音楽の喜び フルートとともに

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限界チャレンジコンサート

2011-01-17 20:36:10 | 音楽

母が育てている葉牡丹の寄せ植え。お正月と言えば葉牡丹。
葉牡丹はアブラナ科キャベツとケール間の品種でデコラティブケールとも言うそうです。原産はヨーロッパらしいですが、江戸時代に入ってきて日本で品種改良が進んだそうです。いろんな種類があります。これは紅かもめと白かもめと言う品種だそうです。

昨日は本番。雪が降るかもと言われていましたが、なんとか大丈夫。
寒いのは苦手。指がこわばって動きにくくなったり、身体がちじこまって、息があさくなったり。
長い手袋や、ネックカバー、フットカバー、ブーツと完全防備でピアノのSさんとでかけました。

これはS先生とピアノのN先生の門下の発表会なので、遠慮は無用。私は限界挑戦コンサートとひそかに呼んで、毎年難曲ばかりに挑戦しています。
正直自爆も何回もあります。
どんなにさらっていても、本番は一回。
頭が真っ白になったり、音が震えだしてとまらなかったり。

さて、今回はどうでしょう?
「Jaen de Nivelle」は、テーマ以外はずっと細かい動きで走っているような曲です。
やっぱり上がってしまいました。
2箇所ほど、伸ばしたいところで、息が切れて吹ききれませんでした。

上がっていたけれど、昔だったらそこで、音を間違ったり、テンポがずれたりしたところ。後で録音を聴いたら、音は全部入っていて、もっと良い演奏ができたはずでがっかりしたけれど、自分の成長も確認できたコンサートでした。

先生も、「音は良くなっているし、昔よりずっとよくなっているよ。後、姿勢が背中が曲がって前に首が出ていたから、姿勢をよくすれば、息がもっと入るようになるから。背中が×になって、背中が曲がらない矯正下着を試したら?」とのこと。
試してみようかな?普段は意識していても、人前に出ると、途端に崩れてしまいます。いやいや、もっと意識が足りないのです。

経験を自分に保障するしか、こういうことを克服する道はないのです。
まあ、また来年チャレンジです。

最後になりましたが、一緒に音楽を作り上げてくれたピアノのSさんに感謝。
またやりましょう。


明日本番

2011-01-15 22:55:17 | 音楽
午前中は、ピアノのSさんと本番前、最後の練習。

どうも、最近、テンポが決まらない。
「もう少し速めに演奏したい。」と言ったら、「私は、あなたがゆっくりしたいのかと思ってた。」
よく話し合ってみると、お互いに相手がゆっくりしたいのかと思っていたみたい。
配慮し過ぎ、過保護。と言うと聴こえはいいけれど、お互い相手の能力を信頼していなかった。相手に能力があると思ってなかった。と言うオチがついて、「明日は、お互いの力を信じあって、元気の良い演奏をしよう。」と約束しました。

午後から、父のお見舞いに。母が毎日行っているので、車を出せば、少し助かるかも。病室から、鴨川と大文字の字がみえます。ちょっと映りは悪いけれど、肉眼なら、はっきり見えます。


こちらは、鴨川の対岸から病院をみたところ。新しい病棟を建築中。


父は肋骨は痛いけれど、だいぶ頭もはっきりしてきたらしい。ベッドの横のボタンもようやくナースコールだとわかってきました。
身体は、ゆっくりだけれど、回復するのだけれど、あまり寝てばかりいると、頭がぼけるので、出来るだけ行って、話をして、刺激を与えたほうが良いらしいです。
母は帰りの車で眠っていました。やっぱり疲れるよなぁ。

明日は私も本番。がんばろう。

蚯蚓

2011-01-14 20:41:47 | 子ども

本番まで、後二日。
・・・ですが、児童会。
冬やすみが終わって、子ども達が児童会に帰ってきました。
雪雲が東の空に浮かんでいましたが、今日もまだ陽射しがあって、寒さもまし。
運動場をぐるりと囲む側溝に落ちた泥を、全て運動場に上げてありました。
その泥を一年のAくんが棒で、かき回しているとみみずが1匹。
「うっわぁー!すげぇ!先生見て。」
「すごいなぁ。大きなみみずだねぇ。」
「おい。Aこっちにもおったぞぉ!」
「え、うっそー。どれどれ。」
あっという間に男の子たちは、全員泥の塊をかき回し始めました。
みみずを一箇所に集めて、土をかけてみたり、水を入れたり。
引っ張ったり、撫で回したり。

