昨日の昼間の雨風蒸し暑さが、夜には嘘のように取れて。
今朝も今のところ吹く風が涼しく心地よい。
5時近くになっても、いつもはうるさい蝉も鳩も鳥もひっそりと静かだったから、彼らも
気持ちの良い睡眠をむさぼっているのかしら。
そういえば、ひところ電線の上フェンスの上、挙句の果てには庭にまで進出したタイワン
リスをこの頃見ないな、どうしているのかしらね。好きじゃなくても気になる。
円覚寺ぶらりの続き。
ただただ歩きたいだけで寺の歴史には興味ありません、なんて言ったら怒られるな。
無知なあまり、小学生でさえお勉強していることを今更のように読み直したりして。
HPのお世話になる。開山の部分だけでも、ね。
鎌倉時代後半の弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、
円覚寺は開山されました。開基である時宗公は18歳で執権職につき、無学祖元禅師を師として深く
禅宗に帰依されていました。国家の鎮護、禅を弘めたいという願い、そして蒙古襲来による
殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、円覚寺の建立を発願されました。
総門をくぐると目の前に立派な三門、威風堂々の三門。
この石段を上る時がなかなかで。心ときめくときもある。
ところで、三門と書くのか山門と書くのか、どちらも表記されているから悩む。
三門は、門の形式で、中央の大きな門と左右の小さな門との3門を連ねて1門とした
ものである。山門とも呼ぶが、これは、寺院がもっぱら山林にあり山号を持つからという。
(ウキペディアより)そうなのか。どちらでもいいということね。
三門は三解脱(空・無相・無願))を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って
涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされていると。
じゃあ、三解脱とはなんぞやと。一切を空と観ずる空解脱、一切に差別相のないことを
観ずる無相解脱、その上でさらに願求 (がんぐ) の念を捨てる無願解脱。こりゃあ難しい。
大好きな三門、あちらこちらから。
方丈
方丈前
ここのベンチに腰掛けて一息いれてボーっとしていると、ほおーっとしてくる。
現在の三門は天明5年(1785)、開山・無学祖元禅師の五百年遠諱の年に大用国師に
よって再建されたものだそうな。