記憶の彼方へ

カラーとモノクロの写真と一緒に 日頃のなにげないエピソードやホッとするコトバを♪

携帯で録画

2010年06月05日 23時35分21秒 | Weblog
テレビ付きの携帯を使用しているが滅多に見ない。私が見るのは目覚まし占いくらいだ。
しかしそれも、ついつい見逃してしまうことが多い。先日ネットでも見ることが出来ることを知り更に使う頻度が減った。
そんな時、携帯で録画が出来ることを知った。(今頃???と呆れられそうだ)早速今日テレビ初登場のSATCを録画予約した。

遅くなっても構わないことに安心して出掛けた
明日訪ねる友人宅に持っていくパンを買いに銀座へ向かった。アンティークの天使のチョコリングだ。閉店9時ギリギリセーフで着いたが完売の文字ガックシきて帰ろうかと思ったがもうひとつ好きな店のキャトルセゾンに寄った。焼き菓子を買った。好きなアーモンドボールは自分にも。

さて帰ろう。地下鉄のホームで電車が来るのを待っていた。 ふと気がついた。今録画しているのだと。
電車に乗っているときは圏外になるからメールは届かない。テレビだって同じなのでは…
とすると録画されない恐れがあると気づいた。試しに携帯をみると×印が表示されている。やはり。
でも電波が通じるところに戻ればいいかと思いそのままにした。
だが初めにテレビ優先に設定したことによりメールが出来ないことに気づいた
二時間近くメールが出来ないと知ると無性にしたくなる。
結局初録画体験は無惨にも崩れ去った。

私には必要のない機能だったようだ。
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モノクロ

2010年06月05日 22時15分54秒 | Weblog
先月から、かかりつけの歯科医院に写真を展示させてもらっている

医院のイメージカラーがアースカラーなので、似たような色合いの薔薇の写真を持参した。
馴染んではいたが溶け込みすぎてインパクトに欠けていた。

今日、診療が終わった後にモノクロ写真2枚を持参した。
地元で入選した写真と、パリ、ポン・デ・ザール(芸術橋)の写真だ。

エントランスの壁に無事2枚の写真が掛けられると、薔薇の写真の時とは異なりインパクトのある壁となった。
院長のI先生もかっこいいと喜んでくれて私も嬉しい
自分でも薔薇の写真とは違ってこちらの写真のほうが私を表していると感じた。

時にひとは選択を誤る。
今回も本当なら好きなモノクロを持参しようと思ったが、クリニックのイメージに合わせようとして本心ではない写真をセレクトした。
でも大きな間違いだった。自分が好きで自信のあるものが第一選択なのだ。
あまり周りの環境は考えなくてもいいのかもしれない。唯一芸術だけは周りとけんかしないのだと気づいた。
ガラリと表情を変えたエントランスを外からも眺め、納得。
クレジットもお手製のを作った。院長先生に薦められたのだが、これがあるとぐっと引き立ちメリハリがつく。ないと非常に寂しい。あくまでエキストラであるが主役を引き立たせる重要な役どころなのだ。と同時に見る側へのメッセージとなる
いままでそういうことに無頓着だったように思う。現物だけがよければそれでいいと思っていた私は間違っていた。飾り立てるのとは違う。決して出しゃばったものではない必要不可欠な要素であったのだ。
身の丈に合った佇まいだけがまっすぐ伝わるのだ。
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依存症!?

2010年06月05日 00時35分08秒 | Weblog
I先生とアフタヌーンティールームに寄った。

写真の賃料というわけでもないが、ケーキをご馳走になった。
先生とは今の歯科事情ばかりを話すわけではない。それでは退屈すぎる。I先生が短期でパリに留学していたこともありパリ談には花が咲くのだ。
パリを知っている人としゃべっていると無性にパリに行きたくなる。あのときの心地よい緊張感がよみがえるからだ。

「恋をすると依存するくせがあるから、ひとりでいたほうが強くいられるんです。パリにいたときはこんなことなかったのに。」と言ったら、「日本だからよ。」と先生は言った。
パリにいたときはそれだけで満たされたし、異国という場所ならではの緊張感を保ち続けた生活も私は好きだ。言葉が十分に伝わらなかったり理解出来ないことが、一層相手を解ろうと努力する。日本では決して味わうことは出来ない。すべてが至れり尽くせり。不自由なことがないことが不自由なくらい。人に対しては、日本だとコトバの壁がない分、不足しがちになる。わかってくれるだろうという勝手な思い込み、甘えが生じる。受け止めてくれる両手に身を預け、まるで羊水につかっているような気分に浸りたくなる。でも気付くと自分ひとりの足で立つことさえ出来なくなっている自分がいる。

最近気付いたが、闇雲にぶつかっていくこともパリなら出来た。身の程知らずが良くも悪くも自分を成長させる。日本では余計なコトバが嫌でも耳に入る。そんな根拠のないコトバに左右されて行動に移せない自分がいる。

人生折り返し地点をまわった今、躊躇している暇などないのだ。時限爆弾を抱えているのとなんら変わらない。
「死ぬまでにやりたい10のこと」に向って一歩ずつ、すすまなくっちゃ

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