。

次男は、毎年、この花が匂うと喘息。インフルエンザも2年連続この時期から発症。新型のニュースを聴き、中3のこの時期、さすがにまずいとワクチンの予約をしました。もちろん新型用ではありませんが、今から摂取して2週間後に抗体が出来て有効な期間は3ヶ月。予約できるのは11月14日までその後はあるかどうかわかりません。ということなので、とりあえず、ぎりぎりOKな11月12日に予約しました。ワクチンを打つのは初めて。

医者嫌いの長男と違って、次男はニュースを見ていて、「去年の中間もインフルエンザで一日飛んだし、受けたほうが良いと思うんだけど。」と言い出しました。確かに去年は迷っているうちに引いちゃった。て、感じ。予防能力の無い親が育てると、予防する子が育つ…こともあります。新型とは、一週間あければ良いということでしたので、とりあえず。こんな考えの人が多いらしく、今年は普通のワクチンも予約が殺到しているそうです。

今朝は久しぶりに、ご近所のお友達とお茶しました。
母が着物を解体して、型を取って、裁断したままで、放置。
Mさん完成をお願いして。と母に頼まれ、ついでにお茶。いや、お茶のついでに着物。MさんとGさんと、いろいろ情報交換。インフルエンザの学級閉鎖が増えていること、校区祭りの準備の様子、ポスター用の紙の最安値情報。校区の先生との関り方。などなど。
中学校区は同じですが、小学校は隣同士で違うので、また様子や、やり方が変っていて目からうろこだったり。おもしろいです。

午後からは児童会。
子ども達は私の耳の後ろをみるなり口々に聞いてきます。
「先生怪我させたん〇○くんやろ。」
「言わないで。もう、謝ってくれたし、反省しているから。」

「先生大丈夫?どうなった?」怪我をさせた当人は、来室するなり、私のところにやってきて聞いてくれます。
「うん、まだちょっと痛いけど大丈夫だよ。心配してくれたん?ありがとう。お父さんにひどく怒られた?」
「ううん。そうでもなかった。」
今日は彼の担当ではなかったので、それっきり。それでも、目のすみで見ていたら、やっぱり、叩いたり、おどしたり。

教育が無い。ただ教育が無い。児童会に教育が無い。





レッスンとデュオ

2009-10-14 20:23:56 | 音楽

梅田でレッスン。雨が降るということでしたが、日中はさわやかな良い日和でした。
BIG ISSUEのオッちゃんにも久しぶりに会いました。お金を払おうとしたら、小銭が無い。「ごめんなさい、帰りに寄ります。何時までいらっしゃいますか?」「4時頃まで」
レッスンの帰りに、行こうと思ったら、思いのほか時間を取られて、4時前に。
「もう帰ったかな?」と思い早足で歩いていくと、よかった、居た居た。3時56分。「よかったあ。下さい。」というとおっちゃんもいい笑顔でした。

レッスンは今日から始めた曲。まだ譜読みが充分ではないので、通しただけ。

レッスンの後、Kさんとアンサンブル。ドップラーの「アンダンテとロンド」
今日は、細かいところをあわせようと、ゆっくり練習。曖昧なところを、止まっては合わせてみました。
ファースト高音のAのロングトーンに、セカンドが低音のCからC#まで上がっていくところ、ちょっとでも、音がずれると、目だってしまいます。
何度も何度もやってみましたが、なかなか、ここが課題です。

それにしても、先生が「双子」と言ったくらい、Kさんと私の音の作り方がホントに似ています。
ぴったり。これからは、合わせながらも、それぞれの音楽を演奏する。ことが課題かな。
相手が変ると全く音楽の色合い、質がかわります。これだからアンサンブルはおもしろい。
相手によって、違う自分、知らなかった自分が出てくる感じ。
まだ、Kさんとは始まったばかり、どんな自分に出会えるか楽しみです。




音楽の幸せ

2009-10-13 20:26:29 | 音楽

秋桜 コスモスは、正しき秋の花。最近は黄花コスモスが大流行ですが、秋の風情はやっぱりこちらでしょう。

中学での演奏のお礼状がつきました。丁寧な校長先生からの文章に、コンサートが掲載された地域の広報紙、ブラスバンドのフルートパートの1年生二人から、色合いも豊かなお手紙。
そして、地域の高齢者の方から桔梗の柄のお手紙。

とっても温かいお手紙でした。

好きな音楽を演奏して、お礼をいわれる。こんな幸せなことはないです。
楽しかった演奏会が髣髴としてきました。もう、ずっとこればっかりやっていられたらいいのに。

ピアノのSさんに、みせなくちゃ。分かち合える人がいるのもうれしいです。

今回は作り上げる過程それ自体が、またおもしろかった。

体、心、脳。そして、コミュニケーション能力。
推進力、方向性を持った音、きらきらした感じ。こんな曖昧な感覚を表現するにはどうしたらいいのか?感覚を共有するために、知力を絞ってコミュニケーションをしなくてはなりません。
これはちょっとしたゲームのような、興奮があります。演奏しながら相手の音に目覚めていなくてはなりません。よりレベルの高い演奏を、するためにはコミュニケーションは欠かすことができません。

言ったことを受けとめてもらえる幸せ。そして、言ってもらえる幸せ。

音楽って聴くのに言葉は要らないけれど、でもやっぱり必要。交流をあきらめたところに音楽はない。合奏とはそういうことだと思いました。














 






被害者加害者の心理

2009-10-12 21:14:37 | 哲学

今日は何かを書こうと思っても、考えがまとまらないです。

昨夜NHKで見た永山則夫死刑囚の長いドキュメンタリーに、今日出たゼミ「被害者加害者の心理」。

評論家や、心理学的分析、裁判管、暴君のような言葉は次から次に浮かんできますが、さて、自分はどうなのか?というところになると、さっぱり言葉が浮かんできません。

死刑を望み、自殺未遂をくりかえし、社会への呪詛を叫び続ける永山則夫が死刑を免れ、無期懲役といわれた後に、示した行為。学び、本を書き、書簡のやりとり、被害者の遺族へ印税を差し出し、そして、結婚。

判決が翻り、死刑を言い渡された後、離婚。また、社会改革を要求し、それでも、死刑を執行されるまでの28年の間に彼に人間的成長が無かったかというと、そうでもない。

一方で、被害者は成長の機会さえ奪われてしまったわけで、しかし、死刑制度とか、裁判制度について問題にしたいわけではなく。

自分の行為や言動を社会や、環境や他人の責任のように思ってしまう永山のような被害者意識は自分にもあって、というか、日常それは、頻繁に思っていて、表面にあげずに、そこにとどまり続けて問題を解決しないのが習い性になっている自分に、気がついて、嫌な気持ち半分、良かった半分


今夜はそこまで。