記憶の彼方へ

カラーとモノクロの写真と一緒に 日頃のなにげないエピソードやホッとするコトバを♪

三大欲求

2008年07月08日 07時48分55秒 | Weblog
人間の三大欲求とは、「食欲、性欲、承認の欲求」だと、訪問歯科診療で知り合ったKさんから教わった。
Kさんの家にはサムュエル・ウルマンの青春の詩が壁に掛かっている。
確か、自宅の二階の屋根から庭になっているキウイを収穫しようとして足を踏み外し脚が不自由になってしまったと記憶している。しかしこの詩のように、年齢に関係なく若々しいプラス思考の方だ。

初めて聞いた「承認の欲求」。
でも、みっつの中で1番人として求めるものだと気付いた。
通常子供の頃は母親、父親に見守られ、自分の存在価値を無意識に感じとっているが、大人になると社会で自分の居場所がないと、人は生きてはいけないものである。ここで言う居場所とは、単なる箱としての家ではない。会社、家庭、両親、そういった一社会での居場所。そしてひとりでいても寂しさを感じない場所。一見逆説のように聞こえるが、ネットワークが張られている事を示すのだ。つまりたとえ離れていても、会話が出来るということ。コミュニケーションがとれること。そういう誰かがいるということ。
秋葉原の殺傷事件は、この承認の欲求が満たされなかった為に起きた事件なのだ。
無視ってホント馬鹿にできない。無視をされ続けると、だんだん生きてる意味、理由が判らなくなって来る。毎日が苦痛でたまらなくなる。ここで二つに道が分かれる。そう、自殺か殺人か。今迄の事件を見れば一目瞭然だ。
私も実は、中学1年の頃いじめにあった事がある。一種の流行りみたいなもので、クラス一丸となってひとりを無視した。一緒になってターゲットとなるひとりを無視しなければ、いつ自分が同じ立場にされるかを恐れてのことだ。私の次に、「次は誰にしようか?」と私に聞いて来た男子に、私はきっぱりと仲間でいる事を断った。日本人って意外と集団行動好きでしょ!
私は子供の頃から苦手だった
ちなみに私は三つ目の道を選んだ。いじめに決して屈しないと。
もちろんされる側にも何らかの理由があるのだ。
わたし?今、思えばかなりの自己中でした

中学3年の時、友人から『だいぶまるくなったね』と言われた。念の為、太ったという意味ではない。
以前は自分ばっかり喋っていたけど、聞く側にまわったのだ。
本当に一人で生きていける人なら会話のない生活は自由気ままで問題ないことなんだろうけど、限られた空間で生活する社会では承認されない事は人を死に至らしめることもあるのだ。

コメント
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