日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

日限山中3年のクラスが西洗公園で缶蹴り遊び、南舞岡小2年生が公園遊び

2024年12月13日 | 社会
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開園1975年3月15日の街区公園「西洗公園」

2024年12月13日 | 社会

横浜市がいうまちなかの街区公園とは、西洗公園でいうと、西洗公園は主に日限山4丁目の住人のための公園で、周辺の町から広く利用者が来ることを期待しない公園です。まちなかの町の大きさに合わせた小公園ということでしょう。したがって日限山4丁目の住人は、自分の町の公園と感じるはずの公園です。

日限山4丁目にはどんな自治会館があるでしょうか。横浜市は町のために自治会館を用意したでしょうか。約50年前、横浜の南郊外、山林を大規模宅地造成をして現在の日限山4丁目の宅地を販売した京急は、町のために自治会館を用意したでしょうか。当時、横浜市、京急に町づくりの理想があったでしょうか。

あったと思います。しかしその理想は、未来をしっかり予測したものではありませんでした。(注)町のゴミ処理処分についても無計画でした。これから大問題になります。

日限山4丁目に西洗自治会ができ、その初代会長に就任した高木武栄氏(2班 1974-1976年度 故人)は、日限山3丁目と一体的に町の発展を考えた人です。彼は、4丁目単独で、町発展を考えるより、3丁目と協働した方がいいと考えました。また自分の力を大きくふるえると考えました。非常に苦労して3丁目の港南プラザ自治会と共有で、十字路「港南プラザ前」の角に敷地(250㎡ぐらい)を確保し、小さな木造の自治会館を建設しました。

この自治会館に関する考えと、4300㎡の西洗公園を最初から用意した考えを比較すると、横浜市は、はるかに自治会館より、街区公園を重視していたこと、いまも重視していることがよくわかりますね。

ところが現在も4丁目の住人は、この事実がわかっていませんね。戸建住宅の町に住んでいると、街区公園のありがたさがわからないようですね。集合住宅の町に住んでいるとわかるようですね。

昨日、西洗公園愛護会副会長と事務局は、第18回港南区公園愛護会のつどい(港南公会堂 13:30-15:30)に出席しました。西洗自治会が知らない別世界がそこにありました。港南区長がはやくから公会堂に来て、区公園愛護会幹部と挨拶し、情報交換をやっていました。区長は開会の挨拶をし、区発展のためには、町の老若男女の協働体制、行政と自治会の協働体制が重要と訴えていました。

新参の私達は、港南土木事務所下水道・公園係からも区愛護会幹部からも歓迎されました。公園係は、大勢の中に私達を見つけると、どこからともなく現れて、よく来てくれたと喜んでいました。区愛護会幹部は、来賓席に坐れと案内してくれました。それは怖れ多いから、区長や幹部が坐った座席のうしろの座席に座りました。幹部は私の質問に気さくに答えてくれました。

つどいのプログラムではない、人間関係、外向性が重要と痛感しました。

西洗公園は町の中核施設と確信します。昔で言えば、村の神社です。町の人々の居場所、活動場所、避難場所としての効用が上がることを祈ります。

現に、生活環境部公園担当が主催する月1,2回の当番班2班による公園清掃は、町の高齢化で苦悩する西洗自治会がウソではないかと思うほど、老若男女入り混じって班員が公園に集ってきて公園担当の指示にしたがって人海戦術で雑草抜き、落葉掃除など行っています。班員の親睦になっています。

西洗自治会の底力だと思います。老若男女、協働して西洗自治会の次の50年史を書きましょう。日限山4丁目を「ふるさと」に育てましょう。町で育ち、世界で働いている人が、自分は日限山4丁目で育ったと思う「ふるさと」にしましょう。町づくりの面白さに目覚めましょう。

頑張れ、日限山4丁目! 老病に負けるな。

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