帰って練習していると、Jean de Nivelleの、アレグロは、走りまわる子どもの足音。ブッファは、みみずを取って得意げに歩いている男の子のイメージが浮かんできました。音楽や、自然は子どもに近い。そんな風に思います。


脳に効く音楽

2011-01-13 21:46:18 | 音楽

父は、アルミ製の布団干しを持って2階に上がろうとした所、滑って布団干しを持ったまま転倒。7段目位から落ちたらしい。回り階段の踊り場で止まらず、15センチ幅の、手すりというか、壁を乗り越えてトイレと階段の間の廊下に落ちたらしいことがわかってきました。たぶん、手すりの角ばった木の枠で、肋骨と、腎臓を直撃したんだろうということでした。
頭ではなく、腎臓からの出血で、貧血を起して倒れたらしい。

今日、行くと、だいぶ元気になっていて、自分でトイレも赦されていました。
というか、入院と怪我のショックで、認知症?かな。
ナースコールのボタンをこれだといくら教えても、しばらくして問うと、全く覚えていない。
トイレは行ってはだめで、尿瓶でとるので、ナースコールを押してといくら教えても、手元にあるボタンが覚えられない。自分で立って行ってしまう。昨晩は、トイレに行った後、帰り道がわからなくなって、迷っていたらしい。
主治医の先生も、貧血の値が落ち着いてきたので、早く身体を動かした方が、頭がしっかりするだろうということで、トイレや、食事、身の回りのことは速めに進めることにしたそうです。

しかし、間に合わないので紙オムツをしていて、「情けないなぁ。」と、そこはしきりに言います。
「まあ、仕方ないやん。」と言うと
「81歳やで、平均寿命は越したからなぁ。」
「平均寿命というと、50%だからなぁ。考えたらすごいなぁ。半分はまだまだ生きるんだからね。」

CDプレーヤーで大好きな水森かおりさんの歌を、聴かせたら目の色が変ってご機嫌になりました。
音楽って、おもしろい。心や脳の深いところに効くんです。
ボタンを教えたら、ナースコールと違ってこちらは全く大丈夫。
しかし、当分京都まで通うことになりそうです。


梅田でレッスン

2011-01-12 21:33:12 | レクチャー、マスタークラス

梅田でレッスン。ピアノのSさんとJean de Nivelleを見てもらいました。

どういう音で、吹くか?頭の中で思い描いてから演奏すること。

お客さまの反応のを見て、演奏を変えなくてはいけない。変えられるだけの準備をしておかなくてはいけない。
お客様を置き去りにして、こう弾かなくてはいけないというのを決めてしまっていて、全く変えないという演奏しても良い演奏とは言えない。

考えすぎてもいけない。にっこり笑えるような演奏をするんだよ。

本番まで後4日。
演奏の心構えを教わりました。


子育てサロン1月

2011-01-11 20:11:30 | 子ども

午前中は子育てサロンでした。
今日のスタッフは3人。いつもは5人は出席しますが、いろいろ重なって、欠席が相次ぎ。ちょっと心配。

危機の時には、それぞれの力が発揮できるもの。自分しかいないと思えば、普段の力以上のものがでるのかもしれません。

手遊び、絵本、工作と用意したプログラムも順調にでき、子ども達がいつも以上に協力的。お母さん達も楽しそうで無事終了。
ほっとしました。
それでも、小さな滑り台の上から滑ろうとする子どもや、小さなおもちゃを口にする子どもなど、目が行き届かないところで事故などあっては大変。

いつも当たり前のように手伝ってくれるスタッフのありがたさが、身に沁みます。

家に帰って、母に電話すると、父は肋骨3本が折れた上に、腎臓を打って出血しているそうで、泌尿器科が無い田辺の病院から、京都府立医大に転院。
ようやく専門医の診察を受け、頭は大丈夫で、安静2週間と言い渡され、少し安心しました。明日は、手術がいるかどうか、見てくれるそうです。

 

