(ある日の夕景)
佐野洋子さんのエッセイは好きだ。けっこう読んでいると思う。
お母さんとの葛藤を書いた「シズコサン」なんて何度読んだかしれない。
内容は忘れているけどほぼ忘れているけど。母娘の葛藤が衝撃的だったのよ。
物事をきっぱりバッサリ、洋子さんの物差しで切りつけ忖度がない。
洋子さん、ガンになって、かかりつけ医師に余命を聞き、かかる費用を聞き、
それならと、速攻で緑色のジャガーを買って乗り回すなんて、潔くて男前すぎる。
そんなシンプルで手加減なしの生き方の中に、どこか哀しみのようなものが
常に流れている気がして軽く切なくなる。
Eテレの人気番組「ヨーコさんの“言葉”」が、大人のための絵本になった。
シリーズ第2弾 それがなんぼのことだ
第3弾 わけがわからん
第4弾 ふっふっふ
第5弾 じゃ、どうする (第1弾はサブタイトルがない)
この絵本のサブタイトルにも開き直っての哀しみを感じるの。
悟りきっているような捨て鉢のような諦めのような、それでいてあたたかく優しく包んでくれるような。
ものごとにはどうにもならないことがあるのよ、それでも生きていくのよと言ってるような。
私も時々Eテレのその番組に出くわした。
イラストレーター北村裕花さんの絵と語りの人の声、ヨーコさんの言葉がバランスよくて
ユーモアがあってそれでいながらしみじみとして、5分という束の間を楽しんでいた。
それが絵本になっていたのね、5冊も刊行されていたのね。そっか。
で、第5弾「ヨーコさんの”言葉“ じゃ、どうする」
2018年 講談社
- その1 とどのつまり人は食う
- その2 先入観
- その3 大地(はは)
- その4 口紅
- その5 私は母も子供だったのかと大変驚いた
- その6 もう東京には行きません
- その7 親切だなあ
- その8 じゃ、どうする
- その9 あとがき
で、いちばんうんうんと気に入った話が、その8「じゃ、どうする」
もう手を叩いて「洋子さん、あなたもか」と共感し笑い、そしてちょっとだけ切なくなる。
もの忘れによるトラブルが増えてきたような気がするって。
いくらリモコン押してもつかないからテレビが壊れたと思って、
手元を見ると電話を持ってたって。
1年前は冷蔵庫を開けたら、洗ったコーヒーカップが3個並んで置いてあったって。
家の中でボーっと立ち止まっていることが日に10回以上あると。
何かを取りに行こうと思って立ち上がり、二、三歩あるくと、
何を取りに行こうとしているかわからなくなっているんだって。
もう「あるある」よ。日常茶飯事よそんなこと、洋子さん。
さすがに冷蔵庫にコーヒーカップはおいたことがないけれど。
私、自分の物忘れは、コロナワクチン接種の副反応だと思うことにしているの。
頭の中に風船がいくつも浮かんで空洞になっている感じがするわけよ。脳みそ空っぽ。
空っぽになった脳みそがまた埋まるかって、そんなことはないない。
だから、しかたないわよ、と思うことにしているわけ。
読んでどうする、どうにもならん
それを次々と友達に送る。
「洋子さん、アハハ、あなた同じ本をまた送ってきてるよ」
あああ。
忘れたからどうするって。「どうにもならん」
そうよ、どうにもならんわ。あがいてももがいてもどうにもならん。
いいねえ、今度から「しかたない」と諦める代わりに「どうにもならん」と切り捨てよう。
切り捨てごめん!
mannmoさんのこの記事を読んで、
ボクも5巻とも借りて一気に読んじゃいましたよ(笑)
何気に誰もがどこかで感じていることが、
分かりやすくと言うか、彼女の独特の感性で表現されていますね。
時々吹き出してしまうことも(笑)
日常の一片を切り取ったものが、結構自分たちの会話にも当てはまるフシが(汗)
ニュアンスは違いますが、佐藤愛子さんの語り口にも似てたりして(笑)
佐野さん、個性が強いですよね。
そこが好きでもあり・・・
5巻一気にですか、それはまたすごい。
cyazご夫妻の会話を想像して、ウフフです。
そうそう、きっぱりの語り口が
愛子さんに通じますよね。