「水俣」という言葉を初めて知ったのは、小学校高学年だったのか?
4大公害病の一つとして憶えた。
ただ、その時は水俣病の具体的な症状や、今後も胎児性水俣病患者さんとその家族らが苦しみ続けることになるとは知る由もなかった。
今回、何十年ぶりかにこの言葉に惹きつけられ、映画を見る前にネットで情報を得た。
Eugene Smith ユージン・スミス
彼の名を知ったのは、2005年秋、パリに写真留学していた時のこと。
当時、なるたけ多くの写真家を知る目的で、ルーブル美術館の書店でペーパーバックの「The Pantheon Photo Library」の写真集を片っ端から見ていたときがある。
その中に彼の写真集もあった。
表紙は、今も鮮明に憶えている。
それは封印されたと言われている写真だった。
映画は来週観る予定だが、ネットでかなり多くの情報を得ることができた。
Eugene Smith 本人の素の姿を拝見し、また肉声も聴くことができた。
彼の肉声は勿論のこと、記事を読むだけで涙があふれてしまう。
そして公式に水俣病患者が確認された1956年から65年経ってもなお、解決していないという事実にやるせなさを感じた。
それは、日本人がMINAMATAと真に向きあって来なかった証拠と言える。
私もそのひとり。
今からでも遅くはない。
起きた事実を正しく受け止め、教訓としたい。
世代を問わず、数多くの日本人に、日本で起きた世界的最大事件を知って欲しくて、
また微力ではあるけれど、現状維持ではなく、何かが変わるきっかけになればとブログに書いた。
以下、数ある記事や動画の中でも、特に分かりやすい内容をピックアップしたので是非見ていただけたらと思う。
ユージン・スミスの伝言
https://www.asahi.com/special/minamata-smith/?iref=pc_leadlink
【MINAMATA】ユージンが見つめた人々の勇気と不屈の魂
https://www.youtube.com/watch?v=4QoTIZcLDWo
MINAMATA~ユージン・スミスの遺志~【テレメンタリー2020】
https://www.youtube.com/watch?v=vgRlagztyUA
本日図書館で借りてきた写真集
7人それぞれが真摯に患者を受けとめた言葉もつづられています。