父の転倒

2011-01-10 21:27:25 | Weblog

今日は雪がちらついて本当に寒かったですね。

実は昨日の夜9時頃、実家の母から電話が入り、父が家で階段から落ちて、救急車で運ばれたというのです。
「今から検査。また電話するわ。」と母の電話は唐突に切れ、

『どうしようか?病院に行こうか?いやいや、何かあれば電話あるはず。検査中なら、行っても仕方が無い。』とドキドキしながら、待っていましたが、電話はなく。
10時まで待って、もう一度電話してみました。

「階段から落ちて肋骨が折れたんだけど、頭は大丈夫と言われて病院から帰ろうとしたら、病院トイレでまたこけて、結局入院することになったから。」
母の声が珍しく緊張しているので、「行こうか?」
と言うと、明らかにほっとした声で「ウン。」と言います。

滅多に人に頼らない母が、これは大変なことになったかも。
「じゃあ、シャツとパジャマと・・・持ってきて。」と妹が夜勤で、大人がいない実家か
ら、いろいろともっていくものを頼まれ、京田辺の病院まで、次男と行って見ると、ベッドで、寝ている顔色の悪い父と、心配そうに見守る母。

「きてくれてありがとう。お腹減った。」と思ったよりしっかりしている父。
「夜食べる前だったからね。」と母。
父はコンビニで買ってきたおうどんを、ベッドを起して、自分で食べると言うので、
セットして、母と持参品をチェックしていると、「グーッ」と声がして、見ると、おうどんを吐きながら、見る見る顔色が白くなってくる父。
あわてて、タオルを口に持って行き背中をさすりながらナースコール。
フーッと意識が無くなった感じでしたが、看護士さんはきません。
呼びに行ったら、誰もいず、巡回中。探して呼んで来たら、もう意識は戻っていましたが、喉に詰まるみたいで苦しそう。

「大丈夫ですか?ここどこですか?さっき意識なくなったの覚えてますか?」
と看護士さんの声に「・・・病院。ふーん。そうかな。」と答えています。
「喉に詰まっただけかもしれません。食事は今日はやめましょう。明日は病院の食事がでますから。」

母は気になるから泊まるといいます。丸イスが一個あるだけなので、お願いしたら、車椅子を貸してくれました。『この上で寝るの?』
看護士さんが着たので、聞いたら、パイプに布を張っただけの簡易ベッドとタオルケットを一枚貸してくれました。することも無いので、帰ってきたら、2時。

休日で、今日も脳外科の先生は不在。まだ、どうして、倒れたのかわかりません。
ですが、母の話では、今日食べたら顔色が戻ったし、うったかもしれない頭に目立った青タンもでていないそう。今日は母も帰って寝るので、明日また連絡。

ということで、安心はできませんが、ちょっと落ち着いたみたいです。


フェルデンクライスと古伊万里

2011-01-08 20:39:50 | レクチャー、マスタークラス

京都のハートピアでフェルデンクライスのFTを受けました。
講師は初対面の女性。

フルートを長時間練習すると、右側の肩や肩甲骨が凝ったり、腰が張ったりすると、いうことで、右側の方や足を横になって触っていただきました。
マッサージではなく、本当に小さな力で触れて行きます。

普段、腕を動かしている時には、肩甲骨があるかどうか?なんてことは意識せずに動かしています。先生が肩甲骨の上に軽く手を置くことで、私の脳が肩甲骨を意識します。
ゆっくりと繊細な動きを意識することで、腕や手を動かす時に使っていた無理矢理な動き、こう動かさなければならないというような、思い込んでいたワンパターンの動きとは、違う動かし方のルートが開かれます。

右側だけをしたので、右側が暖かい。直後は、差が気持ち悪いですが、脳は賢いので、片側で出来たことをもう片側に伝えるそうです。数分で、戻りました。
肩が軽いし、足の先まで暖かい。

帰りに伊勢丹の駅美術館で、「海を渡った古伊万里展」セラミックロードを見て帰りました。1690年代から、1730年代まであった東インド会社に依頼されて作られた古伊万里焼の陶器の展覧会です。
オーストリア、オランダ、ドイツ、東南アジアに輸出された有田の陶器。
青磁、青一色の染付けから、朱色、緑、黄色、歴史が下ってはワイン色や、黄金の細工など短い期間に、世界中のニーズに応えるために、いろんな国の様式や、図柄を貪欲に取り入れ変化しているのがわかり、とてもおもしろかった。

中国の香具、イラクの水パイプの容器、オーストリア貴族が髭を切る時に使った特殊な形の皿、オランダの貴族の肖像入りの壷。

シェーブルン宮殿にある大きな壷は、中にポプリを入れてお客様がいらした時に蓋を開けて、香りを楽しんだとか。
日本で焼き、中国で加工したり、ヨーロッパまで持って行って、金の台座をつけたりして、宮殿に入ったものもたくさんあり、絢爛豪華な磁器の間に飾られています。
多分有田の陶工は、西洋の陶器も、使い方も知らなかったのかもしれないのに、あのまま、東インド会社が続いていたらどうなったのか?
いろいろ想像が膨らみました。

不景気を打破する鍵は、こんなルーツから学ぶことかもしれません。
なかなか良い一日でした。


流行歌

2011-01-07 20:47:00 | 音楽

山茶花 カンツバキ群 朝倉 白い花びらにちょっとだけピンクがさして、なんとも言えない美しさ。

ヘンデルのフルートソナタHMW359b.op1-1b 1楽章の通奏低音を、フルートソロに合わせて、吹いていると、低音がどれだけ、旋律の動きを支えているかわかります。
伴奏というより、合唱のバスやバリトンといった感じです。

チェンバロは小節の頭にジャランと和音を弾くだけ。
本当に合唱のようです。

勤務2日目にして、行事。隣接校の児童会と交流事業。
体育館で、バンド演奏を聴いた後、おやつを食べて、全員でドッジボールをしました。
バンドはエレキギター3本とドラムと、トランペットと、フルートに、ボーカル二人。
ママさんグループということで、3歳位の子から、5年くらいの子どもまで、一緒にきていました。おもしろい扮装をして、サザエさんや、忍玉らんたろう、嵐の曲など、子ども達と今人気の曲を歌いまくりました。

子ども達も魅きつけられて、手拍子したり、踊ったり。
楽しいひと時を過ごしました。

ヘンデルも、かつての流行作曲家。
流行った歌は、人から人へと伝わってみんなで一緒に歌ったり、踊ったりしていたのかもしれません。


終わりの音

2011-01-06 22:51:13 | 音楽

今日は午前中初レッスン。午後初合わせ。
12月31日と1月1日の間には、昨日と今日との違いと同じくらいで、大した違いはないはずですが、やっぱり気分が新しくなるから不思議です。

「タイスの瞑想曲」、モールアルトの「恋とはどんなものかしら。」をデュオで演奏していると、本当におもしろいです。
単旋律で練習しているときには、わかりにくかった和声の動きや、大きなリズムや、曲の構造など理解が進む気がします。
ピアノや、オーケストラのスコアは、音が多く複雑ですが、2本で表現するしかないフルートは、もっと単純で、リズムや、対旋律の形がわかりやすいのです。
しかし、単純なものほど、難しい。
難しいからおもしろい。ほんの少しの工夫で曲が生き生きと動き出します。

午後からピアノのSさんと、「Jean de Nivelle」をあわせました。
16日本番に向け、切羽詰ってきました。
今日は、それぞれのフレーズの終わりが繋がって聴こえる所を、しっかり終わるように聴こえるかどうか?と言うところを中心にやってみました。
フレーズの終わりの音を踏み台にして、次の音が出るのですが、その音が鳴っているうちに次の音のはじまりが気になって、ちゃんとその音の性格を表現していないと、どっちつかずの気持ち悪いフレーズがずっと続いていって、もやもやしてしまいます。

それは、楽譜には表記されていないことが多いですが、31日と1日は、目に見えないけれど、区切りがあるとした方が、人の営みは、気持ちが良いことがある。と言うようなことです。そういうところを探して、修正していくと、曲のメリハリがついて、よりおもしろくなってきました。
タファネルのピアノ譜の奥にある、ドリーブの書いた音が管楽器のような気がしてきたり、ここは弦だったんじゃないか?なんて想像も膨らんで本当に楽しいです。
練習が終わるのが惜しい私です。